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解放された孝成教会のHMの体験(3) 

拉致監禁リアル情報(17)

 解放された孝成教会のHMさん(29)の体験(3)

前々回は拉致監禁された8月13日の当日の模様。前回は深雪が統一教会の信仰について1カ月間にわたって両親に説明するところまで描いた。



名前を名乗らない臆病なクリスチャン


返報性の法則の登場

『統一協会から愛する人を助けるために』 の音読が終わると、母親は「親はこういう気持ちだってこと、わかる?」と深雪に語りかけた。

 深雪は諭すように話した。
「お父さんとお母さんは、先入観で判断して不安になっているんだ。私の話を聞いているようで、まるで受けとめようとしていない。昔からそうだった。私に対する態度をいい加減、改めて欲しい。私はもう30歳の大人なんだから」

 母親は気分を変えるように、新しい提案をしてきた。
「信仰の説明は聞いたんだから、今度はキリスト教の神の話を聞いてくれない?私の知り合いにクリスチャンの方がいるの。その方の話を聞いたら、出て行っていいから」
 前回のブログで書いた「返報性の法則」の登場である。

 深雪は、条件をつけた。
「純粋に神の話ならいいけど、無期限では困る。統一教会批判に話題が転じた段階で、話を聞かないから。私がキリスト教の神の話は十分聞いたと思ったら、その人とはもう会わないし、ここから出て行く。それでもいい?」

 深雪が川崎のマンションに閉じ込められてから40日以上が経った9月18日(土)の夕方、40歳ぐらいの男性がやってきた。こわばった表情で、こう自己紹介した。

「統一教会からの嫌がらせに困っているので、私の名前は伏せさせてください」

 実に興味深い、というか非常識な自己紹介である。
 クリスチャンと言いながら、名前を名乗らない。「正体を隠して勧誘している」と批判されてきた統一教会と、体質的には同じである。(すでに、統一教会の正体隠し伝道は、地域差はあるものの、基本的にはなくなっている)
 友人である母親から頼まれ、クリスチャンが信じるキリスト教における「神」のことを、その娘に話すだけなのに、「統一教会の嫌がらせ」と、どう関係があるのか。
 あとで降りかかってくる可能性のある“災難”(たとえば裁判とか)から、自分の身を守りたかっただけなのだろう。「臆病な“正統派”クリスチャン」である。

 後日調べたところ、統一教会にとってそれほど有名ではないこの男は「嫌がらせ」など受けていない。受難気取りなのか、嘘の受難を名刺に書き込んでいるのか。もし嫌がらせを受けたというのなら、このブログに書き込んで欲しい。統一教会の“悪辣さ”をアピールする絶好のチャンスではないか。

 その男は深雪に「何が聞きたいですか」と質問し、深雪は「キリスト教の信仰と神の話が聞きたいです」と答えた。

親子3人でレクリエーション

 こうして、男のレクチャーが始まった。
 最初の頃は、深雪の要望通りに、男はキリスト教と聖書について熱心に語った。

 両親と深雪は、男が置いていった『こんなすばらしい朝に』 『賛美の力』 『愛されているものの生活』(ヘンリーナーウェン著)を、次に男が来るまで、各自気ままに読んだ。

  この頃、閉塞感漂うマンション生活に大きな変化が訪れた。
  親子3人で遊園地や映画館、温泉に出かけるようになったのだ。
  この外出によって、深雪の心は癒され、心的外傷につながりかねない心の負荷は軽減されたと思われる。
  その意味で、両親自身、マンションの一室に閉じこもる生活に疲れたということもあるだろうが、賢明な選択だったと思う。
  実際、深雪は<親子3人は不思議な信頼感で結ばれた>と感じている。

 親子3人と男が親密になると、思わぬ“副産物”もあった。
 父親が男に呼びかけるとき、「まゆずみさん」と名前を口にしてしまったのだ。母親は男に気づかれないくらいの小声で父親に、「ダメよ。名前を言っちゃあ」。
 ときすでに遅し。「まゆずみ」は気がつかなかったようだが、深雪はしっかり名前を覚えた。

