帰郷 

身辺雑記(1)

 2012年元旦に寄せての近況報告です。

 昨年10月に故郷、島根県松江市に、老母の介護のために戻りました。
 数年前から母親のこと=私の今後の人生のことで迷っていましたが、エイヤーとばかりに戻りました。
 悩みの一端は、ブログ「勝ち犬の遠吠え」⑤-故樹村さんのこと(1)・死者を冒涜(2011年3月29日付)の末尾に、次のように書いたことがあります。 

 神が宿る山に登ったり、古墳を覗いたり、史跡めぐりをしていたら、目の前をのんびりヘビ(シマヘビ)が横切っていきました。ヘビはそのあと小川に入り、悠々と泳ぎながら、民家の庭に入っていきました。
 田舎の風景を見ていると、心が和みますが、ときたま廃屋を目にします。右はズームアップしたもの。画像をクリックしてみると、大きく見えます。
 50年前はこの家も大家族で賑やかだっただろうな。都会に出た子どもたちは帰らず、老夫婦2人で頑張って農業していただろうに・・・。

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 翻って、わが実家のことも考えます。松江市の実家には老母が一人で住んでいます。父親が51歳で亡くなってから(当時、私は大学1年生。怖かったけど、いい親父でした。とても可愛がってくれた)、母はずっと一人で生活してきました。その母も87歳となりました。
 数年前に自転車から転んで大腿骨を骨折してから、要介護度1の認定をもらい、ヘルパーの支援(週に4日)を受けての生活が続いています。
 かなり物忘れがひどくなったというものの、比較的元気で生活していますが、それでもそばに誰かがずっと一緒であれば、脳の老化(痴呆)の速度を遅くすることは可能で、長生きできることははっきりしています。
 ヘルパー支援生活になってからは、年に4回は帰省していますが、やはり、考え込んでしまいます。
 0歳~18歳まで18年間、育ててくれた恩返しをすべきではないか。
 母は子育てのために何かを犠牲にしていたわけです。
 ここらで、私も「何かを犠牲にして」、故郷に帰るべきではないかと思案しているところです。

 ここには書かなかったことですが、故郷に戻ることを決意したのは老人ホームに肌で触れたかったことが大きかったですね。少しばかり経過を書いておけば・・・。

 1999年頃、東京に住んでいた叔母(父の妹、独身、当時73歳)が不調になって、結局、私の仕事場と叔母の住居を兼ねて、さいたま市のマンションで一緒に暮らすことになった。自宅から歩いて5分ぐらいのところ。
 一緒に住むにあたって、「叔母さんの下の世話まではできないし、叔母さんも甥にそうしてもらうのはイヤなはず」といったやりとりがあって、喜寿を迎えたら老人ホームにということになった。

 運良く3年待ちで、ちょうど喜寿を迎える直前に「空き」のお知らせが。それで老人ホームに。
 月に1度、仕事場にマグロの刺身&ビールつき&猫つきの“お泊まり保育”をしたり、ときおり面会に行ったりしていたけど、老人ホームと身近に接するようになって、つくづ母親を老人ホームに絶対に入れたくないと。

 老人ホームのどこが悪いというわけではないけど(子細なことをあげればキリがないけど)、ある日を境に家族との生活から切り離され、見知らぬ老人ばかりの部屋に入り、24時間の共同生活を余儀なくされる。
 それも死ぬまで!
(個室ならまだましだが、自分の部屋に閉じこもってしまう老人も少なくなく、共同部屋よりも惚けるのが早い場合もある)

 約100人ぐらいの施設だったけど、 見舞いにくる家族はあまりいなかった。入所者の半分くらいは1年間くらい家族の見舞いがない人たちだ、と職員がこぼしていた。つまり、そうした家族にとって老人ホームは姥捨山

 こうした思いは我に返れり。で、<お前はどうするの?>

 書きたいことや本にしたいことはまだまだあるけど、このままここ(浦和)にいては、結局のところは母を老人ホームに入れるしかなくなってしまう。
<それでいいのか>
<お前はおふくろさんから18歳まで世話になっておきながら、あとは老人ホームなのか!>
 という声が。
 それは切ないな、しのびないな。
 それで、帰郷を決意することにしたわけです。

 サラリーマンが転勤で単身赴任を余儀なくされる。それをもじって<おいらは介護単身赴任だ>と自分で自分のことを位置づけ、得心するようなったわけです。 簡単に言えば、これまでは浦和を拠点に年に3、4回、松江に戻っていたけど、今度はその逆バージョン。幸い3人の子どものうち2人は経済的に自立しています。
 
 妻は?と疑問に持たれる方もいらっしゃると思いますが、妻に仕事をやめてまで(仕事がなくても)、私の母の介護生活に付き合えとは言えません。妻の親の面倒を見るために、仕事を辞めて、妻の実家に戻る夫はほとんどいないのに、どうして夫(男)の親の面倒を見るために妻(女)が夫の実家に戻らなければならないのか。そうした傾向にも内心反発を覚えていました。

 社会学者の上野千鶴子さんが「介護とフェミニズム」のことを書いていますが、そことも通底するものがあると思っています。もっともまだ自分の中では理論化できていませんが。
 
 楡周平さんの介護を題材にした小説を読みました。面白く共感するところも多しでしたが、夫が自分の親の面倒を見るのに妻を同行させる場面をごく自然に書いていた(親の実質的な介護者は妻)。彼はこのことに何の違和感を覚えていないようで、やや鼻白みました。

 彼は『介護退職』というタイトルの小説も書いていますが、「介護単身赴任」があってもいいのではないかと思います。


 俯瞰してみれば、18歳で松江から東京、還暦を迎えて東京から松江-という図式です。
 18歳で東京に行くときは蒸気機関車の夜汽車(4人掛けの椅子席)、40年後に戻るときは電車の夜行電車(猫がいたので、少々広めのデラックス個室寝台)。

 時代と時代の変化を感じさせられました。

 松江に戻って3か月が経つというのに、まだ空気・雰囲気に馴染めません。年に数回帰郷していたのに。やはり生活してみると感じ方がまるで違います。

 廃屋フェチではありませんが、廃屋をみるたびに、こんな感想を抱きます。

 高3まで島根の世話(主に保育・教育)になり、還暦後も島根にお世話(主に医療)になる。
 その間の働き盛りの頃の税金は都会に落とす。
 福祉はみんな税収乏しい島根にお世話になるという構図です。
 そうなると、ますます疲弊するばかりだから、廃屋をときおり目にするのは当然のことかもしれません。 
 疲弊する地方が原発を誘致する構造でもあります。 県庁から9キロのところに島根原発ができたのも、肌で理解できます。
 
