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「勝ち犬の遠吠え」⑤-故樹村さんのこと(1)・死者を冒涜 

「清水牧師の正体(5)」

註解❶これから「勝犬の遠吠え」シリーズを再開します。中断した期間が半年以上にも及んだため、これまでアップした2つの記事を再度、掲載することにしました。コメントが多くついていますが、2010年9月にアップしたときのものです。
❷勝ち犬のはずの清水牧師が都合が悪くなったのか、自分のブログ「カルトからの自由」を閉鎖してしまったため、これから書く記事が大変読みにくくなってしまいました。私の文章の拙さを含め、読者の読解力でカバーしていただけることを期待しています。清水氏がブログにどんなことを書いていたのかは想像してもらうしかありません。
❸「故樹村さんのこと(1)」と「故樹村さんのこと(2)」を再掲したあと、新しい記事をアップいたします。

❹清水牧師が強制説得を手がけたのは、樹村さんの息子・息子の嫁、宿谷麻子さん、高須美佐さん、今利理絵さん、アントール美津子さん、小林宗一郎さんなど多数に及ぶ。このうち今利さんと美津子さんからは裁判に訴えられた。この裁判を契機に、清水氏は日本基督教団から保護説得活動を中止するように指導された。(2011年3月29日・記)



◇◇◇以下の記事は、2010年9月18日にアップした記事を再度、掲載するものです。イニシャル表記を変更するなど、多少手を加えてあります◇◇◇

死者を冒涜する行田教会の清水与志雄牧師


 日本基督教団に所属する行田教会の清水与志雄牧師からは、「勝ち犬の遠吠え」③「勝ち犬の遠吠え」④で書いたように、「名誉毀損だ」「告訴する」とピストルを振り回されただけで、まともな火の粉が降りかかってきたわけではない。

 ところが、最近、死者を冒涜するような文章が彼のブログ「カルトからの自由」に書き込まれるようになった。それは許されるべきことではない。それで、「カルトからの自由」6月29日付(最終更新日6月30日)に、次のようなコメントを投稿した。(下から3番目あたり。清水氏は1度削除したあと、復活させた。しかし、現在、コメント欄は見ることができないようになっている。その後ブログそのものを閉鎖)

コメント投稿のタイトルは「死人に口なし」米本
「死人に口なし」だからといって、嘘を書くのは死者への冒涜です。
清水さんのことは後日、まとめて火の粉ブログ http://yonemoto.blog63.fc2.com/
に書く予定ですが、数点に絞って、コメントしておきます。
(1)故KHさん(樹村文子さん、仮名)はトータル65万円(司式費用を除く)のお金をあなたに渡しています。内訳は拙著150頁。それなのに「偽装脱会の母親」だと貶めるのですか。ご主人や2人の息子家族がこのブログを読んだら怒り心頭ですよ。

(2)お子さんのKM君(樹村幸一君、仮名)が太田市にいたときはアパートではなく、鍵つきの「西藤マンション」(藤阿久町)でしたよね。NN子さんやOK君、あなたを提訴した今利さんもここでした。健忘ですか。

(3)樹村君の結婚相手は旧姓NSさん(野元佐奈さん、仮名)。あなたが強制説得して脱会した方ですよ。忘れてしまったのですか。実家は(削除/埼玉県宮代町と書いていたが、清水によって削除)の農家。あなたの教会で、脱会者同士で結婚式(ここにそのときの写真がある)をあげたのに、また統一教会に戻ったというのですか。その根拠が知りたいものです。(Kさん夫妻=樹村さん夫妻=は、感謝を強要するようなあなたの人間性が嫌いだから、連絡先を教えたくないと聞いています)

 嘘の記述はまだあります。あなたが樹村文子さんに送信した数々のメール文のコピーをはじめ、「げっ、そんなものまであるのかよぉ」と驚かれるような証拠はたくさんあります。どんどん反論してください。それへの回答は、私のブログで。どうかお楽しみに。Kさん(樹村文子さん)の名誉のために真面目に書くつもりです。
(注)


◇◇◇◇◇◇

 私は今、死者となったKさん(樹村さん)への火の粉を払いたい気持ちで一杯である。
 清水氏へのコメント欄で予告した通り、有田氏のことを取り上げる前に、予定を変更して、「勝ち犬の遠吠え」を書くことにしたのはそのためである。


