「勝ち犬の遠吠え」⑮ 樹村さんへの鎮魂歌 

清水牧師の正体(18)-最終回-


実に正直で一途な人だった


「勝ち犬の遠吠え」の最終回は、樹村さんの人となりについて書くことにしたい。

 日本基督教団・行田教会の牧師にして、ホザナ幼稚園の園長である清水氏は、前回の「清水牧師考」で述べたように、「俺は周囲から感謝されるべく絶対的存在」と思い込んでいるため、少しでもないがしろにされたりすると---

たとえば樹村さんから裁判支援金の要請を断られたり、あるいは息子の住所を教えてもらえなかったりすると---

 自己愛崩壊の危機に直面し、たちどころに攻撃的な人格に変容し、「未熟な母親」とか「偽装脱会の母親」とか、口汚く罵るようになる。
  
 清水氏の攻撃ぶりに、天国で苦笑していらっしゃるであろう樹村さんは、どんな人だったのか。

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  は、今でもときおり、樹村さんのことが蘇る。それは、彼女が書き送ってくれた墨絵が部屋に飾ってあることや、江戸時代の着物地をあしらった樹村さんお手製のTシャツやベストがハンガーに掛かっているといったような直截的なこともさることながら、友人が癌になったという報を聞くたびに、つい樹村さんのことを思い出してしまうのだ。

 樹村さんとは3回しか会っていないため、生い立ちなど個人的なことはほとんど聞いたことがない。ただ、何度か語っていた「私は中卒で、頭が悪い」という言葉は、なぜか記憶に残っている。

 しかし、樹村さんは中卒だろうが、清水牧師とは及びもつかないほどに聡明な方だった。
 
 最初に電話をもらったのは2000年。そのあと、わざわざ私に会いに浦和までやってこられた。それから日常的なことも話すようになった。

 その一つが「前からどうもお腹の調子が悪くて、それで検査したら、大腸癌だったんよ」という話だった。

 話は迂遠になる。
 ちょうどこの頃、私は「静岡市立清水病院から被害をなくす会」の代表者、竹下さんの裁判を支援していた。裁判の詳細はサイトを読んでもらいたいが、「乳癌でないのに乳房を切除された」という訴えのもとに、<乳癌だったかそうでなかったのか>が争われた裁判である。

 私が裁判に関わるようになったきっかけは、清水病院を告発する記事を何本か書いたこと(記事はサイトにアップされている)だが、専門家の立場から裁判を支援したのは慶応大学放射線科医の近藤誠さんだった。(注1)

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 藤さんは、周知のとおり、『がんと闘うな』の著書で全国的に有名になった医師で、乳房温存療法を全国に普及させ、また抗癌剤の危険性に警鐘を鳴らしたドクターである。このブログの右サイトに近藤さんの近著を推奨している。
     
 弁護士事務所で裁判の打ち合わせが終わったあと、近藤さんと竹下さんとの3人でたびたび会食した。

 この席で、近藤さんに樹村さんの大腸癌と手術のことを質問した。一般的な質問ではなく、樹村さんから送ってもらった資料をもとに。

「手術はまだ早いと思うが、手術した場合、必ず抗癌剤を勧められるはず。それだけは注意したほうがいい」(固形癌への抗癌剤治療は無意味。逆に命を縮める)

 この話を樹村さんに伝えるとともに、近藤さんの本を読むようにアドバイスした。

 癌になったという知人にいつも近藤さんの本を紹介するのだが、怖がってか、あまり読もうとしない。が、樹村さんは5、6冊熟読し、癌細胞の性質、抗癌剤が身体に与える影響などを理解された。先に「聡明」と書いたのは、このことも意味する。

 理解しただけではなく、彼女は実行した。
 近藤さんが予想した通り、担当医はルーチンワークの如く、術後に抗癌剤を処方しようとした。が、樹村さんは断った。盲目的に拒否したのではなく、近藤さんの本の記述を示しながら、理論的に説明したうえでのことであった。
  また医師が説明をするときには必ずメモを取るようにした。(患者がメモを取ると、医者はいい加減な説明ができなくなる)

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 当医はかなり執拗に勧めたようだが、樹村さんはあくまでノーの姿勢を貫いた。家族の勧めも断った。この頃、頻繁に電話がかかってきた。
「娘が涙を浮かべて、抗癌剤治療をやれというのです」
 樹村さんは「近藤さんの本を読んで、抗癌剤について勉強してから言って欲しい」と頼んだが、まるで抗癌剤の信者になったかのように、本を読みもせず、「ともかく抗癌剤を」と言うばかりだったという。
 これは、樹村さんの娘さんに限らず、癌患者の家族に多く見られる傾向である。

