勝ち犬の遠吠え⑭-「清水牧師」考
清水牧師の正体(14)
これまで主に故樹村さんとの関わりの中で、日本基督教団・行田教会牧師の清水与志雄氏のことを書いてきた。
彼は批判されると「実に無礼」「実に失敬な奴」「名誉毀損だ」「告訴する」と、猫が全身毛を逆立てて相手を威嚇するように、怒りを露にする。
監禁下では、言動が暴力的になり、統一原理の間違いをなかなか認めようとしないと、「おまえは頭が悪い。俺は頭がいい」と、いい大人なのに、恥ずかしげもなく言う。
ブログ「カルトからの自由」に彼が書く文章は、やたら尊大な表現が目立つ。
その一方で、監禁部屋で青年と1対1で話すことはなく、ヤクザ映画を見て迫力の出し方を研究したりする。とても、怖がりで小心なところがある。
「部屋に戻ったときに暑いのは嫌」と、クーラーはつけっぱなしにして出かけるなど、まるで駄々っ子みたいだと教会役員を唖然とさせる。
実に興味深い人である。
30年近くライターをやってきて、ヤクザから政治家まで実にいろんな人に会ってきたが、清水氏のような人は初めてである。
これまで13本の記事を書いてきたが、そこに共通して見られるのは、平気で嘘をついたり、自分の都合のいいように解釈したりする-ということだ。自己を見つめる作業は苦手なようで、都合が悪くなると他人(亡くなった樹村さん)を平気で悪しざまに罵る。
ひょっとすれば、嘘をついているという自覚がないのかもしれない。だとすれば、人格障害である。 戸塚教会の黒鳥栄牧師も似たようなところがある。草思社のベストセラー『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』 を思い出す。
清水牧師が監禁部屋で青年信者に読ませる本の1冊だ。
同書によれば、邪悪な人(平気で嘘をつく人)は、罪悪感がないこと、良心(善悪の判断力)に欠けること、自分の欠陥を直視するかわりに他人を攻撃すること、完全性という自己像を守ることに執心し、道徳的清廉性という外観を維持しようと常に務めることなどの特徴があるという。(98頁)
これらは、清水牧師にも見られる特徴である。黒鳥牧師にも当てはまる。 2人はよく似ている。
そういえば、今利理絵さんから訴えられたとき、信者(元信者)家族の前で、黒鳥氏は「提訴されたのは清水牧師のせいだ」と清水氏を攻撃したことがあった。
少々薄気味悪くなって、『精神疾患の分類と診断の手引き』(医学書院)を開いた。
米国精神医学会では11の人格障害を分類している。「反社会的人格障害」の定義を読むが、少しばかり違うような気がする。自己愛性人格障害が目に止まった。
ここでは、読者がアクセスしやすいウィキペディアの自己愛性人格障害についての説明を、長くなるが引用しておく。13本の拙文を思い出しながら、注意深く読んでいただけたらと願う。
定義=自己愛性人格障害(じこあいせいじんかくしょうがい、英語: Narcissistic Personality Disorder)とは、ありのままの自分を愛せず、自分は優越的で素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む人格障害であるとされる。
臨床像
①内的には不安定であるにもかかわらず、外見はむしろ正常。「頭がいい」「仕事ができる」「表現力がある」「人づきあいがうまい」などの長所がある。そのため、彼らが不適応行動を起こしたとき、周囲の人は意外な感じを持つことが稀ではない。
②自分について素晴らしい理想的な自己像(誇大的自己)を抱き、自分は他人より優れた能力を持っているとか、自分は特別だと思い込んでいる。うぬぼれが強い。そして、誇大的な自己像を現実化しようと絶えず努力している。次から次へと際限なく成功・権力・名声・富・美を追い求める。
③その背後で、常に深刻な不安定感や頼りなさを経験し、本質的には他者依存的である。自尊心を維持するために、絶えず周囲からの称賛・好意・特別扱いを得ようとする(アルコール依存症患者が酒を求めるように)。あるいは、自分が理想とするような権力や能力のある人に頼り、まるで自分がその人であるかのように考えたり振る舞ったりする。
④自尊心を保つため、虚栄感から安易に嘘をつく。本人には嘘をついているという意識はない場合が多い。
妬み・羨望がとても強く、自分が持ちたい、成し遂げたいと思っているものを他人が持っている、成し遂げていると感じ、内心あるいは外見上その人に怒りや憎しみを持ったり、自分の不運を嘆く。他人の失敗を喜ぶ。
⑤自己肯定感や自尊心が高まっているという感覚を、一定の期間維持することができる。この感覚が自分を支配しているとき、自分が傷ついたという、弱い一面を持っていることにほとんど気付かない。しかし、誇大的な自己像が傷つけられるような体験をすると、一転して自分はだめだ、価値がない、無能だと感じる。自分についてもある一つの体験についても、よい面もあれば悪い面もあるといったとらえ方ができない。
