辞書を平気で”改竄“する国会議員
有田議員を糺す(3)
御用ライターの根拠とは?
前述したように、私が「統一教会の御用ライター」であることの証明を、有田参議院議員は私の文章に一切言及することなく、仄聞情報に基づいたワイドショー的なネタで、事足れりと思っているようだ。
再度、有田氏のブログ米本和広さん代理人による「警告書」(笑)を公開するに目を通してもらいたい。一字一句、丁寧に。
書き出しは毅然としている。
<文書(*弁護士からの警告文のこと)は私が米本さんを統一教会を利するという意味で「御用ライター」だと評価することを「虚偽」だとする。冗談ではない。虚偽ではなく事実である。根拠をいくつか示そう>(注)
私が「統一教会の御用ライター」であることの根拠とは何か。
第1点目の全文である。(下線とゴチックは私)
平気で嘘をつく国会議員
愛美書店に拙著が平積みされている。
だから、私は御用ライターだというのだ。超短絡ウルトラ論理である。
これについては、愛美書店&光言社の小林浩社長が当時の体験とヒアリング調査さらに伝票をもとに、詳細に反駁している。
◆「民主党 有田芳生 参議院議員の呆れた情報リテラシー」
◆「高級文学の香りが漂う有田芳生参議院議員の名文に感動!」
◆「論理学の証明問題は苦手だった有田芳生参議院議員」
いずれも、からかいを交えた切れ味鋭い文章、表現を含めて実に面白い。記事に寄せられたコメントも興味深いものが多い。
根拠(1)が根拠にならないことについては、小林氏がほぼ言い尽くしているので、ぜひクリックして読んでもらいたい。
「民主党 有田芳生 参議院議員の呆れた情報リテラシー」を要約すれば、「平積みされている」事実はなく、「1年前に平積みにしていた時期もあった」というのが正しい。
この一文を読んだ有田氏は「警告書(笑)」で、赤字で加筆し、反論を加えた。これが傑作なのである。
(注)米本和広さんと依存関係にある統一教会系「光言社」の小林浩(信者)社長。ブログでつまらない詭弁を吐いている。米本さんも「爆笑」とうれしそうだが、まったく虚しいカラ笑いだ。
(略)
「愛美書店」に米本さんの著作が「いま」置かれていないことは、かつて置いてあったことを現認したように、原稿を書くとき書店に確認している。それを「平積みされている」と表現したから、「いまでも」あると書いたと批判する。
日本語の時制がまったく理解できていない。「いる」とは補助動詞で「ある動作、作用が行われない状態の継続を表わす」(『日本国語大辞典』)。最初は「置かれていなかった」ものがあるときに「置かれるようになった」経過を表現しているにすぎない。後段の「なった」に対応して読むべきで、「いま」置いてあるとはどこにも書いていない。
(略)
「愛美書店」が米本さんの著作を置いていたのは、統一教会の信者たちに肯定的に普及するためである。
*下線部分を読んで、意味を理解できた人は一人でもいるだろうか。小林氏が高級文学とからかっている「いる」問題は、あとでたっぷりと。
この反論に対して、小林氏は「高級文学の香りが漂う有田芳生参議院議員の名文に感動!」と「論理学の証明問題は苦手だった有田芳生参議院議員」 で、有田氏をたっぷりいたぶっている。
小林氏が営業部長に問い合わせたり過去の伝票を調べた結果、事実はこういうことだったという。著者としてはちょっと寂しいのだが。
営業部長が小林社長に「最近、お客様数人から、『我らの不快な隣人』を愛美書店で買えないのですか?と聞かれます。何冊か仕入れて置いても良いでしょうか?」と提案し、小林社長は承諾した。営業部長は日販で10冊ほど仕入れた。

たったこれだけのことなのに、有田氏はこんなデタラメを書いていた。再度、引用。
米本さんの『我らの不快な隣人』が平積みされている。発売当初は「配慮」(信者の証言)から置いていなかったが、キャンペーンが行われるようになってからは、大量に購入するようになった。
「愛美書店」が米本さんの著作を置いていたのは、統一教会の信者たちに肯定的に普及するためである。
2009年9月(上記の伝票)頃、営業部長の提案によって10冊ほど仕入れただけ-という小林氏の記事が正しければ、有田氏が書いている-拙著発売当初は「配慮」(信者の証言)から置いていなかったということも、大量に購入するようになったことも、信者に普及するために置いたということも、すべてデタラメだということだ。
知ったかコメンテーターの口から出まかせならまだしも、3400万円もの税金を歳費として受け取っている国会議員が嘘をつくのは、全くもってよろしくない。
第一条 議員は、職務に関して廉潔を保持し、いやしくも公正を疑わせるような行為をしてはならない。
これは参議院行為規範である。
さすがに当たり前すぎて、というか規範の条文としては品がないと判断したのか、「議員は嘘をついてはならない」とは書かれていないが、「いやしくも公正を疑わせるような行為」には品なき行為が含まれている。
有田氏の言動は、参議院議員としての規範から逸脱している。
本当にかつてはライターだったのか!
フリーランスにしろ、組織に所属するライターであれ、記者に要求されるのは裏付け取材と、厳密な言葉の使い方、それに最低限の論理力である。
先の「配慮」(信者の証言)というのも、本当に信者が証言したのか疑わしい。有田氏の創作だったのではないか。
「配慮」から当初置いていなかったと「知ったか風」に書くが、そもそもどんな配慮から拙著を置かなかったのか。それが書かれていない。また、信者に普及するために置いたという記述と矛盾する。
今は置いていないことは認めたが、信者に普及するためだったら、売れようが売れまいが、愛美書店には今でも置かれていなければならないはずだ。
わずか数行の文章なのに、矛盾だらけである。
小林氏に「有田氏は論理が苦手」とからかわれるのも、むべなるかなだ。
加筆冒頭部分で「米本和広さんと依存関係にある統一教会系「光言社」の小林浩(信者)社長」と書いているが、有田氏は「依存関係」の意味を一度でも考えたことがあるのだろうか。 表現が実にいい加減、ボキャブラリーが決定的に不足している。
以下は『広辞苑』からの引用である。
依存:他のものをたよりとして存在すること。〔親に依存した暮し〕
依存関係:ある物の存在ないし性質が他のものによって規定され、条件づけられる関係。
私の存在・性質は、光言社社長の小林氏によって規定されている!?