材料にするのは、次の5つの記事である。ブログを閉鎖してしまったので、見ることができない。何ともやりにくい。
「カルトからの自由」6月29日付
「カルトからの自由」6月29日付(最終更新日6月30日)
「カルトからの自由」7月2日付
「カルトからの自由」7月5日付・最後から8行
「カルトからの自由」7月8日付・後段 

これらのブログで清水氏は、滋賀県に住む元信者の母親樹村さんとその息子さん(統一教会から脱会)のことを書いているのだが、事実経過を整理整頓し、文章の構成立てをしてからではなく、いきなり感情に任せてキーボードを叩くから、読者には何を言っているのかまるで理解できないはず。実際、このテーマでのコメントは私の1件だけ。清水氏ファンとてコメントなど書きようがなかったからであろう。

 おそらく、この5つの日記を読んで、何を言いたいのか理解できる人がいるとすれば、お墓に眠っている母親とその夫、息子と息子の嫁、それに私の5人だけではないか。

 「カルトからの自由」6月29日付の最初の書き出しはこうだ。

「韓定食さんの記事からリンクされていたので、カルトごろつき(その後、バランスを欠くライターに修正)がまたわたしのことで大嘘を書いているので(ママ)、そろそろ、事実を公開すべきときが来たと判断した」

 最初から躓いてしまうのは、韓定食さんの記事のURLを貼り付けていないから、記事の内容がどんなもので、私がそこでどんな大嘘をついているのか、まったくわからないことだ。

 で次に、どんな事実が公開されているのか、読者は興味を覚えるが、大嘘の続きは若干の注釈のあと、「東京事件」(アントール美津子さんが訴えた東京裁判)に提出した清水陳述書の引用が赤字で長々と続く。読者からすると、となってしまうのは当然のことだ。

 それで、私はどんな大嘘をついたのか。すべてを読んでも、どこにも書かれていない。
 「カルトからの自由」7月8日付の末尾は、「わたしはKM婦人(樹村さん)に、彼(米本)との接触を拒否するようにアドバイスしたが。 結局、KM婦人は以後、豹変したのである」となっているだけ。

 おそらく、「樹村さんに感謝の強要はしていない。喜んで献金してもらった」と言いたいのであろう。
 しかしながら、火の粉ブログのコメント欄にも『我らの不快な隣人』にも、「感謝を強要した」とは書いていない。

 後のブログで詳細を書くが、樹村さんたち家族は、最初から感謝の強要とは感じていなかった。しかし、清水氏が裁判(原告は今利理絵さん、アントール美津子さん)に訴えられてから、支援金を執拗に要求するようになったため、感謝の強要のように思えてきた。本ではっきりそう書いている。どこが大嘘なのか。


 さて、どうしたものかと困ってしまう。
 清水さんの5つの長文は、デモの話になったり、韓国での集会の話になったり、記述に一貫性がない。そのため、なるべく原文を生かしながら、正確に要約したうえで、事実を明らかにしたほうが丁寧だと思う。しかし、原文を生かすとなると、悪文、入力ミス、テニオハの間違い、乱れた文脈ゆえ、を多用せざるを得ず、ものすごく時間を割かれてしまう。

 そこで、読者には申し訳ないのだが、これから数回にわたって綴る「故樹村さんのこと」を理解してもらう上で、やはり清水さんの玉稿をきちんと読んでもらうしかない。理解しやすいように、最少限の注釈を書いておく。:といっても、今は読めないが。

「カルトからの自由」6月29日付
東京事件=アントール美津子さんが拉致監禁で清水氏を訴えた99年の損害賠償請求事件。陳述書は清水氏が東京地裁に提出したもの。

イニシャル名KM君(樹村幸一君)は亡くなったKさん(KHさん(樹村文子さん)=KH婦人=陳述書では「お母さん」)の息子さんで、清水氏の強制説得によって脱会した青年。
 KYさんはKさんの息子と合同結婚式でマッチングされた相手で、やはり清水氏の強制説得によって脱会した女性。樹村幸一君とKYさんとの婚約は破談となった。(姓は同じKだが、名前は違う)

