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弁護士山口氏のコラムを評す(10) 

山口コラム(10)
山口広弁護士の倫理を疑う(上)

 倫理=人の道。人たるすぢみち(新修漢和大字典)


 私のルポは、宿谷麻子、高須美佐、中島裕美の3氏が拉致監禁され、監禁下で黒鳥栄牧師や、清水与志雄牧師の説得を受けて脱会したものの、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでいる。そのことを明らかにしたものである。そこではPTSDの概略的な説明も行っている。(資料1

山口氏の人間性すら疑ってしまうのはコラムの次の一文である。正直、怒りすら覚える。

「少なくとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない元信者の話を実名で中心に据えたことは、彼の良識を疑わしめる」資料3


これを読めば、誰だって、まともに発言できないような元信者の話を中心に据えたルポは信用できない。読むに値しないと思うだろう。

実名批判については『我らの不快な隣人』(306頁)で反論したので省略する。

問題なのは、PTSDの症状を「平常心で対外的に発言できない心理状態」としていることだ

しかしながら、PTSDに関するどんな文献にも、そんな症状は書かれていない。むろん、3人の具体的な症状を、担当精神科医の所見をもとに記述した私のルポでも書いていない。

洗脳の楽園カルトの子でも「心的外傷後ストレス障害」は「解離性障害」とともに取り上げているが、やはりそんな症状は書いていない。
『カルトの子』はその昔、山口氏も出席した勉強会のテキストになったことがあるので、彼は間違いなく読んでいる(この事実については別のテーマで再度、触れる)

「少なくとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない」というPTSD定義は、弁護士山口広氏のタメにする作り話にすぎない。

PTSDは新聞記事で日常的に登場する精神疾患だが、心が傷ついたという流行的に使われる軽い感じのトラウマと混同されるから、なかなか理解されにくい。08年に出版されたPTSDとトラウマのすべてがわかる本』(講談社)は、丁寧に読んでも数時間で理解できる良書だと思う



 山口氏がルポを斜め読みしたために、そう思い込んでしまったと解釈することもできるが、それは信じがたい。
山口コラム(8)で書いた通り、横浜地裁に私が顔を出しただけで、わざわざ対策会議を開いたほどだ。
清水氏と黒鳥氏に取材を申し込むと、どういうわけか、山口氏が彼らの広報マンとなって断りの電話をいれてくる。思わず「2人の牧師と、訴訟ではなく広報代理の委任契約したのか」と揶揄したほどだ。

それほどに、山口氏たちは私の動静とルポの内容を気にしていた。
彼は、ルポに間違いがないか、名誉毀損に該当する記述はないかと精読したはずだし、分からないところがあれば調べたはずだ。むろん、清水氏と黒鳥氏にも問い合わせたはず。

PTSDの文献を読みあさることまではしていないにしても、弁護士として基本文献の一つや二つは読んでいたはず。
88年以降、PTSDを理由とした損害賠償請求が裁判で相次いで認められるようになり、法曹界でもPTSDは身近な存在になっているからだ。

PTSD絡みの訴訟を引き受けたことがないため、基本文献を読んでいなかったとしても、少なくとも、有名なハーマンの『心的外傷と回復』(みすず書房)は読んでいたと思う。
“カルト”によって信者が傷つけられる宗教トウラマのことも詳述されている本だからだ。長年、統一教会と闘ってきた弁護士ゆえ未読とは考えにくい。
その本にはフラッシュパック、過覚醒など心的外傷の症状が記されているが、平常心で対外的に発言できない心理状態にあるとは一行足りとも書かれていない。

なぜ、事実を曲げて、記述したのか。
京都祇園で弁護士は「曲屋」と蔑称で呼ばれていることは、「山口コラム(6)」で書いた。
ある弁護士がこう教えてくれた。

「事実を曲げるといってもいきなり黒を白にすれば、すぐにばれてしまう。そのために黒い壁を少しずつ巧妙に白くしていくんですよ

 ルポに登場した3人の女性は、それぞれの精神科医によって「拉致監禁、監禁下での脱会強要によって、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった」と診断されている。
このことは、ルポで明記したので山口弁護士も知っている。
そこで、彼はコラムを書くにあたって、心の内側で、事実を少しずつ曲げていったのではないか。

