カルトって何ですか?  

一筆一論(6)

用語と用語法-カルト

アメリカから輸入された「カルト」「マインドコントロール」用語の定義があいまいなことは、前回述べた。
当初、私も「カルト」用語を使っていたが、よく考えるとイメージ的認識しかなかった。まあ簡単に言えば「邪悪な集団」といったイメージである。


知的頽廃

イメージでしかない用語を記事で使用することはできない。いろいろ読み漁ったが、定義はなかった。
これだけ世間に流布する「カルト」用語なのに、驚いたことに、定義がないのだ。

そこで、反カルトのシンボル的存在で「カルト」用語にも言及していた東北学院大学教授の浅見定雄氏(当時、現在日本脱カルト協会顧問)にインタビューし、定義を試みた。
『救いの正体』(宝島SUGOI文庫)の<「カルト」とは何か。あるいは、カルト現象をどう見るか?>を参照)

 その結果、同書では以下のような定義を行った。
「カルトとは、ある人物あるいは組織の教えが絶対であると教え込み、基本的人権や憲法、憲法の精神を否定し、法違反を行う集団である」

 その後、改良を加えて、今ではこう定義している。
「カルトとは、組織や個人がある教えを絶対であると教え込み、それを実践させる過程で、人権侵害あるいは違法行為を引き起こす集団である」

 ポイントは「絶対性」と「違法性」にある。
 主観的情緒的要素を排除した価値中立的な定義だと自負するが、実はこの定義にも重大な欠陥がある。これだと、山口組聖書原理主義者も、重大な事故をたびたび起こし社内ぐるみで事故隠しを行ってきた原発企業も、はたまた中国共産党も「カルト」ということになってしまう。

「カルト」を無定見に使うレベルの低い弁護士や学者もいるが、学問の世界でも定義がないため、宗教学者や宗教社会学者はカルト用語を使わない。使う場合は、私と同じように括弧つきだ。
 しかし、“カルト”「カルト」<カルト>としても、そもそも括弧内のカルトに定義がないのだから、括弧をつけても、たいして意味はない。書き手が読者にエクスキューズしているに過ぎない。

 
ここ数年、国公立の大学を中心に新学期が始まると、「カルトにご用心」といったビラを学内で配るのが一般的だ。なかには島根大学など授業としてカルト講座を受講させるところもあると聞く。最近、いくつかの大学が連携してカルト宗教から大学生を守れとカルト対策に乗り出すという記事(産経新聞3月1日)も掲載されていた。

カルトの定義がないのに、どうしてこうも簡単に最高学府の人たちがカルト用語を乱発できるのか不思議でならない。

“カルト”視される団体に所属する学生諸君は、先生や講師に質問してみればいい。
カルトって何ですか。定義を教えてくださいと。

おそらく、およそ定義とは言えない「邪悪な集団だ」といった程度の情緒的でたぶんに主観的な答えしか返ってこないはずだ。定義などないからだ。

 医学を含め学問にとって、言語の精緻化は必要不可欠である。学生の質問にまともに答えることができず、あいまいにしてしまうのは知的頽廃を招く。厳密でない用語を使い続ければ、やがて学問は死する

 学生が本を読まない状況に、大学の教授諸氏は「学力が低下している」と嘆く。しかし、そう嘆く先生たちのレベルも低下している。

 なにもビラをまくなと言っているわけではない。大学なんだから言葉は厳密に使うべきではないかと、あたりまえのことを言っているだけだ。


横文字の誤用

 昨年(08年)の11月に、財団法人・宗教情報リサーチセンターが「宗教情報とメディアリテラシィ」というテーマで公開フォーラムを開いた。
パネラーの一人は山口貴士弁護士。紀藤正樹弁護士の事務所に所属する、最近“カルト問題”に盛んにコミットメントしている弁護士である。

彼の発言を聞いて、思わずのけぞった。
宗教団体が人を勧誘するするときに、インフォームドコンセントが行われているかどうかがポイントだ

医療現場から生まれたこの用語は、患者に症状と診断を十分にわかりやすく説明し、いくつかの治療方法を説明し、そして患者が治療方法を選択するという意味である。
ポイントは「選択」にある。