 冒頭の清水ブログに書いた投稿に出てくる樹村さんとの関連で、整理して説明しておくと、
 KM君(樹村幸一君)の合同結婚式の相手、KYさんは清水氏の手によって脱会。NSさん(野元佐奈さん)も清水氏の手によって脱会した女性。樹村幸一君は脱会後、野元佐奈さんさんと結婚した。

ここでの記述のポイントは以下の部分である。
(樹村さんの息子さんは)理解ある上司の計らいで、何とか特別に休職扱いということで約三ヶ月間と期間を区切って勉強する機会を与えられました。ただし毎日定時に本人から会社に電話連絡をするという条件がつきました。私がアパートの保証人となり、借りる事ができました。それから彼は太田市内にアパートから自転車で、太田八幡教会に通う生活を、その年の一一月まで送りました。

「カルトからの自由」6月29日付(最終更新日6月30日)

 KH婦人はKさん(樹村さん)のこと。O氏(丘田氏、仮名)とは滋賀県の元信者の父親。子どもは清水牧師が強制説得して脱会。
 樹村さんと丘田さんとは統一教会問題では同志の関係にあったが、次第に丘田さんがセクハラまがいのことをするようになったため、樹村さんは丘田さんのことを嫌うようになった。

 ちなみに、清水氏は丘田さんと仲が良かった。そして、清水氏が牧師職の資格を得たのは、樹村さんと丘田さんが住んでいた滋賀県の水口教会だった。

「カルトからの自由」6月29日付の陳述書では、水口教会の住所が群馬県となっているが、誤記である。弁護士は陳述書を一字一句チェックするので、ブログにアップされている陳述書は清水氏が下書きしたものではないかと思われる。おそらく、法廷に提出したものとは異なるはず。


 ともあれ、ここでのポイントは、次の記述である。

ところが、ある日、滋賀県で先にわたしが相談を受けて、説得に成功していた相談者O氏(丘田氏)から電話があり、「先生、すんません。やってしもたんです」という。何の事かと思いきや、もう滋賀から群馬に向けて出発してしまったというのだ。

ともかく、群馬に来てからは、わたしと一対一で話したいというので、樹村幸一君の話を聞くと、陳述書の通りで、この際勉強したいので教えてほしいということだった。二人で太田市内の不動産屋さんを周り、適当なアパートを探してそこに住みながら、教会の勉強会に通う約束をしたのである。

脱会当時は、自分でみつけた人の結婚式の司式をしてほしいというので、わたしは心から喜んで司式をしてしたものだ。



「カルトからの自由」7月2日付


「勝ち犬」?で書いたように、私は2004年に清水氏と1時間にわたって雑談した。その録音テープを聞きながら、Kさん(樹村さん)へのインタビューノートをもとに、『我らの不快な隣人』146~147頁、150~153頁を書いた。


「カルトからの自由」7月5日付・最後から8行
とくになし。



「カルトからの自由」7月8日付・後段

とくになしだが、ここで書かれているように、樹村さんと知り合うようになったのは、2000年のこと、拙著『教祖逮捕』に対する抗議の電話からであった。


 以上が注釈である。
 前述したように、本来なら清水氏のブログ「カルトからの自由」を要約し、それに対して、適宜、事実の間違いを指摘していったほうがわかりやすいし、読みやすいはずだ。

 しかしながら、大嘘だという火の粉を払うために、樹村さんを刺身のツマ的な扱い方にしたくない。

 彼女がいなければ、私は『我らの不快な隣人』を書くことはできなかった。私にとってはそれほどの人だった。
 大腸から肝臓に癌が転移していた彼女は、ターミナルケアの病棟から、「息が苦しくなった」と言いながら、「本はまだできへんの。楽しみにしてんのに、まだなん」という電話を何度かもらった。

 本が出版される10ヶ月前に、樹村さんは息を引き取った。息子さんの電話で知らされた。

 ほんとうは本の冒頭で、樹村さんの実名をあげ、「この本を○○○○○さんに捧げる」と書きたかった。しかし、彼女は清水氏を怖がり、匿名を希望していた。(自分が死んでから、偽装脱会の母親 と評されるなんて、夢にも思わなかったであろう)

 彼女が亡くなった翌年(2008年)の新盆のときに、刷り上がった本を、ご主人に送った。仏壇に供えてくれ、と。
 その後、ご主人からお礼の電話があり、生前の樹村さんの思い出話をすることができた。

 私が清水氏を許すことができないのは、謝礼金や祝い金など現金をもらいながら、自分にとって都合の悪い存在になってしまうと、樹村さんのことを平気で「偽装脱会の母親」と呼ぶことだ。死者は反論することはできない。卑怯で卑劣な牧師だと、つくづく思う。

 樹村さんとの出会いからを綴りながら、必要に応じて、死人に口なしをいいことに、デタラメを書いている清水ブログを指弾していくことにしたい。 

 読者のみなさま方へのお願いは、次回から私が徹底的に批判する素材(清水さんの5つの玉稿)を熟読して欲しいということです。よろしくお願いいたします。:残念ながら、読めない!

