日本統一教会創立50周年記念式典に異議あり! 監禁体験者の表彰について 

統一教会考(10)

「日本統一教会創立50周年記念式典」に異議あり!

拉致監禁された人たちの哀しみを理解できない信者たち

日本統一教会は10月7日に「創立50周年記念式典」を開催する。

1959年10月2日、西川勝氏(のちに退会)が東京・新宿区の時計店で、2名の参加者に日本で最初の礼拝を行った。
  この日を日本統一教会は創立記念日とし、今年がちょうど創立50年にあたるため、記念式典を開催しようというわけである。西川氏のことを知るには『救いの正体』所収の「<最初の伝道師・西川勝氏が語る>統一協会よ、なぜ“堕落”してしまったのか!」を参照。

特定の宗教団体の慶事に、部外者が物申すのは差し控えるべきではあるが、この式典には看過できない「式次第」が企画されている。声を大にして異議を唱えたい。

拉致監禁の被害にあった現役の信者から、こんなFAXが送られてきたと、怒りのコメントとともにメールが届いた。
以下、FAXの全文を引用する。

「日本統一教会創立50周年記念式典(10月7日)で、拉致監禁の被害者を対象に表彰をいたします。
なお、式典当日は代表者の表彰となり、他の皆様には各地区で表彰を行う予定です。
 こちらで把握出来ていない方が、いらっしゃるかも知れませんので、拉致の被害にあわれ戻ってこられた方がいらっしゃいましたら、▲日までに代表区域長までご連絡ください。
 よろしくお願いいたします」(○△教会ニュース)



監禁続発の中での奇怪な表彰式

私はぶったまげた。

「ニュース(13)」「ニュース(14)」で、新たな拉致監禁事件が発生したことを伝えた。

繰り返せば、7月にカープ(旧原理研究会)の東北大学の担当者だったH君(実家は奈良県)、8月に東京・荒川青年支部のGさん(静岡県)と北大阪教区所属のKさん(鳥取県)、9月に東京・足立青年支部のYさん(北海道)が相次いで、拉致監禁されたのである。

4人は今も、どこかのマンションに監禁され、脱会説得を受けている。4人の信者仲間は今も必死で行方を探し、何とかしたいと知恵を絞っている。

それなのに、現在監禁されている現役信者のこととは関係なく、これまで拉致監禁された人で、組織に戻ってきた人たちを祝福し、表彰しようというのだ。

このずれまくりの感覚、あまりの感受性のなさに、開いた口は塞がらず、頭がクラクラしてしまった。
「現在もなお、監禁されいる食口がいる中で、実に不謹慎極まりない」。メールをくれた教会員が怒るのは当然のことだろう。


統一教会員が好きな言葉に、「為に生きる」というのがある。実際、為に生きたいと思っている教会員は少なくない。しかし、きわめて観念的で、単なるお題目。偽善そのものなのだ。

もしそうでないというのなら、「表彰式の式次第」は中止し、せめて「監禁から解放されることを願う祈祷」でもやるべきではないのか。監禁されている仲間のことに思いをいたし・・・。

なぜ、こんなにまで、私たちの感覚と、幹部を含め教会員の感覚とはズレてしまうのか。どうして、教会員の精神は“堕落”してしまったのか。

これについては、稿を改めて書くつもりである。

教会員のみなさん、また元教会員のみなさん、なぜ感覚がズレるのか、しばし、考えてみませんか。


無知の哀しさ・滑稽さ


ここでは奇怪な表彰式の問題点に限って、述べておく。

第1に、すべてのといっていいほど、多くの教会員は4人の信者が拉致監禁されていることを知らされていないことにある。「統一教会の公式サイト」を読めば、拉致監禁に関することは、『統一教会に反対する人々?四千人の拉致・監禁はなぜ起きたのか』という小冊子の出版がアナウンスされているだけである。(例外は和歌山教会のサイト!

今も4人が監禁されていることを知らなければ、記念式典のFAXを受け取った教会員が何とも感じないのは当然のことかもしれない。

もし、知らされているとすれば、少なくともメールをくれた教会員と同じように、「現在もなお、監禁されいる食口がいる中で、実に不謹慎極まりない」という声があがるだろう。(注1)

なぜ、「拉致監禁問題とは闘う」(徳野会長の言葉)と宣言した、教団の中枢部が知らせないのか、正直、よくわからない。はっきりしたのは、4人の教会員が拉致監禁されているという事実に、重きを置いていないということだ。(注2)


第2に、「拉致監禁の問題」の本質・実態を全く理解していないということだ。これが最大の問題点である。

教団は、拉致監禁を宗教迫害とのみ捉える。そのため、その迫害に耐えて、生還してきた人たちは勝利者ということになる。そうであれば、12年間の監禁から生還した後藤徹さんは崇敬されるべき勝利者だ。おそらく、記念式典で表彰される代表者とは、後藤さんのことだろう。

「勝利者を表彰するのが何が悪い」といった反論が聞こえてきそうだ。

しかし、そうした捉え方だと、反統一教会陣営(保護説得定派)と同一地平になってしまう。
彼らは、教会員は“マインドコントロール”され、教団のロボット状態になっている。だから、「救出」しなければならないと考える。一人でも救出できれば、それは「勝利」となる。

救出した人が多ければ多いほど、それに関わった脱会説得者は称賛される。教団の表彰式と、構図がよく似ているのだ。

拉致監禁問題の本質は、生還、脱会といったこととは関係なく、自由を奪われ、それまで培ってきた人格の土台が揺すぶられ、心に傷を受けることにある。しかも、悲劇なのは自由を奪う人が自分の親であるというとだ。

統一教会のことではしょっちゅう喧嘩はしていても、根源的な部分では、何かあったら、たとえばヤクザから監禁されたら、命をかけてでも助けてくれるという信頼していた当の親から、拉致監禁される。ここに衝撃性があるのだ。

このことが、統一教会も反統一教会も、まるでわかっていない。


冷たい組織


私の推定では、拉致監禁された約4000人のうち、“生還者”は1000人である。参考文献は『統一教会の検証』(光言社)

この1000人のうち、現在も教会にとどまっているのは、半分にも満たないだろう。
その理由は、拉致監禁問題の本質がわかっていないため、心の傷をケアしないからである。
夫から10数年前に監禁された婦人信者はまだ教会員を続けているが、いまだ精神は不調のまま。周囲は女性の心の傷に気づいていないという。

そもそも、各教会の教会長をはじめとする教会員の心は「摂理の実現」に向けられている。

必死になって戻ってきても、「よく戻ってきたな」というねぎらいの言葉をかけられて、何カ月もの監禁はそれで終わり。しばらくすると、もう、その人に関心が向かなくなってしまう。そして「私は為に生きたい」と心の中で繰り返す。バカ丸出しというか、心が解離しているのだ。

「親子関係が悪かったから監禁されたのだ」と心ないことをいう教会員もいる。もっともひどいのは、生還してきた教会員に、「それで、あなたはまだ信仰を続けていく気があるのか」と問い質したというケースである。この信者はほどなくして脱会した。


こちらで把握出来ていない方が、いらっしゃるかも知れませんので、拉致の被害にあわれ戻ってこられた方がいらっしゃいましたら、▲日までに代表区域長までご連絡ください
拉致監禁、あるいは宗教迫害にこれまでまるで関心がなかったことは、教会員が送ってくれたFAXを読めば、一目瞭然だろう。

生還した信者を勝利者とする考え方の裏側には、脱会した信者は「転んだ信者」「脱落者」という見方がある。
だから、脱会すれば、あれほど一緒にやってきた仲間なのに、「今はどんな暮らしをしているのか」といった思いやりの気持ちすら浮かばないようだ。

私は、いわゆるカルトとされる教団を数多く取材してきたが、統一教会ほど信者に冷たい宗教(的)団体は、寡聞にして知らず、だ。個々の教会員と話すと、優しくて思いやりがある人ばかりだが、いざ、組織に戻ると、「冷たい集団の一員」となってしまう。

分派が成長するのも、当然のことかもしれない。


統一教会と反統一教会の相似性


一方、反統一教会はどうか。

ある信者の母親が、「<全国原理運動被害者父母の会>代表の本間てる子さんには失望した」と語った。(注3)
本間てる子氏が電話でこう語っていたのを聞いたからだという。
「落ちた(脱会の意向を示した)?じゃあ、一丁あがりだ」

