『棄教を目的とした拉致と拘束』(人権報告-5)
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資料(14)
追記情報(3月28日記)を末尾に掲載しました。
「国境なき人権」調査報告書
-日本/棄教を目的とした拉致と拘束-
論点の整理
はじめに
第1章:日本の宗教事情の概観
第2章:現地調査の報告
前文/拉致問題の監視の状況/拉致・拘束下での棄教説得(1)~(9)(10)~(13)/後藤徹さんが失われた12年は何のためか?
第3章:強制棄教を目的とした拉致と拘束、国際法の立場
第4章:結語と勧告
* 文中の(注)は報告書に記載されたもの。*は管理人の注釈。
* 改行は一字空けとするなど、読みやすいように適宜、改行、行空けを行った。文中のゴチック、斜体字は原文のまま。
* ゴチックが今回アップしたところ。
(10)被害の訴えと、警察の対応
2000年4月20日、国会議員の桧田仁氏は、当時の田中節夫・警察庁長官、林則清・警察庁刑事局長、古田佑紀・法務省刑事局長らが政府参考人として招致された委員会で、拉致・監禁事件への対応について具体的な質問をした。
桧田議員は警察の対応が消極的であるとして、いくつかの実例を挙げた。
その一つは、富澤裕子さんが1997年(注36)に両親や親族を含む20人あまりの一団に拉致され、15カ月間監禁され、脱会説得を受けることを強要された事件だ。当時の鳥取警察署は通報を受けたのに適切な措置を講じなかった。
さらに同警察署は2年も経過してから6人の容疑者の起訴に向けての書類を鳥取地方検察庁に送付したが、6人以外の実行犯については実名を挙げられなかった。(注37)
しかも検察は起訴しなかった。
その後、同事件に関連した民事訴訟で、両親と脱会カウンセラーの一人が敗訴し、少額の損害賠償責任が認められている。
上記の国会質疑で桧田仁議員は、石川美津子さんの拉致に関しても警察の共同責任を厳しく批判し、次のように述べた:
「拉致監禁に警察が関与し、また了解しているという証拠をきょう皆様方に御提示したいと思います。(注38)平成10年5月16日に拉致監禁をした犯罪者は、計面書をつくっております。しかも自筆のものを持っております。そこで、このいろいろな計画書、何月何日どうする、こうすると書いてあるし、また本人が騒いだ 場合どうするとかということが皆詳細に書いてある。しかも、この書類を、これは昭島警察でございますけれども、平成10年5月16日に行うやり方を、5月14日に、この石川某という者が昭島警察へ事前連絡して了承をもらうような書類をつくっているのです。しかも実際に行っているのです。警察庁長官、こんなことが行われて、警察が承知の上で拉致監禁をしたということがございますが、いかがでしょうか。」
(訳注:英訳は内容を簡略化して翻訳しているが、ここでは国会議事録の文章をそのまま転載した)
しかし韓国人を夫に持つ日本人女性が拉致された事件で、警察への働きかけが功を奏しないと見た桧田仁議員は、在日韓国大使館に連絡した。事態を重く見た山形県警が監禁場所に急行し、拉致・監禁の被害者を解放した。
2010年5月14日、参議院決算委員会の秋元司委員(自由民主党)は、数名の政府代表者に、棄教目的の拉致と拘束が発生した場合の対応について質問した。
警察は拉致実行者である親の側に立つことが多く、拉致・監禁の被害者の訴えがまともに聞かれないことが多い。
匿名で「国境なき人権」に証言したA.S.さんのケースでは、それが明らかである:
「逃げ出した後、警察に電話をして、結婚に反対する家族から監禁されていた、と話しました。警官は私の父と話した後で、なんと私を叱責・非難するではありませんか。挙句の果てに警察は私を両親に引き渡したのです。おかげで再度脱出できるまで、私はまた監禁されたのです!」
(注36) 富澤裕子さんに対する1回目の拉致は、26歳だった1994年6月に起きており、彼女は両親に拉致され、80日間監禁された後に脱出した。
(注37) 富澤裕子さんの父親は退職警官だったので、おそらく他の警察官の協力を得られやすかったと思われる。
(注38) HRWF注:日本の文化風土で両親は子供を自分の所有物のように見なしやすい。米本和広氏によれば、児童虐待防止法の必要性は1995年頃まで議論されなかった。子供の権利と家庭内暴力という概念は最近輸入されたもので、一般的な人権概念と同じく、まだ必ずしも社会に受け入れられていない。そのため警察は、成人した子供の拉致を「家族の問題」と見なしやすい。
(11)司法機関の対応
拉致・監禁の被害者が刑事告訴するケースは多くない。
