親は子どもに謝罪すべきか否か?PTSDについて考える(5)
保護説得と親子関係(5) 無知蒙昧
前回のブログでは、『PTSDとトラウマのすべてがわかる本』をもとに、PTSDの症状を説明した。このPTSDというやっかいな精神疾患をさらに考えていきたい。
最初に、「高山牧師への質問書」の中で、{精神科医によってPTSDと診断されたのは7人になった」と書いたが、「親子関係(3)」で述べたように、1人は「解離性障害」と診断されたため、正確には6人である。訂正しておきます。
6人のうち4人は、それぞれバリエーションはあるものの、『すべてがわかる本』で説明された通りの、1カ月以上トラウマ症状が続いていたことから、PTSDと診断されたが、残る2人(男性と女性)は監禁から10年以上が経過してから、すなわち結婚し家庭をもってから、トラウマ症状が生じ、いずれも最近になって、PTSDと診断された。
本ではこうした事例の紹介とその解説がなされていないが、どう解釈したらいいだろうか。
なお、6人のうち3人は脱会した元信者。2人は統一教会に戻った現役信者。もう一人は、脱会後、再び教会に戻ったあと、PTSDと診断されている。
考えられるのは、前回、トラウマの症状のひとつとして回避・麻痺を説明したが、それが関係していると思う。
つまり、回避によって、これまで心的外傷体験を想起するような場面に遭遇することを避けてきた。また、想起せざるを得ない状況に置かれると、感覚を麻痺させてきた。
それが、何かのきっかけによって、心的外傷体験を再体験せざるを得なくなり、トラウマ症状が出てきた?ということではないかと推測する。
最近PTSDと診断された男性信者(Nさん)の場合、拉致監禁をなくす会のブログに、「心の障害対策?Nさんからの報告」という表題で、症状が発症した経緯について、回避と麻痺にも触れながら、報告している。
その一部を引用しておく。
なお、Nさんは教団の職員で、一時期、拉致監禁問題を担当した。Nさんを監禁下で説得したのはルーテル教会の平岡正幸牧師(故人)である。
僕の場合、他の被害者の生生しい話を聞いたりすると、自分の時の感覚が戻ってくるので、違うことを考えたり、気を散らすように努力したりとしていたことを思い出しました。拉致監禁の会議のあと、全体で祈ったりすることがあるのですが、目をつむると、状況が浮かんだり、感情が抑えられなくなるので、目を開けて、何も考えないようにします。
PTSDと言っても、私の場合、その問題から回避してさえいれば、生活に支障はなかったので、自分の場合は問題ないと考えていました。(実際は過去10年、自分の情を麻痺させてないと正常に生活できなかった)。今回は拉致監禁問題にかかわるようになって症状が出てきたから、こうして診療にこれるようになりました。
でも、私は診断を受けて思ったのは、拉致監禁を体験した人たちでPTSDが全くない人は相当まれなんじゃないか、ということです。みんな、PTSDであることに気づいていないだけなんじゃないかと。僕自身、ずっと自分の信仰的弱さや霊的問題として目をつむってきたけど、回避以外の対応があったわけではありませんでした。
今回、専門家に相談することにより、自分について客観的に理解ができるようになり、だいぶ楽になり、希望を感じました。
12月3日の東京新聞に、イラクからの米帰還兵のPTSDに関する記事が載っていた。
地上での交戦とは無縁で、遺体を目にしたことがなくても、PTSDと診断される米兵がいる。
イラク戦争が始まった03年3月19日夜、米海兵隊の伍長だったマイケル・デイさん(29)は、クウェート国境にいた。イラク側からのミサイル攻撃が一段落した時、電話で、前年に結婚したばかりの妻の流産を知らされた。
部隊では当時、イラクは化学兵器を使うかもしれないとの懸念が広がり、上官に覚悟しろとも言われた。しかし、15人の部下を従え、化学兵器で死ぬのが怖いという感情はおろか、妻の流産のことも表に出せなかった。泣いたら負けだと自分に言い聞かせた。
その年の7月に帰国。よき夫になろうとした。でも、どうしたらいいか分からない。無関心、無気力。突然、泣き出すこともあった。「イラクの方が楽だ」とも思った。離婚は時間の問題だった。
何かおかしいと思いつつ、PTSDと診断されたのは、帰国から5年後だ。
この記事から読み取れるのは、恐怖心そして孤独な中での妻の流産を知らされたという外傷体験から、PTSDと診断されるまで5年かかったこと、その間の無関心、無気力という症状を、帰還兵はトラウマ(過去の外傷体験)によるものだということに気づかなかった?ということだ。
「みんな、PTSDであることに気づいていないだけなんじゃないか」
Nさんの感想は的を射たものではないかと思う。