教会員を人間としてではなく、モノとしてしか見ていないのだ。

反統一教会陣営も、拉致監禁の問題の本質が理解できていない。
そのため、脱会した当初は脱会活動に関わった人たちからチヤホヤされても、監禁されていたときの心模様、心の傷には何の配慮されることなく終わってしまう。要するに、脱会すれば一丁あがりなのだ。

この点でも、統一教会と反統一教会はきわめてよく似ているのだ。



徳野会長は「引責辞任の記者会見」で「拉致監禁問題に取り組む」と発言し、梶栗新会長は本部教会の日曜礼拝で「拉致監禁には断固として闘う」と宣言した。
 また、日本担当になった文鮮明氏の4男、文クッチン氏も、日本・統一教会に「拉致監禁問題にはきちんと取り組むように」という指示を発した。

この20年間、蚊帳の外に置かれていた拉致監禁問題に、ようやく光があたり始めた。その意味ではいいことである。

しかし、「創立記念式典」での表彰式だけはズレまくりもいいところだ。長く宗教官僚として教団内部のみに棲み、一般社会を知らないから、感覚がズレてくるのだろう。

この20年間、宗教迫害(拉致監禁)を放置し、監禁から逃げ戻ってきた信者のケアをせず、教団内部で拉致監禁の話題すらすることもなかった。それなのに、「拉致監禁問題に取り組め」と急に言われて、やることが生還者に表彰状とトロフィーだなんて・・・。

一方で教団は、12年間の監禁事件のことをいまだに社会に向かって公表していないのだ。後藤さんを監禁下で脱会説得した宮村峻氏に抗議文を送ったという話もついぞ聞いたことがない。

やることなすこと、バラバラなのだ。

拉致監禁体験者の間では、トロフィーを受け取るか受け取らないかで、議論になっているとも聞く。

記念式典の企画者よ!
表彰式ではなく、「これまで長い間、あなた方を放置してきたことを深くお詫びします」という謝罪式に変更すべきではないか。頭を垂れるのは、歴代の会長、地区長、教会長たちだ。

ひとり言。しかし、無理だろうなあ。お詫びする気持ちがあるなら、表彰式なんていうトンデモ企画、思いつかないもんなあ。

(注1) FAX案内文を教えてくれた教会員は、教団に抗議のメールを送信したが、受信されなかったという。以前に「早川さん」が指摘されていたことでもあるが、最近、統一教会の公式サイトはメールの受信サービスを中止している。
 文クッチン氏は組織の透明性を高めるように指示しているが、逆行する行為である。
 おそらく、嫌がらせメールに閉口したからだと思うが、嫌がらせに耐えることによって、はじめて透明性が確保されるのである。
 話を戻せば、表彰式に抗議するメールを送信しようとした教会員は一人だけではないかもしれない。

 現場の声を聞かないと、組織が独善的になってしまうのは歴史が示すところである。

(注2) 前回の記事のコメント欄に、「悩める信者さん」からこんな投稿があった。

「今月はじめ、本部からの公文で現在の拉致監禁者の状況が全国に流されました。
いまさらながらではありますが、このような公文が流れること自体が初めてのことではあります」


教団本部が拉致監禁問題に取り組み出したのは、事実である。後藤さんをアメリカに派遣したのもその一環である。私は率直に評価する。

しかし、教会員はもとより、教会長クラスが拉致監禁問題に関心を持つようになったかと言えば、はなはだ疑問である。「悩める信者さん」が指摘された公文とは、本部から各教会に流される電子メールだが、その公文をどう取り扱うかは教会長の判断に委ねられている。
「4件の拉致監禁が発生した」という公文を重く受けとめれば、その教会長は日曜礼拝で教会員にその事実を伝えるだろうし、一方、重く受けとめない教会長はペーパーでもらった公文を無視し、ごみ箱に棄ててしまうだろう。

驚いたことかある!
「ニュース(14)」で足立青年支部でY・Mさんが拉致監禁された事実を伝えた。そうしたところ、足立教会の3人の教会員から別々に問い合わせがあった。「Y・Mさんて、○○△△さんのことでしょうか」
 この問い合わせからは、2つのことが読み取れる。

 一つは、拉致監禁の具体的事実を足立青年支部の役員に質問することができない雰囲気があるということだ。同じ信仰仲間より、統一教会に批判的な無信仰の私には質問しやすい。もう!ナンタルチア。
 もし1つは、拉致監禁事件が発生しても、所属する教会員すべてにアナウンスしていないということだ。
 負の情報はすべて公開しないという長年続いてきた秘密体質のせいとしか考えられない。

 もう、拉致監禁を防ぐには、みんなに知らせてといった民主的なやり方は無理なのかもしれない。
 拉致監禁者を出した組織の長(教会長、支部長)、当の信者の上司など関係者すべてをクビにする。一般社会に戻って仕事をしてもらう。このような評価基準の導入が必要になっている。

 悩める信者さんの気持ちは痛いほど理解できますが、まだまだため息が出るほどに道半ばですね。悩ませるようなことを書いてごめんなさい。

(注3) 「全国原理運動被害者父母の会」は事実上、解散している。これに代わるように誕生したのは、「全国統一教会被害者家族の会」である。 

関連記事

コメント

米本さんのご指摘、本当にその通りと思います。
私も拉致監禁生還者への表彰の件を知った時、多少の違和感は感じましたが、率直に生還者の皆様を慰労したい気持ちの表れと、そのまま受けとめていました。私も統一教会改革派?の一人と自称していますが、まだまだと猛省しています。
私自身、拉致監禁の事実は知っていても、監禁された方の心の傷の深さを知ったのは「我らの不快な隣人」が初めてでした。他の教会員の皆様にも読んでほしいのですが、関心を示して下さる方は少ないのが事実です。現在、12年5ヶ月の監禁から生還された後藤さんが、全国の教会を回って集会をしています。それによってこの感覚のズレを少しでも修正できたらと願います。

仰天

エネルギーをこめた長文に思いがあふれています。関係者にわかって欲しいですね。

それにしても、
「もう!ナンタルチア。」
に、ガッテンです。

相変わらず変な対応しか出来ない教会で・・・





教会員が冷たいのは真の父母しか見てないからではないかと。
横のつながりはあまりないですね。

現役のときは、本当に教会員って冷たいな、と思ってましたがやめてしまうとその冷たさが都合よかったりします。

何を表彰したいわけ?

いったい何を表彰したいわけですか?

監禁されて教会に戻って来た人、離教した人。

戻れば、よく信仰を貫いたという意味なのだろうか?

全く馬鹿げた企画だ。

たとえ、国進様が指示したとしても、
拉致監禁体験者のこころの傷が癒えるものとは、到底思えない。

さらに、離教してしまった教会員に対しては、「転び者」という表彰状がサタンの残党から与えられるだろう。

拉致監禁をなくしたければ、地区長は任地の反対牧師に会いに行くべきだ。
いまも、監禁されている仲間がいるというのに、50周年記念を祝うのは良いが、監禁経験者を表彰するなどとは、もってのほか、不謹慎極まりない。

単に50周年を祝うのではなく、半分は反省会をしたらいかがか。

表彰式に断固反対する

表彰するなら、4000人すべてを表彰せよ。

離教した方もあっての教会史ではないのか。

すべきことをしないで、内輪で表彰式ごっこをしても、拉致監禁問題の解決には、一切、何の役にも立たないことを警告しておく。

12年5ヶ月の監禁、次は誰が監禁される?

