精神病院そして自宅への誘い(下)
仮面を剥がされた人たち(6)
前回は、朋子さんが精神病院に強制入院させられた経緯を紹介した。今回の手記は、後藤富五郎の性にまつわる人物論である。
(*は管理人の注釈)
-反対活動家・後藤富三郎について-
1 精神病院での出会い
一般的に「強制改宗家の後藤富五郎」として知られていた人物だが、1980年春に後藤氏を民事提訴した時、後藤氏からの裁判資料には「後藤富三郎」と記載されていたので、それが本名なのだろう。
私が、後藤富五郎に初めて会ったのは、1979年秋21歳の時、統一教会から脱会させる目的で精神病院に監禁されていたとき、病院長から「(あなたは)もう大丈夫」だと言われた翌日のことだった。
午後、突然面会に来た後藤氏は、病院2階の面会室で、しばらく「血分け」や「KCIA」だと文氏の悪口を言った後、それを穏やかにうなずきながら聞き流した私を見て、
「原信者(後藤氏は、統一教会員をこう呼んだ)は、私が『文野郎』と言うと、私を睨むが、あなたは違う。いやぁ、治ってよかった」
と言い出した。そして、突然、
「私は、統一教会の女性信者に、文鮮明の命令なら体を提供しますかと聞くのだが、あなたならどうするか?」
と言い出した。
<な、なんだ、この爺さん>と思ったが、監禁中なので穏やかな対応のまま、微妙に困った顔をして首をかしげて、 「ちょっと、それは…」 と濁して、やり過ごした。
すると、文氏の命令でアメリカに渡った80人の日本女性信者の話を始めた。
彼女たちはアメリカで政府高官の家へ送りこまれたが、日本に帰ってきたときには全員妊娠していて、その処理を韓国で行ったのだと言いだした。
後藤氏が、何度も「ぜんぶ妊娠していたんですよ!」と声高に断定するので、それまでじっと聞いていた私も、全員とはいかなくても、不本意ながら不幸なめにあった信者の実例でもあったのだろうかという心配と不安から、それまで一方的にまくし立てていた後藤氏に、突然ぼそりと口をはさんだ。
「そんな人が何人かいたのですか?」
ずっと手を振りながら力説していた後藤氏が、ふいを突かれたように一瞬話を止め、
「…いや、それはない。女性が他人の家に行った。そこではセックスがあったと思うのが、当然の常識であり、セックスイコール妊娠と考えても、ちっとも不思議じゃない。私の知っている新聞記者だって言っていましたよ」
と気を取り直したように言った。
変な話だ。
当時、統一教会員を脱会・説得する専門家として新聞・雑誌のマスメディアにも登場していた後藤氏が、「新聞記者だって言っていた」というだけで、批判の根拠をひとかけらも持っていないと口走ったのだ。
当時、後藤氏は翌1980年の「週刊文春」に「洗脳」についての記事を載せるために原稿を書いているとも自慢していた。
翌年早々、私たちに訴えられた彼が、その直後に文春に寄稿したとはさすがに考えにくいが、彼のその話を聞きながら、<事実の確認もないままに全員妊娠と言ってのけるような人物に原稿依頼する週刊誌というのもいかがなものだろう>と呆れた。
後藤氏は、新聞やマスコミが「統一教会のいかがわしさ」を示す証拠や、「統一教会=洗脳」の根拠を持っているべき1人だった。その彼が、説得のための話の根拠を確認できておらず、
「私の知っている新聞記者だって言っていましたよ」
と言うのだ。
その新聞記者の記事には、反対活動家(後藤富五郎)がこう言っていたと書いてあるのだろうか。
<これでは、まるで伝言ゲームじゃないか>
『嘘も百回言えば本当になる』という諺通り、後藤氏と反対派ジャーナリストたちの間で悪意を込めて行き来する間に、根拠のない下種の勘ぐりから始まった噂話が、堂々と記事になり、その記事を活用しながら、親の不安を煽り、拉致監禁へと走らせるという流れが見えてきた。
精神病院2階の面会室で、私は唖然としていた。
もう少し突っ込んで聞いてみたい気持ちはあった。
しかしそれをすると、私に対する彼のイメージが、彼にとっての不都合(根拠を述べることができない)のために、洗脳の解けた良い娘から気難しい原信者に変わるように感じて、そこで話を止めた。
(監禁された側は、けっこう気を遣っているのだ)
馬鹿馬鹿しくて、それでいて深刻な結果につながる話だった。