⑥自分に向けられた非難や批判に対し、怒りや憎しみを持つか、屈辱感や落胆を経験する。これらの感情は必ずしも表面にあらわれず、内心そのように感じているということがしばしば。自分に言い聞かせて自分を慰めることができない。誰か他の人に慰め、認めてもらわないと、自分を維持できない。否定をされるとそれを受け入れられずに現実逃避し、嘘や詭弁で逃げようとする。そのため失敗について本当に反省したり、そのときのつらさや痛みを認識する能力に欠けている。失敗(あるいは批判)から新しく何かを学ぶことができない。しかし、能力のある自己愛者は、ほめられ認めてもらうために、自分を駆り立て休むことなく努力し、誇大自己を満足させようとする。これは、本人にとっては残酷な作業であるが、社会的には成功する。能力がない自己愛者は、より退行した形で他者からの是認を求めようとする。
⑦他者についての評価が理想化と軽蔑との間を極端に揺れ動く。他者についても自分同様、長所と欠点を同時に認識してより深い統合的な理解を持つことができない。従って、対人関係は「相手から見た自分が理想的・搾取的・サディスティックで、自分から見た相手が無力・服従的・マゾキスティック」というパターンをとる。
誇大的な自己像を思い描き、その空想的な思い込みの世界に浸っている。他者と関係を持つにしても、それは自分の自尊心を支えるために人を利用している傾向がある。本当の意味で他者に共感したり、思いやりを持ったり、感謝したりすることができない場合が多い。(もっとも言語的表現力がしばしばあるので、うわべだけの思いやりを示すことに長けている)。表面的な適応はさておき、他者との現実的な信頼関係を持つことができない。
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大変長い引用になった。下線を引いたところは、清水氏のことを指しているように思えた記述である。これをもってして、清水氏のことを自己愛性人格障害者だと思わない。ただあてはまるところがいくつかあり、前に引用した斉藤学精神科医が言うところの「自己愛者」だとすれば、冒頭の四角で囲った部分で述べたいくつかの特徴は説明がつく。(注1)
ウィキペディアの説明文には原因のことも書かれている。いくつかの説があるようだが、子どもの頃の親子関係に原因があるという点では共通している。
では、清水氏の子ども時代はどうだったのか。その部分を拙著から引用しておく。
清水の華麗なる家柄と経歴を紹介しておく。
父方の祖父は同志社大学神学部、米国オハイオ州きっての名門リベラルアーツカレッジ、オベリン大学を卒業し、両大学から名誉神学博士号が授与されている。キリスト教を建学の精神とする桜美林学園の創設者として有名な人である。
祖母は東京女子高等師範学校(現、お茶の水大学)、オベリン大学、ミシガン大学を卒業した教育学者。『小泉郁子の研究』(小泉は旧姓)という本まで出版されており、教育学の世界では男女共学論者として有名な人だ。
母方の祖父母も熱心なキリスト教徒。父は満州医科大を卒業した医師、母は桜美林学園の初代教員である。(注2)
誉れ高き名門の家に54年に生まれた清水は、桜美林大学経済学部に入学してほどなく統一教会の勧誘を受け、1年後の74年暮れに入信した。脱会したのは78年。信仰歴は短いが、信者時代は初代会長の久保木修己(元立正佼成会の幹部信者)に可愛がられたといわれている。(92~93頁)
以上の記述は、清水氏が裁判所に提出した「陳述書」をもとにしたものである。
若干補足しておく。
清水氏は桜美林大学を卒業したかどうかは不明だが、77年に祖父の母校、同志社大学神学部に入学している。「キリスト教界を統一原理によって統一しなければならない」という使命感を抱きながら。
このような使命感を清水青年に植えつけたのは、「桜美林学園を攻略」する。つまり、統一教会に“正統派クリスチャン”一族を「復帰」させ(信者にし)、ひいては桜美林学園を統一教会の影響下に置きたいという狙いがあったからではないのか。
そう推測すると、久保木氏が清水青年をことさら可愛がったのも納得できる。
翌78年、清水氏が脱会すると同時に、父親が他界している。
陳述書にはまったく書かれていないが、清水氏を知る上で重要なのは「父親との関係は最悪だった」(拙著の主人公・宿谷麻子さんに語った言葉)ことだ。家族の関係も良好ではなかったという。
その証拠に、脱会後の「親子関係の修復は苦手」(清水氏)だったため、修復が必要な人は戸塚教会の黒鳥牧師に回していた。
良好な親子関係、円満な家庭を体験せずに育った人は、他人の親子関係の修復をはかることは難しい。
拙著の第Ⅰ部を読めばわかるが、拉致監禁された麻子さんは最初に黒鳥氏(神奈川県)の脱会説得を受け、そのあと、清水氏(群馬県)のところに送られ、脱会後は再び黒鳥氏のところに戻されている。このたらい回しパターンは麻子さんに限らない。
つまり、清水氏は原理批判はできるが親子関係の修復は不得手、黒鳥氏は原理批判はできないが、修復は好き。2人の牧師は足りないところを補う関係にあったといっていい。
