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「瀬戸際に立つ統一教会」??米本和広 

「瀬戸際に立つ統一教会」(1)
宗教と事件・カバー


『宗教と事件』は昨年09年7月に学研から出版されたムック本です。
 これから4回にわたって、拙稿の「瀬戸際に立つ統一教会」をアップいたします。
・同書では新世事件の家宅捜索や後藤徹さんの監禁解放直後の写真などとともに「日本統一教会の出来事と事件」史が掲載されています。
・ブログで使用する写真は、後藤徹さん以外の写真は、ムック本に掲載されたものと異なります。
・文中の敬称は一部省略してあります。
(注)はこのブログで付け加えたものです。

記事掲載から1年が経過し、状況は変化し、様々な出来事がありました。今書くとすれば、大幅に修正したものになると思います。この1年間の出来事を(注)で書こうとも思いましたが、そうすると(注)のほうが長くなってしまいます。09年7月時点の私の統一教会認識だと思って読んでください。この記事をベースに、続編、関連することは、記事掲載が終わってから書くことにします。よって、この1年間の出来事をもとにしたコメントは控えていただければと思います。むろん、記事そのものへのコメントは大歓迎です。



? 統一教会の「今」と「これから」

直面するふたつの問題

 統一教会をめぐる現在進行形の事件はふたつある。
 ひとつは、全国各地(新潟、福岡、大阪、東京など)の統一教会系企業が2008年末から今年にかけて特定商取引法違反、薬事法違反などの容疑で、相次いで摘発されていることだ。
 
 とりわけ注目されているのは、渋谷区の印鑑販売会社「新世」の捜査にオウム事件を手がけた警視庁公安が乗り出していること、また統一教会の南東京教区の施設や教区長の自宅にも家宅捜索に入ったことにある。統一教会は「新世と教団とは関係ない」としているが、教区長が逮捕され、教会ぐるみで違法行為をしていることが立件されれば、宗教法人の認証取消し、解散命令が下される可能性もあるのである。

 もうひとつの出来事は、統一教会信者の後藤徹氏(45)が12年間にわたって監禁されていたことが発覚したことだ。後藤氏は95年に自宅にいたところを家族や元信者によって拉致され、マンションに監禁された。拉致監禁の目的は、監禁下で脱会を促す(強要)ことにあった。しかし、彼は脱会説得に応じようとせず、業を煮やした家族はついに説得を諦め、昨年の08年2月にマンションから彼を追放した。
 おぞましい新潟少女監禁事件の9年間を上回る12年間。彼は31歳から44歳まで、監禁されていた東京荻窪のマンションから一歩も外に出ることができなかった。

 その後、彼は拉致監禁した家族や脱会説得のために頻繁に訪れていた宮村峻氏(64)らを逮捕監禁致傷罪と強要未遂罪で刑事告訴した。宮村氏は「タップ」(広告代理・印刷業)という会社を経営しながら、二十数年前から統一教会の信者の脱会説得を手がけてきた、その筋ではつとに有名な脱会請負人である。(注=事件の概要は拙著『我らの不快な隣人』(情報センター出版局)ブログ「火の粉を払え」を参照)

(注)後藤徹氏の事件の詳細は記事のカテゴリーにある「後藤徹・監禁事件の資料」を読んでください。


 これら二つの刑事事件は性格がまるで異なるが、これまでの「統一教会と事件」の集大成版といっていいだろう。

写真は監禁解放3日後の後藤徹さん





 統一教会ほど誕生直後から今日までマスコミから批判され続けてきた宗教団体はめずらしい。『新宗教事典』(弘文堂)に「新宗教とマスコミ」の項目があるように、新興の宗教を研究する場合、マスコミ報道を抜きにすることはできないが、統一教会の場合はとりわけそうである。

 世界基督教統一神霊協会を正式名称とする韓国生まれの統一教会が宗教法人として日本で認可されたのは64年のこと。それから数年を経ずして、マスコミから集中砲火を浴びる。
 そのときの批判のネーミングは「親泣かせの原理運動」。
 大学生信者が大学を中退して献身者になる。献身者とは言ってみれば職業宗教家のこと。しかし、子どもが「大学卒」の肩書を手にすることを当時夢見ていた親からすれば、大学を中退して、得体の知れない宗教団体に身を投じるというのだから、たまったものではない。大学生信者の親たちが大挙して大学に押しかけ、それが話題を呼んだのだ。

 その次に起きた批判は「霊感商法の統一教会」である。
「親泣かせの原理運動」の時代は、廃品回収や花売りなどで資金を集めていたが、82年ごろから有力な幹部信者(古田元男氏)が高額の大理石の壺などを、運勢が向くとか悩み事が解決するといったトークで、しかも、霊媒師を登場させてご託宣を述べさせ、さも効用があるかのように売りまくるようになった。それと同時に、正体を隠しての勧誘が始まり、入信させるツールとしてのビデオセンターが各地に設立されていった。

 私が知り合った、「インチキ霊媒師」(当人の言葉)をやっていたという女性元信者は、10億円を教団に貢いだというから正気の沙汰ではない。ピーク時には組織全体で年間2000億円にものぼったと推定される。
 当然、国民生活センターに多数の相談、苦情が寄せられ、87年には統一教会と闘う「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)が結成された。

 朝日新聞と週刊誌朝日ジャーナルを中心にマスコミは「霊感商法」として徹底的に追及。結果、「親泣かせの原理運動」の比ではない激しい批判を浴び、統一教会系企業「ハッピーワールド」(社長古田元男氏)と各地域の教会長をはじめ婦人、青年信者で組織されていた資金集めのと特殊組織は解体された。しかし、この“改革”は中途半端なものに終わった。つまり、教会組織そのものは高額の献金や物品販売に関わらない。実行するのは任意団体としての「信徒会」組織や関連企業というように。

 簡略化していえば、統一教会とは別の任意組織がビデオセンターを拠点に勧誘し、高額献金を集める。それと連携しながら、統一教会系企業は印鑑などを販売する。しかし、大理石の壺の大がかりな組織的販売がなくなったぶん、信者の献金負担は飛躍的に増した。

 ともあれ、この“改革”と購入代金の返還などに応じたことなどによって、マスコミの批判報道は沈静化した。


合同結婚式騒動の激震

 ところが、数年後に再び批判されることになる。

 92年から始まった歌手の桜田淳子や新体操の山崎浩子などの合同結婚式報道合戦である。当初は興味本位のゴシップ的ネタだったが、まもなく、統一教会は霊感商法の団体である、被害者も続出している、見知らぬ異性同士が教祖文鮮明のマッチングによって結婚するのは不気味だと、激しい統一教会バッシングに変わった。

 92年からはじまった報道(週刊誌とワイドショー)は、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起きる95年まで、実に四年間にわたって途切れることなく続いた。オウムを別にすれば、戦後もっとも叩かれたのは創価学会だが、創価学会への25年間分に匹敵する記事量がわずか4年間に統一教会に集中してあてられたと表現すれば、いかにすさまじいものだったか理解できようか。

「統一教会の言うことすべてがインチキではない」(思想家の吉本隆明)、「テレビのワイドショーや週刊誌が寄ってたかって統一教会叩きに熱中するのが、私にはどうにも不可解でならない」(作家の諸井薫、プレジデント元編集長)など著名な知識人たちから疑問の声があがったが、歯牙にもかけられない雰囲気だった。

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