 民俗学者の宮本常一さんが50年近く前に『日本列島にみる中央と地方』で、「都市が地方を収奪する」といった趣旨のことを書いていましたが(表現は「地方の植民地化」)、今さらながらに炯眼だった、と改めて実感する次第です。
 
 話変わって、こちらに戻ってから島根県で2件の介護殺人事件があったことを新聞で知りました。いずれも犯人は息子です。
1.寝たきりの母親(82)を自宅に放置、熱中症で死亡させた。
2.介護が必要な母親(88)を自宅の浴槽に放置し、死亡させた。

 全国紙でも高齢者に暴力を振るった事例は年間1万件と報じられていました。 
 加害者のトップは介護をする子どもだそうです。

(老人ホームの職員の暴力は600件となっていたけど、実態はもっともっと多いはず。認知症の老人は暴力を振るわれても、すぐに忘れてしまう。暴力の場面を目撃した老人も、後難を恐れ、口を閉じる。知り合いの介護職員によれば、「たまにではなく、頻繁に起きている。とりわけ夜に多い」という)

 子どもが親に暴力を振るう。
 私にとっては信じられない話だったけど、叔母と一緒に暮らしてみて、理解できるようになりました。1度だけ殴りたい衝動に駆られたことがあったからです。

 完璧な介護をしようとすると、どうしても意に沿わない場面が出てくるから、疲労し、つい腹が立つ。その結果が身体的暴力あるいはネグレクトとなる。
 完璧介護と暴力はコインの表裏の関係にあると思います。
 カルト、反カルトじゃないけど、白か黒かの二分法とよく似ています。

 それで、改めて、いい加減な介護にしようと思っているわけです。
 
 もっとも、一口に「子育て」といっても一筋縄ではいかなかったように、「老人介護」も下の世話とかいろんな場面に遭遇すれば、どうすればいいのか悩むことになるでしょうね。 
 
 ところで、最初に書いた通り、老母は介護1でヘルパーさんの支援があれば、まだ1人でも生活できるレベルです。したがって、とくに何かをしなければならないというわけではありません。私がやることは「声かけ」とたまに外に連れ出すことです。

 母は40年間、朝起きても、「おはよう」と挨拶する家族がいませんでした。
 日中の大半は、食卓の前でテレビを見たり、ウトウトしたり。社会的な刺激は皆無に等しい。これを老人医学では「廃用症候群」(意欲・体力の低下、起立性低血圧、感覚機能の低下)というのだそうです。この状態が続けば「認知症、寝たきり」になるといいます。(『認知症』中公新書)
 これを少しでも防ぎたいと思っています。

 少しばかり後悔しているのは、帰郷を1年前に決意しておけば良かったということです。なにしろ、私の誕生日の記憶がはっきりしなくなっていたからです。トホホ
 話を戻せば、声かけ、ときおりの外出ですから、介護に時間が割かれることは今のところほとんどありません。
 そんなわけで、これから何をしようか、と。机上プランではいくつかやってみたいことがありますが、それを書けば風呂敷を広げることになるので・・・。
 少しでも具体化したら、身辺雑記として書くかもしれませんが。
 余暇活動としては、山と渓谷社の『島根県の山』で紹介されている52の山すべてに登ってみるつもりです。

 ブログはまだ当分続けていきます。今後ともご愛読のほど、よろしくお願いいたします。
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コメント

明日は我が身

新年おめでとうございます。

米本さんの近況、明日は我が身と身につまされる思いです。(ついでに、我が家には、猫の代わりに家族の誰よりも私を慕ってくれる犬がいます。)

私も近い将来、自分の身の振り方を考えなければいけなくなりそうです。

米本さんもいろいろと大変な中での執筆活動だと思います。ぜひご自愛ください。

「カルトからの保護・救出」という名による精神の暴力を受けて、何年が経つだろうか。被害者は親だと考え、連絡を取る度に親の疾患が生じるのを知り、親の健康のためと思い、接触することを避けてきて十数年。
親のことを思うと恋しくも、同時にフラッシュバックを起こし、体が痛くなり動けなくなる。
こんな体にした、自分にとって最も大切だったものを壊した、あのルーテルの平岡正幸牧師が今いるところをキリスト教は天国と呼ぶのだろうか?
自分の監禁を支援した女子パウロ会の人たち、そして小笠原神父。
カトリック教会は私の信仰だけでなく、家族の絆までズタズタにした。
そういう輩たちを「正義」と「自由」の名で非難する統一教会の幹部の方々が信徒の苦痛に関心を持ち、真摯かつ責任ある対応をしてくれることを期待したが、もはやブームは終わったのか。

今の恐怖は、何もできないまま親が死んだことをある日、知ること。
死ぬ前に親の介護を少しでもさせていただけたら、自分はだいぶ楽になれるのでは…とよく考えさせられる。
親を大事にできるチャンスのある人は、できない人の分も大事にしていただけたらと想う。
米本さんには敬意と感謝の想いがいっぱいです。島根に行かれてもご活躍されることでしょう。
自分も、近くて遠い親のもとに今年こそは、帰れるかな…

信者さんへ

 どうすればいいのか、どう書けばいいのか、まとまりません。


「平岡正幸牧師」
「女子パウロ会」
「小笠原神父」

親孝行

親孝行は人間の最も本質的な徳目と思います。親を大切にすることは、とりもなおさず自分の命を価値視することにつながると思うからです。「生まれてよかった、生きていて良かった」と思えば、生んでくれた親、育ててくれた親に感謝以外ありません。その親子の関係を壊すのはいったい何なのか?
 親は子どもに、親にしてくれてありがとうと思えるのは、また人生の深遠です。私は、文先生が教えてくださったのは、一言で言えば、真の父母になる道だと思います。
 米本さんの人間らしい、あまりにも人間らしい試みに、敬服します。なかなかできそうでできないものです。
 前に聴いて泣いた話があります。姨捨山に母親を負ぶって捨てに行った息子が、3日分のおにぎりだけおいて山をひとり降りようとしてら、母親が「このおにぎりは、お前が持っていけ、帰る道々食っていけ。」とおにぎりを渡したと言う話です。たぶん親の本質はそういうものだと思います。親は、たぶん子供のために犠牲になれるのだと思います。そして、子供はたぶん親の犠牲には、生涯かかっても返せないのだから、自分の子供に返すようになっているんだと思います。