現役教会員のそこのあなたが、ターゲットかもしれない。

表彰状

今回日本統一教会設立50周年にあたり拉致監禁被害者で、かつ教会を脱会せず信仰を貫いた信者を表彰する。このこと自体については、自分としては別にかまわないと思います。ただし、心底 <拉致監禁> 問題を真剣に取り組む気があればですが....抹茶さんが言はれたように (教会員は冷たい真の父母しか見ていないから、横のつながりがない) とありますが、私も教会にいるとき (横的にながれるから) 用は横に流れて立ての関係が崩れるからの意味でしょうけれど...前しか見えないおもいたったら吉日そんな姿勢も教会から感じられるし、(転ぶ)(転ばない)も本人しだいと言う教義もあるのである面都合よくできているところもあります。統一教会設立50年 私統一教会脱会25年 どちらも節目の年を迎えておりますが、今自分は統一教会について、自分なりに <検証統一教会>を行っている最中であります。総括はしてみたい! <転び者> として。 

ヒーローではありません

私も表彰には?です。
棄教せず戻ってきたからとヒーローになりたい訳ではないのですから。

国進様が指示したとしても、
拉致監禁体験者のこころの傷が癒えるものとは、到底思えない。

確かにその通りです。
しかし、過去にはない動きで個人的には注目しています。
そして関心を持ってもらえるということは大変重要であると感じています。

一方、監禁被害者の心のケアは、メンターとなる人に出会えるかという点で残念ながら未だにかなり運しだいと思っています。
近くに心から信頼ができ、かつ十分にケアのできる人がいないと自分だけではかなり困難です。
もちろん最後は自分しだいの側面はありますが、、。

脱会後は投げ出すという牧師は論外ですが、教会内でもケアができる人は極めて少数であろうと思います。

無理からぬことでもあります。
きわめて面倒な作業を伴い、時間も取られます。
監禁で費やされた時間より多くの時間が必要かもしれません。

うまくメンター的人を見つけ出せたとして尚、それでも癒える、癒されると
いうのは難しいものです。

じゃあ打つ手なしなのか。

考えるに当面は周りの教会員で支えるよりないと思います。

教会員の皆さんには、まずは関心を持ってほしいです。
そして、微力でも継続的に自らの問題として一緒に考え、悩む。
カウンセリングのテクニック等は不要
です。
易しいことではありませんが、真剣に痛みを共有して下さい。
たとえすべてが解決しなくてもその積み重ねよりありません。
根気、忍耐のいることですが、、、。

破壊するより再生の方が数段時間も手間もかかるものです。







表彰とは

言葉の使い方を間違っているのではないかと辞書で調べてみました。

「表彰―善行・学業・功労などをとりあげ、多くの人の前でほめあらわすこと。」とありました。そうですよね。

拉致監禁の被害者を対象に表彰とは・・・、わからない。

このサイトに出会って、二日目です。

皆さんのおかげで、日本のかかえている問題がより鮮明になりつつあります。
「秀」さんのコメントが僕が感じているものに近いようです。
真の愛の世界とは、天一国とは、人類兄弟姉妹のひとつ家族とは、
そのような、心から、行動に移すこにより、相続され建設できるのではないでしょうか?

これから、毎日、訪れます。
インターネットを与えていただいている成約時代、希望が湧いてきます。

紹介

 表彰式のために「表彰状」と「トロフィー」を準備されている各教会・教域の担当者のみなさまへ。

 拉致監禁を体験された方々から寄せられてる戸惑いや反対の声に、どうか耳を傾けてください。

 また、このブログ記事への感想が「cowntdown2013.1.13. 」(9月25日付)http://430katei.blogspot.com/にも載っています。現役信者の方の感じ方に少しは思いを寄せてください。

 この世でもっとも悲劇であり滑稽なのは、独りよがりの愛と善意です。

 監禁体験者のために何かをしたいという善意があれば、「秀」さんが願うように「真剣に痛みを共有」してください。その痛みは『我らの不快な隣人たち』の第一部に書いてあります。3人の女性は歴史から忘れられた人でした。2人のサイトがこのブログにリンクされていますので、今も監禁されている人たちのことを想いながら、どうか拙著とともに読んでください。
 よろしくお願いいたします。

 happieさん、ブログを開いていただき、また投稿していただき、ありがとうございました。

インターネットを与えられている時代ですが、青年信者はほとんどパソコンを開くことをしません。どうか周囲の教会員にアナウンスし、このブログを含め様々なサイトを読むように伝えてください。どうかよろしくお願いいたします。

happieさん

はじめまして。元信者です。
ちょっと思うところを書かせていただきます。

「日本のかかえている問題」
日本国はどんな問題をかかえているのでしょう?
日本統一教会の抱えている問題だと思いますが・・・




拉致監禁被害者の方のサイトをお読みになったことがありますか?




私には幼少期に受けた傷がありますが・・・そのことを在籍時、韓国人責任者に話したことがあります。
彼も父親との葛藤があり、彼はそれを乗り越え、弟は乗り越えられなかったのだそうです。
彼が、私の話に対して日本人はどうしてそういうふうに思うのか云々…といい…

傷口に塩を塗り込みこすられた、とでもいうのでしょうか。
人それぞれ思うことは違いますし、体験も違う。

他人の体験に、簡単に「天一国」とか真の愛とか書くこと・・・
韓国人責任者のしたことと似ていると思いました。

言葉が軽いというのか・・・思いが軽いというのか・・・



抹茶さん、
僕は、抹茶さんの予想どうり、拉致無経験者です。
実は、昨日、一日中、拉致監禁被害者サイトを読んでおりました。
米本さんのルポは、読み始めたら止めることはできないし、サイトはとても良くできていて、いくらでも情報が手にはいるようにできていますら・・・
それでも、僕は、あくまでも、第三者ですから、コメントはする気はなかったのですが、今朝「秀」さんのコメントを読んで、第三者でも、今なお監禁されている食口のためにできることがあれば、参加させてもらいたい願いがあり、その意志表示の思いでコメントさせて頂いたしだいです。
おかげで、こうして「抹茶」さんに返事が書ける機会が与えられ感謝しています。
僕は、実は、日本の教会の事情すら疎いのです。僕は、米国で復帰され、帰国したのが、90年代の初めであり、日本の教会に席を置くようになってからですら、まだ数年しか経つていません。
米国での教会生活も、韓国人教会の下でのアジア人教会であったし、また、しばらくすると、メンバーは米国で復帰されたメンバーだけになってしまいました。事実上、日本の教会から渡米した食口とはほとんど交わった経験がないのです。
メンバーの1/3をカープに移籍するようなったとき、日本から来たカープのリーダは、メンバーに接して、アメリカ人じゃないが、日本の食口と違う、間の子だと感想をしていましたが、そんなところだとおもいます。
僕が、拉致監禁めいたことに関与したのは、ある女性の食口が日本からつれもどしに来た父親に拉致されホテルに監禁もどきにされたことと。
このときは、現地の日本人既成教会の牧師とオーストラリアからバークレー大の講師に来ていた宗教学の先生と領事館責任者、本人親子と一緒に話しあい、女性食口が最終的に、教会に残ることを意思表示したので連れ帰ることができました。
もう一つは、男性食口ですが、父親が同じように連れ戻しにきました。裏の世界というのでしょうか、部下を30人程連れきたのです。このときは、ほとんど、何もできずじまいでしたが、本人が親を説得して帰ってきました。
ですから、このサイトでの世界とは、全く別な次元のできごとにすぎません。
この数年、日本の教会に属するなかで氏族メシアに力を入れているのですが、僕の信仰観は、日本風な仏教的なものではなく、基督的なものが影響しているみたいです。育てていただいた韓国の先生方のおかげなのでしょう、現在の日本の雰囲気とは、かなり異なっているようです。しいて言えば、日本教会の草創期にとても近いものと感じています。
それで、サイトでのコメントを触れていると、僕には、教会の食口の交わりよりも親しみが湧いてきてしまうのです。
日本の問題、日本の教会がかかえているものとは、そのような観点から出てきてしまうのでしょう。
清平で、世界の食口と接しますが、一番接し難いのは、残念ながら日本人食口であることも、僕の信仰生活での背景が大きく影響していると思います。
ぼくは、誰とでも、話してしまうし、友達になってしまう性格のようです。
正確には、統一協会でそのように生まれ変わってしまいました。僕、個人としては、神様が変えてしまったと喜んでいますが・・・
「抹茶」さん、僕は埼玉に住んでいるのですけれど、もし可能なら、直接会っていろいろ拉致監禁のことを教えてもらえたらうれしいのですが・・・
良い返事を待っています。

はじめまして。
現役信者、東 S.Hです。

米本さんのブログは以前からたびたび拝見しています。
非常によく取材された痕跡がうかがえる文面に、感心する事が多いです。

さて、今回コメントをしようと思ったのは、教会本部や教会員、そして、拉致監禁を保護と称して、正当化する方々の、あまりにも現実を理解していないことについて、米本さんがコメントされる内容に、共感したからです。
私も、無関心な教会員の一人であった反省も込めて、感じている事を記します。

