カルト新聞と主筆様を評す(3)-隠し事
「カルト新聞と主筆様を評す」(3)
藤倉氏が伏せたこと
前回の「評す(2)」で、藤倉氏が私のことを「統一協会容認派」と見なした記述(「3月1日付記事」)を再度、引用する。
その米本氏は、「拉致監禁をなくす会」という団体に関わっています。自称「市民団体」の同団体ですが、結成時、メンバーの大半が統一協会の現役信者。設立総会の際にマスコミ対応を担当していたのは、統一協会の広報担当職員でした。同団体は規約で「特定の教団教派の教義や利害を持ち込むことを禁止する」と 謳っていますが、設立総会では統一協会系の元国会議員が挨拶に立って、統一協会用語を用いた発言をしていました。
米本氏流の論理でいけば、これだけ統一協会と密接な関係にある「拉致監禁をなくす会」が統一協会容認派団体であることは言うまでもなく、そればかりか、その会に関わっている米本氏も「統一協会容認派の立場を明確にした」ことになります。
いかにも第三者的な書き方だが、私が会とどのように関わっていたのか、またこの記事の書き手(藤倉氏)は設立総会とどう関わっていたのか、おそらくカルト新聞の読者にはよく分からなかったと思う。
藤倉氏はなぜ具体的なことを書かなかったのか?
先に、事実関係を明らかにしておこう。
結論から先に言えば、「カルト新聞」では明かされていないが、実は、藤倉氏は「拉致監禁をなくす会」の設立総会に、私と同じライターとして出席していたのである。
会に頼んで、彼を総会に招いたのは私である。座席は私の隣、「マスコミ関係者の席」だった。
会のマスコミ対応の担当者から設立総会にマスコミを呼ぶことを聞き、「宗教関係では記者クラブのようなものは存在しないから、一般紙の宗教担当記者に声をかけたらどうか」と提案するとともに、「藤倉さんというフリーライターがいる。ネットのライブドアニュースで記事を書いていると聞いている。彼に声をかけてみる」と伝えた。
なぜ、藤倉氏のことが頭に浮かんだのか。
この頃(わずか2年前)の彼は、統一教会にはむろんのこと、拉致監禁にも批判的な眼をもっていた。私は99年頃から、「反カルトのカルト性」を指摘していたが、彼はこの考えに同意していたし、「カルト研究は反カルトの立場に立って行なわれるべきだ」と、およそアカデミックらしからぬ発言をしていた北海道大学の櫻井義秀教授(「日本脱カルト協会」の理事)の姿勢に憤慨していたこともあった。
*ちなみに、この教授も秘密会合に出席していた。学問の中立性はどこに消えてしまったのか。
ともあれこのようなわけで、拉致監禁をなくそうという会の設立総会に、ジャーナリストしての藤倉氏は関心を示すだろうと考えたのである。
藤倉氏に声をかけると、案の定、「ぜひ取材したい」という。
なぜ、彼はこうした事実をカルト新聞で書かなかったのか・・・。
(写真の左側の1番前の席で、左下のほうを向いている、黄土色のジャケットを着たやや髪の毛が長い人が藤倉さん。その前のボードに貼ってあるのは、私が撮った、解放直後の後藤さんの写真の数々)
ちなみに、「3月1日付記事」「3月26日付記事」に載った私の顔写真は、そのときに藤倉氏が撮ったものである。もちろん、私の顔写真を公表することはやめてくれと頼み、彼は了承していた。そのことも、カルト新聞では説明されていない。
藤倉氏は、「統一協会系(?)の元国会議員」だけでなく、後藤徹さんや宿谷麻子さん、また監禁体験者で拉致監禁を告発していた元信者の高須美佐さん(3人とも拙著に登場している)の悲痛な訴えにも耳を傾け、メモを取っていた。
*元国会議員とは桧田仁氏のこと。国会で「拉致監禁」について警察庁長官に質問したことがあり、問題の本質を理解している稀有な元国会議員といっていい。会が招待したのは当然のことである。
反“カルト”とりわけ反統一の人たちは、なんでもかんでも、白黒・単純思考よろしくレッテルを貼る傾向が顕著である。
統一協会系、自称市民団体、統一協会容認派。