 お母さんをお世話しても、米本さんこのプログはやめないでくださいね。

さいたまであっても松江であっても

<松江に戻って3か月が経つ>

そうだったんですかぁ。
介護単身赴任、お疲れまです。

松江で、不当ストーカー裁判について、書いてくださっていたんですね。ありがとうございます。

介護単身赴任をスタートされるまで、拉致監禁問題では、目に見える良い結果が出なくて、本当に恐縮というか、悔しいというか、唇をかむ思いです。

今後、この問題を追って行かれるのか、介護の問題などに軸足を置かれるようになるのか、存じ上げませんが、米本さんのジャーナリストとしてのご活躍を今後とも応援しています。

社会の歪

あけましておめでとうございます。

本年がよい年であるように願っていますが、今までの日本の社会の歪が限界を超えて、一気に噴き出してくるような、そんな予感がするこの頃です。

高度成長期、その後のバブル崩壊の時期を経て、日本は様々なものを振り捨て、そして、問題を先送りにしてきた事の付け払いを払わされる、そんな時代の到来しているような気がします。

その最たるものが、この高齢化社会の問題でしょう。

昔は家族が多く、しかも身近にいました。しかしながら、今は子供は遠く離れ、近くにいる子供も頼る兄弟が少なく、介護疲れで追い詰められる。

また、高齢化社会によって引き起こされる内需不足とそれに伴う深刻な不況は、若い世代を直撃し、就職難の改善は皆目目途が立ちません。

家族のきずなが試される、家族の結びつきを再構築しなければ、乗り切れない時代が来たように思います。

私の母親も、去年11月認知症で警察が出動するような事件を起こしてしまい(幸い被害はなかったのですが)、専門病院に入院し、現在、リハビリでケアハウスに入っています。

私は車で20分ぐらいの場所に住んでいるのですが、仕事が忙しく、なかなか世話にいけない中での事でした。

本当は一緒に住むのが一番なのですが、親の方が気難しく、一緒に住むのは嫌がっており、一緒に住むことができず、

2月にケアハウスから出てくれば、また元通りの父親と二人暮らしとなるのですが、また事件を起こすのではないかと、次は取り返しのつかないことになるかもしれないと案じています。

一緒に住むことが困難ならば、父親とどこかの施設に二人して入ってくれるのが一番なんですが、そうなると、やはり、施設の様々なうわさを聞いてしまい、心配になると共に、親の方もそういう施設に入るのは嫌がっています。

兄弟は一人いますが、親と絶好状態。一切、関わらないとしており、今後どうしたものか、私が時間を作れる仕事ならばいいのですが、そうもいかず、なかなか悩ましい状態というのが実情です。

こうした事柄は、程度の差、多少の質の差はあったとしても、全ての人に関わってくることではないかと思います。
家族のあり方とそこに表れている歪こそが社会の歪となり、今の時代を暗いものしている。
だからこそ、もう一度家族の絆を再構築しないと乗り越えれない。そういう気がします。

踏ん張りどころですね。


PS
だからこそ、家族のきずなを壊す、拉致監禁の非道さは、犯罪であると共に、社会悪でもあると強く感じます。

Re: 社会の歪

鸞鳳さん
>今までの日本の社会の歪が限界を超えて、一気に噴き出してくるような、そんな予感がするこの頃です。

 この予感はあたっているかもです。

 議会制民主主義が社会を滅ぼすといった論調も出始めています。
 議会制民主主義を尊重すれば、政治が前に進まない、国が発展しないことが自明になりつつありますから。

 政治の迷走は日本ばかりか、日本以上に欧米でも顕著になっています。
 朝日新聞がいつになくこの問題を真っ正面から捉え始めていますね。

 怖い状態になっています。
 こういうとき、私を含め民衆は民主主義を超越するような独裁者(時代のヒーロー)を求める心理的傾向になっていますから。

 マルクスが予見したように、資本がグローバルになって、狭隘な既存民主主義が桎梏となってきたようです。

 では、私たちは独裁者を待望するしかないのか。

 今日の朝日新聞に登場したアントニオ・ネグリさんは、北アフリカの「アラブの春」、スペインの「怒れる者たち」の運動、ニューヨークの「ウォール街占拠」運動に、新しい時代の潮流を見出しています。

 独裁者の誕生か、民衆が主人公となる真の意味でも「民・主・主義」なのか、ここ数年、世界の世情は揺れ動いていくと思います。

 てなことは、このブログのキャパオーバーになってしまいますので、終わりにして。


>一緒に住むことが困難ならば、父親とどこかの施設に二人して入ってくれるのが一番なんですが、そうなると、やはり、施設の様々なうわさを聞いてしまい、心配になると共に、親の方もそういう施設に入るのは嫌がっています。

 そうなんですよ。叔母の老人ホームを見舞ったとき、同室の一人の痴呆老女が、自分のウンコをカーテンに拭うようにくっつけくっつけしながら(けっこう臭かった)、「家に帰りたいよ」と、まるで呪文のように繰り返していた。その光景が今でも目に浮かびます。

 それで、子どもたちには言っています。俺を老人ホームに入れるのであれば、練炭をプレゼントしてくれ、と。

>兄弟は一人いますが、親と絶好状態。一切、関わらないとしており、今後どうしたものか、私が時間を作れる仕事ならばいいのですが、そうもいかず、なかなか悩ましい状態というのが実情です。

 一番いいのはケアマネージャーと連絡を密にすることです。電話でのやりとりだけで、十分です。

 彼らは現場をよく知っています。それなりの適切な対処方法を考えてくれます。

 島根の介護殺人事件だって、息子たちがケアマネージャーに相談していれば、殺人にまで及ぶことはなかったはずです。

 痴呆の程度にもよりますが、老母が私のことを認識できないようになれば、老人ホームも当然のことながら考えます。

 老人介護は白か黒かの世界は通用せず、しなやかに柔軟にやるべきだというのが、この3ヶ月間の教訓です。

 偉そうに書いている!のだけど、まだまだ、まったく、しなやかにはなれていません。
 つい、「俺はこんなにやっているのに」という傲岸不遜な気分が生じます。昨日もそうだった。

