親は子どもに謝罪すべきか否か?PTSDについて考える(3)
保護説得と親子関係(3) 解離
前回の「保護説得と親子関係(2)」で、 「traumaの症状は、戦争・レイプ・誘拐・災害・略奪・事故・暴行・監禁などの衝撃的な体験によって生じる」、その衝撃度は「その人の性格や、出来事そのものの規模によって異なる」と述べた。
では、トラウマの症状が出ているのに適切なケアが行われなかった場合、あるいは精神的衝撃がその人によってより重かった体験者は、どのような精神疾患になるのか。
『PTSDとトラウマのすべてがわかる本』に沿って、述べることにしたい。
「トラウマの被害として、一般によく知られているのは、PTSDでしょう。災害や事件などにあって、その体験がトラウマとなり、生活に支障が出ている状態を指します。
ただ、こうした基礎知識は普及しているのですが、PTSDが体験後一カ月以上経過して、はじめて診断されるということは、あまり広く知られていないようです。
テレビや新聞で『災害の直後にPTSDになった』と報道されることがありますが、これは誤りです。PTSDはトラウマ反応が消えず苦しむことです」(16頁)
「トラウマによって発症する病気には、PTSDのほかに、ASD(Acute Stress Disorder=急性ストレス障害)というものもあります。
PTSDは事件や事故から一カ月以上症状が続かないと、診断されません。しかし、実際には事件直後からPTSD症状が出て苦しむ人もいます。そういった人を、診断できないからと言ってほうっておくわけにはいきません。
そこで、体験直後に解離症状をともなう顕著なトラウマ反応がある場合には、ASDとして診断して、対処します。
ASD診断の決め手は、解離症状の有無です。この症状がある人はPTSDの発症が予想されます」(18頁)
解離を説明するにあたって、話は少々それる。
反統一教会の人たちの中には、私が拉致監禁の問題をことさら強調するために、つけ刃的な勉強によって、PTSDとか解離のことを書いていると思っている人がいるかもしれない。そこで、簡単に私と精神疾患との関わりを述べておく。
私が最初にPTSD、解離性障害という精神疾患名を知ったのは、今から10数年前、ヤマギシ会の取材をしているときだった。自殺を試みたり、激しい攻撃性を有する、つまり尋常ではないヤマギシ会の子どもたちの存在を知り、それで、精神科医の山登敬之さん(現、東京えびすさまクリニック院長)とその後評論家としても有名になった斉藤環さん(現、爽風会佐々木病院・診療部長)からレクチャーを受け、PTSDと解離性障害について勉強するようになった。
また、私はヤマギシ会の特別講習研鑽会(略して特講・とっこう、脳の神経回路を変容させるようなセミナー)を受けたあと、斉藤さんの診察を受けた。「軽い解離状態にある」と診断された。
斉藤さんはこれがきっかけとなって、ヤマギシ会のメンバーの調査を行い、同会のメンバーは解離度が高いという学会発表を行った。
『洗脳の楽園?ヤマギシ会という悲劇』を読んでみてください。(注1)
その後、ヤマギシ会の子どもたちの様子にショックを受けた私は、『カルトの子?心を奪われた家族』を書いた。統一教会、エホバの証人、ヤマギシ会、オウム、ライフスペースの二世たちの報告である。同書では、子どもたちの症状を説明するために、PTSDや解離性障害など心理学・精神医学の概念を用いている。典拠した文献も少なくない。
「カルト対反カルト」という白か黒かの視点だけから見れば、『我らの不快な隣人?統一教会から救出されたある女性信者の悲劇』は、「反カルトライターの統一教会擁護が波紋呼ぶ」といった『ザ・ファクト』のような書評も生まれるのかもしれないが、善意の虐待、その結果としてのトラウマという視点からすれば、『洗脳の楽園』・『カルトの子』と『我らの不快な隣人』とは、私にとっては連続線上にある。
統一教会にも反統一教会にも誤解されている節があるようだが、保護説得の実態が刑法に違反するような拉致監禁であること、それは信者の人権侵害であり、、ひいては信教の自由を侵害する行為というだけにとどまるなら、月刊誌にルポを書いて終わっていただろう。
しかし、保護説得をされた信者・元信者が、“カルト”の子どもたちと同じように、親から立ち直れないほどの心的外傷を受けていることを知ってしまったがゆえに、数年かけて『我らの不快な隣人』を書いたのである。(注2)
だから、この本を出したことによって統一教会寄りと評価されるのが、私には不思議でならない。斉藤環さんの書評「語られない真実」を再読して欲しい。