後藤氏は、女性にまつわるいかがわしげな話を何度もしたが、それについては、後で改めてふれたい。
後藤氏は調子よく話を進めながら、彼の更生施設(新生ホームかどうかかは不明)で撮った『更生の祝賀会』写真を見せ、「洗脳が解けたこの青年信者3人と一緒に写っているのは、荒井荒雄とルポライター山口浩だ」と教えてくれた。
30年もの時間が経ち、具体的に回想することは難しいが、彼は、写真に写った一人を含め有名大学の学生を洗脳状態から自分が更生したという類の自慢話が好きだった。その話からは、有名大学の学生を洗脳から解いてあげる自分は賢い-と感じていたい様子が読み取れた。
ふんふんとうなずきながら、<この人には、何か、学歴コンプレックスでもあるのだろうか>と思った。
同時に後藤氏は、有名大学の学生でありながらも、原理にかかわったために洗脳は解けたものの結局は廃人になったという不幸話もよくした。
後藤氏は、「廃人」という言葉をよく使った。
前回も述べたように、私の両親が監禁を決意したのも、電話口で繰り返し「廃人になる前に」と言われてのことだった。
*なぜ、統一教会信者は脱会後に廃人になってしまうのか。理解不能なのだが、強制入院が関係していたとすれば、過剰な精神薬の投与による重篤で長期にわたる副作用によって、正常な状態に戻ることができなくなってしまったということなのだろう。不幸話を何度もしたというから、廃人になったのは1人や2人ではあるまい。 拉致監禁の闇は深い。
私は、後藤氏の話を聞きながら、有名大学の学生の洗脳をとく自分はその学生以上に賢いと思い込んだり、もしかしたら後藤氏自身が不幸の種をまいて廃人にしたかもしれない相手が、苦しみながら生きている姿を見て、優越性を感じるという彼の人間性を嫌悪した。
彼は、ざっと2~3時間話をして、「治った(洗脳が解けた)」と満足そうに帰って行った。帰り際に、
「今度、うちに外泊したらいい。そのように、言っておくから」
と言い残したが、私は気にとめず受け流した。(私の立場は、何でも「はい」だった)
2 後藤氏宅での話
この面会からしばらくして、婦長から東京にいる姉のところに2泊3日の外泊をすることが告げられた。
唐突な印象はしたが、私には断る権利などなかった。
当日、私を迎えに来た姉は、詳細ないきさつを知らされておらず、よく事情がわからないままに依頼を受けた様子で、
「よくは分からないが、逃げたら自分が責められるから、それは勘弁してほしい」
とだけ忠告してから、気の毒に思ってか、とてもやさしく接してくれた。
東京の地理は東京駅の八重洲口とこの精神病院しか知らず、教会本部すら知らなかった私は、退院の話が進んでいる中で、無一文での脱走を試みるというリスクを犯そうとは思わなかった。
外泊から病院へ帰る日、まだ事情の呑み込めていない姉は、母からの電話での指示に従って、午前中から私を連れて後藤氏の家を訪ねた。 「面倒くさいな」とこぼしながら。
黄色い電車(西武新宿線)に乗って着いた駅が「鷺ノ宮」ということはそのとき覚えた。駅から10分程度歩いたところに後藤氏の家はあった。
玄関から右手のコタツのある和室に通された。
私たちを招き入れた後藤氏は、テレビを背にして座った。
地味な印象の妻が、「治ってよかったですね」どころか「いらっしゃいませ」の一言もなく、おじぎか何かはっきりしない無表情なうつむき加減で、事務的にお茶だけ運んで出て行った。その様子は、いやみな店主に使われている女事務員さながらで、私たちは、後藤氏の客であって、後藤家の客ではないようだった。
妻が下がると、後藤氏は、病院の時と同じように、一方的に「いやぁ、あなたが治って本当に良かった」と連発し、私は何度もあいさつを兼ねてお辞儀をした。事情の呑み込めてない姉も、後藤氏の一方的な調子に合わせているしかないと感じたようで、黙って一緒に相槌をうっていた。
落ち着いて話がはじまると、後藤氏は、
「本当はうちに外泊するはずだったのに、病院が認めなかった。病院は薬を飲ませるしか能がない。それなのに私が行くと、たちどころに(教会員の)洗脳を解いてしまうので、行く度に看護婦は礼儀正しくなっていく。それなのに、うちへの外泊を認めなかった…」
と、しばらくグチグチ言った。
<言われたままにしているしかない私に、そんなことをグチグチ言わないでほしいなぁ>