アジュマさんではないが、ヒェ~である。
もう少し平たく言えば、依存関係にある者同士なら、最低限、何度か会っているはず。
ところが、私が小林氏に会ったのはたった1度だけ。昨年(2010年)の11月頃のことだ。そのことは、「ペテン師の屁理屈」(ブログの旧名は「反カルトからの自由」)のコメント欄の中段あたりに詳述している。
有田芳生国会議員の手にかかれば、たった1度しか会っていないのに、愛美書店に拙著が置かれていたということをもってして、小林氏は私に依存し、私は小林氏に依存している-ということになってしまうのだ。
妄想国会議員と言われても、文句を言うことはできまい。
パブロフの犬と同じ脳味噌
そもそもの話である。『我らの不快な隣人』が統一教会系の愛美書店で販売されたからといって、またそこで10冊売れようが大量に売れようが、そのことをもってして私のことを「統一教会の御用ライター」(統一教会の保護を受け、統一教会に迎合・追随し、統一教会を擁護するライター)と言えるのだろうか。
拙著が紀伊國屋書店で売れようが、渋谷の愛美書店で売れようが、代々木の美和書店(共産党系)で売れようが、関係のないこと。そこから何かを論じることができる事柄なのか。
有田氏に質問。拙著がもっとも売れたのは紀伊国屋書店。このことから、何か論評して下され。
ひょっとすれば、妄想国会議員だから、「実はここだけの話だが、紀伊国屋書店には統一教会員に所属する書店員が多い。それで、米本さんの本の販売に力を注いだのだ。その結果、あまたある書店の中でも紀伊国屋書店が突出して売れたのだ」と言うかもしれない。そう言ってくれたら、最高! ♪天才・有ボン、バカボンボン♪ だ。
パブロフの犬はメトロノームの音を聞くと、涎を垂らしたという。
それと同じで、有田氏は統一・宮村・米本のことが頭に浮かぶと、脳に誤作動が生じ、過剰に反応する。
「パブロフの犬」扱いされたくなければ、他の事例を考えて比較検討するクセをつけたほうがいい。
例えば、私が「東京電力など大企業などが行なっている共産党員・社員への差別待遇の実態」をまとめた本を書いたとする。美和書店は平積みにするだろう。「新聞あかはた」は宣伝するだろうし、場合によっては党本部が企業党員に講読を進めるかもしれない。
このことをもってして、私のことを「共産党の御用ライター」という人は皆無であろう。
また、『ドジョウ物語』と題して野田総理大臣の評伝を書いたとする。民主党系書店というものがあったとすれば、そこには平積みにされるだろう。
だからといって、私のことを「民主党の御用ライター」という人はいない。
問題なのは、本の中身、記述なのだ。
有田氏は本そのものの内容については一切言及することなく(*おそらくいまだ読んでいないはず)、愛美書店に拙著が置かれている(いた)ことをもってして、条件反射の如く、レッテルを連発する。だから、ノボリーキさんが指摘したように、有田氏はパブロフの犬なのである。
涎なら洗えばいいが、私へのレッテルは「ライターとしての職業生命に対して致命的な打撃」(弁護士が送った有田氏への警告文)となるのだ。
有田氏が少々頭を使ったのは、次の一文だろう。
統一教会のいう「拉致・監禁」(実際には反社会的行為を繰り返す組織から子供たちを脱会させる家族の営為)
俗耳に入りやすいが、動機と行動様式とをゴッチャにし、かつ拉致監禁という行動様式についての評価を意識的に避けている。
反社会的行為を繰り返す組織から子供たちを脱会させる家族の営為。動機は純粋であっても、何をしても許されるということにはならない。
例えば介護殺人事件。「脳梗塞の重度の後遺症に苦しむ老母を楽にさせてやりたい」。この心情はピュアである。しかし、そうだからといって、母親の首を締めていいということにはならない。
児童虐待とて然りである。「子どもをまっとうにさせたかった」からといって、子どもに暴力を振るっていいことにはならない。 実際、少なからずの親が今は塀の中だ。
まして、拉致監禁説得の場合、家族が自分たちで考えた結果としての行動ではなく、脱会説得者(例えば宮村峻氏)が「子どもを脱会させるには保護説得(拉致監禁し、監禁下で説得)するしかない」と、信者の家族に教えた結果(教え込み)なのである。
【参考図書】『親は何を知るべきか』所収の<8章 親は何を知るべきか>。ここで、宮村氏は執拗に、家族は子どもに直接、統一教会に反対するようなことを言ってはならない。子どもの脱会は専門家に任せなければならないと述べている。
有田氏はこのことを意図的に触れていないのだ。姑息な議員である。
とにもかくにも、である。有田国会議員がかつて私と同業のフリーライターだったのか、厭味ではなく、ほんとうに信じられないのだ。
私の「いる」は何処にありや
さて、私が「警告書(笑)」を読んで、一番たまげたのは次の記述である。
「いる」とは補助動詞で「ある動作、作用が行われない状態の継続を表わす」(『日本国語大辞典』)。最初は「置かれていなかった」ものがあるときに「置かれるようになった」経過を表現しているにすぎない。後段の「なった」に対応して読むべきで、「いま」置いてあるとはどこにも書いていない。
さすが高級文学的香り漂う名文。平民には何を言っているのかさっぱりわからないのだが、ともかく、「平積みにされている」は「平積みにされていた」という意味だ、というのである。
小林氏もからかっているが、「高級文学の香りが漂う有田芳生参議院議員の名文に感動!」のコメント欄のアジュマさんの投稿文が面白い。長文だが全文を引用させていただく。多少、掛け合い漫才のようなところがあり、流れは直接、原文を読んでもらいたい。
その1・まあ、こんなところにkoyomi姉様が、ありゃまあYAMA姉様までも。
あたしたちの系列の社長様って素敵ねッ。だって、天下の美女姉様のお二人までも、ここに引き寄せちゃうんだからッ。憎らしくもうっとり。
それにしても、ウリ坊みたいな有ちゃんも素敵ね。だってだって、こうですよッ。