(注)「カルトからの自由」6月29日付(最終更新日6月30日)のコメント欄を見ていただきたい。(残念ながら、確かめてもらうことができないのですが)
 また、清水さんは性懲りもなく、私の冒頭に紹介したコメント投稿を受けて、次のように書いている。

「貴殿が、名誉毀損を続けるならば、もはやわたし一人の問題ではないと判断し、刑事告訴・民事提訴の道を選択する他はないと思います。弁護士・ジャーナリストほか申し出てくる方は多数おります」

(あれっ、泣き寝入りじゃなかったの。クスッ  名誉毀損は一人の問題、個人の名誉の問題なのだが)

「わたしは貴殿の書いた件の本は読んでいませんが、会議で配布された部分的なコピーは流し読みしたことはあります。憶測だらけのもので明らかな名誉毀損にあたるものでした」

(流し読みしただけで、明らかな名誉毀損とどうして言えるの? 弁護士さんだって、「きちんと読んでから、具体的に、どの記述が、名誉毀損にあたるのかを特定したうえで相談にきてよ」と言うと思うよ。あたりまえの話だと思いませんか。弁護士の相談料は30分5000円。幼児のように喚き散らす時間が多ければ、それだけ弁護士報酬はかさみますぞ)

「わたしは基本的に貴殿のブログは読みません」

(先の私のコメント=どんどん反論してください。それへの回答は、私のブログで。どうかお楽しみに。KHさんの名誉のために真面目に書くつもりです」と書いたことに対する返事である。早々と逃げをうっている)

参照サイトは「反カルトからの自由?なぜ豹変したか」



故郷紀行(最終回)


 神が宿る山に登ったり、古墳を覗いたり、史跡めぐりをしていたら、目の前をのんびりヘビ(シマヘビ)が横切っていきました。ヘビはそのあと小川に入り、悠々と泳ぎながら、民家の庭に入っていきました。
 田舎の風景を見ていると、心が和みますが、ときたま廃屋を目にします。右はズームアップしたもの。画像をクリックしてみると、大きく見えます。
 50年前はこの家も大家族で賑やかだっただろうな。都会に出た子どもたちは帰らず、老夫婦2人で頑張って農業していただろうに・・・。

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 翻って、わが実家のことも考えます。松江市の実家には老母が一人で住んでいます。父親が51歳で亡くなってから(当時、私は大学1年生。怖かったけど、いい親父でした。とても可愛がってくれた)、母はずっと一人で生活してきました。その母も87歳となりました。
 数年前に自転車から転んで大腿骨を骨折してから、要介護度1の認定をもらい、ヘルパーの支援(週に4日)を受けての生活が続いています。
 かなり物忘れがひどくなったというものの、比較的元気で生活していますが、それでもそばに誰かがずっと一緒であれば、脳の老化(痴呆)の速度を遅くすることは可能で、長生きできることははっきりしています。
 ヘルパー支援生活になってからは、年に4回は帰省していますが、やはり、考え込んでしまいます。
 0歳?18歳まで18年間、育ててくれた恩返しをすべきではないか。
 母は子育てのために何かを犠牲にしていたわけです。
 ここらで、私も「何かを犠牲にして」、故郷に帰るべきではないかと思案しているところです。

 これに関して統一教会員(監禁体験者を除く)に思うこと。
 彼ら・彼女らは先祖の霊のことをよく口にするが、自分たちを育ててくれた、現に生きている親のことはあまり話さない。親孝行してこなかったのだとすれば、親たちは情けない思いで寂しく死んでいく。そうしたとき、彼ら・彼女らは、親がプラスされた先祖の恨みを解くために、また韓国の清平(チョンピョン)詣でをするのだろうか。生者より死者に重きをおく。滑稽な話である。
 ◇◇◇再掲載終わり◇◇◇

