訃報-麻子さんが亡くなった!
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-訃報-
拙著『我らの不快な隣人』の「Ⅰ部/麻子の物語」に登場していただいた麻子さんが10月15日に、クモ膜下出血で急逝された。享年48歳。心から哀悼の意を表します。合掌
悲しみ・怒り・無念さ・・様々な想いがよぎる。麻子さんの顔を思い浮かべながら、この胸のうちを正直に綴っておく。麻子さんが読んでくれるのなら、とてもうれしいのだが。
今でこそ、拉致監禁反対の声が世論の一部になりつつあるが、麻子さんが私に拉致監禁の赤裸々な体験を語ってくれていなかったら、強制説得の実態はいまだ闇に閉ざされたままになっていたであろう。
麻子さんに会ったときの場面を、月刊『現代』(2004年11月号)のルポ「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」と、前掲の本から引用しておく。
家族や親戚から親しみをこめて、「あーちゃん。」と呼ばれていた宿谷(しゅくや)麻子(40歳)が、アパートに閉じこもるようになって、どれだけの歳月、が経つのだろうか。
私が麻子にはじめて会ったのは2年前の夏だった。彼女の肌は、首まわりと手首から二の腕にかけてアトピーによる赤茶色の湿疹で覆われ、皮膚のところどころが鱗状に固まっていた。思わず目を背けてしまったことを、今でもよく覚えている。
文字色 麻子の一日は、大半が抑鬱状態で、「なにかあると突然、頭が高回転して止まらなくなる」という。精神医学で「過覚醒」(脳の異常興奮)と呼ばれる症状である。アトピー、過覚醒以外にも、吐き気、悪夢、動悸、不眠などの症状があり、「とても苦しい」と訴える。
麻子の2人の友人も同じような症状に苦しんでいた。高須美佐(36歳)も同じ鬱状態だが、暇な時間ができたりすると、かつての忌まわしい「過去」がフラッシュバックとなって甦ってくるため、無理をして昼間は派遣社員の仕事を入れ、夜はお好み焼き屋で働いている。それでも深い眠りにつくことができず、睡眠薬を飲んで2~3時間寝ては覚醒し、また薬を飲んでうつらうつらしてから会社に出かけるという辛い生活を繰り返していた。
中島裕美(41歳)は離婚して、小学校・保育園に通う2人の子どもを育てているが、やはり鬱状態で仕事に就くことができず、生活保護を受けていた。かつてはアルコール依存、現在は過食症に苦しんでおり、ときどきパニック発作を起こすこともあるという。裕美が悲しそうな顔をしながら話す。「朝、起きられないんです。子どもを学校に送り出すのが10時ごろになることもしばしばあります」
3人はいずれも精神科にかかっており、精神科医が下した診断名は一致してPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。飲んでいる薬は導眠剤、睡眠薬、安定剤、抗鬱剤など10種類に及び、公的な精神障害認定も受けている。
全文は「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」。麻子さんが手入力で、全文をホームページに打ち込んだものである。読まれた方も多いと思うが、再度、読んでいただけたら。
私が統一教会信者を脱会させるために拉致監禁説得の手法が取られていることを知ったのは1999年のことである。このときのことを『我らの不快な隣人』では、次のように記している。
(99年に拉致監禁のことを知ってから、拉致監禁の事実を)価値中立的に書くには「統一教会」にも「拉致監禁」にも批判的な信者を探すしかない。雲をつかむような話だったが、3年後にある元信者の母親の紹介で、ようやく1人の元信者に連絡を取ることができた。
「勝ち犬の遠吠え」⑦-故樹村さんのこと(2)・ 豹変 で詳述した。記事の引用を続ける。
それが宿谷麻子だった。
取材を申し込むために電話をかけた。躊躇されるのではないかという予想に反し、見ず知らずの私に対して、麻子は堰を切ったように二時間近く滔々としゃべり続けた。
麻子は孤独だったのだ。
脱会したことで信者仲間との人間関係は消滅した。そのあと、“拉致監禁”にも批判的な立場を取るようになったために、いつしか反統一教会の陣営からも無視されるようになり、どちらからも相手にされない存在になった。胸の内を思いっきり吐き出したくても、聞いてくれる人がいない--、ひとりぼっちの状態が続いていたのである。(38頁)