「PTSD」→「精神疾患の一つ」→「精神疾患者は対外的にまともに発言できない」→「少なくとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない」

話をまとめよう。
刑事事件はなかったというルポの間違い(小細工によって間違いを書く羽目になった)をことさらにデフォルメしたうえで、さらに3人の元信者の証言は「平常心で対外的に発言できない心理情況」においてなされたものだから、ルポは信用できるものではないと決定的に印象づける。

 コラムは短文だが、実に巧妙、政治的と言わざるを得ない。

私を批判するのはいいが、それによって、山口弁護士は3人の女性の名誉ばかりか心まで傷つけてしまった人の道を踏み外したのだ

「深い教養と高い品性の陶冶に努め」なければならない(弁護士法第2条)弁護士が、である。

ところで、奇妙なことがあるのだ。

山口コラム(11)へ

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コメント

http://www.nnn.co.jp/knews/090315/20090315004.html
即日審判で父母の親権停止 家裁、息子への治療拒否で

馬鹿だなお前

おお!名無し。監禁されてんのは、二十歳過ぎた成人なんだよ。お前は一歳児か?意味不明なコメントするな。本文に沿えよ!

 「少なくとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない元信者の話を実名で中心に据えたことは、彼の良識を疑わしめる」のうち「少なくとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない」の部分について。

 これは、密室に長期間押し込めた状態こそ当てはまると思うのです。昔、アメリカの心理学の実験で「感覚遮断実験」というのが行われ、密室で用足しして食べて、それ以外は目隠しして寝ているだけ状態で何日もつか実験したところ、ほとんどの人は半日もたたぬうちに耐えられなくなったと言いますし、甚だしくは後遺症が残るなど弊害が大きく、今は禁止されているそうです。密室押し込め改宗作業はそのような「感覚遮断実験」に近い苦痛があるのではないかと容易に推測できます。「「少なくとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない」境遇で改宗させPTSDというひどい後遺症も残る。これを人権問題と着眼するのが弁護士だと思っていました。

名無しさん&F-22さんへ

 名無しさん。貴重な情報を教えていただきありがとうございました。エホバの証人の輸血問題では間違いなく画期的な審判です。
 これまで輸血禁止で何人の子どもたちが死んだことか。
 10数年前のことになると思うのですが、「宗教と医療」というテーマの集いに参加したことがあります。
 そのとき産婦人科医が「私は、輸血拒否にあって、どれだけの母子をむざむざ死なせているのか」と慟哭していました。
 今回のような審判が確定的になれば、子どもたちは生命が絶たれることはなくなります。
 エホバの証人側は抗告すると思いますが、サイト検索してもまだひっかかりません。
 新しい情報があれば、ぜひ教えてください。

F-22さん。言いたいことはわからないでもないのですが、名無しさんの投稿に対する完全な誤読です。再度、日本海新聞記事を熟読し、意味を考えてください。
それと言葉が汚いです。どんなに自分と意見が違おうとも礼節だけは忘れないでください。よろしくお願いいたします。


謝罪

 F-22さんに謝罪です。「本文に沿えよ」(本文のテーマに則した投稿しろよ」というのは正しいです。すべてを批判したようなコメント投稿をしてごめんなさい。
「本文に沿えよ」というのは、私の希望でもありますが、名無しさんのような内容の投稿する場所はどこにもないので、どうしたものかと思ったりします。考えてみます。