10年も前に受けた監禁体験が、今でも忘れ去られることなく、癒されることもなく、身体的精神的な症状となって表れる。信者家族からすれば、<もう10年以上も前のことになのに!信じられない>という気分だろう。
しかし、西澤哲氏の『子どものトラウマ』(講談社新書)では、母親に「おまえなんかいなければいい」と拒否的態度を示され、ときに暴力をふるわれた子どもが、大学を卒業し大手商社に就職したあと、うつ症状が表れ、リストカットに走る?など、外傷体験からかなりの時を経てPTSDが発症した事例がいくつか書かれている。
監禁後に、脱会した元信者であれ!教会に逃げ戻った信者であれ!、ときどき無気力感に襲われている人は少なくないと思う。周囲からみれば、うつむき加減で、やる気のなさそうな、ボウッとした感じに見えるのではないか。
そうした姿を目撃すれば、親や周囲の人たちは温かい眼差しで支えてあげる必要がある。
それなのに、周囲の人?拉致監禁のことを知ろうともせず、PTSDについても調べようともしない、無知にして蒙昧な教団のリーダーは「監禁後、信仰レベルが下がっているようだな。もっと、祈祷をしなさい。そうすれば元気が出てくる」といったバカな発言をする。
一方、保護説得に成功した親は<まだ統一教会のことを考えているのか。戻る気でいるのではないだろうな>と心配し、「いいかげんに統一教会のことは忘れてしまいなさい」と叱責する。そして、早く就職し結婚することを勧める。
こうした態度は、PTSDをより悪化させるというのに。
げに、無知とは恐ろしいものである。
ちなみに、黒鳥栄の戸塚教会には「脱会者」のほかに「元脱会者」という言葉があった。「元脱会者」とは、脱会後に就職・結婚し、一般の社会人になったという意味である。
しかし、周囲から言われ、統一教会のことを完全に忘れるために(もっと言えば、監禁体験のことを忘れるために)、就職し、結婚しても、必ずしもうまくいっていない。なぜなら、動機が不純だし、自らの自由な意思に基づくものではないからだ。
教団のメンバーや信者家族の無知ぶりには哀れな感じを抱くが、監禁下での脱会説得を得意とする牧師は無知ですまされる話ではなく、犯罪的とさえいっていいだろう。
なぜなら、彼らは知識としてPTSDを知っているからだ。
1995年に阪神淡路大震災が起き、多数の児童にPTSDが発症した。これをきっかけに、マスコミにPTSD用語が登場するようになる。
1996年 被災児童の心のケアに奔走した中井久夫精神科医がPTSDの知識を普及させるために、ハーマンの『心的外傷と回復』(別掲)を急遽、翻訳する。この本によって監禁によってもPTSDが発症することがわかるようになった。
1996年に、朝日新聞の宗教担当、池田洋一郎記者が『カルトと反カルト?信仰のるつぼ・アメリカの経験?』で、ディプログラミングの体験者がPTSDを発症している事実を報告している。
1998年12月の『中外日報』で、南山大学の宗教学の渡邉学教授がアメリカの論文に依拠しながら、強制脱会はPTSDを招くことを明らかにしている。
2000年10月号の『臨床精神医学』で、池本佳子精神科医が症例報告を行っている。
2004年の月刊『現代』で、私が3人の元信者がPTSDと診断されたことを明らかにしている。
まさか救出カウンセラー、脱会カウンセラーを名乗る牧師が、どれ一つ読んでいないとは思えない。知識としては知りながら蒙昧であるために、「保護説得とPTSDとの関係」をあえて理解をしようとしないのだ。それどころか、神戸真教会の高澤牧師や倉敷めぐみキリスト教会の高山正治牧師、元吹田教会の豊田通信牧師など一部の牧師にいたっては、相変わらず、保護(拉致監禁)説得を続けている。これを犯罪的と言わずして、なんと言えようか。
ところで、最近の統一教会の動きをみれば、統一教会の無知を哀れでいるだけではすまなくなってきている。反統一教会と同じように、監禁体験者の加害者になりつつあるからだ。
どういうことか。
最近、教団は組織をあげて「拉致監禁問題」に取り組むようになった。慶賀である。
具体的には、監禁被害者を中心に各地で集会を開いての拉致監禁の啓蒙活動である。
夏の終わりには、韓国・統一教会でも大々的に開催された。韓国の責任者は江利川安栄女子(第7代日本・統一教会会長、現在、韓国在住の日本人教会員の責任者)である。
この集会に参加したというか、参加させられたという韓国在住の日本の花嫁さん(拙著のために、韓国で取材した女性)からメールをいただき、その後、電話でも話した。以下、引用しておく。
「(症状が生じたのは)韓国監禁被害者の発足会がきっかけです。行きたくはなかったのですが、あまりにも純粋で何も分かってない一生懸命な班長さんの熱意に負けて行ってきました。
