ハラスメントの道具は「カルト」&「マインドコントロール」 

“カルト”化する大学業界の人びと(7)

2011年3月号「白昼のキャンパスで、大学教授公認の拉致監禁」
2011年4月号「大阪大学のゲーペーウー」
2011年5月号「全国大学のカルト対策会議で“学長待遇”を豪語する牧師」


◆2011年6月--宗教ジャーナリスト 室生忠

常軌逸した新宗教サークル抑圧の実態
真理探究の府いずこに-アカハラ、弾圧に血道上げる大学  

 それにしても、人権状況では世界から高い評価を受けている日本社会で、確認されているだけで全国約60校(2010年10月現在)もの大学で、なぜ、マイノリティ新宗教とくに統一教会系学生サークル「全国大学連合原理研究会(CARP)」に対する、常軌を逸したアカハラや抑圧が公然と横行しているのだろうか。

 結論を先に言えば、根本原因は大学経営の在り方にある。大学経営を将来的に安定させるための学生確保策に利用されているのだ。 

 2009年11月の人口統計によれば、現在の大学生世代の人口は推定670万人で、毎年平均約1万3500人ずつ減少し続けている。大学進学率が50%を突破した影響で、280万人台前半を推移しているが、大学世代人口そのものが減少を続ける以上、いずれ大学生の総数は確実に減少に転じるだろう。
 一方、大学数は増加の一途をたどり、2009年現在で773校に達した。
 減少に転じる大学生の数、増加を続ける大学の数。必然的に近い将来、大学が経営困難に直面することは確定的で、こうした社会情勢のなかで、マイノリティ新宗教の抑圧は、各大学のイメージアップをアピールするための格好の手段として行われている。

 つまり、こうである。
 少子化による学生の減少→大学の生き残りを賭けた闘い→就職率が高く質の良い学生を生み出している大学というイメージの必要性→学生生活に関するリスク管理ができているという大学イメージ確立の必要性→リスク管理のひとつとしての「カルト」対策のアピール→「カルト」予防や「救出」の実践。この一連の連鎖によって、マイノリティ新宗教サークルが標的に仕立てあげられている。 <注1>
 

異常な千葉大の介入

 大学の評価は、真摯な学問と研究の成果でこそ競われなければならないはずだが、大学内の経営安定を第一とする空気のなかで、健全な教職員の声は封殺されてしまい、くわえて、偏狭な宗教観をもつ教職員、党派的な教職員や学生サークルが便乗して反CARPの空気を醸成している。

 良い例が、CARP批判のビラや文書である(本誌・2011年4月号参照)。国立・愛媛大の構内で配布されたビラを調べると、大学当局によるものではなくて、Y教授個人が発行したものだった。
 国立・広島大のビラの中には左翼系学生によるものがあったし、国立・岡山大の掲示板には昨年、統一教会を攻撃する日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が貼られていた(本誌・2011年5月号)。
 
「カルト対策」の主体は、大学ごとにバラつきがある。
「カルト問題対策会議」のような専門機関を学内に設置している大学(岡山大、愛媛大)もあれば、学生支援課保健管理センターなどが中心になっているケースもある。
 共通しているのは「学生支援」という名目のもとに行われていることで、問題は、その「カルト対策」機関の多くが、外部の反「カルト」組織や反統一教会運動組織と連携している事実だ。
 それは本誌・11年5月号で述べた反対牧師の存在だけではない。

 今年4月、熱心な「カルト」対策で知られる国立・千葉大で2011年度入学式と全8学部のオリエンテーションが行われた。2~3の学部ではCARPの名指し批判も行われたようだが、学生勧誘問題対策室から次のような内容の「勧誘行為に関する申し合わせ」が新たに出された。
干葉大生の勧誘行為は、学内外において大学の許可が必要<注2>
②それに反した場合、担任と担当委員が学生を指導する。
③それでも改善しなければ保護者に連絡する。
④さらに改善が見られなければ、外部の専門家と連携して指導にあたる。

