荻窪栄光教会の黛藤夫の正体(上) 

“救出カウンセラー”の素顔(24)

これまで、孝成教会のHMさんが拉致されてから解放されるまでを描いてきた。
解放された孝成教会のHMの体験(1)?見捨てないで
解放された孝成教会のHMの体験(2)?統一教会信者はロボットなのか
解放された孝成教会のHMの体験(3)?名前を名乗らないクリスチャン
解放された孝成教会のHMの体験(4)?どこまでも交わらない交差点
 
 HMさん(深雪)の脱会説得にあたったのは、荻窪栄光教会主事の黛藤夫だった。
 これから、2回にわたって、黛の正体について詳述しておく。


 最初に私と黛藤夫との関わりについて書いておこう。

 黛が私のところにやってきたのは、確か99年秋のことだったと思う。武蔵浦和駅の改札口で待ち合わせし、駅ビルの蕎麦屋に案内した。

 最初に会ったときからまた蕎麦屋の椅子に座ってからも、顔はこわばったまま。1回しか会っていないが、とても印象に残る表情だった。

 深雪(HM)は私の質問に答え、最初に会ったときの黛の顔は「こわばっていた」と語った。すぐに10年以上も前のことなのに、彼の顔がありありと浮かんでしまった。それほどに独特の表情だった。うまく表現できないが、コワバリが顔にペタッと張りついた能面のような表情とでも言えようか。

 ビールを彼のコップに注ぎ、何の用件かと聞くと、声を震わせながら、
「な、なんで、あんな記事を書いたのですか」

「あんな記事」とは、「勝ち犬の遠吠え?」でも書いたように、私が「拉致監禁」のことを初めて取り上げたもので、その後の「拉致監禁」取材の原点となった記事である。
 また、それまで比較的蜜月だった反“カルト”(正確には反統一教会)諸氏と私との間に、亀裂が生じ始める原因となった記事でもある。
 それだけに、長くなるが、きちんと説明しておきたい。

 記事化の経緯を箇条書きで説明しておく。
(1) 長年“カルト”批判記事を書いてきたために、様々な団体の信者家族から相談を受けることが多くなっていた。だが、「どうすれば脱会させることができるのか」という質問には答えることができない。それで次第に、「脱会の方法」そのものについての問題意識がわいてきた。
(2) ある脱会説得のプロ(対象は統一教会信者のみ)から、「青年信者の脱会説得に入ることになった。同行取材は可能」という連絡をもらった。
(3) 自宅で行われた脱会説得の模様を一週間にわたって観察した。
(4) 青年信者の家族から、(同行取材を受けている)今回の脱会説得の前に、保護説得が未遂に終わっていることを教えてもらった。
(5) 『別冊宝島?救いの正体』99年発売、文庫化されたので今でも書店で手に入る)の「ドキュメント救出」で、(3)を中心に日記風のルポにまとめた。それと同時に、(4)のことにも触れた。反統一教会諸氏との関係で亀裂が入るようになったのは(4)の部分である。

 (4)はどんな風に書かれているのか。全文を引用しておく。記事で「脱会カウンセラー」と書いているのが黛藤夫である。最後に若干の補足説明をしておく。
(原文ママ、数字の表記、改行、行空けは読みやすいように変更した。また 適宜ゴチックをつけた)
 

 ?長文ですので、のんびり読んでください?

荻窪栄光教会の外観



***************


●▼救出計画
<1995年夏?98年秋>

(健が合同結婚式に参加したあとの話である。一般の読者にはわかりにくいかもしれないが、統一教会の合同結婚式は一般社会でいう「婚約式」のようなもので、合同結婚式をあげたからといって、すぐに結婚生活に入るわけではない。そのため、表題の期間中、健は自宅で両親と一緒に暮らしていた)
 武志と清子は、家族だけでの説得では無理だと悟った。息子の救出の手がかりを求めて近所の書店を回った。統一教会を批判する本はあったが、参考になる情報はほとんどなかった。

 カソリック教会のつてをたどり、東京・杉並区にあるプロテスタント系の教会を紹介してもらった。この教会は、統一教会信者の救出活動の草分け的存在で、救出活動に携わる人材を輩出している。
 教会で応対したのは牧師ではなく、かつて救出された経験のある元信者で、その後クリスチャンになった人たちだった。

