カルト新聞と主筆様を評す(7)-幼児性と謀略性
カルト新聞と主筆様を評す(7)
まるで学級新聞
話の流れからすれば、藤倉氏のミニ・ヒストリーの続き、すなわちライブドアニュースから「カルト新聞」創刊に至ったことに進むべきだろうが、ここでは「統一協会“反拉致監禁キャンペーン”後藤事件で第1回弁論」の「3月26日付記事」を取り上げておく。
「3月1日付記事」「“統一協会容認派”ライターが本紙主筆をデマで中傷」と比べると、明らかに質が変わっている。
読み比べて欲しい。
「3月1日付記事」で、私のことを批判的に書くのはある意味で必然性がある。なぜなら、「藤倉氏らが全国弁連の秘密会合に出席していた」と暴露した私への反論が主テーマだからだ。
ところが、「3月26日付記事」の主テーマは、見出しにあるように、後藤裁判の第1回弁論についてである。
ここで私のことに言及するのは、まるで必然性がない。
それなのに、記事全体の約3分の1が私のこと。異様かつ異常な「新聞記事」といっていい。
記事を直接読んでもらいたいが、
(1)裁判の傍聴するための列に、私が割り込みをした。
(2)私のことを、アメリカ国務省からも「統一教会から独立した情報源」とは認められなかった人物と評する。
(3)「感情的にならずにやりましょうね」
といった実にくだらない記述である。
ただ、(2)は謀略じみたレッテル的な論評なので、次回、丁寧に述べることにしたい。
先に、(1)と(3)のことについて、述べておく。
(1)は、<太郎君が割り込みをした。いけないことだよ>といった小学校の学級新聞レベルである。
学級新聞に反論するのは、何だか自分が落ちていくような気がして嫌なのだが、この件については個人メールでの問い合わせもあったことだし、事実経過を説明しておく。
①東京地裁709号室に到着したのは10時20分頃。(法廷は10時30分から)
巨大地震の直後、しかも計画停電で関東圏はパニック状態、さらに小雨。傍聴人はほとんどいないだろうと709号室に近づくと、なんと長蛇の列。
どんな顔ぶれが集まっているのかと、行列の前のほうに進んでいくと、旧知の小林宗一郎氏が手を振っていた。
小林氏は拙著にも登場した3回もの監禁体験者。田中清史氏がエイトブログで実名で誹謗している、エイト君にとって天敵・教会員である。
②小林氏のところに行き、ちょっと談笑していると、背中の後ろから年配男性がすごい形相で「割り込みだぞ!」
それに対して、小林氏はすかさず、その男性に向って「ぼくと替わればいいんでしょっ。(それなら、文句ないでしょ)」。小林氏が私に順番を譲ってくれたため、男性は沈黙してしまった。
ちなみに、この年配男性とは閉廷後にも遭遇、宮村軍団の1人(おそらく元信者の父親か)であることがわかった。
たった、これだけの話である。
宮村氏を支援する宣伝チラシにならまだ理解できるが、「新聞」を冠にいただく「カルト新聞」で、なぜ割り込みのことが記事になるのか。不思議というか幼稚というか。
そのくせ、訴状を読んでいながら、しかも記事のテーマが「後藤裁判の第1回弁論が始まる」であるにもかかわらず、後藤氏が何を訴えたのかまるで紹介していない。幼稚さの中に陰険さが感じ取れる。
(参照サイトは「宮村氏・山口代理人サイドに偏向した『やや日刊カルト新聞』)
実にどうでもいいことなのだが、
次回口頭弁論は、5月17日13時30分、場所は同じく709号法廷。次回以降も統一協会信者の動員が行われる可能性が高く、傍聴は抽選となりそうだ。抽選の場合、ルポライターが列に割り込むこともなくなるだろう。
これについても触れておく。
これからしばらくは傍聴に行かない。そうすると、「割り込みを指摘されたからだろう」とまた幼稚なことを書かれるかもしれない。それで先に説明しておく。常識の類に属することを説明しなければならないのは、実に面倒である。
でも、藤倉氏は知らないようなので・・・。
民事裁判の場合、「口頭弁論」といっても、法廷で原告、被告双方が丁々発止、主張するような字義通りの口頭弁論は行なわれない。先日の「第1回口頭弁論」でもそう。事前に提出された訴状と答弁書を、裁判官が書面の記号などを実務的に整理しただけで終わりだった。
これから行なわれる弁論も、法廷で話すことを書面にまとめた「準備書面」等が裁判官に提出されるだけのはず。だいたい5分間で終わる。
繰り返しになるが、刑事裁判と違って、民事の弁論は書面をやりとりするだけなのである。
「口頭弁論」という用語はまやかしであり、「書面弁論」に変更すべきだと常々思っているが、提言する人がいないのか、頭の固い法務省はいっこうに改めようとしない。
傍聴者は、せっかく地裁に足を運んだというのに、何が行なわれているのか、どんな書面が提出されたのか、まるでわからない。そんな状態がしばらく続く。
陳述だって「陳述書」が提出されて終わり。本人が法廷で陳述することはない。
そんなところに、支援者ならともかく、記者は顔を出さないものである。これは常識中の常識だ。
フリーライターになってからそろそろ5、6年になろうとする人がこんなことさえ知らないのかと、愕然とする。
今回の場合、書面は「宮村裁判記録」で、逐一アップされる。それを読めば、双方がどんな主張をしているか、机の上で読むことができる。
統一教会もアンチ統一教会も、ブログの世話人の方々に感謝すべきだろう。
記者が傍聴に出かけるとすれば、「証拠調べ」のときだ。
どんな証言が飛び出すのか。
しかし、それも証言録としてまとめられるので、あとでそれを読めばいい。だから傍聴しなくてもいいのだが、証人がどんな表情で答えるのか、同じ「イエス」でも、困った顔なのか憤然とした顔でか、それを観察したいから出かけるのだ。
しかし、民事裁判の場合、司法記者クラブに所属する記者は、証拠調べのときでさえ顔を出さないはず。なぜなら、記事にすることがあるとすれば、それは「判決」のときだけ。だから、証拠調べの法廷であっても顔を出さないのが通例なのである。解説、お~しまい。
学級新聞というか井戸端新聞
次の記述は、おそらく読者には意味不明だろう。
■感情的にならずにやりましょう
米本氏は、本紙<“統一協会容認派”ライターが本紙主筆をデマで中傷>に登場した人物でもある。その米本氏、閉廷後に、統一協会の拉致監禁キャンペーンに対して懐疑的な立場を取るジャーナリストと遭遇。握手を求め、こう口にした。
「おたがい、感情的にならずにやりましょう」(米本氏)
これについて本紙主筆・藤倉は、ニヤニヤしながらこう語る。
「お ま え が い う な」
<ニュースがもっとよくわかる>の池上彰さん風に、わかりやすく説明しておく。
私が握手を求めたのは、フォトライターの藤田庄一氏である。
南山大学でのシンポジウムのときを含め(『宗教と社会のあいだで』を参照。藤田氏と私の話も載っている)、彼とは何度か会っているが、印象深いのは今利理絵さんが黒鳥牧師らを訴えた裁判で、被告の証人尋問があったときの帰り道、喫茶店で話したときのことである。
このとき、私は保護説得の不当性を語った。彼に意見を求めると、「保護説得は良くないと思うよ」。ただ、なぜか顔がぎこちなかった。それが奇妙な感じがして印象的だったのだ。
このあと、彼と会ったのは2009年だったか、ともかく拙著が出版されたあとのこと。宗教情報リサーチセンターのシンポジウムの会場だった。そのとき、目礼したが、彼の表情は硬直し、フンという感じで横を向いた。
