家族の再生  

一筆一論(2)

家族の再生-門田家の場合

我らの不快な隣人』第14章「韓国に渡った花嫁たち」で登場してもらった門田由紀江さんの、その後のことを書いておく。(門田さんは監禁事例にある05年のS・Y子さん。脱会説得者は日本基督教団の岩崎隆牧師)

05年12月に監禁部屋から脱出した門田由紀江さんは、そのまま家族と会うことなく渡韓し、合同結婚式で決まった韓国人男性(小学校教員、I君)のもとに嫁いだ。

私は、親子の早期再会がなければ、お互いの感情は固定し、永久の別れとなってしまうと危惧し、何とか仲を取り持とうと、メールや電話で双方と何度かやりとりをした。

母親からは拉致監禁を悔いる手紙をもらった。
由紀江さんは、統一教会に入信したにもかかわらず信者ではないと嘘をついたことを、親に詫びた。

 途中の経緯は『我らの不快な隣人』で簡単に触れているので省略する。
14章の最後は、母親と姉がテグ市に住む由紀江さんとI君、そして2人の間に生まれた赤ちゃん、それにI君の母親が住むマンションにやってきたことを、由紀江さんからメールで知らされた場面で終わっている。

おそらく、読者は「門田家はその後うまくいっているんだろうな」と思ったはず。しかし、家族の再会は一直線ではなかった。



 昨年の夏前に、由紀江さんから相談があった。
「この夏、主人と子ども、義母の4人で里帰りしようと思うけど、どう思うか」
 私は諸手をあげて賛成した。

 しかし、彼女の気持ちはすっきりしなかった。「再び監禁されるようなことがあったら」。そんな思いがどうしても過るからだ。

「赤ちゃんとお義母さんも一緒なのだから、監禁されることはないと思う」と説得したが、彼女の一抹の不安を消し去ることはできなかった。それは説得する私も同じであった。

 両親が、包丁牧師こと神戸真教会の高澤守牧師に相談していたら、再びの拉致監禁の可能性がゼロとは言えない。なにせ、わが高澤先生は子どもがいようが見境なく保護説得(拉致監禁)を指導するんだから。
(高澤さんを包丁牧師と呼ぶ理由は『我らの不快な隣人』197頁~を読んでください)

そもそも由紀江さんが監禁下で脱会説得を受けることになったのは、姉が「全国統一協会被害者家族の会」の相談会に参加し、日本基督教団所属の岩崎隆牧師を紹介されたからだ。

拉致監禁失敗後、両親が娘に謝罪し、私に「もう二度と監禁しない」と話す一方で、秘かに再び同会に相談していたとしたら・・・。包丁牧師を紹介された可能性がないとは言い切れないのだ。

監禁リストを読んでもらえばわかる通り、高澤先生は今でも狂信的といっていいほどに保護説得に熱心だ。しかも、彼の師匠は「ニュース(1)」で書いたように、後藤徹氏の12年間の監禁に関わった宮村峻氏である。

また、「全国統一協会被害者家族の会」のサイトを読めば、信者家族に紹介する牧師の基準(流行りの言葉でいえばガイドライン)が明記されていないことがわかる。「保護説得」反対の旗幟も鮮明にしていない。こういうわけで、私も一抹の不安を消し去るができなかったのだ。

 しかし、父親の「もう二度と拉致監禁なんかしませんよ」という電話口での声に偽りはないように思えた。由紀江さんを再度説得したが、結局、昨年の夏の帰国は実現しなかった。正直、落胆した。



 それから半年間、親子の間にどんなやりとりがあったかわからないが、今年の正月明けに由紀江さんからメールが入った。
「近く、親子三人で帰国しようと思っています」

由紀江さんたちとは実家の静岡に戻る前に東京駅で会った。
丸二年ぶりの対面だった。
全体にふくよかになり、気になっていた左目下のときおりの痙攣と唇のゆがみ、そして眉間に険が立ったような感じは全くなくなり、慈愛に満ちた母親の顔になっていた。

