保護(拉致監禁)説得の本質とは何なのか。 

保護説得と親子関係(7)

「親は子どもに謝罪すべきか否か」のテーマで、6回にわたって述べてきました。だいたい書き尽くしたかと思っていたところ、「猫」さんから投稿がありました。<まだ理解されてないことがあるのだなあ>とつくづく思いました

 そこで、この投稿に返信するという形で、テーマの補論といたします。
 直接には投稿を批判するわけですが、あくまで補論の材料とするだけで、猫さんを個人的に批判したいという意図は毛頭ありません。誤解なきようにお願いいたします。


 はじめに、猫さんの投稿の全文を引用しておきます。私がコメントするのは下線部分

 久しぶりに投稿します。
 自分は被害者ではありませんが、実は今回の記事にも書かれている韓国での「拉致監禁被害者の会」の結成式に参席しました。参席者の中には「拉致監禁」のことを全く知らない韓国人の信者の方も大勢いました。
 壇上に立たれて話をされる方の中にはトラウマの症状を訴えられる方もいらっしゃいました。極端なトラウマ症状のためにその場に来られない人もいると聞きました。

 会の結成には統一教会信者に対する「拉致監禁」が犯罪であることを日本政府に認めさせこれ以上被害者を出さないようにという目的があります。後藤さんの件が不起訴になったように、国内で騒いでも埒が明かないので韓国を始め海外に知らしめて(人権団体や専門家、有力者など)日本に働きかけてもらおうということだそうです。そのために署名も募っています。

 その後各教会に「拉致監禁」の被害者が何人いるのかそして具体的な被害はあったか(暴力やPTSDなどの精神被害も含む)調べることになりました。うちの教会は日本人が35人いるのですがそのうち5人が被害者でした。うち2人は以前から自らが被害者であることを話していたので知っていましたが、後の3人については知りませんでした。

 確かに被害者一人一人のことを思えばそっとしてあげるのがいいのでしょうが、それでは解決の道が開けません。
 また、このブログを読み始めたところだった自分はPTSDの症状をある程度理解することができますが、恐らくそれ以外の人たちは全く知らなかったと思います。なぜなら、自ら話さないので自分の教会ですら被害者が5人もいたとは知らなかったわけです。つまり今回「被害者の会」を結成してみて初めてトラウマ症状やPTSDというものがあるということが明らか(被害者にとっても、周囲の人にとっても)になったといってもいいのではないでしょうか。

 でも米本さんも
>「逃げることはできるのだけど、心理的に逃げることはできない」という、最近話題になりつつある「心理的監禁」に、検察はもっと注目すべきだと思います。

 と書かれているように「監禁」をした人たちを加害者たらしめるにはやはり被害者の訴えがどうしても必要になってくるのではないでしょうか。

>無知蒙昧な教団のリーダーたちは2次的加害者といっていいだろう。

と書かれていますがPTSDそのものが日常的にあるものではない上(一般の人でPTSDを理解している人がどれだけいるでしょうか)、被害者でなければ分からないものでもあるため、一部のリーダーが被害者に対し不用意な言葉をかけてしまったとしても致し方なかったと思います。

 ですから、今後はPTSDの被害者の方に配慮しつつ活動をしていくべきだと思いますし、少なくとも韓国においてはそうされてきていると思っています。



 猫さん、久しぶりの投稿、ありがとうございました。

(1)35人の教会員中、5人が監禁体験者とは、正直、驚きました。もし、この割合(14%)が平均的なものであれば、6500人の花嫁さんのうち930人が監禁体験者ということになります。

私はアバウト300人ぐらいかと思っていましたので、驚きです。もし、全体の数字がわかれば教えてください

ところで、猫さんの投稿に若干の異論があるので、正直に書いておきます。

(2)「確かに被害者一人一人のことを思えばそっとしてあげるのがいいのでしょうが、それでは解決の道が開けません」

  もしブログを読んで、このように書かれたとすれば、誤読です。「そっとしてあげるのがいい」とは一言も書いていません。「思い出したくない体験を外部から無理やりひっぱり出されるような」ことはやめるべきだと述べただけです。