具体的にどうなったのかというと、緊張しすぎたせいか首がうごかなくなったのをはじめ、髪が抜ける、母乳が出ない、人と接したくない、人と接するとこれまで以上に警戒して緊張する、悪夢、無気力、怒りやすい、頭痛、涙もろくなる、字を書こうとすると手がふるえる、首や腕を中心に蕁麻疹が出ては消える.....。正直、自分はウツになったのではないかと本を読んだりもしました。蕁麻疹だけです」
彼女の症状は、前回書いたフラッシュバック、思い出したくもない、記憶を抑圧してきた外傷体験を周囲によって再体験させられたためによって生じたものだと思われる。
『すべてがわかる本』によれば「二次的被害」ということになるが、思い出したくない体験を外部から無理やりひっぱり出されるようなケースは書かれていないので、表現するとすれば「重篤な二次被害」ということになろうか。
統一教会的思考から離れ、また統一教会への好悪の感情を抜きにして、彼女のことを客観的になおかつ想像力をもって考えてほしい。
両親などから拉致監禁され、監禁下で牧師(彼女の場合は現行田教会の清水与志雄氏と戸塚教会の黒鳥栄女史)に説得され、そこから脱出して、韓国にお嫁に行く。
韓国語を覚え、韓国料理を習い、180度異なると表現してもいいほどの日韓の文化の違いを理解する。
儒教文化を背景とした独特の親族関係に慣れるように、たゆまず努力する。
やがて次々と赤ちゃんが生まれ、家事育児に奔走し続ける。
韓国の日本人女性たちは、拉致監禁という記憶を抑圧しなければ、生きてはいけないのだ。
無気力になっていると、「信仰が落ちている。もっと祈れ」とわけがわからないことを言われる。
これまで一度として、監禁体験者に押しつけがましくなく、温かい態度で、やさしいサポートの声などかけられたことはなかった。
記憶を封印し、頑張りに頑張り抜いている最中に、外傷体験を露骨に呼び起こされるような場に突然、引きずり出される。
これは犯罪的行為といってもいいのではないか。
集会に参加させられて、精神的に不調になったのは彼女だけではないという。
拉致監禁の1次的加害者が牧師と家族ならば、無知蒙昧な教団のリーダーたちは2次的加害者といっていいだろう。
今後、韓国の日本人女性にPTSDが相次いで生じるのではないかと私は恐れている。
そうなった場合、誰が救えるというのか!
追記その1ハンドルネーム「読者」さんからコメント欄でこんな質問をもらっていた。
「監禁によってPTSDになった人は例外ではないとのことですが、監禁された統一協会信者の中でPTSDになった人の割合はどれぐらいでしょうか」
本文がこの質問の回答になっていると思う。取材を含め何度か会っていた女性は、PTSDの症状とは無縁のように思えていたが、最近、うつ症状が表れ、PTSDと診断された。また、本文で書いたように、心療内科を受診していないが、韓国の花嫁さんはこの9月末からしばらくの間、明らかにトラウマ反応と思われる症状に苦しめられている。
だから、質問にストレートに答えれば、「わからない」というのが正直なところである。
前にもブログで書いたと思うが、牧師たちに、脱会説得に成功した元信者への追跡アンケート調査を行ったらどうかと提案したことがある。寂として声なしだったが、「意識の浮遊や変性状態があるか」「悪夢があるか」「健忘症(記憶喪失)があるか」といった調査を行えば、ある程度の割合はわかるのではないか。(拙著214頁、302?303頁参照)
なお、強制説得を行っている神戸真教会の高澤守牧師は「私が説得した元信者にPTSDが生じるようなことがあったら、今後、保護説得はやめる」と吹聴しているという。この牧師はPTSDのPの意味がまるでわかっていない。脱会説得に成功したものの改宗に成功せず、その後連絡を取り合うことのなくなった元信者(つまり神戸真教会の信者にならなかった500人以上の元統一教会員)にアンケートを取ってみたらどうかと言いたい。
追記その2個人メールで何人かから、こんな質問をいただいている。
「PTSDになる人とならない人との間にどんな違いがありますか」
これについては「保護説得と親子関係(2)」で書いたように、「トラウマの受けとめ方には個人差があり、その差には性格や考え方など、個人のもつ要素と、出来事そのものの規模と、両方が関係している」(『すべてがわかる本』)ということなのだが、こと監禁という外傷体験に限っていえば、もう少し違うファクターも関係しているのではないかと思う。
なぜなら、12年間も監禁された後藤徹さんにはトラウマ反応はほとんど生じていないからだ。出来事そのものの規模という点では比較にならないくらいに大きいのに。その一方、監禁体験が1カ月だけだったのに、1年間、心療内科に通院せざるを得なかった人(前出の池本論文で紹介された患者)もいる。
これはどういうことなのか。
PTSDに苦しんでいる元信者は、監禁前の親子関係が影響しているのではないかという。