 2月になったら、介護のことを考える会に参加し、学ぶつもりです。

愛する事の難しさ

親が子供を愛し、子供が親を愛することは、人間としての基本だと思います。
でもこれがとかく自分本位、自分勝手な愛になってしまいがちです。そうなるといろいろ葛藤が起こることになります。
愛するためにはまず相手を本当に理解する事が大切だと思います。
今も愛することの難しさに悩んでいる私です。

徒然なるままに

あけましておめでとうございます。

昨年、30年前の精神病院での体験の折に書いた「お決まりの盆正月の帰省」から、昨日、帰宅しました。
時折、雪の舞う山口にいると、山陰・松江の米本さんの生活が想像できました。

帰省すると、拉致監禁問題よりも、介護問題に意識の向く私には、投稿することはないだろうと思いながら、ブログを読んで、あらまぁ、…と、徒然なるまま、年始の投稿をします。

私も、米本さん同様、数か月に一度の帰省を続けていました。振り返ってみると、母の物忘れに気付いて以来、7年が経ちました。最初は、母に秘密で、母の診察券を持って病院に行くところから…
7年前、子どもが小さいなりにも、そろそろ仕事を…と思い、履歴書を書き、面接に行き、内定の電話が鳴る中で、同時に起きた出来事でした。結局、就職せず、生活を切り詰めて(当然献金も教会活動もほぼ停止状態、それを受け入れる自分との葛藤でした)、帰省を繰り返してきました。

夫を単身で残して帰ることも含めて悩みましたが、同居中の夫の両親に、息子家族(私達)がバラバラになるのを見せるのも忍びなく、子どもの心理面も考慮して、結局、頻繁な帰省を繰り返してきました。
米本さんの決断と比較しながら、改めて、家族構成や男女差についても考えるところ大ですが…、
夏休み、冬休み、春休み…と目いっぱい帰省し(子どもは田舎ライフを満喫)、地域包括センターを通してケアマネにつながるまでに3年を要し…、私の教会問題の根底の一端にある母の頑固さについても考えさせられました(苦笑)。

母が正気に戻ったら(実際はないけど)、自分の介護問題で、就業の機会を先延ばししている私をどう思うだろうかと思ったり、元はといえば無理をして教会に残って祝福を受けたから、結局、母を一人ぼっちにしてるじゃないかと自分を責めたり…、答えのない時間を過ごしてきました。
拉致監禁の時同様、単純に答えは出ないようです。
ですが、はっきりしていたのは、不本意な収容による恐怖を身を持って体験した私として、まだ考える力の残った母にそんな恐怖と絶望を味あわせたくないという気持ちでした。
自分の選択(就職せず、帰りもせず、中途半端に介護に翻弄されて過ごした時間)が、正しいと思っているわけではありませんが、正しくても正しくなくても、一つしかない母と私の関係の中で、主観的にそうするしかないと思ったので、やってみました。
昨年、ヘルパーさんが介入しても食事を維持できなくなったので、実家から徒歩5分の所で、3~5人が入居する古民家利用の老人ホームに異動してもらいました。4年間で徐々に軌道に乗せたデイサービスはそのままなので、そこでの生活もなんとか軌道に乗りました。家の記憶がある間は、出来るだけ帰省して自宅に迎えてあげたいと思ってはいますが、同時に、私の生活も立て直す時期だと考えているところです。

結局のところ、私はずっと母が好きなのです。教会のことを反対された時、とても辛く感じたのは、母に分かってほしかったから、つまりは好きだったからだと思います。
元旦から、かつて母が愛した庭の枯草を片付けながら、家が廃墟になることを頭の片隅に置きながらも、執着も放棄もしないよう意識しながら、もうひと頑張り、母の人生の側面的援助を続けたいと思っています。

親の愛とは何か(上)

Oh-chanさんの投稿を読んで、あらためて「人それぞれの介護だなあ」と思いました。

「親の介護をしたいのだけど、どうにもできる状況にはない」と、苦しい事情が綴られた個人メールを受け取ったこともあります。

 国の発展が歪になっているだけに(都市化、都市と地方の格差、地域社会の崩壊、少子化などなど)、個人の力とか思いとかで、親の介護することはできない。これだけははっきりしています。

 それにしても、拉致監禁されて、それどころか精神病院に強制入院された体験がありながら、親のこと、親の介護のことを考える。
 優しさを感じることはできても、私には信じられないことです。

 このコメント欄の冒頭部分で、ハンドルネーム「信者」さんが、親のことを思うと恋しくも、同時にフラッシュバックを起こし、体が痛くなり動けなくなると、正直な気持ちを吐露されています。

 しかし、私には「親のことを思うと恋しく」という気持ちは理解できても、納得することはできません。

 繰り返しますが、 Oh-chanさんにしても、信者さんにしても、偉いとは思う。だけど、気持ちは理屈では理解できるけど、納得できません。

 監禁体験者には親子の関係を修復せよと言いますが、深く考えてみれば、通り一遍の言葉でしかありませんでしたね。対立を煽るようなことはしたくありませんが、ホンネで書けば・・・。

 私が拉致監禁されたら、親が死ぬまで、許すようなことはしないでしょうね。きちんと総括した上で、謝罪しない限り。謝罪するまでに惚けようが、そんなことには同情などしません。自分という存在が完全に否定されたわけですから。

 ちなみに、帰郷したのは、親から自分という存在が全否定された体験がなかったからです。
 もうひとつちなみに、拙著に登場してもらった宿谷さんの親は、きちんと総括した上で、娘に謝罪されました。

 最近、個人メールで「拉致監禁した親の気持ちを理解しない限り、拉致監禁はなくならない」と綴ってくる人(監禁体験者)もいます。

 これまた、私には到底、理解も納得もできないことです。
 拉致監禁がオウム信者や、子殺し(輸血拒否による)を正当化しているエホバの証人などなど、どこそこでも起きているのならともかく、どうして統一教会信者だけがやられるのか。
 そのことを考えようともしない甘っちょろいというかズレまくりの考え方だとしか思えません。