 ではどうすればいいのか。
 このことについて触れていないので、誤読されたのも無理ないことかもしれません。
 重要なのは、仲間が急に無気力になったり、鬱々とした表情を見せたりしたら、つまり精神の調子が悪いように思えたら、優しく、温かく、包容力をもって、語りかけ、話を聴いてあげることが大切です。その場合、胸の想いを引き出してあげるための合いの手は必要でしょうが、あまり口をはさまず(信仰的な解釈などもってのほか)、静かに聴いてあげることです。
  繰り返しになりますが、無理やり監禁体験を引き出すようなことはしてはならないということです。

 監禁されたことのある2人の女性は、監禁体験をこう語っています。期せずして一致した表現です。
「親にレイプされたような感じ」
 あながち突飛な表現ではありません。よく考えれば、監禁体験は精神のレイプそのものですから。

 どんな人であっても、 レイプされた女性を、本人の意思・気分・感情を無視して、被害者の集会に引っ張りだし、証言を求めるような無神経なことはしないでしょう。それと同じです。

(3)会の結成によって、3人が監禁体験者であることがわかったと指摘されています。

 確かに、統一教会の中で拉致監禁問題がクローズアップされたことには、大きな意味があったと思います。
 日本の統一教会では、昨年の9月から10月にかけて、全国72教区のすべてで、拉致監禁に関する啓蒙集会が開かれました。その過程で、90年代に入ってからも精神病院に強制入院させられていた事実も判明しました。

 それまでの統一教会は拉致監禁問題に無関心でした。いや、冷淡でさえあったと言っていい。
 監禁体験者が「拉致監禁問題を取り上げるように」と提案しても、
「親子関係に問題がある信者が拉致監禁されるのだ。親を復帰させようとしなかったから問題なのだ」
「監禁されたら、ドアを壊してでも、逃げ出してくればいい」
「監禁されたら、とことん反対牧師を論破し、親を復帰させればいいのだ」
「拉致監禁問題も重要だが、経済摂理の実現のほうがもっと重要だ」

といったバカなあるいは情けない発言をするリーダーは少なくありませんでした。(注1)
 
 また、監禁を体験した信者が自分に起きた出来事を教会のリーダーに話しても、「そう、そんな大変なことを経験してきたの。つらかっただろうね」で、終わり。翌日にはその告白を聞いたことを、まるで解離性健忘症にでもなったかのようにコロリと忘れてしまい、伝道と献金を煽る。

 ともあれ、そうした長い冷淡な時代(愛なき時代)を経て、ようやく拉致監禁問題に光があたるようになった。
 これまでみんなに訴えたいと思っていたことが、ようやく訴えることができるようになった。その意義は大きいと思います。

 韓国でもそうでしょう。合同結婚式によって大量の日本の女性信者が花嫁として韓国に渡ったのは、いまから17年前の1992年以降のことです。その中には、監禁から脱出して渡った人も少なくなかった。これまで語ることができなかった拉致監禁にスポットライトがあたり、監禁体験者であることをみんなに明かし、監禁体験の事実を語ることができるようになった。韓国での会の結成は重要な意味があったと思います。

 しかし、だからといって、会に強引に出席させられたために、「緊張しすぎたせいか首がうごかなくなったのをはじめ、髪が抜ける、母乳が出ない、人と接したくない、人と接するとこれまで以上に警戒して緊張する、悪夢、無気力、怒りやすい、頭痛、涙もろくなる、字を書こうとすると手がふるえる、首や腕を中心に蕁麻疹が出ては消える」といったような症状が出た信者のことを、無視することは絶対にできないのです。

 誰が彼女に対する責任を負うのでしょうか。


(4)ところで、「解決の道」とは何でしょうか。

 解決しなければならない課題は、監禁体験者である韓国の花嫁さんの心の傷が癒されることです。具体的には、監禁体験者(抽象的ではなく、Aさん・Bさんといった一人ひとり)が周囲の温かな眼差しに励まされ、監禁体験のことを当時の感覚・感情とを結びつけて(感情の発露)語ることです。
 ハーマンの治療方法が正しければ、トラウマが完治することはないにしても、話すだけでストレスは緩和されます。