 大学内のみならず学外での伝道にも介入する措置は、大学秩序の維持を名目としても明らかに行き過ぎだ。
 学内、学外を問わず千葉大生をマイノリティ新宗教から隔離するという大学当局の異常な執念を感じさせるが、併せて、「学外の専門家等との連携」を宣言している点も注目される。
 では、「学外の専門家」とは誰か。
 恵泉女学園大学の川島堅二教授は、文部省所轄の独立行政法人・日本学生支援機構が出している『大学と学生』(第85号、平成22年9月15日発行)で、「大学におけるカルト対策-現状と課題」と題して次のように述べている。

<(非宗教的反カルト運動は)日本では日本脱カルト協会(中略)が担い手となっている運動である。ここでは問題になるのは人権侵害、思想統制(マインドコントロール・洗脳)であり、大学生をターゲットにしたカルトの活動が問題となる><注3>
<カルトに関する情報交換が大学間においてなされることが必要との認識から、昨年三月、弁護士やカルト研究の専門家が発起人となって全国カルト対策大学ネットワーク(中略)が立ち上げられた。(中略)加盟大学が増えていくことが今後の課題として望まれる>
 川島教授は「恵泉女学園大学・教授」と併記して「全国カルト対策大学ネットワーク・発起人」の肩書でこの文章を書いている。


組織的な反カルト網

 全国カルト対策大学ネットワークは2006年3月、韓国発祥のキリスト教系新宗教「摂理」が起こしたトラブルを背景にスタートした登録制大学ネットワーク。当初の首都圏約40大学から、2011年2月現在で全国121大学にまで広がっているという。
 発起人は川島氏西田公昭・静岡県立大学准教授<注4>滝本太郎・弁護士、大和谷厚・大阪大学院教授ら9名。
 
 大和谷教授は国立・大阪大で「生活環境論」という必修の「カルト対策」講義を行い、提出レポートからCARPメンバーを割り出して尋問することで知られた人物である。(本誌・11年4月号参照) <注5>

 客観的に見るかぎり、対策大学ネットワークには、大学との提携組織として致命的な欠陥がある。ホームページの発行元、登録申込書(無料)の送付先がともに「川島堅二の宗教学研究室」であり、規約や定款の記載がないことからも、川島教授が他の学者や弁護士らと共同して作った、法人格を持たない私的な任意組織であることは明白なことだ。

 くわえて、登録が「全国の国公私立大学に勤める専任教職員で、学生生活相談に対応する部署あるいはそれに準ずる部署に属する者とする」個人参加にもかかわらず、対策大学ネットワークが公表する参加校一覧には大学名が記載されて、あたかも学校法人として加盟したかのような形式になっている。

 いったい各大学はどのような意思決定のプロセスを経て、学校法人として私的ネットワークに登録参加したのか。そうでないなら、誰がどんな権限で登録したのか。
 なぜ大学名の記載が許されているのか。
 大学側は説明を一切行っておらず、対策大学ネットワークとの“癒着”と批判されてもやむを得まい。

 川島教授が称賛するもうひとつの外部組織、日本脱カルト協会はどうか。
 オウム事件を契機として1995年11月、心理学者、聖職者、弁護士、宗教社会学者、元「カルト」団体メンバー、家族らによって結成された団体で、情報交換やシンポジウム、公開講座などを行っている。
 代表理事は高橋伸吾・東邦大学医学部教授を初代として現在まで4代、個人資格制の会員は170人弱(2008年5月現在)。<注6>
 国立・岡山大の学生支援センター、私立・龍谷大の学生生活広報など多くの大学の「カルト対策」HPにリンクで貼られている。

 日本脱カルト協会が2010年11月に都内で行った公開講座には、滝本、西田、川島氏らとともに千葉大の宮野モモ子教授も講演した。
 宮野教授は2009~2010年、千葉大入学式で学長講話に続いて40分間にわたる「カルト」講話を行い、そのなかで名指しで統一教会、CARPを激しく批判した人物(本誌・11年4月号参照)。
 川島教授は「大学におけるカルト対策は予防という段階から救出 という段階に入ってきた」と述べて、“CARP狩り”がさらに激化することを示唆した。

