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「瀬戸際に立つ統一教会」③-米本和広 

「瀬戸際に立つ統一教会」(3)

宗教と事件・カバー


Ⅲ 高額でエンドレスな献金の実態


信者たちに負担を強いる“貨幣復帰”

「統一教会と事件」を語るとき、どうしてもマスコミ報道を避けて通ることができないが、現在の統一教会には社会的に批判されて然るべき問題がある。

 問題の根っこにあるのは信者に対する「高額でエンドレスな献金」要請だ。

統一教会はある意味で金集め集団といっていい。グロテスクなまでに金・金・金なのである。

 これをもってして、教祖の文鮮明が贅沢な暮らしをしたいからだろうと短絡的に考える人たちがいるが、そうではない。確かに、文鮮明の長男の嫁が『わが父 文鮮明の正体』(文藝春秋)で暴いたように、文ファミリーは贅沢三昧な暮らしぶりだ。しかしながら、統一教会が集めた金は前述したように最盛期で二〇〇〇億円にのぼる。
 ある教会員が話す。

「文先生一家がいくら贅沢しようが、使うのは年間5億円程度でしょ。自分たちが豊かな生活をするために献金、献金と言っているわけではないですよ」

 どういうことか。統一教会には「万物を復帰させる」という教えがある。お金に限らずすべての物を神のもとへ返す。それによって堕落した人間は「神の子」となり、その結果、地上天国が出現するというものである。万物復帰といっても、あくまで宗教における象徴的な概念であり、すべての貨幣、動物や植物、人間が作った人工物を実際に神に捧げるということではない。

 世界各国に統一教会があるが、すべての貨幣を実際に神に捧げることなどしていない。献金に追われているのは日本の統一教会員だけである。

 なぜそうなったのか。それは文鮮明によって日本が「エバ国家」(罪深き国)と規定されたからだ。70年ごろのことだという。なぜ、日本がエバ国家なのか、教会幹部を含め誰も説得力のある説明はできないようだが、「お父様のいる韓国を蹂躙した日本」という言い方がなされることからすれば、文鮮明の頭には韓国人の年配者に共通する「祖国を侵略した憎き日本帝国主義」ということがあったのかもしれない。また、70年頃の日本は高度経済成長まっしぐら。「金満・ニッポン」からは多額の献金が集まるという打算もあったと思われる。

 ところで、「大理石の壺」売り時代は良かったが、それが禁止されれば、“貨幣復帰”は個々の信者の負担が増すことになった。92年からの激しい批判報道によって、またその後の貨幣復帰疲れ(献金疲れ)で自然退会した信者は相当数にのぼった。入会者は累計で56万人。現在、活動している教会員数は推定で6万人。実に50万人が退会したか、退会同然の状態だ。そうなると、残った現役信者の負担はさらに重くなる。そうした悪循環が続いているのだ。

 日本信者への献金要請は、そのつど「○▲摂理」という名目で目標額が指示される。献金を取り仕切っていると見られる文鮮明の韓国人側近である日本の担当者が、教会員の疲弊ぶりを認識し、目標金額を低めに設定すれば救われるものの、「高額&エンドレス献金」は続いてきた。


借金返済に追われながら献金

「高額&エンドレス」献金によって、教会員の財布は空になった。このこと自体、咎められることではなく、それこそ信教の自由、自業自得というものだ。お金がなくて大学進学を諦めた信者の子どもにとっては不幸な話なのだが。

 財布が空になっても「高額&エンドレス」献金要請は止まらない。そのためローン会社や親戚から借金をすることになる。実家が資産家というある女性信者は「親から借りたお金は合計で5000万円になる」と平然と語る。

 今や、活動している教会員のすべてが借金を抱えている。平均すれば一世帯あたりの借金額は200万円ぐらいになるのではないか。

 韓国の統一教会信者に言わせれば、「借金してまで献金するなんて信じられない話だ。韓国なら『金はない』で終わり。信仰というより日本にいまだ残っている滅私奉公的な文化が関係しているのではないか」ということになるが、たしかに信仰だけではかたづけられない何かがあるように思われる。とまれ、借金返済に追われながら、新たな献金の資金捻出に頭を悩ます。まるで、銀行からの融資が止まった場末のサラ金屋さんのような状態なのだ。

 実際、自己破産(食い逃げ)した信者は、現役信者によれば「ゴロゴロいる」という。

 統一教会には、教会員が神のもとに復帰すれば、氏族のメシアとなって、その信者の一族郎党が救われるという教えがある。しかし、その教えとは裏腹に、今の教会員は「氏族のメシア」ではなく、「一族のやっかいもの」になっている。そのことを指摘すると、知り合いの教会員は頭をかき、恥ずかしそうな顔をする。