争点が違う

礼節がなく申し訳ありませんでした。今般の一時親権停止は、画期的な出来事だと思っておりました。医療側としては、助かる命は助けたいのです。しかも、患者は一歳児です。未来に於いて、信仰を選ぶ自由があります。小生としましては、少なくとも小児科(0~14才)に於いては、児相が職権で救命をすべきだと考えております。成人に対しては、本人の宗教・信条をきちんと確認しています。医療側は最大限、宗教を尊重しています。しかし、あなたの著書を読むと、ぞっとします。いまの時代、まだ切支丹狩りが行われていようとは、恐ろしいことです。それに、人権を擁護すべき立場の弁護士が、関わっているとは、衝撃的な内容でした。医療人が、最大限患者さんの宗教を尊重する努力が、バカみたいに思えてきます。名無し氏は、明らかに親権停止を、あなたが問題とする、監禁に摘要させる目的で、コメントに今般の事例を貼り付けたものと解釈します。しかし、一歳児の救命の為の親権一時停止を、成人に対する宗教迫害の免罪符に応用しようとする浅はかな思考に小生は怒り心頭です。あなたが本気で監禁を撲滅したいなら、毅然とした態度を取るべきです。名無し氏の行為は、当時の担当者等を侮辱するものです!

補足

名無し氏は、行政と司法が、エホバに対し職権を発動し、信仰の制限をしたことを、ひけらかしたいのだろう。だから、監禁も緊急避難だと言いたげだ。気色悪い。エホバにはエホバの信仰があります。昔、ビート武が主演した、エホバのドラマだったか、映画だったかがあります。信仰とはなにか非常に考えさせられるものです。もし、レンタルで観られるなら、観られたらいいです。世の中には、様々な死生観があります。管理人のあなたも、監禁は何故悪なのか、家族を破壊するからだけではなく、もっと深い意味で罪であることを悟られると良いですね。多くの方の死を見送りますと、神について考えさせられるものです。猿と人の違いは祈るか祈らないかだ、と誰かが言っておりました。当時はふーんと思っただけでしたが、年をとると実に深い内容だったと思います。名無し氏には、独自にブログを立ち上げてもらい、リンクを張ったら良いです。

信仰について

小生が昔、長崎へ行ったとき、26聖人の記念像の中に、12才の少年がいた事に衝撃を受けた。その後、少し切支丹迫害の歴史を調べたことがある。すると、幼児までが、親と一緒に殉教している。この史実を、山口弁護士や名無し氏や管理人殿はどう思うのか、興味深い。信仰とは、人が人たる由縁であると、小生は思う。エホバの信仰を我々がとやかく言えるものではない。信仰は神聖にして侵すべからずが正しいと考える。ただ、申し訳ないが、小児科については可能な限り、救命させていただく。小生は、神の愛を信じる。真理と教理が必ずしも合致するものでもあるまい。だが、ビート武が演じたように、エホバの信仰を貫きたい人としての尊厳は大切にしたい。山口弁護士も名無し氏も管理人殿も残念だが、少年の殉教について、己の魂に尋ね求めたことが無いのだろう。26聖人を『カルト』と呼ぶなら、皆様同じ穴のムジナだ。せめて、監禁を撲滅したいなら、管理人殿には魂の開襟を開いていただきたいものだ。

参考

大泉実成著『説得エホバの証人輸血拒否事件』後にビートたけし主演でテレビドラマ化。Amazonで千円ちょっとで買える。ちなみに、輸血拒否裁判では、エホバ側が勝利、最高裁は国に55万円の損害賠償金を支払う高裁判決を支持した。ま、55万円で子供たちの命が救えるなら、安いものだ。エホバの証人にしてみれば、小生も、山口弁護士も変わらないのかもしれない。俗なヒューマニズムなど、大迷惑なのかもしれない。カトリックでは12才殉教で聖人なのだから。名無し氏には是非このドラマは観ていただきたいものだ。エホバ側が訴えれば、勝つだろうね。最高裁判例があるので。それでも、彼らのしたことは間違ってない。両者共にベストを尽した。それでいい。さぁ、ビートたけしのドラマを観よう。