こうしたことがあったから、東京地裁で、私にニコニコ顔を見せる藤田氏の表情に内心、驚いた。
<この前のシンポのときの表情とまるで違う。あのときは私の思い違いだったのか>
それで、私もうれしくなって、ニコニコ顔で、彼に握手を求め、「意見、立場は違っても、感情論に走らず、やろうね」と話した。
この発言に何か話題になるようなことがあるのだろうか。ご近所でもよくあるような話である。
私が「意見の対立がある君とは口も聞きたくない。敵対関係になるからそのつもりで」と話したら、割り込み以上のネタ(?)になるかもしれないが、「感情的になるのはやめよう」というのがなんで、学級新聞のネタになるのかさっぱりわからない。まさにアンビリ話である。
*まるで学級新聞に投稿しているみたいで、気恥ずかしいというか、時間の無駄というか、社会的にはまるで意味がないこと。だんだん自己嫌悪になっていく。ルポライターになって数十年、こんな下らない文章を書いたのは初めてのことだ。
統一教会員でさえ、<太郎君が割り込みをした>とか<太郎君が次郎君に「仲良くしようね」と、握手を求めた>なんて幼稚なことを、ブログで書かないのに。こんなたとえ話に統一教会員さんを持ち出すのは失礼だったか。謝罪、ペコリ。
あとで自分が書いた「カルト新聞」を読んで、「本紙主筆・藤倉」氏は赤面しないのだろうか・・・。
お互いにニコニコ顔そして握手。
このときの藤田氏と私とのことは、周囲に人はいなかったし、小声だったから、私たちしか知らない。
藤倉氏にしゃべったのは、藤田氏だろう。どんな口調だったのかは想像できる。
彼は、ちょっと興奮したり、得意気になったりすると、しゃべり方がべらんめえ口調になる。こんな風に話したのではなかろうか。
「そんでよぉ。米本の野郎がよぉ。ヘラヘラした顔で、俺に握手を求めてくるんだぜ」
「そもそもあいつはよぉ。カルト問題でスクープを飛ばしていたけどさぁ、あいつの取材姿勢には問題点が山ほどあるんだぜ」
藤田氏の幼稚な話、いや違ったご高説をうかがった藤倉氏はニヤニヤ。(少々、気色悪い)
前回書いたが、カルト新聞で「米本氏の取材姿勢には様々な問題点が指摘されている」という部分は、藤田氏の言葉を元にしたものだろう。
藤田氏について言及するのはテーマから外れることになってしまうが、3点だけ述べておく。
(1)全国弁連の秘密会合にはフォトジャーナリスト!の藤田氏も参加していた。彼は山口弁護士ととても仲がいい。旅行に一緒に出かけたこともある。
(2)「保護(拉致監禁)説得」に対する姿勢は、「保護にもいろいろある」といった曖昧なもの。相手によって発言を変えるなど、けっこう風見鶏的に立ち回るような印象を受けている。1対1で話すときは紳士的。多勢のときにはべらんめえ調。こう書くと、そうそうと頷く研究者はいるはずだ。
(3)藤田氏は、藤倉氏が新聞の切り抜きアルバイトをしていた「宗教情報センター」の理事?をしていたはず。2人の関係を会社組織で言えば、幹部社員とアルバイターとの関係だった。
おまえ呼ばわり
藤倉氏が人として足を踏み外してしまったのは、次の記述である。
これについて本紙主筆・藤倉は、ニヤニヤしながらこう語る。
「お ま え が い う な」
『日刊ゲンダイ』の次長(当時、社のナンバー2)に頭を下げて彼を紹介し、大手出版社の編集者を紹介し、雑誌社からの仕事の依頼を振り、「自己啓発セミナー団体から名誉毀損で訴えると言われたけど、どうしたら」といっいた相談には丁寧に答えてきた・・・。
彼の今の年齢は40歳近く、私より2回り近く下である。
それなのに「おまえ呼ばわり」だ。再び、人って何だろうな、と思ってしまう。
その回答は見つからないが、「人として堕ちたくないものだ」と自戒するばかりである。
ちなみに、「カルト新聞」の記事に頭にきたとか、心が動かされたことはない。だが、学級新聞レベルの下らない記事にコメントすることに、とても不快な気分になったのは確かだ。
それで、精神を浄化させたいと、埼玉県立近代美術館に「アール・ブリユット・ジャポネ展」を観に行った。記事に造形物の写真を載せているが、そのときに撮ったものである。
一番心が洗われたのは、次の写真である。
-追記-
この原稿を書き終え、アップしようという段になって「待てよ!?」 と思った。
<藤倉氏は幼稚な文章を幼稚と思わず、無邪気に記事を書いたのだろうか>
北海道大学に合格した高偏差の藤倉氏だって、幼稚な記事を綴っていることぐらい、自覚でできていたはずだ。少しばかり存在自体が軽いところはあるが(「藤倉善郎さん決断インタビュー」を参照)、彼は阿呆ではない。
そうすると、どういうことになるのか。
彼はカルト新聞読者に、私のことを目的意識的にネガティブに印象づけようと、幼稚な内容であることを自覚しながら、あえて割り込み記事を載せた-ということなのだ。
“カルト”批判の記事を長く書いてきた私は、拉致監禁のことを知ってから、統一教会にも拉致監禁にも批判的な立場を取るようになった。さらに、拉致監禁の実態を深く認識できるようになってからは、拉致監禁にたんに批判的というより、反対する立場に転じた。
拉致監禁に反対する現役教会員(統一教会に比較的好意的な人を含め)は多いが、統一教会に批判的で、なおかつ拉致監禁にも反対だとする人は少数派。その中でも、ライターということになると、私は稀有な存在といっていいだろう。自意識過剰の誹りは甘受する。
反統一&監禁諸派からすると、私は目障りでしょうがない存在といっていい。全国弁連の秘密会合で「火の粉ブログをどうにかならないものか」が話題になったことでも、そのことがわかるし、まだいろいろある。
このため反統一&監禁諸派は、邪魔者は消せとばかりに、私が人格的にも問題のある、信用のおけない物書きであり、統一教会寄りのライターである-ことを印象づけようとしてきた。
とりわけ、現役信者をもつ親にとって、統一教会寄りのライターなら拉致監禁のことを批判するのは当然だということになり(認知的協和)、私の影響力はきわめて薄れる。
実際、信者家族の勉強会で、牧師など強制説得家たちは、そのように吹聴している。
水面下でなく水面上で、その先兵的な役割を果たしているのは、執拗に私のことを「統一教会御用ライター」とレッテルを貼っている有田氏だった。そしてそれに「藤倉主筆のカルト新聞」が加わるようになったというわけである。
藤倉氏の「統一協会容認派ライター記事」も「割り込み記事」も、この文脈で見ていくと(歴史の中の個人の役割)、納得がいく。
このことは、次回のブログでさらに理解することができると思う。
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コメント
拉致監禁反対
ワタクシなんぞ社会的に何の影響力もございませんが、これまで「反カルト」的立場で本を出していた米本さんんとなると・・・
やっぱり「目の上のたんこぶ」でございますわね。
だから邪魔者は消せ!とばかりにやってくるわけですね。
アメリカさまがパキスタンというれっきとした国家に通知もなく「軍事行動」をしたように。(これは●らしの方々のこと。)
藤倉主筆は北大中退ですか。
大変優秀な方だったのですね。
何故今はこんなつまらない事をなさっているのか。
生きていくということは大変なことなのですね。
わたしだって!