桧田氏に「統一協会系」とレッテルを貼る根拠は、総会の挨拶で統一協会用語を使ったことにあるようだが、この習いでいえば、オウム用語を使えばオウム系、ヤマギシ用語を使えばヤマギシ系ということになる。恐ろしい話である。
戦争に批判的なことをしゃべる人に、「非国民」とレッテルを貼った軍国主義時代を思い出す。気持ちがいいものではない。
<レッテル貼り思考>の特徴は、レッテルを貼り終えると、何かを語ったような気分になって、思考が停止してしまうことにある。
桧田氏は「統一協会系」。それで、元国会議員に関してはすべて終わり。どんな人物なのか思考したり調べたりしなくなってしまう。
「あいつはカルトだよ」。それで相手のことは思考の対象から消えてしまう。
(実に興味深い傾向である。政治心理学、宗教心理学の研究テーマになるのではないかと考えている)
また、設立総会後、藤倉氏は「設立総会の際にマスコミ対応を担当していた」「統一協会の広報担当職員」に、インタビューできないか私に頼んだことがある。それで、広報担当者の連絡先を伝えた。
*この職員は「なくす会」の会員だった。
統一教会員が市民団体の会員になったらまずいのだろうか。
市民団体「憲法9条の会」の会員には日本共産党員が多い。そのことから、藤倉氏の思考方法よろしく、この会のことを「共産党系の団体」というレッテルを貼って、攻撃する人たちがいる。共産党員が市民団体の会員になったら、まずいのだろうか。
求められるのはレッテル貼りでなく、冷徹で理性的な思考である。
強調しておきたいので、再び繰り返す。
藤倉氏は、09年2月の時点では、私と同じように拉致監禁に批判的だったということだ。
もちろん、2人の立ち位置は微妙に異なる。
私は、月刊『現代』の「書かされざる宗教監禁の恐怖と悲劇」や『我らの不快な隣人』の取材を通し、拉致監禁に反対する立場になっていた。
それに対して、藤倉氏は監禁体験者と直接会ったことがなく、私のルポや本で、拉致監禁のことを知り、批判的な眼を向けるようになっていた。
そうした違いはあっても、 私と同じスタンスで、設立総会の取材に臨んでいた。
しかし、その2年後の「カルト新聞」で、私のことを統一協会容認派というレッテルを貼りたいだけのために、設立総会のことを歪んだ形で論評する。冒頭の記事を読めば、レッテルを貼ることを目的にした文章構成になっていることに気づくだろう。
もし、私のことを「統一協会容認派ライター」とレッテルを貼るのであれば、自分のことは「当時は統一協会容認派ライターから誘われた統一協会容認派ライターでした」と表現しなければならないはず、とからかいたくなる。
反カルトのカルト性
ところで、読者からすれば藤倉氏の姿勢は不思議に思えるだろう。
設立総会に出席していたことを、なぜ、カルト新聞で明かさなかったのか。
その事実を書いておけば、私と会との関わりを
-ぼく(藤倉)の参加を認めさせることができるほどに、統一教会の広報担当者と仲がいいようだ-
と、具体的に示すことができ、より「統一協会容認派」を印象づけることができたのに。
*山口組だろうがトヨタだろうが、組織の広報マンと仲いい関係を結ばないと、その組織にくい込んだ取材はできない。
広報マンと仲良くすることは、組織、フリーを問わず、記者として必要不可欠なことである。
ヤマギシ会やエホバの証人の広報マンにくい込んだからこそ、『洗脳の楽園』や『カルトの子』を著すことができた。
こんなあたりまえのことを書いていると、先輩ライターから笑われそうで、恥ずかしい。
私も首をひねるばかりだが、こういうことではないかと思う。
反統一教会なかんずく拉致監禁諸派は、自分らに批判的な人と関係をもつ人間を排除する傾向にある。
これはなにも特別なことではない。イデオロギー色の強い団体は異分子を徹底的に排斥するのが常である。
「評す(1)」で書いたことだが、藤倉氏の場合、私に秘密情報をもらしたことで、私との関係が疑われた時期がある。
