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親子の仲を切り裂くのは誰か(3) 

“救出カウンセラー”の素顔(11)

KHさん(ソウル在住)の監禁体験記(3)

1・実家に連れ戻される
2・最初の監禁
3・2度目の監禁
4・中村牧師の誹謗中傷と平田弁護士の違法行為

5・脱出
6・夢に出てくる故郷


今回は青印の部分をアップします。

3・2度目の監禁

 92年の8月に予定されていた合同結婚式に参加したいと思った。(注1)

 どんなに親子関係が難しくなったとはいえ、生涯に一度の結婚なので、両親の承諾を得た上で参加したいと思い、4月に九州で父兄対象の一泊二日のセミナーがあったとき、両親に電話をした。両親は参加してくれた。

「今度の合同結婚式に参加しようと思っている。浮気だ、離婚だというこの世の一般の結婚はするつもりはない」
と話すと、両親は「わかったよ。お前がもうそう決めてるのに、私たちが反対してもどうしようもないだろう」と言ってくれた。

 6月に韓国人である主人とのマッチングが決まり、両親に電話で報告した。
 すると、「何か準備することはないのか。たんすとか家具とか必要じゃないのか」といった具合に、反対するような気配は全く感じられなかった。

 8月25日の合同結婚式に参加後、結婚届を出して、実家にその報告をしに帰ることにした。

9月6日、佐賀教会に立ち寄り、万一監禁されて3日後に立ち寄らない場合は、捜索願いを出してくれるように依頼した。
 翌7日、午後1時ごろ実家に到着した。喜ぶ両親に合同結婚式の様子を報告し、カラオケで一緒に歌ったりもした。

「4年前みたいな監禁はまさかしないよね?」と言うと、両親は「そんなことはしないよ」

 大学生の妹や、近くの保育園で保母をしていた姉も来て、お祝いだから夕食は外食ということになり、近くで飲食店を営む親戚の店に車で出かけた。おじやおばが歓迎してくれ、
離れにご馳走を準備したから、そこで家族水入らず、ゆっくりしながら食事したらいい」

 家族みんなで徒歩7,8分の離れに向かった。隣りの家にはちょっと歩かないと行けないような田舎である。
 食べ終わって、もうそろそろ帰ろうかと切り出したとき、急にこわばりだしたみんなの表情に、私は初めてだったことに気付いた。見ると、玄関には特別な鍵が取り付けてあり、窓という窓には鉄格子が取り付けられていた。

愕然とした私は「騙したんだね!?」と大声で泣き叫んだ。
 

 翌日、沈黙の中、皆と遅い朝食と食べた後、食器を洗いながら外を見ると、歩いている女性が目に入り、大声で助けを求めた。鉄格子はあっても、窓自体は開いたからである。しかし、両親と姉に押さえ込まれ、口を塞がれた。
<個人の信仰と基本的人権は、何人といえどもこれを侵すことはできないと、学んだのに、ここではそれが通用しない!>
 と心の中で叫んだ。
 しかし、父は泣いている私に向かって「警察に助けを求めても無駄だぞ。ずっと前から事情は話してあるから」と言った。母も「家族の話し合いなんだから、そんなにわめくことじゃないよ」と言った。

 両親とも私の知っている温かい両親ではなく、まるで別人のように感じ、ここまでさせる背後の団体が恐ろしかった。

 とにかく偽装してでも棄教しない限り、自由になれない。しかし、それをすると、家族との関係がさらに難しくなってしまう。決意するのに1週間かかった。
 そして、計画を立てた。
 いつまでは統一教会が正しいと言い張る期間、その次は悩む期間、その次は統一教会が間違いだと確信に至る期間というように。

 監禁が2回目なので、両親も親戚たちも皆、相当に緊張し、張り詰めているのがよくわかった(今度、失敗したらあとがないという緊張感だろう)。おじやおばたちが、2日1度ぐらいずつ、私の様子を見ながら説得しに来た。

 9月20日正午前に義兄夫婦がようやく現れて、私の荷物を全部、持っていってしまった。夫からもらった指輪やブレスレットも、「なんだ、こんな安っぽいもの!」と言って。

 その頃、両親からこんな話を聞かされた。

「これまで中村牧師さんの所に何度も行ったし、集会があれば、福岡や熊本、大分、鹿児島にも行った。お前のことは前にあれだけやったのに逃げていって、その後も教会に真っ黒になってるみたいだからもう難しいだろうと思っていたんだけど、7月の集会の時、必ず娘さんは合同結婚式の前後に帰ってきますから、その時保護できますよって言われ、とにかくお前が帰ってくる日を、親戚にもお願いして、待っていたんだ」(注2)