ただし、黒鳥氏も子ども時代、親から十全な愛を受けなかったようで、自分が子どもを育てるようになってから、極端な母性神話の虜(とりこ)になってしまったようだ(戸塚教会の信徒の話)。
そのため、黒鳥氏は親子関係の修復は好きなのだが、彼女が関わると、結果として親子関係はより悪化した。(拙著の1部、「川崎・黒鳥・清水・村上・横溝・尾毛-揃い踏み(下)」を参照)
清水氏の経歴で私が注目するのは、桜美林大学に進学していることだ。桜美林学園そのものは1946年に設立されているが、学園の大学部は66年に新設されたばかり。この頃は団塊マーケットを狙った新設大学のラッシュ時代で、桜美林大学もその一つだった。
清水青年が桜美林に進学したのは、父親との相克、家族機能が十全でなかった家庭環境が影響し、勉強に身が入らなかったのかもしれない。しかしそれにしても、比較的簡単に入れるのは桜美林だけではなかったはずなのに、なぜ他の新設大学にしなかったのかという疑問がわく。
というのは、桜美林に進学が決まった段階で、口さがない高校の同級生から「おじいさんが創設した学園の大学に入れたのはコネがあったからだ」など、陰口を叩かれる可能性があったはずだ。高校生にとって「コネ入学」「裏口入学」と揶揄されるのは死ぬよりも辛いことである。
もう一つの疑問は、なぜ桜美林の経済学部かということだ。陳述書によれば、清水氏は「小さい頃からイエス・キリストを信じていた」という。ならば、どうして専門学校の神学校を選択しなかったのか。神とか聖書とかに強い関心がある若者は、神学校を選択する。勉強ができなくても、合格するのは比較的簡単だ。
なぜ桜美林経済かという疑問を払拭することはできないが、少なくとも清水青年は「コンプレックス」(心の中で抑圧されて意識されないまま強い感情をになっている表象の複合体)を抱えていたと思われる。
華麗なる一族を誇らしく思うと同時にそれは重圧となり、医師の父親に対しては劣等感を抱いていたのではないか。
行田教会のホームページに清水牧師のプロフィールが載っているが、桜美林大学経済学部に入学したことは書かれていない。
「俺は頭がいい」と監禁下の青年に臆面もなく語るのは、劣等感の表れだろう。
疑 問はまだある。どうして一族の期待を裏切り、統一教会に入信したのかということだ。陳述書には長々と入信過程が書かれているが(まあ簡単に言えば、口車に乗せられた、騙された)、さほど説得力があるものではない。
その中で、おやっと思ったのは、次の1文である。
「(統一教会のテキストを読んで)なかなか良いことが書いてありますね」と私が感想を述べると、皆は「基準が高い」とか言って褒めそやしました。
これは73年のことである。陳述書を書いたのは99年。26年前に褒められたことがいまだ記憶に残っているのだ。
いったいに、「統一教会はマインドコントロールを駆使している(心理操作を駆使している)」と一部の元信者たちは主張する。では、どのような心理操作なのか。
代表的なのは「賞賛のラッシュアワー」だという。
つまり、褒めまくり。褒めて褒めまくって、良好な人間関係を築いていく。それが統一教会のマインドコントロールというわけである。
こんな主張を読むと、つい苦笑してしまう。
人はある程度、等身大の自己像を認識している。それゆえ、等身大以上にほめまくられると、返って不快な気分になる。男性が女性を口説くときによくやる手はほめることだが、ほめまくり、賞賛の嵐をやると、「この人、何か下心があるのではないか」と思われ、逆効果になる。
この心理傾向を逆手にとってやったのが、日本皇民党が竹下登総理大臣にやった「ほめ殺し」宣伝であった。
ところが、「賞賛の嵐」に心地よさを感じる人たちがいる。
それは、親や家族から「ほめられた」経験があまりなく、自己肯定力が低い人たちである。
そうした人たちは、ほめてくれる人に親近感を抱くだけでなく、自分は社会から肯定されているのだと強烈な快の感情が湧く。人間には様々な感情があるが、最初に人間(赤ちゃん)が獲得するのは快・不快の感情だ。基底的な感情だけに、快感は強烈な体験として長く記憶に刻まれる。
清水氏もそれと同じで、ふつうの人からすればどうでもいいような26年前のほめ言葉が記憶されていたのであろう。褒めそやされて、使命感を与えられ、のめり込んでいった・・・。
先に引用した自己愛者の特徴は「自尊心を維持するために、絶えず周囲からの称賛・好意・特別扱いを得ようとする」となっていた。
清水氏に、統一教会時代はどうだったのかと聞いたことがあるが、「そりゃあ、楽しかったさ」。(陳述書にはこのことが触れられていない)(注3)
時計の針を先に進める。
統一教会を脱会した人たちの多くは社会に復帰し、一般市民となる。脱会後、強制説得を手伝うなどいつまでも統一教会と関わろうとする元信者もいるが、それはごく一部。まして、清水氏のように、脱会後、脱会活動を職業的にやろうとする人となると、きわめて珍しい。アッセンブリー京都教会の村上密牧師と日本基督教団・白河教会の竹迫之牧師が思いつく程度である。竹迫氏の場合、職業的にやっているほどではないはずだが。