「毎週開かれる集会にできるだけ参加し、統一教会について勉強し、なぜ子どもを救出したいのかを明確にする。救出を手伝ってくれる親戚の方々にも、少なくとも2、3回は参加してもらいたい。救出時期が近づいたら綿密な計画書を提出してもらいたい。また、メモ帳は目に触れないところにきちんと保管し、子どもさんに絶対にバレないようにしてほしい。もしバレたらすべてがオジャンになってしまう」

 こんな概要のレクチャーを受けた。月に1、2回の割合で、武志と清子は教会での集会と個別相談会に通った。
 毎回顔を合わせる相談者は7人から10人。夫婦や親戚が揃って来ている家もあるから、家族単位にすると5、6組だった。

 聖歌を歌い、祈ったあと、「聖書」「統一教会」「救出全般にわたる方法と戦術」「マインドコントロール論」、また「統一教会信者たちの心模様」についての講義を聞く。最後に脱会者が体験談を話したあと、また全員で祈って終了となる。
 そのあと家族ごとに別室に呼ばれ、個別の相談会が行われた。これが毎週行われる秘密の集会の内容だった。

 武志は、聖歌を歌ったりお祈りをすることに少しとまどいを感じた。2人はカソリック、相談する教会は派の異なるプロテスタント系だからだ。
 <俺たちはクリスチャンだからまだしも、50、60代のキリスト教に無縁な人たちには違和感があるだろうな>

 聖歌や祈りだけでなく、相談に来た家族たちを伝道する教会もある。それは、統一教会の問題を人権問題としてではなく正統、異端の関係で捉えているからである。相談者は、すがる思いで来ているだけに、脱会カウンセラーの機嫌を損ねないように、胸の内を見せないようにして教えを聞く。

 相談会に通うようになってから、武志の独習が始まった。脱会カウンセラーの指導のもとに、統一教会を批判する本や資料、マインドコントロールに関する本、『原理講論』、聖書などを読んだ。聖書は『創世記』『出エジプト記』『レヴィ記』を主に勉強した。

 武志は恐ろしいほどに真面目で几帳面な性格だった。本を読むときには必ずメモを取った。仕事が終わって、夜、本に向かうと、30分もすると眠くなる。独習は遅々として進まなかったが、メモを取りながらの読書スタイルをやめなかった。
 あとから参加した人のほうが先に救出計画書を提出し、実行に踏み切っていく。教会に通いだしてから3カ月で子どもを救出した人もいた。それでも武志は焦ることなく自分のスタイルを貫いた。悪く言えば融通がきかないタイプといってもいいかもしれない。

 毎回行われる個別相談会で、鈴木家の状況が少しも進展していないことに、脱会カウンセラーはしばし苛立ちを露(あらわ)にした。

 清子は、電話で陽子
(健の妹、東京のアパートで一人暮し)に「本やメモ類の隠し場所が健に見つかりはしないか、気が気でないよ。毎日が緊張の連続で、お父さんも私も夜眠れないことが多いんだよ」と漏らしたこともあった。

 学習が始まってから3年が経過し、いよいよ救出計画書づくりの段階に入った。脱会カウンセラーは、兄弟、親戚、知人など救出を手伝ってくれる人にも集会に参加するように要求した。

 98年の夏、陽子は初めて集会に参加した。
 教会には脱会カウンセラーを補佐するスタッフが数人いた。いずれも統一教会の元信者だった。陽子は初めて彼らと挨拶を交わしたとき、「まだ統一教会の影響から抜けきっていない」印象を受けた。それは、人間そのものに関心がなさそうなこと、俗っぽさがないこと、言葉や振る舞いに個性が感じられないことから来るものだった。

 集会の最初と最後に行われる祈りについては、両親と同じような感想を抱いた。
「神は導こうとしているんだから、そのとおりに私たちが働くことができますように」といった祈りが、<宗教とは関係のない参加者にとってどんな意味があるんだろうか>疑問に思った。