確かに、関係がもともと悪かった親から監禁という虐待を受ければ、トラウマストレスの負荷はさらに大きくなるだろう。ただ、親子関係が良かったのにPTSDが発症した人もいるし、その逆の例もある。
そうした例外はあるのだけど、親子関係は一つのファクターとして考えてもいいように思える。
私がいま考えている仮説は、監禁体験中、監禁直後に、感情の発露があったかどうかによってPTSD発症の差が生じる?というものである。
人は悲しいことがあれば泣き、楽しいことがあれば微笑む。嫌なことがあれば顔をしかめたり、周囲の人に「今日、こんな嫌なことがあった」と話し、慰めてもらおうとする。
それができなければ、ストレスは飛躍的に高まる。
一回り年下の上司に、部下の面前で激しく罵倒されたサラリーマンは、居酒屋で「あの若造が!」と愚痴り、同僚が共感をもって慰める。居酒屋でよくある光景だ。ストレスが発散できず、それが内側に向けば抑うつ気分になるし、外側に向けば暴力行為が生じる。
監禁状態は、そうした感情の発露ができにくい特殊な環境である。
監禁された人たちは、感情を押し殺し、統一教会の批判を聞かされる。何度か激しく喚いたりしても、拉致監禁の全過程は感情を抑圧する過程である。感情を抑圧したまま、牧師の質問に答え、家族から「原理講論を教えてくれ」と頼まれればそれに従う。
こうした理由から、拉致監禁そのものの外傷に加え、感情を発露できないという外傷体験も、PTSD発症の有無に関係しているのではないかと思うのである。
(後藤さんの監禁体験に目を通してください)
では、監禁後はどうか。この場合、2つのパターンがある。
1つは、監禁場所から脱出し、統一教会に逃げもどったパターンである。
仲間がその人の話を共感をもって温かく聞いてくれれば、心は癒される。ところが、その逆に放置されたり、話をしても共感なく信仰的解釈をされたり、しょぼんとしていると「信仰レベルが下がっている」といった裁くような発言をされたりすれば、感情の発露をすることができなくなってしまう。
(後藤さんは監禁から解放されてから、統一教会系の一心病院に入院した。そこで、監禁体験を話し、周囲の人たちは同情をもって耳を傾けた)
もう1つは、脱会し家庭に戻ったパターンである。
この場合、「なぜ、監禁なんかしたのか」「監禁中は苦しかった」「お父さんやお母さんが鬼に見えたよ」「牧師とこそこそ話をされるのは人格を否定されるような気分だった」といった感情を吐露するような発言はできない。
そのように発言すれば「私たちも監禁中は苦しかった」「保護説得が嫌だったというのなら、統一教会にいたほうが良かったというのか」と返されてしまう。(拙著第6章・7章を参照)
もし、感情の発露の有無がPTSDの有無と関係があるとすれば、脱会者のほとんどはPTSD発症予備軍ということになる。推測するに、うつ症状で、心療内科を受診した人は少なからずいると思う。監禁から数年してうつ症状が出た場合、本人は監禁が原因と思わず、監禁体験を医師に話さない。そのため、うつ病と診断されてしまうのではないかと思う。実際、先の池本論文では患者は最初に「反応性うつ病」と診断されている。
今の段階で冒頭の質問に答えるとすれば、「性格や考え方など個人的要素+出来事そのものの規模+親子関係+感情の発露の有無が関係している」ということである。
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コメント
少しずつ、興味深く読ませていただいています。
「教団が二次の加害者」というのに、とても同意します。
単に想像ですが、私だったら、そんな体験をして、そのときの感情など人から聞かれたくありませんし、聞かれたからといって話したくも無いと思います。
被害に対し、声を上げるところはいいですが、本人はそっとしておいてほしいなら、そのままにしておいてあげて。
きっと監禁という言葉を聴くだけで苦しいでしょうから。
抑圧された感情
監禁された人たちは、感情を押し殺し、統一教会の批判を聞かされる。何度か激しく喚いたりしても、拉致監禁の全過程は感情を抑圧する過程である。
私は偽装脱会しましたが、全くそのとおりです。
悲しくても泣けず、怒りたくても怒れず感情を出せる場所がありませんでした。逃げてきてからは月に一度は理由も無く悲しくなり、一人になれるお風呂でいつも泣いていました。
今思えばそうして心のバランスを保とうとしていたんだと思います。
監禁時の感情が思い出されると、その思いをコントロールすることが困難になり、怒りにかわっていき、イライラしてきます。
沈んでいた火山が動き始めたように。
自らが自然と思い出し、向き合えるようになれることが一番大切なのではと思います。
祝20万件!