前回の「勝ち犬の遠吠え⑬」で書いたように、信徒会の役員とトラブルになっても、最後には教会から追放されるほどになっても、清水氏は脱会活動を続けようとする。理解しがたいのだが、そこには、<統一教会の若者を救いたい>という動機以外のものがあるとしか思えない。
それは、統一教会から賞賛されると快感が走った(楽しかった)ように、「絶えず周囲からの称賛・好意・特別扱い」を得たいという気持ちがあるからではないか。
この場合の周囲とは、太田八幡教会の信徒たちではなく、元信者を含めた反統一教会陣営の人々のことである。
清水氏がどこかで書いていたが、統一教会の元信者だったという経歴は注目され、元信者・牧師は(ふつうの反対派の牧師よりも)より尊重されるという。清水氏は「特別扱いされる」ことを強く意識しているのだと思う。
人は一般に「周囲からの賞賛・好意・特別扱いを得ようとする」ところがある。しかし、自尊心を維持するために、絶えず賞賛を得ようとするようなことはしない。簡単に言えば、いいカッコしいはするけど、限度はわきまえている。
これが「自尊心を維持するために絶えず」となると、病的になっていく。
清水牧師は、99年1月に今利理絵さん、2月にアントール美津子さんから訴えられたのを契機に、日本基督教団から保護説得をやめるように申し渡され、同時に、太田八幡教会から事実上追放された。
裁判・中止命令・追放の3点セット。このような事態に直面すれば、「やり過ぎた」とか「ちょっとだらしなかったか」とか、反省する、つまり「自己の欠陥を直視する」のがふつうである。
「勝ち犬の遠吠え④」でも紹介したが、アントール美津子さんは、裁判の陳述書でこう書いている。
清水牧師は「お前が統一教会にいる限り社会悪をもたらす」「鉄格子にでも一生入っていろ」などと度々私を怒鳴りつけ、両親はそれをただ黙って見ているだけでした。
○月○日夜、清水牧師がやって来て、・・・(中略)・・・「祝福(結婚)を絶対壊してやる」などと言いながら、座布団で3回、私の顔を殴りました。また、私が親と会話している最中、牧師は私の両肩を3回両手で強く叩き、私はその度によろけました。
さらに、「お前自殺したいと思ったことがあるんだろ。だったら死ねよ」と言われ、私は完全に精神的ダメージを受けてしまい、この後しばらく、清水牧師が何を言っても「死ね、死ね」と言っているようにしか聞こえなくなりました。
清水牧師は「保護」「救出」という美名の下、私に対する拉致監禁を両親に指導し、しかも監禁下の私に対して暴行脅迫を行い、暴言を吐き連ねるなど、悪質な違法行為を繰り返しました。監禁中に3度も自殺したいという衝動に駆られ、親子間の信頼関係をズタズタに引き裂かれるなど、私は清水牧師から途方もない精神的損害を被りました。
清水氏は勝訴したものの、この美津子さんの主張は裁判官によっておおむね事実として認められた。(ただし、違法性はなしと判断された)
ふつうなら、赤面し、「やり過ぎた」と反省し、保護説得のあり方そのものについても内省するものである。(注4)
しかし、清水氏の場合、自分にも悪いところがあったと認めてしまうと、つまり自己の欠陥を直視すると、自尊心は傷つき、自己愛は崩壊してしまう。
太田八幡教会で信徒会の役員が意見をすると、激しく喰ってかかったという。常識では信じがたい話だが、それは自己愛の崩壊を防ぐためだったと思われる。
新天地の名古屋東教会に赴任してからも、ふつうの牧師ではなく、「統一教会と闘う、元信者牧師」という<周囲から特別な目で見られる牧師でありたい>。そんな意識が無意識のうちにあったと思われる。ところが、もう保護説得はできない。そこで、「カルトからの自由」というブログに発露の場を求めた-と分析できよう。
ブログに記事を書き込み、取り巻きから賞賛されると、自尊心は満たされる。
ほんの少しでも批判めいた投稿があると、過剰反応と思えるほどに牙を向く。その反応に、取り巻きが同意すればいたく満足する。
(自己愛の特徴=自分に向けられた非難や批判に対し、怒りや憎しみを持つか、屈辱感や落胆を経験する。これらの感情は必ずしも表面にあらわれず、内心そのように感じているということがしばしば。自分に言い聞かせて自分を慰めることができない。誰か他の人に慰め、認めてもらわないと、自分を維持できない)
名古屋東教会に替わってから、清水氏は「名古屋・青春を返せ裁判」の原告(清水氏の説得によって脱会した女性)に、しょっちゅう電話をかけ、慰めてもらっていた。
清水氏と樹村さんとは、これまで縷々書いてきたように、いろんなことがあった。しかし、現実に起きたことを事実として認めることができない。認めれば自尊心は傷つき、自己愛は崩壊する。そのため、平気で嘘をついたり、「豹変」とか「偽装脱会の母親」とか、自分の都合のいいように勝手な解釈をする。
(自己愛の特徴=自尊心を保つため、虚栄感から安易に嘘をつく。本人には嘘をついているという意識はない場合が多い)
個人的な話を思い出した。
2000年に『カルトの子』を出したときのことだ。