 そのため、深雪が解放されてから、この男が荻窪栄光教会黛藤夫主事(牧師ではない)と判明したわけである。彼は元統一教会信者である。

荻窪栄光教会の外観

 黛氏については次回のブログで書くとして、先に進める。

 黛氏は、キリスト教の話から次第に、統一教会批判をするようになった。
 9月24日に来たときは、深雪に『青春を奪った統一協会?青春を返せ裁判の記録』を渡した。

 深雪は約束が違うと両親に抗議し、「一歩ではなく二歩譲って、あと5回だけなら話を聞く。それ以上は嫌です」とはっきり意思を伝えた。
 話はそれるが、ここらへんが深雪の聡明なところである。
 約束が違うと憤然とマンションから出て行けば、「マインドコントロールされているから、統一教会の指示に従って、統一教会批判には耳を塞ぐのだ」と思われてしまっていたであろうから。

 9月30日に、黛氏に深雪は伝えた。
「お話は十分伺ったので、あと3回にしてください。あとは自分で考えます」
 黛氏は、<もっと通ってくるつもりだったのに>といった表情で、拍子抜けしたかのようなゼスチャーをした。
 脱会説得のチャンスが残り3回となると、黛氏は穏やかな態度を一変させ、それまでの「マタイ福音書」の話を続けながらも、統一教会の教理批判を一方的に深雪に刷り込むように、語り続けた。

未練たらたらクリスチャン

 深雪にこんな質問もした。
「マインドコントロールされていると、自分で思いませんか」
 深雪が思いませんと語ると、黛氏は「信者の方はみんなそういうんですよ」。

 私はこの話を聞いて、正直、黛氏は頭が悪いと思った。
 その理由は第一に、「マインドコントロール論」の本質は、「当人が気づかれないままに心をコントロールされている」ということにあるからだ(西田公昭氏の『マインド・コントロールとは何か』)。  だから、この理論を信奉するのなら、「あなたはマインドコントロールされていると思いませんか」と当人に問うこと自体、愚の骨頂、あり得ない話なのである。

  マインドコントロール論者の黛氏は、ひょっとしたら、頭が悪いわけではなく、西田公昭氏の本を読んでいないということなのか。それとも忘れてしまったのか。

 第二に、仮にマインドコントロールといったことがこの世に存在するとしても、ある人がマインドコントロール(ロボット化)されているということは証明できないし、逆に、その人がマインドコントロールされていないということも反証不能なのだ。
  私のマインドコントロール論批判は拙著『我らの不快な隣人』、また前回のブログで紹介したサイトで書いているが、角度を変えてわかりやすく書いているのは、『小説「恐怖のマインドコントロール(1)」』  『小説「恐怖のマインドコントロール(2)」』  『小説「恐怖のマインドコントロール(3)」』。是非、目を通してもらいたい。

 
 話を戻す。
 最後の1回になったとき、黛氏は「深雪さんと1対1で話をさせていただきたい」という。
 2人っきりになると、マタイなど関係なく、手のひらを返したように、猛然とした勢いで、統一教会批判を始めた。内容は「血分け」(文鮮明氏が教団を立ち上げる草創期に、複数の女性と性行為をもったという説)だった。

 <「神を伝える」ことでなく、私を脱会させようという魂胆なのだ>と見抜いた深雪は、「もう聞く意思はありません」と伝えた。
 黛氏は未練たちがたい表情で、懇願した。
「統一教会で教えられている善が本当の善なのか、冷静に考えてみる必要があると思うのです。何とかもう少しだけ話す機会を増やしてもらえませんか」
 深雪はか細い声で、だが毅然として断った。