これからも予期せぬ火の粉もふりかかるかもしれませんが、是々非々のお立場をつらぬいてがんばってください!期待しています。
無理
黒鳥栄牧師(自称カウンセラー)が、PTSDを理解することは、「無理」だとおもいますよ。
さらに、江利川氏についても、韓国での大会は打ち上げ花火で終わるだろうと思います。
2次的加害者としての統一教会という、自覚、反省は米本さんよりはるかに浅いと思います。
今回の監禁騒ぎで、一番傷ついているのは、被害者の方々です。
統一教会に、被害者の心のケアをする能力は無きに等しいです。
いきなり、手記を書けとかね、事務的ですよ。教会は。
過去の屈辱を、また思い出すだけでも大変なことなのに、何の配慮もありませんから。
離教しようが、戻ろうがそんなこと関係なく、反対派も教会もこれ以上犠牲者を出すんじゃない!
そのようにならざる得ない内部事情もあるのでしょうが、拉致監禁経験者に対するケアー状況はお寒い限りです。本部もそんな現状は分かっていて、対処もしていますが、実効性のある対策は打ち出せずにいます。(特に地方は)
まず被害者へのケア―を現場任せにするのではなく、具体的に専門家の対処が必要と思います。このブログを読めば読むほど、被害者ケア―を現場の責任者や家庭部長ができるとは思えません。
後藤さんの事件が不起訴に
この事件の、どこをどうひっくり返せば不起訴という判断が下されるのか、全く理解できません。
平成12年4月20日に田中警察庁長官は国会で、拉致、監禁は親子であっても刑罰に触れる行為があれば厳正に対処すると答弁していますが、担当検察官は知らなかったのでしょうか?
日本は法治国家ではなく、警察国家に向かっているのでしょうか?
正義というものが失われつつあるように思えて、なんだかとても暗くなってしまいました。
不起訴について
後藤陳述書をブログでアップしながら、裁判員になったつもりで、起訴か不起訴か考えていました。
まず、監禁下で説得した宮村峻と牧師の松永については不起訴になると思っていました。なんだか後出しジャンケンのように思われるかもしれませんが(でも、このことはブログのどこかに書いたはず。物証がないといった表現で)、宮村・松永が後藤さんの家族を唆して、拉致監禁させたという証拠は何一つないからです。
また、監禁下で宮村・松永が説得したという証拠もありません。よって推定無罪です。
ところで、驚いたことはあります。それは、後藤さんの家族まで、宮村・松永とワンセットで不起訴になったことです。
これは予想に反していました。
宮村・松永は不起訴、家族は嫌疑十分の起訴猶予処分もしくは略式起訴で罰金刑かと予想していました。宮村・松永は前に書いた通り、推定無罪の原則で不起訴であっても、家族まで不起訴処分は納得できません。
まあ、検察不服審査会に申し立てるでしょうし、民事裁判もやるでしょう。
先は長いからのんびりと。
疑わしきは罰せず
疑わしきは罰せず
これが刑事裁判の原則。
我が事件を担当した刑事が言った。
「俺達は国家権力を握っているんだ。まける舟には乗れないんだよ」
さらに、「無実と無罪は違うんだ」
刑事は悔しそうに言っていた。過去、どれほどの事件が無罪となったのだろうか。
デカの苦悩がそこにはあった。
希望的観測もあったが、ここまではシナリオ通りということだろう。
後藤氏の今後の奮戦に期待したい。
幻想から現実へ
「12年5ヶ月に渡り監禁された」と考えるから、全く理解できなくなるのです。
裁判官は、全ての証拠を客観的に吟味した結果、「監禁」ではなかったと判断しました。
だから不起訴とした訳です。
統一教会が自らに都合がよい情報をのみを与え、信者に植え付けた「思い込み」から解放されることを祈ります。
↑
「12年5ヶ月に渡り監禁された」と本人が言っていて、食事も満足に与えられずに、がりがりに痩せてしまった、米本氏が撮った写真を見て、幻想とおっしゃられているのでしょうか?