「治療方法の選択」を癌の例でわかりやすく言えば、治療方法は主に➀無治療(経過観察)、②抗ガン剤、③放射線治療、④外科手術の4つである。

ところで、経過観察を別にすれば、いくつかの治療方法を患者に説明することなく、内科医は?、放射線科医は?、外科医は?を勧める傾向にある。
むやみに手術しなくても、放射線治療でその後の生活の質を落とすことなく、十分な成果をあげられるといったことも少なくない。
患者は「自分の病態といくつかの治療方法」を知る権利がある。
そこから「インフォームドコンセント」という用語が誕生した。

私は山口弁護士に笑いをこらえて質問した。
仏教系の宗教団体が勧誘するときに、うちではあなたの悩みをこう解決することができる。でも、ほかにも神道系団体、キリスト教系団体、さらには新しいいくつかの宗教団体もある。それぞれの長所と短所はこれこれこうだ。自分の頭でよく考え、あなたの悩みを解決するにはどこがふさわしいかよく考えて判断してください。このように説明しなければならないということか」

 会場から笑いを取った。
 山口貴士弁護士の答えはしどろもどろ。

東大の宗教学教授の井上順孝氏が「山口さんが言いたいことは勧誘する際は十分な説明をすることが必要だということでしょ。それなら、なにもインフォームドコンセントという言葉を使わなくてもいいでしょう」と、取りなした。

乳房全切除された乳ガン患者が「乳房温存療法という選択肢があったはず。それを説明しなかったのは医師の説明義務違反にあたる」と提訴し、最終的に最高裁はその主張を認めた。これによって、インフォームドコンセントに基づく医師の説明は義務化されたはず。
この判決は画期的なものとして、アメリカの法律専門誌でも紹介された。
ポイントは「十分な説明」ではなく「選択肢の説明」にあったと記憶する。

カルト問題に取り組む弁護士は、この確定判決文をどうも読んでいないようだ。嘆かわしいことである。

あとで、カルト問題を取材している知人ライターにこのときのことを話したら、「えっ、宗教団体の勧誘でインフォームドコンセントの有無は一つのメルクマールになっていますよ」と言われ、またまたのけぞってしまった。

なぜこんなレベルになってしまったのか。
それは宗教に関する学者、研究者の怠慢によるものだと思われる。いわゆるカルトと評される団体に関する調査・研究がなされることはなく、“カルト問題”をどう考えていいかわからない状況になっている。そのため、弁護士の言説を吟味することなく、盲目的に依存することになってしまった。

仄聞するところによると、大学院生が“カルト”を研究しても、仕官(就職)の道がなくなることを心配して、指導教官はいい顔をしないという。研究者の上に君臨する学会が“カルト研究”を宗教研究の一つと認めていないことが背景にあるらしい。
オウム事件が起きたときに、オウムのことを知らなかった宗教学や宗教社会学の学者たちは、世間から「おまえらはなんの研究をしていたのか」と批判された。残念ながら、そのときの教訓は生かされていないようだ。


特殊用語は狂気を招く



自分で定義すらできない輸入された用語を、わざわざ使う必要はない。そのことを言いたいために、ちょっとした笑える出来事ロジーを紹介したわけだが、それはカルトでもマインドコントロールでも同じこと。横文字用語を使えば、さも高尚なことをしゃべっているように錯覚するのは、よく言われているように日本の似非インテリの傾向なのかもしれない。

「カルトにご用心」なんて言葉ではなく、「カープ(原理研究会)、摂理、浄土真宗親鸞会は正体を隠して勧誘活動をしているので、注意してもらいたい」と、具体的な手口を添えた文章を配ればいいだけのことではないか。

どうも、“カルト対策”をやっているのは学生課。なかんずく、精神医学の教員(まあ小中高でいえば保健室の先生)がリーダーとなっているようだ。

昨今の医師はカルテにまともな日本語も書けないと報道されている。だから、用語の厳密さなんかどうでもいいのだろうと解釈すると、なんだかわかったような気がする。

皮肉ですむ話であればいいのだが、カルトとマインドコントロールが結びつけば、信者家族をして子どもを拉致監禁に走らせる。それが問題なのである。

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コメント

 カルトの定義はないとのこと、少し飛んだ感想ですが都市伝説にも似ていると感じた次第です。時として若者たちの間に奇怪な噂が「本当のこと」として広まり、その流行現象を学者がいろんな学説に照らした解説を加える。正体不明なのに解釈や説明は長大になる。だけど、はっきり分からない。
 でも、確かに最後のご指摘通り拉致監禁という残酷行為を伴うなら「カルト」論はとんだ迷信です。あたかも魔女狩りのお墨付きのように思います。

