カルト新聞と主筆様を評す(9)-裸の王様 

「カルト新聞と主筆様を評す」(9)

 さて、タイトルの「カルト新聞を評す」である。
 参考にしたのは宮村氏・山口代理人サイドに偏向した「やや日刊カルト新聞」のコメント欄である。

 これがけっこう面白い。笑えるし、本質を衝いている。今回の文章はたぶんに、アジュマさんの揶揄的精神と文体に影響されています。読者の笑いが取れるかどうか・・・。
 これでこのシリーズの打ち止めにします。よって、長文となってしまいました。ゆっくり読んでください。

投稿される際には、「コメント投稿にあたっての注意事項」をよく読んでからにしてください。タイトル(件名)は必ずつけてください。横レスをされる場合には➏の説明文を頭に入れてからにしてください。つまらない横レスは博物館行きとさせてもらいます。
 また、相手を批判する文章を書かれる場合はロジックとエビデンス(論理と根拠)に留意してください。これについての参考文献は『あなたの癌はがんもどき』


・・・・・・・・・・・・・

 藤倉氏がカルト新聞を発行するようになった経緯はよくわからないが、おそらく反統一教会活動家のエイト君と意気投合。軽いノリで「作っちゃおうか」・・・。当たらずとも遠からずだろう。 

 新聞名はakiさんが指摘しているように、「ほぼ日刊イトイ新聞」のパクリなのかもしれない。(だったら、糸井重里さんもさぞかし・・・)

 軽いノリで「カルト退治の桃太郎侍をやろうか」。これは2人に共通する気分だったのだろうが、それぞれの思惑は少々異なるように思える。



統一教会の掃除人


 エイトこと田中清史(きよふみ)氏の思惑は、わかりやすい。

 彼は、統一教会の違法行為に目を光らせる街角パトロール隊の隊長さん。パトロールしては、自分のブログにその報告を載せる。これは大いにけっこうなことで、「エイト君が現れると、その地域の教会が良くなる」と、一部の統一教会員からの高い評価もある。
 それで、私は彼のことを密かに「統一教会の掃除人」と呼んでいる。

 ただ、掃除人に徹してくれればいいのだが、エイト君とは関係ないはずの「拉致監禁問題」にもクビを突っ込み、私のことまで批判する。しかも、SDGとかエロい花屋の小林とかとつるんで。それに呼応するかのように韓定食もやってきた。

 私のことをウダウダと、駄文を書くひまがあったら、パトロールに精を出したらどうかと思うのだが。
エイト君にお願いしたいのは、町田市、相模原市界隈を含め神奈川県全域でのパトロールだ。それと静岡県もお願いしたい。面白い光景にぶつかるかもしれない。

 時折、こんな言葉で、陰ながらエイト君のことを応援している。
 
さあ、飛べエイトマン! 走れエイトマン! 無敵の男エイトマン 今日も、統一教会の悪を退治しに行くのだ! 
懐かしの克美しげるさんが歌ったエイトマンの楽曲は←をクリックすると5秒後に聞こえてきます。




 それはともかく、身も蓋もない言い方になるのだが、エイト君の文章は下手である。
 下手な理由は、はっきりしている。前のめりになって、怒りの感情表現を多く使うからである。怒りのあまり、事実をデフォルメする場合もある。

 落語家が高座で、自分でしゃべり自分で笑う。そんなシラケる高座には、誰も木戸銭を払ってまで行かない。
 エイト君の文章はそれと同じである。文章を読んで怒るのは読者であり、書く人が怒っていればシラケてしまうのだ。
 それに、文章の模範とされる「起承転結」はなく、“柔道一直線 ”だ。

 また、文章に余裕がない。だから、読んでいると疲れてしまい、次にアクセスしたくなくなってしまうのだ。
 ひとつだけアドバイスをしておけば、文章は淡々と書いたほうがいい。そのほうが効果的だ。統一教会の問題点がより浮かび上がってくる。広津和郎の『散文の精神』を読んでみたらどうか。

 ところで、 なぜ、文章に余裕が生まれないのか。それはエイト君の思考様式・生活様式が統一教会の献身者に似ていることから来るものではないかと想像する。
 献身者の多くはなぜかいつもいつも忙しく、映画や美術展を鑑賞したり、スポーツを観戦したりすることはない。小説もほとんど読まない。1日の大半は統一教会のことだ。

 エイト君も似ている。
 頭の中は「反統一」でいっぱい。<どうやったら、統一に打撃を与えることができるか。う~ん、あっ、いいアイデアが浮かんだ。渡辺博弁護士にさっそく提案してみよぉ~と>

 文化を楽しむことがほとんどないから、小説の一節を文章に入れるとか(起承転結の「転」、あるいは異化効果)、気の利いたことが書けない。それが文章に余裕がない原因になっているのではないか。

 統一教会諸君に、エイト君のことでお願いしたいことがある。立ってのお願いである。
 それは、統一教会をつぶさないで 欲しいということだ。
 統一がつぶれれば諸君と同じように、エイト君も生き甲斐を喪失してしまう。
 エイト君は学生時代を含め青春のすべてを反統一に費やしてきた。統一がつぶれてしまえば・・・。唖然・茫然・ぽか~ん。  
 ひょっとしたら、自宅のそばを走る西武線に・・・。ヒェ~。
 統一の教えは「為に生きる」。未来ある青年のために、統一をつぶしてはならないのだ!

 
エイト君の職業は?

 エイト君は、エイトブログの投稿者から「素敵、頑張って」と、蝶よ花よとおだてられ(つまり賞賛の嵐)、豚だって褒められりゃあ、木に登るように、一時期は有頂天になった。
 だが、彼は真面目な青年である。
 おだてられたあと、咲いてみせりゃあ捨てられると、人生の先まで冷徹に見通せる青年である。

 なにしろ、このブログのコメント欄に最初にデビューしたときは格好良かったんだから。
  いきなり、こうだった。
「私は年間数百冊の本を読む」

 ヒェ~、思わずのけぞいましたわ(アジュマさん風)。
 仮に300冊なら毎日一冊。
 ヒェ~、大川隆法さんみたイ~!(若い頃の大川氏は速読能力=パターン認識能力があり、1日3冊の本を読んでいた。これはトーメンの社員寮同室の人の証言)

  まるで他流試合に挑む青年が道場に入ってきたかのようだった。思わず、私はパソコンの画面に向って正座してしまった。む、むっ、私は年間1冊しか本を読んでいない。それで、たすきをかける前に、汗をダラダラ流し、木刀を床に置き、参りましたぁ~!(そんなことないか。実際は「劣等感の塊」ではないかと返信しておいた )

 それほどコンプレックスの塊、いや違った、知的な青年だから、パトロール&ブロガーだけでは、未来がないと内省し、「新聞記者」になりたいと夢想した。
「新聞で、統一教会批判ができれば最高!それができれば、もう死んでもいい~っ」
 興奮のあまり、失神したかどうかまではわからない。
 
 そんなわけで、藤倉氏の新聞スタイルのブログ企画に飛びついた。

  エイト君の親は大いに喜び、赤飯を近所に配ったとか。
「うちのキヨフミがついに日刊新聞に就職することが決まりまして」


 エイト君は、どうも本気で、「やや日刊カルト新聞」をオーマイニュースのようなネット新聞と思い込んでいる節がある。後述するが、藤倉代表もだんだんと・・・。(ヒヤッ

 エイト君は、“新聞記者”なのに、給料(原稿料)をもらっていない。そのことに疑問を感じないのだろうか。労働組合をつくって、新聞社の代表である藤倉主筆に「金を払え」と、団体交渉をしたらどうかと提案しておく。

 話はそれるが、エイト君の本業についてである(個人メールで見知らぬ人からも問い合わせがあった)。

 火の粉ブログのコメント欄で、仕事のことをからかったら、「きちんと仕事をしている」とムキになって反論してきたが、ロンゲを風になびかせながら、パトロールに時間を割き、それをエイトブログで報告し、その一方でカルト新聞ブログに原稿を書く。八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍だ。まさに、 響け 轟け 鉄の男 である。

 そればかりか、紀藤弁護士や山口貴士弁護士と一緒にスイスやアメリカに出向き、識者の前で統一教会批判を行なう。エイト君は否定したが、どう考えても、旅費のタニマチは紀藤さんだったとしか考えられない。

 このせちがらい世の中で、有給休暇がたっぷりもらえ、フレックスタイムが可能な会社は、まずない
 会社に面接に行ったら、真っ先に「おまえ、学生じゃないんだろっ。その長髪をばっさり切ってから出直せやぁ~!」、と言われるのは間違いない。
(彼は「長髪は男の命」と、憤然として立ち去るだろう)

先日、宇佐美さんの裁判で彼と会ったが、メガネをかけ忘れたせいもあって、最初は誰だかわからなかった。なにせ、写真より髪の毛は10㎝以上は伸び、野球帽のような帽子を深めにかぶっていた。一瞬、歌舞伎町のポン引き青年が裁判所に紛れ込んできたのかと思ったほどだ)

 まあこんなわけで、エイト君は正業についていないと想う。だったら、たんなる親のすねかじりか。意外と、お金に不自由しない資産家の、エイトマンファンのお坊ちゃんだったりして。写真からはそんな雰囲気も漂ってくる。

エイト 藤田 藤倉(masking)-1

 青年といっても2児のパパになっていてもおかしくない年齢だ。
 <このままじゃあ、いつまで経っても結婚できない>と心配してあげているのだが。
 女性は良くても、相手の親は「何ぃ~、職業は統一教会の掃除人?ウザケンナ!
 合同結婚式に反対する統一教会員の親の心情と同じである。
 最悪の場合、親はエイト君と結婚したいという娘を拉致監禁するかもしれない。
そうなったときには連絡してくれ。一緒に救出しよう。


「カルト新聞主筆」が営業の武器?