と思いながら、相槌とも謝罪ともつかない対応をしながら、その話を聞いた。
その後、後藤氏は、コタツに足を入れたまま、上半身だけで背後のテレビ台から数冊の大学ノートを取り出し、これは200人の更生記録だと言った。
1ページに2人分ずつ記入してあり、個人別に、冒頭に統一教会員の名前を記入し、次に、最初に家族から連絡を受けた日付、それから監禁予定や実際の監禁の日付と監禁場所、その結果までが記録してあると説明した。治ったら(洗脳が解けたら)、社会復帰という意味で『社復』という大きな(2×5㎝位)赤い印を押すようになっており、後藤氏は、たくさん『社復』という印がついたノートを、指を舐めながら満足そうにペラペラとめくった。
私は後藤氏から、私の入院前日まで同じ病院に監禁されていた女性Tさんの記録と、私自身の記録を見せてもらいながら話を聞いた。
それによると、最初は地元(*山口市)の精神病院に入院させるように指導したが、病院から不法入院は出来ないと断られたので、東京でTさんの退院を待って入院させたということだった。
そして、私が治ったので、「次の人の入院計画を決めた」とも言った。「原信者同士を会わせると治らないから、順番に1人ずつ入院させるのだ」そうだ。
退院後に、私の入院の際、東京駅八重洲口からのタクシーでの座り方(*信者は後部座席の真ん中)まで教えてもらったと母から聞き、そこまで細かく指示を受けるのかと計画の周到性に驚いたことがある。
病院長から「治った」と言われた翌日には、後藤氏が確認に来たこと、彼の家での記録を見ながらの話の数々‥‥、拉致監禁がチームによる計画性をおびてきたのは、決して最近のことではない。
自己顕示欲を満たすことこそが生きがいの人間、それが後藤富五郎という男の本質のようだった。
特殊な能力をもっているかのような社会的肩書きで、子供を守りたい一心で泣きついてくるいい年をした大人たちを指導する快感、更生したといって拝み倒される気分、そして易々と手に入れる報酬、‥‥普通の老人では有り得ない収入を武器に、家でも家長として君臨し続ける姿を彼の自宅で感じた。
改宗という作業は、彼の生きがいだった。
話のなかで、彼は幾度となく、統一教会にいると洗脳され廃人になるから、そうなる前に嘘をついても騙してもいいから入院させろと親に話したのだと言った。私は、その話を聞いて思った。
<だからこんな事になったのか。私が騙し返しても、何の問題もないな>
3 退院前、ふたたび病院で会う
後藤氏は、私の状態におおむね満足そうにしていたが、退院直前の母からの脱会の意思を確認する電話で、私がはっきりやめると言わなかったとの報告を受けて、その翌日の午後、2度目の面会に現れた。そして、開口一番、
「また教会に行くつもりなら、退院を2ヶ月くらい延ばしてもらわなければならないが、あなたはどうするつもりなのか」
と切り出した。
「あぁ、電話の声が遠くて聞きにくかったようですが、私は大丈夫ですよ」
と笑いながら答えた。私の返事に安心した後藤氏は、
「ああ、よかった。ああ、よかった」
と連発しながら、こう言った。
「もし原理に対する教義的な面での確信があったのなら、森山牧師に会わせてあげようか」
森山牧師とは、杉並区荻窪栄光教会の故森山諭牧師のことだ。
入院の長期化を避けるためにさりげなく断ったが、後藤氏の様子から、彼と森山牧師は気軽に連絡をとり調整し合える関係なのだと感じた。
荻窪駅の隣の阿佐ヶ谷駅から南北に通る中杉通り(環状8号線と7号線の間)を車で10分北上すれば後藤氏の住所である中野区白鷺2丁目(杉並区に隣接)、そこからさらに15分くらい北上した練馬区向山2丁目に、かつて後藤氏と丸山隆が改宗場所としていた新生会ホームがあった。
練馬区に監禁施設を持ち、東久留米市の精神病院までも行動範囲に収めていた後藤氏が杉並区の荻窪栄光教会とその周辺の活動家と関係を密にしていたであろうことは想像に難くない。
*森山諭氏はその昔、後藤富五郎と連携していた。後藤氏が亡くなる前に、森山氏の前に現れ、その後連携するようになったのはタップ社長の宮村峻氏である。宮村氏は荻窪栄光教会から事実上追放されると、今度は日本基督教団の有馬歳弘氏(現青梅教会の牧師)、日本同盟キリスト教団の松永堡智氏(新津福音キリスト教会の牧師)などと連携するようになる。
