監禁した側(親)と監禁された側(子)の対話? 

保護説得と親子関係(10)


表現できない痛み


司会:親子同士で話が通じ合わないとか、誤解を生じたままだという部分がどんどん問題を深刻化していくということがあるわけですが、米本さんと麻子さんが作成された表のなかに1994年5月の子どもの動きと親の動きというのがあります。

 ここを見てみますと、麻子さんは山中湖畔のマンションから逃げ出して、一時期、新宿教会周辺のホームを転々とされました。それに対してご家族は新宿界隈を探し回わる。
 そのときの様子をちょっと触れていただければと思います。 

娘:山中湖畔から脱出したときに、まず最初に、アベルに電話を入れました。
 新宿で待ち合わせしました。
 そこでアベルに会って、初めて、すごくほっとしました。

 このままの拉致監禁の精神状態でしたら、精神は死んでしまうと思うほど、気持ちはズタズタになっていたので、逃げてアベルの元に戻ったときに、すごくほっとしたのを覚えています。

青年部長さんとか上の方がいらっしゃってレストランで「よく頑張ったね」言われました。それで、これからどうするのかということで、ホームを転々としたら良いのではないかと言われました。

 ホームで暮らしているとき、(再び拉致監禁されないという)安心が一番あったんですけれども、そんな中で、ときどき思い出すように悲しくなることが、たびたびありました。

 その後、伝導機動隊に入っていたんですけれども、そのときに、突然悲しくなったりして、夜、押し入れの中で、一人で泣いていたりしました。
 誰にも、苦しい思いを打ち明けることができませんでした。というか、打ち明けるほどの辛さとか、痛みとかの表現をすることが、よく分からなかった状態というのが確かなところです。

 どういう精神状態だったか、どういう痛みとか辛さがあったのか、そういうことさえも、口に出して言うことができないほど、まだ整理されていない状態でした。
 ただ怖くて今でも体が震えるんですけれども、とにかく外に出て歩くとき、誰かに見張ってもらわないと怖い。また拉致監禁されるのではないかと思うと怖い。そういう思いで一杯でした。
=あとで聞くと、「事実を淡々としゃべることはできるが、どうしてもその事実にともなう感情の記憶も蘇ってしまう。だから、話をしているとこわばってしまう」ということだった。


司会:一方では行方不明になった麻子さんを心配されて、ご家族は探し回られるわけですが、それについてお母様。

母:それから(麻子が逃げ出してから)というものは、すごく大変でした。何しろ住所も分からない、居所も分からない、ホームに戻ったと思うけれど、そこにはいないというし、どこにいるか教えてくれない。

そうすると、ますます不安になって、どうして良いか分らない、何に頼れば良いのか分からなくなりました。それで戸塚教会を訪ねたということです。


<話は2回目の監禁のことに>



子どもは親の所有物か


司会:
別表にある「父母の会」に相談するようになった経緯は?
「別表」94年5月の項を参照)


母:統一教会を批判する本の巻末に、「全国原理運動被害者父母の会」の連絡先が書いてあり、そこに電話で問い合わせしたら、「何日に来るように」ということでそこに行きました。

 それは新宿の早稲田にある、本間テル子さん(父母の会の代表)が主にやっているところでした。
 そこで、本間先生というよりも、法政大学の駒木先生(当時、工学部教授)の指示で、「黒鳥先生があなたには良いでしょう」と言われました。

 (黒鳥先生が)どこにいらっしゃるかも知らなかったのですが、戸塚教会とだけ聞きました。住所も知らないで戸塚駅を降りて、いろいろ人に聞いて、最初に行った教会は、カトリックの教会でした。訪ね歩いて、ようやく黒鳥先生の戸塚教会にたどりつきました。

司会:
「父母の会」では戸塚教会を紹介されたくらいで、具体的な指導は黒鳥牧師からされていくのですか?

母:そこの会(戸塚教会の父母の会=勉強会のこと)では、脱会者の方とか、まだ脱会されていない家族の方がいらっしゃって、最初のうちは自分を紹介した時に、「自分の子どもはとても良い子で統一教会に入るとは思っていなかった」といったようなことを話したり、そういういろいろなことを話しているうちに、自分のことも話すようになりました。

 自分は子どもに何をしてきたかというと、結局、私は良い子にさせようと、塾でも何でも押しつけて、勉強しなさいとしか、言っていなかったように思います。

 私は中学校しか出ていないので頭が悪いので、学校とか優秀にしなければならないと思って、すごく何でもかんでも押しつけて、子どもにやらせた。この子の意見は一切聞かずに、何も聞かず、「あれやれ、これやれ」で、なりふり構わず塾に通わせていました。
 学校の成績も良いときは褒めてあげればいいのに、「これでもか、これでもか」というふうに褒めもせず、もっともっとと、押し付けてやっていた。

 結局、私は、この子に押しつけて、駄目にして、自分の言いなりに育ててきた。自分の物として子どもを扱っていた。それが見えてきたのですね。勉強会に参加するたびに。

司会:戸塚教会で、お母さんはどんな指導をされたのでしょうか。
 相談された方の中にも、拉致監禁保護救出を決行される方もいれば、やめる方もいたと聞いていますが、その違いと言いますか、どこが判断の別れ目になりますか。お母様はどの段階でやろうと思われましたか?