 一方の藤倉氏の思惑は、よくわからない。

 肩書はフリーライター。組織に属するライターなら、会社から給料がもらえる。ところが、フリーの場合は出来高払い。原稿を書かなければメシは食えない。
 だから、タダ原稿は書かないものだ。
 それなのに、頻繁に、タダ原稿をカルト新聞に載せる。
 同じライターとしてはまるで理解できない。私だって、タダ原稿の火の粉ブログなんか書きたくないと思っているのだから。

火の粉ブログで文章を書くより、有料原稿のほうがはるかに楽です。編集者は原稿をチェックしてくれるし、校閲マンは固有名詞など恐ろしいくらいに赤や?を入れてくれる。ところが、火の粉の場合、何度も何度も、目を皿のようにして一人孤独に原稿を推敲しなければならないのです。それでも、固有名詞とかテニヲハの間違いがある。手伝ってくれる妙齢のご婦人はいるのだが。
 早く拉致監禁がなくなって、解放されたい気分です。

 考えられるのは、「カルト新聞の主筆」としての肩書を営業の武器に、雑誌社からの注文(あるいは講演依頼か)を待つ作戦-なのだろう。

 実際の話。藤倉氏は自身の「やや日刊カルト新聞主筆ブログ」で、オランダ人のフリージャーナリストから取材を受けたことを書いている。
 彼は、「どういうわけだか」と、突然の取材の申し込みに戸惑っている風だったが、理由は簡単なこと。オランダ人のフリーは、日本のフリーライターとしての彼(現実)ではなく、藤倉氏のカルト新聞主筆という肩書(バーチャル)に関心を抱いたからだろう。

 というわけで、「カルト新聞の主筆」の肩書を営業の武器に、雑誌社からの注文を待つ作戦というのは、あながち穿ちすぎというわけではないと思う。

 話を戻せば、まあ、このようなわけで、田中清史氏と藤倉善郎氏は結びつき、カルト退治の桃太郎侍気分で、「ほぼ日刊イトイ新聞」、いや違った「やや日刊カルト新聞」を始めたと思われる。


 ところで、勘違いしている読者もいるようなので、あえて説明しておくが、カルト新聞はオーマイニュースのようなネット新聞ではない。本人たちも認めているように、個人ブロガーが集まって作った、新聞の名を冠したたんなるブログに過ぎない。


小学校の新聞委員会みたい

 話を転じる。
 カルト新聞のことを知るには、2つの文章が参考になる。

 1つは2009年の記事、「お知らせ-主筆就任とインタビュー出演
 もう1つは、「本紙主筆をデマで中傷」記事の3月3日午前3時49分のコメントだ。

 前者の文章を引用すると、以下の通り。2回繰り返し読んで欲しい。

【お知らせ】主筆就任とインタビュー出演
 創刊より3週間の長きにわたり弊紙社主編集長を務めてきた藤倉善郎氏が、一身上の都合により本日付で辞任いたしました。同時に、藤倉善郎が主筆に就任いたしました。今後、主筆が弊紙の代表を務めてさせていただきます」


 これについては、すでにアジュマさんがとことん揶揄して書いているので、それを紹介しておく。 (テニオハの間違いは修正した)


 思わず、ブフッ!
 飲んでいた麦茶をキーボードに吹き出してしまいましたワ
 ギャッ、修理に出さなきゃアと一瞬真っ青になったけど(パソコンはサムスンじゃなく、日本製、修理が大変)、すぐに笑い転げてしまいましたワ。青くなったり赤くなったりする私の顔を見て、主人は怪訝な顔をしてましたけど、次のことを説明するのは難しゅうございましたワ。
本郷人のみなさんなら、わかっていただけると思いますが。

<これって、まるで小学校の新聞委員会みたいイ~>

「創刊より3週間の長きにわたり」???
3週間を「長き」って、大人は言いませんよね。やっぱし、小学校の学級新聞だワ。

「弊紙の社主」だってェ。も~オ、小学生のくせに大人のマネをしちゃって。

「一身上の都合により」???
ヒェー、編集長の肩書が主筆に変わっただけなのに、「一身上の都合により」だって、やっぱ、学級新聞だワ。

それで、真面目に考えましたのヨ。
「やや~新聞」の方って、大人ですよね。

 それなのに、学級新聞みたいなことを恥ずかしげもなく文章に。おそらく、小学校時代にクラスの新聞委員にもなれず、教室の隅っこで、羨ましそうにしていた人たちばかりではないのかしら。
何を隠そう、私も実はその一人でしたから、その辛さ・苦しみ・妬みがよ~く、理解できますことヨ。
{きっと、ワタシだって、いつかは新聞を作って、世間を見返してやるわよ!}

そうした同類がつどって、「やや~新聞」を立ち上げたのでございましょッ。
それで思いましたの。
<おばさんは、これから熱心に読むからね。愛読者になるからね。主筆様のファンになるからね。頑張れニッポンじゃなかった、頑張れややカルト>
(略)
あっ、もう一言ございましたワ。主筆様も、サイトで紹介されているような本を書かれんことを、遠い清平の礼拝堂で祈念いたしますワ。頑張れ、主筆様!


 全文、これ揶揄の文体だが、完成度が高い。一歩間違うと、たんなる下品な文章になってしまう。さらさらと書いているように見えるけど、相当時間をかけたのでは。エイト君も見習ったほうがいい。

揶揄、からかい文体の模範は、川柳である。
 自己宣伝になって恐縮だが、揶揄文体を試みたのは別冊宝島『陰謀大全』所収の<落合信彦さんの20世紀最後の真実>と、ややからかいのトーンは違うけど、別冊宝島『ギャンブル狂読本』所収の<さすらいのギャンブラー>

 アジュマさんの分析に、付け加えることはない。


 主筆就任の記事がカルト新聞に載ったのは2009年10月22日だが、3週間前の10月1日付のお知らせ記事、「ややカルト新聞」、公式創刊ですでは、こう書かれている。

 7月からプレ創刊していた「やや日刊カルト新聞」を、本日、公式創刊いたしました。

 「やや日刊カルト新聞」は、宗教団体やスピリチュアル団体をめぐる社会的問題について、報道やインターネット情報の収集と整理を目指しています。代表の藤倉善郎(フリーライター)を含め、計7名の記者が「やや日刊カルト新聞社」として記事を執筆しサイトを運営します。

 創刊時の記者陣は、いずれも、カルト問題に取り組む人やカルトウォッチングに関心がある個人ブロガーです。「やや日刊カルト新聞社」は法人格のない任意団体です。


 ここでは、個人ブロガーの集まりであり、新聞社といっても「法人格のない任意団体」と明記されている。
 ただ、「やや日刊カルト新聞」と名乗ってもブログに過ぎないことは記されておらず、当事者たちは<任意団体であろうと新聞なのだ>と思い込んでいた節がある。
*1「7名の記者」に藤倉氏も含まれていることに、留意しておいて欲しい。
*2細かいことだが、左サイトの「本紙記者の個人ブログ」を見ると、5つしかない。2名は2年もせずに早々と退職したということなのか。よくわからない。


「思い込み」はときとして更なる「思い込み」を呼ぶ。


『今日から俺は』主筆様

 公式創刊のお知らせが載ったのは10月1日。4日後の5日には「やや日刊カルト新聞社賞」を創設したことをアナウンス、そして22日に先の“人事異動”のお知らせである。

 10月1日記事に載った肩書名は「代表」だけだったが、3週間後には「社主」「編集長」「主筆」が加わってくる。

 アジュマさんがからかったように、私も先の【お知らせ】を読んで、新聞ごっこをやっているのだと思った。ただし、マジではなく、軽いノリ、遊びであることを自覚しながら。

 ところが、どうも「遊び心」ではなく、本気で「社主」「編集長」「主筆」だと思い込んでいたようだ。

 後者の文書、藤倉コメントを引用する。(ダブりは原文ママ)

それより問題なのは、米本氏が藤倉を藤倉を記者呼ばわりしている点です。ぼくは主筆なのに。あと善郎の字が間違ってる。

【註・日本4大よしろう】
中松義郎(ニセ大阿闍梨)
森喜朗(サメの脳)
伊藤芳朗(カルトの弁護士)
藤倉善郎(主筆様


 これを読んだとき、アジュマさんではないが、ぶっ飛んだ。

 ふざけて書いているのかと思ったが、どうもそうではないようだ。引用したコメントの前の文章を読むと(確かめて欲しい)、真面目に書いていることがわかる。
 ぶっ飛んだあと、急に背筋が寒くなった。

「ぼくを記者呼ばわり」→「ぼくは主筆」→「主筆様」と、だんだんとエスカートしているからだ。
 しかも、【日本4大よしろう】と註までつけて、著名人の1人であることをアピールする。
 自分のことを自民党の元総理大臣と並ぶ人物と思ったのだとすれば、そして「サメの脳」の元総理より主筆の俺様のほうが頭がいいと思ったのだとしたら、それはもう妄想と言わざるを得ない。