上記のブログの、

拉致監禁された人たちの哀しみを理解できない信者たち

というくだり、本当にそうだと思います。

おそらく、当事者は拉致監禁被害者の、癒える事の無い深い悲しみ、苦しみを全く(ほとんど)理解していないと思います。
(統一教会本部、教会員、そして、反統一教会陣営も)

それは、直に被害者に接する事で、分かってくるはずです。
このブログを読まれて、米本氏は大げさにかきたてているだけだ、と感じた方、是非、被害者と接してみてほしい。
(その時、教会員にありがちな、無神経な質問は禁物、配慮しながら接する必要があります。)

そうすれば、この事が事実であり、決して誇張された事ではないと気が付くはずです。


それにしても、信じられない事は、このような、著しい人権侵害が、野放しにされている。

これは、この問題に真剣に取り組まなかった、教会と教会員に問題があると言わざるをえません。
(どちらも、例外的に積極的に取組んだ方々はいますが、規模が小さく持続性が無かった。更には、面倒を起したくない本部の人間に止めるよう指示された、信じられない事例もある。本部こそが、リーダーシップを発揮すべきポジションであるにもかかわらず。)

更に、保護して救う為と、事の本質を隠し正当化して、犯罪行為をいまだに繰返す、反統一教会陣営に重大な問題がある。

米本氏が指摘するように、両者(統一教会・反統一教会)は、どちらが正しい、間違っているという議論の前に、今現実として起こっている、被害者の実態を把握すべきです。



被害者は、癒えない深い傷を抱えたまま、語ろうとはしません。
ようやく、重い口を開くと、口々にもっとも信頼する親から受けた、虐待にどうする事もできない悲痛な心情を打明けます。
この事をよく理解せずして、物事を進めようとすれば、茶番劇のような事になります。

ですから、表彰することを聞いたとき、無関心だった本部がようやく、動き出したと感じる反面、
では、水面下で、教会に戻る事もできず、苦しんでいる元信者はどうするのか、そして更に、今は反対派にまわってしまったとはいえ、以前共に歩んだ元信者はどうするのか。
という事が、私の脳裏に浮かびました。


統一教会陣営は、表彰も悪くは無いですが、その前にすべき事、
・拉致監禁問題、解決の為の取り組みを強化する。
・その為の、信徒への状況報告
・被害者のケアー。
など、それらをしてからで良いのではないでしょうか。
もう決まった事なら、後からでもこれだけはすべきです。


そして、反統一教会陣営は、
自分たちの行動(偽善)の結果起きた、悲劇、
一家離散やPTSDにかかった多くの方々、精神的に不安定な状況になられた方々の実態を把握し、深く反省すべきです。

米本氏も、私も、統一教会に反対する事に異議をとなえているのではありません。

それはそれで、必要があれば、民主的な方法(監禁という身体的拘束をせず)で、真摯に行うべきです。


両者共に、熟考を要する問題だと考えます。
統一教会員は、過去(無関心)を悔い改め、行動すべきです。

反統一教会者は、本当にその事が必要であれば、方法を変えて(上述のごとく)行うべきです。

更に、これから拉致(保護説得)を試みようとされる、父母の皆様、必ず踏みとどまられる様お勧めします。

本当に、本人を救う気があれば、ほかに方法が、いくらでもあるはずです。

皆で共に考えたい内容です。

長文コメントにつき、陳謝します。

米本さん

ありがとうございます。
特に、理由があるのではなく、
ただ、頭が下がり、感謝の思いでいっぱいです。
 
抹茶さんの返事のなかで、少しは触れたのですが、
教会内の現状は、米本さんが御存知の通りだとおもいます。

しかし、このサイトの御蔭で、米本さのご苦労の御蔭で、
教会食口と、更に深い兄弟姉妹関係を築くべく、大きな武器を頂きました。
 
この「真剣に生きている」サイトの「実を結ばせたく」新たに、決意を固めているところです。

PS: 先週末、訪韓した指導者達は、
本部教会の礼拝5回すべて参席したようです。
題目は、当然、日本兄弟姉妹の拉致監禁に関してです。
天の訴えが、教会中枢に響き渡ることを願いつつ・・・

反統一教会陣営の方へ 追伸コメントです。

先ほどの、東 S.Hです。

先のほど、書き忘れましたが、本気で人を救おうとされるのでしたら、なぜ、これ程までに甚大な被害を出している事について、放置し、更に同じ過ちを今もなおするのですか。
これは、偽善と言わざるをえません。

この米本さんのブログを覗いておられるのなら、真摯に受止め、被害者と向き合って下さい。
そして、自分たちの過去の過ちを反省して下さい。
懇切に、お願いします。
人は、時として過ちを犯します。
しかし、問題は、過ちを改める事ができない事、これこそが重大な問題です。

もし、反省する気も無いなら、あなた方のされている事は、救いではなく、犯罪でしかありません。
自分の行動に反省できない人が、人を救うなどと、二度と言わないで下さい。

私の、愛する信徒、元信徒の心に甚大で取り返しのつかない、深い傷を残したのです。

このブログでも紹介されている、「拉致監禁をなくす会」のブログを熟読してください。

重ねてお願いする次第です。

「表彰式の式次第」は中止し、せめて「監禁から解放されることを願う祈祷」でもやるべきではないのか。監禁されている仲間のことに思いをいたし・・・。


米本さんの方が篤実な信仰者ですね。私もそう思いますよ。

ええじゃないか

米本さん。相変わらず燃えていますね。正義感の塊です。尊敬します。

ただ、私は統一教団の「ずれまくり」に関しては理解できる。所詮、統一の信者さんも「普通の人」だということ。宗教をやっているから、人の痛み苦しみが分かるかというと、そんなことはないということだと思う。

私などは、悲惨なニュース(例えば、帰省中の親子が乗った車がガードレールに激突して小学生2名が即死した)をテレビで見ながら、女房の尻をなでつつビールを飲んで枝豆を食い、「あーあ、2人も死んじゃったんだ、たいへんだねえ」とほろ酔い気分でいられる。

私が、その亡くなった子供の家族だったら、そんな為体ではいられますまい。酔いなど吹っ飛ぶ。悲しみにくれるだろう。

統一教団の信者諸氏も、教団の仲間を家族だとは感じていないだけ。それって、普通の人と一緒だろう。「あーあ、また拉致されたんだ、たいへんだねえ」という程度の感覚なのだと思う。宗教者としては低級だが、別段悪いことだとも思わない。米本さんのように、拉致被害者と多く接していれば、そんな感覚ではいられないが、教団はそういう取り組みをしてこなかったんだから、しょうがない。

ご近所さんが事故で死んでも「あーあ、事故に巻き込まれたの、たいへんだねえ」といいながら夕飯をたらふく食っている家族が多くなっている現代日本だ。統一信者も、そのような普通の現代日本人にすぎないということだろう。だから信者諸氏も「為に生きる」などということを軽々しく言うべきではないと思うがね。あんたらはそんなに偉い人間ではない。私のように俗っぽい普通の人間に過ぎぬ。

拉致監禁被害者を表彰? ええじゃないか。宗教官僚が精いっぱい考えた誠意なのだろうから。それでひんしゅくを買ったら、学習するだろう。そのためにも、表彰対象者の方がもっと大人となり、ずれまくり宗教官僚の教育だと思って、「ふざけるな!」と声を大にして抗議したらよい。

米本さんに言いつけるのも結構だが、教団本部にガンガン抗議するようにしたらいいと思う。そうしないと、永遠におたくらの教団は変われないよ。悲しいかな、おたくら教団に限らず現代日本は、被害者が声を大にしないと動かない社会なのだ。薬害エイズしかり、薬害肝炎しかり、冤罪事件しかり。現実は現実として、しっかり見つめて対応するべきだと思う。

奇妙なずれまくり表彰式を契機に、拉致監禁被害者が教団内で声を大にして行動していったらいい。表彰式でトロフィーを投げ捨てて一席ぶったらいいぞ。それくらいやってほしいな。そんな式なら、私も見にいきたい。

happieさん

私は拉致監禁体験者ではありません。
知人に数人体験者が居ましたから話を聴いたことがあるだけです。

そのうちの一人は、親の反対が強いので実家に帰り通教していた時に監禁されました。それも二度目の。
一回目は脱会届けを書くことで開放されましたが、二度目はそれではすまず、裁判参加と言う条件で開放されました。

