川崎・黒鳥・清水・村上・横溝・尾毛-揃い踏み(上) 

“救出カウンセラー”の素顔(7)


揃い踏み(上)
-相撲で中入り後、幕内の力士が全部土俵の上にあがって、しこを踏むこと-


 日本で拉致監禁を体験した韓国の日本人花嫁が韓国の日本大使館に請願書を渡したことは、「ニュース(25)」で書いた。その際、提出されたHSさんの「陳述書」を2回にわたって紹介する。

 2回目の監禁現場(土俵)には、川崎・黒鳥・清水・村上・横溝・尾毛の6人の牧師が揃い踏み。正直、驚きましたねえ。
 とても興味深いことが書かれています。

 日本基督教団の牧師さんにも、是非とも読んでもらいたい。

第1・はじめに
第2・統一教会の入会と両親の反対
 (1)私の統一教会入教 (2)両親の統一教会の反対 (3)1回目の拉致監禁 (4)2回目の拉致監禁に至った経緯
第3・拉致・監禁と脱会の強要
 (1)2度目の拉致の状況
(2)監禁の状況(3)脱会の強要の状況(4)渡韓
第4・終わりに


※今回は青色の部分をアップいたします。(注)とマスキングは筆者。
(注)には、陳述書をアップするために、韓国にいらっしゃるHSさんに直接インタビューした内容も盛り込んである。

陳 述 書</strong>(注1)
HS (42歳)




第1・初めに


 1967年11月10日、山梨県北巨摩郡高根町■■■■に生まれました。父は■、母は■■子、兄弟は3才上の兄■、4才下の弟■■がいます。地元の小中学校、山梨県立峡北高校を経て横浜の私立鶴見大学日本文学科に入学、1990年3月に卒業しました。

 1989年4月1日に統一教会に入教し大田教会に所属。伝道活動などに従事しました。
 私は、1度目は1992年6月から7月にかけて、2度目は1992年11月25日から1993年6月24日までの7か月、全242日間監禁されました。


第2・統一教会入会と両親の反対

(1)私の統一教会入教
 私は、大学3年の1988年10月10日、大田区蒲田駅前で■■■■さんに声を掛けられ、1989年4月1日統一教会に入教、1992年8月、韓国で行われた国際合同結婚式に参加し、韓国の人と結婚しました。1993年8月に韓国に来て現在に至っています。(注2)
 拉致監禁時、私の父親は、水道配管工事の会社に勤め、母親は農業をしている主婦でした。現在父親は農業をし、母親も手伝っています。(注3)

(2)両親の統一教会の反対
1989年5月頃、東京品川区に住む叔母や日本共産党員だった叔父が統一教会に反対し両親に連絡しました。
 私は両親と、私の将来と統一教会の教えなどについて時間をかけ話し合いました。
 母親は1991年3月にあった太田教会の信徒達で企画した「親交会」の集いに参加し、統一教会に対する偏見を和らげ、後に参加したセミナーの感想で、「統一教会は素晴らしい内容を語っている」と言っていました。

(3)1回目の拉致監禁
 1992年6月初め、2人の脱会者が両親を訪ね、「■■■(HS)さんを脱会させるために協力してほしい」と、長時間、母親を説得しました。母親は黒鳥栄牧師(横浜の戸塚教会)に会いに行き、山梨県の日本基督教団・谷村教会の川崎経子牧師を紹介されました。(注4)

 1992年6月24日、私は、山梨の実家に帰ったとき、外食後帰宅する時、車の後部座席に座らされました。
 父が運転し、助手席に兄、後部座席の右に母がいました。
 両親が「これから話しをしたいから一緒に行こう」と言いました。「家で話しをしたらいいでしょ」と言うと、「家じゃ話しにならないから」と答えました。そのまま山梨県富士吉田にある「ビジネスホテル吉田」に連れて行かれ307号室に監禁されました。(注5)

 吉田ホテルに着いたとき、父の2番目の妹夫婦である■■■、■■■夫妻が待ち構えていて、父が右腕、■■のおじが左腕を抱えホテルの部屋に入りました。
 両親のどちらかが1日に何度も牧師と連絡を取り、その指示を互いに伝え合っていたのが、両親の会話から分かりました。

