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親は子どもに謝罪すべきか否か?PTSDについて考える(2) 

保護説得と親子関係(2) 子ども目線

親は子どもに謝罪すべきか否か(2)


 外傷と違って心の傷(トラウマ)は外から見ても分からない。このことは、前回」のブログ「一筆(9)」で述べた。

 ところで、ここ数年、「トラウマ」(trauma)という言葉が、本来の意味から離れて、日常的に使われるようになっている。たとえば、「彼女にふられてトラウマになった」とか。しかし、traumaの本来の意味は、手元にある小学館の『プログレッシブ英和中辞典』(初版1980年)によれば、病院用語として「外傷」「外傷性傷害」、精神医学用語として「精神的衝撃」となっている。一般用語としての記述はなく、病院、精神医学用語としてしか使われていない。

 英語圏に住む人たちが「彼女にふられて心が傷ついた」という意味で、traumaという言葉を使うことはない。イギリスに長く住んだことのある友人によれば、この場合の「心が傷つく」はget hurtと表現するという。

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 なぜ、言葉にこだわるか。それは、私が拉致監禁によって信者・元信者がSD(心的外傷ストレス障害)になっているといっても、すなわちトラウマを流行語のような軽いものとして受けとめ、深刻な精神疾患という認識がなされていないように思えるからだ。

 それは、統一教会も、監禁下で信者を説得してきた牧師をはじめとする反統一教会も、信者また元信者の家族も、立場とは関係なくである。

 話はそれるが、友人が教えてくれたget hurt(心が傷つく)とtrauma(心的外傷)との違いを考えてみたい。
 私たちは、「彼女にふられた」といったget hurtは日常的に経験している。
 部下の面前で、若い上司に痛罵された。業績がいいと聞かされていたうちの会社が突然倒産した。親が死んだ??などなどである。

 私事になるが、私が19歳のときに父親が死んだ。私はショックを受け、亡骸を見て、まる6時間、泣きに泣いた(感情の発露)。それから2カ月間、大学がある横浜市に戻ることができず、実家の松江市にとどまった。

 しかし、このときの体験は治療を必要とする「心的外傷」ではなく、たんに「心が深く傷ついた」にすぎなかったのだと思う。なぜなら、父親は若くして死んだが、前から病気を患っていた。父親の死は突然だったが、予期せぬことではなかったからだ。
 これが、病気も患わずに、元気そのものだった父親が、ある日突然、暴漢に襲われ、刺し殺されたのだったら、きっとtraumaになっていたと思う。また、感情の発露がなく、何らかの事情によって泣くことができなかったら、もう少しショックは長引いていたかもしれない。(犯罪被害者の会のホームページを参照してください)

 たんなる「心が傷つく」ことtraumaとの違いは、前者は時間が経過すれば自然に治るのに、後者の場合、時間が経過しても治らないということだ。

 前者は懐かしいあるいは苦い思い出となり、いつかは記憶から薄れていくが、後者の場合、専門医の治療、あるいは身近な人たちのサポートによるセルフケアの促進など、他者が何らかの手だてを講じない限り、いつまで経っても解決することはない。これがtraumaという病気のやっかいなところなのである。ましてや、心的外傷体験の後(P)に発症するPTSD(Post・Sraumatic・Stress・Disorder)となると、理解すら難しい。


前置きが長くなりましたが、本題に入ります。参考テキストは、別掲の『PTSDとトラウマのすべてがわかる本』です。イラストがふんだんに取り入れられていて読みやすく、心理学や精神医学の知識がない人でも、理解できる本です。

・保護説得後にときおり抑うつ気分に襲われるなど、精神に不調が生じている信者・元信者のみなさん
・保護説得後に親子関係がうまくいっていないと感じていらっしゃる家族のみなさん
・監禁下で脱会説得を行ってきた牧師さん
・また保護説得を黙認されてきた弁護士さん
・元信者の精神的不調をマインドコントロールの影響だと考えている人たち