<日本語の時制がまったく理解できていない。「いる」とは補助動詞で「ある動作、作用が行われない状態の継続を表わす」(『日本国語大辞典』)。最初は「置かれていなかった」ものがあるときに「置かれるようになった」経過を表現しているにすぎない。後段の「なった」に対応して読むべきで、「いま」置いてあるとはどこにも書いていない>
アジュマはバカだから、すっごく驚いたのは文章じゃなくってえ、「日本国語大辞典」ネッ。
だってぇ、この大辞典、13巻よッ。ヒェ~。
koyomi姉様、YAMA姉様、この辞典の高さは朝鮮日報の古紙3カ月分の高さよッ。ヒェ~。
ウリ坊、母を訪ねて三千里、「いる」を探して三千里。涙・涙・涙の岸壁の母ネッ。
あのね、真面目に話すのだけど、「日本語大辞典」をソウルの国会図書館で閲覧するのは大変なのよォ。おそらく6時間待ちネ。
いま、ソウルは大停電、図書館なんか行けないワ。
もうォ、「いる」を調べるのに三千里。
だから、あたしたちの成和出版のイトコみたいな光言社の社長サン、カガクに行く前にもう少し、このままでねッ。
その2・まあ~、ポ~(赤面)。ノボリーキさんから褒めてもらって~、あなうれし。
アジュマはバカだから、一晩考えたのォ。
その結果・・結論を先に言うわネ。驚かないでねッ。
アジュマよりも、ウリ坊みたいな有ちゃんのほうがバカですぅ~。
ウリ坊の最初の原稿は、これネ。
<統一教会本部(渋谷区松濤)の前にある「愛美書店」では教会関連書籍が販売されている。そこには統一教会のいう「拉致・監禁」(実際には反社会的行為を繰り返す組織から子供たちを脱会させる家族の営為)を批判する米本さんの『我らの不快な隣人』が平積みされている。発売当初は「配慮」(信者の証言)から置いていなかったが、キャンペーンが行われるようになってからは、大量に購入するようになった>
「そこ(愛美書店)には~平積みされている」
バカなあたしでも、ソウル大卒のエリートさんでも、誰がどう読んでも、「今でも平積みされている」としか読めないですゥ。(続く)
その3・ウリ坊はムキになって反論する。例の高級文学的香りのする文章ネッ。
<「いる」とは補助動詞で「ある動作、作用が行われない状態の継続を表わす」(『日本国語大辞典』)。最初は「置かれていなかった」ものがあるときに「置かれるようになった」経過を表現しているにすぎない。後段の「なった」に対応して読むべきで、「いま」置いてあるとはどこにも書いていない>
この文のオカシサについては浩お兄様をはじめみんなが書いているので、端折って、あたしが一晩考えたところを述べるわネ。
そもそもよッ。日本国語大辞典でほんとうに「いる」が「ある動作、作用が行なわれない状態の継続を表わす」って、書いてあるのかしら。「行なわれている」の間違いでは?
そうでないと、そのあとに続く文・<(よって、)最初は「置かれていなかった」ものがあるときに「置かれるようになった」経過を表現しているにすぎない>が繋がらないんだもん。
朝鮮日報3カ月分の高さの「日本国語大辞典」はソウルの国会図書館に行かないと読むことができないので、取りあえず、日本からもってきた高校時代の「国語(小)辞典」を紹介するわネ。
用例:①アフリカにはライオンがいる。
②あの家には猛犬がいる。
有田用例:本が平積みされている。
確かに、有ちゃんが言う通り、この文には「今もいる(今も置いてある)」とは書かれてないけど、当然、継続を表わす補助動詞なんだから、「今もいる」ことが前提の前提。もし「今いない」のであれば、「かつて~~いた」というのが正しい日本語ネ。(続く)
その4・ もうちょっと勉強の成果をひけらかすと、
<最初は「置かれていなかった」ものがあるときに「置かれるようになった」経過を表現しているにすぎない>
をもとに、ウリ坊はこう講釈するのですぅ~。
「アフリカにはライオンがいる」
エッヘン♪
この「いる」なのだが、かってアフリカにはライオンや象はいなかった。それがあるときから「いるようになった」経過を表現しているのだ。
ヒェ~ ヒェ~。
(校長先生飛んできて、「いるは継続を表わす補助動詞なんだぁ!昔いたとかいなかったとは関係ないのだぁ~!」と喚きながら、有田講師を教壇から引きずりおろし、廊下に放り出しましたとさ)
続く
その5・アジュマはバカだから、バカな人たちの深層心理がよ~く分かるのッ。
あたしはバカを自覚しているから、分からないところがあると、じ~っと考えるの。
たとえば、中学校時代の苦い思い出ネ。
数学のテストで4問が出題されたのォ。1問目は徹夜勉強のおかげでスラスラ。ところが2問目は見たことがない問題。それでじ~っと考えたの。そしたら、チャイムが鳴って、回答用紙は没収。点数は25点。
そんなこんなが続き、高校は県内最低のところしか入れなかった(泣
だけどね、家に帰って、問題を解いてみたの。時間制限なしネ。そしたら、3日目の朝に残りの3問すべてが解けたのよ。回答と照らし合わせると、100点満点ネッ。
で、ウリ坊のような有ちゃんの場合、バカであることが自覚できていない、それどころか俺様は頭がいい~って、思い込んでるのよォ。
米オッパが裸にした自己愛の清水牧師もそうねッ。http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-207.html こういう人が少なくないのよね~。
だから、ムキになって反論する(笑
(続く)
その6・ところで、有ちゃんは「日本語(小)辞典」ではなく、わざわざ「日本語大辞典」をひっぱり出してくる。そこに、彼のコンプレックスを感じたの。
それで「有田芳生」のウィキペディアを読んだのよォ~。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E7%94%B0%E8%8A%B3%E7%94%9F
そしたら、大学は当時(今は違うよッ)バカにされていた立ちゃんよ。アジュマの最低校からも成績のいいお兄さんやお姉さんが合格していたワ。
浩お兄様は高専卒みたいだけど、高専に合格できる人なら、立ちゃんには左手で試験問題を解いても、楽勝ねッ。