4 退院当日~家族で後藤氏宅に直行
12月9日、両親が迎えにきて退院し、病院から再び後藤氏宅へお礼のためにと直行した。
一通りのお礼の会話の後に、母が後藤氏に、
「約束のものです」
と、白封筒をコタツテーブルの上に差し出すと、彼は目の前で開封し、20万円を数えて受け取った。
*1979年当時の大卒初任給は11万円。2010年は20万円。信者の親に「廃人になる前に」と不安を煽り、精神病院を紹介し、3回ほど朋子さんと面談し、大卒初任給の2カ月分に相当する謝礼金を受け取る。
それを背後のテレビ台の引き出しに入れ、代わりに改宗記録のノートを出した。自己満足に浸っているようにノートをめくりながら話し、謝礼は当然と考えているようだった。
この時も後藤氏は、
「あなたが退院するので、昨日次の人が入った」
と話した。
1人ずつ確実に、それでいて無駄な空きのないように順番が組まれていた。
昼になり、今日中に帰らなければならないという理由で、ようやく後藤氏宅を後にして、両親と私は新幹線で山口に戻った。
5 退院後、電話で話す(洗脳のからくり)
退院して1週間くらいした夜、後藤氏はその後の様子を確認するために電話をかけてきた。当時、私は、精神病院での薬の後遺症と思われる不調に苦しみながら、棄教を装い続けていた。
電話をかけてきた後藤氏は、電話をとった母と話し、母からひとしきりお礼の言葉を受けた後、私に代わってくれと言ったようだった。母から電話に出るように言われ、私は重い心をおさえて受話器を取った。
彼は、病院のとき同様、何度も
「治って良かった」
と連発した。そしてこういった。
「原理を始めてから後の時期に得た知識が思い出させなくなったでしょう。でもそれは洗脳がとけた証拠だから」
薬の副作用のせいかストレスからか、後遺症によって苦しんでいた私は、あたかも後藤氏のいうような症状も有していた。
もし私が棄教する気持ちでいたら、彼のその言葉を信じて、自分の精神的不調を「洗脳されていた証拠」と思わざるを得なかったことだろう。
しかし、生憎、私は入院中もその時も、信仰をやめるなどとはまったく考えていなかった。
にもかかわらず、彼が言う、洗脳されていた信者に洗脳がとける時に起こるという症状を有しているのだ。
私に起こっているのは洗脳とか何とかいう問題ではなく、後藤氏の画策による精神病院での監禁による後遺症だった。
*朋子さんたちが飲まされた精神薬は、記憶障害という副作用がともなうものだったと思われる。そのため、服用後しばらく経つと、「原理を始めてから後の時期に得た知識が思い出せなくなる」。それを後藤は「洗脳が解ける症状」と錯覚した。そうしたことが積み重なると、記憶障害が生じると、それは洗脳が解けた証である-という勝利の方程式が形成されたのではないか。バカが考えることはときに凶器となり得る。
そういえば、オウム真理教の場合は意図的に信者の記憶を消すたぬに、精神薬を飲ませたことがあった。
後藤氏は自ら不幸の種を私と私の家庭に蒔きながら、それをあたかも統一教会による洗脳のせいであるかのように言い、自らを更生という慈善事業でもしているヒーローのように思い込んでいた。
とんだ茶番だ。
後藤富五郎という男の自作自演の救出劇のために私は精神病院に監禁されたのか‥‥。それが私で200人を超えているとは‥‥。
この馬鹿げた画策をした自己顕示欲と妄想にまみれた後藤富五郎によって、私は家族からの信頼を失い、学生生活の危機を招き、健康を失い、信仰の自由と共に正気さえ失いかけているというのに…、
私は穏やかに話し、彼が喜び励ますたびに「ありがとうございました」と言うしかなかった。彼のせいで服薬の後遺症で苦しんでいる私が…。
この後藤氏への嫌悪感が、彼を妄信して私から私自身の権利を剥奪した両親への怒りをより強く抑えがたいものにし、自分を惨めにさせた。その感情が憤怒となり、私は正気と狂気の間で揺れ動いていた。
「人を狂わせるものは、制御できない強い憎しみだ。
精神病院で正気を貫いた私が、退院したこれから、憎しみの情によって狂うのだろうか‥‥」
あまりの皮肉に、不調の中で脱会を装った私は、毎夜、気づかれないように声を殺して泣いたものだ。