そのようなことを見て来ている為、目が覚めたときに「反統一教会」の牧師さんのほうには相談はしませんでした。

リハビリと称してブログをしてました。元、現役、反対派、関わらず統一教会関係者には会いたくはありません。


私は、反統一教会ではあっても「拉致監禁」には反対です。


拉致監禁については米本さんにお聞きになった方がいいと思います。

玉突きの原理

一つのことをしたら、その結果としてどういうことが起きるか、複数の結果が予測されるなら、一つ一つ検証すべきではないか。最近の統一教会の行動を見て、これを「他山の石」として、みずから反省すべき点を反省したいものです。

私も実は予測できませんでした。統一教会がアメリカで拉致監禁体験者の講演旅行を行い、もって拉致監禁カウンセラー(本当は首謀者なのだが)の牧師たちへの外圧となす……。この一見すごく正攻法的に見える方法、これは、その副作用を予見してそれへの予防策を十分に立てておかない限り、かなり危険な方法であった、と今私は思っています。できれば、今後は一切中止していただきたいと。

私も予見できなかったので、統一教会の担当者に、あれはどうだ、これはどうだと言える立場ではないのですが、一つのことをしたら、その結果どういうことが起きるのか、予見すべきであろうと思います。

玉突き事故、玉突き人事、玉突き……。玉突きの原理から考えてみます。今、拉致監禁が多発しておりますが、時期的に外圧作戦始動と時期が一致しているのは、偶然でしょうか。私は今現在の考えとして、外圧を加えられると予想した牧師たちが、親に働きかけを強めた、と推測しております。

アメリカの牧師

日本の牧師

親兄弟や親族

この圧力は、普通の冷めた頭で考えれば、当然予測できるものでした(私はできませんでしたが)。

これに対して予防策をとるとすれば、今現在統一教会が行っているように、全国を回って拉致監禁体験者の方々がやっておられるように、拉致監禁被害予備軍への徹底した教育、これしかないでしょう。しかしこれもまた、動機が間違っていると、逆に悲惨な結果をもたらしかねません。

予備軍を守るため、という動機を堅持して行われるならばいいのですが、教会防衛のためという動機にすり替わりますと、どうなるか。圧力が

教会

予備軍

へと加わり、
先に述べた牧師から親への力のベクトルと、教会から予備軍への力のベクトルがぶつかるこの位置が、一番被害を受ける部分となります。つまり信頼を取り戻すべき親子の間柄が、拉致監禁をしようとする側と、拉致監禁されまいとする側の駆け引きの場所となってしまう。

「拉致監禁をなくす会」では、親に拉致監禁をあきらめてもらい、子供には社会的におかしなことはしないと約束してもらって、この親子の信頼を取り戻していただいてはどうかとの議論も交わされています。決して、力と力の駆け引きの場所にしてはならないのです。

言いたいことだけ述べて、米本さんの本来定義されている表彰式の問題を述べていませんでした。この表彰式に、玉突きの原理をあてはめることができるかどうかは分かりません。が、

教会に帰ってきた

評価

表彰

表彰されない人

評価されない

教会に帰ってこなかった人

つまり、表彰されるのは、教会に帰ってきたからであって、同じ拉致監禁の苦しみを味わった人でも、教会に帰ってこなかった人は評価されない。そしてここからは玉突きの原理が当てはまると思います。

評価する者たる教会

評価されない人

帰ってこなくて評価されなかった人へは、確実にマイナスの情的な力が働きます。そして、評価されなかった脱会者の方々は「もう二度とあのような組織には入るものか」と思う。そして最悪の場合には、前は偽装脱会のためのやむを得ざる反対派活動だったのが、今度は本気に反対派活動に参加する、という結果も想定できます。

長文になり申し訳ありませんが、予想できることを予想できなかった自らへの自戒の念も込めて、表彰式中止と、外圧としてのアメリカ講演旅行の中止を求めるものです。

表彰式の是非について

米本様

今回の

>もしそうでないというのなら、「表
>彰式の式次第」は中止し、

ということに関して、残念ながら私は同調できません。

御意見に反対するというわけではありませんが、同調は出来ないという事です。

というのは、一般に統一教会のイメージに上の号令に従って、右向け右と一斉に右を向くというイメージがありますが、実はこれは間違いであるということから来ます。

どこかで書かれていましたが、ある教会が本部の指導に従わない、無視することも良くあることです。

勿論、自分達で重要だと思うことや、非常に強く、権威を付けて指導された場合等は一斉に右向け右になるのですが・・・。

これは、統一教会の教会組織制度がローマカトリックの司教制度と似た制度になっているためです。

教区を収める教区長は、ローマカトリックの司教と同じく、教区に対して非常に強い権限を持ちます。

ローマカトリックでも司教区の自治権は非常に強く、司教区がこまごました事では、バチカンの指示に従わない事も頻繁に起こっています。

統一教会でもそうです。

そして、現在拉致監禁の問題は、現在は残念ながら、この細々した事の内に入ってしまっており、

それは何故かというと、教区の意識が無い為に、非常に重要な事と思われていないためです。

この状態を打破する為に、細々としたイベントでも常に開いて、意識を喚起させなければなりません。

確かに祈祷集会なども行なわれるべきでしょうけど、

表されるということは、それだけ重要視しているのだというアピールとなります。

祈祷会は随時何時も開かれている恒例的集会であり、私達にとり、ある意味日常的の事柄であり、

非日常的であるが故に、重要であるというアピールとしては弱い事柄に入ります。

従って、本部がどのような判断でこのような事柄を決定したのかは判りませんが、私はこの際、被害者の方達には申し訳ないですが、こういった意味で表彰式に反対する気にはなれません。

私は、今はこのような事柄でも歓迎すべき時である判断しています。

各教区が意識を持って、主体的にこの問題に乗り出すためには、どのような事柄でも、意識を喚起させる行事は歓迎という判断です。


とは言っても、早川さんの御意見には賛成です。

”表彰式でトロフィーを投げ捨てて一席ぶったらいいぞ”は少々過激すぎると思いますが(笑)

これをもらうこと自体に、ご自分達とって何の意味がないということをアピールされても良いかと思います。


各教会の指導者達が集まった箇所で、それのアピールができれば効果は非常にあると思います。



遍照金剛さんへ

何を考えているのですか?

頭を冷やしてください。

>外圧を加えられると予想した牧
>師たちが、親に働きかけを強め
>た、と推測しております。

であれば、脅威に感じられる非常に有効な手段だということです。

外圧を利用する事をさせないように、遍照金剛さんのように考えさせる為に、起したとも考えられるわけです。

逆です、海外に働きかける事は大いにやるべきです。

犯罪と認めさせなければなりません。

そうすることが解決の第一歩です。

もし弊害が出るならば、その弊害を防止するように努めるのが正当な対応です。

弊害をなくすために、正当な行動である訴えかけをなくすのは暴論です。

犯罪を認めさせる方法とは?

幽霊食口様

>犯罪と認めさせなければなりません。
>そうすることが解決の第一歩です。
>もし弊害が出るならば、その弊害を防止するように努めるのが正当な対応です。

この部分、まったくもって同感です。

それで、外圧を使えば、彼らが自分たちのとった行動を犯罪と認めるのでしょうか?

拉致監禁牧師にとって、にっくき統一教会が表彰する、ということが、自分たちは罪を犯したと、認めることにつながるのでしょうか?