 樹村さんの勉強熱心さ、一途な訴えに影響されたのか、担当医も樹村さんの姿勢に一目を置くようになった。

 樹村さんからうれしそうな声で電話があったことを、今でも覚えている。

「先生がね、私のことを認めはったん。それで、今日な、病院に行ったら、『樹村さん、このあと寿司食いに行こう。おごったるわ』って言われた。さっきまで御馳走になっていた。ビールも飲んだんよ(笑い)」

 術後の経過は順調で、まもなく普通の生活に戻った。
 だが、1年後、悲壮な声の電話があった。
「今日な、検査したら、肝臓に転移しててん・・・」

 近藤さんによれば、転移する癌は本物の癌(つまり死)である。(『あなたの癌はがんもどき』「を参照)

 すぐに、近藤さんに質問したところ、
「大腸から肝臓に転移した場合、その癌細胞の塊が3つだけなら、それをすべて切除すれば治る場合がある」
 朗報である。
 さっそく、樹村さんに伝えた。彼女は弾んだ声で「情報教えてくれて、ありがとう!」

 しばらくして、電話があった。
「ダメやった・・・。検査したら、3つどころか無数にいくらの粒のような癌が肝臓にへばりついていた」

 もはや、どうすることもできない。
 樹村さんは覚悟を決めた。
「自分の身体の状態が知りたいから検査は続ける。だけど、治療は受けない。どうせ死ぬのなら副作用に苦しみながらの入院生活は嫌だ。余生を思いっきり楽しみたい」
 癌と闘わないことを決めたのである。
右サイトで推奨している渡辺容子著『乳癌 後悔しない治療-よりよく生きるための治療』を参照)

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 き方(死に方)の方針が固まると、樹村さんは生き生きしてきた。

 冒頭に紹介したように、墨絵や江戸時代の着物地をあしらったTシャツやベスト、小物入れなどを作り、送ってくれるようになった。
 桜見物に行ってきたと言っては、写真をメールで送ってくれた。今でもメールの保存箱を開けると、桜の木の下の、着物姿の笑顔が飛び込んでくる。

 先に、樹村さんとは3回会ったと書いた。3回目は、長野の善光寺参りを楽しんだあと、浦和に寄ってくれた。
 そのときは、脱会者の宿谷麻子さん、高須美佐さんと一緒に、浦和のホテルの和食屋で、御馳走になった。月刊『現代』に「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」が載ってからのことである。

 樹村さんは、私にこう話した。

「うまくまとまっていて面白かった。でも、やっぱり、本にまとめて欲しい。私が生きているうちに読みたいわ」


 樹村さんの生き方に驚嘆したのは、まだ必要はないのに、いくつかのターミナルケアの病院を見学し、早々と予約したことだった。
 その病院に入院したのは、予約から1年後。最初の電話はこうだったと記憶する。
「いまターミナル病院から電話してんですよ。息が苦しくなってきてねえ」
 苦しそうだったが、声に暗さはなかった。

 原稿は遅々として進まなかった。
 遅筆に加え、本のあとがきに書いたように、統一教会と反統一教会に対するスタンスに苦しんだことが大きい。

 ターミナル病棟から何度か電話があった。
 近況や身体のことを話したあと、決まって最後にこう聞かれた。
「本はまだできへんの。楽しみにしてんのに、まだなん?」

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 が出版されたのは、樹村さんが亡くなってから、10カ月後のことだった。
 「勝ち犬の遠吠え-死者を冒涜」で書いたように、新盆のときに、ご主人に送り、仏壇に供えてもらった。
 お礼の電話がご主人からあり、生前の樹村さんのことを語ってくれた。

「正直で一途な奴だった。一度こう決めたら、頑固にそれをやり通す」

 確かに、そうである。
 樹村さんと知り合うきっかけになった最初の電話は、息子を脱会させてくれた清水牧師を守るためだった。
 実名を名乗り、きちんと私に抗議する。
 正直な人でなければ、できないことである。
 しかも、おざなりな抗議ではなく、納得できるまで受話器を切らない。滋賀から7時間にも及ぶ電話。一途でなければできないことだ。 (注2)