激しい思い込み

「F-22」さんへ
 呆れるほどの激しい思い込みです。
 名無しさんは、日本海新聞記事を紹介してくれただけです。それ以上でも以下でもなく、何の解釈も加えていません。
 それなのに、
名無し氏は、明らかに親権停止を、あなたが問題とする、監禁に摘要させる目的で、コメントに今般の事例を貼り付けたものと解釈します。しかし、一歳児の救命の為の親権一時停止を、成人に対する宗教迫害の免罪符に応用しようとする浅はかな思考
 だとか、
名無し氏は、行政と司法が、エホバに対し職権を発動し、信仰の制限をしたことを、ひけらかしたいのだろう。だから、監禁も緊急避難だと言いたげだ。気色悪い
 などと解釈する。呆れるばかりです。

 なんだか、「F-22」の心の奥底には正体不明の怒りが棲んでいるように思えます。それを日本海新聞の記事、さらには「礼節を」と注意した私に噴出させないでください。

 発する言葉は我に返り。名無しさんに発した「本文に沿えよ」を実行してください。

 ここでのテーマは「山口弁護士の倫理を疑う」です。
 パパイヤさん、投稿ありがとうございました。
 

 なんか新聞のリンクをきっかけに議論白熱したようですが、こんなニュースもオーストラリアであったそうです。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200903160017.html
娘を監禁暴行の男、罪状認める

 あからさまな暴行という刑事犯罪があったから事件になったと思うけど、もし監禁だけだったら表沙汰になったか疑問です。しかし、これほどの犯罪行為を子供に行っていても明るみになるのは昨年4月で子供本人の通報によるものではありません。子供が病気になり入院した先でおかしいと思った病院が通報した。つまり、親による子供への犯罪は長く長く続いていたということです。
 それほど親権という「聖域」で行われる犯罪行為は陰湿で深く難しい表沙汰にはなりにくく、大変な問題であると推察されます。狂信的な親の親権下で翻弄される子供、そして親権の下の監禁による棄教強要と管理人さんは両方著書にしてみておられますが、前者を書いたら「テキスト」になり、後者を書いたら「火の粉が降りかかり」「良識を疑う」と酷評されたということですね。ということは一方通行の人権感覚ということだと思います。
 ただ、監禁の密室空間で。上記CNNリンクではありませんが、そういう場所で犯罪行為が絶対無いと言い切れるのでしょうか。事件がないと言い切れるのでしょうか。死人が出ないといいきれるのでしょうか。もしかしたら「火の粉が降りかかる」のは、知られてはマズイもっとやばい表沙汰にできない出来事があるんじゃないかと想像してしまいます。監禁後、行方知れずになった人とかいないのか?とか。……最後、野次馬的になってすみません。

お騒がせして申し訳ございませんでした

それでは、名無し氏が本文の山口弁護士の倫理批判のコメントに、如何なる趣旨を持って、エホバの輸血記事を書き込まれたのか、お教え下さい。そうすれば、呆れるほどの私のコメントも、馬鹿みたいですから管理人さんの方で削除できますね。エホバの輸血記事と山口弁護士の倫理問題の関連性をお教え下さい。名無し氏はブログはお持ちでないのでしょうか。お持ちであれば、そちらへコメントごと引越しませんか。コメントの削除は管理人さんにしていただいて、この場所は山口弁護士の記事対するコメントだけにしましょう。本文に対するコメントの場と『単なる情報提供』が、同じだと読む方は混乱します。よろしくご検討下さい。

URLを貼った「名無し」です。

たまにしか出てこない日本の新興宗教に関する報道情報をできるだけ早く知っていただきたくコメントしました。

わたしが知る限り、教団に限定されることなく公平な扱いをしてくださるところはここしか知らないからです。他にもあるのであれば教えてください。

教団毎に特化したサイトしか知らないのです。しかもたいがいアンチかシンパの二分論の立場に立っています。かようにステレオタイプなサイトに最新情報をわざわざ知らせようとは思いません。

わたしは「カルト」問題を極めて微妙な社会問題と把握していますので、報道された新しい情報を共有することがとても重要だと考えています。問題自体が時間とともにドンドン変わってゆくからです。わたしが貼った情報は変化の早さを証明しています。