 川崎経子牧師からこの場所で4日間、計10時間余、統一教会からの脱会を強要されました。
 ここはバス・トイレはユニットバスで窓はなく、部屋の窓は一箇所にしかなく、窓は少ししか開かないようになっており、窓から外に出ることは出来ませんでした。
 両親が常時いた他、父方と母方のおじ、おば合わせて10名が交代で監視し、常時5名ぐらいはおり、誰かがドアの近くで見張っていました。
 途中で、別のホテルに移されましたが、1992年7月23日の夜、両親が寝込んでしまったのを見計らいそのホテルを抜けだし逃げ帰りました。

(4)2回目の拉致監禁に至った経緯

 その後父親は、私の信仰を認めようと努力してくれました。しかし、母親はすっかり混乱させられてしまい、黒鳥栄牧師の教会へひと月に1,2度足を運んでいました。そしてもう一度統一教会から脱会させるために拉致監禁を計画しました。(注6)

 父親は「もうそんなことはしたくない」と言ったそうですが、最終的に黒鳥牧師が「監禁場所に来て寝ているだけでいいから来て下さい」と電話して父親を動かしたのです。
 自分が父親を説得したんだと、私が監禁されたときに牧師が話していました。
(注7)



第3・拉致・監禁と脱会の強要

(1)2度目の拉致の状況

 1992年11月25日午前6時、早朝祈祷会に行くために歩いていたところ、突然、数人の男性が現れ、私の体を抱えてワゴン車に押し込もうとしました。
 一緒にいた友人の■■■子さんは、2,3人の見知らぬ男性に体を地面に押さえつけられ身動きがとれなくなりました。
 私は「助けて」と大声を出し抵抗しました。

 商店街の人達が、何だ何だと窓を開けて見ました。しかし見知らぬ男性達が「あ、すみません。家出した子を連れて行くんです」と言ってそのままどこかに行ってしまいました。(注8)
 
 ワゴン車に私を無理矢理押し込んだのは私の父親と兄でした。
 車の窓は開けられないよう窓開け防止の金具がついていましたし、父親は私の腕をつかみ、後部座席には母親と兄がいたので何もできませんでした。

 見知らぬアパートに着いたとき、「車から降りたくない」と叫んで抵抗しましたが、強引にワゴン車から引きずり降ろしました。
 私は、降りるときに運転手と助手席に座っている若い女性に名前を聞きました。運転手は「村松です」、女性は「■■■子です」と答えました。(注9)

「村松です」と答えた男性は黒鳥牧師の夫の黒鳥佳臣氏です。「村松」と偽名を使ったのは、この拉致監禁の事実が明らかにされたらまずいと思ったからだと思います。
 私の聞くところでは、黒鳥佳臣氏は某高等学校の英語の教諭の職にあるそうです。拉致監禁に教育者たる者が手を貸し、信仰の自由を奪うなどということは決して許されるべきではないと思います。(注10)

(注1) この陳述書は、HSさんがある裁判のために1995年3月に書いたもの。

(注2)92年8月の合同結婚式は、新体操の山崎浩子さん、歌手の桜田淳子さんが参加した、日本のマスコミが大騒ぎしたときの結婚式である。当時のマスコミは2人だけにスポットライトを浴びせたが、HSさんのように拉致監禁から逃れて参加した花嫁も相当数いた。

(注3)この記述は正確ではなく、実家は兼業農家である。父親は会社に勤めながら、母親と農業を営んでいた。
 農繁期は春から秋にかけてである。陳述書にある季節に注目しながら、読んでもらいたい。

(注4)2人の脱会者とは、黒鳥氏によって強制説得された0さんとW君である。そのため、母親は黒鳥氏に相談するようになった。

(注5)「ビジネスホテル吉田」の←サイトによれば、08年1月にリニューアルしている。写真を見れば、風光明媚なところにあるようだ。
監禁中、HSさんは富士山を眺めただろうか。
 そう思って、質問したところ、「富士山を見た記憶はない」という。
 なお、同サイトの地図を見れば、川崎経子氏が牧師をしていた都留市の谷村教会からホテルまでは約15キロ。富士急行で25分のところにある。

 川崎氏は「私は(保護を)主にビジネスホテルでやっていた」と話してくれたが、ホテルでどのようにやるのか私にはピンと来なかった。だが、こうしてホテルの外観とHSさんの陳述を読めば、川崎氏のやり方をリアルに理解できるようになった。

(注6)母親は黒鳥牧師のところに月1、2回通ったという。母親の住まいは山梨県北巨摩郡高根町(合併して現在、北杜市)。黒鳥牧師の教会は横浜市の戸塚である。
 母親がどのような経路を辿ったか、HSさんに質問したところ、「最寄り駅の長坂駅から甲府。そこから中央線で新宿。山手線で品川を経由して、東海道線で戸塚駅だったと思います」という。
 川崎牧師に会うために鎌倉から都留市に通っていた、鉄道自殺をした母親のことが浮かぶ。