そんなわけで、コンプレックスの裏返しで、日本語大辞典を持ち出してきたな、と思いましたとさ。
アジュマの自慢の一つは、バカだからバカを見る眼は確かってことネ。これだけは負けないからねッ。そしたら、うちの母さんが「そんなことが自慢になるかッ、試験問題が早く解けるように勉強しろ」だって。(おしまい)
辞書を“改竄”する国会議員
アジュマさんの投稿に刺激され、全13巻の『日本語大辞典』(小学館)を紐解いてみた。

やはり大辞典と銘打つだけあって、詳細である。
「居る」の字義を「動く物がある場所にとどまって存在する。また低い状態になる」としたうえで、①人や動物の場合として7つ、②植物や無生物の場合として6つの意味を示したうえで、③に「補助動詞として用いられる」として、以下のように説明している。
アジュマさんの勘は鋭かった。❸補助動詞として用いられる。(イ)(動詞の連用形、またそれに助詞「て」を添えた形に付いて)動作、作用、状態の継続、進行を表わす。(ロ)「(・・・ずにいる)「・・・んでいる」「・・・ないでいる」の形で)ある動作、作用が行なわれていない状態の継続を表わす。
有田氏はどう紹介していたか。
「いる」とは補助動詞で「ある動作、作用が行われない状態の継続を表わす」(『日本国語大辞典』
辞書の“改竄”、完全な“捏造”である。
念のため『広辞苑』-。
➒動詞の連用形、またはそれに助詞「て」の付いたものなどに接続して、動作の継続や、動作・事象の変化した状態が存続している意を表わす。
いるは継続の補助動詞ゆえに、「いる」を用いる場合、「~ている」か「~ないでいる」かのどちらかしかない。
つまり、「拙著が置かれている」か「置かれないでいる」かのどちらかである。
有田氏は、辞書を“改竄・捏造引用”したうえで、小林氏にチンプンカンプンな文章で反論したが、どの辞典を紐解いても、「愛美書店に置かれている」のいるは、状態の継続を表わし、「今も置かれている」ことしか意味しないのだ!
子どもはいちいち『日本語大辞典』や『広辞苑』を開きながら、「いる」の使い方を確認し、話すようなことはしない。
「お菓子が机の上に置かれている」
「まだお菓子が机の上に置かれないでいる」(古語的表現ゆえ、これはあまり使われないが)
国会図書館で沈思黙考
有田氏の手にかかれば、反拉致監禁諸兄を論破するためには(結局のところ、自分と宮村氏を守るためには)、小学館が心血注いだ『国語大辞典』を“改竄・引用”しても、屁の河童なのだ。
「彼の所為は、原発企業が安全を強調するためにデータを改竄する、あるいは患者から訴えられた医者がカルテ改竄するのと、何ら変わりがないのである」
と書こうとしたのだが、ちょっと待てよ--
そもそも有田氏の行為を改竄と表現していいかどうか。この記事のタイトルでも「改竄」という用語を使ったが、どうにもしっくりこないのだ。
有田氏は辞典そのものを改竄したわけではない。アジュマさんの「私のいるは何処にありや」に答えれば、正しい「いる」は全国各地にある。『日本語大辞典』は、ソウルと違って日本なら、たいがいの図書館に置いてある。
それゆえ、有田氏の一文に疑問を持ち、それを確認することぐらい、私がしたように有田ブログの読者なら誰だってできる。 すぐにバレてしまうことである。
その意味で、辞書を改竄したという表現はふさわしくない。「偽造」とか「捏造」とか、有田氏の所為にふさわしい言葉はないかと調べたが、これがないのである。
それほど、つまり日本語として表現できないほど、有田氏は有り得ないことをしたのである。
ならば、どうしてすぐにバレることを?という疑問がわく。
有田国会議員に釈明を聞くしかないが、私はこういうことではないかと想像する。
ヒントになったのは、彼が以前につぶやいていた「国会図書館で沈思黙考」という言葉である。
有田議員は、光言社&愛美書店の社長に反撃されて、自分に都合のいい「いる」の字義はないものかと考えあぐねた。
そこで、議員特権を生かし、国会図書館の職員に言いつけた。
「いるの意味を調べたいのだが、より包括的、精緻に書かれている辞書をもってきてくれ」
国会図書館に行かれた人なら誰もが体験したと思うが、さすが国会の図書館の職員と思われるほど、国民に対してぞんざい、よく言えば実務的、悪く言えば威張っている。
ところが、国会議員にはへいこらしている。
職員はうやうやしく、有田先生の前にどか~ん と、日本語大辞典の第2巻を置いた。
先生、緊張しながら、「私のいる」があるかどうか頁をめくった。
と、ところが、ない!のである。
有田先生は、はたと困った。
「俺のいるがないではないか!」
そこで、沈思黙考した。

by『酔醒漫録』
<わが民たち(有田氏のブログの読者)は、俺が書くブログを確かめるだろうか、それよりなにより、御用ライターは国会図書館までやってきて調べるのだろうか>
有田先生が大きなミスを犯したというか錯覚したのは、<全13巻もの『日本語大辞典』は国会図書館にしか所蔵されていないだろうな>と思い込んだことにある。
うちの仕事場から歩いて10分のさいたま市立南浦和図書館にだってあるというのに。マヌケでトンマな議員だこと。
思い込みの理由は、彼は私と同じで、学生時代に旗を振ったことしかなく(学生運動ばかりで勉強したことがないという意味)、大学図書館に足を運んだことがなかった。社会人になってからも、街の図書館にあまり通ったことがなかったからであろう。
だから、沈思黙考したうえで、誰も国会図書館に来てまで調べないだろうと、高を括り、「いる」とは補助動詞で「ある動作、作用が行われない状態の継続を表わす」(『日本国語大辞典』 とやってしまったのだろう。 トンマのウリ坊である。
この推測が正しいかたんなる穿ちすぎなのかはわからないが(ほかに穿ちようがない )、国政に関したことで、有田氏が同じようなことをやれば、問責決議、議員辞職勧告が提案されるだろう。(注)
長くなったのでこれで終わりにしたいが、冒頭に(注)をつけたので、それを最後に説明してこの項を終わりにしたい。