どこかのブログのコメント欄で書いたんだけど、子どもの頃、学級新聞委員になりたかったのォ。でも、勇気がなくて、というか自信がなくて、いつも手をあげることができなかったんだァ。
でも、「ときおり日刊新聞」を見て、なんだか自信が湧いてきちゃったッ。これなら、わたしだって、新聞作れるぅ~って。
そうねぇ~、新聞の名前は「食口井戸端新聞」。
ネタはあるか?って
そんなの、たくさん転がってるわよ。
見出しは「食口のくせに」
ヒョンジンニムが日曜礼拝の講師を務められるときなんか、モォ~すごいのぉ。行列ができちゃって。
食口のくせに、割り込みする人だっているんだから。それを書いちゃうわ。
こんなタイトルの記事だって書けるわっ。
「仲直りしようとしたのに」
「お世話になった兄弟をおまえ呼ばわりする傲慢食口」
カルト新聞のパクリ?
オリジナルだってあるわ。
「厳粛な聖酒式でオナラをしたバカ食口」
「厳粛な聖酒式で、お代わりを要求したサタン的食口」
ああ、あたしって、すごいワ。どんどん企画が出てきちゃうッ。ああ、自信が汗のように吹き出してくるゥ~~。
藤倉ニムに感謝しなくちゃあ。
そ!そうだッ!こんなところにいる場合じゃないわッ。さっそく、企画書を作らなきゃァ。
米オッパ、ごめんね、またね。記事が出来たら、送るわね。バイバイ。
いったい何を考えているのだろう?
感想として、藤倉氏の抗議騒動及び「やや日刊カルト新聞」の米本さんの記事、いったい何を考えてこんなことを書き、こんな騒ぎを起こしたのだろうとつくづく不思議に思います。
米本さんの論評に真っ向から反論できなければ、こんな騒ぎを起こしたらものすごいダメージになる、というのが判りそうなものだけど・・・・。
偏向報道批判というのは、大新聞でも、大TV局でも結構あります。
実際の話、大手新聞社でもそれらにすべて対応しているわけでもないし、反論を出している訳でもない・・・と思うのですが・・・・。
その偏向報道であるという批判こたえることができなければ、細かいところにも対応しない。そうすれば、傷は比較的浅くすみます。
偏向報道という批判に対応しないという批判でも、「大手新聞社でも全部対応しているわけでもないし、個々の評価はそれぞれでしょう。ただ米本氏の評価と取材に対する批判は参考にして今後の糧にします」とでも答えればそれで済む話だったのにな・・・・と。
下手に重箱の隅をつつくと、枝葉末梢には反応するのに、本筋には対応しないおかしさが浮き彫りになって、ダメージは回復できないほどに大きくなる・・・・というのが読めなかったものかと・・・。
ここらあたりも、彼らがごっこレベルである証拠のような気がします。
若気の至りで、目障りな米本さんを退治して周りから拍手喝采を受ける幻想でも見ていたのでしょうか?
そうであれば、不純な動機を持ち込むと思考が限定されてしまう見本のような・・・
後藤さんの裁判記事に、
(1)裁判の傍聴するための列に、私が割り込みをした。
(2)私のことを、アメリカ国務省からも「統一教会から独立した情報源」とは認められなかった人物と評する。
(3)「感情的にならずにやりましょうね」
ということを書くということは、そういうことなんでしょうね。
「米本さんを退治したい、米本さんを退治したい」という願望がもろ見えのような気が・・・・。
ほんの僅かでも非難する種があったら、文脈・記事テーマに関係なく使ってやろうという姿勢がもろ見えです。
足下さらけ出して、ここを攻撃してください・・・・と言っているようなものですが・・・。
だから、
北海道大学に合格した高偏差の藤倉氏だって、幼稚な記事を綴っていることぐらい、自覚でできていたはずだ。
というのには、異論があります。私は真面目に幼稚さに気がついていなかったのではないかと思っています。
拍手喝采される自分の姿を目の前に描いて、思考が限定されて、真面目に気がついていなかったのではないかと・・・。
米本さんが言われる、反カルトのカルト性というところではないかと思います。
そうでないと、藤倉氏の他の対応と浅い読みの説明が難しいのではないかと思います。
もっとも、米本さんの存在の大きさが根底にあるのだとは思うのですが。
それにしても、ここまで頓珍漢な対応と幼稚な言説、狂いっぱなしの読み・・・というのも珍しいと思います。
負けないで
レッテル貼り。これは有田の得意とする戦略。気に入らない相手に陰湿なマーキングをして、その他一般の人々を寄りつかせなくする。
「あいつ、おねしょしたらしいぜ」と陰口を言いふらして、気に入らない子を孤立化させ、同時にクラスメートを自陣に引き込む、そんな小学生に似ている。
この戦略で、なんと国会議員にまでなってしまったのだから、笑ってしまう。
有田らはまだこのやり方が通用すると思っているのでしょうが、一般の人々はこれを敬遠し始めているように思います。バカじゃない。情報を見る目が肥えてきている。有田流のやり方はもはや通用しないと思います。
米本さん、負けないでください。サイレントマジョリティーは米本さんの味方です。
みんなさんに同感
統一教会幹部と反牧集団は、そっくり、そのまま、まるで鏡のようです。
その狭間で「拉致監禁改宗ビジネス」の被害者は、純粋な末端信者(弱者)なのでどちらも許せません。
真実が明らかになることを願うばかりです。
頭が痛い
頭痛い・・・実に時間の無駄だった。
でも、記事の流れであっちも見ないと公正とは言えなくなるし、はーあ。
米本さん、この記事早く終わらせましょう、相手にする時間が増えるだけレベルが下がる。次ぎ行きましょう、次。
ん?こういうのをレッテル貼りというのか?なるほど、勉強になりました。
わしも見た
どっかの宗教の裸踊りをカルトと言わずに「たのしい」と感想していたんだよね。
カルトと言うよりはスポーツ新聞ののりだよね。
レベルは高くない。
たしかに
自己防衛は充分ですから、もっと世の中の役に立つ記事を書いてください。
無残
北海道大学に合格した高偏差の藤倉氏
これは本当でしょうか?
