監禁した側(親)と監禁された側(子)の対話? 

保護説得と親子関係(9)

アベルと嘘

司会:ありがとうございました。その無理さが(アベルの指示に従って親子関係を良くしようとする麻子の無理さが妹に)気味悪く思われたと言うことですね。
  (妹さんが変化に気付かれ)、麻子さんの入信を知ってから、お母さんは教会側の責任者と何かやりとりがありましたか。

母:それはないです。反対に親戚に相談して、麻子をどうしたら良いか相談しました。私は、あまり週刊誌とか世間のことは知らなかったので、どうして良いか分からなくて、それで親戚を頼ったんです。
  親戚と、それこそ、こそこそと会って、麻子に内緒で相談していました。
 
 その結果、主人の弟に説得してもらって、麻子はやめるということになったんです。それならと、主人の弟と麻子と主人の3人で、麻子が通っているホームへ行って、脱会の届けを出したんです。

「別表」の92年11月の項、また拙著『我らの不快な隣人』の46?50頁を参照。92年11月、麻子はアベルの指示に従い、偽装脱会する。家族・親戚は安堵する。別表は、表の上のツールバーの<縮小・拡大>ボタンで大きさの調整を


司会:教会に対して苦情を言うとか文句言うとかは考えなかったですか。

母:考えませんでした。

司会:麻子さんの入信問題が家族・親戚で問題になったことを受けて、統一教会からはどんな指導を受けましたか。

娘:アベルからは、「とにかく親子の状況が良くないので、まずは偽装脱会して、親子の関係を築くように、信頼関係を取り戻すように」と指導されました。それで、妹や父や母ともなるべくうまく接するようにしたわけですが、それが妹から見れば不審に思われたようです。

司会:教会の指導で麻子さんにとって、振り返ってみて、これは良くなかったとか、まずかったとか、ありますか。

娘:その時、例えば、日曜礼拝の時に説教の中で言われたことですけど、無私、「無私の自分になれ」という御言葉がありまして、その通りに実行していたんですね。それを実行していく中で、私の意志というものがなくなった状態になった。それがまずかったと思います。
 私の状態が、常にアベルの意見を仰ぐ感じになっていて、私の思う意志というものがないような状態になりました。

=日本・統一教会に特有な「アベル・カインと呼ばれる組織論」についてはいずれブログで書く予定だが、監禁もされていない段階で、偽装脱会をアベルが指導したのはきわめて問題であろう。現役信者もまたアベルの立場に立つ信者も、親に嘘をつくようなことはやめるべきである。親にとっては、統一教会に入信したことを知ったときのショックよりも、子どもに嘘をつかれたことのショックのほうがはるかに大きいのだから


司会ありがとうございます。それではお母さんですね。辞めたはずの麻子さんが統一教会に入っていた。それがわかったとき、その瞬間、統一教会のイメージとか、何か不安とか、教会のイメージはどんなものでしたか。
 親戚の方に相談して、その後いろんなことで変わったと思いますが、一番最初のお母さんのイメージはどのようでしたか。

母:私は麻子が辞めると言ったのを、信じていたのです。親戚の人に娘は辞めてないよと言われても、そんなことはないと、辞めていると信じていたのです。ところがまた麻子が、もう一度また統一教会に行くと言い出した。「行っていい?」って言ったから、びっくりしたのです。

 統一教会は、悪いところだ、給料を全部とって働かせたりするところだ、と聞かされていました。献金以外にも貯金とかなんとか、みんな出しているみたいだとか分かった時に、「これは困ったなあ」という感じがしたのです。

 それでまた、麻子に内緒で親戚の者と話し合いました。

 近所の教会に相談に行ったこともあったのです。そこの教会の牧師は鍵をかけてはいけないと言われました。反対派ではない(一般の)牧師さんでした。

 でも、結局、親戚の提案で、親戚が所有する山中湖のマンションに麻子を入れて、説得することにしました。

 私は監禁するという気持ちは、毛頭ないものですから、私がもう疲れて話すのが嫌だと感じたら、それじゃ一緒にみんなで買い物に行こうよとか、今日は散歩に行こうとか、監禁らしくないことをしていました。