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コメント

Kさんへの想い

米本さんが清水牧師に対して憤っている真の理由が分かったような気がしました。Kさんとの間に、そのような出来事があったのですな。

Kさんがご存命中に「我隣」を出版してあげたかったですね。それだけでも悔しいはずなのに、そのKさんをあのように冒涜されたら、黙っていられません。

ブログを読んでいて、思わず「この清○△□●$#%!」と叫んでしまいました。Kさんのために、とことん闘ってくだされ。


>母は子育てのために何かを犠牲にしていたわけです。
>ここらで、私も「何かを犠牲にして」、故郷を帰るべきではないかと思案しているところです。

それが良いと思いますぞ。小生も、脳溢血で倒れた父と、看病する母のために、都会の生活から田舎で暮らすようになって十数年になる。都会に出るまで、えらい時間がかかるので不便だが、自分の便益よりも親の老後を支えることの方が大事だと考える。

他人からどう言われようと、どう見られようと、親子関係は親と子にしか分からぬ世界があります。他人が干渉することはできません。そこに干渉してくる拉致監禁首謀者たちは、親子関係の破壊者である。世が世なら、じゅうぶんに犯罪者である。

清水牧師

清水牧師に関する一連の記事を読んで感じることは、どうしてこんな人物が牧師なのかと率直に思ってしまいます。
神とキリストに身を捧げようと、神学校へ行っても、神学校では左翼思想に基づいた教育がされ、卒業するころには牧師という名前の左翼活動家になってしまうということを聞いたことがありますが、清水牧師もそのような教育を受けられたということなのでしょうか?
それにしても清水牧師の行動は、良心というものが感じられません。悪魔に魂を売り払ってしまったのかと思ってしまいます。

追伸
統一教会の教えが、生者より死者に重きをおいているという事はありません。しかし、実際は反対されている親の説得が難しければ、親も霊界へ行けば分かる・・的な思考が跋扈していることも事実です。拉致監禁の背後事情もいろいろあるとは思いますが、親がそのような行動に出る要因は私たち自身にもあるということなのでしょう。

私事ですが、義母の病気から現在妻の実家にいますが、私の両親も病を得るようになってしまいました。簡単に行き来できる距離でもありませんし、どうしたものかと悩み深い毎日を送っています。米本さんのお悩みも他人事とは思えません。

日本基督教団の使用者責任

 K婦人の件については、この私もちょっとだけ絡んでいたので、真相が知る事ができてよかったです。次回の記事にも注目したいと思います。

 ところで、清水牧師の牧師らしからぬ言動・行動に対し、教団は指導はしないのでしょうか?

 清水牧師のHP"カルトからの自由"は、驚いたことに、行田教会のTOPページに、直接リンクがはってあります。さらに、"カルトからの自由"のリンクには、牧会活動とはっきりと書かれています。http://gyoda-church.jp/

 だとしたら、私は、"カルトからの自由"に書かれていることに関しては、充分に教団に監督責任があるような気がします。
 まあ、法的にはどうかわかりませんが、そもそも牧師という職業は、一般人より、高い道徳基準が要求される職業です。
 
 死者を冒涜する言動や、はたまた自身の守秘義務違反行為を堂々と語ってしまったり・・・・。カルトごろつきという言葉も上品な一般信徒さんたちは目を丸くされるのではないでしょうか?

 教団は、牧会活動と称してこのようなHPを運営してしまっている清水牧師の行為をたしなめ、お仕置きするべきではないのでしょうか?

 とはいうものの教団そのものが暴力的な体質ありです。詳しくは、最近発売になった"日本収容所列島”に書かれています。
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80%E5%88%97%E5%B3%B6%E2%80%95%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%AA%E3%81%8A%E7%B6%9A%E3%81%8F%E7%B5%B1%E4%B8%80%E6%95%99%E4%BC%9A%E4%BF%A1%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8B%89%E8%87%B4%E7%9B%A3%E7%A6%81-%E6%A2%B6%E6%A0%97-%E7%8E%84%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/499030828X/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1284088241&sr=8-3