検事は「監禁ではなかった」と判断したのではなく、状況証拠しかない本件について、起訴しても勝ち目はないと思っただけのことではないのでしょうか。
「幻想・思い込み」という言葉はも少なくとも、12年5ヶ月ものの間、監禁された後藤氏に対し侮蔑に値するものと思います。
統一教会などを信ずるが「馬鹿」という立場なら当然のことなのでしょうが、
統一教会員に人権はないとも、思われるコメントはいかがなものかと存知ます。
大和櫻さんへ
しかし、第三者の我々が、検事の思いを推論しても仕方ないし、12年5ヶ月ものの間「監禁された」と決め付けても、余り意味がありません。
原告と被告の言い分を充分に吟味した結果、「監禁された」とは認めることはできないと司法関係者が判断したという事実が厳然と存在するだけです。というのも、「監禁された」と認めることができるならば、必ず起訴をするでしょう。検事は職業柄、犯罪の事実を見逃すことは許されない義務を負っているわけですから。
ところで、「統一教会などを信ずるが馬鹿」とか「統一教会員に人権はない」などと誰が書いたのでしょう?私はそのように書いたことはないし、そのように匂わせたこともありません。 大和櫻さんが私の言い分を極論化し、断罪しようとしているように思えますがいかがでしょうか。
そもそも、「統一教会などを信じても馬鹿」ではないし、「統一教会員にも当然のことながら非統一教会員と全く同様に人権はある」と断言しましょう。事実、オウム真理教でもそうでしたが、巧みな心理誘導などにより意識しないままに反社会的な教えを植え付けられてしまい、あまつさえそれらを実行に移すことで結果的に違法行為を働いてしまった人も少なからずいたようですが、多くの「頭が良い信者達」がいましたし、統一教会員だって、その他の人々と全く同様に人権を有しているのは明らかです。
そして、私も思想・信条による差別には断固反対します。
しかし、思想・信条を言い訳とした反社会的行動を行う自由はない、というのも、これまた秩序ある人間社会を維持するうえで絶対に必要な、動かし難い原理原則のようなものだと考えています。
まずは「監禁された」と決め付ける人々は、その頑なな姿勢を止めた方がよさそうです。というのも、そうしている間中、司法関係者が出した結論に対して反発したり、現実から逃れるために合理化を行ったりし、思考を停止してしまい、ありのままの現実を見ることができない状態が続くからです。
それは、貴重な人生を浪費している状態だとさえ言えるかもしれません。人生は、こそこそと正体を隠して詐欺的商法を行ったり、血統が汚れてるだの先祖の因縁だのおどろおどろしい与太話で相手の財産と自由に生きるべき時間を脅し取らないと維持も発展もできないような「宗教」がいつの間にか植え付けた幻想に浸り続けるには短すぎます。大きく眼を見開いて、現実社会を生きてゆきましょう。
不起訴について(2)
AWAKEさんと大和櫻さんの投稿を読んで、事実認識が不十分だと思いましたので、割り込む形になって申し訳ないのですが、再度、書いておきます。
(1)後藤さんの告訴を受け、警視庁と荻窪警察署の刑事課は10人のチームを組んで、捜査しました。詳細を述べることは控えますが、かなりの範囲で捜査していました。その結果、12年間監禁されていたという告訴状には信憑性がありということで、宮村氏たち6人を書類送検しました。
嫌疑不十分なら警察は送検しません。嫌疑十分(立件できた)と判断したからこそ、東京地検に送致したのです。
この点を見落とした推論は、たんなる偏見になってしまいます。
その意味で、AWAKEさんが「12年間の監禁が幻想で、統一教会員の思い込みである」といった趣旨の指摘は失当です。
大和櫻さんが「「幻想・思い込み」という言葉はも少なくとも、12年5ヶ月ものの間、監禁された後藤氏に対し侮蔑に値するものと思います」という感想を持たれたのも当然のことです。後藤さんの陳述書と告訴状をブログでアップした私も、同じような感想を抱きました。
12年間の出来事を綴った陳述書ですから、記憶違い、思い違いといった部分はあるでしょうが、もし「幻想」(タイトルにあるだけですが)と思われるのであれば、陳述書と告訴状のどの部分が思い込みで幻想なのか、具体的に指摘すべきだと思います。
(2)書類送検の報を受けて、私を聴取した刑事に、「物(証拠)が見つかったうえで送検したのか」と聞きました。答はノーでした。この段階で、不起訴が予想されました。
お忙しいとは思いますが、「統一教会考(2)」を読んでください。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-75.html#more
警察の捜査に失態があるとすれば、逮捕拘留して、6人が口裏合わせができないようにして、取り調べるべきでした。
また家宅捜索もやるべきでした。