 なぜ、統一教会の親だけが拉致監禁に走るのか。いや、正確に言えば、なぜ統一教会のごくごく一部の親は拉致監禁に走るのか
 このことを深く考える必要があるのです。

 宇佐美さんのご両親は、「統一教会には反対だけど、息子が信じた宗教なんだから、息子の考えは尊重したい」と語っていました。親として、深く共感する言葉でした。

 公判のたびに、宮崎から東京地裁まで足を運ばれていた姿を思い出します。

親の愛とは何か(中)

 かぼちゃさんは<親孝行>で、こう綴られました。
>前に聴いて泣いた話があります。姨捨山に母親を負ぶって捨てに行った息子が、3日分のおにぎりだけおいて山をひとり降りようとしてら、母親が「このおにぎりは、お前が持っていけ、帰る道々食っていけ。」とおにぎりを渡したと言う話です。たぶん親の本質はそういうものだと思います。

 はたしてそうでしょうか。半分はあたっているけど(「親思う心にまさる親心)、半分は違います。

「エホバの証人」の親は、子どもが立派な2世にならないと、その子どもを愛さなくなります(条件付きの愛)。
 これを私は批判するけど、親のもうひとつの本質だと思っています。思い通りの子どもに育てたいという・・・。

 その典型が児童虐待です。食事の食べ方が遅いといっては殴る・蹴る。その子の食べ方が遅いのは、親から見たら、なのです。

 韓国映画『母なる証明』を見ました。まさに、世論とか体制とか社会的規範といったことは通り越して「絶対なる母の愛」を感じる取ることができました。

 親が統一教会に反対し、拉致監禁まで行うのは、子どもの幸せを願うからだ。そうした気持ちが根底にあるからかもしれません。

 しかし、私は懐疑的です。
 もし真にそうした気持ちがあるのなら、統一教会のことを徹底的に調べるはずです。
 統一教会を批判する文献・記事を読み、それが事実かどうか教団本部の幹部にヒアリング調査を行います。何度でも。子どもの幸せを考えるのなら、当然の行為です。

 強制説得を行っている人にも話を聞きにいきます。そして、宮村言説が正しいかどうか確かめます。

 子どもを愛しているのなら、子どもの幸せを願うのなら、統一教会がどんなところか徹底的に調べるはずです。

 ところが、そうしたことをやった親は、見聞した限りではゼロなのです。

親の愛とは何か(下)

 拉致監禁に走るような親は、子どもから(あるいは他から)統一教会に入信していることを知らされ、パニックになり(血の気が引く)、どんな団体か調べもせずに、はなから脱会させなければと思い込み、脱会説得者の門を叩くのです。

 そうして、そこで初めて、92年の合同結婚式騒動のデフォルメ・ワイドショー番組を見せられ、「こりゃ、大変だ」となるわけです。

(本気で調べようとすれば、過去の録画など、すぐに入手できるのに・・・。)

 その結果、脱会説得の先生を盲信し、つまり依存し(親の生き方の丸投げ)、先生の言う通りになるのです。
「子どもを取るか、仕事を取るか。子どもを救うか、財産を大切にするのか」

 こうした“カルト”的な言説を突きつけられ、せっせと脱会計画書を作成する。
 当日は何人を手配するか。ワゴン車はどこで調達するか・・・。

 こんなのが「親の愛」と言えるのでしょうか。

 親の気持ちを理解できない限り、拉致監禁はなくならない。

 俗耳に入りやすい言葉です。

 どうして一部の拉致監禁体験者の間で、こうした考え方が共感を呼ぶのか。不思議でなりません。

 よくよく考えると、こういうことではないかと思うのです。

 監禁から脱出して、統一教会に戻った。それから信仰活動を続けた。

 ところが、どうも統一教会には疑問を感じる。アベルの言うことも陳腐だ。「真の家庭」を目指して、家庭生活も頑張ってきたけど、うまくいかない。

 こんな思いに囚われたとき、
<ああ、親はこんな状態になることを見通して、俺を(私を)拉致監禁したのだなあ。あのときの親の心情を理解しない限り、拉致監禁のことを理解することはできない。理解なくして拉致監禁をなくすことはできない>

 まさにトンマ、ズレまくりもいいとこなのです。

 辛いことがあったら、母ちゃんのところに帰りたいという、幼児の心理と同じなのです。

<あんとき、父ちゃん母ちゃんは心配してくれて、あんな行動を取ったんだ。それを理解してあげなきゃあ>

 こうした考えに至る人たちは、警視庁公安さんと同じように、「劣化」しているとしか言いようがありません。

 統一教会に問題があると感じるのなら、アベルに堂々と論戦を挑めばいいことなのです。
 日曜礼拝の場で、挙手をして、壇上の前に立ち、堂々と、インチキ牧会者である宋総会長を批判をやればいいのです。

 宋はいつまで高額エンドレス献金をやらせるのか。いい加減にせよ。
<うちは子どもを大学にやらせる金もない>
 こんなのが幸せなのか、と。

 徳野氏がどんな気持ちで語ったのかは知らないけど(おそらくマスコミ対策だろうけど)、
「国民から信頼されるような宗教団体を目指す」
 この燐とした言葉を、統一教会諸君は、どう受け止めたのか。

 私が統一教会員なら、マスコミ対策の言説だろうが、そんなことははなから捨象して、会長の言葉を御旗に、有象無象のバカに異議申し立てをして、「国民から信頼されるような団体」になるために、前に突き進むと思います。

おっしゃる通り

米本さんのおっしゃる通り、最近、自分の子供を監禁する親はどうかしています。

自分の子供がどんな教会に通っているのか確認もせず、監禁を決行するのですから。
私には理解ができません。
最近青年にも会う機会が多くなりましたが、反対している親御さんのなかには、子供が教会の人に会ってほしいといっても、統一教会は、恐ろしいところだからいきたくないという親御さんもいると聞いて、目が﹅になりました。

その恐ろしいところから、我が子を救い出すために、果敢に教会に乗り込んでいくような威勢のいい親御さんはいないもんですかね~

それか、人ばかり当てにしないで、自分の子供が通っているところをしっかり自分の目で確認しなきゃだめですよっていってくれる牧師さんとか~

因みにうちの親は最初は人などあてにせず、ちゃんと乗り込んできましたよ。

当時はそんな親がうっとうしかったけれども、今の監禁する親御さんに比べたら、まともだって思うようになりました。

まあ、結局、最後は私を監禁はしましたけどね。

それと、うちの親は何回も教会に乗り込んできましたが、教会を怖がったことはなかったです。

自分自身でキチンと確認しないことを、勝手に信じるのを妄想というのでないでしょうか~?