 9月28日深夜1時半ごろ、急に起こされた。場所を移動するという。統一教会がこの場所を見つけてくれたようだ。

 到着したのは、またもあの義兄のマンションだった。引越ししていて前とは違うマンションだったが、同じなのは鍵だらけ。両親と妹と義兄の母が必ずいて、監視された。


4・中村牧師の誹謗中傷?平田弁護士の違法行為


 10月7日、中村牧師が来た。
 4年前の柔らかい口調は同じだったが、違ったのは「子どもが統一教会に入ってしまうのは親のせいだ」と、私の入信を両親のせいにしたことだった

「親子関係が悪かったから、心が満たされずに統一教会に入ってしまったんだ」
 そう両親に話しているのを聞き、怒りを覚えた。

 どこまで親を惨めにするのか、私は親に感謝し、その愛が痛いほどわかるだけに神の愛もよく理解できたし、両親には本当に感謝の思いしかないのに、親のせいだと言う。(注3)

可哀相に、情が深く気丈だった父は、自分のせいだと、すっかり小さくなっている。

 牧師は笑いながら「お父さんは以前と変わったでしょう?酒もタバコもやめて蕩減条件を立てているんだよ」と言った。(注4)

「私の家庭が親子関係が、こんなに複雑に難しくなったのは、中村牧師のせいだ」

 そう言ってやりたかったが、その後の偽装脱会を考えると口にできなかったし、言ったところで相手にしてもらえるとは思えず、『そうなんですか』といいながら一生懸命怒りを抑えた。

 数日後、牧師が元統一教会員4名を連れてきて、その中で一番信仰の長かったKさんと言う男性が、原理のどこが間違っているのか話した。いわゆる原理崩し。牧師は両親の前で統一教会がいかに悪どいのか、情的に訴えて母は涙を流していた。
 そして、「文鮮明は確かに頭はいいんだろう。これだけのことを考えて、青年たちの心を惹きつけて洗脳して自分の思い通りにできるんだから。しかしこれだけははっきりしていることだけど、彼は精神異常者なんだ」などと語った。


 10月に入ると、4、5日に1度、中村牧師が来た。その時ごとにテーマがあって、文先生の批判、原理崩し、元教会員と一緒に来て私の心理を探る日など様々だった。
 私が少しずつ、悩みだす様子を見せると、それまで全く見れなかったテレビだったが、信仰を捨てた飯星景子さん、山崎浩子さんを取り上げたワイドショーだけはどんどん見るように言われた。

 中村牧師の片腕のようなHTさんという元教会員が、私が偽装脱会ではないかチェックした。私が所属していた地区の組織図と手記を書くようにと言い、私の心理状態を細かく把握しては牧師に報告していた。(注5)

 私が激しい屈辱感と怒りが湧くとともに、呆れて物も言えないことがもうひとつあった。

 11月、家族とHTさんと共に平田広志弁護士に会いに行ったときのことだった。
 平田弁護士は、私の心理状態をチェックした後、一本の電話をかけた。

「精神異常だから、本人からの請求でもお金がおろせないように依頼があった件・・そうそうそれ・・・もう解除していいから。正常になったんだよ。アッハッハ」

 そして、私を見て、「君は今まで精神異常者だったんだね。アッハッハ」と声を出して笑った。

 心の中では屈辱感と激しい怒りがこみ上げたが、偽装脱会している立場上、一緒に笑うしかなかった。(注6)

(注1) 92年8月の合同結婚式は、桜田淳子さんや山崎浩子さんが参加し、マスコミが大々的に報じたときの結婚式である。

(注2) 中村牧師が家族にどのようなオドロオドロしいことを言って不安がらせたのかは別にして、信者家族の必死さが理解できるだろう。

(注3) なぜ、中村牧師に違いが生じたのか

 中村勝彦氏は、当時、ペンテコステ系日本アッセンブリーズ・オブ ・ゴッド教団に所属する唐津聖書教会の牧師であった。その後、この教会をやめ、日本基督教団に移籍している。
 「監禁体験記(2)」の(注3)で書いたが、中村氏は聖書のすべてを信じることができないでいた。
 福音派は聖書のすべてを信じるが、日本基督教団は一字一句に拘泥することなく聖書をリベラルに解釈する。その意味で、中村氏が福音派から日本基督教団に移籍したのは必然だったと言える。