韓国で会ったときの大きなお腹の中の生命は、ヨチヨチ歩きもできる可愛らしい赤ちゃんに成長していた。
もし3年前に、彼女が監禁部屋から脱出することができていなかったら、この赤ちゃんは誕生していなかったかもしれない。そう思うと、運命の複雑さを感じてしまう。

 再びの監禁はないと確信していても、万が一ということもある。対策を話し合っているとき、由紀江さんの顔は以前と同じようにときおり歪んだ。
 
彼女が無事に実家を出るまで、私は枕元に携帯電話を置いて寝た。
数日後、「何事もなく、楽しく家族と団欒ができました」という電話をもらったとき、緊張は一気に弛緩し、ヘトヘトになった。

幸せな気分に包まれたのは、彼女がテグ市に戻ってから届いたメールである。それを原文ママで貼り付けておく。幸せのおすそ分けである。
私への謝辞は話半分に、という以外に解説は加えない。家族団欒の場面と、酔っぱらったニコニコ顔の夫、父親と夫の言葉を通訳する由紀江さんの輝いた表情。それを想像しながら、読んでもらえばうれしい。

米本さん、韓国に無事帰って来ましたとお知らせするのが大変遅くなって申し訳ありませんでした・・・。

1/17に任川空港に到着し、そのまま清平修練苑に向かって行事に参加して、翌日18日に無事家に帰ってきました・・・。

本当に今回はとても家族親族の方々に祝福していただき、8日間の内で4日もホテルに泊まらせて頂き、また色んな所へも行くことがましたので、夫と共に新婚旅行のような気分で過ごすことが出来ました・・・。

実家では父と夫は囲碁をして過ごし、「Iさんはなかなか腕が良いなぁ!」と父も感心して、二人でお酒もたくさん飲みながら色んな話をして本当に楽しく時を過ごすことが出来ました・・・。

夫も「本当にお父さんとこの様に出来ることが夢でした。今本当に幸せです!」と酔っぱらっていましたが何度もそう言っていました。父が日本と韓国はお互いに憎んで来た歴史があるけれど、私達はこれから良い関係を築いていけるように頑張りましょうと言っていました・・・。

姉達も私達に贈り物を準備してくれて祝福してくださいました。夜遅くまで色々と話し、久しぶりにこの様に家族と共に過ごすことが出来て本当に嬉しかったです。

後半東京に行った時に次姉の家を訪問し、お台場で夕食を共にしました・・。

次姉の末の娘がうちの娘とよくみてくれて、とっても嬉しそうに遊んでいる姿を見て、本当にこの様に時々親族との関係を持たなければいけないなぁ?と改めて思いました・・・。

今回米本さんの大きなはからいの下で念願の訪日が実現することがでしました。
本当になんとお礼を言って良いかわからない状態ですが、本当にありがとうございました・・・。
報告まで・・・。



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コメント

もう監禁なんかしない Ⅰ

95年36万双の合同祝福結婚式で妻と出会った。韓国から帰国後まもなく妻は実家から拉致され、当時清水牧師の縄張りであった群馬県太田市のマンションに監禁された。この時次女も監禁され離教していた。妻は施錠された窓をこじ開け、二階のベランダから、裸足で飛び降り脱出、まさかの為に隠し持っていたお金で、タクシーに乗り待ち伏せを恐れ、隣町の駅まで行き電車に乗った。私は東京都内JR浜松町駅で妻を保護。互いに名前を叫び抱き合う二人に駅改札はドラマの撮影かと野次馬が足を止めた。(若かったなぁ)私達は入籍し新しくアパートを借りて暮らし始めた。私のアパートは残して置き住所はそこを義父母に教えた。妻に携帯電話を買ってやり、電話番号も義父母に教えた。しかし、一通の手紙も一本の手紙も義父母からよこす事はなかった。あんなに『話し合い』を求めていたのに。それでも妻は手紙を書き、電話をした。返事はいつも『もう監禁なんかしないから』であった。これは黒鳥牧師の策略だった。次女が離教したのも知らず、私達は次女に会い始めた。二回、三回と会いこのまま義父母にも会えたらいいなと思い始めた97年1月10日夜、ファミレスで次女の誕生日を祝い会食した。その帰り際を襲われた。