6 後藤富五郎という人間と性
後藤氏は面会のとき1回につき2~3時間程度話したが、その話のたびに何度もこう話した。
「洗脳が解けた女性信者は簡単に男性に身を任せるようになるが、それは自然なんです」
そのときの私は、76年に後藤氏が責任を務めた「新生会ホーム」関連で起こった丸山隆による女性信者レイプ事件(拙著200~201頁参照)を知らなかった。
それで、目の前の老人を見ながら、
<人間は死ぬ前に理性が鈍ると、こんなことを口走るんだろうか>
と、色ボケ爺さんのたわごととして、他の話と同様に黙って聞いた。
先に、外泊の折に後藤氏の家を訪ねた時、後藤氏が、外泊の時は自分の家に泊まらせるように言ったのに…、とグチグチ言われた事に対しても、実際に3日も彼と共に生活せずに済んだことに、ほっとしただけだった。
会うたびに、2~3時間は話を聞いてあげていたし、彼が話したければ何日でも何時間でも面会可能だったのだから、その上どうしても泊まらなければならないという彼のこだわりぶりは不可解だったが、老いぼれたお爺さんに見えた彼に対して、当時切迫した身の危険を感じてはいなかった。
しかし病院から姉の所ではなく、後藤氏の監視下に移されて、そこからさらなる脱会屋に遭遇していれば事情は違ったのかもしれない。
外泊時の後藤氏宅での話の中で、彼は「次は自分の家に泊まるように」と、また念を押した。
もちろん、私は「はい」と言うしかない立場だった。そう言われて、次にまた後藤氏宅への外泊があるかもしれないと気が重くなった私は、この外泊直後、院長に呼ばれて面談した時、
「後藤さんが私を家に泊めようと考えていたようだが、そうしなくてもいいのか?」
と院長に確認した。
行くしかないなら、心の準備がしたかったからだ。すると院長は、
「それは、私が許可しなかった」
と即答した。
院長は、私が後藤氏の家に泊まることは『許可できないこと』と考えていた。それを聞いて、何はともあれ後藤氏宅への外泊がもうない事を知り、かなりほっとした記憶があるので、このことに間違いはない。
私が、後藤氏の口から、「洗脳が解けた女性信者は簡単に男性に身を任せるようになるが、それは自然なんです」と聞いたのは79年、つまり新生会ホーム関連の丸山隆によるレイプ事件(76年)の後だ。
私が聞いた一連の後藤氏の言動からすると、後藤氏には事件に対する心苦しさがないばかりか、むしろ彼は脱会後の女性信者が男性に身を任せるようになるのを奨励し、さらには何らかの形で確認していたことになる。
たとえ脱会した後にせよ、70年代に、若い女性たちがその後の人生での性的体験を彼に自己申告するとは考えられない。彼は、どのようにして「女性信者が男性に身を任せるようになる」ことを知り得たのだろうか。
その疑問は、1980年初夏に、あるきっかけで丸山事件の詳細を知って以降、長い間私の頭から離れないままだ。
もっとも、私の文章(女性信者のアメリカでの活動についての言動)だけなら、脱会した女性信者が単に他人の家に行ったのを後藤氏が邪推した、と言う人もいるかもしれない。しかし、丸山事件という事実を加味すると、話はそう単純ではないだろう。
さらに、後藤氏の言動などから総合的に考えると、丸山によるレイプ事件は、単に丸山の感情による暴走や偶発的な出来事ではなかったのでないかと思う。
大学ノートに監禁に関する日付を記録する後藤富五郎のもとで、丸山が勝手に2ヶ月以上も被害者を自由に手元に置いておけたとも考えにくい。だとすれば、最初から、後藤氏と丸山の間の了承の上で成り立っていた可能性が高いと考えざるを得ない。
*「新世会ホーム」(監禁部屋の名前)を拠点に、後藤と丸山は連携して脱会活動を行なっていた。
後藤氏の歪んだ人間性から生まれたものを元に、70年代という時代背景の中で思想的謀略も加担して一人歩きしたスキャンダル資料や彼流の洗脳理論…それが、そのまま今日でも同じとは言わないが、少なくとも彼の監禁活動が生み出した「洗脳された信者像」を一つの既成事実として、「統一教会=洗脳」というスティグマが定着した事、その上に存在するのが今日の洗脳やカルト理論であるという歴史性は忘れてはならないだろう。
その上で最後に、30年間丸山事件という陰湿な脱会現場について感じてきた私なりの思いを述べてみたい。