 私は監禁するということ自体が、あまりよく分かっていなかったのです。なにしろ監禁と説得は、親戚の者がやっていて、私は余計なことばかりしていた感じだったのです。
「麻子、下の階に行けばね、妹が卓球しているから、行ってくればいいよ」とか、平気で、麻子に監禁らしくないことを言っていたのです。

 それで、麻子が逃げて行ってしまって、統一教会に帰っちゃったのです。
 私はどうしたら良いか分からなくて、茫然自失みたいになって、すごく困りました。どこに行ったか、統一教会に逃げたのか。良く分からない。統一教会に帰ったかどうかも分からない、とにかく途方にくれて、麻子の住んでいる家を捜しました。=拙著51?55頁、61?62頁)

司会:お母さん、統一教会について初め、どういうイメージでしたか?
 (桜田)淳子ちゃんの統一教会とか、霊感商法の統一教会とかですか。お店が忙しくて全然情報がなかったですか?

母:私、統一教会のこと、全然知らなかったのですよ 。

司会:全然知らない。親戚の方が詳しかったということですか?

母:ええ、親戚に言われるままに、保護や説得をやっているっていうことが多くて。
 とにもかくにも、私には店のことが常に頭にあり、パニックになっていた。

(そのあと、日本基督教団所属の黒鳥栄牧師の)戸塚教会に行ったのですが、子どものことより、商売を辞めたことのほうが大きかった。
 戸塚教会の勉強会には一年くらい行くのですが、ともかく落ち着かなかった。脱会者の方々の話とか聞いても、全然覚えていないのですね。私の頭の中は商売を辞めたことが中心で、ふらふらして落ち着いて人の話を聞くことができなかった。=黒鳥氏は現在、全国統一協会被害者家族の会で、家族の相談担当になっている)


米本:補足しておきます。麻子さんは、94年5月に親戚が所有する山中湖畔のマンションに監禁されます。

 その前の状況のことですが、親戚の人がマンションで話し合おうと提案した。話し合いに入れば日数もかかる。

 その頃は、お母さんのお肉屋さん、おじいさんの代から始めたお肉屋さんは、売り上げがどんどん下がっていたときでした。

 お母さんにとって、おじいさんから受け継いだ店を何とかしなければいけないという思いがものすごくあった中で、結局、山中湖湖畔のマンションで監禁することになり、店を閉じることになった。
 それがお母さんにとってはものすごくショックだった。

 それにもかかわらず、山中湖畔のマンションから、麻子さん2週間くらいで逃げてしまった。

 その後、新宿界隈を探し回った。探し回って帰ってくると シャッターが閉まった肉屋を目の前にして、おじいさんに申し訳ないことをしたという気持ちになる。

 その次に、黒鳥牧師の勉強会に参加するのだけれども、店を閉めたことがパニックになっていて、勉強会どころではなかった。黒鳥牧師が話をしていても、お茶をくんだり何かしている、パニックで、頭が真っ白になったような感じで、勉強会の部屋をうろちょろしたりしているような精神状態だったということです。

司会:はい、ありがとうございます。麻子さん、何か補足はないですか。

娘:私が監禁される前というのは、父も母も、店が傾いていることにすごい不安感をもっていて、毎日毎日、店をどうやって立て直すかということばかり。私は毎日のように質問されていました。

 とにかく、私の状況など分かりもせず、店のことだけしか聞かないのですね。両親は、私が統一教会に入っていることを知っていても、頭が真っ白で何も分からなかった状態だったと思います。それは監禁現場でも、父母はパニックの状態のままだったと思います。だから、私に質問したり、辞めろと言ったりしてきたのは、親戚の人たちでした。

続く
故郷紀行(2)