母:私の場合は、この子が韓国の方と結婚するというので、韓国に行ってしまえばもう居場所も分からないし、今でさえも住所が分からないのに、韓国に行ったらどうなるのかと、今のうちに保護してしまわなければ、もうチャンスはないと思ったのですね。それで、路上保護をやった。

=母親が「韓国に行ってしまえばもう居場所も分からなくなる」と思ったのは、黒鳥牧師など反統一教会のデマ宣伝。詳細は『我らの不快な隣人』第14章の「韓国に渡った花嫁たち」を参照のこと。
?「今でさえ住所が分からない」というのは、再びの監禁が怖くて住所を知らせることができないという麻子の気持ち・心理が、当時の母親には理解できていなかったということである。
?路上保護とは、文字通り、路上とかキャンパスとか公衆の面前で拉致監禁することを意味する、反統一教会用語である)


 保護するかどうかは黒鳥先生の判断で行われる。あの先生はとても厳しいですから、「あなたもう来なくていいですよ」とストレートに言われる方ですから、ものすごく傷つきます。言われた方は。私も言われましたよ。

 でも「統一教会から出して」と、こちらからお願いするわけだから、黒鳥先生に「駄目だ」と言われても、がんばってお願いを続けていったというとこですね。
=子どもを脱会させるには「保護説得」しかないと教わる。それを信じ込めば、藁をもすがる思いで、保護説得のプロに頼るしかない。
 癌を治すすごい先生がいる(代替療法がある)と聞けば、患者は藁をもすがる思いで、そのドクター(代替療法)にすがりつく。それと同じである。麻子の母親に限らず、保護説得を実行した多くの親も同じだったと思う。


司会:麻子さんどうですか?

娘:黒鳥牧師はとても非常に気性の激しい人で、嫌な人は「あの人は嫌い」とか、はっきり言う方で、嫌な人の面倒は見ない。「あなたは来週から来なくていい。来なければあなたたちとは関係ないのよ」という感じの人でした。
 そのために黒鳥先生のもとで拉致監禁を諦めた人も多かったと思います 。

司会:はい、ありがとうございます。それではお母さんですね、子どもさんが統一教会に入って、心配されて、親御さんが牧師さんのところに相談に行かれているわけですが、最終的に拉致監禁までさせないために子どもの側からどういう風な事をしたらいいですか ?

母:統一教会に入った人たちは、「良い子」ばかりしていないで、ありのままの自分で、自分を隠さずに、親にこれは嫌だとか、あれはしたら嫌だとかはっきりと、何でも言えるような親子関係を築くことだと思います。(アベルに言われるような)親子の関係を作ったようなのではなくて。

 自分を振り返りみると、自分がやってきたことが分かります。
 これには、時間がかかるかも知れませんけれども、親とは本音で付き合っていけば良いんじゃないかと思います。
 親子のスキンシップ、普段から親と何でも話し合える関係がなさすぎるから、拉致監禁されると思いますよ。

続く

 

故郷紀行(3) 

 松江城の隣にある島根県庁前の出雲庭園。
 出雲庭園の三大要素は「主木が盆栽風に手入れされた黒松である」「砂地に飛び石がある」「石組みがある」。
 華やかさはまるでありませんが、出雲庭園は質実にして剛健な感じがします。
 
 出雲庭園で秀逸なのは、足立美術館。美術館もすばらしいけど、庭は見事というほかありません。
 

2003_0318画像0003

2003_0318画像0014


関連記事

コメント

表現できない痛み

>誰にも、苦しい思いを打ち明けることができませんでした。というか、打ち明けるほどの辛さとか、痛みとかの表現をすることが、よく分からなかった状態というのが確かなところです。

>どういう精神状態だったか、どういう痛みとか辛さがあったのか、そういうことさえも、口に出して言うことができないほど、まだ整理されていない状態でした。

この感覚、良くわかります。私は最初の監禁から18年間ずっとそうでした。
教会では、監禁されて落ちた人のことを「何か負債があったのだ」とか「監禁中に負債をつくって離れた」とか言う人がいました。だから2度目の監禁後は自分は負債をつくってこんなに生きづらくなったのだと自分をせめてばかりいました。自分は弱いから、自分は駄目だからこんな状態になったのだと...。おなじ監禁体験者だとしてもけしてわかり合えるはずはない、と信じ込んでいました。監禁の問題からも遠ざかろうとしていました。

今回、ある事件があってオーバーヒート状態になって、この問題と直面しなければならない状況においやられました。正直、本当に苦しかったのですが、今も苦しいですけど、米本さんの本とブログに出会えて18年ぶりにはじめて自分を整理し、客観的にみられるようになりました。本当にありがとうございました。
現在の私は、外見だけみたら、突然、対人恐怖症になって不安障害みたいになって後退してしまったように見えるかも知れません。でもわたしの中ではいろいろなことが整理され、問題が解決していき、これからの生き方のようなものがはきっりして、大きく前進した4ヶ月でした。

そしてふと思ったのです。どれだけの人が今もこの[表現できない痛み]のなかで苦しんでいるのだろうか、と。
「知る」ことも癒される第一歩であると思います。
でも、自分がどうして苦しいのか、そのことを知る機会さえない人たちが多いだろうと思うと悲しいです。

米本さん、ありがとうございます。それから、これからも頑張ってください。


追伸;
米本さんへ。
前回「出さない手紙」の話をしてくださいましたが、私は今回両親に手紙を出しました。機会があればまたメールでご連絡します。




コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://yonemoto.blog63.fc2.com/tb.php/137-a173f20d