医師だけでなく、歴史学者もいい加減だ。
富山の中世 解明したい 富山市郷土博物館主査学芸員 萩原大輔さん(38)
2021年3月8日 05時00分 (3月8日 10時24分更新)
中日新聞2022年3月22日
金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵の古文書「乙夜之書物(いつやのかきもの)」を解読し、一五八二年の本能寺の変で明智光秀が鳥羽(京都市南部)にいた記述を発見した富山市郷土博物館主査学芸員の萩原大輔さん(38)。北陸に現存する資料を中心に、歴史の新しい見方を提唱している。 (聞き手・長森謙介)
−今回の発見の経緯は。
「定期的に玉川図書館には足を運んでいた。『乙夜之書物』は数年前にも目を通したが、記述量が膨大で富山に関する記述しか見ていなかった。コロナが落ち着いた昨年十一月に再度読むと、本能寺の記述を見つけた」
−資料は全て解読されているものだと思う人は多い。
「なぜ富山の学芸員が石川の資料を解読するのか、とインターネットでも書かれていた。資料といっても全部見るわけではない。斜め読みして自分の研究に関係する部分を読み込む。まさか加賀藩に本能寺の変の記述があると思わない。だから読み解かれてない資料はまだまだあると思う」
−歴史を好きになったきっかけ。また歴史の持つ魅力は。
「歴史好きだった父の影響。歴史小説も好きで、物心つく年齢では武将の名前などは言えた。魅力は現代に生きながら他の時代を追体験できること。資料から当時の状況を想像できる。ちょっとした旅行みたいなものだと思う。特に人物史は歴史に親しむ入り口としてはとてもいい」
−他にも新説を発見している。その意義は。
「極端な話、本能寺の変で明智光秀が鳥羽にいたことが分かっても歴史の大きな流れに何も影響はない。でも歴史学という学問としては正しい流れ。今知られている歴史も現段階での研究過程。事象を疑い、複眼的に見ることは非常に大事」
−今後、学芸員をしながら成し遂げたいことは。
「富山は米騒動くらいしか教科書に出てこない。資料も少ない。最古の古文書が南北朝時代のもので、鎌倉以前の資料が見つかっていない。ただ新たな資料の発見や既知の資料を捉え直すことで、新事実を掘り起こせる可能性は十分にある。富山の中世のあらましが分かるよう形にしたい。私は富山に住んでいても地元の人から言えば『旅の人(県外出身者の意)』。だからこそ富山から発信して、『萩原を学芸員に採用してよかった』と言ってもらえるように引き続き頑張りたい」
【プロフィール】はぎはら・だいすけ=1982年生まれ。滋賀県湖南市(旧甲西町)出身。中学2年のときに見たNHK大河ドラマ「毛利元就」で中国地方の戦国大名・大内義隆に興味を持ち山口大で歴史学を学ぶ。その後、京都大大学院文学研究科博士課程修了。専門は中世史。2009年から現職。好きな歴史上の人物は豊臣秀吉。
(引用終わり)
現在の日本史の記述(山川出版)は次のようになっている。
「(信長の)独裁的な政治手法はさまざまな不満を生み、1582年毛利氏征伐の途中、滞在した京都の本能寺 で配下の明智光秀に背かれて敗死した」
信長 が明智軍勢によって殺害されたのは事実だとしても、その場所は京都の本能寺ではな かった。当時、明智は三重県の鳥羽にいたのだから。
歴史学者の「エビデンス能力」も実にいい加減なものである。勉強になった。
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- [2022/05/11 07:36]
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コメント
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攻撃タイム!!
いきてるか!!!!
今が 楽しい攻撃タイムだろう!!!!
最後の致命傷を家庭連合におわせて
楽にしてやれや!!
楽しいブログを期待します。
原因は
記事読みました!!!
襲撃知ってたんですね!!!!
友達だったんですね!!!
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真実を公開して下さい。
長年米本さんが統一教会の内部を取材された内容は書籍にならないのでしょうか?多くの方に知って欲しいです。
体力、気力が可能なら宜しくお願いします。
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