 写真は松江城の外から見た掘りと城(上)、城内から見た堀と武家屋敷(下)。武家屋敷の写真左側には小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧居があります。ハーンが松江に住んだのはわずか一年余りですが、このときに日本の美しさの虜になったと言われています。
 ハーンは1896年に東大の講師になったときに帰化します。名前の「小泉」は妻(松江の士族の娘)の姓、八雲は出雲の枕詞、「八雲立つ」から取ったものです。

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コメント

こんにちは。
私も監禁下でないのに、偽装脱会する(嘘をつく)のは止めた方がいいと思います。私は家から支部の青年部に通い、前線していた頃、母から知り合いの牧師に会いに行こう、と言われました。その牧師は反対牧師ではなかったし、まさか自宅にいるのを拉致監禁もないだろう、と思い、私は会うつもりでした。でもアベルに報告したら、危ないから会ってはいけない!と言われました。それで、アベルに協力してもらい、急な仕事が入ったことにして会わなかったのです。その半年後に1回目の監禁をされました。他にも一杯嘘をついたし、それが親にとって辛いことだったと言われました。
拉致監禁による説得は問題あるけど、その原因を作っている一つは、統一教会の嘘にあると思います。

「無私になる」は、本当に難しいことだと思います。アベルでさえ時には、魔になることもありますから私は、指示に対して自分の良心が納得できなければ無視し、別行動を出た結果・・兄から信頼を得ることが出来ました。長子権復帰の試練だった。もし、アベルの言いなりに行動してたら、兄からの「ありがとう、いつもすまない・・」との言葉をもらうことは、絶対になかったと思うし、結果に対しての責任は、自分なのだからアベルの意見は、参考程度で納得できなければ従う必要は、無い・・自分の環境と状況を全て把握してるのは、自分と神様なのだから・・自由意志までもアベルに委ねたことが間違いなのでは?ないかと結果を見て判断できるようになりました。

アベル&嘘

 kiyomiさんがおっしゃる通り、嘘をつくのが一番、良くないですね。統一教会云々に限らず、親からすれば、子どもに嘘をつかれることほどショックなことはありませんから。

 ただし、嘘をついたことが原因となって、拉致監禁が生じるという指摘はどうかと思います。

対話の主人公、麻子さんは一度は嘘をついたけど、その後、正直に統一教会であることを明かしました。それなのに、拉致監禁されてしまいましたから。

教会員(子ども)が親に嘘をつくようになったのは、ある牧師が信者家族たちに語ったところによれば、1985年以降のことだといいます。1985年といえば、拉致監禁事件が頻繁に起きるようになった年でもあります。

鶏が先か卵が先かではないけど、親は拉致監禁をやめる子どもは嘘をつかない-というようにならなければ、まともな親子関係になることはないでしょうね。不幸な話です。

 弥生さんの投稿もその通りだと思います。現役教会員の方には「自由意志までもアベルに委ねたことが間違い」という指摘に、どうか耳を傾けてください。

 信仰についてはアベルは先輩でしょうが、現実の親子関係といった実社会、実生活については疎い人たちが多いように思えます。嘘をつけば拉致監禁から免れるなんて考える人たちですから。

 大切なのは弥生さんが語っているように、個々人の良心だと思います。

若干の修正的補論

kiyomiさんがいう「嘘」とは、たんに統一教会をやめたとか、急に用事が入ったとかといった、拉致監禁防止に関する嘘だけでなく、様々な嘘の塊のことをおっしゃっていることに、投稿してから気がつきました。浅読みでごめんなさい。

統一教会云々とは関係ありませんが、一つの嘘をついてしまうと、その嘘を取り繕うためには別の嘘を、さらにその嘘を取り繕うためにはまた別の嘘をつかなければならなくなってしまう。