もし設立総会に出席し、私の席の隣で仲良く、後藤徹氏をはじめとする監禁体験者の訴えを聞いていたことが知られると、すなわち09年時点では私と同じスタンスであったことが知られると、今はそうではないと釈明しても、反統一教会メンバーとの良好な関係にヒビが入り、カルト情報がもらえなくなる恐れがある(これについて次回以降に再度触れる)。場合によってはパージされる。
そのことを心配して、自主規制したのではないかと穿(うが)つのだ。
彼らの激しさを、私は骨身をもって体験している。
99年の『救いの正体』(宝島社)で、拉致監禁のことに少しばかり触れただけで、牧師から「統一教会のスパイだ」というレッテルを貼られた。
04年の月刊『現代』で、拉致監禁に関する生々しいルポを書いた。そうしたところ、村上密牧師から「統一教会から金をもらって書いている」という中傷を流された。
読者とて、書きかけの「勝ち犬の遠吠え-故樹村さんのこと」を読めば、強制説得家の激しさはわかるはずだ。
元信者の母親が私と交流し、態度が変化してくると、脱会謝礼金を受け取っていながら、「偽装脱会の母親」と罵倒するようになるのだから。
反“カルト”の立場に立ち、とりわけ創価学会にきわめて批判的な若き研究者から、「カルト新聞を読んだ。まさに米本さんが前から指摘している『反カルトのカルト性』が如実に表われているような記事でした」-という感想をメールでいただいた。
かつては「反カルトのカルト性」に同意していた藤倉氏だが、今ではそれを自ら実践しているとは。
何だか、溜め息が出てしまう。
反“カルト”はきわめて強い磁力のようなものをもち、いったん人を引きつけるとその人を“カルト”にしてしまう-そんな法則が浮かんでくる。
被害者は一転して犯罪者に
「3月1日付記事」ではこんな記述もある。(原文ママ)
伏せ字にした部分は、本名を公表していない人物について米本氏が無断で本名を晒している部分です米本氏は同ブログの他のエントリでも、統一協会信者によるストーカー事件の被害者の本名を晒すなど、けっこうひどいことをしています。
「伏せ字にした部分」とはエイトこと田中清史(きよふみ)氏の表記。カルト新聞という「新聞」を標榜しながら、しかも他者を批判する記事を書きながら、エイト記者の本名を隠す。そのほうがひどくありませんか。ふつうの新聞なら、記者の実名が記事の末尾にカッコで明記されている。自分が書いた記事は自分で責任を取るという姿勢からである。
統一協会信者によるストーカー事件の被害者の本名を晒すなど、けっこうひどいことをしています。
藤倉氏はこの事件の真相を書いた私の記事(URL)を示していない。そのため、この一文を読んだ人は、私のことをひどい奴という印象をもつだろう。
しかしながら、私の記事-真相と深層③を読めば、冤罪の可能性が高いという印象をもつ人は少なくない。
冤罪なら、告訴した“被害者”が「犯罪をおかしていない人を犯罪者に仕立てあげた」ことになる。
たんなるセクハラ事件だったか、レイプ事件だったかは忘れたけど(事件の舞台となったのは東北地方の一都市だったと記憶するが)、事件を犯していないのに犯人だとして告訴された男性は、逮捕・起訴されたあと無罪判決を勝ち取った。その後、訴えた人は告訴虚偽罪(懲役10年以下、ちなみにストーカー罪は懲役6カ月以下)で刑務所行きになった。
被害者は一転して加害者、犯罪者になったのである。
宇佐美氏を告訴した女性も、犯罪者になる可能性がないわけではない。それで、実名を明かすことにした。
付け加えておけば、私は告訴した工藤雅子氏に手紙を送っている。実名にした理由を綴り、末尾には「もし匿名を希望するのであれば連絡を」
今日に至るまで、匿名希望の申し出はない。
ストーカー事件の真相を再調査せずに、一方的に被害者と書き続けるのは、フリーライターとしての資質(カルト新聞の編集長としての資質)が問われる。リテラシーではなく資質がである。