「ゆきすぎた反カルトの風潮は、そうした事実(保護説得の実態のこと)すら口にされにくい空気をもたらしてはいないか」。まさにその通りではないか。
これから書くことは、2つの前著を踏まえてのことである。
急性ストレス障害、解離性障害という疾患名は、少し前にマスコミに大きく取り上げられたことがある。
怪我治療のため静養中だったはずの朝青龍がモンゴルでサッカーを興じていたことに端を発する、激しい朝青龍バッシング報道のときである。
相撲協会と提携しているある精神科医が、朝青龍の状態について「彼は急性ストレス障害、解離性障害にかかっていて、記者会見には応じられない」と発表した。これを受けて、記者たちにとって初めて聞く疾患名だったのか、それを辞書で確認する程度の勉強さえ怠ったためか、「詐病ではないか。精神科医もグルではないか」と報じていた。
テレビに映し出される朝青龍の無表情な顔、感情が喪失したような表情を見て、「ああ、解離しているな。精神科医の診断は正しい」と思った。ヤマギシ会の子どもの表情とまるで同じだったからである。
解離とは、ある衝撃な体験(朝青龍の場合、連日のパッシング報道、朝青龍が引きこもっているマンションを報道陣が監視しているような状態など)から自分を防御する心理反応である。
衝撃的な体験をそのまままともに受ければ、人格が崩壊しかねない。そこで、「感情を麻痺させる」あるいは「自分が自分でないような離人症」になればいいのである。つまり、麻痺させて衝撃度を軽減させるわけである。
急性ストレス障害と診断される基準は、次のうちの3つ以上の解離症状がある場合である。(詳細は19頁)
(1)麻痺した、孤立した、または感情反応がないという主観的感覚。
(2)自分の周囲に対する注意の減弱(たとえば、ぼうっとしている)。
(3)現実感の喪失。
(4)離人症(自分が自分でないような、ふわっとした感覚)。
(5)心的外傷体験の重要な部分を思い出すことができない(解離性健忘)。
ここで理解しにくいのは(5)の解離性健忘であろう。
解離概念(注=乖離ではない)を精力的に論じたのはフランスの精神科医のジャネ(1859年?1947年)たちだったが、同時代のフロイト(1856年?1939年)の影響力があまりにも大きく、その後、心理学や精神医学界から忘れさられていった。
それが再び、脚光を浴びたのは、反戦運動の高まりによってベトナム戦争の帰還兵、また高揚するフェミニズム運動を背景に性的被害者の、ある特有の症状が注目されるようになったからである。
それぞれにまったく関係のない戦争とレイプ体験者に共通して見られたのは、衝撃的な体験が記憶から消えていたことだった。なんらかのきっかけで、体験がフラッシュバックとなって蘇る(蘇るとパニック発作などが起きる)ことから、記憶が飛んでいることがわかり、それでジャネたちの学説が脚光を浴びることになったわけだ。
このことからわかる通り、人はあまりにも衝撃的な体験を受けると、防御反応として(耐えきれず)、記憶を瞬間的に消すということである。(『カルトの子』の、とりわけヤマギシ会・エホバの証人の章を参照)(注3)
これ以上書けば、急性ストレス障害、解離性障害の解説になってしまい、本題から離れてしまうのでやめるが、保護説得によっても解離が生じているようである。
その1・拙著でも取り上げた川嶋英雄さんが私に語ったところによれば、監禁から脱出直後の女性信者が「子ども返り」をしていたという。「何とかデチュ?」という幼児用語をしゃべっていたというのである。
その2・元吹田教会の牧師・豊田通信氏から監禁下で脱会説得を受けたK君も、吹田教会の“勉強会”で同じような「幼児返り」をしていた人のことを伝え聞いていたという。
幼児返りは、感覚を麻痺させる退行と呼ばれる症状である。<注 退行=防衛機制の一つで、以前の未熟な段階の行動に逆戻りしたり、未分化な思考や表現の様式になること。(有斐閣の『心理学辞典』)>
2人の証言を聞いて、ゾッとした。
拙著の主人公である宿谷麻子さんを監禁下で説得していた戸塚教会の黒鳥栄牧師が、連絡役の妹に、幼稚な麻子にするように指示していたからだ。(『我らの不快な隣人』82頁参照)
<麻子を10歳の子どもだと思って接する。具体的には幼稚語で、「?だねえー」「?しよ?」「そうなの?」とすべて語尾をのばす。常にふつうの言葉では話さない。いつもいつも常に笑いかけて、親が子ども扱いすれば麻子を子どもっぽくできやすい>
つまり、人為的に「子ども返り」「退行」を引き起こそうとしていたのである。
もちろん、黒鳥はそんなことを意識していない。