警察の関心事は、宮村氏が脱会に成功した場合、どのくらいの謝礼金を受け取っているのかということにありました。
「彼が手がけているのは金持ちの家が多い。だいだい一件あたり400万円ぐらい受け取っているらしいが、何か知っていることはないか。領収書を受け取った人はいないか」
とかなり執拗に聞かれました。
もし家宅捜索をしていれば、預金通帳、ファイル(被説得者のごとのノート)などを発見することができたはずです。
逮捕しなかったのは、かえすがえすも残念です。
(3)警察からの送致を受けて、東京地検は熱心に事情聴取をしたようです。なにしろ、後藤さんだけで10回前後。被疑者である6人はもっと根掘り葉掘り聴取されたと思います。
ただし、検察の捜査は捜査といっても、大手町の地検建物から外に出て行うことはなく、ほとんどすべてといっていいほど、取調室での事情聴取です。(自白偏重主義のなせるわざです)
東京地検の「不起訴処分の通知書」(1、2行)に理由は書いてないから、なぜ不起訴なのか、推測することすらできません。
この点、「疑わしきは罰せず」(推定無罪)によって不起訴としたとする大和櫻さんの指摘はその通りだと思います。
推定無罪の原則は最大限に尊重されるべきで、この原則が自白偏重主義によってないがいしろにされたために、足利の菅家さんは無期懲役という冤罪をくらったわけです。布川事件の再審が決まったのも、「疑わしきは罰せられる」と近代刑法に反したことが行われてきたためです。
その意味で、宮村氏たちの不起訴処分は尊重されるべきだと思います。菅家さんの冤罪はけしからんが、宮村の不起訴処分もけしからんというのでは話になりません。たんなる感情論です。
(4)しかし、その一方で、AWAKEさんの見解にも、若干、首を傾げざるを得ません。
「原告と被告の言い分を充分に吟味した結果、『監禁された』とは認めることはできないと司法関係者が判断したという事実が厳然と存在するだけです。というのも、『監禁された』と認めることができるならば、必ず起訴をするでしょう」
「『監禁された』と決め付ける人々は、その頑なな姿勢を止めた方がよさそうです」
逮捕監禁罪を適用できるような「監禁はなかった」というのであれば納得できますが、無前提で「監禁はなかった」とするのなら、失当です。その理由はすでに述べたように、警察は嫌疑ありと立件したからです。
その点で、大和櫻さんが「無罪と無実」とは違うと指摘したのは、的を射たものだと思います。
検察にとっては「起訴をした場合、公判を維持できるか」が最大の関心事です。起訴をして無罪判決が出た場合、担当検事(おそらく担当部も)にはマイナスの烙印が押されます。「統一教会(2)」で、このことは書いています。
つまり、「公判を維持できる」と確信がもてるほどの証拠はなかったということだと思います。繰り返しになりますが、だからといって、無前提に監禁はなかった、監禁があったというのは幻想であり、統一教会員の思い込みだするのは、それも一つの感情論にすぎません。
(5)前の投稿でも書きましたが、私が疑問なのは、なぜ家族も不起訴なのかということです。
監禁罪が成立するには、いくつかの構成要件が必要ですが、そのうち一番重要なのは「物理的に逃げることができなかった」というものです。
たとえば、私が父親に監禁された場合、告訴しても父親は不起訴になります。監禁したのは男一人だけですから、刃物、拳銃でも持っていない限り、逃げ出すことはできたはずだと判断されます。
後藤さんの場合、逃げ出すことができる機会があったのに逃げ出さなかった。だから、監禁罪は適用できないと判断されたのでしょう。
しかし、目の前にいる女性が誘拐犯であれば殴り倒したりもするでしょうが、後藤さんのケースの場合、そうではなくて、年老いた母親でした。平手打ちすらできなかった。
「逃げることはできるのだけど、心理的に逃げることはできない」という、最近話題になりつつある「心理的監禁」に、検察はもっと注目すべきだと思います。
統一教会員の「監禁」が特殊なのは、誘拐犯などアカの他人ではなく、親が子どもを監禁することにあります。行政や司法関係者は、この特殊性を研究・検討すべきです。なにしろ、何年間も社会復帰できないPTSDを発症させる危険な“特殊監禁”なのですから。
(6)蛇足なのですが、AWAKEさんは最初の投稿で、「統一教会が自らに都合がよい情報をのみを与え、信者に植え付けた『思い込み』から解放されることを祈ります」と書かれています。
この一文が、後藤さんの監禁事件を「信者に植えつけた」と考えていらっしゃるのなら、事実に反する失当です。
「ニュース(7)」の後段部分
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-79.html#more
「統一教会考(8)」