なぜなら、「評す(1)」で書いたように、エイト君が宇佐美氏をストーカー事件の犯人としてカルト新聞で書いたのは2月7日。私が火の粉ブログで冤罪の可能性があると疑問を投げかけたのは2月13日。そして、ストーカー事件の被害者と再び表現した前出の記事は3月1日付である。
荻窪警察署に行けば、誰でも宇佐美氏の話を聞くことができた(今は東京拘置所)。拘置所で被疑者に話を聞くのは、マスコミではふつうに行なわれていることである。彼に面会を断られたら、代理人の弁護士のところに押しかければいいだけのことだ。
かなりの時間がありながら、カルト新聞はそんな基本的な作業すらせずに「被害者」を繰り返す。
編集長としての資質が問われるのは当然のことだ。
起訴=有罪判決99%という判検癒着(判事と検事の癒着)が常態化している中で、宇佐美氏が「百が一」無罪判決を勝ち取ったら、どういうことになるのか。
彼にエネルギーがあり両親も応援するということなら、当然、法的救済措置を取ることになるだろう。
*誰か、カルト新聞の記事を証拠として魚拓に取っておいて欲しい。
カルト新聞だけではない。告訴した工藤雅子氏も、逮捕の瞬間を報じたフジテレビも、国(不当な拘留)も、訴えることは可能である。
もう一つ付け加えておく。
「被害者の実名を晒す」と書けるのは、藤倉氏が前出の私の記事「真相③」を読んだということにほかならない。そこで、はじめて被害者の実名を書いたのだから。
その記事では、宇佐美氏が工藤氏に会ったのはサウナで1回だけとなっている。
したがって、工藤氏のことをストーカー事件の被害者と表現することはできない。
それにもかかわらず、「(ストーカーの)被害者」と平気で表現する。もし私のサウナで一回だけという記事が疑わしいと思うのであれば、工藤氏あるいは代理人の山口広弁護士に事実確認をすればいいだけのことである。
藤倉氏もエイト氏も、山口弁護士とは仲がいい。電話一本で済む話だ。
そうした簡単な確認作業もせずに「被害者」と表現するのは、ライター失格と言わざるをえない。藤倉氏が一人失格になるのはいいが、熱心に取材活動をしている人たちの「フリーライター」としての地位までを貶めているのに等しいのだ。
(工藤氏はストーカー事件の被害者として落ち込んでいるわけではない。今年の1月2日未明に宮村氏と一緒に、女性教会員が監禁されていたマンション(写真)に脱会説得に出向くほどに、活発で元気である。別の場所でも“ご活躍されている”と聞いている)
-追記-
藤倉氏は「統一協会容認派ライター」のレッテルに加え、ブログのコメント欄で、これからは「デマライター」と呼ぶという。信用できないルポライターだとも。
私の謝罪の仕方がなっとらんという理由で、「デマライター」のレッテルを加えるのはいかがなものかと思うが(少々苦笑)、コメントを読んで、思い出したことがある。それで追記として書くことにした次第です。
実は、この火の粉ブログが、裁判所に証拠として提出されたことがあった。
拉致監禁関連の裁判でではなく、全国弁連の弁護士が統一教会を相手取った違法献金裁判においてであった。
提出したのは、エイト君と仲のいい渡辺博弁護士。証拠はブログの「統一教会・徳野英治会長-記者会見の問題点④」という記事である。
*ブログのシステム障害は復旧されましたが、完全ではなく、丸付き数字や「-」などの記号は「?」として表示されています。いずれ修正していくつもりですが。
どのような裁判の流れで、火の粉の記事が証拠として提出され、その証拠をもとに渡辺弁護士が何を主張したのかはわからない。
記事から推し量るしかないが、おそらく「信徒会の存在の有無」が裁判の争点になり、ブログの記事を証拠に「信徒会は存在する」と主張したのではないかと思われる。もしくは統一教会が「仮に信徒会は存在していたとしても、それは教会員の任意団体であり、当教団が関知することのない独立した組織である」と主張したのに対して、それを否定する証拠として提出されたのかもしれない。
