川崎経子牧師の素顔?
“救出カウンセラー”の素顔(2)
?良心の呵責に苦しむ?良心とは「自分の本性の中にひそむ欺瞞・打算的行為・不正直・不誠実・ごまかし・怠惰な念などを退け、自分が正しいと信じる所に従って行動しようとする気持ち」。呵責とは「責めさいなむこと」。
皮肉な表現をすれば、良心がなければ、呵責に苦しむことはなく、平安な日々を過ごすことができる。
「路上保護」とは、大学のキャンパスや公道など、衆人環視の中で統一教会員を拉致することを意味する。なぜ、この時期に「救出カウンセリング講座」が開かれ、川崎氏はどうして生々しい「路上保護」という言葉をあえて使ったのか。
話は、このことを説明するために、本テーマ(自殺)からそれる。
この年99年は、反統一教会陣営にとって衝撃的な年だったといっていい。“救出カウンセラー”が立て続けに、保護説得から逃れた統一教会の信者によって、民事裁判で訴えられたからだ。
1月に今利夫妻が大田八幡教会の清水与志雄牧師(現、行田教会の牧師)と、横浜市・戸塚教会の黒鳥栄牧師。2月にアントール美津子夫妻が清水牧師。さらに5月に富澤裕子さんが神戸真教会の高澤守牧師を訴えた。
ちなみに、02年には寺田こずえさんが高澤氏を訴えている。(『我らの不快な隣人』第9章/野犬狩りを参照)
刑事告訴はこれまでもあったが、監禁された信者が牧師を親ともども民事提訴したのは“保護説得史上”初めてのことであった。
もう一つ衝撃的だったのは、「救出カウンセリング講座」後のことだが、私が99年の秋、別冊宝島『救いの正体』(現在、宝島文庫で同じタイトルで発売中)で、統一教会員に対して水面下で拉致監禁が行われていることを初めて具体的に明らかにしたこと、さらに翌年の春から宗教ジャーナリストの室生忠氏が月刊誌『創』で連載記事「知られざる『強制改宗』めぐる攻防」と題して、裁判のことを詳細に報じたことである。
ところで、なぜ、99年に提訴が重なったのか。その理由は不明だが、3人の牧師のやり方があまりにも暴力的だったからとしか説明のしようがない。(注2)
実際、やり方は乱暴そのものだった。
今利夫妻の場合は、妹の誕生日を祝うためにファミリーレストラン・デニーズで3人で食事をとったあと、駐車場で夫婦ともども襲われ、妻の理絵さんだけが監禁場所に連れ去られている。いわゆる、反統一教会の業界用語でいう「路上保護」であった。
今利夫妻が訴えた清水氏と黒鳥氏は、川崎氏にとって同じ日本基督教団の仲間。また、黒鳥氏は川崎氏が保護説得を伝授した直弟子である。そればかりではなく、アントール夫妻が訴えた訴状には川崎氏の名前も載っていた。
2つの裁判は川崎牧師にも関わること。それゆえに、救出カウンセリング講座の演者に選ばれ、そして「路上保護」の言葉を使ったのであろう。
話を本題に戻す。
川崎氏の講演の趣旨は、当日配られたレジュメによれば“救出カウンセリング”の過去・現在・未来。その冒頭に「路上保護」の言葉が飛び出したのである。
(以下は、レジュメと、講座に参加した元信者家族の証言によって再現したものである)
鉄道自殺のエピソードを語り始めたのは、保護説得の「過去」の話をしている最中だった。
川崎氏は涙を浮かべながら、レジュメに沿って、こう話した。
「信者のお母さんで、電車に飛び込んで自殺した人がいます。
この方の場合、保護をするにも頼れる親戚は誰もいなく、信者さんの兄弟は障がい者。お母さんしかいないのです。この場合、断るしかなかった。ほかにどんな(脱会)方法があったというんでしょうか!」
このあと、川崎氏は「保護説得を成功させるのは人数の問題ではない」こと、続けて「成功のカギは家族の愛情の深さによる」と強調して、講演を終えている。自殺した信者の母親が頼んだ保護説得には人数が少ないから断ったといっておきながら、その一方、保護説得の成功のカギは人数ではなく家族の愛情だと、矛盾したことを述べている。
川崎氏の心の中で矛盾していないと思っているとすれば、自殺した母親には「愛情が足りない」と思っていたからであろうか。
この講座のレジュメを私に渡してくれた元信者家族は、こうつぶやいた。
「救出カウンセラーって、いったい、なんなんでしょうかねえ。ほんとうに困っている人を助けるのが救出カウンセラーではないのでしょうか。兄弟に障がい者がいるからといって、信者を保護する人数が少ないからといって、救出を断るカウンセラーって、いったい、なんなのか・・・」