もう10年も前のことになるが、麻子さんに最初に会ったときのこと、インタビューしたときのことは今でもありありと覚えている。
取材中、彼女の手が痙攣したかのように震えたため、「今日はここまでにしよう」と打ち切ったことも。
アパートの6畳間で飼っていた亀のことも。
気分転換のために何日間もかけて塗り替えたというアパートの壁の白い色のことも。
アパートの外のセミの声や雑草のことも。
嗚呼、そんな麻子さんは、もういない。
麻子さんは私に拉致監禁の実態をしゃべっただけでなく、敢然として立ち向かおうしてきた。
私が最初にあった頃は、同じ強制脱会者たちと、自助グループを組織化しようとしていた。
月刊現代で記事になってからは、ホームページで、自分の監禁指導をした戸塚教会牧師の黒鳥を批判するようになった。
ぜひ、麻子さんのホームページ「夜桜餡-人知れず拉致監禁のPTSDと闘う夜桜のHP」をクリックして眺めてもらいたい。
「拉致監禁をなくす会」が結成されたときには総会に参加し、そのあと、会の副代表になった。
「拉致監禁をなくす会」主催の親子対談企画や、大阪での講演会にも進んで参加した。
【そのときの記事】監禁した側(親)と監禁された側(子)の対話①。以下、連載。麻子さんの肉声が伝わってくる。
昨年の1月からは「拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会」の世話人にもなった。
具体的なことは書けないが、いままさに拉致監禁をせんとする信者家族に、「拉致監禁だけはやめるように」と説得したこともあった。
そうそう、忘れてはならないことがあった。韓国の大手テレビ局SBSの番組「キヨミ13年ぶりの涙の帰郷」に、アトピーに苦しんでいたときの写真を提供したことだ。
羞恥心もあっただろうが、彼女には「拉致監禁はPTSDをもたらす危険な脱会方法であることを多くの人に知ってもらいたい」という気持ちのほうが強かったのである。勇気ある行為に、頭を垂れる。
これによって、「拉致監禁とPTSDとの関係」が多くの人の目に焼きつくことになった。
麻子さんの勇気ある行為、「訴えられずにはいられない」という気持ちは、多くの人たちの心を揺さぶり、これまで沈黙していた拉致監禁体験者が声をあげるようになり、「拉致監禁反対」は世論の一部になった。麻子さんの功績はとてつもなく大きい。君はもうこの世にいなくなったが、忘れ去られることはないだろう。
麻子さんは、拉致監禁を実行した親や親族(9人)と和解し、和やかな元の関係を取り戻した。なぜなら、拙ルポを読んでもらい、親・親族は自分たちがやったことを客観的に認識できるようになり、心から謝罪したからだ。
これによって、PTSDは緩和し、麻子さんは10年ぶりに仕事に復帰することができた。それからしばらくして、麻子さんから飲み残しを含めて何本かのウィスキーが送られてきた。
「アルコールはもう必要としなくなったんで」
だから、麻子さんは自分の拉致監禁問題については“卒業”したと思う。
しかし、PTSDは完治していなかった。
今から3ヶ月前頃のことだったと思うけど、麻子さんから「精神科医を紹介してくれないか」という相談があった。
麻子さんと親・親族との関係は修復し、彼女にとっての「拉致監禁問題」は終ったが、拉致監禁によって発症したPTSD(心的外傷後ストレス障害)は続いていたのである。
電話とメールで、何回かやりとりをして、2人の精神科医の名前をあげた。2人とも拙著を読んでいて、拉致監禁とPTSDとの関係を熟知している医師である。
その後連絡はなかった。そして、今回の訃報である。嗚呼
ここからは、私の爆発的な怒り、口汚く罵っておく。
麻子さんが拉致監禁されたのは95年のこと、脱会の意思を表明し、監禁から解放されたのは96年のことだ。
それから16年間にわたって、PTSDの症状に苦しんできたのである。
あるとき、こんなことをもらしたことがあった。
「自分で薬を飲むのをやめたことがあるんです。そうしたら、パニック発作が起きて、どうしようもなかった」
両親や親族は、麻子さんに謝罪した。
しかし、戸塚教会の黒鳥栄は謝罪していない。
麻子さんが生きているときに、謝罪できなかった。君はもう謝罪することができないのだ。