もう監禁なんかしない Ⅱ

私は大男二人に押さえ付けられ身動きが取れない。目の前を妻が拉致され車に押し込まれて連れ去られた。裏切られたと思った。次女は囮だった。『もう監禁なんかしないから』も嘘だった。私は大男二人に『誘拐じゃないか!』と抗議した。妻の叔父は『親子の問題だ』と自分言い聞かせるように言った。私は店内に行き店員に警察を呼んでもらった。すぐにパトカーが来た。車内で事情を聴かれ、『君、血が出てるじゃないか。奥さんの件では動けないが、診断書取って明日刑事課まで来て』との事だったので、全治一週間(傷害罪)の診断書を持って刑事課へ行くと強行犯係に回された。刑事は逮捕監禁容疑では動けないが、傷害罪で星を追えば奥さんは救出できるとの見通しを話した。すぐに捜査が始まった。新聞屋によると一ヶ月前から新聞を止めている、かなり計画的な犯行だと熟練のデカは瞳を光らせた。黒鳥栄という女が事件に関与しているかもしれないという情報が飛びこんで来た。刑事達が戸塚教会へ向かう。これにびびった黒鳥牧師は、清水牧師にまる投げする。妻は三回も監禁場所を変えられた。なかなか、妻を発見できない警察も次第に焦り始めた。監禁屋も警察以上にプロだ。自分の身は自分で守ろう。

信頼

家族なのにどうして普通に会えないのか・・・。
あたりまえのことがこの拉致監禁によって崩されていく。

由紀江さんどれほど心が温まった事でしょう。

普通になる事が大変な作業になるなんて・・・。

悲しくなりますね。でも事実ですから。

大和櫻さん
警察に追われても悪い事してなければ
堂々としていたらいいのに警察に追われれば場所を変える。
ひどすぎますね。

もう監禁なんかしない Ⅲ

警察の執念の捜査が続いた。一度、次女が横浜駅のATMでお金を下ろしたのが確認されただけで、妻の行方は不明なままだった。しかし、警察の捜査が身近に迫り相当焦ったらしく、清水牧師から脱会したと、妻が黒鳥牧師のところに回されて来ると『偽装じゃないわよね?私偽装されるの嫌なの』といい、早々に解放を許可する。嫌なのと言われても困る。私達にも生活があるのだ。両牧師及び義父母らを刑事・民事告訴した。三度の監禁に脅えながらの長い生活が始まった。裁判所では弁護士さんたちがボディーガードしてくれた。一度被告人達と裁判所外で遭遇した。妻に駆け寄る次女を弁護士が制止した。すると『なんだテメーセクハラだろが!絶対に勝ってやる!』とヒステリーを起こした。いま、彼女が一番不幸な人生を歩んでいる。勇ましさだけで、背負った重みを紛らわすかのように…。監禁されて離教すると予後が良くない。精神疾患を発症したり、社会復帰できなかったり、人生を誤ったり、悲惨だ。監禁しなくても、話し合いはできる。脱会屋が監禁を勧めるのは、『営業』だ。騙されてはいけない。本物の家族ならば、脱会業者など入れなくとも、問題解決できるはずだ。ぜひ家族自らの手で解決して欲しい。

YURIさんへ

こんにちは。おっしゃる通りです。正しい事してるなら、刑事が来た時に、いまどこそこで親子で話し合いしてますって言えばいいのに、言わないっていうのは、やっぱり悪い事してる自覚があるんです。清水牧師が監禁中に正しい事してるなら顔上げてみろと妻に言ったそうですが、法廷でのヤツにそのまま返してやりたかったです。嘘ばっかりついてね。なにしろあれだけ保護が必要だ!と親御さんにひたすら教育しておきながら、法廷では全面否定しますからねコイツラ。ま、尋常な精神じゃないです。親子の信頼を損ねているのは紛れもなく反牧・脱会業者・反牧派弁護士達です。このブログは火の粉払いのメディアなので、本丸のなくす会がこれからもっと盛り上がって欲しいですね。