思い出したのは以上のことだが、この事実を先の藤倉文脈で考えると、どういうことになるだろうか。
全国弁連の渡辺博弁護士は、少なくとも私のことを「信用できないルポライターではない」と判断し、ブログの記事には「真実」が書かれていると考えたからこそ、裁判所に証拠として提出した-ということである。
藤倉氏のように、渡辺弁護士が「信用できないルポライター」と見ているのであれば、また火の粉の記事はデマであると考えていたのなら、そもそも裁判所に提出することはあり得ない。それゆえ「デマライター」のレッテルは滑稽なのだ。
付け加えておけば、藤倉文脈と同じように、国会議員の有田芳生氏などは私のことを「統一教会に利用されているライター」とか「統一教会の御用ライター」といったレッテルを貼っている。
このレッテル好きの思考方法に従えば、私は「全国弁連に利用されているライター」「全国弁連の御用ライター」というレッテルが貼られなければならないことになる。やはり滑稽きわまりない。
いずれ、カテゴリー「一筆一論」で考察しようと思うが、反統一教会脳はオセロゲームを連想させる。白一色のところに黒が2つほど入ると、一気に黒一色になってしまう。
つまり、カルト批判をやっていたときの私は白評価、ところが拉致監禁批判をやると、一気にすべてが黒評価に変わってしまう。
物事は個別具体的に分析しなければならない。この科学脳が欠如していると言わざるを得ない。
私はオセロ脳に嵌まりたくないから、あえて付け加えておくが、藤倉氏や有田氏とて、すべての物事を白か黒かの二分法で見ているわけではない。
あまりいいたとえではないが、妻がその日に作った料理がたまたままずかった。だからといって、妻は料理が下手だと、一気にすべてが黒評価に変わることはないはず。今日の料理はおいしくなかった。それはダシの取り方が良くなかったからだろうと分析し、そのことを妻に伝えるだろう。ところがどういうわけか、こと統一教会のことになるとオセロ脳に変わってしまう。実に不思議な現象である。
(4月22日早朝記)
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(追記)「ちよ」さんへ。ここは2チャンネルの掲示板ではありません。投稿されるのなら、もう少し思考をめぐらし、きちんとしたものを書いてください。
よろしくお願いいたします。
なるほど、筋は通ってますね
反カルトは、自分に甘い
統一教会には、厳しい(普通以上に)
陰でしてる事が世間に暴露されるとどうなるか?
統一教会以上に世間から非難を浴びるでしょうね。
どちらも心からの反省がないのは、
そっくりだと思います。
エイトさん、他雑感
新聞社ごっこをしているだけなのだから「実名」では書かない、と言うことでしょう。
ずいぶん前のことですけれど、踏み込んだ先の「ビデオセンター」かなんかの責任者の「実名」を晒していましたね、エイトさん。ご自分は「ハンドルネーム」なのに。
どういう神経の持ち主なんだか理解できかねますね。
(統一教会と同じなのかもしれませんね?自分がやる事はすべてよくって,他人がすることは全てダメ・・・やっぱり同じ穴の狢さん)
それと一つ前の火の粉ブログの記事のコメント欄に「正ちゃん」って方のコメントがありましたが・・・
それに対しての米本さんの対応は???でしたね。
白髪とひげの人物がその人ではないと書きながら・・・その人のコメントを認めるって???
それにネットに出てくる人って「本物」だとは限らないですしね。
魑魅魍魎が跋扈するネットの世界、おそろしや、でございますね。
それは
もうひとりのおじさんが庄ちゃんだから、間違えたんでしょう。
正ちゃんの正体
> 一つ前の火の粉ブログの記事のコメント欄に「正ちゃん」って方のコメントがありましたが・・・
> それに対しての米本さんの対応は???でしたね。
> 白髪とひげの人物がその人ではないと書きながら・・・その人のコメントを認めるって???