理由は、実の両親を相手に法的措置を執るのが忍びないのと、他の被害者たちの経験から拉致・監禁事件に関する司法機関の対応が信頼できないからだ。
実際のところ、宗教がらみの拉致・監禁事件で、司法機関は公正な判断をしてこなかった。
拉致を実行した親や脱会カウンセラーを相手取った刑事告訴は、分かっている限り全て検察当局によって不起訴処分とされてきた(注39) 。民事訴訟で数件が審理されたにすぎない。
• 拉致被害者の後藤徹氏は12年間も監禁されて2008年に解放された。同年6月に、同氏は監禁の実行者らを刑事告訴した。翌年12月9日に検察庁は証拠不十分を理由に不起訴処分とした。
• 元木恵美子さんは拉致され、2002年11月13日から25日まで監禁され、警察の力で解放された。同年12月1日に刑事告訴をしたが、検察庁は2004年7月5日に不起訴処分とした。
• 寺田こずえさんは拉致され、2001年10月28日から12月27日まで監禁を受けた。彼女は翌年2月19日に大阪の警察署に刑事告訴したが、2004年9月15日に大阪検察庁は不起訴処分とした。
• 富澤裕子さんは拉致され、1997年6月7日から1998年8月30日まで監禁された。彼女は2000年4月25日に鳥取警察署に刑事告訴したが、同年8月6日に鳥取検察庁によって不起訴処分とされた。
• 今利理絵さんは1997年1月10日に拉致され、2回目の拉致・監禁の被害を受けた。その時、彼女は夫とレストランから出てきたところを、両親親族ら8人に襲われ車に押し込まれた。彼女はその後5カ月間監禁され、棄教したと見なされて解放された。自由回復の直後に彼女は刑事事件として告訴した。横浜地方検察庁は2002年3月26日になって、同事件を不起訴処分とした。
その間、理絵さんとご主人(拉致の際に負傷した)は、監禁場所で脱会強要に関与したとして彼女の両親と2人の牧師を相手に民事訴訟を起こしていた(1999年1月6日)。夫妻は複数の損害(給与の逸失利益、負傷など)の賠償金として1500万円を要求するとともに、拉致・監禁を繰り返さないようにとの命令を求めた。2004年1月23日、横浜地方裁判所は請求を棄却した。夫妻は控訴したが、東京高裁は同年8月31日に原判決を支持した。
夫妻はさらに最高裁判所に上告したが和解を示唆された。和解調停で実現できたのは、お互いの宗教の自由を尊重する、という約束の一項だけだった。
• 片桐名美子さんは両親に拉致され、2001年から2002年にかけて170日間監禁された。彼女の夫は警察に訴えようとしたが、警察は家族の問題だとして受理を拒否。そこで夫は義理の両親を相手に民事訴訟を起こした。2002年9月3日に裁判上の和解が締結され、両親は陳謝し同様の行動を繰り返さないこと、および娘と義理の息子に200万円を支払うことを約束した。
(注39)「国境なき人権」が知る限り、1980年から2008年までの間に24件の刑事告訴がなされた。田代光恵、大久保朋子、美馬秀夫は、彼らが監禁された精神病院と、後藤富五郎という脱会カウンセラーを告訴した。その他のケースでは、拉致・監禁の実行犯に対する刑事告訴がなされたが、中には自分の両親は告訴しない者もいた。最近の訴訟に関わった富澤裕子(2000年)、寺田こずえ(2002年)、元木恵美子(2002年)そして後藤徹(2008年)は、本報告書のためにインタビューに応じてくれた。
(12)拉致被害者の心理的後遺症:PTSD
拉致経験者には「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」を経験する人と経験しない人がいる。
2004年に池本桂子氏(注40) と中村雅一氏(注41) は、『法と精神医学の国際誌』(International Journal of Law and Psychiatry) (注42)に、「宗教からの強制的ディプログラミングと精神衛生:PTSDの事例報告」を発表した。
その中で被害者(匿名) (注43)とされたのは、「国境なき人権」が得た情報によればエホバの証人の信者だった。
この被害者は32歳の女性で、本人にも家族にも精神病歴はなかった。彼女は家族に拉致され20日間単独で監禁された。
彼女が経験した心的外傷後ストレス障害について、こう書かれている。
*拙著『我らの不快な隣人』でも、この論文を取り上げているが、そこでは被害女性を統一教会員として取り扱っていた。この場を借りて、訂正しておく。
監禁からの解放後に自宅に戻ったが、精神科医に中度から重度の鬱(うつ)状態と診断された。彼女は単独でいることを怖がり、友人宅に3週間滞在した。また自転車に乗るのを怖がり、物音に敏感に反応し、誰かが牧師と同じような話し方をするのに耐えられず、不安と不眠を訴え、夜中に手足を縛られる感覚を覚えた。彼女はまた棄教したことに罪悪感を抱き、一方で両親との関係も回復できずにいる。