 そして、「保護説得」に疑問がわくと、曖昧にすることなく、とことん考える。
 「勝ち犬の遠吠え⑨-傍若無人」で紹介した、樹村さん家族が息子の会社に提出した休職願いの文面にもこだわった。
「(息子は)犯罪組織に身を置いて社会犯罪を犯し続け」

 <犯罪組織とか犯罪集団だと聞かされてきたけど、どんな犯罪を犯したことがあるんやろ?>

 調べた結果、ゼロ件だった。(これは間違いで、金銭絡みでは「青森事件」と呼ばれる83年の恐喝事件があった。ただし、宗教法人が設立されて以来07年まで、組織が関わるような金銭絡みの事件はこの1件だけ)

「私は、犯罪者集団やと、思い込まされていただけやったん。怖い話やねえ」

 清水牧師に疑問を抱いてからは、息子の強制説得や清水氏に関する山のような資料を送り続けてくれた。
「一度決めたら、頑固にやり通す」。まさに、そんな人だった。

 前述したように、癌のことでもそうだった。
 正直で一途。一度決めたら、実行する。

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 は、いつも思うのだ。
 <私が癌になった場合、樹村さんのように凛然として生と死に向き合えるのだろうか>

 大腸癌から骨転移、肺癌、膵臓癌、食道癌・再発、子宮癌・再発、乳癌から骨転移。
 ここ数年、担当編集者を含め多くの知人が相次いで癌で亡くなった。すべて5、60歳代だ。

 <もし自分が癌になったら>は、私にとって観念的ではなく、リアリティある問いである。
 そんなとき、樹村さんの姿勢がいつも蘇るのである。
 そして自問自答する。
 <俺には、樹村さんのような生き方・死に方ができるのだろうか>


 裁判の支援金を送り続けることをやめた樹村さんが亡くなったことを知ると、清水氏は聖ではなく俗物の塊の如く、「情緒不安定で親として未熟」と切って捨てる。
 比較するのが恥ずかしくなるぐらいに、清水氏と樹村さんは月とすっぽん、提灯に釣り鐘。レベルが違いすぎる。人として2人は対極の位置にあったと思う。

 清水氏の幼児性・残酷性・自己愛性とは、まるで無縁の人だった。 なぜ、清水氏を頼りにしてしまったのか。神のいたずら、運命のいたずら、というしかない。

 “カルト・反カルト業界”に関わった人で、学者・弁護士・牧師を含め、樹村さん以外にこれという人物にいまだ出会ったことがない。
 いや、そんな狭い業界の枠の中で比べる必要はない。
 宿谷麻子さんや高須美佐さんのPTSDの状態を知ると、自費で琵琶湖周遊に招待する。このエピソードだけをもってしても、彼女が人としていかに優れていたかがわかるだろう。

*********

 これで「勝ち犬の遠吠え」シリーズを終えます。
 天国にいる樹村さんは、これを読まれて、少しは溜飲を下げられたでしょうか。
 
「清水さんも、可哀相なお方や。気ぃ~せんとこぉっ。米本さんも、いつまでも清水さんなんかに関わらんほうが、ええんよ」
 こんな声が天から聞こえてきたような気がした。

(注1)近藤医師の人物論は、2004年の『アエラ』で書きました。最近、前出の渡辺容子さんのブログでアップされています。「白い巨塔」の中の孤独 私が気に入っている原稿の一つです。時間があれば読んでみてください。 

(注2) この樹村さんの姿勢と対極にあるのが拉致監禁を擁護する人たちである。

 例えば、「清水・黒鳥両牧師を支える会」の事務局として裁判の支援をしてきた日本基督教団・荻窪教会の小海基牧師もその一人。彼は、拙著『我らの不快な隣人』(小海氏は145頁に登場)に興味を示した人に、こう語っている。

「米本は原理から金をもらって原理擁護の本を書いている」

 この話を知って、私が感じたのは次のことである。

その1小海氏の体質は統一教会と同じということである。統一教会は自分たちを批判する本を読ませようとはしない。それと同じように、小海氏も自分たちが批判されている本を、読ませようとしない。
  ここでも、以前から私が主張している「反カルトのカルト性」(反カルトはカルトとよく似ている)が如実に示されている。
 ちなみに、小海氏からそう聞かされた人は、拙著を読んだ結果、小海氏よりも私のほうが信用できると感じたという。
 実際、拙著のどこを読んでも原理擁護の記述はなく、あるのは小海氏が所属する日本基督教団の清水牧師と黒鳥牧師の強制説得を批判する記述ばかり。拙著を読みさえすれば、小海氏が嘘つきで、信用できない牧師であることがわかるはずだ。