「親にたっぷり甘えることで、文鮮明にすがっていて離れなかったのが、ある日簡単に“取れる”ようになる」と考えて、幼稚な麻子にしようとしていたのだ。
ここからは推測を交えた分析になるが、黒鳥牧師は監禁下の信者が幼児返りをするのを何度か目撃していた。そして、幼児返りをすると脱会に至るケースがあった。それで、黒鳥氏は「脱会をさせる勝利の方程式は、信者を幼稚にし、親に甘えさせればいい」と考えた。(注4)
しかしながら、幼児返りは、前述した通り、衝撃的な体験を和らげる・防御するための心理反応である。
監禁下で信者が幼児返りをしていたら、「衝撃的な体験」である「監禁」から解放し、専門医に受診させなければならない。
それとは逆に、黒鳥氏は人為的に「幼児返り=退行」現象を引き起こそうとしてきた。そう考えると、空恐ろしくなってしまう。
カウンセラーの勉強をたくさんしたという、自称カウンセラーである黒鳥氏のレベルや如何に、であろう。
そもそも、価値中立的で自分の意見をクライアントに話してはならないカウンセラーが、保護説得にいざない、監禁下で脱会説得をする。そして、宿谷麻子さんや中島裕美さん、高須美佐さんなど脱会した元信者と一緒にいながら、彼女たちがトラウマに苦しんでいることさえ見抜くことができなかった。さらに言えば、3人の元信者がPTSDになった原因を作っておきながら、その後一切、知らん顔だ。
それなのに、そんなことを忘れてしまったかのように、「全国統一協会被害者の家族の会」で、いまだにカウンセラーとして信者家族の相談に応じている。何と表現すればいいのか、言葉が出てこない。
ところで、精神科を受診し、「解離性障害」と診断された女性信者が、まだ一人だけだが、存在する。
その女性は19年前に夫に拉致監禁された。脱会説得は失敗し、その後、再び、夫と一緒に暮らすようになった。それから、ガタンとドアを閉める大きな音を聞いたりすると、(拉致監禁のことが無意識のうちに蘇るためか)、不快な気分になり、抑うつ状態になった。
それで、今年に入って受診したところ、「解離性障害」と診断されたのである。
前述した解離症状の(1)?(5)のどれがあったのかわからないし、精神科医が診断した基準もわからないが、監禁した夫と一緒に暮らすためには、防御反応として、感覚を鈍麻させたり、自分が自分でないような離人症の状態にならなければならなかったのではないだろうか。
精神医学では「急性ストレス障害」「心的外傷後ストレス障害」とは別に、衝撃的な体験を原因とする「解離性障害」(Dissociative Disorder) も、一つの精神疾患として分類されている。
彼女の場合、急性ストレス障害で見られる「解離症状」ではなく、「解離性障害」と診断されたわけである。
『DSM???SR 精神疾患の分類と診断の手引き』によれば、「解離性障害」には「解離性健忘」「解離性とん走」「解離性同一性障害」「離人症性障害」「特定不能の解離性障害」の5つの疾患名が記されている。
断片的な情報を総合すると女性信者は、「解離性健忘」と「離人症性障害」ではないかと思われる。
(1)宣伝になりますが、『就活のバカヤロー』(光文社新書)で有名になった石渡嶺司さんが、この11月に発売となった新著『ヤバイ就活』(PHP新書)で、学生時代に絶対に読んでおいたほうがいい本として、『洗脳の楽園』をあげています。
また、私の取材力をほめる材料として『我らの不快な隣人』も紹介しています。ちょっと面映いのですが、そのくだりを紹介すると、
<この方がさらにすごいなと思ったのは実は去年、情報センター出版局から出した『我らの不快な隣人』。ただ、(説明は)長くなるのでちょっと飛ばします>(同書283頁)
拙著が統一教会を擁護するものというなら、石渡さんも擁護支援者ということになり、頭が混乱するというか、少々笑えることになってしまいます。
(2)統一教会、反統一教会の人たちから、「3つの本は同じような視点で書かれている」という感想を、個人メールでいただくことがあります。すべての人が誤解しているわけではないことを付け加えておきます。
(3)監禁体験者の方に。
「心的外傷体験の重要な部分」、たとえば、拉致されたとき、マンションに押し込まれたときの両親の顔や言葉など思い出すことができない人は、解離を疑ったほうがいいと思います。もっとも、トラウマが治り、過去の記憶となったため、思い出せない場合もあります。どちらか判断がつかない場合は、記憶を蘇らせようとするときに、苦痛(鬱々とした気分、過度の緊張など)をともなうかどうかが判断材料になると思います。