私が米本さんを統一教会を利するという意味で「御用ライター」だと評価する-という一文である。
これも先の事例で考えれば、いかに詭弁(詭弁にもならない超短絡ウルトラ論理)かはすぐにわかる。共産党員社員の差別待遇を書いた本は共産党を利することになる。『ドジョウ物語』は民主党を利することになる。そのことをもってして「共産党の御用ライター」「民主党の御用ライター」と表現する人はいないし、辞書的な意味でも間違っている。
同じように、統一教会員の拉致監禁を暴露した記事を書き、統一教会が喜んだとしても、そのことをもってして「統一教会の御用ライター」と表現することはできない。裁判所に通用する論理ではない。
私は、エホバの証人やオウムや摂理、はたまた統一分派の中山グループのメンバーの拉致監禁にも反対している。そのことをもってして「エホバの御用ライター」などと言うことができないのと同じである。
もっと簡単な例のほうがわかりやすいか。
私がエッセーで「明治のヨーグルトを食べるとお腹の調子がいい」と書く。明治製菓を利する記述である。有田氏曰く、重々しく「米本さんは明治製菓の御用ライターだな、これで決まりだな」
ジャンジャン♪
有田芳生国会議員に、尊敬しているという元代表の小沢一郎さんの言葉をプレゼントしておく。
(注) 林さんから送られたリンク(世界日報の記事)を読んだ。1年生議員なのに、早くも国会で問題を起こしている。
自民党参議院の脇雅史国対委員長の言葉が印象的である。
「自分が間違った時、どうすればいいか、言葉を仕事とする人の矜持というか、常識があるはずだ」
さすが国対委員長だけのことはある。早くも、有田氏の本質を見抜いてしまった。
-『日本語大辞典』の怪-
前回の「有田議員の琴線に触れるもの」の末尾、追加情報で書いたことと関連することである。
彼は、なぜわざわざ全13巻の『日本語大辞典』を持ち出したのか-という疑問についてである。
言葉を生業とする有田氏は、自宅や議員会館の事務所に『広辞苑』あるいは『大辞林』といった大辞典をもっているはず。それを利用せずに、なぜわざわざ『日本語大辞典』を“改竄的に”引用し、そのことをあえてブログに書いたのか。
ここには、アジュマさんや林さんが指摘する「劣等感」が絡んでいると想う。
KYLYN3さんのブログ<全国民に告ぐ こんな名ばかりの国会議員「有田芳生」は要らない!>に、「奴の『酔醒漫録』は吞んでる話とプチ自慢話だけです」と書かれていた。
確かに。著名人と飲んだり会話したりしたという記述や「こんな本を読んだ」という記述(実際に通読した本は少ないと睨んでいるのだが)、それにやたらと自慢話が多い。自分をビッグに見せたいという気分ありありで、読んでいると不快になってしまう。
このビッグにという気分は劣等感の表れである。
ほんとうにビッグな人は、ビッグであることを表に出さない。謙虚さゆえにあえて表に出さないわけではない。出す必要がないからだ。
彼が師と仰ぐ(?)小沢一郎さんが「今日はこんな人に会った」とか「あの人と酒を酌み交わしたぞ」なんて発言したことなど、ついぞ聞いたことがない。
*有田氏をビッグだと心底思っている人たちは、『酔醒漫録』を読んで、素敵ネと陶然とするのだろうが。
このように書くと、一時期ジャーナリストとして、テレビのコメンテーターとして活躍し、今は天下の国会議員。お金にも不自由はしていない。劣等感を抱く要素なんか一つもない。穿ち過ぎではないか。そんな疑問を抱くのは当然だろう。
劣等感の要素は、彼が社会に出る前、アジュマさんが指摘した立命館大学経済学部にあると思っている。
左翼陣営の一員でいた時代、立命館大は共産党の牙城であり、立命館卒は誇れる経歴だった。
ところが、マスコミ業界に身を置くようになると、とたんに立命館卒は肩身の狭い学歴となってしまう。
なにしろ、東大・早稲田・慶応ばかり。「偏差値問題」に関心があった頃、複数の雑誌編集者の卒業した大学を調べたことがあるが、東大・早稲田・慶応卒が全体の8、9割。中央、立教、学習院卒などもいるにはいたが、ごく少数である。
テレビ局の高偏差値大卒傾向は、雑誌社以上だろう。
ある雑誌の編集者に関西学院大(関学)卒がいた。彼の先輩にあたる編集者から「あいつデキが良くないでしょう。関学卒なんだから、しかたがないですよ」と、露骨な偏差値差別発言を聞かれたことがあり、不快な気分になったことがあるが、出版業界の学歴模様を端的に物語るエピソードである。
こんな状況だから、日大卒のライターと仕事をしていた東大卒の編集者が、このライターのことをどう評価していたかは容易に想像がつくだろう。ちなみに、今はわからないが、立命館(法学部は別)の偏差値は関学のかなり下。関学や同志社を落ちた生徒が入る学校だった。
私自身の体験も明かしておく。
比較的学歴差別のないNHKの、東大卒の女性記者と会食したことがあった。
話が出身大学の話題になり、私の出身大学名を語ったときから、女性の態度は微妙に変化した。
なんとなく白けた雰囲気が漂い、そうそうに会食会を切り上げた。
その後、新宿のションベン横町で、一人で飲み直した。
東大・早稲田・慶応卒が頭がいい(問題の発見、問題の解決能力がある)とはまるで思っていないが(たまにすばらしく優秀な人もいる)、高偏差値のマスコミ(とりわけテレビ界)で、有田氏は私が味わった以上の体験をしたと想像する。
劣等感を解消するには、ビッグになればいい。実際にビッグにならなくても、ビッグであることを誇示すればいい。
その結果、有名人と飲んだことをブログで恥ずかしげもなく書くようになり、そして『広辞苑』ではなく『日本語大辞典』の登場と相成った、と思いましたさ。-追加情報(11月8日午前)-
有田氏の経歴は、アジュマさんが示した現在のウィキペディアを参考にしたものでした。
それによれば、
京都府立乙訓高校を経て、立命館大学経済学部を1977年(昭和52年)に卒業する。
