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プーチンは怯えている。だから、怖いのだ。 

プーチンは怯えている。

スターリンの晩年と同じである。

l以下はウイキからの引用である。

「スターリンは元々人間不信だったのだが、権力を得る過程において独裁者にありがちなパラノイアが加わったことにより、猜疑心が極限までに加速する。特にスターリンは第一次五カ年計画とそれに次ぐ大粛清を行ったことによる死者とそれに伴う犠牲者の恨みを忘れることができず、この結果、自分は常に命を狙われていると偏執的に思い込むようになった。日常生活では毒殺を極度に恐れたため、彼が口にする飲食物は全てNKVDの管理下にある専用の農場や養魚場で採取され、専門家により入念に検査された。フルシチョフは、スターリンが「どこでも、誰に対しても、あらゆる事柄に関しても、敵・スパイ・裏切者の姿を見出した」と述べている。晩年にはベリヤ、フルシチョフなど有力な部下達の忠誠心を疑い、彼らの部屋を全員秘密警察に盗聴させている[要出典]。

また、一度でも敵の捕虜になっていた兵士をスターリンは「スパイの可能性がある」として決して信用せず、帰還しても彼らは強制収容所へ送られた。晩年の猜疑心が強かった時期には、はるか以前の第一次世界大戦時に捕虜になった者を処刑するほど疑い深かった。独ソ戦中、ドイツ軍はロシア人の捕虜に対して過酷な待遇をしたが、スターリンは自国民の捕虜に対する赤十字の調査も拒否し続け、挙句の果てにはロシア人の捕虜が収容された収容所を爆撃させている。爆撃機からばら撒かれたビラには「祖国を裏切った者たちへ」と書いてあった。スターリンには常に2人のボディーガードがつきそい、腹心モロトフとの会見にも同席した[420]。一方で執務室に入るためのボディーチェックは存在せず、入室手続きも行われなかった[421]。デスクにはブロンズ製のカップが置かれ、太い青エンピツと赤エンピツが入っていた。重要外交書類に青エンピツで署名すると、全行政機関が即座に行動を開始した[422]。

この性向は晩年に近づくほど強まり、「自分の周りにいる人間は全て敵である」という妄想に悩まされていた。あまりの恐怖に人前に出ることはほとんどなくなり、部屋から出ることは稀になっていった(被害妄想の典型的な症状である)。さらに、晩年には認知症も入り、スターリンの住居には厳重な警備が敷かれるようになった。軍隊が攻めてきても、2週間持つほどの重装備であったという。スターリンの部屋は複数に分かれており、どこに泊まるのか誰にも知らされず、スターリンしか持っていない鍵を、部屋に何重にも施していた。フルシチョフの回想によると、同志との会話で、スターリンの部屋へ行くとまた鍵が増えているのだろう、と話していた。無論、勝手に入ろうものならば容赦なく粛清された。ちなみに、スターリンが部屋に入ってからまずやることは、ランプを持って部屋を隅々まで検査することであった[要出典]。スターリンの元通訳は、信じていたヒトラーに裏切られた屈辱と恐怖から、元々強かった猜疑心が病的になったのではないかと述べている[420]。

続くー-
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