考えさせられます

親子の間を無常にも切り裂く脱会屋・・・
被害者はその後精神をすり減らし、悲惨な人生を送っていくというのに・・・
脱会屋の人はその現状に気づいているはずなのに、良心の呵責といったものがないのでしょうか?
彼らを突き動かしているものはなんなのでしょうか?
歪に曲がった信仰なのか?そのとも金に目がくらんだ故なのか?
米本さん、またはブログをご覧の皆さん、分かることだけでも教えていただけませんか?このまま見過ごすわけには行きません。

HINOTORI さんへ

 ブログの閲覧と投稿ありがとうございました。
「彼らを突き動かしているものはなんなのでしょうか?」
 取材を始めてから今日まで、私も同じような疑問を抱いてきました。
 いずれ「一筆一論」で書く予定です。

 今後とも気軽に投稿のほど、よろしくお願いいたします。

いい話

いい話だわーー。v-162
感動しました。

よかったですね

やっぱり、家族の絆は重要だし、
それ以上に幸せですね。

そこにたどり着くまでのご苦労の程
は、通りすがりのものには、おそら
くほとんど理解できていないでしょ
うが、本当に、よかったですね。

感動しました。
ありがとうございました。

東京人さんへ

 投稿ありがとうございました。せっかくアクセスされたのですから、すべて読んでいただけたら、管理者としては幸甚の喜びというものです。でひ、このブログを友人・知人・ご家族に紹介してください。
 これからもよろしくお願いいたします。

一筆一論(2)

家族の再生?門田家の場合

『我らの不快な隣人』第14章「韓国に渡った花嫁たち」で登場してもらった門田由紀江さんの、その後のことを書いておく。(門田さんは監禁事例にある05年のS・Y子さん。脱会説得者は日本基督教団の岩崎隆牧師)

05年12月に監禁部屋から脱出した門田由紀江さんは、そのまま家族と会うことなく渡韓し、合同結婚式で決まった韓国人男性(小学校教員、I君)のもとに嫁いだ。

私は、親子の早期再会がなければ、お互いの感情は固定し、永久の別れとなってしまうと危惧し、何とか仲を取り持とうと、メールや電話で双方と何度かやりとりをした。

母親からは拉致監禁を悔いる手紙をもらった。
由紀江さんは、統一教会に入信したにもかかわらず信者ではないと嘘をついたことを、親に詫びた。

 途中の経緯は『我らの不快な隣人』で簡単に触れているので省略する。
14章の最後は、母親と姉がテグ市に住む由紀江さんとI君、そして2人の間に生まれた赤ちゃん、それにI君の母親が住むマンションにやってきたことを、由紀江さんからメールで知らされた場面で終わっている。

おそらく、読者は「門田家はその後うまくいっているんだろうな」と思ったはず。しかし、家族の再会は一直線ではなかった。



 昨年の夏前に、由紀江さんから相談があった。
「この夏、主人と子ども、義母の4人で里帰りしようと思うけど、どう思うか」
 私は諸手をあげて賛成した。

 しかし、彼女の気持ちはすっきりしなかった。「再び監禁されるようなことがあったら」。そんな思いがどうしても過るからだ。

「赤ちゃんとお義母さんも一緒なのだから、監禁されることはないと思う」と説得したが、彼女の一抹の不安を消し去ることはできなかった。それは説得する私も同じであった。

 両親が、包丁牧師こと神戸真教会の高澤守牧師に相談していたら、再びの拉致監禁の可能性がゼロとは言えない。なにせ、わが高澤先生は子どもがいようが見境なく保護説得(拉致監禁)を指導するんだから。
(高澤さんを包丁牧師と呼ぶ理由は『我らの不快な隣人』197頁?を読んでください)

そもそも由紀江さんが監禁下で脱会説得を受けることになったのは、姉が「全国統一協会被害者家族の会」の相談会に参加し、日本基督教団所属の岩崎隆牧師を紹介されたからだ。

拉致監禁失敗後、両親が娘に謝罪し、私に「もう二度と監禁しない」と話す一方で、秘かに再び同会に相談していたとしたら・・・。包丁牧師を紹介された可能性がないとは言い切れないのだ。