 冒頭の刑事事件は、日本の統一教会がにっちもさっちもいかなくなった証明のように思える。前掲の『我らの不快な隣人』を出版した昨年の7月段階で、霊感商法時代を含め、献金・物品販売絡みで刑事事件になったのは「青森事件」と呼ばれる83年の恐喝事件1件だけであった(『追及ルポ 霊感商法』朝日ジャーナル編)。

 それが、新聞報道によれば、「この朝鮮人参を飲めば癌が治る」(大阪の事件)、「この水晶彫刻を買わないと地獄に墜ちる」(福岡の事件)といった事件が頻発している最近の状況は、威迫し困惑させるような用語を使ってでも売り上げをあげないと、献金の目標額を達成できなくなったということだろう。




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山形県上山市にある「沢庵禅師庵(春雨庵)」の庭にあった石像。表情が何ともいい。作者不詳。近年の作のような印象を受けた。ちなみに、タクアンは沢庵禅師が考案したもので、それで後年「沢庵(タクアン)」と命名されたという。
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コメント

腹を括れなかった

霊感商法を提案し実行に移した幹部が腹を括れなかった。文師が「ひとりの幹部が全責任を負って刑務所に入れば解決し発展する」と語られた。そのとおりにしていたら奇跡は、どんどん起きより多くの人々を救い日韓トンネルもその時に開通していたでしょう。できなかったから八方塞がりにそして「拉致監禁改宗」で犠牲者4000人余りを家族も含めるとその数倍の被害者が
文師が心配された悪い方向へと全ての悪が暴かれ真実が明らかにされ解決に向かった時に南北統一や世界の諸問題も徐々に解決に向かうのでは?
日本の外務省が「統一運動」を支援することになったことも僅かな希望です。しなければ世界から軽蔑されるでしょうから神の栄光を感じます。

献金の行方

拉致監禁中の説得で恐らく必ずあるのが、文一族の贅沢な暮らしだと思います。今までメシアだと信じていた人の堕落しきった生活を見せられるのでけっこうショックです。ショックゆえにあぁ、あの献金は文氏の贅沢に使われて終わりかぁ!で終わるのですが、よく考えたらそんなに長年使い続けることはできないわけです。変な話し、監禁中もその話しは出ました。一体、こんなに使うことができるのだろうか?と。この際だから、統一教会は献金の行方をせめて信者には明らかにして欲しいです。

日本統一教会の「信仰」の目的が、い
つの間にか、「天国を築くこと」では
なく、「教祖の役に立つこと」にすり
替っていってしまったのが残念でなり
ません。
教義に感動し、全てを投げ打って信仰
の道を歩み出したかつての「若者」た
ちが、今は幹部となっています。
若者特有の真っ直ぐさと情熱とともに、視野の狭さや独善性も、良くも悪
くも「若者」そのままに突き進んでき
た印象があります。
日本の教会では久保木氏や西川氏ら草創期の自ら人を率いてきたリーダーと
その後の「組織から役目を与えられた
リーダー(責任者)」との間で、その
価値観や行動原理に大きな隔たりがあ
るように思います。

弥生さんに質問です。

>日本の外務省が「統一運動」を支援することになったことも僅かな希望です。

これは どういう事ですか?

あおぞら さんへ

あおぞら さんへ
2009年6月17日前後の新聞記事を調べてみてください。

注意!

「あおぞら」さんの質問に、「弥生」さんの回答は、回答になっていません。

「2009年6月17日前後の新聞記事を調べてみてください」と言われても・・・。

 あおぞらさんは、時間を割いて、図書館に行く。まずは朝日新聞の縮刷版を取り出し、それらしき記事がなければ、読売・毎日・日経・産経を調べる(こんな作業をするしかなくなります。まるでライターのような作業になります)。

 弥生さんは、「○新聞の△日付新聞だよ」と言えば、いいだけのことです。

 察するに、弥生さんは勢いで書いただけなのではと思います。

 もしそうであれば、そのことをきちんと書いたほうがいいと思います。

 おそらく、弥生さんが「日本の外務省が『統一運動』を支援することになったことも僅かな希望です」と書いた統一運動とは、統一教会がいうところの「統一運動」ではなく、「南北統一運動」のことではないかと思います。

 お二人はメールアドレスを明かされています。どうか、お二人で誤解を解くなりしてください。
 よろしくお願いします。

 追記すれば、弥生さんの文章は改行がなく、またテニオハがはっきりしません。どうか「送信」ボタンを押す前に、推敲してください。
 自分の感情をぶつけるのではなく、他者に読まれる(読んでいただく)ことを意識して欲しいです。