>
> それにネットに出てくる人って「本物」だとは限らないですしね。
>
> 魑魅魍魎が跋扈するネットの世界、おそろしや、でございますね。
確かに、akiさんが鋭く見抜かれたように、誰かのヤラセ(辻褄合わせ)かと疑問もよぎりましたが、あいまいなまま「正ちゃん」のコメントを事実としてしまいました。
それで、akiさんに触発されて調べてみました。その結果、「正ちゃん」のことが判明しました。
<日本脱カルト協会の理事メンバー>
http://www.jscpr.org/member.htm
鈴木正一(すずきしょういち)
1956年北海道生まれ。奈良県在住。天理教宗教事情調査研究会委員。
24年前に統一協会員の説得に関ったことから、天理教団内でカルト問題の啓蒙及び相談を行うことになる。現在は 教団内に限らずに広く啓蒙及び相談に関るようになった。(引用終わり)
鈴木さんは、本文で書いたセクハラ騒動で、確か当時は監事として、事態の収集にあたらた方です。
石田さん、投稿ありがとうございました。
> 白髪とひげのおじさんが正ちゃんで、
> もうひとりのおじさんが庄ちゃんだから、間違えたんでしょう。
その通りです。よく知っている「庄ちゃん」が「正ちゃん」ネーム(白髪と髭の方)で投稿されたのかと思いました。?マークは点灯していたのですが。
ここまで明らかになったのだから、これまでの2回のブログに掲載した写真の人物紹介をしたほうが自然だと思います。
写真は左から-
・エイト・田中清史氏(反統一教会活動家、カルト新聞記者)
・鈴木正一氏(天理教宗教事情調査研究会委員、日本脱カルト協会理事)
・藤田庄一(フリーのフォトライター)
・藤倉善郎氏(フリーライター、カルト新聞主筆)
<写真のキャプション>
わざわざ鈴木さんが奈良から会合のために上京されてきた。そこで、ひさしぶりに、会合に参加した藤田さん、田中さんと飲みに行こうと話がまとまり、藤倉さんも誘おうということなった。写真は主婦プラザ会館のロビーで4人が合流し、会館から出てくるところ。
もやもやが晴れました。akiさん、石田さん、ありがとう。
あれ
おかしいですね。
4月14日の記事で米本さんは写真の全員を知っていると書いていましたよ?
ブラフだったんですか?
それと、同じ記事で米本さんは藤倉氏が会合に参加していたという証言があったと書いていましたが、
この証言は何だったのでしょうか?
という米本さんの考えがよくわかりません。
藤倉さんが米本さんの画像を掲載したこととなんら変わりないと思いますが・・・
米本さんにあまり敵意や反対感情はありませんでしたが、なんか悔しいから写真あげてやれ、本名あげてやれという感情が伝わってきます。
米本さんが画像掲載されたから仕返しでやっているように見えます。
正直小学生レベルの所業で、これがライターさんの仕事かと残念でございます。
腹痛い
> そこで、ひさしぶりに、会合に参加した藤田さん、田中さ
> んと飲みに行こうと話がまとまり、藤倉さんも誘おうという
> ことなった。写真は主婦プラザ会館のロビーで4人が合流し、
> 会館から出てくるところ。
そうやって、またテキトーなこと書く。飲みに行ったメンツも経緯も違うから。依然として、確認しないでデマを書く。
実害なさそうだから、さしあたっては撤回しろとかまで言いませんが、笑えたのでついコメントしちまいました。
米本氏って、事実確認をしないで想像で書いちゃうところが最大の問題なんだけど、想像するに当たっても、辻褄の合った推論をする能力もない。
ぼくは「会合には参加してない」。なのに、その場で「飲みに行こう」「藤倉も誘おう」となったときに、そこになぜすぐに藤倉が現れるの? ふつう、事前に飲みに行く約束をして合流したんじゃね?って想像する方が合理的だし、実際にぼくは「参加者と飲みに行く約束があった」と書いている。明らかになっている情報と整合性がとれる想像をしたなら、上のような話にはならないですよね。
事実確認をしない。すでに明らかになっている情報も頭に入っていない。想像で書くが、辻褄の合った想像ができない。結果的にも大外れ。そして、デマがデマだとバレた直後にまた同じパターンを繰り返す。