今利さんが訴えた裁判での、被告の黒鳥牧師や清水牧師の証言もそうでした。

立場とは関係なく、嘘は方便ではなく、やっかいそのものです。

再びのコメントで失礼致します。私は目立ったPTSDもなかったし、拉致監禁によって統一教会を辞められたからよかったと思うようにし、親や説得者に感謝するようにしてましたし、自分が加害者と思ってました。そして拉致監禁のことは忘れてました。結婚してから、他の悩みに支配されていたこともありますが。だから、このサイト等を通して、拉致監禁や統一教会信者時代の自分を見直せてよかったです。私は信者時代一杯嘘をつきました。だけど、監禁下以外では偽装脱会はしなかったし、霊感商法も(私はしてなかったけど)意味があってしていることを親には話しました。でも、統一教会は組織ではしていない、信者が勝手にしていると言っていたのです。牧師が拉致監禁下で説得しながら、拉致監禁してない、親が勝手にしてるというのは、統一教会と同じだと思うのです。統一教会も反統一教会も正しいことをしている自負があるなら、嘘はつかないで欲しいです。

私は説得者にうそをつかれました。

koyomiさんのコメントを読んでまったくそのとおりだと思います。うそというのは、信頼関係をなくすと思います。私も、監禁される前、親についたうそについてはとても反省しています。
 私は、20年前、拉致監禁をされて、ある説得者に説得をされましたが、その人からうそをつかれました。私は、監禁される前、その説得者のことを、敵ながら、正義感に燃え、統一教会に子供をとられて困っている親に対し、誠心誠意で、説得に当たっている人だと思っていました。私の中では、うそはつかない人だという印象が、監禁される前からありました。
 ですが、監禁されて、初っ端いわれたことがうそでした。まあ、私は監禁されていたわけで、うそかどうか確かめようがなかったのですが、解放されてから調べたところ、うそだということがわかりました。で、私は、その後、説得者にその事実を確かめにいったのですが、思いっきりはぐらかされた挙句、○○ちゃん(○○は私の下の名前)は、まじめすぎるんだよ~。もっと遊べといわれました。
 原理が正しければ俺は腹をかっさばくが口癖の人でしたが、小さな人だな~と思いました。
 ひとつのうそが信頼関係をなくすものです。米本さんのおっしゃるように、子供にうそをつかれたことで、拉致監禁を正当化されるということはあってはならないことですが、信頼関係が崩れることから、親もそういう方向にいってしまうということもあると思います。
 

アベルと嘘

私も、嘘は言いました。最初、統一教会へ霊の親 (oさん) から誘われて教会へ行ったときは、正直に (統一教会)へ行ったと親に話しました。ものすごく反対されて3日でやめました。理由は、マスコミからの影響だと思います
。その後、ビデオセンターに (oさん) から勧誘されていきまして、そこで自分は、(ここは統一教会ではないのか?) 尋ねましたが (統一教会ではありません) と否定しました。親にビデオセンターの事話したら、統一教会だろう? と感ずいてました。私は、違うと嘘を言いました。そのことがばれて、父親から、(なぜ嘘をつくんだ!それが統一教会の教えか!) と言われたとき、とてもつらかったです。よくアベルにこの事を相談したら、<自己中心の嘘はいけないけれど、神様を動機とした嘘はいいんだ!> これを、大義名分というか免罪符にして、金集めをやったりしました。はっきり言ってこれからは、<統一教会> と堂々と名乗って萎縮しないでほしいと思います。嘘をつくとさらに嘘をつかねばならないし、嘘をつかれた方も気分悪いですから。

嘘とマインドコントロール

嘘に関する投稿、ありがとうございました。とても勉強になりました。

YAMAさんの次の指摘、
「私も、監禁される前、親についたうそについてはとても反省しています」
「米本さんのおっしゃるように、子供にうそをつかれたことで、拉致監禁を正当化されるということはあってはならないことですが、信頼関係が崩れることから、親もそういう方向にいってしまうということもあると思います」

-は、考えさせられました。

 考えた結果、「嘘」と「拉致監禁」との因果関係はこういうことではないかと思います。

 教会員が「嘘」をついたからといって、 拉致監禁されることはあり得ません。ましてや、正当化なんて、とてもできやしない。
 しかしながら、教会員の方々は宿谷さんのお母さんも指摘されているように「とてもいい子」です。
 教会員になる前は、ぼくのような一般の子どもと違って、嘘など一度もついたことはなかった人が多いと思います。