良心の呵責(注44)
「いったんは信仰を棄てたが、落ち着いてみると、騙されたのは自分の方だったことに気づかされて辛い。解放された際に信仰の仲間を裏切ったことで自分を責めてしまう。」
損なわれる親との関係
「親との関わりについて尋ねると、『親孝行をしたいと思っていた。…その心を踏みにじられた。監禁されていたとき家族が淡々としていたことがショックでした。他人のしたことなら忘れられるが、家族のしたことは忘れられません。親から籍を抜きたいと思います』と比較的に淡々と語った。しかし、怒りが言葉や表情に現れていた。」
「1年後、セラピストは患者に会った。彼女は、『職場でうまくやっているが、あの事件以来、少し気力がなくなったような気がする。いまでも両親は許せな い。レイプした相手に対するような感情をもっている、あの時のことを思い出すと緊張する』と述べた。両親の側は、彼女に対する監禁と裏切りの深刻な影響に気づき、彼女に謝罪したいと思っている。しかし、彼女は二度と両親には会いたくないと言っている。」
強制下での脱会カウンセリングとPTSDの関係に関する結論部分で、池本・中村両氏は、宗教学者ジェームズ・R・ルイスと社会学教授デビッド・ブロムリーに言及している(注45) :
「ブロムリーとルイス(1987)は、強制的に脱会カウンセリングを受けさせられた36人のうち、61%に意識の浮遊や変容状態、47%に悪夢、58%に健忘が生じ、こうした異常は、自発的に脱会カウンセリングを受けた人では発生頻度が低い(41%,N=29)ものの、他者の関与を必要としない自発的脱会者(8~11%,N=89)よりは出現頻度が高いことを示した。脱会カウンセリングはたとえ自発的に受けるものであっても精神衛生上有害であるとするこのような結果は、宗教的信条に関する自律性が損なわれる状況がトラウマとなり、PTSDの原因となる可能性を示唆するものと考えられる。本症例の場合、強制的な脱会カウンセリングの結果一時的に棄教したという事実が、本人なりの道義心をそこなったこともトラウマの一因となった。」
PTSDに見舞われるのは拉致された信者だけではない。ある臨床心理士(注46) は「国境なき人権」に対して、拉致を実行した親たちも、脱会説得の成否にかかわらずPTSDに見舞われていると証言した。拉致された側も拉致した側も、事後カウンセリングが必要だと指摘する者もいた。
同氏の著書『我らの不快な隣人―統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇』の中で、棄教をもくろんだ両親に拉致され統一教会を去った3人の女性について報告している。
彼女たちは「突然、実の親に拉致されアパートに監禁された」。監禁場所で統一教会からの脱会説得を受け、ついに脱会した。
2002年の夏、米本氏は宿谷麻子さん(44)に会ったことについて次のように書いている:
「統一教会を脱会してからすでに6年が経過していた。麻子の一日は大半が過覚醒状態だった。『頭が高回転してとまらなくなる』状態で、精神医学では『脳の異常興奮』とされる症状である。アトピー、過覚醒以外にも、抑鬱状態、悪夢、睡眠障害などの症状があり、『毎日がとても苦しいんです』と訴える。 両親とはごくたまに会うが、場の雰囲気が温かなものになると、あとで嘔吐した。険悪な雰囲気になっての吐き気なら理解できるが、逆なのである。」
宿谷さんの主治医(当時、横浜市の「めだかクリニック」勤務医)は次のように米本氏に語っている:
「麻子さんの場合は、長期に持続・反復する外傷体験(心が傷つく衝撃的な体験)によってもたらされる、より重度の複雑性PTSDだと考えます。」
「国境なき人権」がインタビューした被害者の一人S.N.さん(注47) は匿名ながら、1993年からPTSDを患ってきたことを証言した:
「しばしば鬱陶(うっとう)しくなったり眠れなくなりました。何かに集中することが難しくなりました。親があのようなこと(拉致・監禁)を子供にできるということが理解できませんでした。両親は私の婚約者に会おうともせず、2人の孫の顔を見ようともしないのです。仲直りしたいとは思いますが、まずもって、私への仕打ちに対して申し訳なかったと言ってもらいたいのです。20年近く経っても私の傷は癒えていません。」
(注40) 国立南花巻病院臨床研究所(岩手県花巻市諏訪500,〒025-0033)
(注41) 西東京市、カウンセリングサービス協会.