親の愛も是々非々

<ああ、親はこんな状態になることを見通して、俺を(私を)拉致監禁したのだなあ。あのときの親の心情を理解しない限り、拉致監禁のことを理解することはできない>(米本さんのコメントより)

“悪く思いたくない”心理。なるべく“良く思うようにする”心理。
これは宗教で培われたものかどうか分かりませんが、この心理から、拉致監禁という極悪非道を行った親までも、擁護しようとするのだと思います。

私も、父親には散々ひどい目にあってきましたが、自分が親になってみて、親の苦労を身にしみて体験してみると、「まあ、父親には父親の事情があったんだな」と大目にみてあげよう、許そう、という気持ちが湧いてきます。

でも、よくよく話をしていくと、やはり、親のエゴが節々に出てきます。おかしい、と思うことがよくあります。

親に対しても、性悪説、是々非々で見る必要があると、つくづく思います。

つまり、子を思う愛情には感謝しても、拉致監禁という非道にはノーです。

この感覚がぼけたら、諸悪の根源である拉致監禁グループの思う壺。まんまと、その罠にはまってしまうだけです。宮村教の信者に等しいです。

私は、米本さんのおっしゃる「親の愛」の定義に賛成です。
親も人の子。たとえ親でも、その愛は不完全だ、という前提で対するべきだと思います。

補足:こういう事情も

「子どもにも問題行為があった」と自省するメールを受け取りました。仮にA子さんとしておきます。

 A子さんは入信した段階で、親に信仰告白しようとした。
 しかし、アベルは拉致監禁を恐れて、隠し通すように指示した。(A子さんが所属していた教会は、当時、拉致監禁のお狩場状態だった)
 仕事をしながらの通教だったときはともかく、献身者になってから、嘘をつかざるを得なくなった。
 統一教会系の仕事をしていることも隠し、親から買ってもらった高価な楽器を売り飛ばしたことも内緒にし、住所(ホーム)も転々とした。

 一度、嘘をつくと、矛盾がないようにするために、何から何まで嘘をつくことになる。(嘘の連鎖
 それまでは、日常生活を含め何でも親に話していたが、会話は次第にギクシャクし、親子関係は悪化。親はA子さんに不信感を抱くようになった。

 A子さんは、末尾でこう綴っていました。
「拉致監禁は子どもの人格を否定する行為ですが、私も親のこと否定するような行動をしていたので、監禁されたとき、自分も親に対して悪いことをしてきたのでしょうがない、と思いました」

Re.親の愛とは何か(上)

米本さんが納得できるかどうか疑問ですが、拉致監禁の解決に尽力されている米本さんに、説明を試みる手間を惜しむべきではないと思い、投稿します。

私も、親が反対を始めた当時は、沢山のエゴと世間体に縛られていたことは、よくわかっています。
無事、地元の大学に入学直後で、期待あり見栄ありの中で起こった統一教会問題だったでしょうから。
それを無かったかのようにして、親を美化しようとは思いません。確かに、あの人たち(親)は私を育てて20年目にして、間違ったのだと思います。
私が手記を書いたのも、私の監禁が明らかに、そそのかされた親の間違いだと思っているからです。
結果的に私は教会をやめず、親は、私に求めていた期待も見栄も捨てざるを得ず、捨てましたが、その代わりに意固地になってしまいました。いずれにせよ、愚かなことです。

ただ、もし他人なら、親は期待や見栄ではなく、私という存在を捨てただろうと思います。
事実、後藤富五郎氏や落院長とは、それっきりです。きっと、脱会屋さんも牧師さんも神父さんも、そのように、たくさんの統一教会信者を強制説得しては、上手くいかなければ、縁を切って忘れたことだろうと思っています。忘れて、何も変わらない日々を過ごしてきたことでしょう。他人だからです。
しかし、母と私の関係には、「監禁した側と監禁された側」という事実が影を落としていることは確かですが、他人ではなかったために、監禁する前の20年があり、監禁後の今日までがあります。

米本さんが、
<0歳~18歳まで18年間、育ててくれた恩返しをすべきではないか。
 母は子育てのために何かを犠牲にしていたわけです。>
と自然に思えるのと同じように、私にも、監禁前の20年があるのだと思います。
拉致監禁という事実も消せませんが、その前の20年も私の心から消えてはいません。監禁されるとは思わずに過ごした私の20年が、米本さんの18年とは違うと言える人はいないと思います。

親が全面的に正しくて立派だったという気持ちに変わったわけではありません。拉致監禁を許せる行為だと考えているからでもありません。ただ、母と私の20年の思い出と、その後の確執関係が、人生の取捨選択において、監禁という事実を横たえながらも年老いた母にできるだけのことをしてあげたいという気持にさせるのを、どうすることができるでしょうか?なので、正しくても正しくなくても、やれることはやりたいと思うのです。

人が生きる上で、自分の置かれた立場によって、社会的に表現しにくいことが出てくる現実はあると思いますが…
強制脱会した人が、統一教会の全てを否定しなければならないと考えるのがナンセンスなように、拉致監禁されたからといって、それ以前の親子関係がその人の心に残っているなら、それまで否定するのもナンセンスではないでしょうか?時間の流れも大きく関係すると思いますが、人それぞれであっていいと思います。

一度、描かれた絵は、その上に違う絵が描かれたとしても、キャンパスにそのまま残っているのではないでしょうか?人の心も同じではないでしょうか?
「信者さん」が、親との断絶を苦しく感じられるのも、そういう心ゆえではないかと推察します。

米本さんの、おっしゃるように私の親を含め、愚かな親が多いと思います。しかし、世の中の多くの愚かな親の中で、統一教会員の親だけが拉致監禁にはしるのは、やはり親の認知に特殊な歪みが起こっているからです。その歪みを意図的に起こして、親の愚かさを手玉にとってビジネスや自分の教会の信者獲得の方法にしている人たちの巧妙な詐欺的実態が社会的に隠されているということと、親族間の拉致監禁も犯罪だということが一般的に認知されていないからだと思います。