米本氏も記事とコメントの関連について発言されています。わたしは他の色々なblogを参照した結果、blogという媒体は整合性よりも即時性に特化したものだと判断いたしました。ゆえにURLを貼ったしだいです。

しかし当blog運営者である米本氏の意に沿わないのであれば今後、同じ事はいたしません。

汎用のBBSを設置するのが一般的な対応なのでしょうが過疎化の可能性が高いでしょう。なぜなら二度手間にしかならないからです。コメント数が莫大になればBBSの必要性が生じるでしょうが、記事とBBSを融合したと言っても良いblogというシステムでは、過去記事に集まったコメントに関して新記事で対応するというサイクルで充分に対応できます。

過去記事(もちろんコメント含)が閲覧し難いというblogの特徴を考慮してもそれがベストwayでしょう。以上はあくまでblogシステムの機能から演繹したものであり、内容や意図といった本質的な部分を考慮していません。

以上です。ご理解いただければ幸いです。

そうですか

名無し殿。なければ作ればいいのではないですか。ネットの知識もありそうですし。ブログでもホームページでも、作られたら良いと思います。確かに、知名度の高いブログに便乗して、『自分が』シェアしたい、新興宗教の話題を貼り付けたら、楽です。しかし、あくまでも、他人のブログのコメント欄に、いきなり『単なる情報』を貼り付けられると、小生のような疑い深い人間は、いろいろ考えてしまいます。それだけ、火の粉には敏感に、このブログを見守っているわけです。主張したいことは、皆さん違います。あなたは、あなたの力で、あなたの手段で、訴えられるべきです。あとは管理人さん次第ですね。小生のブログではないですから。管理人さんの名前で、ホームページでも、掲示板でも作ってもらうとかね。事情はわかりました。変に勘繰って悪かったね。ちなみに、国内七割方の病院では、小児科の輸血はするから、べつに珍しい事例ではないです。

これで終わりにしましょう。

 名無しさん。F-22さんの質問に誠実に答えていただきありがとうございました。
「当blog運営者である米本氏の意に沿わないのであれば今後、同じ事はいたしません」と書かれていますが、最新の情報を知りたいので、また注目すべき情報があれば、教えてください。

パパイヤさんの最後の野次馬的指摘はとても重要だと思っています。ただ、このブログでコメントするのはふさわしくなく、いずれ「一筆一論」に書きますので、そのときにまたコメントいただけると助かります。

 山口コラムをあと2回続けます。ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

不完全な人間

冷静に両方の意見が交わされたら、私は面白いなと思いますが。みんな自分は正しいと思っているのですが、人間は間違うこともあると振り返る余裕も必要だと思います。「正しいと思った瞬間から、悪は始まる。」という言葉を座右の銘にしているボランテアに命を掛けている人に会いました。私は、この人は、ほんとに謙虚な人だと思いました。そして、私も反省しました。間違ったとき、間違っていたということを、認めることは、もしかしたら正しいと思ってやることよりも、勇気が必要なのではないかと思います。
 でも、もちろん私は「拉致監禁」とは断固戦います。

山口コラム(10)
山口広弁護士の倫理を疑う(上)

 倫理=人の道。人たるすぢみち(新修漢和大字典)


 私のルポは、宿谷麻子、高須美佐、中島裕美の3氏が拉致監禁され、監禁下で黒鳥栄牧師や、清水与志雄牧師の説得を受けて脱会したものの、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでいる。そのことを明らかにしたものである。そこではPTSDの概略的な説明も行っている。(資料1)

山口氏の人間性すら疑ってしまうのはコラムの次の一文である。正直、怒りすら覚える。

「少なくとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない元信者の話を実名で中心に据えたことは、彼の良識を疑わしめる」(資料3)


これを読めば、誰だって、まともに発言できないような元信者の話を中心に据えたルポは信用できない。読むに値しないと思うだろう。
実名批判については『我らの不快な隣人』(306頁)で反論したので省略する。

問題なのは、PTSDの症状を「平常心で対外的に発言できない心理状態」としていることだ。

しかしながら、PTSDに関するどんな文献にも、そんな症状は書かれていない。むろん、3人の具体的な症状を、担当精神科医の所見をもとに記述した私のルポでも書いていない。