その2・小海氏は社会音痴のヘチマ脳の持ち主ということである。
 それほど考えなくてもわかることだが、私が統一教会から金をもらったからといって、本を出せるわけがない。
 本を書くのは言わずもがなだが執筆者、本を出すのは出版社(拙著の場合は「情報センター出版局」)である。商業出版社は、筆者が企画を持ち込んだからといっておいそれと出版するわけではない。あたりまえの話である。編集者の企画会議で、社会的に意味のある企画かどうか、また採算が取れるかどうかを検討する。
 編集サイドでゴーサインを出しても、今度は営業会議で、筆者の過去の本の売れ行きなどを調査して、再度電卓を弾いて出版するかどうかを決める。
 私が「印税は一切いらない、それどころか本を出してくれたら大金を払うから」といっても、出版されることはないのである。
 
 信徒の献金でメシを食っている社会知らずの西洋乞食には、こうしたあたりまえの仕組みのことさえ、まるでわかっていない。
 
その3・小海氏と清水氏とを比較した場合、清水氏のほうが正直だと思う。
 清水氏は、小海氏のようなコソコソ・ヒソヒソ話でなく、世界中の人が見ることのできる自身のブログで、堂々と、私のことを「カルトごろつき」と書くのだから。
 小海氏には薄汚さを感じてしまう。こうした人物が牧師をやっているのだから、キリスト教が日本で普及しないのだろう。

 彼だけでない。拉致監禁を擁護する諸兄も同じように、内輪で私が統一教会から金をもらっていると吹聴しているようである。私の拉致監禁批判に反論することができないから、カルト体質よろしく、ヒソヒソ話の井戸端会議。精神が貧困なのである。
 樹村さんの爪のアカでも飲んでいただきたいものである。
 
 情けないことに、清水牧師を支援していた人たちは、清水氏批判を展開したこの「勝ち犬の遠吠え」シリーズに最後まで無反応だった。 清水・黒鳥牧師の裁判を支援するために、トータール4000万円以上もカンパをした人たちが!である。

 どうも小海氏たちは明るいところが苦手、コソコソ・ヒソヒソ話ができる暗がりがお好きなようである。まるでドブネズミの如く。

18回にわたるいずれも長文の清水牧師批判シリーズを読んでいただき、ありがとうございました。
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コメント

生者に耳無し

長いシリーズご苦労様でした。

樹村さんという方は存じませんが、どんな人なりかということと共に、米本さんの樹村さんに対する思いがよく伝わってきました。

誠実な人だったんですね。

「誠」という漢字は「言」に「成」というつくりになっています。言葉通りのことを成すのが、「誠実」という意味でしょう。

この「言」というものの中には、単純な発言された内容、約束された言葉というものも当然含まれるのでしょうが、それ以外に、聖書で言う「言」、つまりロゴスとか人の基本的道理という概念も加わっているように感じます。

言った通りしない人、約束を守らない人、言葉を曲げて受け取る人、言葉を曲げて投げる人、言葉でごまかす人、嘘をつく人、人の道理に反する人、これが不誠実な人です。

人の言葉をまっすぐ受け止め、それを考え消化し、それをまっすぐ実践する。これは易しいようでなかなかできる事ではありません。

樹村さんという方はそれができる人だったんですね。

それに比べて清水牧師は、笑いたくなるような、泣きたくなるような実に大きなギャップですね。

人間の行動には、必ず動機があります。その動機は実にさまざまです。喜怒哀楽はもちろん、正義感・公共心・自己防衛・功名心・・・・他、諸々。

動機がよければ、その行動・結果がよいというものではありませんが、一つだけ確実に言えるのは、その動機にその人の人格が表れてきます。

そして、清水牧師の言動から透けて見える動機は、清水牧師自身にとり悲劇なのかもしれないのですが、人から見れば実にお粗末そのもの(しかも、清水牧師は悲劇だと気が付いていないのが、実になんとも・・・・)。

話は変わるのですが、そう言えば、韓定食さんが米本さんの動機を「怨念」と書いていましたね。事実認識もできていないのもあげられますけど、米本さんの文章を読んで、どこからそういう発想が出るのやら。
これも言葉を曲げて受け取る人の好例すね。