次いで行田教会の清水与志雄。
君も謝罪していない。
韓国テレビ局の記者に「拉致監禁などしていない」と答えたあと、麻子さんのアトピーの写真をつきつけられ、慌てふためく清水与志雄。
もし霊界があったのならば・・・。君たちの周りを麻子さんが「また嘘をついていないだろうな」と徘徊していることであろう。
私が腹立たしく思うのは、黒鳥、清水の周囲の輩である。
弁護士の山口広、北大教授の櫻井義秀、「いのちの家」所長の故川崎経子。事実から目を背ける心卑しき弁護士・大学教員・牧師である。
なぜ、心が卑しいのか。
麻子さんは「記事(前掲ルポ)には実名を載せて欲しい」と頼んだ。それで実名で書いた。高須美佐さんも中島裕美さんもそうである。
それに対して、弁護士・大学教員・牧師の3人は3人とも、実名で書くことを批判したのである。麻子さんのPTSDに気づかうことは一切なく。ちなみに、麻子さんがアトピーを発症したのは脱会直後からである。
櫻井は、札幌のパスカル主催の勉強会で「拉致監禁はやめて欲しい」という訴えを、麻子さんから直接、聞いている。
川崎は、脱会後の麻子さんと谷村教会で一週間にわたって生活を共にしている。
それにもかかわらずである。
より悪質なのは山口である。
山口は、全国霊感商法対策弁護士会の『弁連通信』で、ルポをこう評したのである。
「少くとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない元信者の話を実名で中心に据えたことは、彼の良識を疑わしめる」
山口は、PTSDが発症していた麻子さんから献金等返還請求の依頼を受けて、その代理人となった人物である。このことを山口の一文を借りて言えば、「私は、少くとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない元信者の代理人となりました」と言っているのと同じなのである。バカ丸出しもいいとこだ。
しかも、示談交渉が成立した結果、麻子さんから数十万円(40万円あるいは80万円)の成功報酬を受け取っているのである。厚顔無恥にもほどがあろうというものだろう。この腐れ弁護士め、が。
【関連記事】「山口弁護士の倫理を疑う(上)」/「山口弁護士の倫理を疑う(下)」。これらの記事を書いたのは、今から3年半以上も前のことである。麻子さんに対する山口への怒りはいまだ収まらない。
山口に厭味な質問をしておく。
麻子さんの成功報酬金は妻に渡したのか、妾に渡したのか。
お妾さんと手をつないで歩く山口広大先生
話を戻す。
麻子さんが「拉致監禁とPTSD」のことを訴えた功績は限りなく大きい。
最初に訴えたのは、麻子さんと、やはり黒鳥にやられた高須美佐さん(2人とも同じアパート)の2人だった。 そのあと、黒鳥にやられた中島裕美さんが自分の精神的不調の原因はPTSDにあることに気がついた。
ちなみに、中島さんはいまだ入退院を繰り返している。罪深きインチキ牧師の黒鳥め!が。
故平岡正幸にやられたN君、清水にやられた韓国在住のTさんなどなどが気づいた。
最近、自分は拉致監禁によるPTSDで治療を受けていると、国連の機関で訴えたのは愛澤豊重・清水にやられたアントール・美津子さんである。
「私は、医師に、不安神経症、不眠症、拉致監禁を原因とする自律神経失調症と診断されました。現在でも、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療を受けています」
【関連記事】4 清水与志雄牧師に捧ぐ - 国連人権理事会のサイド・イベント」/そのときの映像。ぜひ、クリックして読み、映像も観ていただきたい。
なお、私が知る限りでだが、最初に医師からPTSDと診断されたのは、清水にやられた今利理恵さんである。今利さんのことについては、世界日報が連載記事で書いているので、後日、それを紹介する。
麻子さんの訴えから10年。拉致監禁と精神疾患との関連性はますます明確になりつつある。
それにも関わらず、これまで強制説得をしてきた数百人の牧師は沈黙を守っている。この罪深き腐れキリスト教徒め!が。
そろそろ、怒りの矛を収めることにしたい。
麻子さん、あなたが黒鳥の戸塚教会の勉強会で保護説得はやめるべきだと、白眼視されることを覚悟して訴えた最初は、99年頃だったと記憶します。