 注目すべきは、この日本脱カルト協会と全国カルト対策大学ネットワークの関係だ。
 西田准教授が脱カルト協会の現代表理事と対策大学ネットワーク発起人を、滝本弁護士が脱カルト協会事務局長と対策大学ネットワーク発起人を兼ねているのを見ても分かる通り、両者は「カルト」撲滅と「カルト」からの「救出」、とりわけ反統一教会を鮮明にする“双生児”活動組織である。
 さらに、信条的な反統一教会運動を行っている全国霊感商法対策弁護士連絡会、その有力メンバーである河田英正弁護士の個人HP「カルト被害を考える会」などを堂々とリンクで貼っている大学も少なくない。

 こうした構図は、学生生活のリスク管理を名目に、文部省所轄の独立行政法人・日本学生支援機構の“お墨つき”のもとに作られており、行政、学外活動組織、学内の一部教条的な教授らが連携してマイノリティ新宗教抑圧を行っている忌むべき実態は、厳しく批判されなければならない。
 全国カルト対策大学ネットワークや日本脱カルト協会は、マイノリティ新宗教を抑圧するための理論的な支柱を共有する役割を担っている。

「カルト論」「マインドコントロール理論」がそれだが、これほど批判の対象とされて物議を醸してきた理論は少ない。

 「カルト」という言葉の使われ方は多義的で、同じ「反カルト」でも西田准教授「強固な信念を共有して熱狂的に実践し、表面的には合法的で社会正義をふりかざすが、実質には自らの利益追求に手段を選ばない集団」と規定し、また滝本弁護士「教祖または特定の主義主張に絶対服従させるべく、メンバーないしメンバー候補の思考能力ないし思考意欲を著しく減退ないし喪失させ、目的のためには違法行為(刑事・民事・行政法も含む)も繰り返してする集団」と規定するといった具合に一定しない。

 しかも、西田准教授の言う「強固な信念を共有して熱狂的に実践」すること自体は、活発な宗教団体、政治・思想団体などに共通する属性で、また、組織の拡大=自己の利益とすれば、すべての集団がこの定義に当てはまる。
 滝本弁護士の主張は「マインドコントロール理論」に便乗した通俗的でジャーナリスティックな「カルト論」で、「思考能力ないし思考意欲を著しく減退ないし喪失させ」られていることを科学的、客観的に測定、証明することは不可能だ。「カルト度」測定の客観的基準だと主張する「違法行為」の発生頻度も明らかにされていない。<注7> 


偏見生むカルト定義

 筆者は以前、ロンドン大学社会科学部教授で世界的に知られる宗教社会学者、アイリーン・バーカー博士をインタビューしたことがある。<注8>
「カルトとは何か」という筆者の問いに博士は明快に答えた。 


宗教学者として世界的に著名なアイリーン・バーカー女史

「『カルト』には様々な定義がありますが、いずれにせよ、学術的にはあくまで既成宗教に対する『新宗教』という価値中立的な用語です。しかし、社会一般においては『私の嫌いな宗教』という意味で使われる、偏見を作り出すための否定的なレッテルにすぎません。これは問題です。単に『悪い』というイメージを表すだけで、何ら正確な情報をもたらさないため、混乱を深めさせるだけだからです」
 
 一方、「マインドコントロール論」は米国の心理学者、マーガレット・シンガー博士が
自由意志と判断能力が事実失われるように、入会候補者を取り囲む交際による感化力(影響力)を計画的に操作しつくりだす活動過程」<注9>
 と定義した理論だ。
 ディプログラマー(強制改宗屋)スティーブン・ハッサンらの活動理論に援用されたが、そもそもマインドコントロールによって「自由意志が剥奪された」ことを科学的に測定することは不可能であって、米国心理学界の有志(1987年)、科学的宗教研究学会(1990年)において科学的裏付けを欠くとして否定、司法においてもフィシュマン判決(1990年)でシンガー博士の証人出廷が拒否されて終焉した。

 世界の趨勢に反して日本では、社会心理学者の西田准教授がマインドコントロール理論の系譜を継承しているが、西洋の研究事情に明るい宗教学や宗教社会学の学者からは多くの批判を受けており、法廷においても名古屋地裁判決(1998年)で理論の実効性が否定されている。

