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『棄教を目的とした拉致と拘束』(人権報告-4) 

資料(13)

「国境なき人権」調査報告書


-日本/棄教を目的とした拉致と拘束-

論点の整理
はじめに

第1章:日本の宗教事情の概観

第2章:現地調査の報告
前文/拉致問題の監視の状況
拉致・拘束下での棄教説得(1)~(9)(10)~(13)/後藤徹さんが失われた12年は何のためか?

第3章:強制棄教を目的とした拉致と拘束、国際法の立場
第4章:結語と勧告

* 文中の(注)は報告書に記載されたもの。は管理人の注釈。
* 改行は一字空けとするなど、読みやすいように適宜、改行、行空けを行った。文中のゴチック、斜体字は原文のまま。
* ゴチックが今回アップしたところ。


拉致・拘束と監視下での棄教説得


 新宗教の元信者たちの中には、自発的に退会した者が多数いる。色々な人から強制によらない影響を受けて翻意した者もいる。
 その一方で、親兄弟に拉致・拘束されて棄教を迫られた結果として信仰を棄てた者もいるし、棄てなかった者もいる。
 この調査報告は最後のカテゴリーに属する人々に焦点を当てている。

 その多くは統一教会(注19)に属するが、エホバの証人(注20)でも相当数の信徒が拉致された。
 一番の理由は、これら二つの宗教が外国から来たもので(注21) 、日本の文化に抵触する要素があるためだろう。日本での調査中、「国境なき人権」は数人の学者から意見を聞いたが、他の教団信者で類似の被害に遭った例を見つけられなかった。(注22)

  * この分析に異論はないが、客体だけでなく主体の側の分析も必要だと思う。なぜなら、統一教会にしろエホバの証人にしろ、強制説得に関わるのは、正統派をそれぞれが自認するプロテスタント各派の牧師が圧倒的に多いからだ。これはなぜなのか。
 カトリックの神父で強制説得に積極的に継続して関わったのは、私が知る限り1人しかいない。なぜ、プロテスタントの聖職者ばかりなのか。
 なお、「他の教団信者で類似の被害に遭った例を見つけられなかった」ようだが、オウム真理教でも、地下鉄サリン事件以前には拉致監禁の被害に遭っている。

(注19) 統一教会の主張によれば、1966年から2011年までに4000件以上の拉致事件が起きた。ピークは1987年から95年にかけてで、2006年以降は年間20件以下だった。「国境なき人権」は、いまだこれらの数値を確認できていない。

(注20)「国境なき人権」は海老名市にある「ものみの塔聖書冊子協会」日本支部を訪れ、年間統計の資料を入手した。それによれば1992年から2001年までに150人以上のエホバの証人の信者(大半が女性)が拉致・拘束され、脱会説得を受けることを強要された。これは反カルト・ジャーナリストの米本和広氏も確認している。
 
  *私がある脱会説得牧師に聞いたところによれば「200人以上」である。エホバの本部が把握していないケースもあるのではないか。


(注21) 統一教会では、会員が誕生や死去に際して家族が行う仏教や神道儀式に参加することを禁じていない。ただ、文師夫妻が結婚を想定して若い男女を一方的にマッチングして、彼らの真の父母になるという合同祝福式が問題となっている。肉親にしてみれば、子供との当然の絆を奪われ、本人の自由意思が失われ、精神的に従属しているかのように見えるので、親たちが激しく反発するのも理解できる。エホバの証人の場合は、他の宗教の儀式(新年の神社参拝、教会での結婚式、仏教式の葬式等)や、国家・国民的行事への出席を禁じていることが、他の家族や社会からの疎外を引き起こしている。

(注22) しかし、まれに例外もある。米本和広氏は「ヤマギシ会」の会員が拉致された事件に触れている。


(1) 親のごく当たり前の心配が、拉致実行を決意させるまで

 教育を受けて成人年齢に達していても、自分の子供が新宗教運動に関わりを持ち、一生を捧げようと決意して退職・退学までしたら、親が狼狽するのは至極当然だ。
 しかも問題の宗教が直接・間接的にマスコミで悪く取り上げられれば、心配はなお募る。(注23)
 当惑した親は相談できる人や団体、例えばその宗教の元信者、聖職者、カルト専門家や反カルト活動家・団体などを探すだろう。その心配を解決してくれそうな脱会カウンセラーと出会って勉強会に招かれ、参加した場で子供が関わる宗教が邪悪なものだと徹底的に教え込まれたとする。