1952年2月生まれとなっていたので、<1977年卒なら25歳で卒業か。学生運動で留年したためなのか>と首をひねっていましたが、林さんがコメント欄でリンクされた記事には、昔のウィキペディアが載っていました。
それによれば、
(乙訓高校)卒業後、京都大学を目指して3年間浪人したが、立命館大学経済学部に入学し、1977年卒業。
京大を目指して3年間浪人した結果、立ちゃん(アジュマさんの表現)です。
3浪して京大に入ったとしても、現役京大生と自分とをつい比較し、引け目を感じるものなのに。
関東の感覚で言えば、東大を目指して3年間浪人した結果、早稲田ではなく、法政大に入学したといったところでしょうか。
若者にとっては屈辱的な体験です。
私の大学には、東大の滑り止めとして入学してきた学友が何人かいました。2浪して東大を目指したが、叶わなかったという友人もいた。恐ろしく優秀な奴で、日本史の遠山茂樹先生からも、先輩や後輩からも絶賛されていたのに、最後まで劣等感を払拭させることはできませんでした。
有田氏の劣等感の源が、たんに立命館大卒にではなく、3浪しても京大に入れなかった-ということにあるとすれば、自分をビッグに見せたいという思いにはより強烈なものがあるのでしょう。
-続く-
- [2011/11/07 14:03]
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コメント
有田芳生さんの事
。最初の印象は、落ち着いた冷静な人というイメージでした。山崎浩子さんの失踪の頃から頻繁にワイドショーに出演してました。山崎浩子さんのお姉さんのご主人の自宅に入って行くシーンやそのごのコメントから、浩子さんは、桜の咲くころでてきますよ。とか、勅使河原さんとの結婚は、100パーセントいや120パーセントありえない。それを聞いたときこの人は山崎浩子さんがどこで監禁されているか誰が脱会説得しているか説得はどこまで進んでて脱会する気持ちになってるかを全て知っているなと思いました。特に彼女の脱会記者会見は涙が出るくらい喜んだことでしょう。その裏側を全部知りながら拉致監禁のお先棒を担ぐこれって怖いことだし、それを踏み台にして本を書き某ワイドショーのレギュラーにいつの間にかおさまつている。又、これと共同歩調を合わせるマスコミの姿勢も問題だと思います。山崎浩子さん程の影響力のある人を使っての統一教会批判しかも、アンフェアーな手段を用いてのやらせであります。悪質にも程があると言いたいです。
謝罪しなきゃ
有田議員が言いたいのはこういうことではないでしょうか。
例。「北九州は、工業地帯とは言い難い町だ。そんな北九州だが、ここには日本経済の歴史を切り開いたともいえる八幡製鉄所がおかれている」
現在(進行)形としてではなく、他の場所にはないのに、ここにはあった、というニュアンスを表現するための「いる」だ、と。
いずれにしても、誤解を与える表現です。
有田議員が、あくまでも、米本さんや小林社長の言っているように、今は置かれていないのに、今置かれていると受けとめられる表現をして、国民を惑わしたわけだから、謝罪しなきゃいけないでしょ。
国民を困惑させておきながら、知らぬ存ぜぬ、という与党議員がこれまでいたでしょうか。国会議員としての、説明責任を果たすべきでしょう。
その場合は、なぜ、国会そっちのけで、一人のルポライターを攻撃しているのか、そして、<統一教会のいう「拉致・監禁」(実際には反社会的行為を繰り返す組織から子供たちを脱会させる家族の営為)>とは何か、についても、分かるように国民に説明してもらわなければなりませんね。
説明責任も果たせない国会議員(しかも与党)がいるのは、日本の恥で、税金の無駄遣いですから、即刻、やめていただかなければなりません。
すでに該当するブログは削除した(過去)のでしょうが、「有田議員はウソを書いている」と言い続けますよ。
>有田芳生さんの事
有田氏が共産党を除名されてから、国会議員(しかも政権与党の)というスターダムに登りつめるまでの過程に、多大な興味を抱いています。
そうした問題意識からしても、同じような歴史感覚をもっている人がいることに、力強さを覚えました。
>謝罪しなきゃ
「しかも政権与党の」という言葉に万感の想いが込められているように思いました。
有田氏は、トンマなことに、自分が今や権力の構成メンバーであることを自覚していない。そのことに問題があると思っています。気分はいまだ「知ったかコメンテーター」なのです。
共産党=野党癖なのでしょうが、実態は権力の一員。そのことを自覚できていないから、民主党の羽田さんや、自民党の脇さんらが少々苛立つのでしょう。
マジでやばい
教会に入ってからも、ウリちゃんが反対派だと聞いても、「まあ統一教会も悪いことやってるから、有名なジャーナリストが批判しているんでしょ」くらいに思っていました。
しかし今回の「日本国語大辞典」を持ち出した言い訳を読んだときには、そういう印象はすっ飛んでしまいました。「この人、マジでやばい」と感じました。
国会議員があんな言い訳するなんて、マジでやばいと思います。詭弁とすら言えない。子供の言い訳に近い。あんな言い訳を、堂々と赤字で書くなんて、ほんとうにどうかしています。
ぼくも日本国語大辞典なんて、開いて確かめない人種です。それでもあの言い訳は変だと感じました。ところが米本さんが今回解説してくれたように、そもそも日本国語大辞典が書いていることを改ざんしていたなんて・・・・。
あの人、マジでやばいです。国会議員でいることは、税金泥棒になるんじゃないでしょうか。税金詐欺師か。