 前出・バーカー博士も明快だった。
「マインドコントロール論者は物理的に拘束されていない人々に起こることを説明するために、物理的に拘束された囚人についての研究成果を用いてきました。新宗教運動にあっては、一方的な支配は考えられません。宗教に関する限り、誰かが誰かを支配しているというよりは、誰もがお互いに影響し合っているというのが実情なのです。マインドコントロール論者は、初めから反証不可能な情緒的主張や、検証すれば否定されるような内容を、あたかも専門家による科学的発言であるかのように主張してきたのです」  <注10>


 マインドコントロール理論は、現実的には西田准教授ら一部学者、科学的学問の位置からほど遠い一部弁護士、反「カルト」活動家らによって主張されているに過ぎない。
 真理探究の府とりわけ国立大学が、学問的にも法的にも認知、確立されていない一主張に依拠して、しかも、経営安定を目的として、マイノリティ新宗教サークルおよびメンバーに対するアカハラ、弾圧に血道を上げることは断じて許されない。

 最後に、国際人権規約と憲法条項を掲げて、この「全国大学連合原理研究会(CARP)」迫害問題の項を締めくくろう。

■国際人権B規約第18条
1、すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。
2、何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。

■憲法第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
■憲法第14条 すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
■憲法第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
■憲法第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権利を行使してはならない。

<注1>この文脈のことは、拙著『我らの不快な隣人』(2008年)でも書いている。
それにしても、70年前後の学生運動華やかりし頃には考えられないキャンパス事情の激変である 。当時であれば、原理研と敵対していた左翼学生とて、親への通報は思想・良心の自由を侵害するものだとして大学に抗議したであろう。
歳月が流れ今では、生産者(大学)は商品(学生)管理だけはしっかりし、あとで消費者(授業料を払う親)から“傷物にされた”とクレームが来ないように事前説明、アフターケアはきちんとしておこう-というわけか。
 仄聞したところによれば、原理研の関西のメッカ、京大は牧師からの働きかけを断っている。ノーベル賞受賞者を輩出する大学は学生商品化論に与しないということなのだろう。
(183頁)

 室生氏の文脈を補足すれば、大学が生き残り競争に勝つには大学の偏差値をあげるしかない。そのためには「欠陥のない完全な製品」の生産が必要だ。それを阻害するような要因は大学から排除しなければならない。
 といったことから、カルト対策を行っているというわけだ。 
 しかしながら、私が大学経営者なら、まず教員の研究レベルをあげ、海外の研究者から引用されるような論文を書けと号令をかける。引用件数が多い大学ほど、その大学の権威が高まり、偏差値はアップする。
 ちなみに、論文引用数ランキングは東大がトップだが、世界レベルだと東大も11位・13位・16位と年々後退している。
 さしたる研究結果を出せない教員は、カルト対策で成果を出すしかない。中学高校の生徒指導教師ならともかく、大学の教員が・・・と思うと、哀れを催す。

<注2>正体を隠してならともかく、ふつうの宗教勧誘も大学の許可が必要とは!絶句するのみ。千葉大は高校なのか!?そのうちに、一流企業への就職の邪魔になるから、学内での恋愛も禁止ということになるのではないか。

<注3>川島氏の一文から、定義のはっきりしない「カルト」と「マインドコントロール」を取り除けば、なにも言っていないのに等しい。
 これで思い出すのは、2つの用語の定義についてである。
「カルトとは何か。マインドコントロールを駆使する集団だ」
「マインドコントロールとは何か。カルトが駆使する心理操作だ」
 私が作った小話ではない。ある反カルト人が大真面目に語っていたことだ。

<注4>西田氏は現在、立正大学の教授。

<注5>報告書を書かせ、それによって思想チェックする。3000万人虐殺したと言われているスターリンのやり方と同じである。日本の特高警察もそうだったのではないか。

<注6>「日本脱カルト協会」と名前はたいそうだが、今もやっているかどうかはわからないが、170人の会員は年に2回、1泊2日での勉強会と懇親会に参加するだけ。「やぁ、久しぶり、元気してたの?」 多くの会員にとっては同窓会である。
 ただし、滝本弁護士や西田教授、川島堅ニ教授など一部の理事プラス一部の理事に近しい人たちは、「研究」ではなく「反カルト運動」に取り組んでいる。