全国弁連の活動者会議で、清水氏は山口広弁護士に、この本は間違いだらけだと興奮しながら話し、本のコピーに赤線を引き様々な書き込みをしたのを、山口氏に渡した。
山口氏はそのときの様子を電話で教えてくれた。
「本のどこが間違いなのか、ぼくも正直よくわからなかった。取りあえず、書き込みがあるコピーを送るから、善処のほど、頼むよ」
しかし、コピーの書き込みを読んでも、文ファミリーの記載で一カ所間違いがあることだけは理解できたが、それ以外はどこが間違っているのかさっぱりわからない。
反統一にではなく、まるで統一教会にイチャモンをつけられているような気分だった。
『カルトの子』が文庫化されるとき、清水氏に電話で確認した。
興奮した調子で、早口で長々と説明されたが、よく理解できない。それで「端的に教えて欲しい。文庫にするときは、なにをどう修正すればいいのか」と質問すると、先の一カ所だけを訂正すればいいというだけだった。
神戸真教会の高澤守氏は監禁下の青年に『カルトの子』を読ませていた。いわゆる反対本として活用していたわけである。換言すれば、この本を反統一教会は喜び、統一教会は苦い顔をした。
それだから、なにゆえ、興奮して間違いだらけだと山口弁護士に食ってかかったように語ったのか、理解できないでいた。
「妬み・羨望がとても強く、自分が持ちたい、成し遂げたいと思っているものを他人が持っている、成し遂げていると感じ、内心あるいは外見上その人に怒りや憎しみを持ったり、自分の不運を嘆く。他人の失敗を喜ぶ」
この自己愛の特徴を読んでいると、こういうことではなかったかと解釈できる。
『カルトの子』は、“カルト・反カルト業界”で話題になっただけでなく、大宅賞や講談社ノンフィクション賞にノミネートされ、それなりの評価を得ていた。ところが、73年から統一教会と関わってきた清水氏からすれば、これまで統一教会のことにほとんど触れたことがないライターがいきなり評価を受ける。それで、私に「怒りや憎しみ」を抱いて、興奮して間違いだらけの本だと語った。
注:「ヤマギシを考える全国ネットワーク」が拙著『洗脳の楽園』について取材過程が虚構といった批判文をホームページ゙に掲載している。かなり後になるにしても批判しようと思っているが、全国ネットワークのメンバーの一人は嫉妬心が背景にあったからだという。
私は彼(批判文を書いた武田修一氏)の批判動機について考えていたが、嫉妬心という指摘は意外だった。
でもそう言われてみると、「ヤマギシを考える」人たちは、ずっとヤマギシを考えてきたのに、ヤマギシの核心部分、特講(とっこう)と呼ばれる7泊8日の洗脳セミナーのことを解明することができないでいた。
ところが、よくヤマギシのことも知りもしない一介のルポライターが「特講」に参加し、大部分を解明してしまった。
嫉妬心もあったのかもしれない・・・・。
清水氏が自己愛者だとすれば、これまで長く解けなかった疑問が氷解する。
清水氏は,私が「勝ち犬の遠吠え」の連載を始めると、荒らしを理由に「カルトからの自由」を閉鎖してしまった。荒らしといっても、投稿者の一人が「火の粉ブログにこんなことが書かれているが、事実かどうか」といったコメントを執拗に問い質しただけだった。
この更新ストップも、清水氏が自己愛者なら、説明がつく。
「(自己を)否定されるとそれを受け入れられずに現実逃避し、嘘や詭弁で逃げようとする」
ブログの閉鎖は「現実逃避」なのではなかったのか。
そういえば、「火の粉ブログは見ない」と宣言したり、名誉毀損されていると勢い込んで書きながら、その一方で当の『我らの不快な隣人』はあまり読んでいないと公言するなど、支離滅裂、合理的に説明できないようなことを平気で言うのも、すべてが「現実逃避」。だったとすれば、目から鱗ではないが、ストーンと心に落ちていく。
樹村さんがご存命であったのなら、共に清水論を語ることができたのに。残念だし、私の遅筆を恥じるばかりだ。
もし語り合うことができていたら、最後に、こんな感想をもらされるのではないか。
「清水先生も、自分を愛する如く、人を愛しはったらいいのに」
(注1)2点だけ語っておきたい。
1つは、自己愛者と自己愛性障害者との違いである。「障害」となると、一時的にせよ、どんなに満足感があろうが、当人にとっては苦しいものであり、社会的な適応もできなくなる。苦しさの有無、社会適応の有無によって、診断は異なってくる。清水氏の場合、自己愛症候群といったほうがふさわしいと思っている。
もう1つは、清水氏に限らず、牧師一般の特性についてである。浄土真宗の僧侶と話したことだが、「牧師はどうも一般の人とは違う」ということだ。牧師の多くに共通するのは狭視的で、俺様的であり、怒りっぽい。日本坊主と西洋坊主には違いがあるような気がする。もう少し調べてみたいと思っている。
(注2)陳述書には、実に4頁にわたって清水ファミリーのことが書かれていた。拙著ではこれを数行にまとめたが、裁判の争点とはまるで無関係な自分の祖父母の履歴が長々と書かれている陳述書は初めて見た。
