元親鸞会信者のサイトをリンクに 

お知らせ(30)


 元親鸞会の信者、ハンドルネーム・「如月廉」(きさらぎれん)さんが親鸞会時代のことを小説仕立てにして綴ったブログを開設されています。
 そのブログ・「草陰の声」を、参照リンクの注目サイトにリンクしました。

 どうかご愛読、お願いいたします。

 親鸞会関係者ばかりでなく、他の団体に所属していた・所属している方もお読みになれば、きっと共通項が見出され、何らかの参考になるはずです。


 少しばかりこの団体のチャートを示しておけば、親鸞会の教祖は高森顕徹。ウィキペディアでの説明は高森顕徹←をクリックしてみてください。
 ただし、以前のウィキペディアには批判的記述が掲載されていたのに、なぜかことごとく削除されている。

 親鸞会関係のブログでは、元信者が開設しているブログ「さよなら親鸞会」が参考になります。

 また活字媒体では、ライターの高橋繁行さんの「親鸞会はカルトか伝統仏教か」(宝島文庫『救いの正体』所収)、拙著の『教祖逮捕』(親鸞vs日蓮)があります。
  親鸞会が他の団体と際立って異なる特徴は2つあります。

 1つは、度し難いといっていいほど徹底した正体隠しを行なっていることです。変な表現ですが、統一教会やカープの正体隠しが可愛く思えるほどです。それは草陰の声を読まれるとよくわかると思います。

 もう1つは、入信過程で死後の世界(地獄)を徹底して教え込むことにあります。
 このため、親鸞会から退会しても、恐怖心を引きずり、信者の精神的予後は芳しくありません。
 元エホバの証人と共通するところがあります。
 エホバでも「サタン世界から滅ぼされる」ことを徹底的に叩き込まれますから。
 負の感情をあとあとまで引きずるという点では、2つの団体はきわめてよく似ています。

 これで、自分の内面をも見つめた元信者のブログは、「幻想の崩壊」(オウム)「草陰の声」(親鸞会)の2つになりました。今後、もっと増えていくことを期待しています。

「如月廉」さん、ブログ更新は長丁場になると思います。どうか体調と照らし合わせてやってください。


お盆期間中の拉致監禁を心配していましたが、今のところ、新たな事件は発生していないようです。

 しかし振り返ってみれば、この火の粉ブログを立ち上げてからお盆(8月13日からの3日間)、正月三が日に拉致監禁されたのはそれほどありませんでした。
 つまり、お盆とか正月とかは関係なく、実家に戻るときは気をつけるべし、ということです。
(N君のように、実家で親と一緒に暮らしていたのに監禁される場合は処置なしです)

 拉致監禁リアル情報に「新たな事件発生」を書かなくてすむことを願っています。

関連記事

コメント

教団を去るということ

「草陰の声」、見出しを読んで、後半の何章かをざっと読ませていただきました。

米本さんがこれを注目サイトとして推奨されるお気持ちがいまいちよく分かりませんでしたが、筆者が心の声を丁寧になぞり、人間関係を再構築されようとしておられる姿は、ある意味、ほのぼのとした気持ちにさせられました。

ちょっと批判的で恐縮ですが、教団を辞めた後、教団を批判するという人には、正直、共感が持てません。

修行をさせる場でもある教団には、大なり小なり、非人間的で、非常識なところがあり、端で見ると、おかしいと思うところだらけです。

しかし、人間が未熟な存在(罪ある存在)で、現在の世の中が俗(低俗)である、ということからスタートすると、自らの魂を清めるために修行して、世俗には迎合しないで清い世界を広げようと活動している、といった側面があるわけで、その教団生活は過酷で非常識的なものにならざるを得ません。

その意味で、どんな教団にしても、そこを辞めた人というのは、その修行に耐えられなくなった、道半ばで挫折した、という側面が必ずあると思います。

修行の途中でリタイヤした人が、修行を継続している人・教団を批判しているというわけですから、あまり誉められたものではありません。

教団のカルト性や反社会性みたいな部分に問題がないとは言いません。
できることなら、社会と上手く折り合いをつけながら、そうした修行の場を提供していくというのが望ましい姿だと思います。