 彼らの話を通じて親はさらに不安をあおられ、他の親が子供を拉致して棄教させるのに成功したと聞けば、自分も拉致を含むあらゆる手段で可愛い子供を救おうと決心するに至る。
 このようにして家族は、拉致して同僚信者たちから隔離し、強制的に脱会説得をして棄教させ、場合によっては別の信仰(たいがいは福音派プロテスタント教会)に改宗させるほかに解決の道はないのだと、次第に確信するようになる。 (注24)

 自分の息子や娘を拉致したと証言する親を見つけるのは簡単ではなかった。S.A.さん(女性、当時35歳)は1995年、両親らによって三度目の拉致に遭った。(注25) 彼女の父親K.S.氏は「国境なき人権」に対して、その三度目の拉致実行に際して、第三者によって心理的な準備がなされたことを次のように証言した:

「妻と私は宗教的な方ではなく、多くの日本人同様、ときどき仏教行事に参加するくらいでした。麻布(東京)で行われた『統一教会に反対する父母の会』に参加するよう勧められました。
 その後、新潟県新津市のプロテスタント教会を訪問し、毎週末、車で片道3時間かけて通って反統一教会の勉強会に参加しました。 私たちと同じような状況の父母が通常50~80名ほどいました。勉強会の内容は、私たちの子供が間違いに気づくのを助けるための聖書の勉強、統一教会から子供を脱会させることに成功した両親の体験談、救出するときの具体的なやり方、などで構成されていました。
 実行を決意した際には、牧師と個別面談を持ちました。彼は私たちを助けてくれる親戚や友人を集めるよう指示し、計画実行に関するあらゆる厳格な指導を行いました。私たちは、脱会カウンセリングに成功して娘を統一教会から取り戻すことに成功した人からアパートを借りました。」

 環境科学の分野で博士号を持ち、著名な研究所で勤務していた別の被害者は、2011年1月1日に拉致された。彼女は「国境なき人権」に次のように証言した:
「事件以後、母から聞いたところによると、母は日本基督教団新宿西教会に通ったり いわゆる(注26)『マインド・コントロール』の研究をしている西田公昭氏に話を聞きに行ったりしたそうです。宮村峻には、4回程相談に乗ってもらったと話していました。うちの家族は常識的なので、母が拉致・監禁など思いつくはずはありません。」

(注23) これは特に1992年に顕著で、この年に有名な新体操選手の山崎浩子さんと、アイドル歌手・女優の桜田淳子さんは統一教会に入教していた事実と合同結婚式への参加を公表した。これをきっかけに統一教会たたきの報道が連日流された。

(注24) 脱会カウンセラーたちは拉致、監禁、ディプログラミングといった恐ろしい言葉遣いをせず、宗教運動からの「救出」とか「保護」「説得」「家族の話し合い」など、ソフトで社会が受け入れやすい単語を使う。それによってカウンセラーは犯罪行為の教唆や実行の誹(そし)りを免れている。大半の脱会カウンセラーは福音派キリスト教会の牧師であるか、信仰を棄てた過去を持つ人たちだ。

(注25) 彼女は1983年に1週間拘束され(信仰を棄てたフリをした)、1993年に2カ月間拘束され(脱出した)、そして1995年に約2か月間拘束された(脱会を偽装した)。結局、彼女は棄教することはなかった。

(注26) 原文の略語“UCCJ”は、日本基督教団のこと。


(2) 拉致の計画

 拉致の段取りは念入りに計画される。監禁場所を用意周到に準備し、被監禁者が外から見られず、声が聞かれないようにし、外部との一切の通信を遮断しなければならない。
 賃貸契約を結ぶ際も、たいてい反統一教会活動家のシンパとか、子に対する脱会説得に成功した親の名義でなされる。
 両親や親族は監視役として数週間から数カ月、稀には数年間、昼夜を分かたず取り組むことを覚悟しなければならない。彼らの職業人生に支障を来したり、退職を余儀なくされたりするケースもある。