ちょっと信じられません。
でも、これが本当だとすると、どこで読んだか忘れたのですが、「カルトに嵌ったら、言語能力と論理構成能力が著しく減退する」ということを書いている人がいたんですが、
それを、まざまざに目の前で実演されたような気がします。
彼は阿呆ではない。
これはかつての藤倉氏ですね。
無残の一言に尽きます。
米本さん、哀れですよ。
やや日刊カルト新聞や主筆をこうまで執拗に追いかけまわして、大多数の読者は貴方や拉致監禁に興味をもっているのでなく、貴方の奇行を見にこのブログを見に来ているだけですよ。
なのにアクセス数をたまに誇ったりしてる…はっきり言って笑えますよ…呆れます。
これからも奇行に期待しています。
そう言われるのいやなら、人並みの行動をしていきましょうよ。コメント削除するんじゃなくてさ…
うわ
>サイレントマジョリティーは米本さんの味方です。
おいおい、出鱈目言うなw
立ち位置
「拉致監禁」についてはどのようにお考えなのでしょうか。
(かつて「黙示録」さんに、同様のことをメールで伺いましたら、自分は訴えられたことはないが非常にデリケートなことなので答えられない、というようなお返事がきました。大変ご正直な方だと好感が持てました。黙示録さんは、有名な「反対派」の牧師さんです。正直なのが一番ですね。)
どうでもいいこと
「拉致監禁」について、サイレントマジョリティーは、拉致監禁は許せないが統一教会のことも信用できないので、様子を見ているか、統一教会と関係ないので気にしていません。
こうまで米本さんの程度が低いと、「拉致監禁」もねつ造か?と言いたくなる。
実際、口汚い親や牧師もいたかもしれないけど、それを大げさに書いても、いつかバレるよ。こういったデマ記事とかが続くとね。
もう読まないよ。バカバカしくて。
やや日は、程度そんな低くないよ。程度低いの狙ってるんだもの。
このブログはそんな趣旨ないのに、真剣に程度低いから悲しいよ。
では。
続・頭が痛い
管理人殿、流れもあるので自分で削除はしませんが、管理人判断でコメント削除していただいて結構です。
このようなコメント欄になることを望んではおりません。
通告!
荒らし被害があった直後ですので、削除レベルの段階を「レベル4」として、より厳格に管理することにしました。これまでは「レベル2」程度の管理でしたが・・・。
もう夜ですし、ほかにやることがあるので、いま投稿を読んでチェックすることはしませんが、明日以降、削除作業に入ります。
もっともレッドカードを出したのにまた投稿している石田氏の投稿は、チェックすることなく、削除です。
無意味な投稿はなされないようにお願いいたします。
また「匿名」名の投稿はやめてくれと再三再四頼んできました。
「匿名」さん、ハンドルネームをつけて、修正してください。
では、一生懸命書いたのに、削除された~、くやしい~と、ならないように、理性的・知性的にお願いいたします。
よい終末を!東北の被災地にボランティアに行かれる方は、お気をつけて!
雑感
かの統一教会機関紙「中和新聞」と同じですね。
エイト氏の記事を載せているのは藤倉氏なのですから、彼もエイト氏と同じ立場、考え方なのでしょう。
「価値中立的」なんてよく言えますよね。
拉致監禁を嘘だと思うかた、「夜桜」さんのホームページをご覧になれば?
最初に読んだ時あまりの酷さに怒りしか湧かなかったですよ。
率直な感想、私の場合。
たぶん、米本さんも私と似たような意識だと想像している。事実誤認された藤倉さんには申しわけないが、秘密会合に出たか出ないかなんて、眼中にない。どうでもいい。そんなことで藤倉さんの信用の格付けが下がったわけではなく、拉致監禁を容認しているのか否かで信用の格付けが変わる。
会合には参加してなかったことが分かった。あ、そう、ごめんね、と謝罪しておしまい。謝罪した舌の根が乾く間もなく、ガンガン批判する。それが米本流。それが心地いい。
藤倉さんが拉致監禁を容認する反カルト諸兄に偏って言論を行なう「偏向ジャーナリスト」であるをこと暴こうとしているのが、今の米本さんの連載であって、私にはNY65さんの言うような「お互いに感情的な悪口の言いあい」とは読めない。
米本さんの論評には、しっかりとした背骨がある。その背骨が見えるかどうかで、この騒動の見方はガラッと変わる。
パソコンを閉じようとしたら
丁寧に書いていただいているのですが、この欄のテーマは「カルト新聞3月26日付の記事」のことです。
申し訳ありませんが、件名<率直な感想>を、しかるべきところにコピペ移動してください。
あるいは、これからのシリーズで、NY65さんの問題意識とか疑問とかを書くことのできるブログ記事が掲載されるかもしれません。最後には総括的なまとめ?を書く予定です。そこに投稿されてもいいかと思います。
みなさん方にも再度お願いいたします。
ブログのコメント欄は、投稿者が自由に論じたりする場ではありません。基本はあくまでブログの記事に対する感想・意見(根拠ある)です。
<カルト新聞の割り込み記事は、これこれの理由で、これこれの根拠で、幼稚ではなくかなりレベルの高い記事だ>
アジュマさんとは逆の意見ですが、こんな投稿であればOKです。
よろしくお願いいたします。
これ以上
もうそろそろ10時30分。明日は横浜に行かなければならないので、お休みなさいです。
重要・重大告知です。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-264.html#more
この博物館に、削除投稿文をコレクションを収納する基準は、改定版「投稿にあたっての注意事項」です。http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-221.html#more
これまで曖昧だった「執拗な横レスの応酬」についての定義、基準を定めました。
再読してください。
[2011/05/06 22:13] :管理人:タイトル・これ以上の投稿
これ以上、「カルト新聞3月26日付の記事」以外のことが投稿されたら、内容のいかんを問わず、明日の早朝、ばっさり削除させていただきます。
このように通知してからも、またまた投稿が入っていました。
申し訳ないけど、削除→コピペ→博物館とさせていただきます。まさに記念物!