 投稿した時間が午前3時49分だから、頭が朦朧とし、ふと錯覚に陥ったのであれば、心配はないが・・・。
 しかし、彼は本気で「主筆様」と思い込んでいるようなのだ。

 立ち止まって、もう一度考えてみる。
 彼は、私が藤倉氏の肩書を「カルト新聞の記者」と書くことがなぜか気にいらず、「記者呼ばわり」していると書く。
 つい、2年前の創刊の【お知らせ】では、自分のことを含めて「7人の記者が記事を執筆」としていたのに。

 つまり、他の6人のことを私が記者と呼ぶのはかまわないが、「今の自分」はもう記者と呼ばれたくない、たんなる記者ではない、と心底思っているのである。


王様であることの絶対条件

 どこかで取材したような構図だと、記憶の底をたどった。
 そうだ!幸福の科学の大川隆法氏だ。
 20年前の取材を思い出した。

 その昔、川隆青年は荻窪だったか4畳半一間のアパートから、4人の仲間と、精神世界(主にヨガ)の探求を始めた。
 ところが、ほどなくして、川隆と名前を替え、みんなから先生と呼ばれるようになった。
 呼称は次々と変わり、「大川先生」から「大川主宰」そして「大川主宰先生」に。取材しているときは「生まれ変わった仏陀」に昇格していたと記憶する。

このときに取材したことは『別冊宝島-いまどきの神サマ』で書いた。記事を読み返した上で書いているわけではないので、上記のディテールは正確でないかもしれない。

 ところで、王様が王様として存在するのは、臣民がその人を王様と思うからである。
 臣民が、もう王様と思わなくなってしまえば、ただの人となってしまう。
 中東で反対デモが活発に行なわれているが、それは国民が数十年間認めてきた大統領を大統領と思わなくなったからである。

 この構造はカルト新聞にも当てはまる。

 藤倉氏がたんなる記者ではなく、記者呼ばわりされたくない、俺は主筆様だと、カルト新聞のコメント欄に平然と書く。他の6人?の記者も当然読むコメント欄だ。
 私がカルト新聞の若き記者なら、憤慨してこう抗議するだろう。

「藤倉さんは確かに多く記事を書いているから、を取っているという意味では主筆だけど、私たち記者と立場は同じではないか。それなのに記者呼ばわりされたと憤慨するのは、私たち記者のことを格下に見ているということではないのか」

 ところが、記者から抗議の声があがった形跡はない。

 ということは、幸福の科学の信者にとって、大川氏が「総裁」のように見えるから「大川総裁」と崇めるように、カルト新聞の記者にとって、藤倉氏が「主筆」「主筆様」のように思えるから、「俺のことを記者呼ばわりするな」という藤倉氏の発言が許容できる(その通り主筆様なのだ)-ということなのであろう。
 

 私たちからすると、大川氏を見てもただのオッサンにしか見えない。それと同じように、ノンフィクション業界の人たちにとって、藤倉氏は業界の仲間入りさえ果たしていない無名の人である。決してバカにしているわけではない。客観的にみれば、そう表現せざるを得ない。

 「評す(4)」で、番屋会を紹介しながら、古き良きノンフィクション時代のことを説明した。
 番屋会に、月刊誌に2、3本記事を書いたという実績をもって、若手が入会してくると、猪瀬直樹さん(現、都の副知事)なんかが
「おまえなんか、まだこの座敷にあがれる身分じゃない。下足番がいいとこだ」
と、痛罵していた。
 同じ新米ライターとしては気持ちのいい言葉ではなかったが、猪瀬さんが言いたかったことは「雑誌に記事が載ったからといって、1人前のライターと思うなよ」という戒めだったと思う。

 この文脈で言えば、藤倉氏は下足番に過ぎないフリーライターである。
 それなのに、カルト新聞記者たちは藤倉氏を、主筆として、つまりすごい人として奉る。

エイト 藤田 藤倉(masking)-2



おまえ呼ばわりの正体

 これは一体どういうことなのか。この激しい落差の正体は何なのか。
 つい考え込んでしまうのだが、こういうことではないのかと思うのだ。

 藤倉氏は夕刊紙『日刊ゲンダイ』やウエブニュースで、署名入りで記事を書いていた。といっても、社会的な硬派記事ではなく、日刊ゲンダイでは土曜日のレジャー版で、主に街ネタであった。

 そうであっても、一般の人からすると、「メジャーの活字媒体に文章を書くことを仕事にしているライターさんってすご~い」ってことになる。カルト新聞の“素人記者”(個人ブローガー)にとっても、そのように<見えている>のではないかと想う。
 実際、街ネタであろうが、メジャーメディアに署名入りで記事を書けるようなライターはごくごくわずかである。

ただし、『日刊ゲンダイ』に記事を書いているフリーライターの名前をあげよと言われた場合、そうしたライターはたくさんいるのだが、一人でも名前を答えることのできる人は皆無だろう。


 あるとき、藤倉氏から電話でこんなことを聞かされたことがある。

「ライター志望の若い人たちの集まりに参加しているんですが、ものすごくもてる(注目される)んです。米本さんも来てみませんか。きっとすごいですよ」

 ライターを志望する若者にとって、日刊ゲンダイで署名入りの記事を書いているライターは垂涎の的である。藤倉氏が「注目される」のは当然のことだろう。

 私は彼の話を聞いて、正直、危ない  なと思った。

 藤倉氏がノンフィクション業界の集まりに参加すれば「下足番」と見なされ、それとは逆に、ライター志望あるいは横文字職業としてのWRITERに憧れるようなミーハーの集まりに行けば、スター扱いだ。
 換言すれば、「下足番」扱いされれば、くそっぉと思い、切磋琢磨する。誰もが手がけたことのないようなテーマを足で探そうとするし、文章だってうまくなりたいと試行錯誤する。ところが、スターになってしまうと、自己完結の世界に安住することになる。

 どちらにも顔を出し、等身大の 自己を認識できればいいのだが、「下足番」扱いは精神的に厳しく、「スター」扱いは心地いい。だからどうしてもチヤホヤされるところに、ひたるようになる。

 このような構造の一端は、カルト新聞でも表れているように見える。“素人記者”たちからすれば、一般媒体で書いていた藤倉氏は「俺たちの主筆様」ということになる。一方の藤倉氏にとって、他の記者は俺とは違う、たんなるブログの書き手に過ぎない。

 それだからこそ、私が藤倉氏のことを記者と表現することに、彼は不快感を抱き、「俺は主筆様」だと主張する。先に妄想ではないかと書いたが、そうではなく、彼がひたっている「カルト新聞世界」の中では間違いなく「主筆様」なのである。

 話を「3月26日付記事」に戻せば、藤倉氏は20歳くらいは年上の私に対して、「おまえ」と呼び捨てにした。感情の流れに任せて勢いで書いた、あるいは2チャンネル世界の流行り言葉?をつい使ったのかもしれないが、心の奥底に、「主筆様」と「たかだか一介のルポライター」という強烈な自意識があったために、それがつい顔を出したということなのだろう。


オルタナティブ

 藤倉氏は齢(よわい)40前。今さら等身大の自己を再認識せよとまでは言わないが、50歳になっても主筆様をやっているのかと思うと・・・。
  私に単行本を書きたいと語っていた頃の藤倉青年が蘇ると、何だか哀しくなっていく。

 光陰矢の如し。光陰流水のごとし。
 私が『洗脳の楽園』を書いたときは「米本中年」。今は「米本初老兵」だ。一人暮らしの老母の面倒を見るために、故郷に帰る回数と滞在日数は年ごとに増え、いずれ島根に帰ることになるだろう。

 藤倉氏が「フリーライター」の6文字を名詞に刷り込んだときは「藤倉青年」。今は「やや藤倉中年」だ。あっという間に「藤倉初老兵」になり、親の介護をしなければならない生活様式に変わる。

 立花隆さんが月刊『文藝春秋』で「田中角栄の研究」を書いて、一気にノンフィクション業界のスターダムにあがったような時代は終焉したといっていい。
 そうであっても、1人前のノンフィクションライターになる可能性はないわけではない。
 それは、やはり単行本になるような原稿を書くことである。雑誌マーケットはなくても、単行本マーケットは確実にある。出版社は本の書き手を探している。

 ところで、数年前、藤倉氏から相談を受けたことがあった。
「ウクライナのチェルノブィリに取材に行くんですが~~~」
 相談内容は忘れたが、私は<おっ、いよいよ本格的なノンフィクションを書くのか>と心が弾んだことがあった。
 しかし、取材目的が「チェルノブィリを観光ツアーのコースに組んで、金儲けしているヤカラがいるそうなんですよ。そいつらのことを書きたくて・・・」
 シュルルンルン。こりゃ、ダメだ。

 何でもからかってやるという横っちょ的な視点は、記者として必要不可欠な条件である。
 しかし、横っちょ的視点は本筋の視点があって、初めて成立する。本筋のテーマなくして、横っちょ的ばかりだと、たんなる野次馬ライターにしかなれない。

 もしあのとき、「チェルノブイリその後」という視点で、本格的な取材をしていれは、福島原発事故が盛んに報道されている今頃は、雑誌社から執筆依頼の行列ができていただろうに・・・。
 残念というしかない。
 確か、彼はチベットとか上海にも足を運んでいたはず。なぜ、長編ルポを書かないのか不思議でならない。
  同じ頃にチベットや中国に行った人たちは、きちんと書いているというのに。