 信者を拉致の予定場所までおびき出す口実としては、実家の訪問、食事の招待や家庭の行事が使われる。拉致は高齢の両親だけでは物理的に不可能なので、親族などから数人の協力が不可欠だ。(注27) これらの人たちは拉致行為に共同責任を負うこと、刑法で3カ月から7年の懲役刑に相当する犯罪であることを認識しなければならない。

(注27) 京都大学工学部土木科卒の吉村正は「国境なき人権」に、1987年母親が統一教会反対父母の会の会員から、息子を拉致するのに「北海道の会」というやくざを雇うよう示唆され、母は従ったと語った。


(3) 拉致の実行

 匿名を条件に、2011年1月2日に拉致された被害者は、「国境なき人権」に次のように語ってくれた:

「私は1月1日に実家に帰りました。私たちは多くの日本人がするように、近くの神社に初詣に行き、その日の夜に、父が私の新しい信仰について話し始めました。
 突然、リビングに伯父、叔母、生物教師、男性の保育士がぞろぞろと入ってきて、私は彼らに取り囲まれました。
 私は机に置いてあった携帯電話を手にしました。私が抵抗すると、彼らはますます力強く私の両腕を押さえ、その間に姉が携帯を無理矢理もぎ取りました。私は叫び始めました。寝る前の姿だったし、着替えたいと言いましたがダメでした。
 腕をがっしりつかまれながら、玄関から出ると、見たこともない黒い車がとめられていました。私はその中に押し込まれました。私の乗っていた黒い車の前には、白い車が走っており、そこには姉と生物教師が乗っていたようです。
 車はエスポワール白川という4階建てのマンションの前に止まりました。この時、だいたい午前1時半頃であったと思います。私は周りを取り囲まれながら、階段を上がり、3階の部屋に連行されました。」
(訳注:ヨーロッパの数え方では日本の4階は3階、3階は2階と数えるので、英語の原文と数字が一つずつずれている。)

 こうした典型的な例のほかに、特殊な状況下で拉致されたケースもある。
 その一つが、2002年に民事訴訟で勝訴した富澤裕子さんの場合だ。彼女は「国境なき人権」に以下のように語った:

「1997年6月7日午後2時、元警察官である私の父、親戚、5人の私立探偵、および反統一教会グループのメンバー(総勢約20名)が、スタンガン、鉄パイプ、チェーンなどの武器を携行して鳥取統一教会を襲撃しました。集団は玄関ドアのガラス部分を損壊し、ドアの鍵を開け、教会業務を妨害し、4名の教会員に暴行傷害を加え、私を拉致しました。私はワゴン車に押し込まれて連れ去られました。
 しかし、彼らは私をすぐに大阪には連れて行かず、四国を迂回して、鳴門にあるリゾートマンションの高層階に私を3日間監禁しました。
 6月10日午後10時過ぎ、私は手錠を掛けられ、部屋を出てワゴン車に担ぎ込まれました。私たちは淡路島を経由してフェリーで大阪に渡りました。6月11日、私は大阪市に到着し、そこでマンションの10階の一室に監禁されました。」


 別の特殊なケースでは、夫と妻がそれぞれの家族に同時に拉致された。
 1996年9月22日、東條勉・久美子夫妻は実家の法事に参加した後で親戚宅を訪ねた。久美子夫人は「国境なき人権」に以下のように語った:
「親戚宅でお茶を出していただき、ひと息ついているところに、部屋のふすまがサーッと開き、驚いたことに私の親族ばかりでなく、夫の親族も出てきて、私と夫は、別々のワゴン車に乗せられ、監禁場所に連れて行かれました。私は、抵抗するにも力ずくでは難しく、夫の名前を叫んでいましたが、私の声は届きませんでした。とても衝撃的でした。」
 