不誠実な人間にはなりたくないものです。

最後に、人はよく「死人に口なし」と言います。そして、清水牧師もこれを幸いと言いたい放題だったようですが、人の生は、この世にいるだけではないと私は思っています。

そうでなければ、帳尻が合わないからです。

ただ、私たちは死んだ人たちが見えない、その声が聞こえないだけなのだと思っています。

本当は「死人に口なし」ではなく。「生者に耳なし」なのが本当ではないかと思っています。

それで、清水牧師に一言だけ忠告を。

「死人に口なし」と思って言いたい放題だったら、あの世に行って、抗議をいやというほどたっぷり聴かされますよ。

※「死人」に対して、「生人」と表現していましたが、「生人」とはあまり表現しないと思い、「生者」に変更しました。

子を思う親の心

<原稿は遅々として進まなかった。
 遅筆に加え、本のあとがきに書いたように、統一教会と反統一教会に対するスタンスに苦しんだことが大きい>

本の出版は、さぞかし苦渋の決断を要したことと拝察いたします。

出版後、どんな批判に晒されるか―。
ジャーナリズムの世界に生きる人ですから、当然、分かっていらっしゃったことでしょう。

樹村さんという、“カルト”の子を持つ親の本当の心を知ったがゆえに、それを書かざるを得なかった、ということでしょうか。

「真実」の追究もさることながら、「子を思う親の心」に米本さんのペンは動いたのかな、とそんな印象を受けました。

現在、少なからぬジャーナリスト、マスコミはこの拉致監禁の問題を認識していることでしょうが、「統一教会と反統一教会に対するスタンス」で二の足を踏んで、書くに書けないでいるものと思います。

しばらく、この状況は変わらないと思います。
米本さんの「不快な隣人」第二弾の出版を心から待望しております。

霊界にようこそ

鸞鳳さん
>「死人に口なし」と思って言いたい放題だったら、あの世に行って、抗議をいやというほどたっぷり聴かされますよ。

 清水さんは私の一連の拙文を読んで、「怨念じみた憶測記事」(韓定食さんの言葉)に過ぎないと思っている(心底思い込もうとしている)のでしょうが、冒頭に引用した鸞鳳さんの一文には興味を抱かれたと思います。

 私は霊とか霊界なぞ、まるで興味がありませんが、清水さんは違います。彼の「霊・霊界観」は知らねど、彼は日本基督教団の中でも、川崎牧師と同じで、やや聖書原理主義的なところがあるゆえ「霊」の存在(したがって、どういうイメージかはわからないが霊界の存在も)信じています。

 それゆえ、彼は<「死人に口なし」と思って言いたい放題>の語句には、後ろめたいものを感じているはずです。まぁ、霊とか霊界とかに関係なく、ノンクリスチャンの一般の人だって、亡くなった人に対して罵詈は吐かないものですから。

 今頃は、きっと清水さんの周囲(やや右上あたり)を、樹村さんの怨念霊が徘徊しているのでは。
 ああ、怖っ! 

 でも、鎮魂歌を書いたので、そろそろ徘徊は終わりになるはずなのですが、私はチャネリングはできないので、わからん!

:けっこう難しい。

みんなさん

>現在、少なからぬジャーナリスト、マスコミはこの拉致監禁の問題を認識していることでしょうが、「統一教会と反統一教会に対するスタンス」で二の足を踏んで、書くに書けないでいるものと思います。

 みんなさんの前段の指摘は正しいと思いますが(ただし問題意識のある記者というのが前提ですが)、後段は違います。

 嫌な言い方だし、誤解されることを覚悟で言えば、もっと不幸(殺しとか)が欲しいのです。

 もはや陳腐なのですが。
「犬が人を噛んだ?あたりまえじゃないか。こんなの記事にならん。人が犬を噛んだという記事を書いてこい」

難しいですね。

殺しも拉致もおなじように感じますが、米本さんが言いたい事もわかります。

でも改宗拉致が千単位であったならその中には病気や事故で亡くなったとして片付けられた殺人があったとしてもおかしくないじゃないすか?