 このことは先の話に結びつきます。
 そもそもの話となりますが、教会員に温かい眼差しと、教会に温かで包容力ある雰囲気があれば、つまり愛のある宗教であったのなら、あえて会の結成などなくても、自然な形で、監禁体験者は周囲にリーダーに悩みを打ち明けていたと思います。
 そうであったのなら、数十年前から!組織全体で拉致監禁問題の解決ということが話題にのぼっていたでしょう。またそうであったのなら、私がわざわざルポや本を書くことはなかったはずです。

 統一教会員の方々は、もう少し、視野を広げて考えてみるべきです。
 創価学会に入信した子どもを親が拉致監禁し、監禁下で日蓮宗の僧侶が脱会説得を行う。
 こんなことが一件でも起きれば、仲間は怒り、監禁体験者の声に耳を傾け、一緒になって怒り、苦しみ、涙するでしょう。それとともに、創価学会なら組織をあげて、大問題にするでしょう。

 この40年間、統一教会と教会員は、どのようにしてきたのでしょうか。4000人以上もの拉致監禁事件が起きていたことさえ知らなかったことの意味を噛みしめるべきです。(注2)
 

 花嫁さんの心の解決以外にも課題はいくつかあります。 

  親子関係が途絶えた人たちの親子関係の再生は、喫緊の課題となっています。日本の親は老いていく一方です。そのために周囲の人たちが具体的にAさん、Bさんをサポートし、親子関係を形式でもいいから復活させる必要があると考えています。これは、日本・韓国・アメリカ(数例であっても他の国も)の共通課題です。監禁した親と監禁された子どもの橋渡し役が必要です。これまで誰もやってきませんでした。

 深刻なのは、韓国の花嫁さんの中に、再びの監禁が怖くて、里帰りすることができないでいる人たちがいるということです。私が韓国で取材した5人の監禁体験者のうち4人がそうでした。(『我らの不快な隣人』第14章を参照)
 冒頭で推計したように監禁体験者が930人いるとすれば、最低に見積もっても、数百人はいるでしょう。

 里帰りできるような環境をつくることは、日本の教会員と、韓国在住の日本人教会員の共通課題であり、双方が連携して具体的に解決しなければならないことです。
 このことを、自分たちの課題として真剣に受けとめている教会員は一体、何人いるのでしょうか。想像するや、うすら寒くなってしまいます。

 課題はまだあります。先の課題と裏腹なことですが、日本に里帰りする人への緻密なフォローです。
 これまで、日本に里帰りしてそのまま拉致監禁となって脱会した花嫁さんは100人ぐらいはいると思います。(『我らの不快な隣人』186頁参照)

(05年現在、婚姻無効訴訟で離婚が成立したのは約50件。話し合い(韓国人の夫にとっては訳のわからない話)によって離婚となったケースはそれ以上の件数になると思われる)

 韓国人の夫の奔走によって、監禁から解放され、夫婦の離別を免れることができた日本の花嫁さんは、拙著に登場した元木恵美子さんと寺田こずえさんの2人しか知りません。
100人もの花嫁さんが日本で強制脱会させられたにもかかわらず、これまで韓国・統一教会はまったく無関心でした。

 統一教会は「為に生きる」ことを標榜していますが、「日本からなぜか戻って来ない隣の信者のこと」さえ、考えていないように思えます。
 日本に里帰りしたものの、なぜか戻ってこない。こうしたことがないようにするのも大きな課題の一つです。

解決すべき課題は抽象的ではありません。何が課題となっているのか具体的に考えることが必要なのです。


(5)おそらく、猫さんは「解決の道」とは「拉致監禁をなくす」ことだと考えられていると思います。
 しかし、韓国で拉致監禁事件が発生しているわけではありません。「拉致監禁をなくす」のは日本の統一教会の課題です。

「会の結成には統一教会信者に対する『拉致監禁』が犯罪であることを日本政府に認めさせこれ以上被害者を出さないようにという目的があります。後藤さんの件が不起訴になったように、国内で騒いでも埒が明かないので韓国を始め海外に知らしめて(人権団体や専門家、有力者など)日本に働きかけてもらおうということだそうです。そのために署名も募っています」

と書かれていますが、事実認識が間違っています。日本・統一教会は組織として、「国内で騒いでも埒があかない」ようなことはしていません。国会議員を説得して国会で質問してもらったことがありますが、警察庁長官が毅然とした答弁をしたにもかかわらず、そのことを社会に向かって公開していません。