よろしくペコリです。
謝罪
謝罪するとともに、復活させます。
またデマがあったよ
> お互いにニコニコ顔そして握手。
> このときの藤田氏と私とのことは、周囲に人はいなかったし、
> 小声だったから、私たちしか知らない。
「周囲に人はいなかった」って、大ウソ。米本氏は、法廷を出てすぐの廊下で藤田氏に握手を求めていたから、周囲には、満員だった法廷から出てきた傍聴人と法廷に入れず外で待機していた人々とでごった返していた。米本氏は気づかなかったのかも知れないけど、その時、米本氏のすぐそばにぼくも立っていたんですけどね。
自分の想像に説得力を出すためには、こういうウソも平気で書く。それが妄想ブロガーのクオリティ。
[2011/05/07 10:23]
問われるモラル
(1)個人としてのモラル
(2)ライターとしてのモラル
(1)個人としてのモラル
「おまえ」と書くのは、非常識だろうと思います。「やや日刊カルト新聞」が、同人誌のようなごく少数の人を相手にしたブログであれば、少数グループ以外の人のことを「おまえ」と書くのは、良くないけれども目をつぶることができるかもしれません。が、そうではなく、日本語を使う人はすべて対象としているのであれば、公衆の面前で罵倒したことと同じです。清水牧師が米本氏に付けたニックネームと同じく、ひどい表現だと思います。
(2)ライターとしてのモラル
>その時、米本氏のすぐそばにぼくも立っていたんですけどね。(これはコメント欄の文章です)
「おたがい、感情的にならずにやりましょう」(米本氏)
これについて本紙主筆・藤倉は、ニヤニヤしながらこう語る。
「お ま え が い う な」(これは本文文章の引用部分です)
この二つの藤倉氏の文章に私は大変違和感を覚えます。「本紙主筆・藤倉は」と他人が書いたかのような文体になっていますが、投稿者名は「藤倉善郎」。そして場所的にもすぐ後ろに立っていたという訳ですね。細工を施しすぎるような気がします。他人が書いたかのように装いながら、実は自分が書いたのですと、後出しじゃんけんで言うところ。よくないですね。
「でもこれは、米本さんが今回の記事を書いた以降のコメントの部分も含まれているから、米本さんの記事の対象にはならないよ」と言われそうです。
そこで、「統一協会“反拉致監禁キャンペーン”後藤事件で第1回弁論」
http://dailycult.blogspot.com/2011/03/blog-post_24.html
を見ますと、どうでしょうか。後藤徹さんが拉致監禁で宮村氏らを訴えた訴訟であるのに、統一教会拉致監禁キャンペーンに話をすり替えています。(1)でも指摘しましたが、巧妙なすり替えを得意とする方のようです。ジャーナリストとしては、よろしくないと思います。知り合いから伺ったところでは昨夏、チベット僧テンジン・デムチョク氏が来日してチベットでの大量殺りくなどの中国政府の人権問題を講演した際、この僧侶の講演には触れず、コメンテーターとして登壇した中井天山氏の称号問題のみに記事を集中させたとのことです。論点をずらしての記事掲載は、ジャーナリストとしてのモラルが問われていると思います。
[2011/05/07 18:25]
泥棒
泥棒に取った?と聞くようなもんだよね?
参加していなかった、と言う証人がいて初めて、ああ、してなかったんだね、ってわかるわけで。
今回は証人がコメントしてくれたからわかったわけで、それで参加したと書いた米本氏は謝罪したんだからその話は済んだこと。
いつまでもうだうだ煩い。
コメント禁止とかその流れもオカシク取ろうとすればおかしくなる。
根性が曲がりすぎだ。
ほぼ日刊だかやや日刊だか知らんが、カルト新聞は名前を変えたらよろしい。
拉致監禁賛成および黙認グループの機関紙、反カルト新聞って。
[2011/05/07 19:10]
*
再びデマ
記事「荒らし博物館へようこそ」に以下のように書いてますね。
>記念館に追加コレクション!
>
>この曽根さん、「めんどうくさいな」さんと「匿名さん」と、同一人物!
>
>藤倉さんは素敵なお友だちをもって、至福のときですなあ。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-264.html
米本さんは、私と「めんどくさいな」さんが同一人物であると断定して書いていますが、
私は断じて「めんどくさいな」さんではありません。
神に誓って、仏に誓って言います。
米本さん、私と「めんどくさいな」さんを同一人物だと断定した根拠を具体的に述べてください。
私と「めんどくさいな」さんが同一人物というのは完全なるウソ・間違いです。
それなのに、私と「めんどくさいな」が同一人物であると断定することは、私や「めんどくさいな」さんの信用を下げることになります。
これは、完全なるデマです。
また一つ、米本さんのデマが増えましたね。
相変わらず、さもしいデマライターの道を邁進されているようで、お疲れ様です。
この書き込みは削除しないでください。
娯楽の殿堂:バカの見本市
コメント欄が荒らしで汚されるのは気分が悪く、読みたくなくなりますが、荒らし博物館にまとめてしまえば、バカの見本市のようで、見せ物として単純に笑えます。
曽根さん、「この書き込みは削除しないでください。」だってさ。ぷぷ、バカで笑える。
もちろん私のこのコメントも曽根さんのコメントと共に、まとめて荒らし博物館に送って下さい。お手数をお掛けし申し訳ありませんが、荒らし博物館というのが、とてもおもしろいアイデアだと思いましたので、書かせて頂きました。失礼しました。
監禁容認ライターのある典型的な傾向
ブログ記事で、「記述の間違い」と「デマ」との違いを国語辞典を示して、またネコ骨のスープの具体例を出して、懇切丁寧に説明してあげたのに、それを無視してまた「デマ」と表現する。
(曽根ちゃんも同じである。クスッ)
「妄想ブロガーのクオリティ」という表現もそう。
藤田庄市氏の字の間違い、藤田氏をフォトライター(これは間違っていない)と書いたことをもって、つまり「市」を「一」と1字間違えたことをもって、「妄想ブロガーのクオリティ」と表現する。それは日本語として間違いだよと教えてあげたのに、それを無視して、またオウムさん。
ブログの「主筆様」シリーズで書いてきた本質な問題の指摘には一切無視して、重箱の隅を繰り返しつつく。
これは、<同じことを何度も繰り返していえば、いつしかそれが真実となる>。藤倉氏のやりかたはヒトラーと同じである。『1984』のブラザー兄弟(スターリン)とも通じるところがある。
そういえば、監禁実践派の清水牧師も同じだった。
私のことを「カルトごろつき」と繰り返し述べていた。最後には自滅(ブログの閉鎖)してしまったが。♪アーメン
(続)監禁容認ライターのある典型的な傾向
(引用始め)
「周囲に人はいなかった」って、大ウソ。米本氏は、法廷を出てすぐの廊下で藤田氏に握手を求めていたから、周囲には、満員だった法廷から出てきた傍聴人と法廷に入れず外で待機していた人々とでごった返していた。米本氏は気づかなかったのかも知れないけど、その時、米本氏のすぐそばにぼくも立っていたんですけどね。
(引用終わり)
瑣末なことだが、大ウソと書くので、状況を説明しておく。
(イ)東京地裁709号室に到着したのは10時20分頃。(法廷は10時30分から)
巨大地震の直後、しかも計画停電で関東圏はパニック状態、さらに小雨。傍聴人はほとんどいないだろうと709号室に近づくと、なんと長蛇の列。
どんな顔ぶれが集まっているのかと、行列の前のほうに進んでいくと、旧知の小林宗一郎氏が手を振っていた。(これはブログ記事の引用)
<どんな顔ぶれが>と関心をもったうちの2人は、ストーカー記事を書いたロンゲの坊やと藤倉氏である。残念ながら、姿を見かけなかった。小柄で見つからなかったのか?