<こんな立派な一族のご子息が野蛮な拉致監禁の指導なんかするわけがない>という心証形成を、裁判官に植えつけさせたかったからということなのか。それともたんに、代理人のもっと短くという指示を、頑として受け入れなかったということか。
行田教会のサイトにも、「清水牧師の信仰の系譜」が載っている。
これを読んでどう思うかは人それぞれだろうが、正しき良き系譜ゆえに、清水先生(俺)はデキがいいのだと主張しているようにしか思えなかった。下司の勘繰りと批判されそうだが、誇るべきなのは自分のクリスチャンとしての実績だろう。いったいどれほどの救いを求める人たちを助けたのか・・・。
(注3)川崎牧師は私にこう話した。
「清水先生ったら、裁判所で現役食口が傍聴に来ているのを見ると、頬を緩ませているんですよ。もう信じられなかった。やはり、マインドコントロールが解けていないのかしらねえ」
そうではないと思う。楽しい時代の後輩たちと会えば、快感が蘇り、うれしくなったのではないかと思う。
(注4)反省とか内省とかに無関係なのは、今も拉致監禁説得をやっている高澤牧師や、株式会社タップ社長の宮村峻氏などであろう。
彼らが自己愛者だとは思えないが、<頼まれたからやる>とか<異端を正統に変えたい>といった動機とは別の心的何かがあるように思える。
よ~く、考えてみればわかる話だと思う。
監禁部屋に最初に訪問したとき、青年信者は恐怖で怯えた目をしている。涙を浮かべている。激しく暴れている。ふて寝をして目を合わせようとしない。
そんな姿をみれば、どんなに大義名分があろうが、一般的な感覚の持ち主なら、引いてしまうだろう。
実際、強制説得を手がけていた和歌山県のある牧師は自殺している。鬱が引き金になったというが、最後まで保護説得をしてしまったことを気に病んでいたという。
保護説得の問題点とその様々な弊害が明らかになりつつある今日、いまだ保護説得をやっている人たち、宮村峻・高澤守・川崎経子・高山正治・パスカルなど各氏には、何か病的なものがあるように思えてならない。
大変長くなりましたが、最後に故樹村さんの人となりを次回書いて終わりにします。
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- [2011/07/12 19:39]
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13日
13日は藤田孝子さんの命日。
忘れたくない日ですから。
Revelation after 13 years
Part 1 http://www.youtube.com/user/UCJAPANch#p/c/3/8lW3SsNPyqM
Part 2 http://www.youtube.com/user/UCJAPANch#p/c/4/ZEbdEtKfwZs
また新たな拉致監禁事件発生!
http://kidnapping.jp/news/20110714.html
さらなる拉致事件が発生か!?
先月、YTさん(女性信者・西東京教区杉並教会所属)が拉致監禁されたという緊急ニュースを流したばかりですが、また新たな拉致監禁事件が発生しました。
YTさんと同じく、西東京教区所属の女性教会員NYさん(32歳・武蔵野教会)が、埼玉県にある実家に帰省した後、行方不明となりました。前後の情報により、拉致監禁の疑いが高いと見られています。
NYさんは、医療関係の仕事に従事しており、統一教会の信仰を持っていることは両親に伝えていました。
今後も新たな情報が入り次第、当会ホームページにて公開いたします。
元は同じ統一教会員
マッチとヨシュア
彼の言うことを信ずるならば、彼がまともなキリスト教に戻るのを辛抱づよく待ってくれていた彼女さんもいたそうですね。彼にとっては人生でそういくつもない華々しい体験であり、「俺は頭がいい」とふんぞり返りたくなるのも分かります。
1993年春、まだまだ仕事がしたいという中山美穂さんと涙の別れをした
田原俊彦氏は、半年もしない間に美穂さんとそっくりな美人モデルさんを見つけ、妊娠させ結婚。記者会見で得意の絶頂にたった彼は
「僕みたいにビッグになると…」
と嘯(うそぶ)き、総すかんをくらって、長き沈黙を余儀なくされました。
しかし僕はいま、田原氏の気持ちもわからぬでもないのです。でもいかにも幼稚に思われます。同じような気持ちを清水氏に対しても覚えずにはおられません。
「俺は頭がいい」の理由
これは宿谷麻子さんたちから聞いた話です。
彼女たちが聞かされた清水さんの話を再現をすると、こういうことのようです。
「俺は頭がいい。なぜなら、俺は自主脱会できたんだから」
この話をさんざん聞かされた麻子さんたちは、内心、こう思いましたさ。
<彼女がいなければ、脱会できなかったくせに。よく言うわ>
小川さんも自主脱会者。清水先生と同じように、いや彼女の手を借りなくても脱会したんだから、彼より頭がいい!
ただ、自然にやめていく教会員が圧倒的に多いのだから・・・清水先生より頭がいい人は雲霞(うんか)の如くいるようで・・・。
清水ぼくちゃん
清水ぼくちゃんは、自分のお子さんにどんな教育をしてるのかな?