 そもそも、12年間の後藤さんが監禁された事実、また宮村氏ら6人が東京地検に送致された事実を、『世界日報』や『中和新聞』は一切、報じていません。

 後藤さんが監禁から解放されたのは08年2月のこと。このことを報じた『我らの不快な隣人』が出版されたのは08年7月。後藤さんの告訴状と陳述書(監禁体験記)を、この火の粉ブログで連載を始めたのは09年の4月からです。
 日本・統一教会が一部のマスコミに事実を伝えたのは、09年7月の徳野会長の引責辞任の記者会見のとき。それも、統一教会とは関係のない「拉致監禁をなくす会」が作成したビラを無断借用するという情けない形で。

 統一教会が内部用に後藤さんのインタビューをもとにしたビデオを作成したのは、監禁の事実が発覚してから実に1年半もあとの09年の8月のことでした。

 こんな体たらくなのに、どうして「国内で騒いでも埒があかない」と言えるのでしょうか。
 日本・統一教会の説明は不可解というより、韓国・統一教会員を鼓舞するための欺瞞としか言いようがありません。
 
 ところで、この7月から文クッチンさんの指示(天の声)もあって、ようやくにして、日本・統一教会(韓国もアメリカも)は拉致監禁問題に取り組むようになりました。全国72教区の啓蒙集会が終わった現在、各教区ごとに「被害者の会」の結成を組織化しています。とてもいいことですが、これは組織内部のことであり、対社会的な運動ではありません。街頭での署名活動も行われていません。(最近、専門ネットを立ち上げた。これは進歩!)

社会に向かって発信しているのは、統一教会とは関係のない市民組織「拉致監禁をなくす会」の宣伝活動だけです。

日本・統一教会(あるいはクッチンさんか)の戦略は、韓国とアメリカで運動を起こし、外圧によって、日本の政府や社会に働きかけるものだと認識していますが、この戦略は運動論として間違っています。外圧が有効なのは、国内で運動が起きていることが前提条件になります。

国内で騒いでいるのだが、埒があかない。それでは助っ人(外圧)を頼もうかとなったときにはじめて、外圧は効果を発揮します。


(6)リーダーが無知蒙昧であると指摘したことについて、次のように書かれています。

「PTSDそのものが日常的にあるものではない上(一般の人でPTSDを理解している人がどれだけいるでしょうか)、被害者でなければ分からないものでもあるため、一部のリーダーが被害者に対し不用意な言葉をかけてしまったとしても致し方なかったと思います」

そうでしょうか。拙著が発売されたのは、昨年の7月。韓国・統一教会の機関紙『本郷人』(昨年の8月号)には書評として取り上げられています。

「この本は、拉致監禁の赤裸々な実態を扱っており、とても深刻で、『重い』本であるといえます。実際に拉致監禁の被害を受けた人には、過去のトラウマのフラッシュバック現象を起こさせるという意味で、読むことに注意が必要な本だともいえるでしょう」

  筆力不足のせいで、監禁体験者の心の傷を想像力をもって理解してもらうことができなかったかもしれませんが、リーダーたちは「統一教会員の拉致監禁」という文字を気にとめることなく、拙著を手に取ったことすらなかったのが実態ではないかと推測しています。今でも、いったい何人の人が読んでいるのやら・・・。
 
 韓国の日本人信者の総責任者である江利川安栄女史(日本・統一教会の第7代会長)は、どうなのかと疑問に思います。読んだとすれば、PTSDのことは第6章と第10章で述べているので理解できるわけで、そうであれば会の結成に監禁体験者を強引に参加させることはなかったはずです。もし読んでいて強引に参加させたのなら、不作為の責任が問われます。

 わが高澤牧師や高山牧師が「統一教会員の拉致監禁」とか「拉致監禁によるPTSD」といった語句を気にとめることはそもそも難しいと思っています。『バカの壁』ではありませんが、見たくないものは見ようとしないのが人間の性(下位レベルの性質)でもありますから。でも、監禁され続けている人たちが気にとめないのは、監禁する牧師以上にかなりのバカだと思っています。ヤクザに殴られて、へらへら笑っているようなというか。