 ??には、ぜひ、読んでもらいたいです。

 ちなみに、2007年の11月に出版されたこの本以降、この2年間だけでPTSDに関する本は20冊も!出版されています。


 
 traumaの症状は、戦争・レイプ・誘拐・災害・略奪・事故・暴行・監禁などの衝撃的な体験によって生じる。
 症状は様々で、身体面では不眠、食欲不振、動悸、身体の痛み、原因不明の熱、手足のふるえなど(心身症の症状)、心理面では人生観の変化、否定的感情、抑うつ気分、無力感、罪悪感、情緒不安定、小さなことでイライラするなど。

 注意しなければならないのは、同じ状況を体験をしても、時間が経過すればそのときの感情が自然に消えていく場合もあれば、そうでない場合がある。つまり、衝撃の受けとめ方には個人差があるということなのである。
 同書では、このことについて、次のように説明している。

「トラウマの受け止め方の個人差には、性格や考え方など、個人のもつ要素と、出来事そのものの規模と、両方が関係しています。
 戦争や大震災など、被害が甚大である場合には、ほとんどの被害者になんらかの影響があります。性格は個人差にかかわるひとつの要素であり、すべてではないということです。
 どんなに打たれ強い人でも、トラウマに悩むことはあります」(13頁)


 これは、いろいろな意味で重要な指摘である。
 同じ拉致監禁(保護)の体験をしたのに、まるで症状が出ない人もいれば、症状が出る人もいる。症状が出ない人とばかり交流している人からすれば、トラウマなんか作り話、もしくはごくごく例外にすぎないと切って捨ててしまう。あとのブログで徹底的に批判するつもりだが、保護説得を容認する珍しい宗教社会学者、北海道大学教授の櫻井義秀氏がその典型であろう。(別掲の「『カルト』を問い直す」の102頁以降を参照)

 トラウマの無理解は、トラウマで苦しんでいる人に悪影響を及ぼすから、深刻である。
 監禁を体験したある現役信者がときおり落ち込み(抑うつ状態になり)、元気をなくす。それを無知にして蒙昧な教会員「信仰が足りないから、元気がないのだ。もっと祈ればいいのだ」と周囲に漏らす。それが当人に伝われば、トラウマ症状はさらに悪化するというのに・・・。無知ほど怖いことはない、とつくづく思う。

 とまれ、トラウマの受けとめ方には個人差がある。家族など周囲は、このことに十分に留意することが必要だ。

 ところで、アメリカでも監禁によるトラウマは、精神科医や心理カウンセラーの間で問題になっていた。
 『我らの不快な隣人』の163?165頁、「渡辺博弁護士の秘密めいた手紙(8)」で書いたように、アメリカではディプログラミングという方法が取られてきた。
 『カルトと反カルト?信仰のるつぼ・アメリカの経験?』(朝日新聞社・社内報告)では、ディプログラマーによって監禁された信者はPTSDになっていることが報告されている。

 別掲の『心的外傷と回復』(中井久夫氏訳)で、PTSDの第一人者である筆者のハーマンは「監禁」について頁数を割いて説明している。
 興味深いのは「家庭内監禁」に触れていることだ。

「政治的監禁状態は一般的に認知されているが、婦女子が家庭内で監禁されている場合はしばしば外部の目には映らない。(略)家庭内監禁においては逃走の防止のために物理的な障壁が設けられていることはあってもごく稀である。(略)逃走を防ぐ障壁は通常目に見えない障壁である。しかし、それはきわめて強力である。
 子どもたちは1人で生きてゆけないために監禁状態に置かれる。女性ならば物理的な力と並んで経済的、社会的、心理的、法的従属によって監禁状態に置かれる」