 ここからは推測である。
 「川崎・黒鳥・清水・村上・横溝・尾毛?揃い踏み(下)」のところで書いたが、「子どもが統一教会に入信したのは親のせい」と考えるのは、日本基督教団の牧師に多い。この考え方に、中村氏は影響されたのではないか。
 日本基督教団の新松戸幸谷教会の吉田好里牧師(「黒鳥・清水裁判を支援する会」事務局長)は、統一教会の信者家族の相談会を定期的に開いているが、彼の口癖は「子どもが統一教会に入ったのは、あなた方、親のせいだ。親の子どもへの態度が悪かったからだ」。このように言われると、そのたびに、信者の親たちは下を向くという。
 ある母親はみんなの前で罵倒され、涙を流しながら、家路に着いたという。

 家庭にはなかった、自分の「居場所」を見つけて、統一教会に入信する青年は少なからず存在するが、すべてをそう見なすのは、あまりにも短絡的だ。
 実際、中村牧師の言葉に怒りを覚えるほど、KHさんと両親との関係はとても良かった。
 なぜ、牧師たちは入信と親子関係を不可分な関係として捉えているのだろうか。
 これについては、後日のブログで取り上げるつもりだ。

 なお、唐津聖書教会をやめてから、中村勝彦氏の名前は『キリスト教年鑑』には登場しない。日本基督教団に移籍したが、教会の牧師職には就いていないということなのだろう。ネットで検索すると、日本基督教団九州教区統一教会問題対策委員として名前が載っていた。(09年段階)

(注4) 「蕩減条件」は統一教会用語。蕩減(とうげん)は韓国語で免責とか賠償という意味で、「蕩減条件を立てる」とは、宗教的な意味合いを省略すれば、たとえば、子どもの病気が治るまで、お茶断ちをするといったことをイメージすればいい。

(注5)「中村牧師の片腕のようなHTさんという元教会員」。脱会説得者にはほとんどといっていいほど、その人の片腕となるような元教会員が存在する。岩崎隆牧師然り、高山正治牧師然り、黒鳥栄牧師然り、宮村峻氏然りだ。共通するのは、その脱会説得者によって強制説得された元女性信者であるということである。なかにはごく稀だが愛人関係となっているケースもある。
 彼女らの役割は、真正脱会か偽装脱会かを見抜くことである。

(注6) KHさんは1回目の監禁から脱出したあと、銀行から預金を下ろすことができなかった。「監禁体験記(1)」で書かれていた記述を再録する。

あるとき、あきれた出来事があった。銀行で私の口座から金をおろそうとしたら、「家族からの依頼で下ろせません」と言われた。私が自分で働いて貯めたお金である。しかし、いくら不当性を訴えても、銀行の職員は「家族との問題が解決したら連絡して下さい」と言うばかりだった。

 おそらく、この記述に首を傾げた読者は多いと思う。
 本人(成人)の銀行口座から本人がお金を引き下ろすことができないなんてことは、あり得ないからだ。
 もし、「家族からの依頼」によってそのようなことがあり得るとすれば、銀行にお金を預ける人はいなくなってしまう。そうなれば、たちどころに銀行の預金制度は崩壊する。

 この謎は、平田弁護士が銀行にかけた電話によって氷解したであろう。
 家族もしくは平田弁護士が「KHさんは精神異常者だから、本人が銀行にきても引き下ろすことができないようにしてくれ」と頼んだということだ。
しかし、家族が「うちの子ども(あるいは夫、妻)は精神異常者だから、口座を凍結して欲しい」と銀行に頼んでも、応じるのだろうか。常識から考えてあり得ない。銀行は当然のことながら、医師の診断書を要求するだろうからである。
 診断書を抜きに応じたのは、社会的信用の高い弁護士が口添えしたからにほかならない。
(それにしても、弁護士が介在したからといって、診断書を抜きに口座を凍結した銀行もどうかしている。ちなみに、この銀行は旧東海銀行である)

 平田弁護士は明らかに弁護士資格を濫用しており、この段階で懲戒請求が行われていたとしたら、「退会」処分(どんなに軽くても業務停止処分)をくらっていたであろう。もちろん、民事裁判でも不法行為と認定されていたはずだ。