  無知にして蒙昧と、私に罵られても当然のことだと思っています。
 しかし、私は罵るために、時間をかけてブログを書いているわけではありません。すべての教会員に、本(買わなくても、貸し借りでも)とブログ(ルポも読める)を読んでもらいたいと願っています。各教会に一冊だけ備えておけば<みんなが回し読みができるのになあ>とため息が出ますが、それはともかく、どうかアナウンスのほうをよろしくお願いいたします。

 また、このブログを6500人の花嫁さん全員に読んでもらえるようにはできないものでしょうか。

(7)最後に言葉の問題です。
  猫さんもそうですが、統一教会は「監禁体験者」のことを「被害者」と表現しています。
 被害者がいれば、当然、加害者がいます。
 加害者は誰なのでしょうか。
「脱会させるには保護説得しかない」と家族に教え込み、監禁下で脱会説得をした牧師たちは当然、加害者です。それと同時に、実際に拉致監禁した親・兄弟・親戚も加害者です。

「監禁」をした人たちを加害者たらしめるにはやはり被害者の訴えがどうしても必要になってくる。

 それはそうだと思いますが、少々、情緒的な感じがします。
 公害被害者、レイプ被害者、犯罪被害者・・・被害者にはいろんな被害者がいて、その被害の質をきちんと考える必要があると思っています。
 そうした思考なく、たんに「拉致監禁被害者」というのは、親子関係が復活・再生するうえで、デメリット(マイナス)でしかありません。

 猫さんにぜひ、再認識してもらいたいです。
 
 拉致監禁したのは、わが父・母です。だがしかし、彼らも被害者だということです。

そのため、私は「親は子どもに謝罪すべきである」と思っていても、監禁体験者のことを「被害者」とは呼びません。熟慮していただければ幸いです。

 それと同時に、拉致監禁によって脱会した元信者は大勢います。たんに「被害者」という思考だと、「統一教会をやめたのは良かったけど拉致監禁はいやだった」と思っている元信者が視界から消えてしまいます。

 私にとっては、現役信者だろうが元信者だろうが、同じ拉致監禁体験者だと思っています。まったく変わらない。
 この考えを違う角度を変えて表現されたのは大和櫻さんの次の言葉です。

 離教しようが、戻ろうがそんなこと関係なく、反対派も教会もこれ以上犠牲者を出すんじゃない!

 ぞんざいだけど、とてもいい言葉です。この言葉の意味が統一も反統一もわかっていないのだと、最近、つくづく思うようになってます。

(追記)そろそろ正月休みがやってきます。拉致監禁が発生するのは、教会員が実家に帰省したお盆休みと正月休みに集中しています。今年の夏は5件、発生しました。
今度の正月に何人の人が拉致監禁されるのかと想うと、暗い気持ちになります。そうならないように、緻密なフォローが全教会員に求められています。


(注1)復帰とは入信させるという意味。
(注2)「4000人」は、私がインタビューした岡村信男法務局長(当時、総務局長)の口から出た数字。『我らの不快な隣人』159?163頁で書いたが、総合的に判断してこの数字はオーバーな数字ではないと思っている。
 どうして教団は拉致監禁された信者の人数をきちんと把握していないのかが疑問だったが、最近ようやくわかった。それは、日本・統一教会の第2代会長(91年?93年)、神山威氏が拉致監禁に関する資料を破棄したからである。ではなぜ、破棄したのか。裏付け取材はできていないが、人事をめぐるトラブルからだったと言われている。
 いま日本・統一教会は各地で啓蒙集会をしながら、拉致監禁の人数把握につとめているが、破棄されたのだから、いちから掘り起こし作業をせざるを得ないのである。ため息が出るような話なのである。

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コメント

注釈

 この補論は、21日の午前中に加筆しました。

PTSDと損害賠償

 どこかで強調しておかなければならなかったのに、忘れていたことがありました。それは上記タイトルにある「PTSDと損害賠償」のことです。

 他者に外傷を負わせると、刑事責任ばかりか民事責任が発生します。

 それと同じように他者に心的外傷(PTSD)を負わせると、民事責任が発生します。実際に損害賠償金の支払いが裁判所によって命じられたのは、今から20年前のことだと記憶しています。(刑事責任が問われたケースは知りません)