『洗脳の楽園』や『カルトの子』でも「心的外傷後ストレス障害」は「解離性障害」とともに取り上げているが、やはりそんな症状は書いていない。
『カルトの子』はその昔、山口氏も出席した勉強会のテキストになったことがあるので、彼は間違いなく読んでいる(この事実については別のテーマで再度、触れる)

「少なくとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない」というPTSD定義は、弁護士山口広氏のタメにする作り話にすぎない。

PTSDは新聞記事で日常的に登場する精神疾患だが、心が傷ついたという流行的に使われる軽い感じのトラウマと混同されるから、なかなか理解されにくい。08年に出版された『PTSDとトラウマのすべてがわかる本』(講談社)は、丁寧に読んでも数時間で理解できる良書だと思う



 山口氏がルポを斜め読みしたために、そう思い込んでしまったと解釈することもできるが、それは信じがたい。
「山口コラム(8)」で書いた通り、横浜地裁に私が顔を出しただけで、わざわざ対策会議を開いたほどだ。
清水氏と黒鳥氏に取材を申し込むと、どういうわけか、山口氏が彼らの広報マンとなって断りの電話をいれてくる。思わず「2人の牧師と、訴訟ではなく広報代理の委任契約したのか」と揶揄したほどだ。

それほどに、山口氏たちは私の動静とルポの内容を気にしていた。
彼は、ルポに間違いがないか、名誉毀損に該当する記述はないかと精読したはずだし、分からないところがあれば調べたはずだ。むろん、清水氏と黒鳥氏にも問い合わせたはず。

PTSDの文献を読みあさることまではしていないにしても、弁護士として基本文献の一つや二つは読んでいたはず。
88年以降、PTSDを理由とした損害賠償請求が裁判で相次いで認められるようになり、法曹界でもPTSDは身近な存在になっているからだ。

PTSD絡みの訴訟を引き受けたことがないため、基本文献を読んでいなかったとしても、少なくとも、有名なハーマンの『心的外傷と回復』(みすず書房)は読んでいたと思う。
“カルト”によって信者が傷つけられる宗教トウラマのことも詳述されている本だからだ。長年、統一教会と闘ってきた弁護士ゆえ未読とは考えにくい。
その本にはフラッシュパック、過覚醒など心的外傷の症状が記されているが、平常心で対外的に発言できない心理状態にあるとは一行足りとも書かれていない。

なぜ、事実を曲げて、記述したのか。
京都祇園で弁護士は「曲屋」と蔑称で呼ばれていることは、「山口コラム(6)」で書いた。
ある弁護士がこう教えてくれた。

「事実を曲げるといってもいきなり黒を白にすれば、すぐにばれてしまう。そのために黒い壁を少しずつ巧妙に白くしていくんですよ」

 ルポに登場した3人の女性は、それぞれの精神科医によって「拉致監禁、監禁下での脱会強要によって、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった」と診断されている。
このことは、ルポで明記したので山口弁護士も知っている。
そこで、彼はコラムを書くにあたって、心の内側で、事実を少しずつ曲げていったのではないか。

「PTSD」→「精神疾患の一つ」→「精神疾患者は対外的にまともに発言できない」→「少なくとも平常心で対外的に発言できる心理的情況にない」

話をまとめよう。
刑事事件はなかったというルポの間違い(小細工によって間違いを書く羽目になった)をことさらにデフォルメしたうえで、さらに3人の元信者の証言は「平常心で対外的に発言できない心理情況」においてなされたものだから、ルポは信用できるものではないと決定的に印象づける。

 コラムは短文だが、実に巧妙、政治的と言わざるを得ない。

私を批判するのはいいが、それによって、山口弁護士は3人の女性の名誉ばかりか心まで傷つけてしまった。人の道を踏み外したのだ。

「深い教養と高い品性の陶冶に努め」なければならない(弁護士法第2条)弁護士が、である。

ところで、奇妙なことがあるのだ。

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