 横道にそれるが、懲戒制度には「除斥期間」が定められている。
第六十三条  懲戒の事由があつたときから三年を経過したときは、懲戒の手続を開始することができない。

 弁護士から不当な扱いを受け、懲戒請求する人は少なくないが、かなりの訴えがこの「除斥期間」を過ぎてからの請求であることを理由に、却下されている。多いのは、懲戒請求制度が存在することを数年後に知り、請求したときにはすでに「三年を経過していた」というパターンである。

それにしてもWHO IS 平田広志?である。
 福岡県弁護士会に所属し、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)のメンバーである。現在は「平和の森法律事務所」に勤務している。

 弁護士になったのは1988年。銀行口座をストップさせたのは弁護士になった翌年ということになる。

 平田弁護士がテレビのワイドショーに頻繁に登場していた時期がある。オウム報道が盛んに行われていたときである。
平田広志弁護士2 ※ワイドショーで発言する平田弁護士

 私が彼に会ったのは、96年だったか、全国弁連の年2回の集会が福岡で行われたときだった。
 私はこの集会で、当時はまったくといっていいほど知られていなかった法の華三方行の教祖・福永法源の収奪システムの悪辣さを、参加者にアピールした。
 そのときに司会をしていたのが、平田弁護士だった。小柄で痩身、見るからに几帳面で神経質そうな弁護士という印象が残っている。
 
 それだからこそ、KHさんに「君は今まで精神異常者だったんだね」とアッハハハと声を上げて笑ったという記述に、違和感を覚えた。
 そのことをKHさんに確認すると、こう回答してくれた。
「間違いありません。あまにもけたたましく笑ったので、記憶に鮮明に残っています。煙草をせわしなく吸っていた神経質そうな人が突然、声を出して笑ったから・・・」

 平田弁護士は、人を勝手に精神異常者扱いにして、いったい、何がそんなにおかしかったのだろうか・・・。


 前回のブログアップ時には満開だった花みずきは、もう葉・花みずきに。例年はもう少し花を楽しめたはずだが。


平田広志弁護士の続報(5月12日に追記)


 平田氏の情報を得るために、ネット検索をしていたところ、彼に対する懲戒請求(2007年10月に受付)がなされていたことを知った。
 懲戒請求者は、ピアノの弾き語りをしている坪内佐智世(つぼうちさちよ)さんで、彼女のブログ「ぎりぎりなのよ?」にそのことが書かれていた。

 この日記の前半部分は、懲戒請求を受け取った福岡県弁護士会の態度とそれに対する怒り(弁護士被害者は、その弁護士が所属する弁護士会の対応に怒り、呆れ果てるのが一般的)が書かれているため、懲戒請求の事由は読み取りにくいが、日記を丁寧に読めば、こういうことである。

(1)坪内さんは2002年11月に交通事故に遭った。恩師から教え子だという平田広志弁護士を紹介してもらい、相手方との交渉を委任した。

(2)委任内容は、過失割合の明確化、慰謝料の算出、それらの交渉。簡単な内容のはずなのに、平田弁護士は動こうとしなかった。坪内さんの治療が終わった2003年秋から、平田弁護士は動き出したように思えたが、ようやく解決したのは2007年のこと。
 その間、坪内さんは平田弁護士に何度も電話をかけたが、いつも留守。弁護士事務所の事務員の態度も「ダランとした態度」で、平田氏に連絡を取ろうとしなかった。

(3)坪内さんが驚き、呆れたことはまだある。平田弁護士を紹介してくれた恩師の母親も交通事故に遭い、その事件処理を自分が依頼する以前に、恩師は平田氏に頼んでいた。それなのに、それもいまだ放置されたままになっていたことだ。
 2008年10月1日現在、未解決。母親はすでに亡くなっている。

(未解決なのは「私のようにぶちきれて電話で追求、攻撃、催促をしなかった」からという坪内さんの分析は正しいと思う。もし、平田氏が恩師と委任契約を交わし、着手金を受け取っていれば、着手金泥棒ということになる)

(4)「最後の最後、やっと交渉も終わらせ、慰謝料の額が決まり、そこからの割合で自分への弁護士費用の ”正当な” 額を請求してきたことにこちらが抗議、金額をより低く提示すると、かなり素直にそれに応じて即電話切ったのだった。あれでも多すぎだったと思っている」