仮に、元信者みたいな人の割合が増えて、そうした人々が社会を形成していったとしたら、一体、どんな社会ができるでしょうか。
私は、ある意味、なげやりで、何事にも中途半端な、アナーキーな社会になるような気がします。

元信者という人には申し訳ありませんが、何か信仰を持っている人間のほうが、私には尊敬できます。
それが仏教であろうが、キリスト教であろうが、新興宗教であろうが。

少なくとも、信仰を持っている人には不倫や買春などを敬遠する感性があります。それだけでも、非信仰者よりは偉いと思います。

ですから、非信仰者の親族や元信者らが、拉致監禁をして信仰を棄てさせようとする行為には悪魔性を感じるのです。

記事の更新が行われたようです

情報感謝!

 影の人物さん、教えていただきありだとうございました。

 確かに「正義の仮面を剥ぐ」ブログに<似非政治家「有田芳生」に告ぐ>が更新されていました。

 貼り付けていただいたURLはヤフーブログ。その過去記事を読むと、山口弁護士だけではなく、なんと宮村氏の愛人スキャンダル記事も削除されていた!

 宮村氏は、記事もものかは、いつも後藤裁判、宇佐美裁判には威風堂々、ときにはふてぶてしさを漂わせながら東京地裁にやってきています。おそらく皆勤賞なのでは。

 それを見た人は旅団記事など歯牙にもかけない監禁諸派の大物だ、と。
 しかし、私の印象は少々異なって、「オレは記事など歯牙にかけていないのだ」という印象を周囲(統一・反統一どちらにも)に与えるために、演技しているのではないか-というもの。

 その理由は、法廷に入ると、他の傍聴者がほとんど身じろぎもしないのに、宮村氏の身体はよく動いていたから。(足の組み替え、ふんぞりかえり、肘かけの移動、傍聴者の顔ぶれの観察、首の左右上下など)
 2つの裁判が始まった頃に見られた、宮村&宮村ガールズの集った光景はなくなったし。

 今回の記事削除で、彼が愛人スキャンダル記事をとても気にしていたことがわかりましたとさ。クスッ

 ところで、「似非政治家」の記事では、有田氏の嘘のことが書かれていましたが、私に対する嘘もこれまでしきりにつぶやいていたことから考えると、旅団記事は正確ではないかと思います。

 例えば、電波議員こと有田氏は、宇佐美さんと本部職員と私の3人で、宇佐美さんが逮捕される前に対策会議を開いていた-というつぶやき。

 ところが実際は、当の宇佐美さんにとって逮捕は寝耳に水。逮捕されるなんて、これっぽっちも思っていなかった(前回の法廷証言)。私も新聞で彼の逮捕を知って、教団に確かめ、あわてて荻窪警察署に面会に行っで、インタビューをしたという次第。

 そもそもの話。対策会議をしていれば、当然家宅捜索対策につながるわけで、興信所の調査データなどが押収されることはなかった。

 有田氏はこうした単純なことすら考えることができず、俗耳に入ってきたエセ情報に飛びつき、「知ったか」をやってしまう。

 情報ソースは統一教会幹部だと自信たっぷりに書いていたと記憶するが、おそらく、分派か似非幹部から耳打ちされて(あるいは電波で流されて)、「知ったか誇示」癖で、喜び勇んでつぶやいたということなのでしょう。

 どうも、この前の参議院選挙前後から、有田さんのところに分派さんや、似非幹部さんがやってきているようだとさクスッ

 有田つぶやき・ぼやきが始まれば、また教えてください。

※私が予測するつぶやき。「白い旅団が私を批判すれば、米本も追随する。やはり連携しているのだ。御用だ、御用だ」

 なお、FC2ブログなどヤフー以外のブログでは、旅団記事はすべて削除されていません。


(お願い)このテーマでのコメントは次回の有田さんに言及するブログでお願いいたします。

信仰を棄てることの意味

(みんなさんの投稿に触発されて:ややというか、かなりの長文です)