 京都大学工学部土木科を卒業し武道の心得もある吉村正氏は、「国境なき人権」に自分が拉致された当時(1987年)の状況を語ってくれた:

「私の母は“北海道の会”のやくざの助けを借りて私の拉致を計画しました。それは最初に強制なしで説得を試みたとき、私は難しいケースだと告げられたからです。
 私は白昼堂々と路上で拉致されました。
 4人の男性により両手両足をつかまれ、無理矢理タクシーに乗せられて、手錠を掛けられて、そのまま名古屋にある空港に連れて来られました。
 そこでセスナ機が私たちを待っていました。
 私は北海道に連れて行かれ、北海道の会の建物に2カ月半閉じ込められました。私の滞在中、2人の拉致被害者のために他の部屋が借りられていました。幸い、私は脱出することができました。私はこの失敗した試みのために、両親がどのぐらいのお金を支払ったのか想像もつきません。私は刑事告訴をしましたが、検察は不起訴処分としました。」


(4) 隔離されている時の状態

 統一教会を相手取った札幌の「青春を返せ裁判」では、21名の原告(全員が統一教会からの脱会者)の大半が反対尋問の供述で、脱会カウンセリングの間、移動の自由が制約されていたことを認めている。この他、2人が「軟禁状態だった」と認め、3人が部屋からの出入りは自由だったと供述した。

 2001年に寺田こずえさんは拉致されて大阪のアパートに連れて行かれた。その時の模様を彼女は「国境なき人権」に次のように語った:

「新大阪ハイツ1005号室は3DKの間取りで、部屋には布団や冷蔵庫、電子レンジなど生活用品が準備してありましたが、電話やテレビはありませんでした。玄関ドアは施錠した上で、防犯チェーンと特別に用意されたチェーンを2つの南京錠で固定し、それらを解錠しない限りドアが開かない仕組みでした。窓やガラス戸は、防犯用のストッパーなど特殊な細工で固定されていました。」

 拉致された経験を持つ統一教会信者の数名は、監禁中に医療支援を一切受けられないか、極めて限られていたと証言した。(注28)  

 脱会カウンセラーが拘束の共謀者であることは、神戸地裁平成6年1732号事件(青春を返せ訴訟)において、統一教会側弁護士と高澤牧師とのやり取りで明確に証明されている:
 
問:そういう拘束場所をね、あなたのほうで世話することはあるんですか。
答:やむを得ず、状況によってご紹介するケースはあります。

問:それから救出には親戚の協力も必要だという指導もされてるわけですか。
答:はい。

問:親戚を多数集めなさいというような指導。
答:そうですね。(…)

問:それから拘束の順番が回って来たときですね、その拘束の日程とか、これは事前に綿密に打ち合わせをするわけですか。
答:その日程というのは、どういう意味なんでしょうか。

問:だから何日に信者本人が、たとえば自宅に帰って来るから、それに合わせて親戚を集めて、それから拘束場所のマンションを、それまでに手配してとかいう綿密な打合せはしなきゃいかんのじゃないですか。
答:それは、ご家族で当然なさることです。

問:それに対して、あなたも関与してるんじゃないですか。
答:それは仕方がないことだと思います。ですから渋々それを理解する、了解するという、こういう形ですね。.


 献金問題を扱った前橋地方裁判所高崎支部の平成5年458号事件で、清水与志雄牧師(日本基督教団)は次のように証言した:

問:あなたが脱会の説得を手掛けたのは何人くらいおられますか。
答:名前が思い出せるだけで、50人以上はいるんですけれども。
 
問:あなたが説得するときには、信者をどこかの場所に監禁して説得するわけでしょ。
答:私がするんですか。

問:監禁はしていないと、こういうことですよね。
答:監禁の定義はどういう定義でしょうか。

問:窓にかぎをかける、靴を隠すとか、そういったことで、あるいはずっと見張っているとか。
答:そういうことはあります。

問:そういうことをやらなければ説得できないんですか。
答:できない場合もあります。

 脱会カウンセラーたちは、寺田こずえさん(2004年)と富澤裕子さん(2002年)が別々に起こした民事訴訟(後述)の両方で高澤守牧師が敗訴判決を受けてからは慎重になっている。また拘束状態で強引な脱会説得はすべきでない、と考える反カルト活動家も増えてきた。