 そんな「いい子」が親に嘘をつくようになる。一度ならいいけど、嘘の上塗りで、嘘の塊になってしまう。

 そうなると、似非科学としかいいようがない「マインドコントロール論」が、親の心にすっと入っていくのだと思います。

 うちの「いい子」が「嘘」をつくようになったのは、牧師先生が言う通り、「マインドコントロール」されているからだ。
 ああ、どうしよう。
 マインドコントロールには、なにやら素人ではわからない最新の心理テクニック(その実、たんなる実験心理学の実験データの集積でしかない)が使われているようだ。うちの子どものマインドコントロールを解くには専門家を頼るしかない。

 そして、その専門家は厳かに言う。
「マインドコントロールされているお子さんを統一教会から脱会させるには、保護説得しかない」(たとえば宮村峻の言葉)

 このようなわけで、「嘘」と「拉致監禁」とが結びつくようになったのだと思います。

 話は変わります。
 戦中あるいは戦後でも、「おまえは日本共産党員か」と質問された場合、
「はい、そうです」と正直に答えるのは、 バカそのものです。戦中にそのように答えれば、拷問が待っていました(拷問の先は転向しなければ死)。戦後でも、そのように答えれば、賃金差別、毎日草むしりという差別が始まります。

 その意味で、すべての嘘が絶対的に間違いかといえば、決してそうではない。

 私も嘘をつきます。老母から「元気かい」と電話がかかってくれば、風邪をひいていても、意識してふつうの声で「元気だよ!」と答える。
 なぜなら、「風邪で熱があって頭が痛く、布団の中で苦しんでいる」と正直に答えても、遠く松江に住んでいる老母は心配するばかり。正直に答えても、いいことはなに一つありません。

 このように嘘のことをいろいろ考えていくと、簡単ではありません。

 そうはいっても、小川さんが過去の話を述懐してくれたように、「自己中心の嘘はいけないけれど、神様を動機とした嘘はいいんだ!」といった、バカでアホでマヌケで、一般社会ではまったく通用せず、信者の献金でメシを食わしてもらってるような極小河原乞食だけは許せませんね。

「ビデオセンターが統一教会とは関係ない」という嘘が、どうして「神を動機とした嘘」ということになるのか。このように、神の名を平気で使うようなアベルには即刻退場してもらい、きちんとした職を見つけてもらいたいものです。どうせ、一般企業では採用されない輩であり、統一教会にしがみついてメシを食うしかない哀れな人ではあると思いますが。

 こんなクソアベルがいるから、拉致監禁はなくならないのだと思っています。

 最近も、いやな話を聞きました。
 親から誰何されると、当人はアベルの言われるままに「統一教会はやめました」と答えた。これって、嘘にどんな意味があるのか!
 アベルもカインもバカ丸出しです。
 まだまだこの話は続けたいのですが、血圧があがりそう。今度、ブログに改めて書くことにします。
 バカアベルの実名を出して、やりたいです。 

神は、サタンに対して方便を使わない

「神は、サタンに対して方便を使わない。そうだろう。神は、サタンに対しては、いつも善をもってする。方便では、サタンは屈服しない。(中略)

もしも、ある一人が、ある一つの特定の地域のために、その責任を果たさんがためにうそを言った。それが統一教会の食口である。それを認める人が政府の責任者だったら、統一教会は一時にぶっ壊れる。そういう基準になる。そうだろう。「これは国家的に許されない。社会的その悪をふやす所の団体だ」。そういうことになる。

そういう例として、ヤコブとかモーセの例を言うだろう。それは違うよ。ヤコブはハランにおいてラバンの所で何回もだまされた。ヤコブがだまされたことに対し、サタンも認め、神がしゃくに触るほどだまされた。神がたまりきれないほど、ヤコブは忍んできた。(中略)