 5年前の読売新聞の記事を紹介しておきます。

トラックが歩行者の男性(当時76歳)をはねた死亡事故で、遺族の女性2人が、運転手らに損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が25日、札幌高裁であった。
前島勝三裁判長は「事故直後から精神的、身体的な不調が生じた」として、遺族がPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっていると認定、運転手と運送会社などに計約660万円の損害賠償を命じた。事件、事故の被害者がPTSDと認められる例は増えているが、遺族が認定されるのは珍しいという。    
判決などによると、男性は1999年10月、札幌市豊平区内の横断歩道を渡っていたところ、右折してきたトラックにはねられ死亡した。
事故後、男性の妻と長女は、亡くなった当時の男性の姿を思い出したり、悪夢や絶望感、吐き気、下痢などを訴え、心療内科に通院、PTSDと診断され2000年9月、慰謝料5000万円などを求めて提訴した。
一審の札幌地裁は昨年6月、2000万円の支払いを命じる判決を下したが、PTSDによる損害賠償は認定しなかった。
この日の高裁判決は、2200万円の損害賠償を算定したが、既払い分があるため、660万円の支払いを命じた。
福岡教育大・保健管理センターの宮田正和所長(心療内科医)は「被害者をPTSDと認める例は増えつつあるが、診断書が出ているとはいえ遺族に適用した例は聞いたことがない」と話している。


 この問題に詳しいのは東邦大の黒木宣夫教授。最新刊は『PTSD : 医の診断と法の判断』(09年刊、中外医学社)です。

 拙著の主人公、宿谷麻子さんが、監禁下で保護説得を指導し、かつ脱会説得を行った戸塚教会の黒鳥栄牧師、現行田教会の清水与志雄牧師を相手取って、PTSDによる損害賠償を求めて提訴すれば、間違いなく、勝訴するでしょう。PTSDによって働くことができなかった10年間の社会的逸失利益はどのくらいになるでしょうか。

黒鳥先生と清水先生のもとに、ひょっとしたら、裁判所からの出頭命令の通知書が届くかもしれませんね。

 時効?そんなことはありません。拉致監禁があったのは14年前ですが、今でも治療のために通院しているのですがら、時効とはならないのです。

PTSD の刑事責任

米本様

PTSDは傷害罪となり、刑事訴訟対象となります。

例えば、次の件です。


http://www.jca.apc.org/praca/takeda/trauma.htm#jirei2 より

2000年1月から8月にかけて、奈良県で測量士見習いの男(39)が、知人の主婦(30代)宅に無言電話を約500回かけ、応答すると無言のままで、応答しないと呼び出し音を鳴らし続けた。
女性はPTSDになった。

2001/4/5 奈良地裁は、無言電話をかけ続け知人女性に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負わせたとして、傷害罪などに問われていた奈良県の測量士見習い(39)に対して、「被害者や家族に多大な精神的苦痛を与えた」として、懲役2年6カ月(求刑懲役3年)の実刑を言い渡した。

宮本定雄裁判官は、無言電話による心の傷をPTSDと認めたうえで傷害にあたると判断(朝日新聞2001/4/6)


500回以上無言電話を掛けて、傷害罪が適用された事例です。

その他にも、東京・青森で連続女性監禁事件などで、PTSDによる傷害が認定されているはずです。


もっとも、確定しているかどうかは確認できていませんが・・・。


また、PTSDにおける法的評価に関する問題について参考資料として、”PTSD 懲役”と検索したトップ頁に、次のような論文を見つけました。

http://www.soc.hit-u.ac.jp/ISGI/staff/myjp/PTSD.pdf#search='PTSD 懲役'

なんとも、やるせない話です。

重症な方ほど、泣き寝入りになってしまう可能性が強い・・・・。


これなんか読んでいると、周囲の人間が気付いてやるべきであり、積極的に支援する必要があることが判ります。



今回のテーマ「親は子供に謝罪すべきか否かーPTSDについてかんがえるー」は監禁体験や自分自身を振り返り、整理するのにとても役に立ちました。
反対牧師は監禁後の状態を「心の空洞」説をもって説明します。でも私にとってはこのPTSDをもって説明された方がよほど納得がいきました。
監禁にかかわった家族の方はもとより日本の教会員、監禁を体験した方々、韓国の教会員等、すべての方々が一度目を通す価値がある内容だとおもいます。