一筆一論(6)

用語と用語法??カルト

アメリカから輸入された「カルト」「マインドコントロール」用語の定義があいまいなことは、前回述べた。
当初、私も「カルト」用語を使っていたが、よく考えるとイメージ的認識しかなかった。まあ簡単に言えば「邪悪な集団」といったイメージである。


知的頽廃

イメージでしかない用語を記事で使用することはできない。いろいろ読み漁ったが、定義はなかった。
これだけ世間に流布する「カルト」用語なのに、驚いたことに、定義がないのだ。

そこで、反カルトのシンボル的存在で「カルト」用語にも言及していた東北学院大学教授の浅見定雄氏(当時、現在日本脱カルト協会顧問)にインタビューし、定義を試みた。
『救いの正体』(宝島SUGOI文庫)の<「カルト」とは何か。あるいは、カルト現象をどう見るか?>を参照)

 その結果、同書では以下のような定義を行った。
「カルトとは、ある人物あるいは組織の教えが絶対であると教え込み、基本的人権や憲法、憲法の精神を否定し、法違反を行う集団である」

 その後、改良を加えて、今ではこう定義している。
「カルトとは、組織や個人がある教えを絶対であると教え込み、それを実践させる過程で、人権侵害あるいは違法行為を引き起こす集団である」

 ポイントは「絶対性」と「違法性」にある。
 主観的情緒的要素を排除した価値中立的な定義だと自負するが、実はこの定義にも重大な欠陥がある。これだと、山口組も聖書原理主義者も、重大な事故をたびたび起こし社内ぐるみで事故隠しを行ってきた原発企業も、はたまた中国共産党も「カルト」ということになってしまう。

「カルト」を無定見に使うレベルの低い弁護士や学者もいるが、学問の世界でも定義がないため、宗教学者や宗教社会学者はカルト用語を使わない。使う場合は、私と同じように括弧つきだ。
 しかし、“カルト”「カルト」<カルト>としても、そもそも括弧内のカルトに定義がないのだから、括弧をつけても、たいして意味はない。書き手が読者にエクスキューズしているに過ぎない。

 
ここ数年、国公立の大学を中心に新学期が始まると、「カルトにご用心」といったビラを学内で配るのが一般的だ。なかには島根大学など授業としてカルト講座を受講させるところもあると聞く。最近、いくつかの大学が連携してカルト宗教から大学生を守れとカルト対策に乗り出すという記事(産経新聞3月1日)も掲載されていた。

カルトの定義がないのに、どうしてこうも簡単に最高学府の人たちがカルト用語を乱発できるのか不思議でならない。

“カルト”視される団体に所属する学生諸君は、先生や講師に質問してみればいい。
「カルトって何ですか。定義を教えてください」と。

おそらく、およそ定義とは言えない「邪悪な集団だ」といった程度の情緒的でたぶんに主観的な答えしか返ってこないはずだ。定義などないからだ。

 医学を含め学問にとって、言語の精緻化は必要不可欠である。学生の質問にまともに答えることができず、あいまいにしてしまうのは知的頽廃を招く。厳密でない用語を使い続ければ、やがて学問は死する。

 学生が本を読まない状況に、大学の教授諸氏は「学力が低下している」と嘆く。しかし、そう嘆く先生たちのレベルも低下している。

 なにもビラをまくなと言っているわけではない。大学なんだから言葉は厳密に使うべきではないかと、あたりまえのことを言っているだけだ。


横文字の誤用

 昨年(08年)の11月に、財団法人・宗教情報リサーチセンターが「宗教情報とメディアリテラシィ」というテーマで公開フォーラムを開いた。
パネラーの一人は山口貴士弁護士。紀藤正樹弁護士の事務所に所属する、最近“カルト問題”に盛んにコミットメントしている弁護士である。

彼の発言を聞いて、思わずのけぞった。
「宗教団体が人を勧誘するするときに、インフォームドコンセントが行われているかどうかがポイントだ」

医療現場から生まれたこの用語は、患者に症状と診断を十分にわかりやすく説明し、いくつかの治療方法を説明し、そして患者が治療方法を選択するという意味である。
ポイントは「選択」にある。