 離婚経験者に聞くと、結婚するより離婚するほうがはるかにエネルギーを使うそうです。なんとなくわかります。

 それと同じように、宗教教団(に限らずイデオロギーの強い団体)に入会するより退会するほうがはるかにエネルギーを使うと思います。
 ヤクザ組織でも、入るより抜けるほうが大変・・・そりゃあ、そうでしょう。日章旗を背に「杯を授かる」より、「小指一本差し出す」ほうが大変に決まっています。

 ところで、日本の宗教学・宗教社会学において入信(回心)の研究はなされていても、棄教のそれは浅学の限りだけど、ほとんど読んだことはありません。
 もっとも、入信の研究だって、島薗進さんの大本教以外たいしたものはないようですし、「最近宗教」に関してはまるで研究がなされていません。

 ジャーナリズムのレベルでも、毎日新聞の『宗教を現代に問う』(確か1970年頃に出版)以降、本格的なものは全くありません。

※共産党は数年前、経費節減で選挙区全区で候補者を立てないことに決めた。しかるに、幸福の科学は全区で立候補者を立てている。つまり、ある一面で共産党より幸福の科学が力をもっているということである。
 なぜ、人々は幸福の科学に魅かれるのか。
 これは大きなテーマである。
「カルト新聞」の藤倉主筆様から幸福の科学について質問があったとき、上記のテーマでやれよと話したが、重箱隅派というか横っちょライター?さんにはピンと来なかったか、無理だったようだ。


 人が何かを信じると、端から見れば取り憑かれたように、信仰活動にのめり込む。その人の人格さえ変わったように見える。
 これは間違いなく、アカデミズムやジャーナリズムのテーマになります。
(ちなみに、宗教絡みの記事を書くきっかけとなったのは、「なぜ、人の心は変わるのか」というのが最初の問題意識でした)

 それと同じように、「取り憑かれている」と思われていた人が、ある日突然(その人にとっては決して突然ではない)、その信仰をなぜか棄ててしまう。入信する以上に苦しみ、葛藤があったはず。
 <なぜ、彼・彼女は信仰を棄てたのか> 
 入信するよりはるかにエネルギーを使う退会・脱会。学者・研究者また記者が取り上げてしかるべきテーマです。

 その意味で-みんなさんは<米本さんがこれを注目サイトとして推奨されるお気持ちがいまいちよく分かりません>と書かれているのですが-私は棄教の過程を注目しているのです。


 話変わって。
 宗教などイデオロギー団体を主宰する人たちも、自分たちの組織を浄化し発展させるために、<なぜ退会なのか>は注目すべきことだと思います。

 そのことに注目しないから、組織は衰退していく一方です。

 ここで議論になるのはイヤだから(話が発展しそうだから)統一教会のことは例に出しません。日本共産党を例に出せば、最近読んだ新聞によれば、日刊紙『赤旗』は赤字に転落したそうです。その根本原因は党を離れる人が多いからです。

 <なぜ党を離れていくのか>

 共産党はそのことに最大の関心を抱き、党を離れていく人の声に耳を傾ければいいはず。しかし、ボヤキはあっても、そのことに関心さえ持とうとしない。有田氏のことを「裏切り者」といってオシマイ。

 なぜ、人は組織から離れていくのか。

 これは実に興味深いテーマだと思っています。
 そういう意味で、草陰の声が元オウム信者、続いて元親鸞会信者からあがったことは大きいと思っています。

 統一教会から離れた人も少なくありません。
 拉致監禁という手段を媒介にせずにやめた人のほうが圧倒的に多い。
 しかし、よく投稿される小川さんは別にして、自主脱会者・退会者の圧倒的多くは「騙された」「マインドコントロールされた」といった無味乾燥というか、まるで総括になっていないものばかり。