(注42) Issue 27(2004), pp 147-155.英語の論文は以下のサイトで閲覧可能: http://sciencedirect.com
患者は個人情報秘匿を要求。
(注43) 患者は個人情報秘匿を要求。
*言い訳めくが、私がなぜ患者を統一教会員と錯覚したかについて、である。
エホバの証人の教義の骨格は、現在エホバ神とサタンとが最終戦争を繰り広げており、近く神が勝利し、神はサタンに毒されたこの世と、この世の人々を滅ぼす(ハルマゲドン)ということにある。
この滅びは、エホバの証人にとってきわめてリアリティあるもので、証人であることをやめる場合、近く滅ぼされるという恐怖心が生まれる。
実際、雑誌『創』(2012年1月号)<エホバの母はなぜ死んだのか>で書いたことだが、証人をやめた母親はハルマゲドンの恐怖によって精神の変調をきたし、自殺している。拙著『カルトの子』でも、ハルマゲドンとそれへの恐怖心のことを詳述している。
池本さんたちの論文には、必ず書かれていなければならない「患者の恐怖心」に関する記載がなかった。患者が個人情報の秘匿を要求したのであれば、エホバの証人であることがわかるようなことは論文から省略したのであろう。 そのため、患者は統一教会員であると思ってしまった。
(注44)「宗教からの強制的ディプログラミングと精神衛生:PTSDの事例報告」からの引用。
(注45) HRWF脚注: For information see “The Cult Withdrawal Syndrome: A Case of Misattribution of Cause?” by James R. Lewis and David G. Bromley, Journal for the Scientific Study of Religion, Vol. 26, No. 4 (Dec., 1987), pp. 508-522, (article consists of 15 pages). http://www.jstor.org/pss/1387101を参照のこと。
(注46) 塚越克也氏はPTSD を患う被害者の個別相談に携わる前、駒沢女子大学で臨床心理学を教えていた。
(注47) S.N.さんはカトリックの家庭に生まれ、カトリックの学校で教育を受けた。叔母は修道女だった。彼に脱会カウンセリングをしたのはルター派の牧師で、家族が通うカトリック教会が紹介した。
(13) 家族関係の後遺症
親が子供を拉致し監禁したのは愛情の故であったのは間違いないが、その結果、矛盾した事態や想定外の事態も起きている。
富澤裕子さんが1994年に最初の拉致をされた時、彼女は自殺覚悟の断食をして監禁に抗議をしたが、父親も負けておらず一緒に断食を続けた(注48) .
親たちの目標は成人に達した子供を目の前の危険から救うことなのだが、その企てでもたらされるのは痛ましいほどの親子の断絶だ。
親の中には資産の大半を失った者もいるし、二度と戻らない時間や健康をなくした人もいる。まして子供が信仰を棄てない決意を固めれば、彼らは完全に親許を離れるだろう。 (連絡を取り合う密度や頻度はさまざまだが)家族関係が回復されるケースもある。
しかし子供の側が深い恨みに苛(さいな)まれることもあり、拉致を恐れるあまり家族から離れる子供もいる。
親の中には自分たちのしたことを悔やむ者もいる一方、全く呵責(かしゃく)を感じない親もいる。「許してしまいたいのだが、なかなか難しい。状況を打開できるのは信仰の力だけです」と、ある被害者は述懐した。
親も子供も脱会カウンセラーが喧伝してきた「解決策」の被害者である。その被害とは、家族関係の痛ましい決裂、双方の反目、肉体的心理的な健康の被害、鬱積(うっせき) した不満、仕事や収入の喪失などさまざまだ。
神戸地裁平成6年1732号事件に際して、統一教会側弁護士が高澤牧師に質問した:
問:子どもは命がけで信仰してるんだから、救出するために親も命がけでという指導はされているんでしょうか。
答:はい。それは、私、申し上げます。
問:それから、子どもを救出するためには仕事をやめる覚悟も必要という指導もされてるんですか。
答:時によっては、悲しいことですけれども、そういうことになる場合がございますね。
問:時によってはじゃなしに、まあ何カ月もかかりそうだというんであれば、もう常にそういう必要があるということですね。
答:それは親御さんのほうが、やはり仕事よりも子どもの命が大切だというふうに、皆さん捉えられますので、こちらがことさら申し上げなくても、自然と親のほうが、真剣な目で判断をなさっていく、こういうことが現状ですが。