(ロ)法廷が終わって、いったんエレベーターで下に降りた。
このときのことは、「宮村裁判記録のコメント欄」で、次のように書いている。http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-2.html#cm
(引用始め)
裁判の閉廷後、エスカレーターがくるのを待っていると、宮村氏の代理人となった山口広弁護士と出会いました。
彼とは立場・考え方は違っても旧知の仲。軽く会釈をすると、厳しい顔つきだった山口さんの顔がさらに厳しく、また強張った表情になり、突然、こう言い放ちました。
「あなたとは口もききたくない」
この発言に内心驚きましたが、咄嗟にこう言い返しました。
「口をきかなくてもいいけど、(ブログで)批判はさせてもらう」
(引用終わり)
(ハ)いったん1階まで降りたが、前出「裁判記録」ブログの世話人である原田和彦さんが来ていないかと、もう一度、709号室に戻った。おそらく閉廷から5分以上は経っていた。山口氏と鉢合わせをしたときには、エレベーター周辺は人でごった返していたが、戻ったときには、もうガラガラだった。
記事では書いていないが、藤田氏のニコニコ顔をうれしく思ったのは、山口氏の態度に殺伐した気分になっていたこともあった。
以上のことからわかるように、
<周囲には、満員だった法廷から出てきた傍聴人と法廷に入れず外で待機していた人々とでごった返していた>は明らかなウソ。
周囲には人はほとんどいなかったから、少なくともごっこ返ししているような状態では全くなかったから、来ているかどうか注目していた藤倉氏が藤田氏のそばにいたのなら、いくら小柄でも、いくらなんでも気づかないはずがない。
もう1つ、藤倉氏が法廷に来ていないと確信をもったのは、川北広さんが件名「問われるモラル」[2011/05/08 09:09]で書いていることと重複するが、カルト新聞の記事そのものにある。
http://dailycult.blogspot.com/2011/03/blog-post_24.html
この記事は藤倉氏が書いたもので、本文では「私」と書くべきところをいかにも客観風を装い、「本紙主筆・藤倉」と表現しているが、本質的には私(藤倉)が見た・聞いたの原稿スタイルである。
だが、記事のどこにも「私(本紙主筆藤倉)は目撃した」という表現がないのである。
割り込みでっち上げ記事のネタも、「傍聴人の話」が元になっている。
つまり、藤倉氏はその場にいなかったけど、あとから、傍聴した人の話を聞いてまとめた原稿だと思う。
それにもかかわらず、藤田氏のそばにいたかのように装って、「またデマ」の投稿を行なう。
人として堕ちたくないものである。
しかし、万が一、私が藤倉氏の姿に気づかなかったとしても(気づかないことをもって大ウソと表現するのは、やはり日本語として間違っている)、記事で書いた趣旨は、藤田氏と私とのことは幼稚な井戸端話であり、それを記事にするから、藤倉主筆様は幼稚だ-ということにあった。
幼稚であるという指摘が本質的なことなのに、それには直接、答えず(いつもの傾向)、「米本氏のすぐそばにぼくも立っていたんですけどね」と主張し、ウソ表現を連発する。
もしここに投稿してくるのなら、こう書くべきだろう。
「米本氏のすぐそばに立っていたから、藤田氏から聞いた話ではない。そんなことより、ブログ記事が問題なのは、米本氏と藤田氏の握手は社会的に意味があることであり、それを記事にしたぼくは幼稚ではない」
このように書いてくれば、ごめんごめん、藤田氏との握手は、毛沢東とニクソンの握手と同じように社会的に意味があることだった。幼稚なんて言ってごめんね-と返信投稿をしたのに・・・。
米本さんのコメントに返信するのは荒しかな?と思うけど
嘘を100回書いても嘘はウソのままですが、書き続けられるとうんざりして相手にしたくなくなりますね。
肝心なところは一切無視するのもなんだかな?ですし、ワタクシが見てきた「ネット現役」(…たぶん2ちゃんねらーって方々、ワタクシのリハビリブログに来るから相手せざるおえないでしょ)とも通じるところがあります。
自分の被害は「誹謗中傷だ!!!」声高に叫ぶが、他人には平気で言いたい放題。
なんというか、、、、ネットの悪いところを体現したような「プロの物書き」さんですね。
「ほぼ日」だか「やや日」だか、本家の方もプロ(コピーライターとしては超一流なのでしょう)ですが、長文は今一だと思います。ぱくったほうも文才はなさそう、だからネットでグダをまくしかないんでしょうけど。
おいたわしや、って感じですかね…アジュマさん風に言うと。
猫骨スープ
米本さんとは●才違いですが、私も聞いたことがあるからです(松江市内の学校に通っていた人は知っているのではないかと思います)。
「人のうわさも75日」と言いますが、実に●年以上続いたわけですから、デマ恐るべしですね。
ホントにホント
真のお父様の三男のヒョンジン様が、何を血迷われたのか、真の実母様を訴えた事件がありましたでしょッ。
270億円返せっていう裁判ヨ。
このことについて教会で説明会があるというんで、先ほど、参加してきましたの。
ヒョンジンは反逆者だとかといった罵りをさんざんに聞かされたあと、質問はないかって、司会者が言うのォ。
それでね、会場の隅っこにいたあたしはオズオズと、勇気を出して、手をあげましたのさ。(aki姉様風)
「あのぉ、そもそもが、そっ、そのぉ、270億円の出所は、私が本郷人になる前、日本にいたときに献金した金額も入っているざんしょッ」
「献金しまくって、自己破産。今は生活保護のフレンドもいますワ。その方の献金も270億円のうちに含まれているざんしょッ」
「裁判がどうのこうの、ヒョンジン様がどうかこうのって言う前にですよッ。まず、あたしたちの献金がどういう風に流れたのか、それを説明するのが先ざんしょッ」
もうあたしの胸はドッキンドッキン。足はガタガタ。それが共鳴したのか会場の建物は大きく揺れましたのさ。
あれっ、何を書くんだだったけッ。
あっ、米オッパ、前の投稿は光栄なことに博物館に入れられちゃったけど、続きはここからねッ。
その会合から戻ってきて、キムチを食べながら、ブログを開いてみましたワ。
そしたら、あなうれし。敬愛するaki姉様が連続投稿。とりわけ件名「米本さんのコメントに返信するのは荒しかな?と思うけど」[2011/05/08 16:35]にはホントホントと思いましたワ。
どう?管理人さんの指示に従った書き方でしょッ。
ホントにaki姉様が言う通りだワ。
同じことを、批判されても、何度も何度も書けば、米オッパが件名「監禁容認ライターのある典型的な傾向」 [2011/05/08 13:15]で書いた通り、それがいつしか真実になっちゃうのよねェ~。
三男のヒョンジン様も、真のお母様も、同じよッ。
藤倉のお坊っちゃまも石田のお坊っちゃまも、ちょっと目つきが悪そうな曽根様のオコサマも、ご子女様より2桁はレベルは落っこちるけど、みな、お~んなじ。
嗚呼、おいたわしや!