 元食口さんの、内面をさらけ出した草陰の手記を期待しているところです。

(追記)これは「みんな」さんへの反論ではありませんから、誤解なきように、ペコリです。

退会のエネルギー

<なぜ、人々は幸福の科学に魅かれるのか。>
今週の日曜日にクルマで通行中、大勢の人たちが歩いているのを目撃して、「なんだろう?」と思ったところ、幸福の科学の建物からあふれるように人々が出てきていて、どうしてこんなに多くの人が・・・と思ったばかりだったので、つい投稿しました。

さて、退会にエネルギーが必要ということで思い出したのは、カトリックの修道女になるのに一生涯必要な生活費を修道院へ納めるという話をきいたことがありました。今から50年ほど前の話ですが。

そうであれば、財産を手放した以上、そう簡単に退会はできないだろうと思いました。信仰心と財産の関係を考えても大きなエネルギーが必要だと思います。

ララさんに感謝&謝罪

 ララさん、私の琴線に触れるような投稿ありがとうございました。

 もっと対話したいのですが、次に進むことにします。

 いずれ、信仰&棄教のテーマは、本記事でやるつもりです。

 そのときには、ぜひ、再びカトリックの修道女のことを教えてください。

 修道女と統一教会献身女性との生態的な比較検討を、真面目にしたいと考えてみます。

 服装・お小遣い・社会との交流・マスメディアとのアクセス、化粧を含むファッションなど。

教会での居場所

 いつも関心の高い話題を有難うございます。
 一つの理由は、居場所が有るか無いかだと思います。相談できる人、教会の中で仲間を持っている人は、居場所が有ると思います。
 
 
 

Re: 教会での居場所

 問題意識が共有できて、うれしいです。

 信仰を棄てるという場合、字義通りに信仰そのものを棄てる場合と、信仰組織から離れる場合との2つがあると思います。

 後者の場合、林さんが指摘されるように、居場所の有無はきわめて重要な要素でしょうね。

 では、なぜ居場所がなくなってしまうか・しまったのか。そこを分析するのは、失意のもと、組織を去った人たちのためにも、重要なことだと考えます。

 もうしばらくしたら、統一教会批判を再開する予定です。
 タイトルと関わるような記事をアップしたとき、議論できればと思っています。

如月さん、頑張って

 読みごたえのある傑作ブログ、ありがとうございました。学ばされること多しでした。

 せっかくの傑作なのに、「さよなら親鸞会」とか親鸞会ブログポータルに取り上げられないのは、どうしてでありましょうか?
   

わしの体験

居場所は無かった。
話さなくても分かると言うから話さないでいると分からないと言う。心配しているのは表だけ。接触してくる人はわしの事ではなく紹介者だけを心配して相手する。都合が悪ければ人事となり韓国へ。謝罪らしいものはあっても手紙だけ。

これはわしの体験。今はどうなのか分からないけどね。
簡単に言えば愛情訓練の実験台にされている感じだった。小細工ばかりで愛情は感じられなかったね。まあ、人間いろんな人たちがいるから全てがそうだとは言わないけど。

教会の外から

”みんな”さんに反論するわけではないのですが、(気分を害されたらすみません)

>その意味で、どんな教団にしても、そこを辞めた人というのは、その修行に耐えられなくなった、道半ばで挫折した、という側面が必ずあると思います

>少なくとも、信仰を持っている人には不倫や買春などを敬遠する感性があります。それだけでも、非信仰者よりは偉いと思います。


といわれるとちょっと違うんじゃない?
そういわれると、なんかすっきりしないわ...
と思ってしまいました。
挫折...うーん、そういう面もあるかもしれませんが、
私は価値観の変化ととらえたい、とおもいます。

それから宗教人でなくてもこの世には倫理、道徳をよく守る善人も結構いますよ。
反対に宗教人でも平気で倫理道徳を破る人もいる...