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-88.html#more
「統一教会考(10)」
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-105.html#more
--を読んでください。
AWAKEさんの投稿文を読むと、誠実な方のような印象を受けました。それだけに、荒さが目立つのが残念です。また、遠慮なく、投稿をお願いいたします。
なお、後藤監禁事件と不起訴処分について、投稿されたい方は多いと思いますが、事実に基づいて行っていただければ、幸いです。管理人のホンネとしては、ここのコメント欄で、このテーマでの投稿はあまり歓迎しません。なぜなら、このブログのテーマは「親は子どもに謝罪すべきか否か」ですから。
Re:不起訴について
心情的に、どうしても当事者(後藤さん)側に立ってしまうものですから、不起訴と聞いて憤ってしまいました。
米本さんのコメントを見て、事情を理解することができました。今後の取り組みに期待するしかなさそうですね。
また、AWAKEさんのコメントで、
>統一教会が自らに都合がよい情報をのみを与え、信者に植え付けた「思い込み」から解放されることを祈ります。
とありますが、率直に都合のよい情報のみ流れてくる側面も確かにあると思いますが、流れてくる情報をそのまま受け止めるのではなく、自分なりに判断しようと心がけているつもりです。ここで長くコメントすることは避けようと思いますが、現実を受け止めることも必要でしょうが、その現実で変えるべきところは変えようと努力することも大事と思います。
自らトラウマ症状を訴える人はいない
自分は被害者ではありませんが、実は今回の記事にも書かれている韓国での「拉致監禁被害者の会」の結成式に参席しました。参席者の中には「拉致監禁」のことを全く知らない韓国人の信者の方も大勢いました。
壇上に立たれて話をされる方の中にはトラウマの症状を訴えられる方もいらっしゃいました。極端なトラウマ症状のためにその場に来られない人もいると聞きました。
会の結成には統一教会信者に対する「拉致監禁」が犯罪であることを日本政府に認めさせこれ以上被害者を出さないようにという目的があります。後藤さんの件が不起訴になったように、国内で騒いでも埒が明かないので韓国を始め海外に知らしめて(人権団体や専門家、有力者など)日本に働きかけてもらおうということだそうです。そのために署名も募っています。
その後各教会に「拉致監禁」の被害者が何人いるのかそして具体的な被害はあったか(暴力やPTSDなどの精神被害も含む)調べることになりました。うちの教会は日本人が35人いるのですがそのうち5人が被害者でした。うち2人は以前から自らが被害者であることを話していたので知っていましたが、後の3人については知りませんでした。
確かに被害者一人一人のことを思えばそっとしてあげるのがいいのでしょうが、それでは解決の道が開けません。
また、このブログを読み始めたところだった自分はPTSDの症状をある程度理解することができますが、恐らくそれ以外の人たちは全く知らなかったと思います。なぜなら、自ら話さないので自分の教会ですら被害者が5人もいたとは知らなかったわけです。つまり今回「被害者の会」を結成してみて初めてトラウマ症状やPTSDというものがあるということが明らか(被害者にとっても、周囲の人にとっても)になったといってもいいのではないでしょうか。
でも米本さんも
>「逃げることはできるのだけど、心理的に逃げることはできない」という、最近話題になりつつある「心理的監禁」に、検察はもっと注目すべきだと思います。
と書かれているように「監禁」をした人たちを加害者たらしめるにはやはり被害者の訴えがどうしても必要になってくるのではないでしょうか。
>無知蒙昧な教団のリーダーたちは2次的加害者といっていいだろう。
と書かれていますがPTSDそのものが日常的にあるものではない上(一般の人でPTSDを理解している人がどれだけいるでしょうか)、被害者でなければ分からないものでもあるため、一部のリーダーが被害者に対し不用意な言葉をかけてしまったとしても致し方なかったと思います。
ですから、今後はPTSDの被害者の方に配慮しつつ活動をしていくべきだと思いますし、少なくとも韓国においてはそうされてきていると思っています。
予定変更のご案内
投稿文の大筋には同感なのですが、少々気にかかることがあり、予定を変更して、次のブログ記事でそのことを書くことにします。
決して、猫さん個人を批判的に取り上げるつもりは毛頭ありませんので、誤解なきようお願いいたします。
「保護説得と親子関係-PTSDについて考える」の補論として読んでいただけたら幸いです。
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