そうでないことは、この外圧を使い始めてからさらに拉致監禁の度合いが増したことで、明らかになっているのではないでしょうか。

冷静に事実を見つめましょう。

それよりも、拉致監禁しかないと思っている人たちに、そうではないんだよ、と呼び掛け、拉致監禁牧師に対して、心に響くような訴えを続けること。あなたも明日、拉致監禁をなくす会と行動を共にしませんか。

ちなみに、表彰をなくせ、訪米講演をなくせというのは私見であって、拉致監禁をなくす会の公式見解ではありません。

冷静に物事を見ましょう

>遍照金剛さん

社会的認知と政治・・・ポリティスクを全然判られていないみたいです。

物事が社会的認知されるというのは二つの道筋があります。

一つは漠然とした社会認識として認知される方法。これは、今日、マスコミなどある程度コントロールされており、マスコミの支持を受けなければ一般的認知を受ける事は難しいでしょう。

一つは、法律によって規定され、実際に取り締まられる事。

残念ながら、北朝鮮による拉致監禁とは違い、統一教会員などの新興宗教信者への拉致監禁は、マスコミの反対に会い、一般的に認知に至る事は難しいでしょう。

であれば、社会的認知は法律による規定と取締りが第1です。

これに全精力をかけるべきです。

ようは、拉致監禁牧師にきちんとした刑法の適用を受けさせる事に全精力を注がなければならないということです。

ここで問題は、司法取締り行政機関が積極的ではないということです。


これを打破させうる為には、トップダウンが最適です。

現在、鳩山内閣は日米協定の見直し、自衛隊海外派遣問題でアメリカと潜在的に火種を抱えている状態です。

この状態に些細な問題で新たな火種を抱え込みにくいという状態にあります。

つまり、日米交渉でアメリカの担当者がこの問題を強硬姿勢で持ち出せば、日本として応える可能性が高まっている状態です。

つまり、外圧は政府に対しての外圧であり、政府は下部行政機関に違法性の立件に発破を掛ける可能性があるということです。

これが自民党政権だった場合は、逆に日本を刺激したくなくて、アメリカが遠慮する立場にありました。

従って、アメリカがこの問題を持ち出しても期待薄の状態でったのではないかと思います。

これに加えて、オバマ大統領は初の黒人大統領で、ある程度はマーティンルーサーキングジュニア牧師系列の教職者の影響下にあると考えられます。

そして、アメリカからのニュースでもこの系列の教職者が非常にこの件で協力的である事を示しています。

つまり、アメリカ政府から日本政府への外圧は非常に期待できる情勢にあります。

日本政府が動かないならば、アメリカ政府を動かすべきです。

後藤さんは出来れば、オバマ大統領と会見できるように働きかけるべきでしょう。

解決の第一歩を踏み出せる手前まで来ているかも知れない状態なのに、何故後退しなければならないのですか?

それと

>拉致監禁牧師に対して、心に
>響くような訴えを続けること。

拉致監禁牧師は確信犯です。

これで拉致監禁牧師が悔い改めるならば、とっくに悔い改めているでしょう。

大体において、拉致監禁牧師は犯罪である事が判っている為に、家族を利用しており、

更には、夜桜さんやみさちさんのブログを読めば、この拉致監禁でどれほど傷付かれているか判りますが、

これに対して誠意がある拉致監禁牧師が居ますか?

確信犯の犯行を防止する為には、社会的認知が必要なのです。

これは明確な刑法犯罪であるという事を実証し、拉致監禁予備軍の家族に提示する必要があるのです。


弊害が出ているならば、弊害のみを防止する対応をするべきです。

愚問ですが

 愚問ですが、拉致監禁派牧師って確信犯じゃなくして正義を自覚しているんじゃないですか。管理人さんの本のどこかに「キリストの再臨」をめぐる神学上の見解の違いが書いてありました。よって、統一教会をやめさせる運動を正義として行っているとのだとおもいます。
 犯罪的な拉致監禁手法を用いても正当化される正義って、どんな正義かと思うのですが、不思議なのは他のコメントを読んで、韓国やアメリカのキリスト教会の牧師やキリスト教徒がそういうことはしないのに、なぜ日本のキリスト教の牧師は熱心にやっているのか?です。
 親御さんに「いくら何でもこんな閉じ込めてはいけませんよ」とおっしゃる牧師さんっていないんでしょうか。あるいは、キリスト教会の中で異教徒を捕らえる行為はやめましょうという人はいないの?管理人さんの本では牧師が親を長い間教育・指導して、監禁作戦を実行に移す様が詳しく書かれていましたから、そこに答えが表れているのかも知れませんが。
 心理的傷痕はもちろん、脱出による負傷、自殺、大の大人に拉致車内で大小便の用足しをさせる…こんな異常なことをさせるキリスト様の正義にあきれますわ。でも、外国の事情を読むとやっぱちがいます。民主主義の土台から社会的な責任を果たしているためでしょうか。
 拉致監禁は凄惨すぎて「表彰」より、徳野会長記者会見で「自殺者」に触れたほどなら「追悼」がふさわしそうです。 

パパイヤさん

>拉致監禁派牧師って確信犯じゃなく
>して正義を自覚しているんじゃない
>ですか。

刑法犯罪を犯しているという確信犯という意味です。

勿論、彼等は、その自覚と共に宗教的正義を自覚しているのでしょう。

だからこそ、”地法より天法が優先する”という理念を現実的に実行しているように思えます。

新たな拉致監禁が発生したようです。

続発です。

心ある方は、是非とも米本氏の呼びかけに応えていただきたいと思います。

アメリカを動かす?

幽霊食口さん

アメリカを動かすんですか。そういうことがあったんですか。それは知りませんでした。では、この拉致監禁に関する訪米講演会が、アメリカをどれほど動かせるか、静観しておきたいと思います。これまで統一教会が全精力をあげて動いて、アメリカを動かせた実例を、実を言うと私はあまり知らないものですから、一つ二つでもいいので、教えていただくとありがたい。皮肉にとらえないでくださいね。

全精力を傾けてアメリカを動かすことができるのなら、そしてそれに日本の牧師たちが耳を傾けるのでしたら、それはそれでやるべきでしょう。

しかし、その法の可能性は極めて薄いと思います。ですから現時点で私は政治ポリティスクというものの効果には、あまり信を置いていないのです。

事実、拉致監禁は、私た7月に拉致監禁をなくす会に入会して以降、1ヶ月間には1人でした。東君ですか、ところが8、9月には現時点ですでに4人ですね。幽霊食口さんは、私のような意見を言うような人が出ることを期待して拍車をかけたのだ、とおっしゃいましたね。もしそうだとしたら、やはりこの増加の起点は、外圧攻勢の影響ですね。

これを、どう見ているのでしょうね。悲惨な思いをする人が出ても、やるべきことはやらなければならない、という。その悲惨な思いをする人とはだれなのでしょう。拉致監禁をされた方の訴えを読みましたか。たぶん読んでおられることとは思います。

今、「拉致監禁をなくす会」のブログ編集をお手伝いしながら、証言の編集をしていて、見出しをつける時なんか、ふだんの人が読む以上に集中して見出しを拾うんですよ。塩谷さんの証言に小見出しをつけた時なんか、何とも言えない、耐えがたい心境になりましたよ。

>更には、夜桜さんやみさちさんのブログを読めば、この拉致監禁でどれほど傷付かれているか判りますが、

すごく言葉が軽い。幽霊食口さんのお言葉は、頭の中から、正確に物事をとらえて、さらさらさらっと出てくる、模範解答のようなものでしょう。

しかし、人の気持ちはそんなもんじゃありませんね。
そんなことよりも、私ができることから協力していった方が、よっぽどいいと思っています。

>一つは、法律によって規定され、実際に取り締まられる事。

>残念ながら、北朝鮮による拉致監禁とは違い、統一教会員などの新興宗教信者への拉致監禁は、マスコミの反対に会い、一般的に認知に至る事は難しいでしょう。

>であれば、社会的認知は法律による規定と取締りが第1です。

>これに全精力をかけるべきです。

>ようは、拉致監禁牧師にきちんとした刑法の適用を受けさせる事に全精力を注がなければならないということです。

>ここで問題は、司法取締り行政機関が積極的ではないということです。

ここまで全く同感です。ではその働きかけをだれがするんですか。私たちがやらずに、だれがやるんですか。「拉致監禁をなくす会」のメンバーは、路傍で路傍演説とビラ配りしていますよ。拉致監禁被害者が四国に出たと言って、関西から車を飛ばして実家に行ってくださった方がいますよ。今ようやくそれを統一教会もやり始めたところですよ。それは私はやるなと言っていませんからね。むしろそういう地道な積み重ねが、行政を動かし、政治を動かすようになっていく。

それで、次のフレーズには私は疑問符をつけるのです。

>これを打破させうる為には、トップダウンが最適です。

どうして急にトップに飛んじゃうんですか。それはトップがやることであって、幽霊食口さんがやることではないということですか。幽霊食口さんだけにやれとは言いません。私も「拉致監禁をなくす会」に協力できる部分はそんなに多くはありません。でも、土日の時間のあるときには協力しようと思っています。ブログ等の編集に二日に一度は夜間に自分のパソコンの前に座っています。