 教会には強い違和感を覚えたが、何回か通ううちに、スタッフたちの指導に従って、兄を救出するしかないと考えるようになっていった。

●▼救出は失敗に・・・
<1998年秋?99年1月×日>


 救出計画は徐々に固まっていった。健の説得場所は東京の陽子が探すことになった。
 脱会カウンセラーが陽子に伝えたマンションの条件は、
? 教会近く(私たちが説得に行きやすい)
? 4階以上(お兄さんが逃げにくい)
? 管理人がいないほうがいい(トラブルが発生したとき騒ぎが大きくならないように)
? 入ったときに嫌な感じを与えない(お兄さんがリラックスできるように)
? ドアは一つで、バス・トイレには窓がなく、なるべくベランダはないほうがいい(逃げ出したり、近隣に助けを求めることができないようにする)
?というものだった。

 陽子は会社の帰りや休日を利用してマンションを探した。10棟以上下見した結果、青梅街道沿いの7階建てのマンションに決めた。ベランダはあったが、5階の部屋だった。
 契約したことを伝えると、脱会カウンセラーがやってきて、手慣れた調子で、角材を桟に埋め込むなどしてすべての窓が開かないようにし、玄関には鍵の上から南京錠がかけられるようにチェーンを取り付けた。
 健がマンションから逃げ出さないようにするための作業は着々と進んでいった。

 健をマンションに監禁し説得するとなると、長期戦になる。そうなれば最低限の生活用品、それに協力者が必要となる。
 陽子はアドバイスに従って必要なものをせっせと買い集めた。食器、冷蔵庫、洗濯機、炬燵、ホットカーペット、掃除機、座椅子、米40キロ、味噌・・・。

 武志は、親戚やごく親しいカソリックの信徒にこれまでの経緯を打ち明け、協力を頼んだ。
 親戚、知り合いの11人がマンションに交替で出かけ、家族をサポートすることになった。その日程も1カ月先まで決めた。計画は万全だった。

 集会に参加したカソリックの信徒のひとりは<逆洗脳をかけられているようで怖い>と思った。

 救出計画はいよいよ緻密になっていった。
 健の直接の救出はできるだけ家族で行ない、そのほかの人は健が逃げないようにする。
 マンションへの移動を終えるのは、遅くとも夜明け前の5時頃とする。
 脱会カウンセラーが登場するのは、家族が健を納得させてからにする。

 それぞれに理由がある。
 救出を家族だけで行なうのは、身内以外が健の身体拘束に絡めば、あとあと法的に問題になる場合があるからであり、移動を朝5時までとするのは、健が暴れた場合、ほかの人に目撃されることを避けたいからだ。
また、いきなりカウンセラーが登場すると、仕組まれたものだと察知して話を聞かなくなる。説得を効果的にするには、最初は家族や親戚だけで話し合いを行ない、健が納得してからカウンセラーが登場したほうがいい、というわけだ。

 陽子は99年1月8日付で会社を辞職した。
 武志も定年後に見つけた会社に辞表を提出した。
 2人が職を失うことに、脱会カウンセラーはさして気にとめるふうではなかった。

「愛している子どもを救うんだ。家や職や対面なんかにとらわれている場合ではない」と叱責するカウンセラーもいるそうだから、健の救出の指導に当たった人が格別冷淡というわけではない。

 <マンションの一室に閉じ込めるようなことをして、結果として健の心を傷つけることになりはしないか>

 武志に一抹の不安がないわけではなかった。それでも決行日が近づくにつれ、武志の気持ちは高ぶっていた。
 知り合いの家に親戚やカソリック信徒に集まってもらい、決行時のことやそれ以降の態勢について打ち合わせをした。
 親戚のなかには新幹線で来てくれた人もいた。
 いよいよ決行だ。

 そう思っていた矢先、健が昼家に戻り、「今日の夜、横浜にドライブに行かないか」と清子に提案してきたのである。
 だが、それから10数時間後に、希望は落胆に変わった。すべてが救出計画どおりにいくはずだった。それなのに計画は最初でつまずき、健は「助けて」と大声を上げながら、暗闇に消えていった・・・。

(以下は、少し前の頁で書いた記述である。効果的にするために、記事ではこの部分を前にもってきている)

<1999年1月×日>
(ドライブに誘った夜の場面である)
 さきほどから、噛み合わないチグハグな話し合いが続いていた。
「お父さんが疑問なのはな、健が隠しごとをしていたこと。それに
(数年前に)合同結婚式に参加すると突然言いだしたことだ」
「お兄ちゃんは疑問に答える義務があると思うの。お父さんとお母さんはずっと悩んでいたんだから」