「見直したかったら、自分で見直すから(あなたの話を聞かなくても)大丈夫です」

 こうして、未練たらたらのクリスチャンは、川崎のマンションからとぼとぼと帰っていったのである。「気が変わったら、また私の話を聞いてくださいませんか」と言いながら。
 客観的に見れば、結局のところ、40代の“正統派クリスチャン”が29歳の“異端派”にコケにされたわけである。私は「脱会説得者」という言葉を使うが、彼らはガチガチの監禁下でなければ、脱会説得を成功させることができない。名前負けである。

 ともあれ、黛氏が視界から消えたのは、10月5日(火)のことだった。
 酷暑は遠ざかり、まだ猛暑日(25度以上)は続いていたものの、空には秋の雲が顔をのぞかせるようになっていた。

先ほど(10月19日の朝)荻窪栄光教会のEメールアドレスに次のようなメールを送っておいた。

黛藤夫さんへ。
ルポライターの米本和広です。

最近、あなたが脱会説得を試みた統一教会孝成教会のHMさんのことを、
私が開設した火の粉ブログで連載を始めています。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/

今日(11月19日)アップした記事以降、あなたが頻繁に登場します。
ついては、記事に間違いがあれば、指摘してください。
すみやかに訂正するつもりです。

一方的なメールで申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします。

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コメント

さわやか

「先ほど(10月19日の朝)荻窪栄光教会のEメールアドレスに次のようなメールを送っておいた」(追記部分より)

米本さんの堂々とした態度。さわやかですね。挑戦状を差し出す武闘家みたいな感じですね。

もはや、統一も反統一もコソコソ隠すことはできませんね。何事も。

それにしても

深雪さんのまっすぐで逃げない姿勢は素晴らしいです。信者時代、逃げてばかりいた自分が恥ずかしいです。
深雪さんのご両親は、そんな娘さんを誇りに思うべきです。
それにしても、何故反統一教会の説得者は「統一教会に狙われているから・・」と言いたがるのでしょうか?私の説得者も「統一教会に命狙われている」と始終妄想のように言ってました。統一教会に危険な目に合わされても、それでも統一教会信者を間違った道から救おうと行動している正義感をアピールしたいのでしょうか?
米本さんがおっしゃるように、具体的にどんな危ない目にあったか聞かせて欲しいものです。

わたしだったら

私だったら、親に出て行かせた後二人しかいない状況で「血わけ」の話なんかされたらこわいです。話の内容もそうだし、黛という人と二人だけという雰囲気、状況が、、、。なんで1対1じゃないといけないんでしょうか。女性の心境を無視した、無頓着もはなはだしいやりかたです。心理的に追い詰めようとしたとしか思えません。

結局

深雪さんは強制的に閉じ込められていた訳ではなかったのですね。
良かったです。

修正投稿

 みんなさんへの返信投稿はやや感情的になりすぎたと反省し、修正した投稿を送信します。

みんなさん
> 米本さんの堂々とした態度。さわやかですね。挑戦状を差し出す武闘家みたいな感じですね。

 褒めてもらうのはうれしいのだけど、ちょっと誤解があるような・・・。

 拙著が発売されたときには、そこで批判的に取り上げた人たちには、黛氏に対するのと同じような文面の手紙を送っています。別に今回に始まったことではありません。このことはブログで何回か書いています。高山牧師には手紙を送りました。

 武道家的ではありません。「あなたのことを批判的に書きましたが、事実に間違いがあれば指摘してください」と言っているだけで、記者としてはノーマルだと思っています。

 深雪さんを説得した黛氏の名前が登場するのは、今のところ、このブログだけだと思います。

 私の疑問は、どうして孝成教会の教会長や「拉致監禁と闘う」と明言している梶栗会長が荻窪栄光教会と黛主事に抗議しないのか、ということです。
 不思議でなりません。

International Religious Freedom Report 2010

アメリカ政府はInternational Religious Freedom Report 2010において日本における「強制改宗」(原文 Forced Religious Conversion)問題の記述量を増やしました。
詳しくはUS.Department of Stateの公式サイトを参照下さい。