統一教会において「原理」を聞いた。次の日に里のほうに行ってうそを言ったら、それは善か。そうはいかない。それで別れるようになるというと、父母と永遠に別れる。友達と永遠に別れる。(中略)

これは、日本において、そういう社会問題になってくるようなことがあるんじゃないかということで、心配しておる。

光言社 『おかえりなさい真のご父母様』(P123~124)より抜粋」
以上1967年6月13日 本部教会での説教

文師は伝道において、決して嘘があってはならないと、こんなに昔から指導している。
さらに、嘘をつくことによって、国家的迫害が起きることを心配されているのだ。

ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきました。しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。

キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。言葉だけきれいなことを言って、自分は実行していないことがあるからです。人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。

マザー・テレサ愛と祈りのことば  より


自戒を込めて、この二つの言葉を引用させていただいた。

統一教会も反統一教会も内省していただきたい。

逮捕監禁、脱会の強要は刑法犯です。賢人のすることではない。

「いい子」と嘘とショック

こんにちは。私は信者でありますが、koyomiさんの発言や
米本さんの発言、弥生さんやyamaさんの発言は、その通り
だと感じています。本当に、自戒と反省が必要だと思います。

>考えた結果、「嘘」と「拉致監禁」との因果関係はこういうこ
>とではないかと思います。 ~中略~
>「嘘」と「拉致監禁」とが結びつくようになったのだと

これも同感です。ただ、私見ですがこの内容に関して、私自
身を振り返ってみた場合、感じる事があるんです。それは教
会と関り合う以前より、私は親の前で「いい子を演じていた」
ということです。さらに言えば「親にとって『いい子』を演じて
いた」になるのでしょうか。

私の場合、その様に振る舞わなければ自分の存在を認めて
もらえない…と子供のころから感じていたからです。でですね
私は親から伝道されたのですが、親は現在自主退会をして
いるんです。親が退会する際、当然、私にもそれを求めて来
ました。

私はそれに従いませんでしたので、監禁こそありませんけど、
元が信者ですからマインドコントロールといった言葉も飛び出
す、親との長く苛烈な応酬の連続となったのですが(ちなみに、
現在親との関係は良好ですよ)、その時、親がぶつけて来た
想いが、「あんないい子だったのにどうして?」だったのです。

そもそもの話、私は「いい子」でなんかなかった訳です。親の
言う「いい子」とは、親の押し付けと思い込みという側面が色
濃く私はそう演じざるを得なかった故そうしていたのですが、
親はそれを理解して(理解しようとして)いなかったんですね。

にもかかわらず「あんないい子だったのにどうして?」という想
いをぶつけて来たのは、子を想う気持ちというよりは(ないとは
言いません)、自分の都合の良い様にしたいといった気持ちを
より優先させて来た結果でないかと私は思うのです。つまり、
そこに至るまでの親子関係の不正確(身勝手)な認識に、この様な人の気持ちを無視したかの様な形(拉致監禁もこの形だと思い
ます)で感情が迸る
要因の一端があったのではない
かとも思うのです。

拉致監禁と嘘を考える時、教会の未熟な指導を起因とした、
親への嘘。しかも一度ならず、嘘の上塗りで、嘘の塊になっ
てしまう事。神様を動機とした嘘はいいんだ!という発言。
また、状況を詳しく知らないにも関らず、他人が安易に親子
の状況に言及する事等々。それらは、全くもって言語道断
だと私も思います。また「親にとっては、統一教会に入信し
たことを知ったときのショックよりも、子どもに嘘をつかれた
ことのショックのほうがはるかに大きい」もその通りでしょう。

けど、私も親ですので他人事ではありませんが、ウチの
「いい子」に嘘をつかれショックを感じたとき、そしてその
ショックを元に行動(拉致監禁)しようとする時。そのショ
ックの原因を、一方的に他人に求めるか、自分の内にも
要因を求めるかでその後の対応や関係に違いが出てく
るのではないでしょうか。