以前であったクリスチャンは
「私はイエス様によって過去の罪も未来の罪も全て許された」
といわれ私はぶっ飛びました。(この論理から言うとイエスさまを信じれば
極論、何をしてもいいともいえますよね)
勿論、宗教が不必要だとか、よくないというわけではあるません。
ただ、盲目的に「はまる」もしくは「依存する」ことが
危ないかもしれないということです。

そういう意味で、信者の心のうちを語った「草陰の声」を
私は結構興味深く、共感して読ませてもらいました。
なので上記の評価はちょっと残念だなあ、と。


そうそう
米本さんのおっしゃる
> なぜ、人は組織から離れていくのか。

....興味深いテーマです。
ぜひこういう内容で一度記事をアップしてください。



あ、あと ukiさんの
↑「愛情訓練の実験台」!!!!!!!
なんかこの表現にも、とても共感してしまいました。
私自身よく体験するし、過去、私自身が他人にこのように接していたと反省させられる点です。



..............。



教会批判をしたいわけではありませんが
価値観を依存していた組織から一歩はなれて世間や自分を見てみると、
いろいろなことが悟らされるものです。

勿論、教会にいながら立派に生きていらっしゃる方もいらっしゃいますよ。
ただ私のように不足な人間がよくわからないまま
教会の教義をふりまわすと
はっきりいって公害以外のなにものでもないなあ、と。

本当に大切なものはなんなのか、を考えさせられることが多い今日この頃です。

無宗教は「普通」じゃない

教団を辞めた人が、教団を批判する。

たとえば、①やくざ組織から足を洗った人が、やくざ組織を批判する。
②野球部を辞めた男子が、野球部を批判する。

①については評価でき、②については評価できない。一般的には、そういう感覚だと思います。

そういった意味で、辞めるは辞めるでも、どの組織を辞めたのか、ということが評価と非評価を分けるのかと思います。

統一協会(教会)は組織としてどうなのか。犯罪組織?、それとも健全な宗教団体?
この辺について、どう認識するかで、見方が180度違ってくると思います。

一つ思うのですが、日本は無宗教・無信心・無教団でも通用する国ですが、これは世界的に見ると、極めて特殊なことです。

世界的に見ると、イスラム教でもキリスト教でも、某かの宗教を信じている、教団に所属している、というのが「普通」です。

棄教のために親族ぐるみで拉致監禁を行っている、しかも、それを国家権力が黙認している、なんて国は日本くらいでしょう。

イスラム教徒で、一部の連中がテロをやっているので、私はそんな犯罪に関わっているイスラム教の教団から足を洗いました、なんて話は聞いたことがありません。

その意味で、無宗教・無信心・無教団という生き方は、私にはどうしても「普通」ではない、というふうに思えるのです。

だから、神を信じていた人が、神はいないという価値観に転向した、という場合、いくらその人が道徳的に立派でも、私には尊敬できないのです。
その人の生き方・価値観は尊重はしますが。

みんなさん

みんなさんへ

おっしゃることはごもっともです(一部をのぞいて)。

同じ監禁体験者でいらっしゃるんですよね?

すみません、私はまだ気力的にも精神的にも余裕がないようで
みんなさんのように理論的に力をこめてどうこう言うには能力不足のようです。
そのためかちょっと心にひっかっかった一部分を
無意味につっついてしまったようです。


ただ、ひとこと言わせていただくなら
この数年、韓国における宗教人の傲慢性みたいなものとか
教会の方々の強迫観念みたいなものと
教会から受けているその管理とか強迫性、価値観を子供教育に
そのまま使っている姿をよくみかけます。

何を隠そう以前の私も何をするにも
教会ではこうだから....と相手の状況を正しく把握できずに
教理で判断していました。
ちょっと離れて過去を振り返ったときに
対人関係において
特に子育てにおいては、もっと子供の心の声に
耳を傾けてあげればよかったと後悔することがたびたびです。