http://www.state.gov/g/drl/rls/irf/2010/148871.htm

Re: International Religious Freedom Report 2010

秀さん、

情報ありがとうございます。関連の段落だけ、日本語訳付けました。昨年のレポートは、ほんの数行だけでしたが、今年は数段落に及んでいます。(ゆくゆくは、アメリカ日本大使館が、公式の訳をつけると思いますので、その時まで)

http://humanrightslink.seesaa.net/article/170031701.html

「マインドコントロール論」の恐怖

 「あなたはマインドコントロールされている」と拘束状態においた信者にいう前に「娘さんはマインドコントロールされています」と親の方にいったのだと思います。その時、親の方はある意味で恐怖を感じたのだと思います。なぜなら、本人が知らない間に、無自覚にコントロールされてしまうのですよといわれたら、怖いと思いますよ。人間はこういう未知なることを本当のように言われると恐いと感じると思うのです。その恐さなくして親が子供をここまでやうだろうか?信仰の行き過ぎへの批判なら「狂信」「盲信」という言葉があります。人を監禁状態であると知りながら改宗や棄教を迫る「マユズミ」という人もこのたぐいに入ると思います。それとも、「マユズミ」さんはマインドコントロールされてそんな暴挙を犯したのでしょうか?過去の宗教戦争はマインドコントロールされた人々が犯した誤りでしょうか。なら、本人に自覚のないことだから無罪ですね。「狂信」「盲信」の方が説明がつくんじゃないですか。でも「狂信」「盲信」なら信仰をただせばよいのであい、その場合、宗教戦争をした、例えば、キリスト教徒かイスラム教は残るのです。おそらく、存在自体を抹殺したいから「マインドコントロール論」で「狂信」という信仰の領域にも入らないものと規定したがるのではないでしょうか。信仰の過剰行為を「マインドコントロール」で本人無自覚操り人形としたら責任も意思も何もない人間になってしまう。そのような人間としてみる視線こそが、「こいつらにはこうするしかないんだ」と、とんでもない行為を数々生んだと思う。

しょせんお人好し

「どうして孝成教会の教会長や「拉致監禁と闘う」と明言している梶栗会長が荻窪栄光教会と黛主事に抗議しないのか」(米本さんのコメント)

私見ですが、統一教会は世間がイメージしているほど、パワフルな団体ではないと思います。また、○○長と名の付く人たちも組織内では重んじられているのでしょうが、社会的なパワー(法的、経済的、人的)は持ち合わせていないのではないかと思います。

だから、いろんな社会的な活動が下手なのでしょう。

まあ、宗教団体の長がバンバン訴訟に打って出たり、投資をしたりするようなことは、立場的には、あまり適格とも思えませんが。

しょせん、宗教はお人好しの集まり。ある意味、人間らしさを追求する人たちの集まりだと思います。

だからこそ、貴重なのであって、そうしたものを踏みにじることは断固としてあってはならないと思います。


黛氏のブログ紹介

 黛さんがヤフーにブログを開設していました。
http://blogs.yahoo.co.jp/bonnppu/28631144.html

 もっとも2年前に開設したものの、記事は2本だけ。開業閉店中といったところでしょうか。

 黛氏に質問や意見がある方は、コメント欄に投稿されてみてはいかがでしょうか。おそらく、彼はこのブログを読んでいるでしょうから、自分のブログをチェックするかもしれません。

 ただし、投稿される場合は礼節は忘れずに!

笑い話か?

横レス失礼

>宗教はお人好しの集まり。ある意味、人間らしさを追求する人たちの集まりだと思います。

じゃあトーイツさんは「宗教」じゃないですね。

人間らしさを追求している人たちの集まりじゃありませんからね。

現役教会員さんに言っても無駄ですが一言言いたかったものですから。

人を閉じ込めて……

 管理人さんのご紹介のブログに「人を閉じ込めて考え方を変えようとしていませんか?……」と書き込もうとしましたが、パスワードとか入力しないといけないようで、よう分からんブログです。

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