 炬燵に座っているのは、鈴木健(28歳)に妹の陽子(24歳)、両親の武志(62歳)と清子(58歳)、それに武志の姉(69歳)の5人である。
 襖を隔てたダイニングルームでは鈴木家の親戚や知人ら6人が聞き耳を立てていた。

 うつむきかげんの健は、ごくたまに「たとえば?」とか「どうですかねえ」といった短い言葉は発するが、4人の質問や説得にはほとんど反応を示さず、眉間に皺を寄せ、目を閉じているだけだった。

 この日、健の提案で、静岡の自宅から横浜ベイブリッジを通って東京湾の人工島「海ほたる」に、家族揃って夜のドライブに行くことになっていた。
 健が帰宅すると、まるで示し合わせたかのように、どやどやと大勢の人が上がり込んできた。
 久しく会ったことのない遠方の親戚もいれば、顔の知らない人たちまでいる。
 健に緊張感が走った。

 <統一教会が注意するようにと言っていた「拉致・監禁」が、これから始まろうとしているのではないか>

 健の緊張を見てとった父親は、すぐに謝った。
「ドライブに行く約束を破って申し訳ない。今夜はじっくり家族で話し合いたいんだ。いろんな人が来たのは、健の合同結婚のことを話したら、心配して駆けつけてきてくれたんだよ」

 健は顔をこわばらせたまま苦笑した。
 車が好きで、ドライブを楽しみにしていた健からすれば、裏切りである。
 父親の言い訳は納得できなかった。

 <話し合いをするんだったら、休日の昼間にすればいいではないか。どうもおかしい・・・。事前に僕の知らないところで何かが打ち合わせされている。やはり「拉致・監禁」ではないか>
 健はそう思った。

 話し合いが始まってから3時間が経過しただろうか。緊迫感が漂うなか、母親の清子は炬燵の上のペン立てにあったカッターナイフが気になってしかたがなかった。夫の武志に「じゃまだから、それどかして」と頼んだ。
 武志が手を伸ばそうとした瞬間だった。
 健は突然ナイフを掴み、大声を発しながら、窓際に走り寄った。
「寄るな、みんな寄るな」
 顔は蒼白、目はつり上がり、すごい形相だった。

 武志と妹の陽子がすかさず立ち上がり、ナイフを持つ手を武志が、反対の手を陽子が抑えた。
 そのとき、陽子の親指が切れ、血が流れた。
 健は一瞬たじろいだ。

 3人はそのまま1時間以上立ち続けた。
 健が「ハァー、ハァー」と吐く荒い息は、止まらなかった。

 しばらくして小康状態になった。雰囲気が和らいだわけではない。湯飲み茶碗を手にしながらも、緊張した状態は続いた。

 武志が時計に目をやると、まもなく3時になろうとしていた。
 <今から東名高速に乗れば5時には着く。そろそろ実行しなければ・・・>
 健がトイレに立ち上がった。
 <チャンスだ>
 武志はトイレから出てきた健の腕をギュッと掴み、毅然とした態度で言った。
「そろそろ別の場所に行こうか」
 すぐに清子がもう片方の腕を強く押さえ、そのまま強引に玄関のほうに向かった。

 狭い玄関にはたくさんの靴が散乱していた。片方の手が自由にならない武志と清子は靴を履くのに手間取った。
 その瞬間、健は腕を振り払い、外に飛び出した。
 清子があわてて健の腕を掴んだが、ちぎれたセーターの袖が手に残っただけだった。
 隣の部屋にいた6人は、玄関に通じる細い廊下を3人のあとからついていったため、なす術がなかった。

 玄関の外では、武志の知人2人がワンボックスカーの前で待機していた。
 しかし、健はその横を通り抜け、大声を上げながら、真冬の暗闇に向かって、裸足のまま走り去っていった。
<助けて、助けてえ!>と―――。


(詳細は「ドキュメント救出」を読んでもらうしかないが、外に逃げてから数カ月後、健は自宅に戻り、自宅で脱会説得を受け、約1週間で、脱会の意思を示した。
 その日の夜、家族全員それに私と脱会説得者とで、健が前から楽しみにしていた「海ホタル」までドライブに出かけた。人工島で、「あっちが木更津だ」「じゃ、あのネオンがあるとこはどこらへん?」と、みんな子どものようにはしゃいでいた)


?若干の補足説明?

