♪カルトって素敵なとこね♪
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一筆一論(54)
また今回も「ichanの御言」(ニッコリ)です。
出典は、ななくささんの「後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと①」のコメント欄です。https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12530363275.html
ichan
「私はカルトも必要なものってゆうか、人間から切り離せない存在なのではと思っています。弱者にとっては、カルトも時として居心地よい場所だったりもしますし」
ななくささん
「この指摘にドキっとしました。私にとって統一教会は、正に居心地のよい場所でした。被害者には怒られるでしょうが、反社会的団体に所属している、反社会的行為を行っているという自覚は全くありませんでした。カルトが居心地がよい場所である人がいるように、反カルトが居心地がよい人もいるでしょう」
素直な感想だと思います。含蓄があります。
小生の問題意識に引き寄せていえば、テーマは「自律と他律」です。
ブログで一度取り上げたことがあります。
「自律と他律」 ([2015/09/15 14:01] )。長ったらしい記事です。(。-_-。)
「自律」とは:他からの支配や助力を受けず,自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。
(同音語の「自立」は他の助けや支配なしに一人で物事を行うことであるが,それに対して「自律」は自分の立てた規律に従って自らの行いを規制することをいう)
「他律」とは:自らの意志によらず、他からの命令、強制 によって行動すること。
(大辞林/Weblio辞書より)
話はそれるが、大辞林は「他律」の意味を狭く捉えている。自らの意志によらず行動するのは、他からの命令、強制だけではない。何かに強く影響された場合、自分の意志によらず、行動する場合がある。
さらに話はそれて、日本のキリスト教各派は「統一教会員はマインドコントロールされていて自分の意志によらず行動している」と宣伝パンフで書いていた。いわゆるロボット論(自律ゼロ、他律100)。バカというしかないが、信者の親が読んだら、拉致監禁して説得するしかないと思うようになる。かくして4000人以上が拉致監禁された。
<注>「自律ゼロ、他律100」だというのは、絶滅危惧種のナツミカンさんだろう。あたいは統一教会に騙された騙された、統一教会が憎い憎い。で、何ら総括することなく棺桶に。アーメン。
話を戻す。
ichan「カルトも時として居心地よい場所だった」
なぜ、居心地が良かったのかについては言及がなかったけど、小生はこう考える。
「自律100、他律ゼロ」
他から何ら影響を受けることなく、自分の意志ですべてを決定し、行動する。
<注>ただし、他律ゼロというのはあり得ない。人は他から何らかの影響を受けている。たとえば、広告など。
すばらしいことだろうが、常に緊張を強いられ、ときに疲れる。たまには他に委ねたい気分がわいてもおかしくない。自己で考えず、責任からも解放されるから、「居心地がいい」
『洗脳の楽園』 で、ユートピア集団「ヤマギシ会」取り上げた。
ヤマギシ会が目指す人間像は「無我執」。言われたことはなんでも「ハイ」でやる。
無我執人間はまさにロボットである。
ヤマギシを去りこっちの社会に戻ってきた若い女性(2世)がこう漏らしていたという。
「ヤマギシの村では何も考えなくて良かった。しかし、こっちの社会では自分で考えて決めなければならない。とても疲れる」
統一教会員は思考が停止していると、批判されてきた。事実であろう。
徳野英治さんにしろ、近藤徳茂さんや澤田拓也さん、勅使河原秀行さん、はたまた後藤徹さん、思考はしているんだろうけど、あるところまでいくと思考をやめてしまうーのだと推測する。
またヤマギシ会のことである。
すべてを捨ててヤマギシ会(集団村)に入る人たちは、例外なく共通項がある。
子育て、生き方、人間関係などなど、深刻に悩んでいた。そして、そこから逃避し、信頼できる他者にゆだねたいと思っていた。それができれば、ある意味で解放される。「自律100」から解放されるからだ。