(注28) Y.H.さんは韓国人と結婚して韓国で妊娠したが、日本に帰省中、両親に拉致された。3カ月の監禁中まともな診療を受けられずストレスが募り、産まれてくる子供の健康が心配だった。実母はその数年前に夫に拉致され数週間監禁されて統一教会を脱会していた。Y.H.さんは出産直前に自由を回復できた。


(5) 行方不明

 ある信者が拉致・拘束されれば「行方不明者」になる。
 しかし事件の加害者である両親や親族が届け出ず、さらには被害者の雇用主や近隣住民に手を回して、被害者は当分帰宅しない、などと説明して回れば、日本の司法当局は行方不明事件として取り扱わない。
 仮に第三者が通報しても「家族の問題」として処理する。
 行方不明者の配偶者であれば捜索を求めることはできるが、拉致被害者が既婚者であるケースは少数である。被害者は相当離れた場所に移送されるのが一般的で、居場所を突き止めるのは、不可能でなかったとしても非常に困難である。

「国境なき人権」は、拉致被害者と婚約していた宇佐見隆氏から話を聞いた。
 同氏は消息を絶った婚約者を探し出す決意をして手を尽くしていた。婚約者の父親の自家用車にGPS機能付き携帯電話を取り付け、父親の動きを追っていれば婚約者の居場所に行き当たると考えた。その甲斐あって3年後に彼女と話せたが、その間に脱会説得を受けていた婚約者は棄教を決心していた。

「国境なき人権」が聴取した別のケースでは、婚約者が私立探偵を雇って、ついに相手を捜し出すことができた。
 

(6) 第三者による強制棄教は、信者の取り合いでもある

 信者を物理的かつ心理的にも隔離状態に置いて棄教を説得するのは、主にプロテスタント教会の牧師や関係者で、それに元信者たちも助力する。
 一連の脱会カウンセリングでは、プロテスタント教会の聖書講釈を軸に、標的となった教団の教義の矛盾や誤りといった点に焦点が当てられる。つまり宗教間の競合が反映されているのである。
 そのような思想的闘いは、「宗教の自由市場」の状況下では合法的なものだし、また表現の自由の原則にもかなっているわけだが、個人を長期間監禁して行動を制約することは、国際的な人権規準から見ても容認できない。
 
 脱会カウンセラーのいわゆる「保護・説得」なる表現は、その裏面にある強要、威迫、脅威を隠すものにすぎない。
 寺田こずえさんは「国境なき人権」に以下のように語っている:

「10月29日朝、叔父と妹らが仕事のためマンションから出て行き、父と叔母ら3人が私の監視役として残りました。

 同日午後2時頃、キリスト教神戸真教会の高澤守牧師がマンションに来ました。
 私は高澤に対し、『これは監禁です』と抗議しました。
 高澤もこれを認めて『そうです。これは監禁です』と答え、『でも、お父さんやお母さんも監禁されているんですよ』と言いました。
 高澤は『頼まれて話し合いをしている』と主張し、2時間ほど滞在して統一教会の教理批判をしていきました。

 10月30日午後2時、高澤が部屋に来ました。高澤は、私の意思を無視して対話を強要し続けました。私は『ここに居たくないので警察に電話します。携帯電話を貸してください』と言って手を差し出しました。
 すると高澤は感情的になり、『どうせ警察が来ても、統一教会のことだと分かったら「じゃあ頑張ってください」と協力してくれる』と言いました。
 高澤は財布から警察の名刺を5、6枚出し、『私は警察と付き合いがある』と強調しました。

 高澤はそれ以降、11月下旬頃までは、ほぼ毎日やって来て2時間ほど滞在し、私に対し脱会強要を行いました。
 その中で、高澤は
『知恵遅れ』『精神異常者』『人も殺すような人間だ』『6月のナメクジみたいな顔しやがって』
 などと言って私に人格攻撃を行いました。

