「いのちの家」(川崎牧師)からの脱出記?
拉致監禁リアル情報(22)
蜂と鍵
8月16日から、慶一の講義が始まった。テキストは『聖書』と統一教会の『原理講論』だった。
講義の模様は省略するとして、このときの環境について説明しておく。
「レオパレス昭徳?」のサイトをクリックしてもらえばわかるが、部屋はワンルームである。
玄関に特殊な鍵はなかったが、ベランダに面した窓には内側から開けることができないように細工がなされていた。
慶一がそのことを指摘すると、両親と弟は、口を揃えるように語った。
「前からこうなっていた。近所に養蜂家があって、蜂が部屋に入らないようにするためらしいよ」
この釈明は明らかにおかしい。
レオパレス?の戸数は16。そのいずれの窓も内側から開かないようになっていれば、ベランダに出ることができない欠陥アパートということになり、借り手などつくはずがないからだ。
また、消防法に違反する建造物ということになって、貸主は行政指導を受ける。
慶一がキッチン上の引き戸を開くと、細工をした残滓物とドライバーがあったというから、細工をしたのは家族と見て間違いないだろう。また窓には外から中が見えないようにスモーク状のシートが張られていたという。
慶一はネオパレスにいるとき、3回ほど散歩に出かけたことがある。いずれも父親の監視つきで、一度は外に出ようとしたとき父親から腕を掴まれたという。
サラリーマンの弟は、土日や平日の仕事帰りなど、週に1回の割合で、やってきた。状況を観察し、それを川崎(後日、登場)に報告する目的もあったと思う。
両親も外に出ることはなかった。買い物は市内に住む伯母(母の姉)が行ない、2日に1回の割合で、食料品などを届けてくれていたという。
ちなみに、深雪のケースでは、買い物は父親の友人がしていた。
レオパレスでの生活は、窓に細工がしてあっても、逃げようと思えば逃げることができた。その意味では「監禁」ではなく「軟禁」であろう。
しかし逃げた場合、親子関係は悪化してしまうわけで、そうしたくない慶一にとっては「心理的監禁」以外のなにものでもなかった。
「軟禁」で想起されるのはミャンマーのアウサンスーチ?氏と中国共産党の故趙紫陽氏だが、彼らが自由に動き回ることのできる邸内は広かった。それと比較すると、慶一たち親子3人の自由空間はわずか5m×4m(6坪)。監禁にしろ軟禁にしろ、“保護”説得は、強いる者にも強いられる者にも、精神的苦痛を与える脱会方法なのである。
アルバム
ところで、慶一の話に思わず苦笑してしまったのは、部屋に幼少期からのアルバムが準備されていたことを教えてもらったときだった。
拙著『我らの不快な隣人』は、95年に強制説得を受けた女性のことを詳述しているが、73頁に書いたように、やはりアルバムが用意されていた。
アルバムを脱会説得の小道具に使うやり方は、15年経った今でも踏襲されている。それで、苦笑してしまったのである。
強制説得家たちは、なぜ家族にアルバムを用意させるのか。
それは、統一教会の信者はマインドコントロールによって、“カルト”的人格、統一教会的人格に変わってしまった。アルバムを家族全員で見ながら、子どもに統一教会以前の出来事や思い出を想起させ、昔の人格に戻したいと考えるからだ。
強制説得家たちが間違っているのは、統一教会以前と以後が非連続点で切り離されていると考えていることにある。現役信者や元信者たちの話を聞いていると、「以前と以後」に非連続点はなく、連続線上で結ばれており(つまり何らかの理由があって統一教会に入信したということ)、元信者の場合でも、統一教会以前と統一教会時代、そして統一教会から脱会後も、すべてがつながっている。ただし、これは自然脱会の場合であり、強制脱会を体験した元信者は忌まわしい「拉致監禁」という恐怖体験、屈辱的体験が脱会の前と後に、非連続点として記憶にこびりついている。
「マインドコントロール教」を信奉する彼らには、ここらへんのことがまるで理解できていないといっていい。滑稽なことに、マインドコントロールによって、信者は金太郎飴的な人格に変わってしまうと信じているのである。
話を戻す。
慶一は、原理講論とりわけ創造原理や堕落論のところは噛み砕いて、両親に説明した。しかし、「聖書の引用がおかしい」という両親に、『原理講論』と『聖書』以外の資料はなく、うまく説明できない個所も出てくる。それで、原理講論を輪読のような形で、読み進めるようになっていった。
「密閉された環境で、ひたすら原理講論を輪読していると、まるで行のようだ」と思ったという。
慶一はたまらなくなって、「自分は精一杯、わかってもらうように努力してきた。もっと詳しく知りたいのであれば、教会にくればいい。このままじゃあ、ラチがあかないよ」と話すと、両親は次のように話した。
「統一教会に行けば、教会のいいことしか言わない。もっと中立的な人に、この話し合いの場に加わってもらいたい」
この提案は、実は監禁されてから4、5日目頃から、弟によってなされていた。
当初は「うちの会社の人の親族に統一教会に詳しい人がいる。その人に会ってみないか」というものだったが、いつの頃からか「うちの会社の人」に変わっていった。
両親も次第にこの話に乗り、積極的に勧めるようになっていた。
慶一は<反対派の手先なのだろう>と、断ってきた。
しかし、講義も終わり、両親は納得しない。このままではラチがあかないと思った慶一は、しかたなく、両親の提案に同意せざるを得なかった。
群馬県を流れる吾妻川の両側は、安山岩を中心とした火山砕屑層が長年の浸食を受けて形成されたもので、一帯には奇岩、断崖が覗かせる。
真ん中の写真は奇勝岩井洞。八つ場ダムが建築されると左の渓谷はなくなってしまう。右は渓谷を走る吾妻線。無人駅が多いのどかなローカル線である。
慶応大学の先生
9月23日、弟の会社の同僚だという「サイトウ」と名乗る男性がレオパレスにやってきた。
意外にも、統一教会に詳しくなく、元エホバの証人だった。メガネをかけた小太りの、35歳くらいの男だったという。
「サイトウ」に、信仰の話をすると、「よくわかる」「自分もそのことは理解できる」と反応する。慶一は、うれしくなった。
サイトウは両親に向って、
「こうした監禁下で、信仰の自由を奪うのは良くないことです」
そして返す刀で、慶一に、
「ここまで両親が不安に思っているのだから、統一教会のことを理解させる必要があると思うな」
慶一は「確かにそうだな」と納得したという。
サイトウが提案してきた。
「ぼくが通っていた大学、慶応大学の藤沢キャンパスに心理カウンセラーの先生がいる。その人はDV(ドメスティック・バイオレンス、夫婦間の暴力)の被害にあっている人のための駆け込み寺のような施設を運営しているので、その人に会ってみたらどうか。もしOKなら、予定を聞いてみるよ」
慶一は<大学のカウンセラーの先生なら、ぼくのことも理解してくれるのではないか>と思い、この提案に同意した。
そして、10月2日に、慶応大学のカウンセラーの先生がいる施設に向うことになった。狭い「檻」に軟禁されてから50日目のことだった。
浜松を出発したのは夕方の6時。夏日は終わり、気温はまだ27度と暑かったが、秋の気配を感じる夕暮れどきだった。車には冬用の着替えも詰め込まれた。
- [2010/12/18 10:08]
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