幼かったけど充実していたあの頃。

私が献身したばかりのころは花売りが経済復帰の主流でした。
私たちは天宙復帰という御旨を行っている。花を買ってくれる人はそれを条件に神様が覚えてくださるようにとお祈りしながら売り歩いていました。
花を買ってもらえなかった人にも「少しお水をいただけませんか」とお水を飲ませて貰うことがよくありました。それは聖句の中に
「私の弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、決してその報いからもれることはない」とあったからです。

しかしよくよく読んでみると「私の弟子であるという名のゆえに・・・・」つまりイエスの弟子だということを知った上で水一杯を飲ませるものは神様が覚えてくださる。という意味だったことが分かり「なーんだ」と笑ったものです。
統一教会員と知らせないでいくら水をもらってもおなかが水っ腹になるだけだということです。若かったし幼かったなあと思います。

水一杯

良い話を聞かせていただきました。

おかしな伝道その1.

献金は「喜んで献金する」のが献金であって「いやいやながらの献金」、心情の伴わない献金は献金ではありません。
「わずかですがこれを神様のみ旨のためにつかってください」とお金の上にその「心情」が乗っかって献金と言えます。ただ教会に金さえ出せば献金、金を受け取れば献金。統一教会ではこのような献金が長く続きました。激しい献金摂理の中で、昔のような心情の教育をする余裕もなくなってしまったのでしょう。

献金してもらう前に必ずしなければならないことがあります。「伝道」です。
神様のみ言葉を伝えることです。原理を知り、メシアの価値を知れば誰だって献金するのです。
原理を伝えず、メシアの価値を知らせず、先に献金をさせようとする。そのために霊界の話や、運勢の話や、病気の話などをもちだして相手を威迫する。
先に献金させて後で教育しようというのです。しかしもうすでに相手は教会に躓いているのです。そして納得した献金ではないがために後で「献金させられた」と讒訴されるのです。

日本統一教会はこのような讒訴条件を沢山残しながら献金に追われて来ました。
そして裁判に訴えられ、マスコミに攻撃されて教会の行く道を益々険しいものにしてしまいました。
それでもなお中心者の口からは「今サタンに攻撃されている」でした。「それはないだろう」と白けて聞いていましたが礼拝の説教でもよく聞きました。
徳野会長が引責辞任をされた時、そのような考え方まで内部で正しながら、辞任されました。


おかしな伝道その1.篤志家復帰
字のごとく「お金持ちを伝道しよう。」ということです。これも中心と激しく議論したことの一つです。
なぜお金持ちを?たくさんの献金をしてもらうため。
相手の生命(霊的生命)を思って伝道するのではなく、お金を思って伝道しようとするのです。
そんな伝道が実を結ぶ訳がありません。
あるお金持ちが伝道できるようにと皆で集中的に条件祈祷をしてたこともありますが、あほらしくて私はお祈りしたことはありません。結局伝道はできなかったようです。
全国的には成功したところがあるのでしょうか。
もしあれば教えてください。その後その篤志家はどうなったのかも。今でも教会に繋がっているのでしょうか。

おかしな伝道について

私も信者時代は、おかしな伝道をしてました。私は青年部所属でしたので、専ら青年のみの伝道で、お金を持っている人を期待されていたわけではありませんが、それでも伝道の目標に○gというのがありました。100万貯金があれば1g、200万なら2gです。gがある人(要は100万以上の貯金がある)を伝道すればポイントが高くなりました。毎月、個人、班で競争させられ、いつの間にか伝道したい人に○gある人というのが加わってました。
本当におかしな伝道です。

問題はこの辺なんだろうなぁ。

>毎月、個人、班で競争させられ、いつの間にか伝道したい人に○gある人というのが加わってました。

競争の恐ろしいところは、その対象に限度がないということでしょう。受験でも特攻隊でもなんでもありです。
さらには、共犯関係は強烈な連帯意識を醸造する性質がある(ノーパンシャブシャブしかり)。無論、求心力や向上心が無ければ、競争(妬みを伴う比較)はあり得ない。

ただし競争を否定することは世の中全部を否定することになってしまうのかも。
この大問題を扱ってない時点で「マインドコントロールの恐怖」は”はずれ”です。
  • [2010/07/13 07:23]
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琴姫七変化さんへ