「日本脱カルト協会」という名前から、いかにも価値中立的な組織のように思われるが、活動の実態に合わせれば、「反カルトセンター」と改名すべきであろう。「日本脱カルト研究会」(旧名)が発足した頃は、カルト研究の一助になればと複数の学者が参加していたが、そうした人たちは“脱会”してしまった。
 最近の反カルト活動は以下の通り。
公開講座「カルト問題からみた大学の役割-対策から教育へ-」のご案内(2011/3/14up)
公開講座「大学におけるカルト問題の今-現場・理論・対策-」のご案内(2010/8/31up)
公開講座「大学におけるカルト予防の実際と展開」のご案内(2009/10/01up)
 興味がある方はクリックを。
 室生氏の記事に登場する大学教授が多く登場する。反カルトといっても、実に狭い業界なのである。
 
 瓜生崇(うりうたかし)は、同会の理事にして、「やや日刊カルト新聞」(以下、「カルト新聞」)の記者「ぶるうの」のこと。鈴木衛人はご存知、エイトこと田中清史。つまり、「日本脱カルト協会」とカルト新聞とは密接な関係があるということなのである。
 人脈ついでに言っておけば、同会の理事の山口貴士「全国弁連」の弁護士で、後藤徹氏が訴えた裁判の被告代理人。神保タミ子は監査役を離れたようだが、元監査だった神保は「全国統一協会被害者家族の会」の中心メンバー。彼女は、監禁説得が得意な黛藤夫が執事になっている、かつて脱会屋・宮村峻が拠点としていた荻窪栄光教会の信者である。
 このブログの右サイトに「脱会相談窓口」として、3つの団体のサイトをリンクしているが、この団体は相互に密接に繋がっているのである。このことからも、狭い業界ということがわかるだろう。
 なお、よく登場する福岡晶子は大阪商業大学の事務員で、元摂理信者。ハンドルネームは「あっこ&駅長」。大阪大学の大和谷や、監禁牧師の高山正治、愛藍豊重のお友達。
 元親鸞会信者の瓜生が拉致監禁黙認派なのに対して、福岡は積極的な肯定派。摂理信者の拉致監禁にも関与していたことがある。(文中敬称を略した)



<注7>西田氏(日本脱カルト協会理事長)と滝本氏(同理事&事務局長)のカルト定義が異なるのは、笑える話である。なぜなら、日本脱カルト研究会の名で団体が発足してからすでに20年近くが経過するが、いまだに2人のカルト定義が一致していないのだから。

<注8>インタビュー記事は「マインドコントロール理論を批判する」に全文が掲載されている。

<注9>自由意志や判断能力をなくした人が他者からの影響を受ける。もし事実だとすれば確かに問題であろう。
 しかしながら、東大宗教学の島薗進教授が98年の『精神医学』で、 「人間から自律心(意思、判断)がなくなることがあるのか」と疑問を呈したように、シンガーを含めマインドコントロール論者は自律心の喪失(つまりロボット化)があり得ることを一切証明していない。

 『我らの不快な隣人』(第12章)で詳述したが、人間が自律100%・他律0%(他者の影響を一切受けない)、逆に自律0%・他律100%(自我が喪失し他人の影響をもろに受ける、つまりロボット)という状態になることはない。人間は類的存在ゆえに、他者から影響を受けると同時に他者に影響を与える生き物なのである。
 シンガーや西田の研究成果が似非科学となってしまったのは、学問の出発点として、主体を捨象し、人間を他者から影響を受けるだけの客体としか位置付けていないことにある。
 社会心理学という学問の方法論(社会・他者から影響を受けると、人はどのような心理になるか)がそもそもそうなっているからなのだが、一部社会心理学者たちのマインドコントロール論がディプログラミング 、拉致監禁を実行する上で事実上、有力な武器(諫言すれば人権侵害の武器)となっているのだから、狭い自分たちの学問の枠を取り外して再考することが学者としての責任であろう。
 西田氏は、批判に何ら応えることなく、いまだにノーテンキに自説を茶の間に垂れ流している。罪深き学者である。 

