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母と面会が可能になったぁ! 

老人ホームから連絡が入り、「面会が自由にできるようになった」と。

勇んで面会に出向くと--
母は、ぼくの顔を見ても、感動する表情はなし。知っている人間だとはわかっても、自分の子どもだと認識できないでいるようだった。そのくせ、寝ころんでいたのを時間をかけて座って、差し出したお菓子は食べていた。

やや気落ちしたのは確かだが、なにしろ99歳、数十日ぶりの対面だから、無理もないかと。

施設の方に話を聞くと、トイレへも食堂へもリハビリ室へも、手押し車を使って歩いていくという。
2年前(?)、家にいたときにはオムツが欠かせなかったと思うと、地道なリハビリの力はすごい。作業療法士・理学療法士サマサマである。

1,2週間もすれば、数十日前の状態に戻ると思う。
大好きだった「百人一首」「公文の算数ドリル」をやって、母校・雑賀小学校の校歌の歌詞をみせれば、大丈夫だと思う。
なにはともあれ、やれやれである。
亡くなるまで、もう手を握ることもできないと思っていたので、心は軽やかになった。

100歳まではあと8カ月弱だ。

<注>雑賀小学校は、総理大臣・若槻礼次郎を輩出した名門校。歌詞は以下の通り。

一、歴史も古き 学舎は
  月の桂も 折るばかり
  家の風さえ 吹きそえて
  誉の花ぞ 薫るなる

二、常盤の松の 徴こそ
  千有余名の 学び子が
  艱苦に堪えて 色変えぬ
  高き操を 誇るなれ

解釈

「歴史も古き学舎」とは松江市で最も古い歴史を持つ当校のこと。「月の桂も折るばかり」とは中国の故事であり、古代中国において月には桂の木が生えているとされ、またその枝を折ることは不可能に近いことから転じて科挙に合格することを指すようになった。ここでは優秀な生徒を輩出する意。「家の風さえ吹きそえて」は「家の風」が代々その家が伝えてきた伝統、その伝統が「吹きそえる」つまり強くなっていくという意。「誉の花ぞ薫るなる」とは読んで字の如く、優秀な成績を収め、出世するのである。

「常盤の松の徴こそ」とは松がいかなる時も青々と葉を茂らせること。「千有余名の学び子が艱苦に耐えて色変えぬ高き操を誇るなれ」、千有余名は当時の生徒数が1000人を越していたことに由来する。その生徒たちがいかなる困難にも耐え、顔色ひとつ変えないという高い節操の心を葉の色の変わらない松に擬えている。

母はよく歌っていた。


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