これ、確かに「デマライター」なんて呼ぶのは語弊がありますね。もはや「ライター」ですらない。「妄想ブロガー」とかでいいや。
あと
正確には藤田庄市氏で、フリーのフォトジャーナリストです。
米本氏は、知り合いのはずの人間の名前も肩書きも正確に書けない。これが妄想ブロガーのクオリティーなのかなあ。
蛇足
> ぼくは「会合には参加してない」。なのに、その場で「飲みに行こう」「藤倉も誘おう」となったときに、そこになぜすぐに藤倉が現れるの? ふつう、事前に飲みに行く約束をして合流したんじゃね?って想像する方が合理的だし、実際にぼくは「参加者と飲みに行く約束があった」と書いている。明らかになっている情報と整合性がとれる想像をしたなら、上のような話にはならないですよね。
へえー、主筆クラスの人は、書いていないことまで、言外の意味をくみ取って論評するんですね。「その場で」という言葉を藤倉「主筆」は付け加えていますが、私はどんなに目を皿にして読んでも、見つけられませんでした。
「その場で」って書いたのは藤倉「主筆」なんですから、つじつま合わない解釈をしているのは藤倉「主筆」の方では?会う約束をしたのが正ちゃんが上京した時点であっても、また上京する以前の、上京することが決まった時点であっても、米本さんの<写真のキャプション>は十分通じると思いますが……。藤倉「主筆」の「その場で」発言とは、まさに「蛇足」の好例ではないでしょうか。
なんというか・・・
糸井重里さんの「ブログ」のもじりのお名前の「新聞社」の主筆様ってお偉い方なんですねぇ。
ご教示、感謝です。
とりわけ、藤田さんの名前が「庄一」ではなく「庄市」であることのご教示。次回のブログで藤田さんが少しばかり登場するので、助かりました。
また、エイトこと田中清史さんと藤田庄市さんが秘密会合に出席されていたことの暗示も、助かりました。誰と誰が飲みにいったなんて、おそらく私を含め誰も興味がないことを「確認しないでまたデマを書く」-とまで書き、2人が会合に参加したことを否定しないんだから。
あとは実にどうでもいいこと。
でも、「ライター」と「ジャーナリスト」の違いなんて、読者にはわかりにくいでしょうから、丁寧に説明しておきますね。
アメリカと違って、日本では「フリーランス」ライター(著述家、作家、記者、執筆者)の地位が確立されていません。
最近になってようやく、ごくごく一部だけど、大臣などの記者会見にフリーライターの参加も認められるようになってきたけど、それでも「地位が確立されつつある」とまでは到底言えません。
政府ですらそうだから、一般社会ではまるでまるで。「フリーライター」の名刺を渡すと、すぐに名刺をひっくり返して裏側を眺めたあと、胡散臭そうな顔で見返される。
それが嫌なライターは、裏側にも表側と同じものを、英語で印刷している。つまり<海外でも活躍しているライターなのか、すごいなあ>って、思わせたいわけです。
フランスで仕事をしている日本人のフリーライターによれば、フランスでは政府に申請すれば(申請には条件があったはずだが、失念)パスポートのような記者章がもらえ、それを提示すれば、政府は新聞記者と同等の扱いをしてくれるそうです。
夢のようなお話。
日本でもそのようになっていれば、宇佐美さんをストーカーとして逮捕した警視庁公安部に、堂々と取材を申し込むことができるのに。
まあこんなわけで、「フリーライター」の地位が低い日本では、肩書によって権威づけようとします。多いパターンが「ジャーナリスト」「ノンフィクションライター」なかには「ノンフィクション作家」「作家」とか。
つまり、私を含めライターさんは好き勝手に肩書を名刺に印刷するのですが、「ライター」であれ「ジャーナリスト」であれ、同じなのです。
ただ、「フリーライター」として実績を積めば、肩書を「ジャーナリスト」に“格上げ”するような権威好きな人もいます。
ちなみに、私は、本当は名刺にたんに「記者」の二文字を入れたかったのですが、ルポルタージュが書きたかったので、「ルポライター」を名乗ることにしました。