 このまま主筆様の人生で終わってしまうのか。それとも下足番でなく座敷にあがれるようなノンフィクションライターになれるのか。あと数年が「やや藤倉中年」にとって勝負どころであろう。


 正直な気持ちを言えば、もうこれ以上、カテゴリー「カルト新聞と主筆様」を書きたくない。社会的に何の価値もないからだ。
 再び、私にちょっかいを出さないことを願うばかりである。無駄なことに時間を取られたくないのだ。

 しかしこのまま記事を終えてしまうと、後味が悪いだろう。

 そこで、前向きな提案をしておく。
 カルト新聞の可能性についてである。

 藤倉氏が宗教情報リサーチセンターで新聞の切り抜きをしていた仕事は、社会的に意義あることであった。
 なぜなら、同センターに行けば、一般紙や専門誌、雑誌を問わず、宗教関係のすべての記事を閲覧することができる。宗教関係の研究者や、宗教担当の記者はけっこう重宝しているという。
 
 つまり、カルト新聞も初期の頃の精神に戻って、宗教関係の記事をネットでアップすることを真剣に考えてはどうか-という提案である。もちろん有料サイトにして。

 紙メディアのすべてを収集して、それを入力するのはお金も手間もかかる。地方記事を含めネットにアップされた記事(ただし信用性の高い記事)のコピペだけで十分だと思う。
 そうすれば、社会的に有意義な仕事ができ、なおかつ収入も入る。

 火の粉ブログのブログ開設の目的のコメント欄(末尾)で、タカさんが「伊勢白山道」のことを話題にしている。私はこの団体のことを知らないし、ブログの目的・性格上、タカさんには申し訳ないけど、調べることに時間を費やすことはできない。
 しかし、カルト新聞に検索項目があって、そこをクリックすれば「伊勢白山道」の情報(ただし信用性の高い情報)が出てくれば、これほど便利なツールはない。入会金が1000円なら、私もサイトの有料会員になる。

 カルト新聞では統一教会と幸福の科学のことが多く記事になっているが、私が批判した「エホバの証人」や「顕正会」は一切記事になっていない。エホバでは輸血関係のことが全国紙で報道されていたと記憶するが。
 
 全国各地には様々な新興宗教(疑似宗教)団体が生まれているようである。過日、広島県を訪れたときも、宗教色がきわめて強い団体が生まれ、興隆をきわめていると聞いた。おおどころではなくても、ローカル新興団体はフォローされてしかるべきだと思う。

 資料性の高いサイトにすれば、個人ブロガーに不満がたまるかもしれない。しかし、それぞれが得意分野としている団体で、記事化されていないようなネタを書けば、さらに有力な情報媒体になっていく。
 ただし、エイト君のような感情剥き出しの統一教会批判記事ばかりだと、プロパガンダ的色彩の強いサイトと見なされ、信用力は生まれない。個人ブロガーにそれぞれの想いはあっても、できるだけ価値中立的な文章にすれば、資料的な価値が生まれるはずだ。

最近のカルト新聞は、私にコケにされたエイト君がリベンジからなのか、猛然果敢に、統一教会批判の記事を書いている。まるでエイト君の個人ブログのようだ。このままの状態が続けば、ブログ名は器に合わせ「反統一新聞」に改名すべきだろう。そうなったときには、藤倉氏は主筆の座を田中(清)君に譲るべきだろう。今でも、に記事のをとっているのは清史君なのだから。


(走れ!君が走れば走るほど、統一教会は掃除されるのだ!)


 とまれ、この提案を受け、編集部で真摯に検討されることを期待する。

「やや日刊カルト新聞」が「カルト情報センター」(先駆は「エホバの証人情報センター」)に脱皮することを祈って、このシリーズをおしまいにする。長い間、熟読・精読、ありがとうございました。次回からいよいよ、「勝ち犬の遠吠え」の再開です。

-完-


後藤徹氏が宮村峻氏らを訴えた裁判の第2回口頭弁論は、5月17日に開かれます。
 東京地裁:709号室/午後1時30分

「後藤対宮村の裁判記録では、後藤訴状、宮村答弁書のアップが終わり、兄・兄嫁・妹の答弁書が掲載されているところです。


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コメント

リンク先に(たぶん)ミスあり

文中の「落合信彦」のくだりのリンク先、おそらくミスしておられます
(2つとも今現在は「別冊宝島 ギャンブル狂読本」へのリンクになっています)

おそらく落合のリンクは、今文庫になっている『「陰謀」大全』に張られる予定だったのでは?
http://www.amazon.co.jp/dp/4796616268
そうだ思い出した、あの記事は米本さんのものでしたか。
宝島30も含めて、別冊宝島は90年代のあの時代が面白かったなあ。正直今の「別冊宝島」なんて、同じシリーズを名乗って欲しくない・・・

男なら

エイト記者に藤倉主筆、ペンの力で学級新聞よりもっと面白い事やろうよ(別に掃除やカルト被害対策をやめろとは言わないからね)。

こんな事をやっている人が世界にはいるんだよ。
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/jr_s_ted_prize_wish_use_art_to_turn_the_world_inside_out.html

最近、投稿しすぎなのでしばらく大人しくします。はい。
  • [2011/05/13 23:52]
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所感

お二方まだまだお若いですね。

若くして夢を抱きつつも "12年5ヶ月" という期間 "拉致監禁"によって陰湿な空間で歳をとらざるを得なかった後藤徹さん、
他、何年もの間、何ヶ月もの間、幾度となく、"拉致監禁"によって 貴い時間・夢・親子関係・家族関係・知人友人・健康 を奪われた何千もの被害者たち、
そしてそのご家族・親族が、この記事を読まれたら何を思われるだろう。
どれほど苦しかっただろうか、命を絶ってしまった方々もいる。

"統一教会信者に対する拉致監禁・強制改宗"がなくなることを願います。
http://kidnapping.jp/book/Kidnapping-j.pdf
併せて、体調の優れない多くの方々のご健康を祈ります。

校閲

 gryphonさん、間違いを指摘していただき、ありがとうございました。

 目を皿のようにしてチェックしましたが、今回も10ヶ所近く、間違いが。校閲しておきました。

バランスを大事にしてほしい

藤倉「主筆様」も、「新聞記者」田中清史氏もバランス感覚がないから、いまいちの文章になってしまうのだと思います。

私も、統一教会の資金集めや伝道方法には眉をひそめています。で、その点に関する田中氏の突っ込みには、敬意を表します。が、田中氏の記事は、そこだけに終わってしまうのです。深みというものを感じない、まさにこのブログで米本氏が、「活動家」と評するゆえんです。

統一教会の会員たちは、世界を救済するという大目的に関しては、大真面目に取り組んでいるようです。またご先祖様、霊界人たちの救済にも、これまた疑うことなく心底信じているようです。この点を見て取っての、活動批判をしないと、記事に深みがないのです。

彼らが信じるように、文師が再臨のメシアかどうか、それはまた別の論になりますので、このコメント欄では深く論じませんが、彼らがそう信じて、文師の活動の資金提供のためにいろんな献金や、販売の活動をしているのかと思えば、メシアのために行うものはすべて積善の行為になると考えるのは、理解できます。それがひいては、先祖の供養にもなると考えているのでしょう。

以上の点をふまえた上で、田中清史君のような鋭い突っ込みを行うと、効果てきめん、当の統一教会員の中からも拍手喝さいが多く出てくることでしょう。

今の田中清史君が目指しているように、例えば統一教会をつぶすことができたとしましょう。では教会員はすぐに思考を変えることができるかどうか?再臨のメシアとして、心のよりどころとして文師を敬愛してきた、その思考はすぐには変わりません。すると、よりどころをなくした人たちは、別のよりどころを求めて、別のカルト団体に行くか、宮村氏のような人を求めて、宮村「教団」形成に参加していくか……。田中君、一本調子の記事では、カルトはなくならず、分散していくだけですよ。

私が見るところでは、かの教団の問題点は、こうだと狙いを定めたら、社会の風評も何も考えないで、そのことだけをがむしゃらに進めていくところにあると思います。壺や多宝塔も、そんなに値を張らないで、また真面目に伝道して会員になった人からの新たな献金その他を絡めて、多角的にぼちぼちやっていれば、社会通念的にも地鎮祭、社寺での供養、仏壇の購入その他の延長上で認められていたであろうものを、『柔道一直線』でやってしまうものだから、指弾を浴びてしまう。それを批判する田中清史君の記事もまた同じ。『柔道一直線』で、いいものも悪いものもひっくるめてすべて悪いで批判してしまうものだから、味のない記事になってしまうのです。

藤倉「主筆様」も、いまいち学級新聞委員長のイメージを脱しきれないのは、米本氏の全てを見ないからではないかと思うのです。アンチカルトという点では、今も藤倉「主筆様」サイドなのだし、拉致監禁をなくす会の集会で話をした際にも、まず「アンチ統一教会」であることを宣言していたそうですよ。そういう点を見たうえで、論評しないと、深みのない一直線の、批判のための批判になってしまうのです。

米本氏も、ブログの記事を見る限り、かなり粘着質のところもあるようです。が、その粘着質があったからこそ、「カルトの子」「洗脳の楽園」などの名著が生まれたのです。洗脳の楽園を読んでみても、トータル的にはヤマギシを批判しながらも、部分的には米本氏は是々非々で書いていると思います。藤倉「主筆様」もぜひ、一本調子の記事を改めて、深い読後感を読者に与える記事を書いていただきたいものです。

ぶるうの氏を見習ったら?