 私は毎晩のように、監禁下で父から暴行されるといった悪夢にうなされました。

 11月10日頃、高澤は、西日本福音ルーテル教会執事の尾島淳義を1005号室に連れてきました。尾島はこれ以降、私が解放されるまでほぼ毎日やって来て、統一教会の教理批判を行いました。」

 脱会説得に強制が伴う事実は、神戸地裁平成6年1732号事件の調書からも明白だ。統一教会側の弁護士は1996年5月21日、高澤牧師に対して、監禁された統一教会信者の脱出(岡本事件と呼ばれる)について問い質している:

問:これは、飛び降りたんですか。
答:これは飛び降りたんではなくて、逃げようとしたんですけれども、家族がですね、そこへ駆けつけて、そして中に引き戻そうとする時に、何と言うんでしょう、もみ合いになって、そのはずみで落ちてしまったということですね。

問:脱出しようとして大けがをしたということですね。
答:そうです。

問:脱出しようとしたというのは、説得を受けるのがいやだったということですね。
答:そういうことですね。

問:で、自由になるためには、普通に玄関から出て行くという、そういうことができる状態ではなかったということですね。
答:そうです。



 脱会カウンセリングでの話し合いが強制下での布教に利用されていたことは明白だ。神戸地方裁判所平成6年1732号事件の調書には、1996年5月21日に統一教会側の弁護士と高澤牧師の間でなされた、以下のようなやり取りがなされている:

問:あなたの教会なんですけど、会員は大体何人ぐらいおられますか。
答:130名ぐらいです。礼拝に出席される方は60人から70人ぐらいですけれども….

問:そのうち統一教会の脱会者というのは何名ぐらいおりますか。
答:半分ぐらいになってきたと思います。

 聖書講座を含んだ学習会には、子供を心配する親兄弟が詰めかけていた。それは心理的な弱みにつけ込む形の布教だと言えないだろうか。
 美山きよみさんに対する脱会強要は非常に執拗だったので、彼女は棄教が正真正銘のものであることを示すために婚姻解消までした (注29)

(注29) 彼女は当時、本気で棄教し、反統一教会活動家によって他の信者を脱会させるカウンセリングに利用された。後日、彼女は統一教会に戻っている。


(7) 「救出作戦」の代価 

 子供への愛情から、親たちは多額のお金を用意する。
「国境なき人権」は拉致・監禁・脱会説得に費やされた金額について正確な情報を得られなかった。しかし車両レンタルや、どれだけの期間を要するか分からない監禁のためのアパートや家の賃借り、住居リフォームなど、出費は半端ではない。 

 加えて「国境なき人権」は、脱会説得に携わる人たちが親から謝礼を受け取っているとの証言を得た。
 その確認をとるのは難しかったが、ケースバイケースで金額は400万円から1000万円までだという 。(注30)
 ジャーナリストの米本氏が警察から漏れ聞いたところでは、平均で400万円程度である。同氏は反統一教会牧師から、宗教的動機・背景を持たない脱会カウンセラーの一人が、信者の母親に一連の脱会説得の費用として1000万円の報酬を示唆したという情報を得た。

  *私の証言が正しく反映されていない。平均400万円の謝礼金を受け取っていると警察官が話してくれたのは、宮村峻氏の場合である。1000万円の報酬を要求したのも宮村である。要求されたのは開業医の妻。子どもは慶応医学部在籍中だった。この母親は宮村の要求を断った。
 謝礼金を「400万円から1000万円まで」と書くのはやや粗雑である。「20万円から400万円まで」といったところが妥当ではないだろうか。付言しておけば、日本基督教団の牧師が信者家族に200万円の謝礼金を要求したことがあったらしく、同教団に所属する浅見定雄元東北学院大学教授が「ひどい話ですよ」と私に語っていたことがあった。


 大阪高等裁判所が2002年に下した判決は、エホバの証人の信者S.S.さん(女性)の、自分を監禁した牧師に関する以下の供述を引用している。(注31)
 「彼は、いわば強制改宗請負業者として、活動費の名目で高額の報酬を受けて、エホバの証人を監禁して棄教強要する業務に従事しているものであり」。
 エホバの証人日本支部に残る記録では、この被害者の言葉として1万ドル相当の金額が記されていた。