誘因は確かに統一教会かもしれません。けど、マインドコントロ
ールといったそれらしい話だけで現状を誤魔化すのでなく、自分
と子供の関係性を正しく認識していない…ホントは「いい子」で
はなく自分がそう演じさせてしまっていた…といった可能性にも
目を向けることが、親としてはプライドが揺すぶられる事かもし
れませんけど、大事ではないかと私は思う次第です。(自戒)

米本さんへ

久々にブログを拝見しております。その中で、6日ほど前のこの内容に一言言いたくてコメントさせてもらいます。
皆様は「絶対信仰」をどう捉えていらっしゃるのでしょうか?私も当初はアベルの言う事に従え的なことを感じました。しかし、それってどうなんでしょうか?それって神様に対しての信仰というより、アベルに対しての服従ではないでしょうか?
ともかく、元々私は反抗的に出来ている人間でしたので、根本的に疑問を感じていましたが。その後、教会に通ううちに「自分」という意思がなければならないと教えられました。アベルでさえ、与えられた立場であるだけで、普通の人間に変わりはない(いわゆる堕落人間)と知り、絶対ではないと気付きました。確かに、信仰を続けていく上では「アベル」の意見も必要ですが、最終的には各々の「良心」が判断するべきものだと思います。
表題の「アベルと嘘」で離れた方々は沢山いると聞いています。また、教会に対しての不信感が募り辞めた方も多いということを知っています。実際、何人も知っている方々が時には共に歩んだものの今となっては背を向けています。
しかし、本質的にみてみるならば、そういうことは起こらないのではとも思います。ここでこう申すのも申し訳ありませんが、アベルの言われたままやったのに…と恨みを抱くのではなく、そこに自分の意見がなかったのではないでしょうか。今までの教会がやってきたこと、指導してきたことそのすべてがすべて正しいとは思えません。確かに間違ったこともやってきたと思います。どこかに記載がありましたとおり、どこか人間性の欠如を感じる中心者等もいます。幸い私の周囲にはあまり多くはいらっしゃいませんが。
今は教会自体も透明性を目指しています。ということは今までどれくらい不透明だったのでしょうね。私はわかりません。教会を隠し、騙しているかのようなことは行いたくありません。逆に「宗教をやっている」と言われたくもありません。私自身、宗教は嫌いです。神様を信じているという信仰心をもっていただけで。だからこそ、もっと堂々と既成キリスト教よりも神様が近いココに居るのだと言いたいですが、いまだ長年の既成概念が日本中をかけめぐっているが故に、拉致監禁を恐れ、両親に証出来ていないのが現状ですので、いっぱしのことは言えませんが。
米本さんのブログには、離れた方、今も教会に繋がっている方、どちらにも属さず客観的にみられている方などいろんな方がいらっしゃって、日々いろんなコメントをされていますよね。それぞれがそれぞれの見方や意見をされていますが、それを見て本当にいろんな思いにさせられます。ともかく、教会云々の前にに沢山の方が苦しみ傷ついてきた拉致監禁というものが、明らかに憲法違反のマガイ行為が今もなお続いていますので、それが一刻も早く解決されることを望むものです。
私も知っている方が現在進行形で被害にあっています。また、過去2・3度も被害に合いつつ信仰を保っている方も身近に知っています。とても心苦しいものです。統一教会の信仰を持とうが持たなかろうが、ただ、正しく知って欲しいと思うばかりです。

Re:米本さんへ

◎猫娘様

初めまして、ヒロシと申します。統一教会の信者です。横レスで
恐縮ですが、感じること書かせて下さい。

「絶対信仰」ということに関して、おっしゃられることその通り
であると私は思います。他方、私見ですがこの様にも感じる次第
です。何かと言えば、「そこに自分の意見がなかったのではない
でしょうか。」とのことですが、そういう傾向が出ざるを得ない
場合もあるのではないかということです。

