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「瀬戸際に立つ統一教会」??米本和広 

「瀬戸際に立つ統一教会」(2)
宗教と事件・カバー


? 脱会運動の裏に潜む闇

仕組まれた脱会騒動

 統一教会にとって決定的な打撃となったのは、山崎浩子の脱会宣言だった。
 1992年夏の合同結婚式に参加した山崎浩子の動静が毎日のように茶の間に伝えられている最中、彼女が突然、姿を消した。93年3月6日のことである。

統一教会は拉致監禁されたと記者発表し、信者は銀座で「信教の自由を守ろう」「山崎浩子さんの改宗反対」のプラカードを手にデモ行進を行った。

 世間は騒然となった。統一教会は拉致監禁だというが、肝心の彼女がどこいるかさっぱりわからない。「山崎さんは一体どこに消えたのか。何が起きたのか」。当時は国民的な関心事になったのである。

 一カ月後、週刊文春が「“失踪”から3週間目の27日、山崎浩子さんの義兄から重大な資料が届けられた」という書き出しで<山崎浩子から届いた自筆メモと衝撃写真>をスクープした。机に向かっている写真からは、山崎がみずから進んで統一教会の真偽を検証していることはわかったが、どこにいるのか判然としない。

 あとは、「統一教会も私の結婚も誤りでした」という山崎浩子の手記が掲載されるまで、週刊文春の独壇場だった。手記発表の直前には、山崎はテレビカメラに向かって「私は統一教会からマインドコントロールされていた」と衝撃的な脱会宣言を行った。

 スクープを飛ばしたのは有田芳生(現新党日本副代表 =その後離党し、参議院選の民主党の候補者に)である。
 記事を再録し解説を加えた彼の『脱会』(教育史料出版会)によれば、山崎浩子が4月21日に行ったTBSでの脱会宣言の会見はもとより、各テレビ局を梯子するスケジュールにまで週刊文春が介在したという。

 ちなみに、同書のあとがきには興味深い記述がある。「(これまでの)取材では、ことに宮村峻さんには日常的にさまざまなことを教えていただいた」。宮村とは、冒頭で紹介した、後藤が刑事告訴した脱会請負人。詳細は省くが、有田は宮村の手によって脱会した元信者ばかりか、監禁中の現場にまで入り込み信者にインタビューし記事化している。スクープを飛ばした源泉が宮村なのである。

 話を戻す。週刊誌とワイドショーが連携することはよくあることだが、問題は失踪してから脱会宣言するまで、山崎浩子はいったい監禁されていたのか、それとも自主的に家族と話し合い、独習していたのかという点にある。

 山崎浩子がことの顛末を綴った『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋)によれば、実姉にマンションに連れ込まれたとき、「これは拉致監禁だ」とはっきり書いている。

 一方、有田も前出の『脱会』で、自分が持ち込んだ企画(脱会宣言までの記事化)に週刊文春内で意見対立があったことなどを含め比較的生々しく語っている。

 有田はどこまで山崎家の内情を知っていたのか。週刊朝日の95年2月17日号で書いている有田の言葉が端的でわかりやすい。

「いまだから言うが、私は山崎浩子さんが姿を隠してからの動静をすべて知っていた」

 山崎浩子は家族によって拉致され、マンションに監禁されていた。そのことを有田は知っていたということなのだ。『脱会』によれば、週刊文春の若手記者が企画の打ち合わせのときに次のように語ったという。

「確率の低いバクチですよ。これは、それ以前に、まずメディアとしてそこまで踏み込むべきじゃない。脱会するしないは山崎家の問題であって、われわれはそこまで介入するべきじゃない」

 ジャーリストとしてひとつの見識だと思うが、週刊文春は有田のバクチ企画に乗り、勝利したのである。

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山崎氏と有田氏の本。画像をクリックすれば拡大します。


「統一教会を潰す」決議

 山崎と有田の著書は、脱会宣言からそれぞれ7か月後、1年後に出版されたものだが、山崎騒動はすでに一件落着。失踪の真相、拉致監禁の有無などもう誰も興味はなかった。

 バクチに成功したフリーライターはやがて著名なコメンテーターとなり、山崎浩子の脱会説得に成功した牧師をはじめとする反統一教会陣営には正義のラベルが貼られることになった。

 山崎浩子の脱会を受けての高揚感からか、一部の牧師が強制説得を行っていた日本基督教団(プロテスタントの最大教団)は総会で、「統一教会を潰す」という決議を採択した。すべての隣人を愛せよの正統派クリスチャンが異端教団をつぶすとは尋常な話ではない。

 80年代後半から活発になっていた拉致監禁はいっそう激しくなり、92年以降は毎日どこかで信者が消えるという事態になった。冒頭の後藤が監禁されたのが「95年」だったことに注目してもらいたい。

「拉致監禁」は、信者家族には「保護説得」というネーミングで、「マインドコントロールされているお子さんを脱会させるには、統一教会から保護・救出して説得しなければならない」と説明される、一般社会では知られていない脱会方法である。99年、拉致監禁されたとする女性信者が日本基督教団の牧師を提訴したことによって沈静化したが、現在でも拉致監禁は続いている。信じられないだろうが、これまでに拉致監禁された人は4000人にのぼり、うち3000人が脱会している(前掲『我らの不快な隣人』)。
私が知っている限りでの情報だが、この2年間でも、13人の青年・学生信者が監禁下で説得を受けている。

 一連のすさまじいバッシング報道によって、統一教会は邪悪な集団というイメージが社会に定着した。たとえば野球監督の妻が統一教会員と報道すれば、夫の“監督責任”が問われる始末だ。
マスコミ報道で醜悪だったのは、南米パラグアイの土地管理会社の社長(教会員)が07年に身代金目的で誘拐された事件だった。まだ当人が解放されていない段階で、週刊誌は「身から出たサビ」と書き立てたのである。統一教会が信者からの献金などによってパラグアイに広大な敷地を所有していることと、敷地を管理する社長が誘拐された犯罪事件とは別次元のことであるにもかかわらずだ。

 さすがに統一教会はこの記事には抗議文を送ったようだが、スネに傷を持つ身、たいがいはどんなことを書かれても沈黙したまま。拉致監禁事件が発生しても組織としてなんの対応策もとることはなかった。そもそも事件が発生したことさえ本部に情報が伝わらないという信じられない状況だ。山崎脱会の93年以降、教団はED状態、首を甲羅にひっこめた亀になってしまったのである。

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山形県の山寺(立石寺)で有名なのは(正確に言えば松尾芭蕉の「静けさや?」の俳句で有名になった)、奥の院までの800の階段である。一つの階段を登るごとに一つの煩悩を滅却していけば、奥の院にたどりつくときには、すべての煩悩の呪縛から解放されるという。
 写真(上)は階段を少し登ったところにある仁王門、下の写真は奥の院。
 地元のそば屋で、松尾芭蕉のことを話題にしたら、いとも当然の如く、「伊賀出身の松尾芭蕉さんは忍者だったに違いありません,だって、あんなに日本全国を早く歩けるわけがありませんから(具体的な地名をあげて説明されたが、失念)。ここいらでは忍者説が当然のように思われています」
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コメント

あっぱれ、有田芳生議員

そこまで“保護説得”に有田芳生議員が深く関わっていたとは知りませんでした。
それから、なぜ、週刊文春やテレビ(TBSとか)がそこまで有田議員をよいしょするのか不思議でならなかったのですが、すごい“スクープ”(自作自演?)を出したからなんですねえ。
そうやって国会議員にまでのし上がったんですねえ。
有田議員に投票した有権者たちはこのことをご存知なのでしょうか。

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