(4)家庭に居場所なく、救いを求めて“カルト”に入る若者たちがいる。そういう場合、「家庭に居場所を作ってあげることが大切」だと説く。私もそのように話したことが何度かある。
しかしながら、「信者を10歳ぐらいの状態にして親に甘えせることが大切だ」と説くのは、わが黒鳥牧師ぐらいだろう。何人かの脱会説得者たちにオフレコで話を聞いたこともあるが、黒鳥氏のような珍説は聞いたことがない。
また、脱会説得に関する非公開、取り扱いに要注意の資料をいくつかもっているが、そこにもそのようなことは一切書かれていない。
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- [2009/12/03 10:30]
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コメント
急性ストレス障害
私は幼いころ、「自分がここに存在することに違和感を感じる」事が良くありました。
部屋に寝転がって天井を見上げていると、ここがどこなのか、何で自分がここにいるのか不安になることが良くありました。
これはもしかしたら(4)の離人症(自分が自分でないような、ふわっとした感覚)。だったのかなと思いました。
サタンの芸名
黒い鳥が栄える、しかも女牧師。
聖書をかじった者として、まじめに笑ってしまった。
そして、彼女の陳述書を見て、さらに「こいつ完全に自己陶酔している」と思い、絶望にも似た滑稽さを感じた。
分厚い彼女の陳述書は、はじめから最後まで、いかに自分が善人かをとうとうと書き連ねてあるものであった。
さらに、私を愕然とさせたのは、陳述書の最後に、ご丁寧に自分史の年表までついていたことである。
読んでいるほうが、面映くなる彼女の陳述書から推察するに、少なくともカウンセラーを名乗るのは危険な人物だということだ。
「命の電話」のボランティアもした、とも書いてあったが、冗談はよせと思ったものである。
彼女には少なくとも、自分自身を静観するという能力に欠けていると思う。
牧師はやっていても良いと思うが、カウンセラーはやめていただきたい人物である。
カウンセラーをやりたければ、改めて、臨床心理士の資格でも取ってからにしてもらいたいものだ。(もし、臨床心理士の資格をもっていたら恐ろしい)
監禁で稼いだお金で、戸塚教会は新築した。
その礼拝堂に神はやって来るのだろうか?
甚だ疑問である。
ブヒ子さんへ
衝撃的な体験を受けたり、そのような体験を受けることがわかったりしていた場合、心の衝撃を和らげるために、無意識のうちに、自分が自分でないような感覚になるのだと思います。
虐待を受けている児童は、離人よりもむしろ解離することによって、親からの暴力という衝撃から身を守っているのだと思われます。
xさんへ
精神科医や心理士の資格のない素人が知ったかぶりで診断的な発言することに違和感、嫌悪感を抱かれるのはよくわかります。
ところで、本ブログで紹介した2つの本を読んでもらえばわかると思いますが、97年の『洗脳の楽園』、00年の『カルトの子』を書くにあたって、それまでまったく無縁だったPTSD、離人症、解離について、専門家のレクチャーを受け、一般書、専門書をかなり勉強したつもりです。
本には専門家の名前、本の題名を書いています。
監禁体験者がPTSDで診断されたことから、『我らの不快な隣人』を書くにあたって、再度、この疾患については勉強し直しました。急性ストレス障害の特徴としての離人症状についても。
勉強のお墨付きをもらったというわけではありませんが、『カルトの子』の文庫版の解説は斉藤環精神科医が執筆しています。
また、離人症ではないかと疑問を持たれたブヒ子さんとは、このブログでのやりとりとは別に、直接お会いしてそのときの模様を詳しく聞きました。
子どもの頃、ここはどこか、自分はどこにいるのかといった不安でふわっとした感覚は何度も経験したそうです。それが「何から防御する」ためだったかもはっきりました。
ブヒ子さんが所属していた宗教団体の子どもには数多くインタビューしましたが、同じ傾向、同じ症状でした。
それで、あらためて投稿した次第です。
再びXさんへ
一度、『カルトの子』を読んでいただけませんでしょうか。そのうえで、「心理士や精神科医がきちんとした診察を行ってから言うようなことだ」 と批判していただければ、感受いたします。
病院に行きたくない人もいる
私は主人のことで長い間悩んできましたが、米本さんから「拉致監禁によるPTSDではないか」とアドバイスいただきました。当時思ってもみなかった見解でしたが、病院にも行きたがらない主人とどのように接すれば良いかわからず悩んできたわたしにとって、今はPTSDだったとはっきりわかったことで向き合い方がかわりました。