拉致監禁に直接かかわるような企画を立案されている方もいます。拉致監禁を実行される親の気持ちを伺い、この気持ちも知って(頭の中では本を読んで知っていますよ)ともにこの問題に身を投じていくこと。私はこれ以外に、問題解決の道を知りません。

拉致監禁牧師は何を言っても聞かないだろうという幽霊食口さんの回答は模範解答です。しかし、では親と子の間にだれが立ちうるのか。よく考えてみてください。私たちの会ではそういう議論が沸騰していますよ。

拉致監禁をする親に会おうと思えば、教会員では難しいだろう、ましてや統一教会主宰の会合で、拉致監禁を計画している親が来るだろうか。親子の間に立てるのは、第三者的な存在しかいないだろうな、なら自分たちがやろう、という気持ちに会の皆さんは皆なっていますよ。

幽霊食口さん、あなたの意見は模範回答で分かりやすい。でも何かが抜けている。あなたはどういう協力をなさっているんですか。これは無理にお答えいただかなくても結構です。

ひょっとしたら、あなたも鴨野さんにかなり協力しているのでしょうね。それを知らずに私が意見しているとしたら、お許しください。

今も、把握できる限りで5人の監禁被害者が、苦しい思いで救出を求めています。外圧よりも、先にやることがあるのでは。

真剣に考えてください

>遍照金剛さん

まったくあなたにはがっかりさせられる。


>では、この拉致監禁に関する訪米講
>演会が、アメリカをどれほど動かせ
>るか、静観しておきたいと思いま
>す。

ということは次の手を打たないということですね。

だったら、動くわけないでしょう。

好意的に受け取られた。

それで終わり。

よかったですね、

影響が少なくなって、

拉致監禁が少なくなりますね。

めでたしめでたし。

そして拉致監禁をやる牧師たちは大手を振って往来を歩き、

そして拉致監禁反対の運動を細々と続けるのですね。

解決したいなら、真剣に考えて下さい。



遍照金剛さんの言葉は実に軽い。

風が吹いたら、こっちにふらふら、あっちにふらふら、

その癖逆風が吹いたら逆上する。


アメリカ公演をやって、好感触を得た今はチャンスなのです。

アメリカは日本と違って、大統領と会えるのは割りと簡単と聞いています。

政権に近い人がいれば、それこそあっという間に会える可能性が高い国と聞いています。

だけど、会いたいと言わない人間まで会ってくれるのではありません。

今のままでは国内だけの早期解決は無理と見えていませんか?

一般は関心がなく、統一教会員でも関心は低い。

マスコミはむしろ、反対し運動をつぶす方に出る可能性が強い。

司法行政機関は、むしろ犯罪者に同情的。


利用できる状況、利用できるものすべてを利用して解決しようと何故しないのですか?

これを解決するためには、被害者が動かなくてはいけない状況が何故見えませんか?

私がアメリカ大統領と会いたいと言って取り合ってもらえるとでも言うのですか?

私が拉致監禁の悲惨さを語って、人をアメリカ大統領を動かせる動かせるとでもいうのですか?

今のままでは、どうにもこうにも閉塞状態だけど、アメリカ大統領にあってアメリカを政府を動かし、日本政府に圧力をかけて、政府から行政官僚を動かす可能性が出てきているのです。

何故それを潰さなければならないのか?

私にはわけがわからない。


議論で拉致監禁がなくなるいくらでもやれるがよいでしょう。

統一教会員となったすべての子供と親の間に立つ第三機関が見つかるならば大いに探してください。

私は、そんな議論より、そんな探索より、司法機関を動かすすべを考えるほうが余程、拉致監禁をなくす最短距離だと思いますが。

そのために誰に訴え、誰を動かせばよいのか?

また、物証と証言を集めるほうが余程有効であると思いますが。

100の議論より1つの行動

幽霊食口さん、私は外圧はやめよと書きました。また表彰もやめよと書きました。しかしあなたとの議論で一つ大切なことを学びました。外圧をかけようとしている人も、方向は間違っていると思うけれども、何か行動しようとしている意欲はあるのですね。

表彰も、教会に帰りたくても帰れなかった人のことを考えると、私はそういう人はますます帰れなくなるだろうなと考えて、辞めた方がいいと述べました。しかし、何らかの意図があって表彰しようとした、行動しようとした意欲はあったわけです。

少なくとも、ネットの世界でしか行動しようとしようとしない人に比べれば、評価してあげないといけないですね。100の議論より1の行動ですよ。

ならば行動してください

どんどん行動してください。

ただし的をはずさないように。

私はいつもそう言っているのです。

行動すべきことを行動し、行動すべきではないことには行動しない。

言うべきことはいい、言うべきではないことは言わない。

そうするように私は勧告しているのです。

拉致監禁をなくしたい思いは皆共通のはず。

高澤牧師に手紙を送りましょうv-220

幽霊食口さん

此処に書くべきことではないとは思いますが・・・それでも一言言いたいので。

リアルでは、自分が誰であるのかわかるので動けない、と数年前に仰っていたように思います。
米本さんの取材依頼も、匿名性を守りたいから拒否したと、書いておられたようにも記憶しております。

実世界では何もしない人の「勧告」など誰が聴くのでしょうか、疑問に思います。

口先だけ偉そうなこと言うのなら誰でも出来ますし、人の上に立ったようで気持ちよいのかもしれませんけどね。

私もネットでしか発言しませんから他の人のことをとやかく言える立場ではないのですが。

抹茶さんへ

別段、私は私の事を判って欲しいわけではないが、それではご納得いかないご様子ですね。

詳細は書けません。個人情報となるからです。

現実には動きたくても動けない人間は居ます。

その中で、精一杯の活動をやる為に出て来ているのです。

私は寝る時間を削り、忙しい時間を縫って、ネットで活動する時間を捻出しているのです。

ネットで時間潰しているのではありません。

明確な目的、目標、行動指針を立てて、夜遅くまで仕事をして、食事の時間をも惜しみ、深夜1時2時頃までかかって掲示板記事を書いたりしているのです

抹茶さんには私が偉そうに言っている様に見えるのかもしれないが、

気分が良くて言っているのでもなければ、私の為に何かを求める気持ちも無い。

ただ、動けないならば動けないで、補助役として皆の役に立つ内容を提示する為に、時間を削っているのです。

それに動ける時は誰に言われずに動いております。

但し、私と絶対判らないように。


晦日から五連続徹夜で仕事をしたり、盆休みは10年連続で仕事をしたり、夜中にたたき起こされて仕事に行ったり、200日以上も休み無しなったり、1日程度の徹夜は日常茶飯事の仕事をやっている人間も居るのです。

これで動けるならば、動いて見て下さい。

私はこういうことをなるべく言わず、私の活動方針より説明していますが、

私が言っている内容から、私が動けると判断した時は動いている人間であると判るはずだとも思っています。

勿論、知らない人間であれば信用がないと言われればそれはそれで仕方が無い事ですが、

私が逆に不思議でしょうがない。

私がどのような行動を取ってとしても

それが私に言っている内容に影響があるのか?

ということです。

行動にして示せ。でなければ説得力が無い。

確かに正論でしょう。

しかしながら、私の言っている内容は、私に為に話しているのではなく、語りかけている人たちのためになるように思い発言しているのです。

その人達の為になるのならば、私が行動する、しないはその人達にとって意味があることなのでしょうか?

その人達の為になるならば、私の行動の如何に関わらず、私の意見の中からその人達の意に適うものを取捨選択して、その人達が行動すれば良いこと。

私の行動の事なぞ放っておけば良いのです。

私はそれで何かを要求する気も無い。

私がそれで何かを要求することがあれば、はじめて私の行動を問題とすれば良いだけのこと。


物事を判断するのに、心をウェットに、頭はドライに、

行動は迅速かつ慎重かつ果敢にかつ忍耐強くあらねばなりません。

情動だけの判断は物事の判断を狂わせ、やがて狂気にまで至ります。

冷徹なだけの判断も物事の判断を狂わせ、やがて非人間的な功利主義に至ります。


私は、”拉致監禁をなくす会”が”拉致監禁の被害者の会”であるならば、遍照金剛さんに対して、こうしたことは言わなかったでしょう。

被害者の心を慰める会であるならば、遍照金剛さんの御意見はなるほど尤もだと思います。

拉致監禁をなくすための会であるからこそ、拉致監禁をなくす為の助言をしているのであり、

その助言の是非にどうして、私の行動が関わりがありましょうか?