親の愛とは言い難い

<「拉致監禁した親の気持ちを理解しない限り、拉致監禁はなくならない」>に賛同の者ですが、しかしそれはどこまでも親の気持ちであって、親の愛ではありません。
そしてもう一つ思うのは、被害者の子どもが加害者の親を理解することで、監禁がなくなるのではなく、加害者の親を理解した子どもが、他の場所で加害者になろうとする親を正気に戻らせる可能性はないだろうかと考えます。(その親がどれほど宮村氏などの改宗家を盲信しているかの度合いにもよるとは思います)
親が「子どもを監禁する」という犯罪を犯す一線を越えるにあたり、いくら反対派の毒気の強い情報に浸され続けたとしても、自分の良心がそれに耐えられなければそこに居続けることは難しいはずです。しかしそのまま「子どもの幸せ」、「子どもに対する愛情」という父兄会や改宗屋が当然のようにつぶやく言葉に同意する時点で、その親には親子や家族という言葉を持ち出す前に、自己の中に問題があると思います。
「子どもが統一教会に入った」ということが、自分の自尊心をひどく傷つけたのかもしれないし、言うに言えない寂しさに襲われたのかもしれないし、自分の未来を壊されたのかもしれません。どれもこれも「自分のための子ども」であったと言わざるを得ません。
もちろん、そういう心の歪みを美化した言葉で包み込みながら、「監禁」という犯罪を正当化させ、実行させる改宗屋たちは犯罪者の何ものでもないと感じます。そしてそれでお金まで稼いでいるのならある意味詐欺ではないでしょうか。(不安と恐怖をあおっています)

監禁事件から何年もすぎ、もう監禁される心配が100%なくなっても、心の傷と信頼関係の崩壊は変わりません。こんな時に、“信者”さんの心の叫びがあるのだと思います。
もう監禁は何らかの理由で(親の病気かもしれないし、親戚の離反かも知れないし、裁判かもしれません)ないとわかっていても、親子の断絶が続いている生活はきついものです。それだけでも情緒不安定の原因になります。
そういう時、親から歩み寄れればいいでしょうが、教会に戻っている子どもにどうやって歩み寄るのでしょうか。子どもが親孝行一つしたくても、親がそれを受け入れたら「監禁」までした自分を否定することだし、まだ親のエゴが続いているならば、子どもが変わらない限り自分は変わらないと思うのではないでしょうか。
その時に、もし子どもがこの親のエゴまで気づき、感情とは関係なく、ただそうだと気づいたときに、親を一人の人間として見るようになると思います。私の場合は、それは親が不治の病で自由に動くことができなくなった弱者になった時、突然来ました。
 自分の親に見えるものや感じるものは、そのまま監禁をしようとする、もしくはしてしまった親にも同じように感じます。要するに自分の弱さに付け込まれて、監禁までしてしまう親の姿です。
そう考えれば、親も改宗屋のいい金づるだった(被害者)という言葉に至極納得します。

 
<「拉致監禁は子どもの人格を否定する行為ですが、私も親のこと否定するような行動をしていたので、監禁されたとき、自分も親に対して悪いことをしてきたのでしょうがない、と思いました」>
日常での親子の葛藤と非日常の「監禁」とは全く別の次元の問題です。混同してはいけないと思います。ただこの方の名誉のために私の思うところを述べさせてもらうと、まず、改宗屋たちが父兄会でどんな教育をしているのかを想像したことがないのだと思います。
監禁されたマンションの中で、「お前が嘘ばかりつくようになって、おかしくなったから、こういう静かな話し合いのできるところに来ざるを得なかったんだ」という言葉をそのまま鵜呑みにしているのだと思います。反対派は監禁を正当化させる方便が必要なので、そのためにいろいろなことをあげつらってきますが、それを教育を受けた親の姿だとは思わず、独自に親がそう思ったのだと錯覚したのではないでしょうか。A子さんは改宗屋がお金をもらっているなんてことは、夢にも思っていないのではないでしょうか。

親の愛 ブログコメントを読んで

コメント欄の'親の愛'の話、興味深くも複雑な思いで読みました。

多かれ少なかれ、統一教会の信仰というより、初期段階では’原理を学んでいること’を隠します。

でも、それはたとえば、

親の意図しない異性との付き合い、進路、職業の選択等の時、自分の決心がつくまでにつくような嘘とどう違うのだろうか。

人生を左右する大きな事柄であるのには、変わりないように思えます。

自分がこの信仰を持とうと思った時に話したら
”嘘つき”扱いはつらいです。

’親の愛’を楯に、

自力であるいは自らの意思で出ることのできない監禁場所で
’説明をするのは義務である’と責め立てられても
’愛’なのだからと受け入れることを当然とされる。

それで、本当に’愛’を感じるのか、感じなければならないのか。

心配する(した)気持ちはわからなくはないけれど、’親の愛’が免罪符
なのだろうか。


「この状態は良いことだとは思わないけど、他に方法がない。」と言いながら話す、
K,Y両牧師や元信者たちを思い出しました、、、、。


そんなことを考えていたら、最近実家がなくなった(正確には引越した)のがわかりました。

子供たちが、電話したいということでかけたところ、移転していました。
おそらくは、30年近くやった会社をたたんで母の弟たちのいるA市に移ったのだと思います。
住所が変わったという知らせはありません。
実家には母だけが住んでいました。

僕の弟が道内にいるのでなんとかなるだろうと思いつつ、
父にも弟にも監禁以来会っておらず、
居場所もそれこそ興信所でも使わなければ、特に弟の連絡先はわからないでしょう。
伝道すると思い込んでいますから