 物理的ではなくとも、心理的な監禁状態におかれても、心的外傷を受けるということだ。

 マンションでなく実家で監禁、軟禁された統一教会員もいる。マンションに比べて恐怖の程度は低いだろうが、それでも外傷体験になることを、家族は知るべきだと思う。

 今年に入ってから、このケースが一件だけ発生している。
 彼は会社に通いながら、統一教会に通っていた。久しぶりに実家に戻ったら、軟禁された。父親は「親子でじっくり話し合いたいので、会社には退職願いを出しておいた」という。彼は翌日、脱出した。その後、怖くて、実家に戻ることができない。
  彼は、仕事を失い、無職となり、実家は安心して戻れるところではなくなってしまった。

 家族は息子にどう責任を取るというのだろうか。
 ちなみに、家族は「名前は言えないが、相談している牧師はいる」と語ったという。
 


 
 これを書きながら、心配するのは保護説得を実行した親の反発である。

(1)身代金を要求するために監禁したわけではない。わが子を邪悪な宗教団体から救い出すために、統一教会の影響が及ばないところに保護しただけである。(目的の純粋性、親の“愛情”)

(2)誘拐犯の監禁と違って、私たち親も、子どもを保護したマンションで一緒に暮らしていた。だから、監禁ではない。(監禁の特殊性)(注)

(3)統一教会から脱会させれば、子どもは幸せになれる。ふつうの社会生活に戻ることができる。外から見れば「監禁」と思われるかもしれない。しかし、子どもに責任をもつのは親であり、親が子どもを期待通りの子どもにしようとするのは、親として当然のことではないか。他人にどうこういわれる筋合いではない。(日本的な子ども観=所有感覚)

 親の言い分は納得できなくても理解はできる。
 しかし、親の立場のみに固執せずに、子どもの目線に立って、あのときの保護、保護説得はわが子の目にどう映ったのか、自分たちの言動を子どもはどのように感じていただろうか、想像力を働かせながら考えてみたらどうか。

 子どもの精神的衝撃(心的外傷体験)を理解できなければ、親子関係はうまくいかない。

 保護説得は文字通り監禁であり、子どもからすればトラウマを発症するような恐怖体験なのである。
 脱会した元信者は「統一教会を脱会できて良かったと思っている」。親に感謝の気持ちを抱く一方、衝撃的な体験を忘れることができない。
 21年前!に1カ月間監禁されたある女性は、拉致監禁に関することを思い出すと、今でも激しい動悸(トラウマ反応)がするという。トラウマがいまだ続いている人は少なくないと思う。

  だからこそ、前回書いた通り、保護説得を受けた元信者は、親との同居を好まない傾向にあるのだ。一般的な親ではない。監禁した親、トラウマの原因を作った親とは、一緒に住みたくないのである。

 長くなったので、より精神的衝撃度が高かった信者・元信者はどのようになるのかについては次回、書くことにする。

(注)アメリカのディプログラミングでも、モーテルなどの監禁場所に、親は一緒に寝泊まりする。しかし、監禁罪で摘発されている。親も一緒に過ごすから、監禁ではないというのは牽強付会そのもの。監禁の要件は、親が一緒にいるかどうかといったこととは関係なく、当人がその場所から外に自由に出ることができるかどうかにある。
 また、親子一緒に住むのだから、恐怖心などわくはずがない。統一教会のマインドコントロールのせいだ、デマだ、と考えている親もいるようだが、あまりにもナィーブ(幼稚)としか言いようがない。

(追記)12月2日の朝に、間違った表現を修正しました。ただし、ブログの主旨は変わっていません。



続く
関連記事

コメント

PTSD

PTSDに関する記事を読んで。

沢山の取材と資料に基づいた、生きた内容だと思いました。
目の前をとおりすぎては消えてゆく、
ブログ記事があたりまえな中で。
こちらのブログの記事は、生命(いのち)があると感じます。
  • [2009/11/29 21:29]
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私はカルトの子です。