(5)このあと、坪内さんは平田弁護士の懲戒請求を福岡弁護士会に行った。

 これまで見てきた平田弁護士の問題行為は、いわゆる怠慢・放置と呼ばれる、モンダイ弁護士がよくやる依頼者への裏切り行為である。
 これと同じようなことをしでかしたのは、私が取材した静岡県弁護士会の阿部浩基弁護士(静岡合同法律事務所)。興味がある方は、別冊宝島『モンダイの弁護士』を読んでみてください。なお、この阿部弁護士はこのあと、別の受任事件で、怠慢・放置を理由に懲戒戒告処分を受けている。
 
 平田弁護士も阿部弁護士と同じように、坪内さんと恩師以外にも、複数の怠慢・放置を行っている可能性は否定できない。

 平田広志弁護士のイメージは、統一教会と闘う正義の弁護士、人権派弁護士といったところだろうが、もう一方では依頼者を怒らせるモンダイの弁護士である。それにしても、坪内さんに「平田のようなゴミ」とまで書かれて、人権派も地に墜ちたものである。

 なお、坪内さんには、懲戒請求の結果と、日記にある「こちらの交渉がまだ進んでいなかった頃にネット上で発見した平田についての非常に情けない記事」について、聞いてみるつもりだ。返事があれば、さらに追加記事を載せる予定です。こうご期待。
 


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コメント

ブログを加筆しました。

 平田広志弁護士に関する新しい情報が見つかりましたので、「続報」としてブログに追加記事を書きました。(5月12日15時頃にアップ)

蘇る記憶

18年も前のことなのに、平田弁護士の顔写真を見たら、鮮やかにその時に感じたことが思い出されて、自分でも驚きました。
平田弁護士の発した言葉と笑い声を聞いた時に屈辱感と怒りで、自分の顔がカッ~と熱くなっていくのが自分でも感じられて、(多分私の生涯でそこまで顔が熱くなるほどに怒ったのは後にも先にもないような気がする)化粧もしていないので赤くなった自分の顔色に周囲のの人が気づかないようにとはらはらした事を、はっきり思い出してしまいました。
できることなら忘れてしまいたかった出来事ですが、人間の思いの世界はいつまで続くのかなあと、しみじみ思ってしまいました。私は霊界があると信じている人の一人だけど,こんな思いをもって霊界に行きたくないなあと思ってしまいました。しかし、もしも平田弁護士が「あんなことして悪かった」と真実に一言、言って下されば許して差し上げたいし、忘れてしまえそうな気がします、、、そんな日が本当に来れば、拉致監禁による強制改宗がなくなる日も遠くないのでしょうが。
それにしても米本さんがあげてくださるお花のショットは、心が和み、ほっとします。ありがとうございます。
  • [2010/05/13 09:36]
  • URL |
  • 手記の本人KH
  • [ 編集 ]
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閑話休題

統一教会信者の方も反統一教会のクリスチャンの方も、少しく心を冷ましてみてください。聖書を信じる皆さんにとってはビッグニュースです!ついに正真正銘のノアの箱舟が発見されました!アララト山4000メートルの氷河の下に、それは腐敗も壊れもせずに残されていたようです。神はこの時代のために箱舟をとっておかれたのだとしか考えられません。これは決してデマではありませんよ。この大発見のニュースが発表されて、まだ二週間しかたっていませんが、徐々にこのニュースは世界へ広がっています。おそらく今夏はマスコミを含めた第二次の探索が開始されるでしょう。それがマスコミによって再確認されることになれば、世界は大きく変わることになるでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=McxgF3p0sKw&feature=related

はやしさんに注意

 ブログの記事と関係のない投稿は、ご遠慮ください。

「閑話休題なんだから、認めてもいいか」となれば、同じような投稿が次々と載るようになってしまいます。

 削除はしませんが、今後、注意してください。

信じられない。

私も経験者でありながら、こうして手記を読ませていただくと、改めて酷いことだと思います。どうしてこんなことが罷り通るのか信じられないきもちです。

謎が解けた

この平田弁護士、オウム事件報道の途中からあまりテレビに出なくなったが、結局は、紀藤正樹ら反統一教会の面々が、麻原彰晃の弁護人だった横山弁護士を葬り去るべく、横山が金だけ取って、債務整理を全くせず、その被害者300名と週刊文春等が猛烈に攻撃していた理由が分かった。実際に提訴したのは、10名程度、皆和解。これは正義でも何でもない、似非正義、似非人権である。米本さん、貴重な情報をどうもありがとう。

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