 神出鬼没さんの投稿に、同感するところ多しでした。

 エイト氏も主筆さまも、カルト新聞の記者仲間である「ぶるうの」氏を見習えばよいのに、と思われてなりません。

 この方の記事は「柔道一直線」ではなく、比較的バランスが取れています。

プー太郎

記者だとかフリーライターだとか主筆だとか、自称はどうとでもできるでしょうが、客観的にみたら藤倉氏とエイト氏は「プー太郎」ということですね。

プー太郎とは、「就労可能な年齢等にありながら無職でいるものの俗称」ということですから、まさに彼らを指しています。どうやって生計を立てているのか、不思議ですね。

個人的には、彼らの資金源を調べてみたいと思いました。少なくとも、コンビニの店員とか、工事現場の交通整理とか、そういう地道なバイトで食っていることを願っています。ヤバイところから、ヤバイ方法で、ヤバイお金を受け取っているなんてことはないように願っています。もしそんなことしていたら、とてもカルト批判なんてできる資格がないですもん。

ところでプー太郎の語源は、終戦後の横浜を中心とした日雇い沖人夫や陸上の自由労務者を指して使われた「風太郎」というのが一般的です。しかし、「働きもせず、親の金と株で生活していた者が、弟につけられたあだ名『プー』(英語でウンチにあたる幼児語)」という説もあるそうです。

藤倉氏やエイト氏も、米本さんのように「たかられるウンチ」になれる可能性があるってことですね。希望的です。走れ、ウンコマン!(エイトマンか)

情弱妄想大作乙

> 藤倉氏がカルト新聞を発行するようになった経緯は
> よくわからないが、おそらく反統一教会活動家のエ
> イト君と意気投合。軽いノリで「作っちゃおうか」
> ・・・。当たらずとも遠からずだろう。 

 大外れですね。エイトさんは創刊時メンバーですが、「やや日刊カルト新聞」の立案には関わっていませんよ。藤倉と意気投合してきっかけを作ったのは、もっと別の人間。

> オランダ人のフリーは、日本のフリーライターと
> しての彼(現実)ではなく、藤倉氏のカルト新聞
> 主筆という肩書(バーチャル)に関心を抱いたか
> らだろう。

 自慢じゃないですが、オランダ人記者は、主筆という肩書なんかに関心を抱いていません。なぜなら当時、「やや日刊カルト新聞」は存在していなかったからです。ぼくも「社主」とも「主筆」とも名乗っていなかったしね。

 情弱の米本氏に教えてあげます。「やや日刊カルト新聞」の創刊日は2009年10月1日。2009年7月から投稿テストを兼ねて記事を蓄積していましたが、それらは全て非公開。公開したのは創刊日です。創刊日以前は、立案や運営に関わっている人間以外にとって、「やや日刊カルト新聞」は存在していません。

> 藤倉氏は夕刊紙『日刊ゲンダイ』やウエブニュースで、
> 署名入りで記事を書いていた。

> ライターを志望する若者にとって、日刊ゲンダイで署
> 名入りの記事を書いているライターは垂涎の的である。
> 藤倉氏が「注目される」のは当然のことだろう。

 自慢じゃないですが、ぼくは日刊ゲンダイで署名入りの記事を書いたことはありませんwww 米本氏はゲンダイにぼくを紹介したと恩着せがましく書いてた割に、そんなことも知らなかったんだ。ネットだけではなく、紙媒体についても関しても情弱なんですね。筋金入りだなあ。

> 確か、彼はチベットとか上海にも足を運んでいたはず。

 自慢じゃないですが、上海に行ったことはありません。上海ガニ食いたいです。上海って、いったいどこから出てきた話なんだ?



 「カルト新聞と主筆様を評す」シリーズ、おしまいですか。米本氏の妄想と情弱ぶりが遺憾なく発揮された大作でしたね。終了してほっとしました。これ以上続けられたら、ぼくは腹の皮がよじれて死んでいたかもしれません。

ジャーナリストの資格

ネットで「情弱」を調べたら、最近は侮蔑語になっているそうです。

藤倉さん、侮蔑語を媒体で使用することは、ジャーナリストとしてのモラルに欠けます。

もともとのジャーナリストとしての教育を受けないで、米本さんの引きでライターになった藤倉さんであれば、仕方がないことなのかもしれませんが、今からでも、ジャーナリストとしてのモラルを勉強されてはいかがでしょうか。

藤倉さんが「主筆」というバーチャルな言葉を使わないで(「主筆」という言葉自体はバーチャルではありませんが、「やや日刊」がらみの「主筆」はバーチャルな印象を受けます)、ブロガーとして投稿する分には、ジャーナリストとしてのモラルなど知ったことか、と投稿されるのは自由かもしれません。それにしても、ネチケット違反は問われるでしょうが。

何も判っていない

藤倉さんは、本当に一向に何も判っていないようです。

大外れですね。エイトさんは創刊時メンバーですが、「やや日刊カルト新聞」の立案には関わっていませんよ。藤倉と意気投合してきっかけを作ったのは、もっと別の人間


当たらなくても一向にどうでもいい話ですが、エイトさんじゃなくて別の人と意気投合したというわけですね。当たらずとも遠からずだったわけですね。
で、それがどうしたんですか?

となる話題。



 なぜなら当時、「やや日刊カルト新聞」は存在していなかったからです。ぼくも「社主」とも「主筆」とも名乗っていなかったしね。
 情弱の米本氏に教えてあげます。「やや日刊カルト新聞」の創刊日は2009年10月1日。


これは当たらなかったんですね。でもこの話題の直接のテーマは、藤倉氏にとって「やや日刊カルト新聞」は釣り餌なのか、という話題です。
もっとも、デマライターが書くブログが、拉致監禁問題に絡まなければ、大半の人間にとり、このテーマですらどうでもいい話・・・御勝手にどうぞというだけですが・・・・となる話題。


自慢じゃないですが、ぼくは日刊ゲンダイで署名入りの記事を書いたことはありませんwww 

なるほど、書かなかったんですね。
日刊ゲンダイさん慧眼です。
どっちにしろ、興味ありません、となる話題。


興味があるのは、藤倉氏・田中清史(エイト)氏及び「やや日刊カルト新聞」が拉致監禁問題でプロパガンダを担当しているかどうか、プロパガンダ的デマを飛ばす存在かどうかであり、

藤倉氏が誰と意気投合して「やや日刊カルト新聞」を作り、いつスタートしようと、プロパガンダ問題に関わりないならば、興味がない。

枝葉末梢なんてどうでもいいし、藤倉氏の存在自体どうでもいい存在に過ぎません。

従って。一生懸命こんなコメント書かれれば書かれるほど、哀れの一言。


こんなコメントより、訳文の問題、偏向取材の問題などの主要な事柄のコメントしてもらいたいものです。

ミイラ取りがミイラに

 主筆教祖様と献身記者。カルト新聞ってそういうことか。どうやって営業が成り立っているのか、メシ食っていけるのか、どこかからお布施をもらっているのか??
 ま、どうでもいいけど、宗教批判は自由ですけど、反対のために信者の自由を身体的になくし強制説得する拉致監禁の手段には正確な目で是非を判断してほしいですね。
 お掃除どんどんおやりなさいという方に、拉致監禁の手段は問題ありと言っただけでなぜムキになるのか??まさか、そこでやり取りされた金銭が収益の一部になっていることはあるまいに。

またまた藤倉氏の悪い癖

 私がブログ記事に書いた本質的なことは、このまま50歳になっても、「カルト新聞の主筆様」をやっていていいのか、ということです。
 君の人生に関わることです。

 それなのに、なぜ、エイト君はカルト新聞の創設メンバーだけど企画に加わっていなかったとか、日刊ゲンダイで署名記事を書いたことはないとか、上海に行ったことはないとか、そんなことばかりに言及するのかよくわかりません。負けず嫌いの負け惜しみという悪癖という以外に。

 むろん、私の間違いを指摘するのはいいと思う。だけど、先に本質的な問題-今回の記事ではライターとして下足番のままで終わっていいのか、前回の記事では訳文問題のことなどなどなど(「など」の具体を書いたら、また連載を繰り返すことになる)-に言及してから、細かい間違いを指摘をすべきです。

 ブログでも書いたけど、物事には本筋があって枝筋がある。

 で、瑣末なこと。

「米本さん、おかげさまで、日刊ゲンダイで定期的に原稿が載るようになりました」というから、てっきり署名記事かと思いました。うれしく思いながら。

 なぜ錯覚したのか。
 私も日刊ゲンダイで記事を定期的に記事(連載記事)を書いていたので、当然、署名入り記事だと思ったからです。

 署名記事を書いたことがなかったのだとしたら、「ライター志望の若者の集い?に行って、もてました(注目された)」というのは、いったい、なんなのか、頭がクラクラしてしまいます。
 市民記者がネット新聞に記事を載せたら、注目されるってこと?

 上海に行っていないこと。
 なるほど、君から聞いたのはたんに「中国」だったのかもしれない。
 で、中国には行っていない?