有田氏は確か共産党を「除名」されたのではなく「除籍」というゆるい処分です。除籍と除名はまったく意味合いが違います。除名というのは明確な反党行為があったとみなされた場合で、たとえば最近では筆坂さんの除名が有名です。筆坂さんは今でも共産党批判を続けていますから、ある意味で除名は当然だったのでしょう。それに対して除籍というのは明確な反党行為ではなく、ちょっとだけ共産党を悪くいった程度の処分です。ところが有田氏の場合は除籍処分になった理由さえはっきりしていません。彼は一度たりとも正面切って共産党批判をしたことはなく、それどころか共産党に対する悪口をいったことも聞いたことがありません。有田氏はおそらく今でも共産党のシンパなのだと間違いなく思います。上田耕一郎を今でも人生の師と仰いでいるぐらいですから。有田氏が除籍されたのは、彼がジャーナリストとして一人立ちさせるためであり、またそれによって彼の専門である統一教会批判を自由な立場からやらせるためであったと思います。彼がテレビで有名になったのは、芸能人を巻き込んんだ92年の合同結婚式以来のことですが、当初は統一教会の合同結婚式はテレビで好意的に紹介されていました。ところがTBSで「統一教会に詳しいジャーナリスト」として有田氏がテレビに出るようになってから、統一教会の霊感商法問題が知られるようになり袋叩きにあうようになります。その後、有田氏は日テレのザ・ワイドのコメンテーターの座におさまり、お茶の間の顔として有名になります。しかし彼が一躍脚光を浴びるようになったのは95年のオウム事件以来でしょう。あの事件で彼は「統一教会に詳しいジャーナリスト」という肩書から、「宗教問題に詳しいジャーナリスト」という肩書に変わりました。ところが本当は有田氏が詳しかったのは統一教会だけで、彼はオウムの事件が起こるまではオウムについてほとんど関心はなかったと思います。それどころか彼はオウムよりも統一教会のほうがはるかに悪質だと信じていたふしがあります。実際、坂本一家の拉致事件でも有田氏はオウムではなく統一教会の犯行をほのめかしておりました。TBSはそんな有田氏の影響があったのかオウムに好意的で、事件が発覚するまではオウムを弁護さえしていました。有田氏がもし本当に「宗教問題に詳しいジャーナリスト」ならば、事件が発覚する前にオウムの問題を追及すべきだったのではないでしょうか?少なくとも、その発端になった坂本一家の行方不明事件をもっと掘り下げて調べるべきだったでしょう。もしそれをやっていればオウムのサリン製造を見破ることは可能だったはずです。有田氏は初めからとんでもなく方向を間違えていたのです。彼がジャーナリストなんてとんでもないことです。ただの共産党クズレだというのが彼の正体でしょう。
有田氏の正体
反省は(人によっては)難しい。
有田さんは、嘘をついて謝罪しない。そしてまた、嘘をつく。軽犯罪者と状態は同じです。
http://seijoch.blog34.fc2.com/blog-entry-64.html ブログー有田芳生人物論!有田さんのために祈れ。教会長
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-272.html コメントー有田さんというと反原理運動の件で学生時代にお会いしたことがあります.あの頃の彼は非常に貧乏で,とにかく原理をネタにしてカネ儲けすることばかり考えていて,売文屋というのはこういうヒトなんだな,と思った記憶があります.
だから,今ごろ有田さんが左を向こうと右を向こうと,まだやってら,程度にしか思ってません(笑)
*コメントの再編集は、パスワードが入力されていると出来ます。(2桁でも可能)
小川寿夫さんに同感!!
共産党クズレの有田芳生が小川さんの
投稿そのまま、「拉致監禁改宗ビジネス」に加担していることを仄めかしていました。
「非人道的行為」の反牧集団と攣るんで、有田は、どれだけ、丸儲けしたのでしょうか?
「霊感商法」や「振り込め詐欺」より性質が悪いのでは?
米本氏が有田と法廷で戦う時がきたら
是非、支援したいです。
有田のような国会議員は、税金泥棒いがいの何者でもありませんね。
有田が加担した「拉致監禁改宗ビジネス」と非難している「霊感商法」を比較しても有田らが悪質ですよ。
テレビのワイドショーで日本国民を
「世間体教」で洗脳した首謀者とも
言えますからね。
「追加情報」を末尾に
(1)有田氏がオウムのことを知らなかったというのは、その通りだと思います。このことについてはいずれ書くつもりです。
(2)林さんが紹介してくれたリンク先によって、有田氏の生い立ちが過去のウィキペディアと現在のものとでは違っていることがわかりました。記事末尾に「追加情報」を加えました。
(3)いくつかのリンクによって、有田氏に批判的なのは、統一教会や反拉致監禁派ばかりでなく、様々な立場の人がいることがわかりました。
本格的に有田氏を論じる際の参考にさせていただきます。
また情報、よろしくお願いいたします。
ところで、有田氏に批判的なブログを読んでいて、ふと、こんなことを思いました。
有田氏の奇怪な論理、白か黒かのオセロ脳(カルト脳)からすれば、
「俺への批判は、統一教会を利する行為だ。みんな統一教会の御用ライターだ」
ということになります。
彼にはぜひ、そのように反批判していただきたいですね。
モテる
劣等感は並々ならぬものがありそうですね。
そんな冴えない男なのに、山崎浩子のような美人を含む元統一教会女性信者から「救世主」と崇められるわけですから、拉致監禁関連業は辞められませんね。
今現在、有田芳生のナイスガイが今でも山崎浩子さんをカルト改宗保護団体の広告塔として利用していれば分かるけど、今は接触ないんじゃないかなぁとわしは思うけど。改宗保護されて幸せなら問題ないけどやっぱり拉致されたような体験があればそれに関わった人は好きになれないんじゃないっすかね。
ところでkhさんが有田芳生の過去のテレビ発言に詳しいのが良いです。私はとことん現場主義で正しい事を言っていると虚言を振りまく人のウソを立証するにはご本人の過去の誤った発言を掘り返し攻めれば反論できないのが有田芳生のナイスガイ。
昔は録画とかできなかったから曖昧な事は言いたい放題だったんだろう。有田芳生の虚言のワイドショーの録画とかあればぜひ見てみたい。テレビ局に行って録画を掘り返すのって出来ないのかね。
謝罪
そこに「みんな」さんが投稿されたわけですが、いったん削除して、記事をアップした段階で、コピペいたします。なにとぞ、お許しを。