「治療方法の選択」を癌の例でわかりやすく言えば、治療方法は主に?無治療(経過観察)、?抗ガン剤、?放射線治療、?外科手術の4つである。

ところで、経過観察を別にすれば、いくつかの治療方法を患者に説明することなく、内科医は?、放射線科医は?、外科医は?を勧める傾向にある。
むやみに手術しなくても、放射線治療でその後の生活の質を落とすことなく、十分な成果をあげられるといったことも少なくない。
患者は「自分の病態といくつかの治療方法」を知る権利がある。
そこから「インフォームドコンセント」という用語が誕生した。

私は山口弁護士に笑いをこらえて質問した。
「仏教系の宗教団体が勧誘するときに、うちではあなたの悩みをこう解決することができる。でも、ほかにも神道系団体、キリスト教系団体、さらには新しいいくつかの宗教団体もある。それぞれの長所と短所はこれこれこうだ。自分の頭でよく考え、あなたの悩みを解決するにはどこがふさわしいかよく考えて判断してください。このように説明しなければならないということか」

 会場から笑いを取った。
 山口貴士弁護士の答えはしどろもどろ。

東大の宗教学教授の井上順孝氏が「山口さんが言いたいことは勧誘する際は十分な説明をすることが必要だということでしょ。それなら、なにもインフォームドコンセントという言葉を使わなくてもいいでしょう」と、取りなした。

乳房全切除された乳ガン患者が「乳房温存療法という選択肢があったはず。それを説明しなかったのは医師の説明義務違反にあたる」と提訴し、最終的に最高裁はその主張を認めた。これによって、インフォームドコンセントに基づく医師の説明は義務化されたはず。
この判決は画期的なものとして、アメリカの法律専門誌でも紹介された。
ポイントは「十分な説明」ではなく「選択肢の説明」にあったと記憶する。

カルト問題に取り組む弁護士は、この確定判決文をどうも読んでいないようだ。嘆かわしいことである。

あとで、カルト問題を取材している知人ライターにこのときのことを話したら、「えっ、宗教団体の勧誘でインフォームドコンセントの有無は一つのメルクマールになっていますよ」と言われ、またまたのけぞってしまった。

なぜこんなレベルになってしまったのか。
それは宗教に関する学者、研究者の怠慢によるものだと思われる。いわゆるカルトと評される団体に関する調査・研究がなされることはなく、“カルト問題”をどう考えていいかわからない状況になっている。そのため、弁護士の言説を吟味することなく、盲目的に依存することになってしまった。

仄聞するところによると、大学院生が“カルト”を研究しても、仕官(就職)の道がなくなることを心配して、指導教官はいい顔をしないという。研究者の上に君臨する学会が“カルト研究”を宗教研究の一つと認めていないことが背景にあるらしい。
オウム事件が起きたときに、オウムのことを知らなかった宗教学や宗教社会学の学者たちは、世間から「おまえらはなんの研究をしていたのか」と批判された。残念ながら、そのときの教訓は生かされていないようだ。


特殊用語は狂気を招く



自分で定義すらできない輸入された用語を、わざわざ使う必要はない。そのことを言いたいために、ちょっとした笑える出来事ロジーを紹介したわけだが、それはカルトでもマインドコントロールでも同じこと。横文字用語を使えば、さも高尚なことをしゃべっているように錯覚するのは、よく言われているように日本の似非インテリの傾向なのかもしれない。

「カルトにご用心」なんて言葉ではなく、「カープ(原理研究会)、摂理、浄土真宗親鸞会は正体を隠して勧誘活動をしているので、注意してもらいたい」と、具体的な手口を添えた文章を配ればいいだけのことではないか。

どうも、“カルト対策”をやっているのは学生課。なかんずく、精神医学の教員(まあ小中高でいえば保健室の先生)がリーダーとなっているようだ。

昨今の医師はカルテにまともな日本語も書けないと報道されている。だから、用語の厳密さなんかどうでもいいのだろうと解釈すると、なんだかわかったような気がする。

皮肉ですむ話であればいいのだが、カルトとマインドコントロールが結びつけば、信者家族をして子どもを拉致監禁に走らせる。それが問題なのである。

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