<注10>アイリーン・バーカー氏が言及している「反証不可能」という言葉は、きわめて重要である。
「反証可能性」について、ウィキペディアから一部引用しておく。

反証可能性(はんしょうかのうせい、英: Falsifiability)とは、科学哲学で使われる用語で、検証されようとしている仮説が実験や観察によって反証される可能性があることを意味する。
科学哲学者のカール・ポパーが提唱。平易な意味では「どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではない」(科学が覆されるのは科学のみ)と説明される。

ある仮説が反証可能性を持つとは、その仮説が何らかの実験や観測によって反証される可能性があることを意味する。例えば、「明日、太陽が東から昇る」という仮説は、「明日、太陽が東から昇らない」という観測によって反証されるかもしれない。これに対して、いかなる実験や観測によっても反証されない構造を持つ仮説を反証不可能な仮説と呼ぶ。


 反証不可能な仮説は科学ではない。西田公昭氏のマインドコントロール論が科学ではなく、似非科学と批判される所以である。

 マインドコントロール論の文脈で言えば、監禁下の信者に「お前はマインドコントロールされている」といった言葉が投げかけられる。
 これに対して、信者は「俺はマインドコントロールなんかされていない。自分の意思で統一教会に入信したんだ」と抗弁する。
 ところが、この抗弁は弱々しい。
 なぜなら、「統一教会からマインドコントロールされていない」ことを客観的に証明することができないからだ。このことを「反証不可能性」という。

 脱会屋の宮村峻氏とその代理人・山口広弁護士は、後藤裁判の書面で、私のことを「統一協会お抱えジャーナリスト」と表現している。
「お抱え」とは、個人的にお金をもらって雇われているということを意味する。【用例:お抱え運転手】
 で、私は反論する。
「私は統一教会さんからお金をもらって雇われてなんかいませんぜ」
 しかし、お金をもらっていないことを証明することはできない。
 反証できないことを述べるのは、結局のところ、たんなる中傷にすぎない。名誉毀損の対象となる。
 
 反証不可能なやりとりがよくなされるのは、子どもの世界である。
「Aちゃん、B子ちゃんの財布からお金を盗んだでしょっ」
 Aは「盗んでいない」というしかない。しかし、盗んでいないことの証明はできないから、最後には泣き出すか、喧嘩になるしかない。
 大人の世界では、こうしたやりとりはあまりなされない。
 仮に盗んだといった話になれば、疑われた人は「俺が盗んだという証拠を示せよ」という。(【刑事訴訟法317条:「事実の認定は、証拠による」】
 どうしてこんな単純なことが、宮村&山口には理解できないのか不思議でならない。
 いや理解できているはずだ。理解した上で、「統一教会お抱え」と連発しているのだ。暴力団よりタチが悪い。

「お前はマインドコントロールされている」と言われたら、「お父さん、そのことを証明してよ」と話せばいい。
 畢竟(ひっきょう)、マインドコントロール論は証明も反証もできないインチキ学説、たんなる言葉遊びにすぎない。そのことに気がつかないのが、反統一教会陣営、カルト対策の面々でなのである。

【必読記事】小説「恐怖のマインドコントロール(1)」/ 小説「恐怖のマインドコントロール(2)」/ 小説「恐怖のマインドコントロール(3)」

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コメント

梅雨時のカビ

<川島教授が他の学者や弁護士らと共同して作った、法人格を持たない私的な任意組織>なのに、大学は<学校法人として私的ネットワークに登録参加>。しかも、<学生生活のリスク管理を名目に、文部省所轄の独立行政法人・日本学生支援機構の“お墨つき”>をもらっている―。

なんか、公的組織に巧に入り込んで、公金と公的空間、公的立場を間接的に利用して、政治目的を達成しようとしている日教組とかに似てますね。

こうした組織は、梅雨時のカビみたいなもんですから、結構やっかいです。

彼らは徒党を組んで、フロント組織を使って、「反証不可能」なことをさも実証済みみたいな口ぶりで扇情的にやりますから、こうやって固有名詞を出して、問題をあぶり出す方法は、カビに風と太陽を当てるような格好になるので、とても有効だと思います。

陰でこそこそ蠢動するヤツらの悪事を突き止めてくださって、室生さん、米本さんには改めて敬意を表します。

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