私自身を振り返って見た場合、それに反論出来ませんが、親子関
係の流れの中で子供のころから自分の意見を主張する事が許され
ていなかった…というバックグラウンドがありました。つまり、
「自分の意見を持つ」という経験が少ない状況にあった訳です。
結果、極端な表現をすれば「自分の意見を持つ事(主張する事)
は悪いこと…」そういう風に考えていた時期もあったのです。
言い換えれば「抑圧していた」んですね。

もちろん、その事も最終的には私の責任に帰着すると感じてます。
けれども、「自分の意見を持つ」というごくごく当たり前な事自体
が、様々な要因によって難しく困難であるという心理的状況も有
り得るのではないかという事、お伝えしたいなと思った訳です。

そしてこういう心理状況は、殊、親の子に対する姿勢が影響を与
え易いと、自戒の想いと共に、私なりには感じている次第です。

ヒロシさん、猫娘さん が言うように
私自身、自分の意見がなかった。そう悪くいうと、アベルのロボットだったと思います。当時、み旨特に、経済活動の最前線 マイクロ 印鑑 置き薬などを行いました。要は、たくさん売り上げることすなはち、金額数字で目に見える形で信仰の度合いを判断されますから。また、当時 1983年~1984年は特にアメリカのレーガン大統領を再選させるべく金集め及び人材復帰等で、躍起になっていたときだし、壷、多宝塔なんかも売れてたのでなお更、アベルとの関係が大事だったと思います。当然、えげつない金集めのやり方も見ました。自分は、優秀な成績が出ない為、どやしつけられたし、飯食うな! と言われて 2~3日食べずに歩んだこと(特にマイクロで珍味が売れずに)もありそんな弱みもあって、自分の考えを言えなかった面もあります。最後とうとうアベルに対して、特にえげつない金集めに対しては <このやり方には、ついていけません> <私が、言ったてこのやり方改めるきないでしょ!> <この世界は普通の世界と違うでしょ!> 最後こんな形で自分の意見をいいました。そんなところで、当時の情勢もありますから、それがいやなら
自分で身を引く しかも 自己責任 自主脱会 になりました。ただ、ヒロシさんが言われた <けれども、自分の意見をもつ というごくごく当たり前な事自体が、様々な要因によって難しく困難であるという心理的状況も有り得るのではないかという事...> すなはち (自己否定) といかに折り合いつけるのか?そんなこと感じました。

小川様、初めまして。ヒロシと申します。

トピずれになるかもしれませんが、少々書かせて下さい。

>ただ、ヒロシさんが言われた<けれども、自分の意見をも
>つというごくごく当たり前な事自体が、様々な要因によ
>って難しく困難であるという心理的状況も有り得るので
>はないかという事...>すなはち (自己否定) といかに折
>り合いつけるのか?そんなこと感じました。

私見ですが、「自己否定」とは「自分を無くす」といっ
たことじゃなくて、「正しく自己肯定する事」であると
今にして感じています。

けれども、どの辺からか定かには分りませんが(ひょっ
としたら、活動最優先という辺りでしょか)、それが歪ん
でしまって、自分非とすること…引いては「自分を主張
してはいけない」といった風潮として表れ出ずる傾向に
なってしまっていると思う次第です。

本来は「意見を持たない」ことではなく、他人とのコミ
ュニケーション等によって、それ(意見)を正しく整理
したり、磨きをかける…といった事柄なんでしょうね。
むしろ、自分の意見を持つ事が大事になるのでしょう。

そう考えると、私自身を振り返るに、教会のコミュニケ
ーション力といったものは、未だ内輪に留まる部分が多
く、未熟で幼いものであること痛感致します。また、そ
ういった状況が、拉致監禁という行為はあたかも正当で
あるかの印象を持たせる一助となっていること否めない
気がします。

特殊で奇抜な事だけでなく、普通のことを特別な思いで
やる。いつも見ている人を特別な思いで見る。よくある
ことを大切にしていく…こういう事が求められていると
思いますし、そういう努力をしたいです。当たり前を積
み重ねると、特別になる。という言葉もありますしね。

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