7 愛と責任の伴わない性~歪んだ願望
良好な男女の関係は、互いの愛に起因する相互の人格の尊重や平等性があり、とりわけ一夫一婦制の文化圏では、個人差はあるにせよ一般的に、愛の延長としての性的関係と同時に、貞操感と責任意識が伴うものだろうと思う。
しかし、脱会屋と被害者の間の関係はそうではない。
監禁した絶対権力者と監禁された無力者という関係であり、人格の尊重や平等性の上に成立する人間らしい愛は存在しない。
愛が存在しないままに、教義(純潔の教え)を逆手にとっての「治療」「回復」だけを名目とした踏絵行為として、性関係が発生する。
最初から愛を動機としない男女間には、愛を理由にした責任問題も起こりようがない。
脱会屋は、関係を持ちたいと思えば、
「まだ、統一教会の教義(純潔)の呪縛にとらわれているのではないか?」
と脅せばいいし、また関係を終わりにしたいと思えば、
「治療(またはリハビリ)が完了したから、これからは自立しなさい」
と言えばいいのだ。
もちろん実際の人間関係がそう単純だと思っているわけではないが、根底にあるものを明確な言葉にすれば、
「愛も、人間性も、責任すらない一方的に始まりと終わりをコントロールできる性関係」…
これが脱会屋と被害者の間の性の本質ではないかと思う。
動物でさえ、巣作りやダンスなど、交尾の前には相手の承認を得ようと努力をするというのに…。
一部の脱会屋のように、人間性に基づいた同意を必要としない歪んだ性を満喫できる場所が、平和な日本のどこにあるだろうか?
そのようなことが有りうるとすれば、それは戦争や暴動による略奪の渦中だけではないだろうか?征服者が、戦利品の一部として女性を扱う場合においてのみだろう。
おまけに、その脱会作業が、お金と社会的名声や称賛までもたらしてくれるのだから、その快感は普通ではないのだろう。歪んだ人格の脱会屋が、脱会という特殊な作業から抜け出せなくなる理由のひとつは、この「他では味わえない征服感」にあるのではないだろうか。
なお、最後にひと言だけ付け加えておきたいことがある。
後藤氏は、何人もの「洗脳からの更生」話をしたが、私は彼から、統一教会員に なったという彼の息子に関して、救出の苦労話も、救出できない親としての苦しみも聞いていない。
30年たった今思い出す彼と彼の妻からは、子 供を教会に奪われたことを悲しむ親としての思いが一切感じられない。
彼の息子は今頃、どうしているのだろうか。
後藤富五郎という人物の性にまつわる朋子さんの分析は、正鵠を射ていると思う。
このことに関して、手記で印象深く読んだのは次のことである。
後藤の妻が朋子さんに対して取った態度である。30年前のたった一度のわずかな出会いなのに、朋子さんの記憶に残っているのは、そのときの妻の態度がとても奇異に感じられたからであろう。
夫の脱会活動そのものを快く思っていなかったために、“脱会者”である朋子さんに事務的で無表情な態度を取ったとも考えられなくはないが、それより「またこの娘さんをうちに泊まらせようしているのか・・・この前と同じように・・・」と思ったからではないのか。というより、すでに何度もそうしたことが繰り返されてきたために、失感情になってしまったということではないのだろうか。
もし、朋子さんが後藤宅に泊まったら、妻は2人分の食事をうつむき加減に無表情で夫の部屋に運ぶことになっていたかもしれない。
もう1つ、印象的なのは病院長が「後藤宅に泊まることを許可しなかった」ことだ。
なぜ、許可しなかったのか。
院長と後藤は、統一教会信者を脱会させる点で、利害は一致していた。夜を徹して語り合えば、朋子さんの脱会の意思はより強固になる。しかも、後藤宅には妻もいるため、万が一のこともないはずだ。
それにもかかわらず、許可しなかったのは後藤の良からぬ話を聞いていたからと推測するのは自然だろう。
話はそれるが、ある信者の姉が話していたことを思い出す。
信者だった弟は、ある脱会説得者によって、統一教会をやめる決意をした。
脱会後、姉と弟は彼の自宅を訪問し、お礼を述べた。
帰ろうとすると、彼は姉だけに向って、「今夜は自宅に泊まっていけ」と執拗に語りかけた。
彼の自宅には、元女性信者が暮らしていた。
同棲相手の目があるだけに、心配するようなことはないはず。