米本和広氏に被害者の母親、樹村トミコさんが述懐したところによれば、息子が統一教会をやめてくれたのはありがたいが、そのために取った手段については後悔しているということだ。
匿名を条件に、環境科学の博士号を持ち著名な機関で働く被害者は、「国境なき人権」に以下のように証言した:
「脱出して数日後に、私は父に会いました。その父の様子は、監禁部屋にいたときから激変していました。
父は、不信に満ちた虚ろな目つきをしていて見かけが恐ろしく、少し頬がこけ、無精ひげの生えた老けた顔つきでした。歩くのがおぼつかず、背をかがめた姿勢で、手も震えるような様子で、まるで痴呆老人のような雰囲気でした。
私は涙目で父の手を握りながらも、少し父と口論となりましたが、母が私と父を引き離しました。
あきらかに、私の家族もまた精神的・肉体的ダメージを受けていました。
結局、家族全体が拉致・監禁という悪意に満ちた犯罪の犠牲者になったのです。それは家族を救うはずでしたが、逆に破壊しました。私の監禁は短期間でしたが、その影響は長く続くでしょう。」
エホバの証人の信者Y.K.さんは「国境なき人権」にこう語った:
「親のことを思うと可愛そうです。両親は私だけでなく、私と同じ信仰を持つ2人の兄弟とも連絡できなくなりました。私としては親に会いたいですが、また拉致されるかも知れず怖いのです。私たちは皆、親に問題解決を約束したあの牧師の犠牲者です。」
親子関係の修復が難しければ、中立的な仲裁者による助けが有益だと提案する者もいる。
拉致された若い男女が新宗教の信心を棄ててしまうケースも少なくない。その後、特定の宗教に属さず幸せな人生を送っている人でも、親たちが駆使した脱会手段を不愉快に感じている。
「信仰を棄てた人たちについて、脱会カウンセラーはキリスト教への改宗を期待していたようです。でも私はキリスト教徒にならなかったわ!」
と、こよみさんは「国境なき人権」に言い切った。
(注48) 脚注35 を参照のこと。
追記情報: 岡山の高山牧師が発行している「出エジプト会 会報」に、信者のこんな証文が載っていた(2011年12月28日号))。
<そんな中、夫が私を救うために、インターネットでカルト宗教からの救出をしている岡山の教会を探し出してきて、説得の日を迎えました。
しかし、聖書の話を聞かされ、統一協会の教えの間違えを指摘されることは、私にとって非常にきつく、説得を受けることに耐えきれなくなり、説得を受け始めて数日後、パニックを起こして、救急車で病院に運ばれました>
この証については後日、改めて記事にするつもりだが、要するに--。
夫たちが妻を拉致した。監禁下で統一教会批判を一方的に聞かされた妻は、逃げることもできず、パニック発作を起こしたということである。
おそらく診断名は急性ストレス障害だろう。
婦人の発作を目の当たりにして、仰天した高山牧師の様子が目に浮かぶ。
ちなみに、この婦人は高松から瀬戸内海を渡って岡山に運ばれている。
溜め息: この会報を「国境なき人権」のメンバーに渡すことを失念していた。そればかりか、渡辺博弁護士が拉致監禁に密接に関わっていることを話し、その証拠物を渡すことも。
後悔すること多し、である。
通訳を介することなく、自由にコミュニケーションできていれば、もっと多くの情報を提供することができていたのに。語学力の重要性を痛感する次第である。
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- [2012/03/27 11:32]
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追記情報
初出の情報です。
改革の試金石
<実際のところ、宗教がらみの拉致・監禁事件で、司法機関は公正な判断をしてこなかった>
「国境なき人権」の報告書で、改めて、日本が人権鎖国状態にあることを知りました。
この国には中立な立場で仲裁できるところがないのですね。こと、宗教問題については。
江戸時代以来、いやもっと前からある、差別意識、封建思想は今なお根強く残っています。
自分の生活さえ守られれば、強い者に権利を寄進して保護してもらう、滅私奉公、長いものには巻かれろ、的な思想で凝り固まっているように思います。
お上(上司)の言うとおりにしていれば、少々、人権を踏みにじっても構わない。みんなで渡れば怖くない、と。特に、公務員にその意識が強いように思います。
拉致監禁問題の解決がこの日本を改革する試金石になるように思います。
公務員の意識
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