*1 この記事を書いてから、この最後の場面がときおり蘇ってきた。
 そのたびに、自分の家から外に助けを求めた<青年の恐怖心>を想像しようとした。ふつうは、外に危険があって家に助けを求めるもの。その逆なのだから、なかなかリアルに想像することは難しかった。
 外に逃げた青年は数カ月後、自宅に戻り、説得を受け、脱会した。
 説得にあたったプロの脱会説得者は、同行取材の私に「統一教会信者の脱会方法は、この家では失敗に終わった保護説得が一般的だよ」と教えてくれた。
 これには、正直、びっくり仰天した。
 それで、一般的に行なわれているという脱会方法(保護説得)について俄然、興味がわいてきた。

 こうして、元信者の母親・故Kさん(信者の脱会説得者は清水牧師)の紹介で、保護説得によって脱会したが、保護説得にも反対だという元女性信者と出会い、彼女がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていることを知り、「書かれざる宗教監禁の恐怖と悲劇(2004年)、『我らの不快な隣人』(2008年)を執筆することになった。

*2 別のブログ記事でも、前出の拙著でも、また『教祖逮捕』でも書いたことだが、この記事のリアクションについて触れておく。
 『別冊宝島』が発売されたあと、全国弁連の代表・山口広弁護士から「ものすごいハレーションが起きているよ」と教えてもらった。

 ところで、このブログで「救出」と書く場合、必ず“救出”とヒゲカッコをつけて表記している。理由は、救出を求めていない人に対して「救出」と表現するのは、日本語として間違っているからである。しかし、99年の記事ではカッコぬきで、たんに救出と書いている。
 それほど、この当時の私は、拉致監禁問題にはおぼこだった。

 山口と会った前後に、この記事を読んだ牧師が「米本は統一教会のスパイだ」と発言したことを知った。
 これには正直、驚いた。そして愕然としてしまった。思わず「ヒステリー反応」かと思ったものである。
 なぜなら、鈴木家の家族、鈴木家が親しく付き合っていたカトリック信徒など、つまりカッターナイフ事件の関係者すべて(全員、統一教会が嫌いな人)に取材し、記事をまとめたものだからである。
 水面下で行なわれていたことを水面上に出しただけのこと。それなのに、スパイ発言をする。ヒステリー反応と思ったのも、当然のことだと思う。
 もっとも、この反応のおかげで、水面下の闇は深いことを知り、さらなる取材のエネルギー源になったのだが。

*3 文中の敬称は略しました。


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コメント

ギリギリの最前線

ギリギリの最前線に立つ兵士は、どんな心境でしょうか。拉致監禁被害者の手記を読むと、いつもそんな兵士の思いにも似た緊張感を感じます。今まさに敵と対峙し、生きるか死ぬか、飛んできた弾に当たれば死ぬ。そういう心境を、被害者も、また拉致監禁しかないと思い込んで迫る親兄弟も、ともに感じているのではないでしょうか。

拉致監禁請負人らに、口実を与えている統一教会の幹部、そして親をたきつける拉致監禁請負人、そのどちらもが、自分は傷つかないところで見つめています。

拉致監禁被害者、そして拉致監禁しようとする家族、その双方が代理戦争の被害者なのではないか。私も自分のブログを作っていて、そう感じるこのごろです。

戦争の被害者は誰か。

 原田さんの投稿に触発され、ある脱会届出書の文章を思い出しました。

 倉敷めぐみキリスト教会牧師の高山正治氏の強制説得によって脱会した島根大学カープのメンバーが書いた脱会書です。

「私は、誘われてカープに入ったけれども、続けていく意志がないので、脱会します。
 ただし、自分の意志ではなく、高山先生によって監禁されていたことも事実です。このような行為を強制的に行なっていることはおかしいと思いますし、間違った行為だと思います。

 高山先生は、このことは統一教会と牧師との争いだと言っており、自分(脱会した当人)はその中に巻き込まれたと言っていました。

 なぜ、自分の意思ではないのに争いに巻き込まれなければならないのか。脱会させて、聖書などを読んで改宗させることに対しては疑問に思いました」(『我らの不快な隣人』380頁)