物心ついた時から母親が宗教にのめりこみ、2歳から25歳まで宗教の中で育ちました。
今は宗教から足を洗い、普通の生活をしています。
夫と子供もいます。
でも、あの宗教で教えられた教理からの呪縛が解けません。
いまだにハルマゲドンの夢を見てうなされたり、母と同じように子供を叩いてしまったり。
さすがにベルトやゴムホースでお尻をたたいたりはしませんが。
でも、少しづつ前に進めるよう自分であの宗教の事を調べています。
米本さんの「カルトの子」もむさぼり読んでいます。
もっと勉強したいです。

ブヒ子さんへ

 初めての投稿、ありがとうございました。

 ハルマゲドンの恐怖信仰に呪縛されている人、またチャイルドアビューズの世代間伝播に悩んでいる人は少なくありません。
 ときに落ち込むことはあるでしょうが、どうか一歩一歩、前に進まれることを期待しています。

 個人メールで、「自分の家が家族にしてきたことは、保護説得をする親の言い分と同じ。がんじがらめにされてきました。ほんとに大きく精神的な影響を残します」というメールもいただいています。

 次回のブログでは、『カルトの子』は『我らの不快な隣人』との関係について触れる予定です。

 良かったら、また投稿してください。また、個人的にも連絡を取りたいと思っています。どうかよろしくお願いいたします。

がんじがらめの子

親の考え方でがんじがらめに育てられた私の家では、ちいさな子供時代は家族の間で、お父ちゃん、お母ちゃん、兄ちゃん、お姉ちゃんと呼んでいましたが、だんだん大きくなって、「ちゃん」づけで呼ぶのが恥ずかしくなる頃から、普通の家で呼び合う、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんと呼んだことがなく大人になりました。呼べない雰囲気が漂っていた家でした。今思うと不思議な家です。

がんじがらめの子追記

母から「ブスだ」「だんごっ鼻だ」「なんにもできない子だ」と言われていたため、劣等感のかたまりでした。今の夫に出会って、「自信を持て」と言われ続けて自分を取り戻すことができた感じです。

結婚して10年ほどたって、学生時代の恩師を訪ねた折、帰り際に私がタクシーを呼び止めたことに大変驚かれました。そんなことができるようになったんだと。

兄は家庭をもってからも母に気に入られるかどうかが行動の判断基準のため妻やこどもを愛することができず家庭崩壊しました。

姉は人の気持ちを解することが苦手で家庭をもっていません。

子供時代の家庭環境は何十年たっても大きく影響するものだとつくづく思います。

ブヒ子さんへ

こんばんは。
以前、こちらからコメントしたことのある者です。私もブヒ子さんと同じく、物心ついた時から20才で脱会するまで母親がバリバリの信者をしていたため(母は今も信者)、あらゆる制約を受けた子ども時代を過してきました。
私もその後社会人として生きて行く中、様々な場面で表には出せない精神的な苦労をしてきました。でも、結婚し2人の子どもを育てる現在、つくづく生きていて良かったと思います。子育てしながらあらゆる行事や遊びを通じて、自分の味わえなかった子どもらしい子ども時代を取り戻している感覚です。私たちの経験は世間ではあまり認知されていないこともあり、一人悶々と抱えて生きて行く感じがありますが、米本さんのように本を書いてくださる方もいらっしゃいます。ぜひこれを機にお互いそういった悩みを打ち明けたり、ぐちを言い合ったりして、前向きにいけるといいですね。米本さんから私のメルアドを聞いていただいて構いませんので、ぜひ連絡取れたらと思います。よろしくお願い致します。

監禁によってPTSDになった人は例外ではないとのことですが、監禁された統一協会信者の中でPTSDになった人の割合はどれぐらいでしょうか。

こんな事件も

PTSDも深刻な問題ですね。

しかし、最近の調査で、先日も書きましたが、健康な教会員が精神病院に措置入院させられて、薬漬けにされてPTSDを通りこして、本当におかしくなってしまった事件の報告を受けました。

他にも、2~3件の精神病院措置入院させられた事件が報告されています。

「親は謝罪すべきか?」

元凶は、反対派による間違った情報に親心を利用されてしまったともいえるし、いくら反対派の情報を鵜呑みにいても、拉致、措置入院は「大人」としていかがなものかとも思います。