 中国に行くと聞いて、私が書きたいと思っていた「陳情村」のことをルポするのかと思った。正直、ややジェラシー。

 陳情村が出来たのは北京だったのに、中国→上海が咄嗟に浮かんだのは、私が上海に何度か行っていたからですね。中国と聞けば、上海の光景が浮かんでしまう。これは、私の悪い癖。

 よく考えてみれば、(君が否定しなかった)チベットに行ったのと、中国のチベット自治区に行った(中国に行った)のと同じだったのかもしれませんね。
 そうであってもブログの記事では同じことを書いていたでしょう。

 なぜ、中国(チベット自治区)に行って、中国共産党がしでかしたチベット民族虐殺事件のことをルポにしなかったのか、と。

 オーストラリアのフリーのこと。
 彼(あるいは彼女:こんなことをあえて付け加えるのは、「彼」と断定して書いたら、実に「女性」でした、情弱です、妄想ですって書くから。あえて「あるいは」と書く。ああ、実にク・ダ・ラ・ナ・イ)が取材を申し込むのだとしたら、江川さんでしょう。

 それで、「カルト新聞主筆」の肩書の持ち主に取材を申し込んだと思いましたとさ。

 私的カルト学習会のメンバーからメールをいただきました。一部をコピペしておきます。心に響くかどうか。

「藤倉君、ほんとにどうしちゃったの?」

よくできました

> 「米本さん、おかげさまで、日刊ゲンダイで定期的に原稿が載るよう
> になりました」というから、てっきり署名記事かと思いました。うれ
> しく思いながら。

 つまり、妄想ですね。

> 陳情村が出来たのは北京だったのに、中国→上海が咄嗟に浮かんだの
> は、私が上海に何度か行っていたからですね。中国と聞けば、上海の
> 光景が浮かんでしまう。これは、私の悪い癖。

 つまり、妄想ですね。

> オーストラリアのフリーのこと。
>  彼(あるいは彼女:こんなことをあえて付け加えるのは、「彼」と
> 断定して書いたら、実に「女性」でした、情弱です、妄想ですって書
> くから。あえて「あるいは」と書く。ああ、実にク・ダ・ラ・ナ・イ)
> が取材を申し込むのだとしたら、江川さんでしょう。

 オーストラリアのフリー? 米本氏の妄想に新キャラ登場ですか。

>  それで、「カルト新聞主筆」の肩書の持ち主に取材を申し込んだと
> 思いましたとさ。

 つまり、妄想ですね。

 妄想であることを多少なりとも自覚できたなら、大きな一歩です。よくできました。

哀れですね

プー太郎の藤倉善郎さん。主筆様をきどっても、まともな反論ができていないですね。見ていて哀れ。

このまま50歳になっても無職でどうするんでしょうか。プー太郎のままブログをしこしこ書いて、ライター志望の若い連中にもてて喜んでいるのも人生でしょうけど。

はたから見ていたら哀れですね。でも、本人が満足ならば仕方ないよね。自己責任ですから。

少なくとも、こんな反論しか書けないようでは、とてもとても、執筆で食っていくことは不可能でしょう。いい金蔓があるなら別ですけど、そうじゃなければ地道なバイトからスタートしたほうがいいと思う。

ありゃ、この人ったらっ

「この人」って、藤倉のお坊っちゃまのことでございますのよォ。


 もう、お坊っちゃまたら、まるでオウムさんになっちゃったァ。

 米オッパに対するお答えがこうなんですもん。これだけですもんッ。おいたわしや。


つまり、妄想ですね。

つまり、妄想ですね。

オーストラリアのフリー? 米本氏の妄想に新キャラ登場ですか。

つまり、妄想ですね。

 妄想であることを多少なりとも自覚できたなら、大きな一歩です。よくできました。


 まあ、お可哀相に、石田のお坊っちゃまと同じ。早く、風が当たらないうちに、お家に入りましょっ♪

カルト新聞って、カルトねたでなくても書くんですね。

「やや日刊」の最新2記事「「天罰だ!」「原発を止めるな!」幸福の科学がデモ」と「米統一協会、Las vegas のエアポート・ビルを1100万ドルで購入」を読んで、「やや日刊」が何を問題として発刊しているのか、わからなくなりました。

最新の記事は幸福の科学が原発積極推進支援デモを行ったこと、もうひとつは、米国統一教会が空港ビルを買ったということがかかれてあって、藤倉「主筆様」とエイト「記者」がいきり立っているのです。

原発問題に焦点を絞れば、確かに原発は危険だとかいう論陣も張れるだろうし、たぶん米本さんも賛成する視点なのでしょう。しかし、「駆ると新聞」を標榜するブログのライターが書いた記事にしては、これってカルトねたなの?という疑問が生じるのです。

その前の米国統一教会のビル買収記事にしても同じ。それが何なのでしょうか。資金源は日本からということで問題視しようとしているのだと思うけれども、持っている資金でビルを買ったということが、どうしてカルトねたなのでしょうか?

やった主体が「カルト団体」と藤倉「主筆様」やエイト「記者」が判断したので記事にしたということでしょう。でも、カルト団体がやったことなら、カルト特有の行為でなくても、なんでも記事になるということですかね。

容疑者が、どこかでパンを買って食った、これは犯罪行為である?被疑者が差し入れを受け取った、これも犯罪行為である?被疑者が飯を食った、これも犯罪行為?それなら売った人も犯罪に加担したの?どんどんと書けちゃいますね。

カルト新聞って、カルトねたでなくても、カルト団体とカルト新聞が判断した団体の行為は、何でも記事にしてしまうのですね。あたかもカルト問題であるかのような脚色を施して。

カルトねただと思うよ

神出鬼没さん

カルトねただと思うよ。幸福の科学は原発推進政策を支持することで、政治に影響を与えようとしている。米国統一教会のビル買収も、おそらく世界戦略の一環だと思う。

十分カルトねただと思う。ただし、藤倉氏やエイト氏が、十分な深い視野を持って書き切れていないと思う。これは君が以前指摘していた点だ。記事が批判一辺倒で単調なので、君にはカルトねたとは関係ないと映ったのだろう。

反省します。

本論とは関係のない「やや日刊」の記事を紹介してしまったことをお詫びします。

これらの記事がカルトねたとはかけ離れていると捉える点で、そうではないという川北さんの意見とは違いますが、藤倉氏やエイト氏が記者としての十分な深い視野を持っていないという点では同意します。

それと、本筋をたがえた見方をしているという米本さんのカルト新聞に対するご意見はあたっていると思います。もっといえば、カルト新聞自体に(つまり藤倉氏、エイト氏自身に)カルトとはなんぞやという基本概念がないように見えます。

カルト新聞が、何を基準としてカルトと判断して批判の対象とするかという基本的なスタンスがないのです。しいて言えば、宗教全般、宗教団体全般を対象としています。その宗教団体がカルトであろうとなかろうと、悪事を働けば対象とする、そのように読み取れる文章がカルト新聞の中にあるからです。ほほ、これで「やや日刊カルト新聞」といえるのかという疑問がわきます。

役者が違う!

謹啓

 親鸞会を去って、社会復帰を遂げるまでの「ぶるうの」氏の歩みが、彼自身のブログでこのほど公開されており
ます。
http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2011/05/post-be0a.html

 やっぱり、藤倉氏やエイト氏とは役者が違うと思います。「ぶるうの」氏は自身の名折れになることとて、そろそろ「やや日カルト」を去るべきときではないかと愚見されます。

カルトねただよ

[これはルール違反だから、米本おじいちゃんお掃除しといてね★]

神出鬼没さん

「やや日」の記事は、内容にカルト性がなくとも、カルト宗教が行うことに関しては、記事にする意義がありそうだと判断されてカルト記事になるんだよ。


統一教会ってカルト宗教だもん。
そうやって観ているんだよ。エイト氏は。

藤倉氏の幸福の科学ネタに関しても同様だよ。

どっちの教祖も同じ変体バカボンだし、それを信仰してる信者も変だよ。


どうであれ絶っっ対に変だから!!!!!!!!!



まぁ、拉致監禁は、ちょっと酷いやり方だし、これはダメだと思うよ~。

神出鬼没さんごめん見てなかった。

充分にやや日の記事の出来方がわかってましたね^^

よくできました^^

それじゃぁ、おじいちゃんこの投稿掃除しといて★

今回の騒動の本質的問題 1

藤倉氏の投稿を読んで、一言

「駄目だ、こりゃ」

でした。
優れたジャーナリストの文章は、情報・問題などを洗い出しながら、対象を鋭く描くと同時に、底流に書き手の主張と人間性を表し、人の共感を呼ぶものになっています。
米本さんの書く文章は、やはりそれを感じさせるのですが、
藤倉氏の文章は、申し訳ないですが、「何これ?」の類です。

「文は人なり」と言いますから、人間性は出ているのですが、その人間性が俗悪そのもの。

情愛をにじませながらも書かれている米本さんには悪いのですが、ライターとして大成は無理だと感じます。

お二人の文章を並べてみましょう

米本さん
「君の人生に関わることです。」
「それなのに、なぜ、エイト君はカルト新聞の創設メンバーだけど企画に加わっていなかったとか、日刊ゲンダイで署名記事を書いたことはないとか、上海に行ったことはないとか、そんなことばかりに言及するのかよくわかりません。負けず嫌いの負け惜しみという悪癖という以外に。」


藤倉氏
「つまり、妄想ですね。」
「つまり、妄想ですね。」
「オーストラリアのフリー? 米本氏の妄想に新キャラ登場ですか。」
「つまり、妄想ですね。」
「妄想であることを多少なりとも自覚できたなら、大きな一歩です。よくできました。」


ライターとは書く人、書いた文章を人に読ませる人の事を指しています。私はライターというのは、ちょっとした文章でも、読まれる対象を意識して書き、共感を得ようというのが習い性になっていると思うのですが、藤倉氏のこの文章はとてもそういうことを意識して書かれたようには思えません。

米本さんは、「負けず嫌いの負け惜しみ」と書かれていますが、例え、そうであってもライターであれば、意地でもこんな落書きレベルの事は書かないだろうと思います。
残念ながら、藤倉氏のライターとしての資質のなさを表しているとしか言いようがありません。

自分の主張を行いながらも、それを押しつけではなく訴える、説得するためには、米本さんが書かれるように、淡々としたものでなければ説得力はありません。
それと同時に、自分を売るものでなければなりません。つまり読者に共感を与えるものでなければならないと思います。

それなのに、ちょっとしたコメントではあっても俗悪な自分を描き出す。
致命的な資質のなさとしか言いようがありません。

このままでは、アジテーター、プロパガンダ作家の道しかないと思います。

藤倉氏もそれを自覚しての、今回の言動だったのでしょうか?
実際、藤倉氏及びその周辺の動きは、すでにその道を選んだのではないかという動きをしています。

藤倉氏と「やや日刊カルト新聞」に関わるこの騒動の本質は何か?