ところで「PTSDと損害賠償」はフクザツですね。

>拙著の主人公、宿谷麻子さんが、監禁下で保護説得を指導し、かつ脱会説得を行った戸塚教会の黒鳥栄牧師、現行田教会の清水与志雄牧師を相手取って、PTSDによる損害賠償を求めて提訴すれば、間違いなく、勝訴するでしょう。

とありますが、また「監禁でなく保護だった」とか、「自分達は呼ばれて話をしに行ってきただけだ」とか、「そもそも彼女たちはもともとおかしかった」とか言って逃げてしまうのがおちではないでしょうか?
わたしにもあの2人の牧師にギャフンといわせたい思いがあるのは事実です。
が、どうかご本人たちの意思を無視して裁判をおこせとか無神経な発言が(特に教会内部から)なされないことを願ってやみません。(もちろんご本人が望めば話は別ですが...)

幽霊食口さん&タルさんへ

 幽霊食口さん、「PTSDの刑事事件」について、教えていただいて、とても勉強になりました。
 私の勉強不足を恥じ入るばかりです。感謝感激です。

 タルさん、私の気持ちを読み取られたような投稿、うれしく思いました。とても、感謝です。
「本人たちの意思を無視して裁判をおこせとか無神経な発言が(特に教会内部から)なされないことを願ってやみません」は、きわめて重要な警句だと思います。

 反統一教会にとっては「親は謝罪すべきか否か」なんて、どうでもいいようなテーマですが、その一方、統一教会にとっては耳が痛いのか、哀しいかな、アクセス件数が少ないですね。

監禁者数について

 ある統一教会員の情報によれば、韓国・統一教会が把握している「韓国在住の日本人花嫁の監禁体験者数」は、300人弱だそうです。
 本文で、私が推測したのは930人。ものすごい開きがあります。

 300人弱は、韓国で開かれた「被害者の会」などによって、自己申告された累積数字のようですから、300人弱で間違いないと思います。

 これに、自己申告しなかった人、統一教会から足が遠のいている人、さらに統一教会の分派?組織、いわゆる「中山グループ」に宗旨替えした人-が加わるということでしょうね。

 いずれにしても、日本・統一教会が92年頃に、拉致監禁に関する資料を破棄したため、正確な数字を割り出すことは、もはや不可能なのでしょう。残念です。

こういう時こそ関心持続させるべきでは?

米本様

>哀しいかな、アクセス件数が少ない
>ですね。

年末という事で、皆ばたばたしているのか・・・。

しかし、自分たちの事だけに捉われずに、こういうときこそこういう問題に意識を持たなければ、やがて生活の煩雑な一雑事に埋もれてしまいます。

私達の身の回りの方たちが脅威にされされており、それに対する関心を無くす事こそ、怖れなくてはいけないと思います。

特に、御指摘のように夏期休暇、正月の休みの時は拉致監禁が多発する時期です。

帰省する人達にこの拉致監禁について勉強するように呼びかけなければなりません。そして、そうされた時の善後策を煮詰めておかなければならないと思います。

ここを読まれている、教会員の皆さんは、是非、帰省される方に呼びかけてくださるようにお願い致します。



>日本・統一教会が92年頃に、拉致
>監禁に関する資料を破棄したため

本当に残念ですね。

それでも・・・・把握しているだけで300名でも・・・暗澹となる数字です。

私もかんきんされているような・・・

<話がずれてごめんなさい。>

私は、ふとこの日本という国に監禁されているなあと思うことがあります。

自由に物事を述べているようでいて、どこか自分の言葉を発していない気分になる時があります。

心の底から発する言葉を、言える関係を、みな求めているのに・・・・

一人一人のちがいを、大切にしたいものです。

返事が遅くなりました

しばらくぶりに来てみたら私のコメントに対し一つの記事が書かれていて大変驚きました。私としてはこのコメント一つ書くにも何度も修正検討したうえで投稿したつもりだったのでプロの物書きの方にはかなわないと実感しました。
なので、書かれた内容に対し私もお返事したいと思います。