ヤマギシ会ではこのことを「放つ」と表現する。
【重要な追記】村から脱走していたヤマギシ会の2世から連絡あった。最近、ヤマギシ村に行ったという。母親はまだ村人。村人の顔がとても穏やかになっていたという。社会から指弾されるような問題点がなくなったからだという。今度、機会があれば、村を訪問したい。
これに対して、オール統一さんは知性も理性もなく、感情むき出しのもう~グチャグチャ。
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- [2019/10/05 18:30]
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コメント
記事にて
神の直接主管圏
ありがとうございます。急ぎコメントで失礼します。
自律と他律のお話はカルトの説明に合致しますが、ある意味被らない部分、、もおもうところがありまして。ややズレてますが、ご勘弁ください。
意外でしょうか、食口さんは勝手ルールを作っていたところがありました。
井ノ口さんよろしく、断食はお茶を飲んでいいとか、断食であって断飲ではないからとか、点滴打っても断食になるとかね。教会組織内は他律だが厳然としたルールブックがないってゆうか。グレーゾーンは自由がきくみたいなところがあり、そこをうまくすりぬけ、やりくりしてた食口さんは多い。
純潔にしろ、性器をくっつけたら堕落。キス、パイオツ触るまでなら堕落ではないと後で聞きました。
祝福の告白文書くときに説明がありました。
オナニーもしかり。
人それぞれ、ライン引きがありまして、テコキはアウト、床ズリはセーフとか言ってたブロガーさんいました。
風俗もファッションヘルスは堕落じゃないとかで通ってたというブロガーさんいました。
セックスなしなら男女恋愛してもいいとか。
そういうルールを自分で作ってそれを守るみたいな感じですか。
他律の中にも、自律ありってゆうか、自分で勝手にルールを作ってました。みなさん。
他律なんだけど、グレーゾーンは自律ってゆうか
地平さんにしろ、文鮮明先生が、他者への心情蹂躙はしてはならんと、言ってたのに、ガンガンやってますでしょ。
「家庭連合は名誉がないから名誉毀損してやる」
ってほぼ自律のルールだと思うんです。
支援する人も、地平だからいいみたいな感覚になってると思います。
井口さんも断食してるから暴言言ってもいい、tel代月100万使ってもいいってルールがありましたから。
献金にしろ公金横領とかあるようですが、妙なライン引きをしてまして、[摂理献金]はお父様のもの、[感謝献金]は教会長のものってルールがいつの間にか出来上がっていました。
他律に自律を混ぜ込んだとでも言うことでしょうか。
なるほどです。
>地平さんにしろ、文鮮明先生が、他者への心情蹂躙はしてはならんと、言ってたのに、ガンガンやってますでしょ。
実にいい加減!。
オール統一さんは、文鮮明氏を崇拝していませんよね。たんに錦の御旗(あるいは印籠はたまた枕詞)にしているだけ。
そうなるのは、文鮮明氏そのものがいい加減な人間だったからでしょう。
自律と他律について
> 他律は、原理では「神の直接主管圏」になります。
他律がすべて「神の直接主管圏」ではないと思います。他律は神からの影響もあるでしょうが、他人からも影響を与えられて行動することもありますから。
ichanさん
貴殿のブログ拝見しました。とても共感しました。自分が書いたものかと思うほど境遇や心境が近いものがありました。たぶん同じ世代だと思いますが、ビデオセンターで伝道されてきた当時の若者たちは、夢に向かってみんなでがんばっていて楽しかったですよね。「カルト」に入っている自覚など全くなく、とても居心地がよいものでした。
どうしてこの教団はこんなにも変わってしまったのでしょう…。お互い、残りの人生は悔いのないものにしたいですね。
米本さん
「自律と他律」の記事、ありがとうございました。以前、マインドコントロールの件で指摘を受けた時もはっとしましたが、私はこのテーマにとても関心があります。でも、何年も米本さんのブログは読んできましたが、この2015年の記事はうっすら思い出すものの、当時は深い意味を悟れませんでした。