それでも、姉はイヤな予感がして、誘いを断った。
後日、その男の良からぬ噂が聞こえてきた。同棲相手黙認の不適切な性関係の・・・。
脱会説得者の歪な性は、30年前から今日まで脈々と続いている。
最近では、白い旅団さんが暴露した宮村峻氏が脱会者を愛人にしてきたという記事であろう。
- [2011/10/10 11:49]
- 仮面を剥がされた人たち-宮村・高澤 |
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コメント
呆れて、疲れてしまいました。
でも、だんだん怒りより、あまりの馬鹿馬鹿しさで、呆れと疲れが出てきました。
アメリカの政府高官宅に行った日本人女性信者が全員妊娠した・・・・
セッ○○=妊娠・・・
洗脳の解けた女性は、簡単に男性に身を任せる・・・
あんまり、脱会女性を馬鹿にしないで欲しいと思います。
いくら、原理の間違いに気づいても、簡単に男性に身を任すことはしません。
しかも、自分の親より年上と思われるお爺ちゃんに・・虫唾が走ります。
セッ○○=妊娠って、今そんなこと言ったら、本人は冗談のつもりでも、「馬鹿!」と一言冷たく言われて終わりでしょう。
地獄にいると思われる富五郎さん、健康な男女でも1周期に妊娠する確率は20~30%ですよ。(しかも、タイミング合わせてです。)
しかし、親達は娘、息子を統一教会から脱会させたいばっかりに、こんなお方に藁にもつかむ気持ちですがっていったのですね。
何とも悲しいです。
やまられませんこの刺激
誰か映画にして~
この拉致監禁問題も全く同じだと思います。この後藤富五郎が性関係まで強要していたら、重大な犯罪です。被害者は拒否することもできない。拒否すればまだ原理の頭になっていると言われ、精神病院に再び送り戻されるかもしれないと考えます。そもそも精神病院に入れることからして、尋常な人間の考えることではありません。そして今度はそれを見えない盾にして関係を迫るとは、完全に人の道を外れています。「お前は獣か!」とドヤしたいです。
もし後藤富五郎が生きていれば、本人も同意の上とかなんとか言うのかもしれませんが、言語道断!人を支配し、拒否出来ない環境と人間関係を作って置いて、蛮行に及ぶのは、相手の意志などハナから考えていないのです。
また、後藤さんの裁判も「もっと警察、裁判所しっかりしろ!」と言いたくなるのが、やはりこの「るつぼ」と全く同じです。警察、裁判所も自分の保身と利益が最優先です。
この拉致監禁問題、誰か映画にでもしてくれないでしょうか。。。
社会的人間的道義を扱った社会派映画という面だけでなく、監禁内での心理的な闘いなんかは、サイコ映画にでもなりそうですけどね。
ソフトな○姦
この指摘は見事ですね。
いやらしい、えげつない、という言葉では表現できないですね。
確かに、責任問題が一切発生しないし、良心の呵責もごまかせる。
強制改宗屋、監禁主導牧師らは「洗脳を解くために、あえて関係を持った」と弁明すれば、親の非難や神の裁きから逃れられるとでも思ったのだろうか。
監禁下で行われるソフトな○姦。
拉致監禁問題の究極的な違法性・犯罪性はここにあるのかもしれない、とつくづく感じさせられました。
神と魔の人を介しての闘い
後藤徹氏は、まさしく神の遣いとして抜擢されたのですね。
人を介しての神と魔の闘い・・
しかし、魔は、実に巧妙で卑劣ですね。
「拉致監禁改宗ビジネス」を生み出し
神の摂理を妨害してきたのですから。
ソフトじゃない
正しくは「歴史上、最も狡猾な○姦」です。
すみません、訂正いたします。
ソフトであろうが狡猾だろうが
この富五郎。
粘着質で狡猾でやらしい。
ソフトだろうが、狡猾だろうが、強姦はよくねえだろう。
しかも、自分の立場と相手の弱さを利用しての強姦。
合意といい訳できるような強姦。
んなことするのは、男としての自分に自信がないのに、男という強さを誇示したいという、まあ何ともくだらねえ男のプライドよ。
富五郎分析はどうでもいい。
もし、朋子ねえちゃんが富五郎の家に泊まりに行ったらとうなったんだろう?ぞっとするな。
病院の院長も一部看護師も知っていたわけだろう。富五郎の正体を。
それでも、病院に出入りさせてカウンセラーもどきをさせていたのか?