 ところで、川崎、黒鳥両牧師が連携していることはわかるが、なぜ母親はわざわざ遠くの戸塚教会に通うことになったのか。
「最初に相談に行ったところが黒鳥牧師のところだったこと、それと、私の拉致監禁に川崎牧師が絡んでいることが知られてしまったこと、さらにいえば、川崎牧師が私を全く説得できなかったことが理由だと思います。だって、川崎さんの原理批判はとても幼稚で、話になりませんでしたよ(笑)」

 なお、この陳述書では「黒鳥牧師」となっているが、これは誤りである。
 当時の黒鳥は伝道師にすぎなかった。「牧師の資格」をようやくにして得たのは、これから約10数年後のことだ。相当、デキが悪かったのであろう。それにもかかわらず、黒鳥はずっと、牧師と名乗っていた。資格詐称である。

(注7) 黒鳥牧師が父親に、娘を保護するようにと説得したという記述は注目に値する。
 というのは、弁護士を含め拉致監禁に関わる人たちは、牧師は信者家族から懇願され、なおかつ本人(信者)の了解を得たうえで脱会説得に赴いた??という嘘のシチュエーションを主張することで意思統一しているからである。「えっ、脱会説得に頼まれて出向いたときにはカギなんか見ませんでしたよ?ん」というやつ。
 しかし、この陳述書によれば、牧師が保護(拉致監禁)を信者家族に直々に教唆している。彼らの口裏合わせが破綻していることを物語る一文である。

(注8)初冬の午前6時はまだ通りは真っ暗だった。このため、HSさんを襲った数人の男性、また友人を襲った2、3人の見知らぬ男性の顔はよく見えなかったという。
 おそらく、戸塚教会の勉強会に参加していた元信者と元信者家族だったと思われる。
 HSさんを乗せたワゴン車が走り出し、「2、3人の見知らぬ男性」は近所の人に誰何(すいか)され、あわてて逃亡した。
 路上に残されたのは、押し倒された友人の女性ひとりだけだった。

(注9)「■■■子」は、『我らの不快な隣人』の110頁で登場した元信者と同一人物である。
「それから1カ月半後、黒鳥は元信者と一緒にやってきて、(高須美佐に)別の場所に移動することを告げた」
 この元信者は、黒鳥の強制説得によって脱会し、その後、戸塚教会で洗礼を受けた女性である。戸塚教会の勉強会に参加していた元男性信者と結婚している。

(注10) 黒鳥牧師の夫が拉致監禁の運転手役となっていたのは驚きである。
 当時、夫は陳述書にある通り、高校の英語教員。公職者である。

 黒鳥氏の夫と言えば、こんなことを思い出す。
 『我らの不快な隣人』には書かなかったことだが、宿谷麻子さんが拉致監禁に疑問を抱き、「夜桜餡」を開設した。このホームページは、今でもそうだが、黒鳥牧師たちにとっては喉に刺さった骨のような存在である。このため、何とかしてホームページを閉鎖できないかと思案していたことがあった・・・。
 ちょうど、その頃、麻子さんのアパートに、黒鳥氏の夫と息子が2人してパソコンの使い方を教えてくれとやってきたことがある。唐突な訪問であった。
 麻子さんは、「ホームページを何とかしたいと思って、やってきたのではないか」と振り返る。
 
 ところで、拉致監禁に牧師の家族が関わるケースはそれほど珍しくはない。
神戸真教会の高澤守牧師の場合、拉致監禁の移動時の運転を息子にやらせていたことがあった。その後、高澤氏が刑事告訴、民事提訴されてから、息子の精神状態が芳しくなくなったと聞いている。
秋田県の土崎グローリアチャペルの松山裕牧師の場合も強制説得に積極的に関わっていた。そのため、元木恵美子さんの刑事告訴によって、松山のみならず妻も起訴猶予処分を受けている。(『我らの不快な隣人』184?85頁、376頁<注5>参照)




-続く-

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沢庵和尚の春雨庵の庭にさりげなく置かれていた石像。
「統一がいくら悪うても、拉致解禁はいけませんぜ。統一も反統一も、もう少しのんびりしなさんせ」
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コメント