いくら親子でも、成人すれば一個の人間同士です。

私は、親の心底からの謝罪なしには、被害を受けた方々の心の傷は癒えないだろうと思います。

確かに、特商法違反で信者が逮捕されていますが、それを根拠に逮捕監禁罪が正当化されることはあってはならないと考えます。

精神病院の事件、後藤氏の事件ともに、悪質極まりない、反社会的犯罪だと思います。

親子というこの二文字で、すべてお目こぼしされるなら、わが国は法治国家とは言えません。

「一身独立して一国独立する.」福沢 諭吉

戦後の教科書から、消えた言葉です。

亡国の反統一集団の蛮行を止めなければ、日本国存亡の危機は免れえないでしょう。

特商法違反でちまちま信者を逮捕し、検挙率を上げる警察・公安、警察庁にはこの本質が全くわかっていないことに失望します。

先述の精神病院事件の両親は、おかしくなった息子を見て、悔いているそうです。

後悔先に立たず。

当該両親には、「自首」を勧告します。

よって、大方の両親親族郎党には、謝罪すべきと申し上げます。

文師は左翼学生が、学生運動が盛んだった時期に、日の丸を拒絶し君が代を斉唱しない若者達を見て、日本の未来を心配する発言をしています。

韓国人(外国人)に、祖国の未来を心配されるようでは、到底「一身独立して一国独立する」ことは困難です。

我が国の未来は我が国民が決めるものです。

我が国は戦争に負けただけであって、外国の奴隷になったわけではないのです。

60年以上も憲法も改正出来ない日本人。

有事立法さえない。

東京の空の管制権は米軍横田基地がいまだに握っている。

国民の民度の低さを露呈しているとしか思えません。

そういう総合的な観点からも、「親」といっても、幼稚であってもおかしくはないのでしょう。

統一教会の問題ではなく、親子の問題でもなく、国家的問題であると思います。

読者さんへ

 投稿ありがとうございました。

 櫻井義秀氏は、『「カルト」を問い直す』の中で、私のルポを批判しながら、ルポに登場した3人の元信者がPTSDと診断されたという事実を無視し、『臨床精神医学』で取り上げられた1例だけを紹介し、例外にすぎないと断じていました。

 そのことを念頭に、本文では「ごくごく例外にすぎないと切って捨ててしまう」と表現しました。

 読者さんのご質問は、無い物ねだりのように思えましたが、ご質問を意識して、「保護説得と親子関係(5)」を書くことにします。

 それまで待っていただけたら、幸いです。

「こんな事件も」の補足

大和櫻さん、いつも投稿ありがとうございます。

大和櫻さんの「精神病院に措置入院」について補足説明しておくとともに、拙著『我らの不快な隣人』の一部を訂正します。

拙著の167~168頁で「精神病院への隔離」のことを記述しています。

要点は次の3点です。

(1)いつ頃から始まったかは不明だが、弁護士の調査によれば、75年~85年の11年間に17人の信者が精神病院に強制入院させられている。

(2)このうち6人の入院先が同じ東京の精神病院であったことからすると、強制入院による脱会説得活動は組織的に行われていたと考えられる。

(3)6人のうち3人が病院長を提訴し、250万円の損害賠償を勝ち取った。この判決(86年3月)を契機に、“精神病院送り”という暗い歴史は終焉した。

訂正が必要なのは、暗い歴史は86年に終わったと書いている部分です。

大和櫻さんが指摘されているように、95年頃に、広島県に住む2人の信者がそれぞれ別の精神病院に、家族の手によって措置入院させられていたことが最近、判明しました。

2人は今でも現役の信者ですが、1人は精神薬物による後遺症障害を負い、不自由な生活を余儀なくさせられています。
もう1人は子どもを義父母に取られ、1人暮らしを強いられ、精神的にも金銭的にも厳しい生活を続けています。