まず、「体験者」を「被害者」と書いたことについてはご指摘のとおりだと思います。「被害者の会」の結成について書いたものですから深く考えず「被害者」としてしまいましたが、これでは脱会した人は確かに無視されてしまいます。今後コメントを書くことがある場合には「体験者」を使います。

韓国内における体験者の数ですが、うちの教会の5人というのは多い方だと思います。ですから930人という計算は米本さんも後で書かれている通り多すぎると思います。

「そっとしてあげるのがいい」という表現は米本さんがおっしゃる「無理やり監禁体験を引き出すようなことはしてはならない」の意味合いで書いたつもりでした。

私が「国内で騒いでも埒が明かない」と書いたのは「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」の証言や
http://kidnapping.jp/book.html
「被害者の会」の結成式の時の証言にもありましたが「警察が聞き入れてくれない」ということが多々あったためにそのことをもってそのように表現しました。ただ米本さんもおっしゃるように「埒が明かない」といえるだけのことを日本の統一協会がまだしていないというのも確かだと思います。

「解決の道」はやはり米本さんが想像されたとおり「拉致監禁をなくすこと」のつもりで書きました。もちろん体験者の精神的ダメージを癒すことも重要なことだと思っています。
ただ、幸いと言っていいのか私の周りには日本にいたときも体験者がいなかったので監禁から解放された直後の人に対して責任者がどのような態度を取ったのかについての情報がないんです。また責任者と一口に言ってもいろいろな位置や立場(名前は責任者でも立場や得られる情報の範囲は一般信徒と変わらない場合もある)また個人差があるのでその位置や立場によっても千差万別ではないかと思います。「教会員に温かい眼差しと、教会に温かで包容力ある雰囲気があれば、つまり愛のある宗教であったのなら、あえて会の結成などなくても、自然な形で、監禁体験者は周囲にリーダーに悩みを打ち明けていたと思います。」と書かれていますが、私も同感です。でも、少なくとも私が日本にいた時代の自分が所属していた教会はそういう雰囲気でした。そういう意味でも経験者に対する責任者の冷たい態度については見当が付きませんでした。

「『監禁』をした人たちを加害者たらしめるにはやはり被害者の訴えがどうしても必要になってくる。」については確かにおっしゃるとおりではあると思うのですが、非常に微妙で難しい問題だと思います。わかりやすい例を挙げればごうかんの被害者がそうです。当時のことは思い出したくないし中にはPTSDの方もいるでしょう。その精神的苦痛は相当なものだと思います。しかしタルさんが紹介された論文
http://www.soc.hit-u.ac.jp/ISGI/staff/myjp/PTSD.pdf#search=の中にもあるように被害者の陳述がなければ加害者を加害者たらしめることができない。それとよく似ているように思います。そのような意味でこの問題については極めて慎重に考える必要があると思います。ですから、最初にも述べたように本人が望まないのにむやみやたらに証言をさせるようなことはしてはならないと思います。

「このブログを6500人の花嫁さん全員に読んでもらえるようにはできないものでしょうか。」と書かれていますが、お気持ちは分かるのですがなかなか難しいと思います。
というのもうちの教会の皆に、このブログを紹介したのですが「見た」という人は少なく私のように「お気に入り」にまで入れて時々見るなどという人は皆無です。体験者、非体験者にかかわらずです。
なぜかというと、コンピューターは持っていてもメールをときどき見るだけで精一杯という人がほとんどだからです。子供が小さかったり、そうでなければ仕事に出ていたり、教会の活動をしたりとゆっくりとコンピューターを見る時間的、精神的余裕がないというのが現状のようです。

また、私の教会にも体験者のうち一人は里帰りができずにいます。米本さんも書かれているように里帰りして監禁されるケースも少なくない為、韓国内では綿密に注意を呼びかけています。

,猫さんへ

 丁寧な反論、というか猫さんの気持ちを正直に書いてもらって、とてもうれしいです。

 今年も暗雲立ち込めるような年になりそうですが、猫さんの正直な文章を読んで、少しほっとしております。

 いい年になるかどうかわからないけど、今年もどうかよろしくお願いいたします。

 最近、思っているのは「正直さ・誠実さ」の力です。いいかげんが大好きなんだけど、この力がどの程度のものかと・・・。

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