筋金入りの劣等感
貴重な情報ですね。これを知って、ウリちゃんの劣等感は筋金入りなんだと理解できました。結局は、自分より少しでも頭が良さそうな人は全部嫌いで、そういう人を上から目線で批判することで劣等感を優越感に変えて自己満足してきたんでしょうね。
引用されたアジュマさんの
>そしたら、大学は当時(今は違うよッ)バカにされていた立ちゃんよ。アジュマの最低校からも成績のいいお兄さんやお姉さんが合格していたワ。
>浩お兄様は高専卒みたいだけど、高専に合格できる人なら、立ちゃんには左手で試験問題を解いても、楽勝ねッ。
というコメントは、初めに小林社長のブログで読んだときは何の引っ掛かりもなくスルーしてしまいましたが、今回よくよく読み直してみたら的を射ていたんだなと感じました。
ぼくの同級生も高専を受けましたが不合格でした。今はどうか分かりませんが、当時の高専の偏差値は県内で1番でした。県内一の進学校(東大を目指す高校)よりも頭が良い奴らが行く学校でした。確か国立でしたよね。
ウリちゃんは小林社長に対しても強烈な劣等感を抱いたのでしょう。だから日本国語大辞典の内容を改ざんしてまで、高専卒の社長を見下す手段にしたんでしょうね。哀れですね。
Yahoo!の「みんなの政治」のウリちゃん評も、最低の1点が主です。国民も分かって来ているんですね。次回の選挙では受からないでしょう。
http://seiji.yahoo.co.jp/giin/rev/?g=2011001324&s=0&p=1
その評の中にも、こんなのがありました。4浪を救ってくれた立命館大にまで泥を塗っちゃいけないですよ。もっと勉強しなさい。(以下、引用です。)
一般常識が全くなし
放送局関係友人に会いに行った時、時間調整でクイズ公開番組を、見物させて貰いましたが、お馬鹿さんで有名なタレントさんより一般常識問題を全く知らない彼を拝見し、拉致問題等で答弁していたのが嘘の様なバカさでガッカリしました。
PS:貴男の出身の立○館大学は中・高校からエレベーターで上がって卒業したお馬鹿と違うのだからもう少しは、一般常識等を勉強してもらいたいものです(;_:)
知ったかウリちゃん情報
有田芳生さんの言い訳は「ペンタゴンに聞いてごらん」でした。
http://obiekt.seesaa.net/article/149080487.html
普天間移設先はグアムが既定路線と吹聴していたウリちゃんとのやり取りが綴られています。結局、ペンタゴン(国防総省)の公文書を英語原文で読んでもいないくせに、お得意の仄聞情報に基づいたワイドショー的な発言だったことを暴露されています。笑えます。
父子で左翼
http://www.tv-asahi.co.jp/mother/contents/100/217/ 有田さんの母ー裕福で無い中で生活費をやりくりしていた。
http://terr-tka3.blogspot.com/2011/08/blog-post_6009.html
情報交換の場所に使われる。バー四馬路(すまろ)ー銀座6ー3ー16-B1
有田氏の思想について
感謝感謝であります。
khさん
>有田さんの発言を聞いていると、いつも思うのは周囲に波風が立たないような耳触りのよい言葉ばかりです。それは自分の信念からでた言葉ではない証拠であり、要するにできるだけ敵を作らないために周到に考えられた言葉なのだと思います。
>現在の有田氏にとって思想はどうでもよいのだと思います。要するに自分の立場が有利になると思えば、誰とでも組むことができる。思想的には、実にいい加減な人物ではないかと思います。
御意!
分かりました。
タイトルと内容は一致してないです。主に政治についてです。
http://www.lilywhite.net/ 有田芳生さん、共産党だったのか
http://www.webdice.jp/topics/detail/3198/ 森達也氏の『A3』賞受賞に対する講談社への抗議書
saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2011/09/a3_5a8b.html 有田さんの講談社への抗議書
立命万歳!
政治家の鳩山兄弟にはそれぞれ男の子がおりますが、弟のほうの息子ははじめ立命に入ったにもかかわらず、兄のほうの息子(つまり従弟)が東大合格を果たすやいなや、おそらく自ら引け目を感じ、かつは周囲からも半ば強要されてでありましょう、苦心の末、早稲田へ転学していらっしゃる。なんだか切なくなるし、腹立たしくもなる。
白川静先生の漢字研究、レディコミや不倫や依存症を切り口に若い女性の今にするどく切り込む衿野未矢さん。そして、青春文学の不滅の光、高野悦子さん。立命という学校がいかに日本文化全体にとって不可欠の存在であるかが改めて思い知らされます。
そうそう、10年来親しくさせて頂いている京都の禅寺の文化財部門のお坊さん。淡々と、しかしお寺のため、多くの世の人のため、黙々と働いておられます。この人も立命でした。
有田さんがマスコミに入ってからの苦しみは決して彼ひとりのものではなく、上記の衿野さんも、大学(卒業)とともにレディコミ編集者というマスコミの一分子となった際の孤独感を著書の中で一再ならず回顧しておられます。
いわく、「要するに少数民族だ。孤独だ。かくて私は買い物依存症に走った!孤軍奮闘する自分にご褒美ってんで、カード破産寸前にまでなった」と(取意)。
有田さんの一番の問題点は幸か不幸か、いや、本人にとっても、また周囲にとっても不幸なことに、衿野さんがかかえたような問題をしっかりと直視しなかったことにありましょう。
立命万歳!
鳩山(弟)の息子さんもさることながら、有田さんについても、立命の校友会は真摯な反省が見られるまでお出入り禁止にしたほうがよいのではないか?と思われてなりません。
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