結局は、藤倉氏が拉致監禁擁護派である疑いが濃いことであり、同氏が書いた記事が偏向記事であると米本さんが警鐘を鳴らした事であると思います。

藤倉氏が拉致監禁擁護派である根拠として、同氏が秘密会合に出られたことを書かれたのが、今回の藤倉氏とのやりとりの発端となったわけで、
つまり、問題の本質は同氏が拉致監禁擁護派であるかどうか?
そして、その記事が偏向しているかどうか?
であろうと思います。

今回の騒動の本質的問題 2

藤倉氏とは何者でしょうか?
ネット上で確認されることは次の通りです。

藤倉氏は、「やや日刊カルト新聞」と名付けられたブログの主催者であり、同ブログで「記者」と表現される共同ブログ運営者を選定し、その共同ブログ運営者にも記事を書かせる権利を与えて、同ブログを運営している人物。

その共同運営者の一員に、反統一教会運動家で、拉致監禁擁護派のエイトさん事、田中清史(エイト)氏がいます。

この田中(エイト)氏は、この火の粉ブログをつぶさに読むと、このブログにも登場し、このブログの運営を執拗に妨害しようとした人物です。

田中(エイト)氏は、やはりこの火の粉ブログで、執拗かつ非常識な投稿を繰り返した悪質~管理人こと花屋の小林氏を盟友とする人物です。
花屋の小林氏は、同氏自身のブログで拉致監禁を容認する発言を繰り返して発言する非常識な人物であり、明確な拉致監禁擁護派です。

この小林氏を、盟友として遇する田中(エイト)氏は、その状況からも、その言動面から見ても明確な拉致監禁擁護派です。

つまり、この拉致監禁擁護派である田中(エイト)氏をブログの共同運営者としてブログを運営している藤倉氏も当然ながら思想面的内容を、田中(エイト)氏と共有している可能性は極めて強いと考えられる状況です。

この状況の中で、秘密会合が行われたビルより、藤倉氏とエイト氏が連れ添って出てこられた事実を知って、秘密会合に出席したものと判断され、藤倉氏が拉致監禁擁護派である裏取り根拠とされ、読者に判りやすく説明するために用いられたということであったわけですが、

もう一度書くと、

問題の本質は、藤倉氏が拉致監禁擁護派であるどうか、また、同氏が書いた記事が偏向記事となっているかどうかです。
そして田中(エイト)氏が秘密会合に出席し、その田中氏を「やや日刊カルト新聞」と名付けたブログの共同管理者にしている以上は、藤倉氏が拉致監禁擁護派である疑いが濃厚です。
また、当人が書いた記事自体(宇佐見さんの事件に対する記事)も偏向が掛かっている以上、藤倉氏が、例え、ブログ記事で拉致監禁に中立という事を主張しても、それに対する説得力は、藤倉氏の周辺状況と、藤倉氏の偏向記事によって説得力はほぼ0であり、米本さんが主たる主張においてデマを書いたとは言えない状況ではないかと考えます。

これを強いて、「取材もせずデマを書くライター」「情弱」と連呼し、レッテルを貼った主張するのは、米本さんの主たる主張に反論できない藤倉氏の、米本さんの記事の信憑性を貶めるための悪意あるプロパガンダ戦術であり、むしろ、今回のことは藤倉氏が偏向的態度を如実に露わにした一件と言えるのではないかと思います。

言い換えれば、藤倉氏の記事の信憑性を、藤倉氏自ら地に落とした事件とも言えるかと考えます。

(続く)

今回の騒動の本質的問題 3

藤倉氏の周辺状況をもう少し広げて観察してみると、色々ときな臭い動きがある事が判ります。

拉致監禁擁護派の面々は、今まで出てきた田中清史(エイト)氏と花屋の小林氏の他に、本名不詳の人物として、SDG氏韓定食氏が挙げられます(いずれもこの火の粉ブログで発言されています)。

SDG氏は主に2chで活躍され、韓定食氏は自身のブログで活躍されています。近頃、SDG氏・韓定食氏は2chで、陰謀めいた活動の疑惑が持たれていました。

田中(エイト)氏は、SDG氏と連絡があると考えられます(このSDG氏は話題となっている「やや日刊カルト新聞」でもコメント欄で「匿名Z」氏として登場されています)。

下記は、田中(エイト)氏がこの火の粉ブログで初めて投稿されたコメントです。

http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-2.html#comment1446
(下記の758,760の投稿が田中(エイト)氏のものであるならば、米本さんをこらしめてやろうということで投稿されたコメントです。つまり、論議をやろうという気もなく、きちんと批判しようと気もない投稿ということになります。そして実際の出来も、そういう文章となっており、やたら口角泡を飛ばすような文章になっており、何を言いたいのかよくわからない、説得力0の駄文、駄文の中の駄文、駄文の見本というような見事な駄文となっています。)


この投稿がされた頃、2chでは下記のようなやりとりがされていました。


http://logsoku.com/thread/gimpo.2ch.net/psy/1257174409/758-760
758 :神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 22:41:10 ID:dcAr3k4F (3 回発言)
>>756
私も呆れました。少しはM氏が悪質~撲滅委員会管理人さんとは別人だったのではないか?
という疑念を持って謝罪ないしは発言の撤回をする人間が居るか?と思っていたのに、
新しい記事がアップされてそちらに話題が乗り移っただけ。
悪びれる様子もなく、完全スルーですね。
スルーというか、あれ以上叩かなくなったというか…。
叩かなくなったというより、叩けなくなったんでしょう。
少なからず、ヤバい…という思いがあるんじゃないでしょうかね?。

この件につきましては今後、奴らをどう料理してやろうか…と思案している
最中のようです。
でもここまで反省もしない態度を見ると、流石にこらしめてやろうかと思いますね。

--------------------------------------------------
759 :SDG :2010/02/06(土) 23:45:52 ID:h4KGB4E0 (7 回発言)
>>758

反省しない・できない・させない、、、どっぷりカルトに嵌っていってますね。

火の粉のブログにエイトさんがコメント・*:.。. .。.:*・゜゚・*:(゚∀゚):*・゜゚・*:.。. .。.:*・!
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-2.html#comment1446
これはもう火の粉というより火の玉ですね^^;
これならさすがの米本さんも目を覚ましてくれるかもしれません。

--------------------------------------------------
760 :神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 08:25:06 ID:sqUey9Ww (1 回発言)
>>759
まぁこんな感じで、水面下でどうしてやろうか…と思案していた訳です。
という訳で、ぼちぼち反撃開始です。
ある食口が、こんな事言ってましたよね?。
米本氏の発言には、信憑性がある。悪質~撲滅委員会管理人さんの発言には、信憑性が無い。
確かに米本氏の発言力や影響力。そして過去の実績は認めるけれども、だからと言って
米本氏の発言に信憑性があると判断するのは短絡的であると思います。
今回は、米本氏の大誤審でした。米本氏のフライングというか勘違いだったにしても、
信憑性がある(←私はそう思っていない)筈の米本氏は、事実とは反する事を書いた。
それをバカ正直に信じ、一緒になって誹謗中傷し、笑い合っていたAmazing 米本ズは
完全に米本氏のMCに罹っていると自覚すべきでしょう。




この758、760の発言者が田中(エイト)氏とは確定できませんが、少なくとも760を書いた人物は、ご自分が田中(エイト)氏であることを前提に発言しているのは間違いはありません。

また、田中(エイト)氏とその盟友である花屋の小林氏、またはその周辺とこのSDG氏にリアルで連絡があるのも間違いありません。

花屋の小林氏が米本さんに電話をかけるという事件がありました。

そのいきさつは、
田中幸子さんの訴えhttp://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-109.html
コメント欄に詳しいのですが、

この花屋の小林氏が米本さんに電話していた頃、2chではこのようなコメントが載っています。


http://logsoku.com/thread/gimpo.2ch.net/psy/1257174409/730
730 :SDG :2010/02/03(水) 22:38:28 ID:MBO/pL6h (7 回発言)
>>729

まず悪質統一教会撲滅委員会管理人さんは、
「複数の元信者からの情報を検証し、
名前だけでなく、顔写真まで確認した」
ということで、普通に考えれば、この時点で裏付けは十分です

しかし幽霊食口さんは、
「米本さんもしくは拉致監禁をなくす会に確認しないと裏付けじゃない」
と主張しています。食口にとっては、統一教会が絶対ですから、
統一教会側の人が認めない限り、信じる事ができないのです。

そこで悪質統一教会撲滅委員会管理人さんが、そんな
幽霊食口さんの為に、米本さんにも確認を取っているところです。←今ここ



SDG氏は、何故、ネット上で情報が出る前に、花屋の小林氏が米本さんに電話をかけていることを知ったのでしょうか?