 戦争-攻撃してきたのは高山氏ら一部のプロテスタントグループであり、最近になってようやく統一教会も不十分ながら防衛態勢を取るようになった。だから、字義とおりの戦争ではない-による被害者は、信者と信者家族だと思います。

 荻窪栄光教会の黛藤夫主事によって、深雪さんの親子関係は分断され、38度線が引かれてしまいました。

 親子ともども戦争の被害者だと思っています。

http://www.bing.com/videos/search?q=%e3%82%a4%e3%83%a0%e3%82%b8%e3%83%b3%e6%b2%b3&qpvt=%e3%82%a4%e3%83%a0%e3%82%b8%e3%83%b3%e6%b2%b3&docid=288976864044&mid=0C4D43277114951189E80C4D43277114951189E8&FORM=LKVR2#

 どうかイムジン河の曲を聞きながら、深雪さんの体験記をもう一度読んでいただければと希います。

こわばった顔

どうしても気になるので。

黛さんの、「こわばりが顔にぺたっと張り付いた能面のような表情」と言うのはいつからなのでしょう。

この方自身も拉致監禁で脱会なさったそうですが、その時からなのでしょうか?

それともそれ以前から?

何か精神的、心理的に問題があるからなのでしょうか?
ご本人に聞くのが一番なんでしょうけど・・・

もともとなんじゃないのかなあ。
あまり顔のことでいろいろいうのはどうかと。
米本さんもまた○○○みたいな顔って言われちゃうし。

「こわばりがべったり張り付いた」と言うのに興味があるんですよ。

顔の造作の問題じゃない。
それぐらいわかりませんか?

文章が読めないバカだからわからないのね。
レス不要。

ベッキーさんへ

 ちょっと、統一教会さんみたいにズレた投稿(投稿されている教会員の方がずれた投稿だとは決して思っていません。誤解なきように)だったので、高校時代の友人にホストを調べてもらいました。

 その結果、東京のネットカフェからの投稿ということがわかりました。

 ついでに照沼さんの投稿ホストも調べてもらいました。なぜかと言えば、今頃になって、ブロキシのことを話題にするなんて「変だ」と思ったからです。
 そしたら、やっぱし、東京のネットカフェからでしたとさ(akiさん風) 。

 しかも、ベッキーさんも照沼さんも利用されたネットカフェの経営者が同じだったとさ。人間、慣れたところを使いたがるのは習性ですね。ナンタルチア。クソ、ソーメンだ。

 照沼さんが私の間違いを指摘してくれたことにはとても感謝していますが(これは真実)、わざわざ料金を払って(正体を隠してまで)、投稿するような内容ではありませんでした。

照沼さん
> 米本さんはどのようにプロキシかそうでないかを判断しているのですか?

 察するに、この質問は私側のネット知識レベルを聞き、それによってさらなる対応をされようという意図があってのことだと思いますが、高校時代の友人は権力に近いところにいる奴です。

 結論。やはり、最後はakiさん風に〆ましょう。

 <どうか、お気をつけくださいまし(とさ)>

米本さんへ

東京のネットカフェから投稿しましたが、それがどうかしましたか?
数多くの店舗があるメジャーなネットカフェの系列店です。
ネットカフェは毎日のように利用してますから、私にとってはただの日常に過ぎません。
パソコンからなら投稿して良いとのことだったと思いますが、何か問題でもありましたでしょうか?

プロキシサーバのことをプロシキやらピロシキやら風呂敷などと間違えるくらいですから、
さぞかしその辺りには疎いのだろうと思い、老婆心から申し上げただけですが、お気に触りましたか?

>高校時代の友人は権力に近いところにいる奴です。

はい?それがどうしたんですか?
権力に近いところって表現がなんとも曖昧で面白いです(笑)
わざわざこんなこと書くってことは私を脅しているつもりなのでしょうが、
私はどこかの宗教団体と違って法令遵守で生きておりますんで効果ゼロでございます。

それにしても「クソ、ソーメンだ」とは下品すなあ。

私も拉致監禁・強制改宗には反対だから、米本さんも応援してたのに。
こんな対応をされたらもうあなたを応援する気持ちには全くなれませんね。
こんなんだから昨日の友は今日の敵になり、どこへ行ってもつまはじきものになるんでしょうな、この方は。

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