どちらも「悲惨な状態」としかいいようがありません。それと同時に感じるのは、「反統一教会親」の子どもを子どもとも思わぬ狂気です。

米本さんへ

お答えありがとうございました。次回の記事をお待ちしております。

科学的な視点からコメントをさせていただきます。(母国語は日本語ではないので、ご了承下さい。)

米本さんのおっしゃるとおり、前コメントで求めたようなPTSDに関するデータを集めることは非常に難しいと想像します。しかしそのような情報がない限り、拉致監禁問題の実態がつかみにくいと思われます。医学文献によると、PTSDの一般集団における発症率は7.8-12.3%だそうです。(英語の文献ですみませんが、リンクをはっておきます。http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8113499http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/7492257) もちろんPTSDはだれもかかってほしくない惨めな病気ですが、残念ながら珍しい病気ではないのです。監禁されずに普通に生活していても、4000人がいれば、312人がPTSDになってもおかしくないということですので、拉致監禁・PTSD問題の実際の規模を確かめることは非常に重要なのではないかと思います。

ところで、米本さんの拉致監禁・PTSD問題の取材について質問をさせていただきます。これまでインタビューしている監禁された方は何名でしょうか。そのうち現役信者が何名なのか、脱会者が何名なのか教えていただけますか。又、インタビューのきっかけは何だったのでしょうか。(統一協会のリーダーによって紹介された方、拉致監禁をなくす会のメンバー、脱会者サポートグループのメンバーはそれぞれ違う経験をされているのだろうと思いますので。)

そのような情報を明確にし、ブログの分かりやすいところに載せたら、「PTSDになった人は例外にすぎない」や「米本は統一協会のシンパ!」などの批判は治まるのではないかと考えられます。


読者さんへ

 再度の貴重な投稿、ありがとうございます。

 発症率を明記した医学文献の紹介、とても感謝です。英語ができる知人に読んでもらうことにします。
 また、是非やりとりをしたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

 後段の質問の件ですが、取りあえずは拙著を読んでいただけませんでしょうか。手に入りにくい場合にはご連絡をいただければ、郵送いたします。

さらにもう一件

米本さん

補足ありがとうございます。

私が、相談を受けたのは、米本さんの把握されている2名ではなく、別な方のようなので、少なくとも3件の精神病院への強制入院が起こったものと思います。

90年代にまだ、精神病院を使った強制棄教が行われていたということに、非常に衝撃を受けています。

PTSDの話題の腰を折り申し訳ございません。

いずれ、このブログでも取り上げてください。

お互い様ではない

個人メールについて、謝罪がありましたので、削除させていただきました。



精神病院への強制入院と、特商法違反と、量刑ははるかに強制入院のほうが重いのは、火を見るより明らかです。

元、現教会員なんて関係のない話を私はしているつもりです。

人間としてどうなのか?

監禁問題の本質はそこにあります。


アメリカ国務省は、次のように報告している。

信仰の自由に関する2009年国際報告書―日本に関する部分
国務省民主主義・人権・労働局

2009年10月26日発表

 統一教会の報告によると、12年以上にわたり、家族によって拘束されていた統一教会の成人会員が、2008年2月10日に解放され、同教会の本部に戻った。統一教会によると、本年の報告期間終了時点で、本件について誰も告発されていないし、捜査も行われていない。

情けないことである。

大和櫻さん教えて

大和櫻さん

>精神病院への強制入院と、特商法違反と、量刑ははるかに強制入院のほうが重いのは、
>火を見るより明らかです。

‘強制入院と特商法’其々有罪となった時の量刑ってどんなものですか?
最高刑と言うべきか。
比較としてはその方がわかり易そうですが、、、。






>‘強制入院と特商法’其々有罪となった時の量刑ってどんなものですか?