後藤さんとか「こいつは死ぬだろうから面倒にならない前に解放しちゃえ」が動悸なら殺人罪も問えるのでは?とも思ったりするんですが・・・

清水さんですか。
「火の粉を払え」はいろんな人が出てくるので私みたいな改宗拉致初心者には敷居が高いと感じる事があります。始めてここに来た人でも理解できる簡単な相関図とかあればいいなぁ~とか思うんですよ。あるのかな?あったらすいません。

単純な拉致事件が宗教を理由に「難しくなっている」感じですが「難しくされている」があっている様に感じます。

蒸し暑いですがお体大切に書中お見舞い申し上げます。

ukiさんへ

 率直な投稿ありがとうございました。

> 改宗拉致が千単位であったならその中には病気や事故で亡くなったとして片付けられた殺人があったとしてもおかしくないじゃないすか?

 その通りです。
 いま調べている限りでは、凌辱事件が2件、監禁場所から転落し負傷した事件が3件、信者の母親が自殺した事件が2件(もう1件あるらしく調査中)、監禁された信者が自殺した事件が1件(もう1件あるらしく調査中)。

 判明しているだけでも8件あります。

 公にしたくない・されたくない水面下にしたい事件ゆえに、本格的に調べればもっとあるはずです。例えば、ある日本基督教団の牧師の妻は元信者です。どういう経過で結婚されたのかを調べればいろいろ出てくるはずです。
 いまようやく白い旅団さんによって宮村翁のことが明かされたばかりです。

> 「火の粉を払え」はいろんな人が出てくるので私みたいな改宗拉致初心者には敷居が高いと感じる事があります。始めてここに来た人でも理解できる簡単な相関図とかあればいいなぁ~とか思うんですよ。あるのかな?あったらすいません。

 おっしゃる通りです。
 たくさんの人物が登場しています。これらをパワーポイントを使って、うまくできればいいのですが、ブログ・メディアではうまくいきません。
 でも、考えてみます。

> 単純な拉致事件が宗教を理由に「難しくなっている」感じですが「難しくされている」があっている様に感じます。

 その通りだと思います。
「拉致監禁」の事実を認め、謝罪すればいいだけのことです。それをスペインくんだりまでいって、「拉致監禁はなかった」なんて紀藤弁護士が嘘を言うから、話がややこしくなると思っているのです。

 統一教会の違法行為にはノー、反統一教会の違法行為にはノー。この単純なことに同意しない人たちが一部にいるということなのです。


 本来ならば、拉致監禁はノーで終わりになるはずです。このブログがこんなにも長く続くのはそもそもが変なのです。

清水さんの霊

 もう~、清水さんの霊人体って、真っ黒ね。コワ~。
 曾孫は蛇の頭かもねッ。

 あっ、これは恫喝よねッ。
 取消し・取消し・削除・削除。

 操作がわか~んな~い。

石ころ・清水さん

 樹村さんも、清水さんも色んな困難に遭い、怒りを感じたと思います。
 その怒りを、周りの人にぶつけるか、自己の臆病に振り向けるか?
 周りの人に怒りをぶつける清水さんは、暴力的な言動になりました。また自己の臆病に怒りを振り向ける、樹村さんは何が本当なのか調べました。(現実を直視した)
 臆病な自分を隠して、虚勢を張って生きることは、清水さんにとって疲れるだけです。


 ・小海さんの教会のホームページをチラッと見ました。清いイメージでした。
 ずっと以前私を短期間、脱会説得した牧師のホームページを以前見ました。クリスマス会?の写真が載っていました。子供たちに囲まれている牧師はいい人に見えました。
  

 

ブログテーマとは直接関係ありませんが

樹村さんの癌治療に対する姿勢には、敬意を表します。

ただ、抗がん剤は本当に効かないか、近藤先生の理論は本当に信用できるか?はよく吟味した方がいいです。
癌は誰もがかかりうる病。
統一と反統一と同じで、1つの考えや1人の人の考えに偏るのは危険です。

参考まで下記ブログを紹介しておきます。

http://ameblo.jp/miyazakigkkb/theme3-1003071337.html#main

すみません

先ほど貼り付けたURLが何故か開けなかったので、もう一度紹介させてください。

http://ameblo.jp/miyazakigkkb/entry-1098062418.html

「がん治療の虚実」
ブログテーマ 「近藤誠氏への反論」をクリックしてみてください。

それより

 koyomiさんが示されたURLより、以下のほうがアクセスしやすいです。

http://search.ameba.jp/search.html?q=%E8%BF%91%E8%97%A4%E8%AA%A0%E6%B0%8F%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8F%8D%E8%AB%96&aid=miyazakigkkb

たのしませてもらってます。

楽しく読ませていただきました。
早く元気になって
これからもどうぞよろしく。


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