「国境なき人権」が入手した興味深い文書の中に、1996年に川嶋英雄氏に祖母から送られた手紙がある。その中で祖母は川島氏を「救出するため」(失敗に終わったが) の費用を賄うため、自分の娘と婿に「478万円を出してあげた」と書いている。

(注30) 美山きよみさんは二度拉致され、それぞれ6カ月と29カ月間監禁されたが、彼女によると宮村が救出のために受け取る謝礼の相場は4万ユーロ(訳注:報告書発表時点で、1ユーロ=約100円)だという。原さゆりさんの親は牧師や脱会カウンセラーに定期的に相当の金額が入った封筒を渡していた。原さんは母親の手帳に、両親が叔父から約3万ユーロを借用した記録を見つけている。

(注31) 匿名希望の女性の頭字語。



(8) 脱会カウンセラーの背景と動機

 脱会カウンセラーになるのは通常、キリスト教の福音派およびペンテコステ派の教会の牧師や関係者が多く(注32) 、新宗教に加入した人の家族の心配につけこみ、教会と競合する異端を排除したり、不安に陥った親を伝道したりするのに利用した。(注33)
  カウンセラー自身は拉致を実行しないが、準備段階では深く関わり、特に勉強会や、拉致を成功させた親たちとの会合を通して親たちの意識を啓発している。
 被害者の証言では、拉致・監禁を実行中の親がカウンセラーに電話で相談することもあった。

「国境なき人権」の聴取や調査で、頻繁に挙げられた名前は次の通り:

森山諭:荻窪栄光教会牧師(日本イエス・キリスト教団)。1966年に拉致・監禁による強制改宗を始めたキリスト教会牧師。1996年に死去。

松永堡智(やすとも):新潟県の新津福音キリスト教会(日本同盟基督教団)牧師

高澤守:独立系福音派教会のキリスト教神戸真教会牧師

船田武雄:京都聖徒教会(日本イエス・キリスト教団)牧師

清水与志雄:行田教会(日本基督教団)牧師。元統一教会員。

平岡正幸:日本福音ルーテル教会牧師。2009年に死去。

高山正治:倉敷めぐみ教会(日本同盟基督教団)牧師。

黒鳥栄(女性):戸塚教会(日本基督教団)牧師。

上記以外で宗教的理由を持っている脱会カウンセラー

田口民也:元統一教会修練所長。後にキリスト教福音派教会の信徒になる。2002年に死去。

パスカル・ズィヴィ:羊が丘教会(日本イエス・キリスト教団)の信徒で、札幌に拠点を置く「マインド・コントロール研究所」を設立。著書に『マインド・コントロールからの脱出』 (注34)がある。

 しばしば登場する一人の脱会カウンセラーが、広告代理店経営者の宮村峻(たかし)だが、同人の宗教的背景は分からない。監禁下で脱会カウンセリングに関与した心理学者は知られていない。

  *このリストは、少々粗雑である。日本基督教団の牧師で、もっとも脱会説得に熱心な元谷村教会牧師、現「いのちの家」所長の川崎経子が抜け落ちている。
 

(注32) 米本和広氏によれば、拉致・監禁が始まってから20年間、ある単一教派(日本基督教団のこと)の約200名の牧師が、新宗教からの棄教やプロテスタント信仰への改宗を目的とした「保護・説得」や「未承諾または強制による脱会カウンセリング」に携わった。さまざまな理由(高齢化、民事訴訟の懸念、この問題に関する否定的なマスコミ報道、説得手法が引き起こす心理的障害への認識等)から、そうした牧師の数は激減し、今は10人足らずが携わっていると見られる。

(注33) こうした親たちは神学的問題について子供と議論できるよう、聖書学習会に足を運んだ。親たちは礼拝にも出席するよう求められた。

(注34)パスカル・ズィヴィは1957年にフランスで生まれ、柔道を習い、技の向上を目指して1980年に来日。福音派キリスト教の宣教師と出会い信仰を持つ。1994年に「マインド・コントロール研究所」を設立。同氏が適正な心理学を学んだ履歴はない。本人によれば福音派聖書学校で学んだという。



(9) ハッピーエンド?