いまさら、どうもこうもできそうにありません。

きっと、私は親族の中にいないのに等しい存在になっているのんだろうなぁ。

祖父母が亡くなった時も連絡はきませんでした。

監禁前までは、母方親族とは仲良かったんですけど、、、。

全くまとまりがありませんが、ブログを読みながら考えたことでした。

親の愛がテーマになるのは、とてもいいですね。拉致監禁の問題解決の本質的な問題だと思うからです。私は、「神は人類の親だ」と言う言葉に、人類の悲劇を救う可能性を見出すとともに、孤児のように、迷い子のように生きてきた人間が、親なる神を見出すことができるのだろうかと言うのが、人生の最大のテーマです。神に会いたい、自分を存在せしめた目的を、神の愛を実感したい。その一部でも、自分の親からも、自分自身からも発見したいと思うのが、親を恋しく思う心ではないかと思うのです。私も、19歳のとき親は果敢にも教会に乗り込んできました。昔の話です。そのときは組織的な拉致監禁のグループはありませんでした。教会は、20歳未満なので、親に私を返しました。私は、生涯教会にいけなくとも、神様は信じますと誓いました。3ヵ月後、母は私を逃がし、毎週教会にに様子を見に来てくれました。
 母は何を分かったわけではありません。たぶん私を不憫に思い、父の夢(いずれ、娘が結婚したら小さな家をそばに建てて一緒に暮らしたい。)を、あきらめたのだと思います。
 私も、子供に対する夢を捨てました。でも、変わりなく愛しています。その愛が、本物なのかどうかは分かりません。ただ、世の中で、本当の愛が、芥子粒でも見出せるとしたら、親と言う存在からかなと思うのです。最も自分を顧みない犠牲的なものがあると思うからです。
 たぶん人間は本当の愛を、探し続けると思います。拉致監禁は愛では絶対にありません。親のエゴ以外の何者でもありません。
 たとえ親でも、家族でも、人間として生きる信仰心情を踏みにじる権利はありません。アメリカでは、早々に拉致監禁がなくなったひとつの理由に、監禁された子供が、親を訴えたからだと聞きます。彼の言い分は「私は、今も親を愛しています。しかし、親と言えど、私の基本的人権を踏みにじることはできません。」と言い放ったと聞きます。日本では、早い時期に、一度親を訴えようとした人が、親を犯罪者にするのかという反対弁護士の説得に屈して取り下げたと聞きます。この人情が、今の今までの犠牲を増やしていると、私は思います。

Re・親の愛 ブログコメントを読んで

秀さんの、複雑な心境を、率直に語られたコメントから色々と考えました。
秀さんは「まとまりりません」とのことですが、その率直さの中に、拉致監禁後の親子関係に関する、実にたくさんの拉致監禁に付随した問題がちりばめられていると感じます。

秀さんのコメントから察する限り、今日の疎遠な親子関係を、秀さんが残念に感じているという事を感じ、それに関連して思う事を書きます。
もちろん秀さんの心境は、監禁から時間が経った今の心境でだと思いますが、少なくとも今、疎遠なままなのは、秀さんの本意ではないものと思われます。
それは、何を意味するのでしょうか?

私の考えでは、監禁後の親子関係の歪みは、監禁説得が失敗した場合、当座は被害者の側が監禁に対する怒りと再監禁の恐怖から距離をおくという面もあります。しかしそれらが鎮静化した後は、むしろ監禁した親や親族の側から被害者に対する偏見(その多くは脱会専門家から吹聴された情報)で距離を置くのではないかと思います。
つまり、被害者は、究極の「させられ体験」である拉致監禁の後も、教会のために親・親族を捨てた人という役割を押し付けられるという「させられ体験」が継続しているのではないかと思うのです。

かつて監禁前、何度も「洗脳されて親を親とも思わなくなる」と責められた時に、私は、不意打ちをされたような理不尽を感じました。心の中で、<勝手に私を親不孝者に仕立てるなんて、ひどい>と思いながら…。
反対が始まってから、精神病院での監禁中も、その後の確執の期間も、…ずっと、そのような私への一方的な評価に基づいた対応を理不尽だと思ってきました。
表面的には精神病院への拉致監禁という事実に対する抗議でしたが、私の内面ではそれ以前に、私の将来を私の知らないところで一方的に「親を捨てたあげく廃人になって変死する」と歪んだ評価想定をして、私の周囲を覆い尽くした一連の環境(それを醸造した反対活動家達)に対する抗議でした。
私にとっては、拉致監禁は手痛いことには違いなかったけれど、それ以前に、「意図的に貶められた役割を押し付けられている」という「させられ体験」自体が受け入れ難いものでした。

拉致監禁による心の傷を抱えた人がいることは深刻であり、そこにおいては親の謝罪が重要との考えに異を唱えるということではありません。対等な人間としてはそれが筋でしょうし、それが可能なら、どんなにいいでしょう。
しかし、実際はそれ以前の段階の問題として、拉致監禁という相克を越えて和解を試みよう(試みたい)としている教会員が、「親泣かせの教会にいるから未だに疎遠だ」という評価を受けながら、実は」親不孝な役割を親族や社会から「させられて」いるのだとしたら、どうなのでしょう?

私が親子関係にこだわって投稿をする理由は、拉致監禁という究極の「させられ体験」をした被害者が、その後も実は不本意なのに「親族・社会から逸脱した役割」を「させられて」いると感じることがあるからかもしれません。

秀さんが、まとまらないと言いながら率直に書いてくださったので、私も、私の中で、まだまとまっていない気持ちを書きました。

『婦人公論』(8/22日号)

 私事です。
 今日から発売の『婦人公論』(8/22日号)に、「Uターン介護」をテーマにした記事が載っています。3人が記者のインタビューに応えていますが、私もその一人です。
 
 涼を兼ねて、書店で立ち読みしていただけたら・・・。32~35頁です。

 インタビューを受けたときより、母の症状は悪化し、頸椎の神経が原因していると思いますが、首と手が回りにくくなっており、昨日からブラウスを自分で着ることができなくなりました。病院でリハビリが可能か診察を受ける予定ですが、ややショック。

 それにしても、老人介護は勉強になります。

その1・老母の言動によって感情が動く。それよって、<嗚呼、自分はこういったことで、こんな感情が生まれるのか>と、自分のことを知ることができる。

その2・老いていく様を連続的かつ日常的に体験するから、老いを主体的に受け取ることができる。<嗚呼、俺もこんな具合に老いていくのだなあ>

自分とは

「老母の言動によって感情が動く。それよって、<嗚呼、自分はこういったことで、こんな感情が生まれるのか>と、自分のことを知ることができる」

私も昨日まで、一人暮らしの義母のところに、家族で帰省(帰郷)してきました。

農業の手伝いもしましたが、3日間で計9時間くらいでしょうか、義母のおいたちなどをえんえんと聞いてあげました。

義理の関係だからでしょうか、感情はそんなには動きませんでしたが、あまりにも込み入った複雑、ドロドロな話が多く、我々子孫が背負っているものの重さを痛感しました。

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