今利理恵さんが黒鳥・清水を訴えた裁判を、反統一教会・監禁諸派はトンチンカンなことにというか、いかにも“カルト”的に、「統一教会の攻撃が始まった」と受け取った結果、教会は黒鳥・清水を守れの一色になっていましたね。
裁判のあとの反統一一色の集会で、お母さんと共に
「今利さんが裁判に訴えざるを得なかった辛い気持ちを、理解してあげる必要があるのではないでしょうか。もう保護説得はやめるべきだと思います」
と訴えられた。結果無視され、PTSDの症状が悪化したわけだけど。
今ならともかく、あの当時のことを考えると、声をあげるのはとてもとても勇気ある行為だったと思います。
あの頃は、今利さんの提訴によって拉致監禁の件数は激減したというものの、それでも1年間に数十件は起きていました。
しかし、麻子さんのこの10年間の言動によって、今では年に2、3件、今年に入ってからは1件だけとなりました。
麻子さんの功績はとてつもなく大きい。
今でも組織的にやっているのは、脱会屋の宮村グループだけでしょう。
その宮村にしても、後藤さんが訴えた裁判では守勢に立たされています。
麻子さん、天国で、拉致監禁が根絶されていく様子をどうか楽しみに眺めてくださいね。
あっ、そうそう。拉致監禁体験者のkoyomiさんから「眠れない」というメールが、中島みゆきさんの「泣きたい夜」のYouTube 動画とともに送られてきました。
原稿を書き直ししているときには涙は出なかったのに、聴いていると、今は朝だというのに、涙が滲んできました。あーちゃん、大勢の方からコメントをいただき、大勢の方があなたの死を悲しんでいます。安らかにおやすみください。
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- [2012/11/17 17:10]
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コメント
無題
驚きました
亡くなるまで、拉致監禁によるPTSDに苦しんでいたんですね。
心からご冥福をお祈りいたします。
とても、残念です。
ショック!
これからこそが麻子さんの人生だった。
そうだったはず。
謹んで麻子さんのご冥福をお祈りいたします。
辛く悲しいです
麻子さんのことを聞いて言葉になりません。
再会を楽しみにしていたのに・・・・
ご冥福を心からお祈りいたします。
きっと・・・
御報告ありがとうございます。
麻子さん、その他の皆様に人力を尽くしてくださり誠にありがとうございます。
きっと、麻子さんは米本さんに感謝していかれたと思います。私はそう信じます。
厚かましいようですが、これからもよろしくお願いいたします。
ご冥福を心より御祈りいたします。
感謝
ご冥福申し上げます。
驚いています!
そしてとても悔しく残念です。
拉致監禁の首謀者達は、この事をどう感じる、どう行動するのか?注目したいです。
何れにせよ、宿谷さんの足跡はこの拉致監禁、人権問題に対して、とても大きな事実を残されたと感じます。
同じ経験をした者としてその意思引継いで、この日本から拉致監禁手法の根絶に何かしら行動したいと改めて感じました。
宿谷さんの、ご冥福をお祈り申し上げます。
ご冥福をお祈りいたします。
私が拉致監禁について考え直すことができたのは、麻子さんのお蔭です。
麻子さんの訴えがなければ、統一教会が悪いから脱会のためには拉致監禁は致し方ない、と思い続け、拉致監禁の酷さを訴える統一教会を無視したでしょう。
後藤さんの訴えの真意もわからなかったでしょう。
12年の監禁にビックリしながらも、「自分たちの悪を棚にあげて何を言っている。」と
しか思わなかったでしょう。
脱会者が拉致監禁にノーというのは、大変な勇気と精神力がいるのです。
白眼視、誹謗中傷は目に見えています。
統一教会にも反統一教会にも相手にされない、無視されることも目に見えています。
ただでさえ、拉致監禁で疲れ、生活と心をかけた統一教会の信仰を失い、喪失感で打ちひしがれている時の孤独は想像を絶するものがあります。
少しでも気持ちが寄り添える人の側にいたい、誤解されたくない、という思いから自然に拉致監禁について口をつぐむようになり、必要悪と自分の中で折り合いをつけ、元信者や反対派と付き合って心を癒し、時が過ぎたら忘れていったのが私です。