>あるお金持ちが伝道できるようにと皆で集中的に条件祈祷をしてたこともあります

皆さんにお祈りしていただいた篤志家です。統一原理も、献金のありがたさも、祝福の意義と価値もよく理解して、信仰生活をしております。

伝道される以前は人生に絶望しておりましたが、これほどまでに力のある宗教がこの世にあったのかと、驚き、感動して、12年以上になります。

いざこざも多い一族でしたが、氏族復帰も進んでいて、とても幸せになりつつあります。

こんな日々が来るとは夢にも思っておりませんでした。正直に申しますが、これを奇跡というのだと思います。

とても残念なのは、地域差があまりにも大きい事でしょうか。このブログに登場する統一教会は別の団体なのかと思うほどです。
  • [2010/07/13 08:28]
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  • しあわせになった篤志家
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神さまへの愛を実践出来る私たちに

いつも忘れないでいたいのは、どこで何をしていても、イエス様が神様をどこまでも愛し貫いていかれたその愛を私たちも実践することではないでしょうか?

どんなに親不孝をする人類だとしても、イエス様のの命を犠牲にしてまでも人類を救いたいとされる神様の愛を実践していかれたイエス様を私も心から愛し尊敬しお慕いしていますが、文先生も自叙伝を読んでみれば、イエス様の神様への愛を、同じように実践された人生だったということがわかります。

しかし、イエス様や文先生が立派だとしても、それに続く弟子たちが、小さな次元ででもその愛を実践できないので、キリスト教も数百の派に別れ、統一教会内部での批判が生じるのではないでしょうか?

自分自身がどこに属していようが大切なのは、自分自身がそのイエス様の愛、文先生の愛を実践し、不足だと思われるところには私たち各自が、その不足を満たしてあげれるように努力することではないでしょうか?
そういったところに真実な発展があるのでないかと思います。

個人的に思うことですが米本さんは、お会いしたこともないですが、教理がどうという前に一つ一つに誠心誠意で努力していられるようで、こころから応援したくなりますし、教えさせられることも多いです。ありがとうございます。

私は花売りなどしたことはないですが、花売りをしていた頃の純粋さと素直さを忘れないことが、大切なのではないでしょうか?イエス様も幼子のようなものが天国に入るとおっしゃったように、、、。
そのような私たちになれれば、神の愛も手にとるように感じることが出来るのではないでしょうか。

うちの母も、教会から、しつこく献金を要請され、まるで借金取りのようだと教会の原理と現実のギャップを嘆いています。
 それを見ながら、自分自身も教会の今の現状に嘆いています。
 が、同時に批判以上に、原理を身につけ、素晴らしい人格者、幸せな家庭、社会的にも成功したいと思います。 
 イエス様が、娼婦に石を投げるのであれば、自分が悪い事をしてない人だけ投げろと言われたように、
 まずは己から頑張りたい。

HKさん&どらちゃんさんに同感です。

幹部をしていても牧師をしていてもやはりみんな同じ人間なんだなと思います。
そしてわたしも、もし幹部を長年やっていたならきっと同じようなことを言い、行動していただろうにとおもいます。
教会の中だけで生きてきたからなおさら外のことなんか分からなくなってしまって、世界が狭くなってしまうんでしょうね。。。
なぜ統一教会が韓国も日本も発展できないのかという理由をシビアに見つめて考えないといけない時期にぶち当たっているのに、それを認めない、認めたくない教会員が本当に問題だと思います。

しあわせになった篤志家さんへ

よかったですね。
人間たった一度の人生を「幸せになりたい」と願ってそれを求めて生きています。
何を幸せと感じるのか、どのような価値観を持つのかで自分を幸福にも不幸にもします。
それゆえ価値観を同じくして共に暮らせることは幸せだと思います。

「お金持ちを復帰して、献金してもらおう」という心情の動機から伝道が出発したとしても、こうして「幸せになった篤志家さん」が復帰されたのですからあなたは来るべくして来られた方だと思います。
頑張りましょう。

しあわせになった篤志家さんに質問

「とても残念なのは、地域差があまりにも大きい事でしょうか。このブログに登場する統一教会は別の団体なのかと思うほどです」

 この記述について質問です。
 教区長の考えによって、地域差があるのは承知していますが、篤志家さんの教区はどこなのでしょうか。また、所属される教区の信者さんの中に、献金のために借金されている方はいないのでしょうか。

 篤志家さんの教区では経済事件を起こしていないかもしれませんが、新潟、沖縄、福岡、大分、大阪、長野、和歌山、東京で、教会員が多数逮捕されています。彼らが所属しているのは統一教会とは別の団体ではなく、統一教会そのものなのです。
 現実から目を逸らしてはなりません。拉致監禁事件にも、経済事件(その背景)にも。

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