「父ちゃんが世界で一番凄いんだぞぉ」
「文の野郎より凄いんだぞぉ」
「おい、おまえ! 父ちゃんの凄さが分からないのか!」
「父ちゃんの凄さが分からんとはダメなヤツめ! 親の顔が見てみたいわ!」
懲りないお人(苦笑
相も変わらず、勤務先のパソコンからの投稿でした。
本人は大変な力作と思っているようなので、即刻削除は忍びなく、「荒らし博物館」に展示することにしました。
次からは自宅のパソコンで力作を書いてくださいな。
自己愛性人格障害
御自分達がルールを守らないで、削除・投稿禁止となったら、馬鹿の一つ覚えで「都合が悪いから削除した」。
投稿禁止とされても無視して、同じく禁止にされているハンドルネームを変更ということやりながら無視して繰り返し投稿し、削除されると、やはり、馬鹿の一つ覚えで「都合が悪いから削除した」。
御自分達の人格障害を積極的に晒してどうするんでしょうか?もう言い訳が効かないので自棄になっておられるような。
ちなみに、今度の荒らし投稿には、前まで積極的に宣伝されていた、2chの宣伝が抜けています。
これは今、前に少し紹介しましたように、2chで異変が起きているためだと思われます。
今、2chでは拉致監禁擁護派の雄統一教会分派第4イスラエルメンバーと思われる、SDGさんとその周辺の活動手口が暴かれてきています。
一人が複数の人間を演じるとか、シナリオ通りの演技を2ch上で演じて、あたかも自分たちの情報が事実で、自分たちの意見を多数派意見であるかのように見せかけ、一種の(2ch内ということですが)世論作りをし、人を惑わして取り込むということをやっていた事が判ってきてきました。
拉致監禁擁護派の方達が、やたらと2chを宣伝、誘導してた理由はこれだったわけですね。
ご興味ある方は読んでみてください。
あの手この手でごまかし逃げ続け、示し合わせの演技で何とか反撃、退けようとするSDGさんと多数派拉致監禁擁護派、(時々身元不詳の援護が入ってはいますが)それを事実とデータと解析を武器に追い詰める、一匹狼反統一教会人士「辰」さんとの一ヶ月半に及ぶ息詰まるような攻防。
(但し、他の流れも入っていますので、読むのに煩雑なんですが。)
統一教会の何が悪い!!!!!【Part73】
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/psy/1304520288/505-1000
統一教会の何が悪い!!!!!【Part74】
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/psy/1308552365/
特に、Part74の攻防は圧巻です。その中の辰さんの一節。少々読みにくいべらんべぇ調の文章ですが、内容は説得力がある内容で、拉致監禁擁護派SDGさんと第4イスラエルメンバー達と思われる人達の手口を暴かれています。
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/psy/1308552365/722
疑う分ににゃ、SDGが出だしたときから疑ってるぜぇ。なんか臭ぇってな。で、だんだんそれが強くなった。
他のスレ見りゃわかるだろ。人様はいろんなこと考える。意見が何か一つに染まるってぇな、まぁあり得ねぇ。
ところがこのスレじゃ、統一くせぇのとかも湧くが、それいげぇはSDGに支配されて、みんな右にならえってぇやっているぜぇ。
SDGの意見に反対する奴ぁ、みんな統一の幹部だぜぇ。そりゃいくらなんでもおかしいぜぇ。
で、SDGはすげぇ、SDG先生様ってな感じでやっている奴も出てきてる。
パターンは露払いが出て、話題ふる役が出て、SDGが上から目線で講釈、垂れて、話題ふる役が礼を言って引き下がる、SDGがのたまう通りですってぇやつが出る。
噂にきく、霊感商法のやり口を多少いじっただけのパターンだぜぇ。
てか、カルトの黄金手口だぜぇ、これってよう。で、回りで見ていた奴が、なるほどそうなのか、SDG先生様ってな感じになるってぇわけでぇ。
プログ本文を読んで気がついたのですが、この手口は自己愛性人格障害者にとって実に心地よい手口ではないかと。
こういう手口を使う方達も、カルトの手口云々の前に、やはり、自己愛性人格障害者ではないかと。
ここで思い出すのは、清水牧師と周りに配置した脱会者達の言動です。
やはり、SDGさんとその周辺が使っていた手口とほぼ一緒ではないかと(実力を行使しているかどうかの違いはあっても)。
同じ人格障害を持つ人は図らずもその手口が一緒になるのではないか、と感じ入った次第です。
それと、今まで2chに誘い込もうとしていた拉致監禁擁護派の方達は異口同音で、「2chは自由な掲示板」であると宣伝されていましたが、「辰」さんが現れると、その掲示板で起こっていることを主題にしておられるにも関わらず、一転して「荒らし」、「スレ違い(話題違いぐらいの意味です)」と批判して口封じに狂奔されています。
ブログの管理者が、ブログ記事内容とは違うものは投稿を極力控えるように(コメント欄の連想返信で3回まで可)、とされているにも関わらず連続投稿、携帯からの投稿は禁止とされているのに携帯から投稿、禁止行動を多いから投稿禁止だとされても投稿して、削除されたら「都合が悪いから削除した」と喚く人達が、
自分たちに都合が悪い投稿が入り始めると、その掲示板で起こっていることを主題にされているにも関わらず「スレ違い」と喚きながら口封じに狂奔されている様は、唖然を通り過ぎて、哀れさと滑稽さを醸し出しています。
ちなみに、これも人格障害の特徴の一つなのでしょうか?