改めて今回、過去の記事を読ませていただきましたが、よく理解できました。やはり自分が真剣に向かい合わないでただ読み流していただけではなかなか理解できないものですね。
また、次の文章もとても共感しました。
「正直ホンネを言うのですが、私は現役シックに統一教会をやめてもらいたいなんてことは、露ほどに思ったことないのです。やめる・やめないは、当人の問題ですから。」
私も今は同じような境地です。しっかりと自分に正直に生きていくことが大事だと毎日自分にいい聞かせています。
長くなるので、「自律と他律」について自分のブログに書いてみました。拙作ですが、時間のある時に目を通していただければ幸いです。
http://amuro2020.seesaa.net/article/470722612.html
管理人のみ閲覧できます
必読記事です。
●「自律と他律」~5%論の功罪に関する一考察~
●http://amuro2020.seesaa.net/article/470722612.html
鋭角的な問題提起だと思いました。
小生の「自律と他律」論は、一般社会向けです。もっとも反「カルト」のマインドコントロール論を強く意識したものですが。
この論は拙著『教祖逮捕』所収の「つくられた言説」が初出です。全国紙の書評でも取り上げられたから、そこそこ問題提起になった論です。
アムロさんの「自律と他律」論は、統一教会員に則したものです。アベルカインの組織論が入ってくるので、とてもややこしくなります。高次元関数になってきます。
とまれ、「アベル依存のシックがある日突然、拉致監禁される。アベルとも連絡が取れない。神に祈るが神は何も応えてくれない」
4000人以上のシックがこうした状況下に置かれたのです。
このことも考慮に入れて、考えてみるべきだと思います。
ともあれともあれ、アムロさんの論考は秀逸だと思うけど、ランキングでみる限り、「考えると頭が痛くなるシック」が多くなるらしい。

皆様がどのように思われるか?
霊的繋がりが霊界である、地上を抜きにしてあるのであれば、この考えはひっくり返りますが、あくまでも地上を土台としているので、全てが自律と考えます。
ただし、極端な例、例えば強制的、権力的、命に関わる事柄もよくよく考えると自律なのですが、誤解が生じる可能性がありますので、論外にさせて頂きます。
これは脳と五感の関係から言ってそうなります。あくまでも私の考えです。
皆さんのコメントをお聞きしたいです。しかし、そのコメントのお返しはひかえさせていただ来ます。私のブログでは記事にさせていただくかも知れません。
Re: 皆様がどのように思われるか?
他の人に質問を投げかけながら、
「皆さんのコメントをお聞きしたいです。しかし、そのコメントのお返しはひかえさせていただ来ます。私のブログでは記事にさせていただくかも知れません」
まっとうな社会人とは思われませんよ。ご注意を。
Re: 必読記事です。
私は大学生の時に入信しましたが、学生時代はよく議論したものです。「神とは」「創造とは」「宇宙とは」「堕落とは」「原罪とは」「責任分担とは」「蕩減とは」「信仰基台とは」「実体基台とは」「メシヤを迎える基台とは」「メシヤとは」…想像力が掻き立てられてとても楽しかったです。いろいろと考える癖ができました。
教会はもう長いこと信徒に考えさせたり議論させたりしなくなりました。挙句の果てに「ネットを見るな」です。澤田氏の抗議への反応を見ても分かりますが、下手に信徒が疑問を持つと幹部たちが返答に困るからです。でも、結果的にそれでは常識もなくなり、知性も霊性も育たず、イエスマンが増えていくだけです。
米本さんが書いていたように、一人一人が本やネットを使って考えたり議論したりするようになれば、お互いを尊重しあってバカバカしい「爆笑時代劇」などしなくなると思うんですけどね。食口(sick)は思考停止病という重い病気にかかっていると思います。(哀)
貴方様のブログのコメント欄
議論を受け付けないという意味ではありませんでした。議論は何時でも受け付けるのが私の姿勢です。
いままで議論を受け付けなかった記憶はありません。ただ忘れているからかもしれませんが。
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