私の主治医も今は主人のこともPTSDだろうと言っています。
拉致監禁とPTSDの関係は私たち被害者もよく知る必要があると思いす。また病院にいきたがらない身近な人がいる場合、米本さんのように専門的知識を持っていらっしゃる方からのアドバイスはとても大切だと思っています。
遅ればせで申し訳ありません
その本は、現役の弁護士の方が論理思考法について、書かれている本であったのですが、
その本では、人が物事を判断するにあたって、その判断形式が単純に二つの形式に分かれると書かれてありました。
形式判断と実質判断(記憶が曖昧で申し訳ありません。このような表現であったと思います。)の二つです。
形式判断とは規則とか法律等に定められた範疇での判断。
実質判断とは、内実に対する判断の事です。
例えば、A級ライセンスを持ったプロドライバーでも、免許を持たないで公道を運転すれば、無免許運転であり、許されることではない・・・というのが形式判断
逆に運転技能があり、交通規則も良く知っているのであれば、法は破るかもしれないが、さほど問題ではないとするのが実質判断
ともなりましょうか。
今挙げた例では、明らかに、形式判断が是であり、実質判断は非でありましょう。
しかしながら、その本では、面白い命題を挙げていました。
手塚治氏の有名な漫画に、ブラックジャックという無免許医の話があります。
その漫画からとって、次のような状況でブラックジャックに手術を頼むは是か非かという命題です。
ある無医村で、突発的急病患者が出た。医療を受けれる病院が非常に遠いのに、その病人の容態は一刻を争う。今手術を受ければ、命は助かる見込みが大きい。そして、その無医村にたまたまブラックジャックがいて、ブラックジャックがどんな人か判っていた・・・。
さて、この時ブラックジャックに手術を頼むのは是か?非か?
形式判断では非であり、実質判断では是・・・・。
皆さんはどう判断されますでしょうか?
また、形式判断は是、実質判断では非・・・という例もあります。
他ならぬ、米本様が取材され、レポートされた清水病院の例がそれでありましょう。
さて、私が思うのは、この判断の二つの形式は、やはり過不足無く、両論から見て判断すべきではないかと思います。
それで、xさんの判断も、間違いではないでしょうけど、私としては多少 ?? となってしまいます。
例えば、私達は風邪という病気はよく知っている病気です。鼻水をずるずるさせながら、くしゃみをしている人に向かって
”風邪じゃないのか?医者行ってこい”
等と良く言ったりします。これも形式判断では、非に当たることにはなりましょうが、ここまで杓子定規に判断する人は居ないと思います。
さて、ここで米本氏の発言を見ると、
>おそらく離人症だと思います。
>衝撃から身を守っているのだと思
>われます。
と表現されており、診察して病名を確定されておられるわけではありません。
ただ、なじみ無い事柄で判断が難しいと思われる事柄に、米本氏が病名を出された事に、違和感をもたれたのだとは思うのですが・・・。
確かにxさんも間違った事を言われているわけではありませんので、
私としては、米本氏は実際会われたときに診断を受けられるように勧められたとは思うのですが、ブログの方でも最後に付け加えられたら良かったのかな・・・と思います。
補足の補足
幽霊食口さん、私がxさんに説明しなければならないところを、代わって補足説明していただき、とても助かりました。私の認識も整理整頓されました。
xさん、幽霊食口さんが書かれているように、私は病名を書いていたわけではなく、あくまで症状を指摘しただけなのです。
ある人が「熱があり、喉が痛い」と言った場合、「それは風邪の症状だよ」という。それはなんら問題になるようなことではありません。
ブヒ子さんが以下の投稿をされた。
私は幼いころ、「自分がここに存在することに違和感を感じる」事が良くありました。
部屋に寝転がって天井を見上げていると、ここがどこなのか、何で自分がここにいるのか不安になることが良くありました。
これはもしかしたら(4)の離人症(自分が自分でないような、ふわっとした感覚)。だったのかなと思いました。
これへのレスとして「離人症(離人症は病名でなく、症状)だと思います」と書いただけなのです。早くに、このような説明ができていればよかったのにと反省する次第です。
どうかご理解のほどを。
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