監禁リストを読んでもらえばわかる通り、高澤先生は今でも狂信的といっていいほどに保護説得に熱心だ。しかも、彼の師匠は「ニュース(1)」で書いたように、後藤徹氏の12年間の監禁に関わった宮村峻氏である。

また、「全国統一協会被害者家族の会」のサイトを読めば、信者家族に紹介する牧師の基準(流行りの言葉でいえばガイドライン)が明記されていないことがわかる。「保護説得」反対の旗幟も鮮明にしていない。こういうわけで、私も一抹の不安を消し去るができなかったのだ。

 しかし、父親の「もう二度と拉致監禁なんかしませんよ」という電話口での声に偽りはないように思えた。由紀江さんを再度説得したが、結局、昨年の夏の帰国は実現しなかった。正直、落胆した。



 それから半年間、親子の間にどんなやりとりがあったかわからないが、今年の正月明けに由紀江さんからメールが入った。
「近く、親子三人で帰国しようと思っています」

由紀江さんたちとは実家の静岡に戻る前に東京駅で会った。
丸二年ぶりの対面だった。
全体にふくよかになり、気になっていた左目下のときおりの痙攣と唇のゆがみ、そして眉間に険が立ったような感じは全くなくなり、慈愛に満ちた母親の顔になっていた。

韓国で会ったときの大きなお腹の中の生命は、ヨチヨチ歩きもできる可愛らしい赤ちゃんに成長していた。
もし3年前に、彼女が監禁部屋から脱出することができていなかったら、この赤ちゃんは誕生していなかったかもしれない。そう思うと、運命の複雑さを感じてしまう。

 再びの監禁はないと確信していても、万が一ということもある。対策を話し合っているとき、由紀江さんの顔は以前と同じようにときおり歪んだ。
 
彼女が無事に実家を出るまで、私は枕元に携帯電話を置いて寝た。
数日後、「何事もなく、楽しく家族と団欒ができました」という電話をもらったとき、緊張は一気に弛緩し、ヘトヘトになった。

幸せな気分に包まれたのは、彼女がテグ市に戻ってから届いたメールである。それを原文ママで貼り付けておく。幸せのおすそ分けである。
私への謝辞は話半分に、という以外に解説は加えない。家族団欒の場面と、酔っぱらったニコニコ顔の夫、父親と夫の言葉を通訳する由紀江さんの輝いた表情。それを想像しながら、読んでもらえばうれしい。


米本さん、韓国に無事帰って来ましたとお知らせするのが大変遅くなって申し訳ありませんでした・・・。

1/17に任川空港に到着し、そのまま清平修練苑に向かって行事に参加して、翌日18日に無事家に帰ってきました・・・。

本当に今回はとても家族親族の方々に祝福していただき、8日間の内で4日もホテルに泊まらせて頂き、また色んな所へも行くことがましたので、夫と共に新婚旅行のような気分で過ごすことが出来ました・・・。

実家では父と夫は囲碁をして過ごし、「Iさんはなかなか腕が良いなぁ!」と父も感心して、二人でお酒もたくさん飲みながら色んな話をして本当に楽しく時を過ごすことが出来ました・・・。

夫も「本当にお父さんとこの様に出来ることが夢でした。今本当に幸せです!」と酔っぱらっていましたが何度もそう言っていました。父が日本と韓国はお互いに憎んで来た歴史があるけれど、私達はこれから良い関係を築いていけるように頑張りましょうと言っていました・・・。

姉達も私達に贈り物を準備してくれて祝福してくださいました。夜遅くまで色々と話し、久しぶりにこの様に家族と共に過ごすことが出来て本当に嬉しかったです。

後半東京に行った時に次姉の家を訪問し、お台場で夕食を共にしました・・。

次姉の末の娘がうちの娘とよくみてくれて、とっても嬉しそうに遊んでいる姿を見て、本当にこの様に時々親族との関係を持たなければいけないなぁ?と改めて思いました・・・。

今回米本さんの大きなはからいの下で念願の訪日が実現することがでしました。
本当になんとお礼を言って良いかわからない状態ですが、本当にありがとうございました・・・。
報告まで・・・。

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