慟哭ぅ~。ワンワンと声を出して吠えるように泣くアジュマ。
ここでマジな教会員からこんな質問が出るはず。昔の特高みたいに。
「貴様、ヒョンジン様と母様と、どちらの主張が正しいと思っとるのかッ」
ヒェ~
ここでマジに言っておくと、そりゃあ反ヒョンジン側よっ。
自分で(あるいは義父のカク様に唆されて)平和運動をやりたいっていうのなら、自分たち独自でやるべきねっ。すでにアメリカ財団の潤沢な資金を合法的に手になさったわけだから。
あたりまえのこと、質問しないでちょうだいッ。
aki姉様が言う通りッ。
一番重要なことには知らん顔をして、まるで何事もなかったかのように、話を続ける。
さっきの会合でだって、あたしが勇気をもって全共闘風に「全都全国の学生・労働者諸君。就中(なかんずく)、と~いつのお金は、そもそもが~!日本の食口が必死にィ」って言ったのに、まるで質問がなかったかのように、一瞬静まり返ったあと、ヒョンジン様は反逆者だって、話を続ける。
みんな、タチの悪い食口と同じネ。
てなことを言いたかったのよォ。
それにしても、投稿者の人気ランキング一位はaki姉様ですって。
クヤシイィ~
いやいやダメダメ。これじゃあ、愛の減少感になっちゃて、個人の完成体は遠のくばかりじゃ。
aki姉様を見習って、いい投稿をしよオッと。そうだッ、あたしが大~好きな「朝のラジオ体操」を10日間やめることをトーゲン条件にしよぉッと。
ほんとに本筋じゃないけど
まぁなんと言うことでしょう?(ビフォーアフター風に言うのよ、ここ)
とうとう子が親を訴えた、それも金のために!
教祖が生きているうちに「分派」は雨後のタケノコのように出てくるわ、兄弟喧嘩はするは、とうとうこの有様かよ?と、、、なんと嘆かわしい。これが飯屋家庭か?と思わぬのか現役さま方は????
あ、それで、アジュマさんが仰る通り、その270億、日本の食口さんたちが汗水たらして、親だまくらかして復帰した金だよ?日本に返せよ!!!って言いたいわ。私にも返してよ、と思うし(笑
削除記念館行きでいいですよ、すみません米本さん、勝手にコメント欄使って。
謝罪し撤回します
> 原田和彦さんが来ていないかと、もう一度、709号室に戻った。おそらく
> 閉廷から5分以上は経っていた。
ああそうですか。法廷から出てきた米本氏が、人ごみの中で藤田庄市氏に握手を求めているところを、すぐそばで「「私(本紙主筆藤倉)は目撃した」のですが。ということは、米本氏は、ぼくの視覚が感知できないほどの速さで裁判所の階下に移動して、再びぼくの視覚が感知できないほどの速さで法廷前に戻ったんですかね。高速移動、お疲れ様です。
だとしても、米本氏が藤田氏と握手をしていたとき、ぼくも含めた大勢の人が周囲にいた事に変わりはありません。米本氏がどんなに高速移動をしたとしても、です。あ、もしかして、ぼくの視覚が感知できないほどの速さで、一瞬だけ周囲の人間をすべて消し去る能力も、米本氏は持っているのかな?