私が驚いたのは、この講座に参加した数十名に及ぶ学者、弁護士、牧師などの脱会説得者、元・現を含めた信者家族たちからは、寂として声なし、川崎氏の述懐に疑問の声があがらなかったことである。川崎牧師の大粒の涙にたじろいだのか、それとも、信者の母親が電車に飛び込み自殺したというその事実に悄然としてしまったのか。
私が参加していたら、川崎牧師にこう詰問していたと思う。
「川崎さん、どうして母親の『娘を脱会させて』という切なる願いに応えなかったのですか!直接、統一教会本部に乗り込んで、談判し、娘信者さんと会うようにすれば良かったではないですか。そのようにしたという人の話も聞いています」
「そもそも、人数を必要とする保護、つまり拉致監禁という手段に頼る脱会説得のやり方を改めればいいのではありませんか。ヨーロッパやアメリカでは保護ではない脱会説得の方法が行われていますよ」
「ひと一人が亡くなったのです。その事実の重みに、もっと誠実に考えるべきではないですか!あなたが流す涙よりも、信者である娘さんが流す涙のほうが、数倍も、数十倍も重たいと思いませんか」
ともあれ、この講座では、母親が自殺してから約20日後に『教団新報』(11月7日付)に投稿した記事(90年に出版された『統一協会の素顔』に再録)にある、川崎牧師の次の一文を一切、口にしてないのである。これはどういうことなのか。
「都留市駅に降り立ったAさんの心の中に、あの瞬間、何が起こったか知るすべはない。急に『私が死ねば娘は帰ってくるに違いない。私さえ死ねば・・・』という思いに取りつかれ、発車した電車の前に、飛び出したのではなかったか」
それにしても、保護(拉致監禁)説得を断られたからといって、なぜ、電車に飛び込まなければならなかったのか?
(注1)この原稿は『我らの不快な隣人』の初稿で書いていたが、入れると構成上アンバランスになってしまうので、編集者と相談のうえ、削除したものである。
(注2) 赤の他人である牧師を訴えるのは簡単だが、親を訴える心理的抵抗はものすごいものがあると思う。牧師だけを訴えることもできるだろうが、実際に拉致監禁したのは両親や家族・親戚である。牧師は直接、逮捕監禁罪に手を染めるようなことはしていない。つまり監督、コーチである。だから、牧師を民事提訴するには親も一緒に被告席に立たせるしかないのである。それゆえ、民事裁判は長い間、行われてこなかったのだと推測する。
訴えた3人の女性に共通するのは、拉致監禁を2回目も経験しているということだ。ここで訴えなければ、3回目もあるという不安と恐怖心が背景にあった。また、寺田さんの場合は韓国で結婚生活を送っていた。それを暴力的に夫から引き離されてしまった。提訴はそれに対する怒りもあった。
- [2010/03/19 19:10]
- “救出カウンセラー”の素顔 |
- トラックバック(0) |
- コメント(9)
- TOP ▲
コメント
肉を斬らせて骨を断つ
刑事で不起訴になり、三度目の監禁に怯えながら生活しなければならない苦痛。
勝敗が問題ではない。逮捕監禁事件がまかり通る社会に一石を投じることに意味があるとして、民事告訴がなされたのだ。
親を盾にしている、偽善者の諸悪の根元を、法廷という最も民主的な場で法によって裁かれることを望んだのだ。
まさに、親を斬らせて牧師たちを断つ所存であった。
1.2審は、反統一教会派の裏工作が成功し、原告は敗訴した。
しかし、最高裁はこれを破棄し、異例中の異例の和解勧告を出した。
この意味は実に重いものである。
清水牧師は『地球が丸いようにマインドコントロールは存在する。保護は絶対に必要だ!だから、オレは伝道はしない。霊界はないがUFOは存在する!オレは見たんだ!』と我が妻に言ったそうだ。
川崎牧師、清水牧師、黒鳥牧師も世の中から遊離しているように思える。
黒鳥牧師は妻の両親を、メチャクチャにコケ落とす発言をしていたそうだ。
そんなことも知らないで、いまだに反統一教会派の集会に参加する義母が哀れでならない。
統一教会は犯罪者集団だとして、やっと警察が入ったが、特商法違反で逮捕するのがせきの山だった。
統一教会をいくら叩いても、『サリン』は出てこないのだ。
拳銃一つないところに、武装した刑事たちがガサイレする滑稽さよ。
犯罪者集団?