感嘆

迫力ある一文。

悪のベールが剥がされていく。続きが楽しみです。

高澤牧師の息子も被害者

あんな強烈なお父さんを持っと子供はたいへんですね~
その後おかげんのほうはどうなんでしょう。
川崎牧師の原理批判が幼稚っていうのは納得です。

ご子息情報

 YAMAさんのご質問に。

 神戸真教会のご近所情報によれば、高澤さんのご子息は閉じこもったような状態が続いているとのことです。

 高澤さんは67歳ですから、ご子息は30代でしょう。
 マンションに閉じ込められた統一教会の青年信者に“向き合う”前に、自分の家族(妻・息子・娘)に向き合えばいいのに・・・。そんな声も起きているそうです。

 以下は、高澤さんが被・脱会説得者に語った親子の会話です。

「おまえ、また車の運転をしてくれんか」(高澤)
「親父、また人さらい、するんか」(息子)

 ハリウッド映画の一幕のような-アメリカのマフィア一家の-なんとも殺伐とした親子の会話がなされていたようです。

 日本広しといえども、親子の間で「人さらい」のことを話題にするような会話がなされてきたのは、高澤家だけでしょう。
 高澤・父はなんとも思っていないから、監禁中の統一教会員に平気でしゃべったのでしょうが、高澤・子の心が痛む(傷む)のは当然のことです。

 では、黒鳥さんの家庭ではどういう会話がなされていたか。
 俄然、興味がわいてきます。
 妻・栄は、統一教会信者を拉致現場から監禁場所に連れて行くために、高校教師の夫にどんな風にして車の運転を頼んだのか・・・。
小説の材料になりそうです。

お気の毒です

高澤牧師の息子お気の毒です。まともな神経をお持ちの方なんでしょうね。
それにしても全国の反対派のご家族の方も心配です。黒鳥牧師の夫も偽名を使うところをみると、罪の意識を感じてるんでしょうね~。そのうち反対派のご家族が米本さんのところに相談にきちゃったりして・・。

親子

牧師さんとしては、
牧師をやっている以上、こういう相談に乗らざるをえない、
親から頼まれればやらざるをえない、らしいですけど、
結局お金が支払われているのだから、
何としても脱会させようとそれは頑張られますよね。

それとも一銭にならなくともやる覚悟でいたのでしょうか。
差し出した謝礼を辞退する人はいないでしょうから、
こうして統一教会員と家族をお客さんにしてる形ですけど、
悪徳商法の一つだと思われてなりません。
お金なんて人の価値観でどうにでも流れていくものですね。

信徒をだまして説得現場に連れてくるくらいなら、
いっそその信徒のことを警察で調べてもらったほうが
早いのではないでしょうか。
そんなに簡単には済まないにしても結局、
要はそんな話だと理解してます。

牧師さんはそのことを家族に説いて終わり。
それ以上は関われないです。親子の問題ですから。
個人的にはそんな風に思います。
こちらにとっては
お金に換えられない問題です。

牧師さんのお子さんもかわいそうです、
子供が親からのいろいろな負の荷物も背負わされる、
どこの家庭でも大なり小なりあるものと思いますが、あらためて
親子関係は果てしなく深くて重いものだ、と思いました。

説得者の家族

私の説得者は、家族と一緒に住んでいませんでした。理由は統一教会員から家族を守るためと言ってました。統一教会がいかに危ない団体であるかを、自分が家族と一緒に住めないことを1つの例として、説明してました。嫌がらせ位はあったかもしれないけど、具体的にどんな危ないことがあって、家族に危険が及ぶから別居したのかは聞いたことないです。具体例を挙げた方がより説得力を上げると思いますけど。
本当の理由はともかくとして、それでも私の説得者は、家族を巻き込んでないだけましだと思います。高澤牧師の息子さん、黒鳥牧師の旦那さんは気の毒です。子供は親を選べませんからね。反対派の子供もカルトの子と同じですね。

黒鳥牧師の息子

黒鳥牧師?の息子さん***君を一度監禁場所に連れてきたことがありました。後で***君が牧師に‘お姉さんの信じる所に行かせてあげれば良いのに’と言っていたそうです。‘月が僕について来る’と話す純粋な子供に監禁の現場を見せる牧師の神経が私には理解できませんでしたけど。

神様からのみ言葉

黒鳥牧師の息子さん
偉作君の「お姉さんの信じるところに行かせてあげれば良いのに・・」は、子供を通して神様からの警告、み言葉のように感じました。

息子さんの実名

牧師はともかくお子さんの実名はブログに載せて大丈夫なのですか?

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