> 来ているかどうか注目していた藤倉氏が藤田氏のそばにいたのなら、
> いくら小柄でも、いくらなんでも気づかないはずがない。
はずがないと言っても、ぼくがあの場にいたのに米本氏はいなかったと思っているんだから、気づかなかったってことですよ。
米本氏が「気づかない」ということと、その事実が「ない」ということとは全く別。気づかないこと自体は恥ではないが、その区別がつかずに事実関係を断定してしまえば、それはただの妄想。
また第三者の証言でも出てこない限り、米本氏がこの妄想から覚めることはないんでしょうね。
デマとか大ウソとか書いて本当に申し訳ありませんでした。謝罪し、撤回します。
周囲に人がいなかったという主張も、そこに藤倉がいなかったという主張も、全て米本氏の妄想だったようです。米本氏はこれが妄想であるという自覚がなく真実であると信じているようなので、意図的に事実と違うこと主張しているというニュアンスを持った「デマ」や「ウソ」といった表現は不適切でした。
これは、藤倉が、つい正常な判断力を持った人に対する表現と同じ表現を米本氏に対して用いてしまったことによるミスです。完全にぼくの不注意です。今後このようなことがないよう、米本氏には正常な判断力がないことを前提とした表現を選ぶよう心がけます。ご迷惑をおかけいたしました。
藤倉さん、大丈夫ですか。
件名「謝罪し撤回します」通りの文章にすればいいだけのことなのに、負けず嫌いな性格のせいか、うだうだ・うだうだ。
たとえば、閉廷後、7階から1階に降りてからまた7階の709号室に戻る。それに要した時間は5分ぐらいと書いているのに(ゆっくり移動したとしても、だいたいそんなもん)、あえて「高速移動」と表現する。
自分では皮肉をきかせた文章を書いているつもりでも、動機が不純だから、まるで説得力がない。
こんな文章を書いているようじゃあ、藤倉さんの夢だった単行本を書くのは、ちょっと厳しいですね。
アジュマさんではないど、いと、おいたわしやです。
藤倉さんに、1つだけ注意をしておきます。
自分は「物書き」だと気取っているようだけど、「物書き」は辞書を常に横においているものです。
故・井上ひさしさんの広辞苑は鉛筆の線で真っ黒になっていたそうです。
井上さんに習って、広辞苑を引用しておきます。
妄想:根拠のない主観的な想像や信念。病的原因によって起こり、事実の経験や論理によっては容易に訂正されることがない。
私が藤倉氏の姿を見かけていないことを根拠に、藤倉氏は裁判所に来ていないと書いたことを、妄想と表現する。日本語として間違っています。
最近、「妄想」用語をさほどに意味を考えずに使う投稿者がいますが、困ったもんです。藤倉さんも荒らしレベルになっているとは、いと、おいたわしや。
ちなみに、私が「妄想」という言葉を使って、相手を批判したのは2回だけだと記憶しています。
その1・行田教会の清水与志雄牧師のところに、統一教会員たちが「拉致監禁反対」のデモを行なった。
これを見た清水氏は「米本が要請したに違いない」と書く。
これは根拠のない主観的な想像や信念ですから、「妄想与っちゃん」と表現した。
その2・神戸真教会の高澤守牧師の周辺を、やはり統一教会員がデモをした。
不測な事態が起きるのを防ぐために、警察はデモ隊を警護することが規則として定められている。
それなのに、高澤氏は「統一教会員を警察が守るわけがない」と、地元の警察署に駆け込んで、「統一教会員が警察官に化けている。パトカーも本物そっくりにしている」と訴えた。
こういう場合、根拠のない主観的な想像や信念ですから、「妄想高ちゃん」と表現した。
物書きを気取るなら、まず辞書を横に置いてから、文章を書くようにしたら、どうでしょうか。
別に物書きでなくても、岩波新書の文章を書く人のためのハウツー本でも、文章を書く前に、まず辞書を横におけとアドバイスしています。
件名「謝罪し撤回します」を見て、咄嗟に武士の情け、最終回をアップするのは辞めようかと思いましたが、チンプンカンプンの文章を読んで、初志貫徹することにしました。
社会的にはほとんど意味のない原稿ですが。
米本さん、頭大丈夫?
米本さんって、こんな皮肉も分からないんですか?
そんなんじゃ、会話のキャッチボールもままなりません。
そうか、だからいつも斜め上の頓珍漢なことばかり言ってるのか。ガッテン、ガッテン。
てか、真面目に米本さんは藤倉さんの皮肉が理解出来てないっぽい。
こんな人がライターやってるなんて、猿が鉛筆持ってるようなもの。
本来ならドクターストップが必要なレベルだと思うけど、デマ本さんがぶっ壊れようと知ったことじゃないので経過を観察して楽しみましょう(笑)
デマ本さん、
曽根さんとめんどくさいなさんを同一人物と断定した根拠の説明はまだですか?
必死に無視を続けてるということは、自分の過ちに気づいたのでしょうね。
そうです。あなたは別の人間を、根拠なく同一人物だと断定したのです。
謝罪はまだですか?
もちろん皮肉じゃなく、貴方の場合は真面目な謝罪が必要です。
そして、貴方が何を吠えようと、デマライターあるいは妄想ライターである事実は覆りません。
信用を取り戻したければ、死んで生まれ変わるしかないと思います。
予告した通りにします。
> 今後も荒らしをされるのであれば、防衛手段としてIPアドレスを公開することにします。ヨロシク!。
当然、レッドカードを出されてもヒルのようにしつこく投稿されている「さくら」氏は、覚悟の上だと思います。
よって、さくら氏のIPを公開いたします。
s726207.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
立川かぁ。第4イスラエルのアジトと近いなあ・・・。
広辞苑マンセー
>
> 妄想:根拠のない主観的な想像や信念。病的原因によって起こり、
> 事実の経験や論理によっては容易に訂正されることがない。
ああ、よかった、合ってた。ぼくも、だいたいそう意味で「妄想」という単語を使ったんです。やっぱり辞書は手近なところに置いておくものですね。勉強になりました。
もっとも、米本氏の妄想が病的原因によるものかどうかは知りません。もともとの人間性ゆえかもしれないし、実際のところはぼくにはわからない。だからその点については、ぼくは何も主張しない。
ただ、もし病気が原因なら、早く教えてくださいね。病気の人をいじって遊んじゃ悪いから。
> 件名「謝罪し撤回します」を見て、咄嗟に武士の情け、最終回を
> アップするのは辞めようかと思いましたが、チンプンカンプンの文
> 章を読んで、初志貫徹することにしました。
> 社会的にはほとんど意味のない原稿ですが。
素晴らしいです。公共性のない内容のことを、公益目的ではない意図で書くという宣言ですね。
名誉毀損の違法性阻却事由を満たさないと米本氏自らが認めている発言なので、こりゃいい証拠になります。
ほんとに駄文だね。
> 妄想:根拠のない主観的な想像や信念。病的原因によって起こり、
> 事実の経験や論理によっては容易に訂正されることがない。
ああ、よかった、合ってた。ぼくも、だいたいそう意味で「妄想」という単語を使ったんです。
苦笑するばかり。どこが合っていたのでしょうか。具体的には語っていません。負けず嫌いもいいとこ。
「広辞苑マンセー」という見出しと本文も合っていない。(哀しいなあ)
> 名誉毀損の違法性阻却事由を満たさないと米本氏自らが認めている発言なので、こりゃいい証拠になります。
大丈夫ですか。
自己啓発セミナーの団体から名誉起訴で訴えられるという君からの相談のメールがきたとき、公益性・公共性の話(つまり違法性の阻却の話)をしてあげたのだけど、今日に至るまで、言葉尻りだけで、本質的な意味は理解できていなかったみたいですね。
兄貴分のリンク法律事務所にいる山口貴士さんに聞いてみたら?とアドバイスしておきます。
「社会的には意味はない」ことと「公益性」とは、意味は必ずしも、一致しないのであります。理論的にも法的にも。
いと、おいたわしや
少しは「めんどうくさい」氏程度には考えて投稿されたら、いかが。
イエローカードを出した彼は、かなり計算して文章製造をしていましたよ。
とまれ、「藤倉→米本→藤倉→米本」となりましたから、これでおしまいです。
ごくろうさまでした。
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