紛れもなく、田中(エイト)氏及び花屋の小林氏、もしくはその周辺と連絡があることを意味しています。
このことは、田中(エイト)氏の活動が、ネットの匿名の拉致監禁擁護派の人物と、現実において協力関係にある可能性がかなり高いことを示唆しています。

つまり、田中(エイト)氏は明確な拉致監禁擁護派であると共に、ネットにおいて、同じく明確な拉致監禁擁護派であり、ネットの匿名性をフルに悪用し、陰謀めいた活動の疑惑が持たれている人物と協力関係にある可能性がかなり高い人物ということになります。

繰り返しますが、こういう人物と共同でブログ運営をあたる人物が藤倉氏であることこそが問題の本質であり、そして、実際に偏向記事を書く事が問題の焦点であろうと感じます。

またこのことは、藤倉氏周辺では拉致監禁擁護派の面々が現実面・ネット上で連絡し合い、協力し合っている状況を表しており、特に、その中に非常識な陰謀じみた手を使って活動している疑惑がもたれるSDG氏が含まれるということは、表面上の言葉や態度だけで藤倉氏の今度の言動を判断するのは、無理があろうと判断いたします。

つまり、これはジャーナリズムのライターとしては致命的な事柄ではありますが、藤倉氏はすでに選択を終え、藤倉氏個人のためのプロパガンダではなく、拉致監禁擁護派のためのプロパガンダとして、今回の言動を行われたのではないかと判断しています。

嘆かわしいことです。

 鸞鳳さん、長文の論考投稿ありがとうございました。

 花屋の小林君から電話があったことが昨日のように蘇ってきました。
 彼、今どうしているのかなあと、と思います。姫山ちゃん(仮名)とうまくいけばいいのだが・・・。

 あの頃は、エイトやSDGや韓定食やらが組織的にやってきていました。レベルは低かったにせよ、最近の野糞にたかる蝿たちよりは数倍、上等でした。

 懐かしいなあ。


 思い出にひたっていてもしようがありません。

 わが藤倉氏のその頃は、http://zoome.jp/ksorano/diary/22で、語っているような感じでした。

 しかし、反カルトのカルト諸君の磁力に引き寄せられ、またエイト君から「兄貴」と慕われるようになり(彼ら流の「賞賛の嵐」作戦)、一気に・・・。

 そこに国会議員の有田氏も加わってくるから、藤倉氏は余計に立場の正当性を心的に確信・確認してしまったのでしょう。

 咲いて見せればすぐに捨てられてということが理解できていない。可哀相に。しかし、長編ノンフィンクションが著すことができないのは、もはや自己責任というものです。
 

Re.嘆かわしいことです。

米本さん

彼、今どうしているのかなあ

今、ネットで見る限り活動は低調みたいですね。また、やりたくない病にかかったのでしょうか?
何にしろ、早くいい人が見つかるといいですね。

エイトやSDGや韓定食やらが組織的にやってきていました。レベルは低かったにせよ、最近の野糞にたかる蝿たちよりは数倍、上等でした。

駄文、牽強付会、すり替え、ピント外れのオンパレードみたいですけど、とりあえず文章にはなっていたみたいですね。
今回のは文章と言うより、落書きの類で、頭痛いだろうなぁと同情していました。
荒らしの人達は、よくまぁ、恥ずかし気もなく書けるものだと、こちらには感心してました(笑)。
人間羞恥心を忘れたらいけませんね。


そこに国会議員の有田氏も加わってくるから、藤倉氏は余計に立場の正当性を心的に確信・確認してしまったのでしょう。

有田氏ですか(笑)。人間肩書きに弱いものですが、もう少し人間を選んで頂きたいものですね。


しかし、長編ノンフィンクションが著すことができないのは、もはや自己責任というものです。

期待されていたように見受けられましたが、やはり資質がなかったということではないかと思います。
人にちやほやされることを第一に持ってくれば、人は大成できません。
自らが納得し、人に良いものを提供する努力をし続ければ、いつか花が咲くものですが、すぐ結果だけを求める。
自滅パターンです。

言っても栓がない話ですが。

ここに出てくる米本氏と管理人氏と鶯鳳とは同じ人物ですよよね??

何か思惑があって使い分けてるんですか??
米本さん、管理人さん、鶯鳳さん教えてください。

「ようこそおかえり」

通りすがりさんへ

 投稿感謝なのですが、再三再四にわたって注意しているように、タイトルが書いてありません。ご注意あれ。

 また、鶯鳳さんと私が同一人物かどうかといった質問は愚問です。

 でも、気持ちはよ~くわかります。
 このブログの管理人である私がたとえば、複数のハンドルネームを使って、情報操作することは可能ですから。

 しかしながら、そんなバカなことはしません。なぜなら、情報操作(実態のないバーチャル)によって、世の中は変わりませんから。

 ハンドルネームを使いわけて書いて、拉致監禁がなくなれば、実に簡単なことです。
 もう、60歳近い人なのに、どうしてこんなことがわからないのか!
 たまゆらじゃ。天理の名折れじゃっ。

 『洗脳の楽園』を書いてヤマギシの子は解放されました。村上牧師に聞いてみてくださいな。

 『カルトの子』を書いてエホバの証人の子連れ伝道がめっきり少なくなりました。中澤牧師に聞いてみてくださいな。

「通りすがり」さんが所属するところの教祖、中山みきさんの「たまゆら」(若干、トランスが入るけど)を、実践するとどうなるのか。

 もっと前向きなコメントが欲しいものですな。

 前に、あそこには内紛があるということで、奈良天理には行きましたが、イマイチよくわからず。
 当時の改革派諸氏とメールでのやりとりは頻繁にありました。

 でも、取材はうまくいかず。
 なにせ、天理の坊主はメシを食うことでキュウキュウとしているから。

 反論があればどうぞ。

 あなたが所属する組織の問題!自殺者はけっこういますよ。隠すな
 どうして現場を見ないのてすか。統一さんが悪いといって、自分のたまゆら組織が正常だというわけではなし。(ふっ、溜め息)

(自分を見つめたりすると、天理宗教官僚としての自分のメシが食えなくなるから、関係ない統一さんに口を出すのだろうけど。その報告成果をもって、メシの種にしているんだろうな。つまり、哀しいな。
 中島みゆきさんと歯科医のお兄さんが毎年多額の浄財をくれていることに、心がいたまないだろうか)

 なんだか、悲しいな。中山さんがこのメールのやりとりを見たら、あの蝋燭の釜に身を投げるだろうな。涙・涙・涙

 最近でも、オタクの教会の人で、自殺がありましたぞ。

 しっかりしなよ。生き方のへそを決めなよ。もう60だぞっ。

「天理」依然として「新興宗教」

謹啓。横レス、御免蒙。

「新興宗教」が価値判断を交えた差別的表現である、ということを知ってのうえで。
 教祖世に出(い)でて既に2世紀を超えた天理教でありますが、さまざまな場面で依然としてそれが未成熟な「新興宗教」ということが露呈されているようであります。


 刑務所などでさまざまな宗教が見るべき教誨活動を行っております。どの宗教もあっさりと、受刑者がめでたく娑婆へ出たら受刑者のほうが求めて来ない限り「去るものは追わず」であるのに、塀の外まで追っかけてゆくのは天理教だけですよ…とある真宗寺院の御住職から10年前、うかがったことがございます。

 天理教が伝統宗教として落ち着くにはまだまだ数世紀の歳月を要するのではないかと思われます。少なくとも僕や米本さんがこの世にある間のことではありますまい。

 教祖××年祭で教団への上納金が集まらず、教会の世襲の会長さんが痛ましくも自殺なされたり、思いあまって銀行強盗に走ったり、あの「通りすがり」さんが知らぬはずもありますまい。宗教がいわゆる宗教団体の専売特許でないことを、米本さんや皆さんの御活動ぶりを拝見していて、改めて強く実感させられます。ありがとう。

カルト

エイトさんの文章は全く面白くないですね。年間数100冊も本を読んでいれば、もっと面白い文章が書けるようになるはずです。
ただ「読む本」の質が悪ければ話は別ですが。

若いうちから「反統一」に熱を上げていて、あらゆるものが未成熟なままなのでしょう。

そこは若いうちから「統一」一本で未成熟なままな食口さんと同じなのかと・・・(書いてて目がイテェのは何故だろう・・・トオイメ)


藤倉さん、反論が全く反論になっておりません。つまらぬものを書き散らすのはやめていただきたいですね。


ミイラ取りがミイラ・・・カルト退治しているつもりが己がカルトに成り下がってしまったお気の毒なかたがた。
お大事になさってくださいませ。


もうひとつ、天理教。
天理教はただの新宗教で、伝統宗教じゃないですよね。

新宗教が統一教会をカルト扱いする・・・目くそ鼻くそを笑うってこういうことでしょうか。

火の粉ブログは、米本氏が「管理人」なのですから同じ人なのは当たり前。

管理者として投稿者に注意を促す時は「管理人」として投稿するのでしょう。そんな当たり前の事を書いて何が言いたいのでしょう?

印象操作がしたいのですか?

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