追記
このままでは少しわかりにくいと思い解説を。SDGさんをはじめとする拉致監禁擁護派と辰さんのやりとりのはじめは、
辰さんがSDGさんを第4イスラエルのメンバーとされたことから始まります。
そして、SDGさんが第4イスラエルという根拠もないのに第4イスラエルとされたと書いて、辰さんが御自分だったら書けるが、仕事が忙しいから、5月か6月に書くと約束されたわけです。
この流れを受けて、6月から攻防が始まっています。
見ました
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-264.html
いや、荒らしでもなんでもない、全くの正論じゃないですか。
読みながら、大きく頷いてしまいました。
米本さんって、少しでも都合の悪いコメントがあると、
すぐ「レッドカード!」「投稿禁止!」「博物館行き!」ですもんね。
清水牧師に対する人格攻撃が、すべてぴったりと自分のところに戻ってくるあたり、米本さんはブーメランの達人ですね。
(そういえば顔色もアボリジニ的ですし。)
米本さんも、やや日を見習ったらどうですか?
やや日には信者によるものとおぼしき批判的なコメントも書き込まれますが、それらに「レッドカード!」とか「博物館行き!」なんて卑怯で情けないことは言ってませんよ。
アクセス数だって、火の粉はやや日の足元にも及ばないでしょう。火の粉の記事は、グーグルニュースに掲載されたこと一度でもあります?
あっ、米本さんにはグーグルとは何かから説明しないとダメか(笑)
鸞鳳さん
2ちゃんのほうも見てますが、
「一匹狼反統一教会人士「辰」さんとの一ヶ月半に及ぶ息詰まるような攻防。」
ってw
辰というハンドルの人が、下手糞なべらんめぇキャラ(笑)でどうでもいい内容を延々と書き続けているだけです。
SDGさんが第4イスラエルの信者である主張してますが、全くその根拠が見当たりません。
仮にSDGさんが第4イスラエルだの第5イスラエルだのだったとしても、全く構いませんし。
てか、そもそも第4イスラエルって今もあるんですか?何人いるんですか?どこにあるんですか?
あれだけ執拗にスレを荒らし続けるからには、辰さんはよっぽど統一教会について語られるのが嫌なんでしょうね。
好きなだけやってれば?としか思いません。
あれを見て「息詰まるような攻防」とか言っちゃう人も、相当アレなようで(笑)
米本さんに賞賛のラッシュアワー(笑)をしている方々も、こんな辺鄙なブログに閉じこもってないで、勇気を出してやや日にお越しくださいね。
お待ちしております。
荒らし認定された理由
和尚氏のコメントが荒らし博物館に入れられた理由は、ハンドルを「コンゴ」と「SJ」と異なるものを使用してレッドカードを出されたのに、再びハンドルを「和尚」に変えて書き込んできたからです。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-207.html#comment4533
同一人物が複数のハンドルを使い分けることは、このブログのルールで禁止されています。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-221.html#more
ローカルなルールも守れないような輩に、米本氏の姿勢を云々する資格はありません。
荒らし博物館にあったもう1つの、セシル氏の投稿は、どんな理由か米本氏も説明していないので分かりません。が、似たような理由でしょう。我々は管理画面を見られないので分かりませんが、セシル氏のIPもコンゴ氏などと同じか、それに類するルール違反であろうと思います。
でき得れば、セシル氏が荒らし認定された理由も、米本氏に説明していただけると、自遊人氏のようなトンチンカンな投稿はなくなると思います。
はい
そもそも、本当に彼らが同じ人物なのか分かりませんし。
ちなみに、ノボリーキさんのそのコメントも「記事のテーマと関係ない」ので米本氏のローカルルール違反ですね。
ノボリーキさんも、こんな偏屈なサイトに閉じこもってないで、やや日で議論しましょう♪
報告&警告
「コメント投稿にあたっての注意事項」で書いている通り、複数のハンドルネームは禁止しています。
コンゴさんにはイエローカードやレッドカードを出した訳ではないのに、どういうわけかSJの名前で投稿してきました。(コンゴとSJはIPアドレスが同じ)
それで、レッドカードを出しました。
すると、今度は「和尚」の名前で再び書き込んできました。
つまり、コンゴ=SJ=和尚。
また、前述の注意事項では「プロキシを利用しての投稿」も禁止しています。
セシルさんはそのプロキシを利用しての投稿でした。よって、削除しました。
また直近のBattistaさんもプロキシを利用しての投稿ゆえ、削除しました。
コンゴ(=SJ=和尚)さん、セシルさん、Battistaさん、今後は2チャンネルで、活躍してください。
もしこの欄で、私を批判したいのなら、「注意事項」を遵守し、根拠を示したうえで、論理的な文章を書き送ってください。ただし、ブログのテーマに即したものというのが前提条件です。
全く同じです
どうしてヨシュアなる人物が清水牧師と判ったかと言うと、何と自分のコメント欄に自分の教会のアドレスを貼り付けているのですから、知ってくれーと言わんばかり。
書いている際に墓穴を掘っていると判らないとは。これで知的なんでしょうか?
Re: 全く同じです
やはり、清水氏は自己愛性障害だと、改めて思いました。それはご指摘の通り、「全く(前と)同じ」だからです。自己愛の壁を突き破ることができない。自己愛であることを自覚することさえできていない。
自己愛ゆえに自分(行田教会のアドレス)の存在を誇示しなければならない。そのことがなによりの証左です。
それにしても、もう彼も還暦。それなのに進歩はゼロ。笑えるのだけど、ちと哀れです。
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