量刑は国や制度によって差があるものなので、実存的な可逆性/不可逆性から論じるべきだと思います。

家族の愛情を利用した拉致監禁は、量刑や賠償次元では状態復帰不可能な、取り返しようのない大罪です。

これはもう体験した者にしか分からないと思います。

量刑について

秀さま

コメントありがとうございます。

確かに判決も出ていないのに、量刑という言葉はわかりずらいですね。

かなり「主観」も入ってますし。

私見ですが、逮捕・監禁罪(たいほ・かんきんざい)は刑法220条に規定されている罪。 不法に人を逮捕し、または監禁する行為が犯罪となる。法定刑は3月以上7年以下の懲役。『ウィキペディア(Wikipedia)』

特商法は罰則に、罰金刑があり必ずしも、懲役刑になるものではない。

最低の量刑において、違いがあります。

>家族の愛情を利用した拉致監禁は、量刑や賠償次元では状態復帰不可能な、取り返しようのない大罪です。

>これはもう体験した者にしか分からないと思います。

体験者さんの心情に近いものがあります。

よろしくご理解のほど賜りますようお願い申し上げます。

米本さん

「我らの不快な隣人」の件についてMAIL欄に表示したメールアドレスまでご連絡いただければ幸いです。

「お互い様ではない」について

 大和櫻さんの「お互い様ではない」について、遅ればせながら、意見を述べようと思いましたが、
「個人メールについて、謝罪がありましたので、削除させていただきました」
 と、修正されてあったので、やめました。

 最初に読んだときはとても不快感を覚えましたが、「謝罪」の言葉に、大和櫻さんに送信した人も決して悪意あってのメールではなかったことを知り、安堵しました。

解離性障害 解離性同一性障害

初めまして。
うめと申します。
父からのしつけ(頭をはたかれていたらしいです)と母との関係構築が出来ず、幼稚園では離人症がすでにあり、解離性健忘 遁走 あげればきりがありませんが 今は解離性運動障害で 実家から 出ることはもちろん、寝たきりです。27才。
母を母と親しむ、懐かしむ、いとおしむことが出来ず、お母さんと呼ぶことに違和感があります。
幼少の頃の風邪の私をほったらかして、放棄されてしまったことや、無視や無関心、私の健康に無関心が、根強いのか、今現在介護する母の元では、安心して暮らせないのが本当です。
10代で家を出ましたが私の容態が酷く、調停にたどり着けませんでした。
自立に失敗し、実家で暮らすも やはり 私には大変過酷で、あげく、父の今までの私にたいしての性的執着を 決定付ける ことが20代前半に起き 3ヶ月入院しました。
退院後は医師の配慮のもと自活をしますが、失敗。
実家に暮らすも やはり フラッシュバックが酷く、頭を使い父を追い出しました。
その後も生活レベルは悪化し、母に今はおむつ交換もしてもらわねばなりません。
家出期間の男性からの軟禁 等 トラウマはありますが やはり 親が一番辛く、親が一番の私の保護権裏

うめさんへ

 投稿文を拝読した限り、もろもろの解離性障害の主原因は、父親の身体的、精神的、性的虐待にあるように思えました。そして母親は傍観者の態度を取る(態度表明ができない・冷静な立ち位置が取れない)。

 トリイ・ヘイデンさんの『シーラと呼ばれる子ども』を想起しました。

 飛んで行ければいいのですが、私が語れることはわずかしかありません。近所の保健所に電話してSOSを頼むことです。

 最近の保健婦さんは、机上であっても、「解離性障害」のことは勉強しています。たくさん、しゃべらずに、キーワードだけを話せばいいと思います。複雑な事情を説明すればするほど、保健婦さんは混乱すると思いますので。
 
 おそらく、うめさんは「解離性」といった用語で、検索をかけられ、このブログに投稿されたのだと思います。

 しかしながら、このブログのテーマは精神疾患とは関係するけど、少しばかり違います。

 それで、この投稿文をそのまま「うめ」さんの個人メールアドレスにも送りますので、今後も何かあれば、個人レベルでやったほうがいいかと思います。

 ただし、素人なので、さほど役に立てないとは思いますが。

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