雑誌などでコメントを求められ、それが記事になったとき、「フリージャーナリストの~」とか「フリーライターの~」と紹介されますが、どんな肩書であろうと同じこと。だから、文句を言ったことはありません。
それで、本題の「藤田さんの肩書が間違っている」という藤倉さんの指摘について。
<フォトライターであれフォトジャーナリストであれ、どっちだって同じことじゃないか>と思いながらも、それでも名刺帳をめくってみました。
そしたら、藤田さんの名刺がありましたね!肩書は以下の通り。
「日本写真家協会会員/ライター」
シンプルでいいですね。藤田さんが権威好きの人のようには見えませんが、最近の名刺では「ジャーナリスト」としているのかもしれませんが。
藤田さんの名前が間違っていたことは失礼いたしましたが、肩書は間違っていなかったようです。
それにもかかわらず、藤倉さんの結論は、
米本氏は、知り合いのはずの人間の名前も肩書きも正確に書けない。これが妄想ブロガーのクオリティーなのかなあ。
ブログの末尾で注意してあげたのけど、レッテル貼りは直らないようですね。クセを改めないと、「レッテル貼りライター」というレッテルを貼ることなりますよ。
僕の「エイト」時代
あのとき僕は、彼女が創価学会とかかわりの深い香港の文学者の作品を翻訳したことをもって、学会を「容認」したものと見なし、強く非難したものでした。
月日は流れ、エイト氏や藤倉某を指弾する僕の脳内に、9年前のことがよみがえりました。
フォトジャーナリストって…?
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hujita.htm
しかし、フォトジャーナリストとは一般的に「報道カメラマン」を指すはずです。
http://www.digi-came.com/jp/modules/xwords/entry.php?entryID=417
「フォトジャーナリズム…アメリカの『ライフ』誌の全盛時代に、報道写真の中でも、新聞や雑誌のために撮影する写真を意味した。現在でも、アメリカなどではフォトジャーナリズムは報道写真と同意語である。なお、報道カメラマンはフォトジャーナリスト。」(カメラマンweb『用語辞典』より)
「写真を撮るのと、文章を書いて出版物を出す」のならば、米本さんが書いたような「フォトライター」のほうが意味として正確です。名刺の「日本写真家協会会員/ライター」 も意味として正確です。
「日本写真家協会会員/ライター」 という肩書きから、いつしか「フォトジャーナリスト」という肩書きに変えてしまった藤田氏の感性がおかしいです。それに疑問を抱かず、逆に鬼の首をとったように「フォトジャーナリストだ!」と騒ぐ藤倉氏の感性がおかしいです。
米本さんの感性のほうが正常です。
陽動作戦
F わかりました!!(ほんとうは分からないけど)
Y ・・・米本を釘付けにさえできれば後藤裁判は必ず勝てるぞ(フフフ大儲け)
これは猫柳だけの妄想じゃろか
それは
後藤裁判に勝ってY氏が大儲けできるのか疑問ですし、
米本さんが藤倉氏に釘付けになることが、裁判の結果にどれほど影響するんでしょうか。
米本さんが事実と異なること(藤倉さんの会合出席)を記事に書いてたんですから、
反論が来るのは当たり前でしょう。
殿方って、レッテル貼りが好きなのね
藤倉ちゃまはホントにレッテル貼りがお好きなのネ。頭の中がレッテルで詰まっているんじゃないかしら。「ちゃま」といっても、もういいお歳なんでしょっ。大丈夫かしら、心配だわァ。
でもね、米オッパは強い人のよう。「妄想ブロガー」なんて、それこそ妄想レッテル名をつけたって、笑われるだけェ。心が折れてしまうようなレッテルを考えなきゃア、ね。
頑張ってネ、藤倉ちゃま
米オッパ、ノボリーキさん、ライターとジャーナリストの違い、わかりやすく教えていただきありがとうございました。
勉強になったわァ。
さあ、朝の片づけをしなくちゃあ。
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