きっとみんなさんは不足な私とちがって
立派に子育てされているのでしょうね...。


まあそんなわけで
もっと大切なのは、教理ではなく
人として、その人の心を尊重し、可能性を信じてあげることではないか
と思うにいたったわけです。

神を信じる信じないより
組織に依存せず自分で判断できるか、できないか......。
私はそれを問いたかったのです。


まあ、そういう意味では組織に所属していなくても
宗教人といえるグループがあることをちょっとわすれていたのも
事実ですが。



あ、管理人様、投稿のお約束からはずれてますね。
どうぞご判断の上、必要でしたら削除してください。

教えは立派

わしは統一教会で教えていた事は悪い事ではない良い事だと思う。無宗教の人でも受験や就職、病気や事故に直面すれば神頼みするだろうから自分勝手だとも思う。それらは霊感商法とは言わないのも平等でないとも思う。

それでなぜ離れるか?

人間、知識や力に屈服するのでなく愛情に屈するのです。愛情が無ければどんな立派な教えでもそこにいたいとは思わないだろう。

でも離れた人がすべて無宗教になったのかは疑問です。
心の底でくすぶっている人は多いと思います。
例えばわしの知る元信者で「飛行機には絶対乗らない」と言う人がいます。教会はとっくに去ったのにいまだに何かにおびえているようす。

初めてコメントさせて頂きます

初めてコメントさせて頂きます、如月廉と申します。お邪魔してしまって、すみません・・・

>米本様
リンクとご紹介を頂き、有難うございます。少しでも長く続けられるように、自分のペースを考えながら運営していきたいと思います。

>みんな様
私のブログを読んで下さって、有難うございます。自分は、学生時代に教団とかかわったことで、他の人とのいい関係を築き、人間として成長するのが、一般の人よりも遅れてしまったかもしれないと思います。
なので、教団をやめた後、それらのことが自分の中で一番の課題になったのだと思います。

>ヨッシャー様
私のブログを読んで下さって、有難うございます。「傑作」といって頂けて、お励ましの言葉まで頂けて、本当に、嬉しいです・・・

>タル様
私のブログを読んで下さり、有難うございます。私は、宗教学のことは分からないのですが、現実の中で、人とのつながりの中で
生活していることを忘れてはいけないなと、しばしば反省させられます。

それでなぜ離れるか?

タルさん、久々の投稿ありがとうございました。

 韓国の地では江利川女史に加え、また新世事件後に半島に戻った韓国牧会者、そして狂信的な日本婦人によって、ここ数年、韓国・統一教会は変質(人と人との関係の喪失)していると聞いています。

 タイトルはukiさんの文章から頂戴したものです。

「それではなぜ離れるのか」

 これからおいおいに意見を出し合ってもらいたいと期待しています。

 組織は違えど、如月廉さんにも参加してもらいたいと期待しています。

もうすこし...

米本さん、もう少し、この<有田国会議員と不作為の罪>の、項をおいていてください。

有田氏の実態を、国民に伝える責任が、私たちには、あります。
  • [2011/08/27 00:25]
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yoshi さんへ

Yoshiさんの英語のブログのinformationを、リチャードソン教授にいつもお伝えするということは、どうでしょうか?(もうそうされているかもしれませんが。)

それから、拉致監禁強制棄教事件についての、有田氏の言動を、英訳して、米国の政治家や、学者に、伝えることは、どうでしょうか?有田氏は、日本の国会議員であり、公職にある人ですから。
  • [2011/08/27 04:52]
  • URL |
  • Georgia Pine
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  • TOP ▲

Georgia Pine さんへ、

後藤さんが裁判所に提出した書類の英訳と、リチャードソン教授の論文の和訳(要約)の後半も完了してから、手紙を書こうと思っています。連絡先は手に入れてます。

英語で紹介したいことがたくさんあります。今は、後藤裁判の資料に集中しています。追いつかないほどの量なのですが、早く被告側のすばらしい作文を世界に流したいと思っています。

区切りのいいところで、他のことも紹介できるかもしれません。しかし、確約はできませんけどね。

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