自分の精神の安定のため、長いものに巻かれ、「拉致監禁はおかしい」と薄々思いながらも、結果認めてしまっていたのです。
でも、麻子さんは立ち向かいました。
拉致監禁はノーと言い続けました。
それがどんなに困難なことか、逃げた私だからわかります。
麻子さんと勇気と行動に心から敬意を表します。
麻子さん、ありがとう。
そして、麻子さんが立ち向かっていた時期に、苦しんでいた時期に「拉致監禁は間違っている」と一緒に言えなくて、ごめんなさい。
天国でゆっくり疲れを癒してくださいね。
お知らせ
ようやく、記事を脱稿しました。
再度、読んでいただけたら。
2009年11月15日
まさかPTSDという精神疾患を患うなんて全然わかりませんでした。一生付き合っていかなければならない病気んですね。と、会話したことを記憶しています。自分同様、統一教会に批判的な方でした。ご冥福をお祈りいたします。
管理人のみ閲覧できます
ご冥福をお祈りいたします
強制棄教の根絶にいま現在も頑強に抵抗する、警察・検察、司法、メディアの3本柱を突き崩す最大の決め手が、宿谷さんが身をもって示されたPTSDの悲惨さ、その非人間性の国民レベルでの徹底認識であることは疑いありません。
いたたまれない気持ちです
わずか三か月前に、米本さんに精神科のお医者さんを紹介してもらいたいとおっしゃっていたなんて、思いもよりませんでした。
お母さんと講演会にも参加されていると聞き及んでいましたので、失った時間を取り戻しながら過ごしておられると思っていました。
PTSDというのは、ほんとうに大変なことなのですね。
麻子さん、たくさんのことを教えてくださり、ありがとうございました。
よい思い出のみ残ります…
幾度かメールにて私自身の家族問題をも含めて、懇篤なお言葉を頂きました。そして、今年こそはご講演を拝聴しに行こうと思っておりました。
また宿谷さんはご自身のホームページで「まだ幼い甥や姪を見て思う。私はこのまま独りだろうか?」という趣旨のことをさびしげにおっしゃっていましたが、それはまだ拉致監禁から来る心の傷が完全に回復していなかった時期のことであり、今はきっと穏やかで明るいお気持ちをいだいていらっしゃることと信じておりました。
そのような今のお気持ちをもっともっとうかがいたかったのです。皆様もきっと同じようなお気持ちでいらっしゃいましょう。どうか安らかにお眠りくださいませ。
再読いたしました。
ありがとうございました
献歌(YouTubeより、「言葉にできない」辛島みどりカバー)
http://www.youtube.com/watch?v=wHbXHb3mTr8
麻子さんを侮辱する記事
それはこのブログです。
http://ameblo.jp/goodlife1000/entry-11407120360.html
私に言及した記述については、同ブログに反論しておきました。おそらく、このバカは承認しないでしょう。
(引用はじめ)
まずクレームを!
他者を批判する場合には実名を明かしてやれよな。
そして、批判する場合には根拠を示してやるべし。
「米本氏は妄想癖があり」(その根拠は?)
まるでカルト新聞の藤倉氏とエイト君と同じだ。反カルトとカルトは双子みたいだということの証左である。
「原理講論を読んだこともないのに原理がどうのこうのと論ずる人」(前は正しいが後の事実を示せ)
原理が正しいことをブログで証明せよ。
君のような奴がいるから、統一はいつまで経っても発展しないのだ。
(引用終わり)
こいつを許せないと思ったのは、麻子さんの死に対して、こんな上から目線のこと(まるでドンキホーテというかオカド違いというかバカ丸出しというか)を書いていたからだ。
(引用はじめ)
48歳で早い旅立ちをさせてしまいました。宿谷麻子さん。。。苦しい想いさせてごめんなさい、よーくがんばっていただきました。 お父様が暖かく迎えてくださると思います。甘えてください。ありがとうございました。
カムサハムニダ、アージュ。
(引用終わり)
ほんとに度し難いバカというしかない。
老母の様子を見に階下に降りていくと、麻子さんが大嫌いな「さざえさん」の歌が聞こえてきた。♪みんなが笑っている♪
南無の世界に消えてくれ!なむあみだぶつ、じゃ。
根絶!
麻子さんの死を絶対に無にしてはいけませんね。
何が何でも、拉致監禁を根絶し、拉致監禁派に謝罪させましょう!!