 清水牧師の言動行動は、そのまま教団の体質といえるのではないでしょうか?
 いわれるのが嫌でしたら、是非、教団として、アクションをとっていただきたいです。あまり期待できませんが・・・。
 ただ、私は、清水牧師がHPを休止してしまったのは、これ以上ぼろをだされては困ると判断した上からのご指導もあったのかも・・・・と思っています。
 

 

 

 

投稿ありがとうございました。

早川さん
「米本さんが清水牧師に対して憤っている真の理由が分かったような気がしました」
 理解していただきありがとうございました。以前、一読者さんが私の言説を「プロパガンダ」と評されましたが、これからの清水-K-私のミニ歴史(勝ち犬の遠吠え)を読んでいただけたら、天国にいるKさんの憤りが理解できると思います。乞ご期待。

悩める信者さん
「清水牧師に関する一連の記事を読んで感じることは、どうしてこんな人物が牧師なのかと率直に思ってしまいます」
 同感です。日本基督教団の牧師(正教師)の資格を得るための要項を調べたことはありませんが、いくら聖書・聖句を丸暗記しているからといって、人間性が欠落した人物に資格を与えるべきだはないと思います。

YAMAさん
「K婦人の件については、この私もちょっとだけ絡んでいたので、真相が知る事ができてよかったです」
 これからの記事を読まれても、何か思い出されたことがあったら、コメントしてください。

「ところで、清水牧師の牧師らしからぬ言動・行動に対し、教団は指導はしないのでしょうか? 」
 おそらく何もしていないでしょう。アエラで、セクハラ牧師と実名で糾弾された牧師に対してすら(名誉毀損よりさらに悪質!)、なんの処分もしていないようですから。
 あそこの教団は教団設立時点から様々な潮流があり、隠微な内部対立が断続的に続いてきたようですから、セクハラしようが暴言を吐こうが、一介の牧師如きに関わってはいられないのでしょう。それに教団本部が官僚化しています。自浄作用が働くようなことはないでしょう。

「ただ、私は、清水牧師がHPを休止してしまったのは、これ以上ぼろをだされては困ると判断した上からのご指導もあったのかも・・・・と思っています」
 私は、教団本部は関係なく、清水牧師の現実逃避のなせる技だと判断しています。この連載の最後に清水論を書きます。おそらく納得していただけるのではないかと思っています。
清水氏は現実逃避ゆえにこのブログを読んでいないでしょう。「読みたくないものは読みたくないのだ」。養老猛さんの『バカの壁』を思い出します。

久々に"カルトからの自由"に記事がアップされました。

こちらを⇒http://plaza.rakuten.co.jp/retreatcenter/

米本さんが、清水牧師のブログがいつ再開されるのかを気にされているのを察知して、とりあえず記事をアップしたのかも知れませんね。

 確かに米本さんのおっしゃるとおり、日本基督教団は、牧師1人のちょっとしたこと(名誉毀損ぐらいは)には、付き合ってられないのかもしれません。

教団は、数々の暴力に屈してきたのですから、自浄作用などありません。
http://nehemiaharchives.blogspot.com/search/label/%E6%95%99%E5%9B%A3%E7%B4%9B%E4%BA%89

とても”残念な”団体です。

 清水牧師は、信徒さんたちには、”悔い改め”とか”感謝”とかおっしゃってるのかもしれませんが、K婦人の心離れを他人のせいにしたりして、牧会者としてなってませんね。

”残念な”教団に、”残念な”牧師ですね。






YAMAさんへ

 私も今朝、清水氏のブログを読んだところです。
 せっかく更新したのに、彼、また嘘をついてしまった。

<「名誉毀損」とはいささかも認識しないていないので、その旨返答を、既に内容証明郵便にて送付しております>

 内容証明郵便ではなく、たんなる普通郵便!

 これに関しては、早川さんの「反カルトからの自由」にコメントを載せておきましたので、読んでみてください。http://plaza.rakuten.co.jp/tthayakawa/diary/201009100000/#comment

「実録 教団紛争史」のサイトを紹介していただき、ありがとうございました。なるほどでした。

日本基督教団に関心がある方には必読サイトです。再度、私からも、紹介。http://nehemiaharchives.blogspot.com/search/label/%E6%95%99%E5%9B%A3%E7%B4%9B%E4%BA%89

あの

清水氏が米本さんに送った内容証明の封書の写真がありますが。

http://plaza.rakuten.co.jp/retreatcenter/diary/201009110000/

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