 信者に対する監禁の結末はさまざまである。

 棄教した(もしくは棄教と見なされた)後に拉致実行者から釈放される(注35) ;脱会説得が失敗する;第三者によって解放される;被害者が脱出する等。

 エホバの証人の女性信者Y.K.さんは当時働いていた店の近くで親に拉致された。1998年のことだが、3日後に実兄が教団関係者に通報した結果、彼女は解放された。1999年に二度目の拉致をされたが、その時は早朝4時45分で、車で2時間の場所に運ばれた。そこに4カ月間監禁されたが、脱出に成功した。

 2009年に当時29歳のH.K.さんは両親によって拉致され、車で2時間の場所に連れて行かれ、そこで2カ月間監禁されて脱会説得を受け続けた。その間、彼女の婚約者や教団の同僚たちが彼女を捜索して監禁場所を突き止め、弁護士を伴ってそこを訪れた。
 彼女は「国境なき人権」に次のように証言している:

「ベルが鳴って、父が戸を開けると、聞き覚えのある声がするではありませんか。婚約者と教会の方々、それに弁護士さんが玄関の外に立っていたのです。そして私が自分の意思に反してこの場所にいるのかどうか尋ねてきました。『はい、そうです』と答え、彼らと一緒にアパートを後にしました。私は本当に嬉しかったのです。その後に両親に連絡を取ろうとしましたが、電話にも電子メールにも手紙にも一切応じてくれませんでした。悲しいことです。」

 匿名の別の被害者は、監禁24時間で、実にアクロバット的な脱出劇を演じた。彼女は「国境なき人権」に次のように証言した:

「1月3日の午前2時40分頃、父母と姉が寝静まったのを見計らい、細心の注意を払いながら、私が寝ている部屋と姉が寝ている部屋を仕切るふすまの戸を閉め、自分のハンドバッグを持って、ベランダのガラス戸を開けました。3階のベランダへ抜け出ると、手を伸ばして届くくらいの距離に電信柱がありました。私はベランダの柵をまたいで手を伸ばして電信柱のくいをつかみ、何とか電信柱に乗り移ることができました。電柱のくいをつたって降りましたが、あわてていたため最後はどさっと尻餅をついて道路に落ちてしまいました。アパートはとても飛び降りることのできる高さではなく、もし、足を踏み外して落下すれば、大変なことになっていたと思います。」
(訳注:ヨーロッパの数え方では日本の3階は2階と数えるので、英語の原文と数字が一つずれている。) 

(注35)信者の中には棄教を装う人もいる。新宗教に入会前はあまり宗教的でなく名目上の仏教徒が多いので、彼らの信仰が破壊されても、元の信仰に戻ったとは言いがたい。棄教行為が伝道プログラムの一環だったケースも少なくない。統一教会の非公式内部統計によると、監禁状態で脱会カウンセリングを受けた人の6割から7割が統一教会を退会し、3割程度が信仰を維持してきた。

  *公式内部統計(ただし90年~92年の3年間に限る)によれば、75%が脱会、25%が信仰維持となっている。

-続く-
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コメント

実験と脱会説得を掛け合わせてみて

例えが適当でないですが、脱会説得の人達は一人一人を助けると言うより、一つ一つの実験を行っている感覚だと、私は思います。
 研究者が実験室で”新しい菌”を増殖する行動が脱会説得を行うやり方に似ていると感じます。
・拉致監禁・・実験室(監禁の部屋)を外から遮断する。
・脱会説得・・実験物(信者)を無菌状態(ディプログラミング)にする。
・リハビリ・・新たな菌を実験物に植え付ける。
・成功(脱会)‥新しい菌が増殖した。
・失敗(逃げる)・・古い菌(信仰)が残っていた(実験の失敗)。

・彼らは成功率を上げる”努力・工夫”をする。
(新しく実験の対象を探してくる)ー次の実験へ
・”実験費用”は信者の家族から出してもらう。
・脱会説得の人達は研究者気取りをしていると、私は思います。

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