それしか、麻子さんを苦しみから解放する方法はないと思いますので。
麻子さんにとって、死後の世界が自由で安らかな場所でありますよう、お祈りいたします。
管理人のみ閲覧できます
ご冥福をお祈り致します。
「我らの不快な隣人」で麻子さんのPTSDによる後遺症の内容を読んでショックを受けた事を思い出します。
統一教会員として、拉致監禁のことは知っていましたが、そのことにより被害者がどれほど苦しんでいるか、ほとんど知らない自分であったことを恥ずかしく思いました。
残念ながら麻子さんとは直接お会いする機会はありませんでしたが、霊界では地上での全ての苦しみから解放されることを、ただ願っています。
管理人のみ閲覧できます
Re:麻子さんを侮辱する記事
私も批判されている内容が間違っていると反論できる内容があれば、具体的にコメントしたいのですが、残念ながらそのような情報は持っていません。
とりあえず・・(-_-;)信仰者ですから、信者であれば文先生のみ言の通りに生きようとしていると信じたいし(特に公金問題)、最後は一つになると信じたいと思っています。
しかし、多くの内容は残念ながら時が過ぎないことには明らかにならないかもしれません。
とにかく信者の皆様。
本当に地上天国を実現しようとするなら、より多くの人々に受け入れられる統一教会でなければ実現は難しいです。
それは、批判する人々にも最終的には認めてもらえるようにならなければならいということです。
そうでなければ、統一教会はいつまでたっても、世間からはカルト集団としか見られないということです。
それで文先生の理想を実現できますか?
米本さんと麻子さんに敬意を捧ぐ
まず、米本さんと麻子さんに敬意を捧げます。私は拉致監禁体験者です。「我らの不快な隣人」と「火の粉を払え」の読者です。米本さんへの賛否両論はありますが、今回のブログの中での最後の結び「麻子さん、天国で、拉致監禁が根絶されていく様子をどうか楽しみに眺めてくださいね。」・・・このご心情はそこら辺の「組織の奴隷として洗脳された食口」より遥かに天に通ずるものがあると断言します。「麻子さん、お会いしたことはありませんが、同苦の立場の者として私もきっとあなたの恨みを晴らしてゆきます。霊界から見ていてくださいね・・・」と、米本さんから麻子さんに伝えてください・・・よろしくお願い致します・・・
ありがとうございます。
教会員を止めた人にも
分け隔てなく
真摯に取り組んで下さるその誠意に
一信者として心からの敬意と感謝を
申し上げます。
ありがとうございます。
憤懣のの矛先
これは本当にひどい言いぐさです。百歩譲って、そのような心理的状況が事実だとしても、その状況は拉致監禁によって作り出されているので、クライアント側の犯罪行為を認定しながら暴言を吐いていることになるように思えます。
死因がクモ膜下出血であるならば、PTSDとの因果関係は(立証されなくても)疑いようもなく、年齢を考慮すると、実質的に傷害致死と言えるのではないかと思います。
そのような状況を見るにつけ、やるかたない憤懣の半分以上は、このような犯罪行為が黙認される原因を作り続けて来た幹部たちに向かいます。
憤懣の矛先 - 私の場合
麻子さん、苦悩から解放され、安らかに、やすらかに。
遅くなりましたが
様々な思いがあって、言葉にならないのですが、とても、残念です。
麻子さん、もう一度会いたかった
真に、死を悼むことについて
生前、麻子さんとは死生観について話す機会はありませんでした。取材のあと、戸塚の居酒屋でかなりの回数、飲み、話しましたが。そのあとも。
でも、この話題がテーマになったことはありませんでした。そんな余裕もなかった。
でも、彼女の結論は「霊界はない」ということでした。
彼女の死を嘆き悲しまれる食口の方へ。
自分の気持ちをオブラートさせながら、麻子さんの死を悼むのは、故人への冒涜になりますので、どうかやめてください。
どうかお願いいたします。
麻子さんを英語で紹介
きっと、麻子さんの拉致監禁問題に対する業績は、世界中の良識ある人権活動家に覚えられることと思います。
米本さんの、書籍、ブログの記事、たくさん参考にさせて頂きました。
http://humanrightslink.blogspot.com.au/2012/11/asakos-existence-encouraged-other.html#more
Re: 麻子さんを英語で紹介
これで、麻子さんの存在は人権活動に取り組んでいる海外の人の記憶にも刻まれると思います。
麻子さんの写真をしみじみと眺めました。ご両親に彼女の写真をもらおうと思っていましたが、Yoshiさんのブログをときおり覗くことにします。
ありがとうございました。
写真を改めて眺めると、なかなかの別嬪さんですね。
いい写真で、麻子さんも満足していると思いますよ。
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