だから緊急避難?
マインドコントロール?
だから保護?
馬鹿らしい話だ。
前回も書いたが、マインドコントロール理論は現在の精神科医学会ではもはや過去の遺物なのだ。
盲信教会員と逮捕監禁を良しとする反統一教会派の人々は、同じ穴の狢である。
何事も『中庸』が良い。
やっと分かりました。
このお母さんは、保護説得を断られて悲観されたんでしょうね。本当にお気の毒な事です。
障害者のお子さんを抱え、お嬢さんが居所が分からない。さらには、頼りにしていた川牧師から"保護説得"を断られたのであれば、相当絶望的になったと思います。
そもそも"保護説得"しかないと信者家族をあおっておきながら、できませんというのは、あんまりなんじゃないんでしょうか?
私は、川牧師が"保護説得"に踏み切る前に説得をうけたことがあります。たぶん84年ごろだったと思います。両親に牧師の話を聞けといわれ、しぶしぶ、都留まで電車でいきました。牧師館に二日ほど泊まって、彼女の話を聞きましたが、正直いって、感情論に終始していて、教理批判に対してはお粗末なものでした。
でもあれから川牧師は、上記の方法では、成功率が低く"保護説得”しかないと方向転換をしたんでしょうね。
私は、最近拉致監禁の被害者は、信者だけでなく、信者家族もそうなのではないかという思いに駆られます。子供を拉致監禁した親の中には、拉致監禁を後悔して牧師を恨んでいるという方もいらっしゃるそうです。
http://kidnapping.jp/book/book3-4.html
また反対派の父母たちの会合なんかでは、"保護説得"しかないといわれているわけですから、保護説得"に踏み切る事が親の愛情、踏み切れない人は愛情が薄いとかそういう空気があって、徐々に追い込まれてしまうのではないのでしょうか?
説得者のご機嫌を損ねてしまうと突き放されてしまうので、必死でしがみついている親たちの様子は、米本さんの本でも明らかになっていますけど、そうやって、親たちを"保護説得"に都合のよい思考回路に誘導しているのではないかと思います。
このお母さんが、都留で自殺をされたということは、重く受け止めなければならないと思います。
ただ、この方のお嬢さんの"保護説得"の道がたたれたのであれば、お嬢さんが身を隠す必要性はなかったので、こんなことをいっても後の祭りですが、つくづくそういう点でも残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
記事の加筆
YAMAさん、まだ続きがあります。引き続き、読んでくださいね。
読みました。
とても興味深い内容でした。
みなさんもぜひ、目を通してください。
田口民也氏(故人)の名前が登場していたことにも、少々驚きました。
なお、文中、「田口氏側から経費として40?50万円を請求されたという」とありましたが、40?50万円は誤植のようです。確かめてみたいと思います。
私も読みました。
統一教会信者には必ず親がいるわけで、このような手口を使えばボロもうけという感じで、ひどいですね。
自身の目と心で確認すべきですね。
それ以上に反牧の親や身内に対する大袈裟な情報が大問題だと思います。
家族との悲劇的別離
トマス・アキナスは修道院に出家するとき、商売を継ぐ事を望んだ父親の反対に会い、統一教会員のように監禁され、女をあてがわれました。女と性的関係になれば出家を諦めるだろうともくろんだ父親はこの時、本人も知らない内にトマスを試すサタンの代身者として行動していたのでした。
釈迦の仏教教団やイエスの教団が共に「子を奪うもの」として非難された事と今日の統一教会に対する「子を奪うもの」と言う非難は同じ線上にあり、いずれにせよ「親孝行をするためには親の言う事を聞いてはいけない」と述べた日蓮の対処法が正解でしょう。
我々は自らが完成する過程において、「家族との悲劇的別離」(ティリッヒ)を経験しなければならず、さらにその後「家族との奇跡的結合」を経験しなければならないのです。そしてかかる過程の全てが信者達を人格の完成へと導く“神の御手”と言えるでしょう。
Re: 家族との悲劇的別離
>我々は自らが完成する過程において、「家族との悲劇的別離」(ティリッヒ)を経験しなければならず、さらにその後「家族との奇跡的結合」を経験しなければならないのです。
まったくその通りだと思います。貴重な指摘、ありがとうございました。
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://yonemoto.blog63.fc2.com/tb.php/157-68a45bc0
- | HOME |
コメントの投稿