病気でない奴を入院させたり、薬飲ませたり・・元々ひでえ病院だけど。
でも、富五郎の家に泊まりに行くことだけは許可しなかったってことは、最後の良心はあったってことか。
しかし、朋子ねえちゃんは強えな。
こんな想像を絶する体験をしながら、健気に明るく生きているのだから。
尊敬するぜ。
拉致監禁擁護派の挽歌
拉致監禁擁護派の正体不明のネット上の論客で、時々、この火の粉ブログで話題になるSDGさんと、前に紹介した、そのSDGさんを追及する、これまた正体不明の人物の辰さんとの間で、2chでこの拉致監禁問題に関する攻防がありました。
かなり興味深い内容だと思いますのでご紹介しておきます。
経緯としては、「やや日刊カルト新聞」で、辰さんとは別人物(あとでRCFさんと名乗られています)が、
反統一教会・拉致監禁擁護派のエイトこと、田中清史氏に、「物理的手段を使った脱会説得の存在を認めるかどうか」と詰問し、それに対して田中氏は言を左右にして逃げ続け、
代わって、前に物理的手段を用いた脱会説得の存在を認めたSDGさんが、その責任のためか、代わりに対応、
2chでやり取りをしている途中に、辰さんが乱入、SDGさんを論破し、その虚構性と実際の姿を暴くという流れになっています。
SDGさんの主張は、物理的手段を使った保護説得は、隠されておらず、「全国統一被害者家族の会」の本に記されている。それだけにとどまらず、裁判所・検察・検察審査会でも、認められ上で、問題なしと判断されたという主張です。
この論議の中で、SDGさんは今利さんの裁判の意義意味を大幅に歪めて描き出し、それを御自分の論拠とされると暴挙を敢行されていますが、
これに対して、辰さんは一刀両断に論破、切り捨て、SDGさんの虚構性を暴き、拉致監禁擁護派の正体について暴きだされています。
辰さんは言葉荒いし、罵り言葉が非常に多いので、ちょっと見、どちらが悪役かわからないのですが、言っておられることは正論で、論理構成もしっかりしておられ、かつ論拠も明確、また論そのものも常識に従っておられ、皆さんの参考になるかと思います。
ただ、いくら拉致監禁擁護派で非常識な人だと言っても、あれだけ罵られるとSDGさんがかわいそうになってしまうというのが玉にキズのやりとりじゃないかと思います。
SDGさんは、ネット上で活発に拉致監禁擁護の活動をしていた、ほぼ唯一の人物です(他の人物は、活動をほぼ休止していたり、散発的に非論理的に、擁護や、妨害を繰り返す人物群であり、まとまった論陣を張る人物、かつ活発に活動されていたのは、ほぼ唯一SDGさんだけだった、という意味です)。
そのSDGさんが完膚なきまでに、論破されており、
今後、ネット上の拉致監禁擁護の方々の動向が注目されます。
このやり取りの前段となる、「やや日刊カルト新聞」のアドレスは
http://dailycult.blogspot.com/2011/10/blog-post.html#more
のコメント欄、10月6日19時50分の投稿から。
2chのアドレスは
統一教会からの脱会説得【拉致監禁?保護説得?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1317914467/
辰さん登場以降は、
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1317914467/76-
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