それを持ち出すこと自体が、彼の反発心の理由付けに過ぎないと私は判断します。

PS 私がこれを書いているということは、私が今日も仕事に出ているということです。そしてそれを中断して書いているということです。私ももうこれ以上は馬鹿馬鹿しいし、意味が無いようみたいですので、拉致監禁をなくす会の事については触れないようにしましょう。

私は私の主目的である活動に専念いたします(協力した方が良いと思うときは、協力はしますよ。私とは判らないように)。

言い返せばいいというだけの長文、お疲れ様でした。

ご納得も何もありません。
貴方が出てきた時から貴方とはわかりあうことはないと思ってますから。

米本さんには申し訳ないです。全く関係ないことを書いてしまって。

お返事ありがとうございました

 幽霊食口さん、お返事ありがとうございました。
 「続報」のこと、管理人さんの新しい記事をよみ、検索とかしているうちにこちらのお返事が遅れました。

 しかし、ここのコメントを読んでアメリカの対応と日本の違いには驚かされます。同じキリストの正義を信奉するキリスト教徒になぜこれだけの開きがあるのか?後藤さんが訪米して、あちらでは牧師に会って問題を話し合っているというこの違い。何かなーと考えてしまいました。
 やっぱ、日本というのは世間体を気にする「恥の文化」の社会で、風評を価値判断の軸にするからかなと思いました。ネット上で統一教会を検索すると日米の政界を裏からコントロールするような暗黒権力のように書かれている。違法な資金集めは兆円単位と弁護士集団が言っている。でもこのブログではサークルレベルの本部機能という指摘もある。管理人さんの度々の「ずれまくり」批判。まるで幼稚園の時遊園地でゴーカートみたいの乗った時まっすぐは知れず、親から右に回せと言われれば右にぐるぐる回転し、左だよと言われれば左ハンドル切って左にぐるぐる回転してちっとも前に進めない。拉致監禁無視から急遽表彰とか、謝罪会見で拉致監禁問題とか、おもしろい現象を見ると、こんな幼稚園の頃の遊園地体験を自分は思い出す。まっすぐ車を進めるって初心者には難しいよね。
 こんな社会的初心者にユダヤ陰謀説みたいなのを重ねるのは風評が膨らんだ証拠と自分は思う。反対する人々は、いかに自分は強敵と戦っているのかを強調するから、多分風評は膨らむんだろう。日本のキリスト教社会にも拉致監禁など牧師の行き過ぎを批判する声があるかも知れないことを別スレの大学の先生のコメントに見た。
 でも「恥の文化」だと言い出せないよね。キリスト教会で「拉致監禁派反対です」と言えば「おまえ統一教会に有利になるじゃないか」と言われたら終わりだから。統一教会も「恥の文化」の中じゃ名前隠すんでしょ。おたがいにニッポンを克服できない姿が見えます。…愚考は続くのですが、こんな社会体質の中で見て見ぬふりをされているものがある。そう感じると、拉致監禁は社会悪だとさえ思えるのです。

>私が言っている内容から、私が動けると判断した時は動いている人間であると判るはずだとも思っています。

話は信じるが戦果だけが問題なのでな。

ご意見、貴重に思います。でも・・・

いつも、ジャーナリストとしての正確な、記事に心から感心しております。
拉致監禁を取り上げていただいている事に心から感謝申し上げます。

私は、うちの妻が監禁に遭い、無事に脱出してきた者です。
私も、妻の救出に関しては必死で祈り、命がけの覚悟で捜索しました。
おかげさまで、80日後に救出することが出来ました。
それ故この80日間を夫婦一体化の為の80日修練会だったとお互い神に感謝いたしました。

そんな中では、このように米本さんに拉致問題を取り上げていただくことは
夫婦共に大変感謝しております。

ただ、最近教会のご批判を頂いてる中で、夫婦共に強い嫌悪感を感じてしまう文言が少々見受けられ・・・
拉致監禁被害者および被害者家族として残念に思います。
私たちは、信仰者として、神様と文先生ご夫妻を真の御父母様として心の拠り所として信仰しております。
組織として未だ未熟なところが多々ある事を認めますが、少なくとも拉致など様々な迫害の中で信仰を貫きその団体に帰ってきた者として米本さんの感情的な文言に更なる傷を感じてしまいます。
こう思っているのは、私達夫婦だけかもしれませんがどうかご配慮を願うものであります。

決して、悪意があるわけではなく、むしろ貴ブログで勇気付けられた者としてその分悲しみを感じた故、投稿させていただきました。

これからも応援させていただきます。
有難うございます。

立場の違い

はーもさん

統一教会に対する批判、確かに信者さんは「嫌悪感」を感ずるのではないかと思いますが、それは信者だからであって「拉致監禁被害者」と言うこととは別なのでは?と思いますが・・・いかがなものでしょうか。

私は元信者ですので、統一教会は韓国に帰ればいいとさえ思っております。
そういう者からしたら、米本さんの仰ることは統一教会への「愛」があふれている文章に見えます。

立場の違いです。

「拉致監禁被害者」であることを「錦の御旗」になさっているのではないか・・・そのように感じました。

お心の傷に配慮しない文章だと思われてもかまいません。
人は誰でも少なからず傷を抱えて生きているものです。



はーもさんへ

投稿ありがとうございました。

拙著『我らの不快な隣人』を読んでいただければ、私の立場はご理解してもらえると思います。とりわけ、あとがきを読めば。
読んでいただいているのでしょうか・・・。

抹茶さんが指摘してくださったように、はーもさんと私との間には「立場の違い」があります。私は統一教会、反統一教会、いずれの立場にも与しません。拙著でも書いた通り、是々非々の立場です。

統一教会員が犯した経済犯罪事件にも、反統一教会陣営が犯している拉致監禁事件にも、非」(NO!)の立場です。取り立てて難しい立場ではないと思います。是々非々の立場から、物事を判断しているだけです。

ところで、はーもさんのURLによって、はーもさんのブログ(そーむの独り言)をざっと読みました。
「火の粉を払え」をリンクしていただいていました。とても感謝です。
感謝した上での注文というか疑問です(投稿をいただいていながらの注文、少々複雑な思いなのですが)。

その1・どうして、現在、5人の信者が監禁されていることを、ご自身のブログでアナウンスされないのでしょうか。拉致監禁に反対の立場に立っていらっしゃるとすれば、不思議でなりません。このブログ記事の(注2)を読んでください。

 その2・どうして、ご自身の体験をブログで書かれないのでしょうか(ひょっとすれば、どこかに書いてあるかもしれませんが。もしあれば教えてください)。

 私には不思議でなりません。
 反統一教会は「米本は統一教会と一緒になって拉致監禁反対キャンペーンをやっている」と批判しています。しかしながら、どこを見渡しても、統一教会・教会員はほとんどといって、社会に向かって拉致監禁反対の姿勢を示していません。

 はーもさん、不思議に思いませんか?
監禁されていた当の伴侶のご意見も知りたいところです。

なにはともあれ、拉致監禁に反対されるのであれば、「はじめの一歩」、高澤牧師に抗議の葉書を送ってください。囚われの身にある現役信者のために。

伝わるかどうか、わかりませんが

表彰や祝福の意義、

どうしてそんな捉え方になってしまうのでしょうか?

祝福するのは、失った子を取り戻した神様の喜びを、表彰は、長いこと改宗を迫られながら失うことがなかった信仰心に、授けられるのだと思います。

教会に対して不満を感じる人が多いのも事実ですが、統一教会は、悩みを打ち明け傷をなめ合う仲良しクラブではなく、本気で世界平和を目指し活動している教団です。

教会の人が見ないところで悪口を言おうと何をしようと、相も変わらずあなたを愛している神様の思いの深さを、感じてください。

甘露さんへ

投稿ありがとうございました。

言挙げするつもりはありませんが、「表彰や祝福の意義」とありますが、祝福の意義に異をいまだ唱えていません。祝福=神のもとにおける結婚についてはいずれ書くつもりですが。

 ところで、はーもさんと同じように甘露さんにも問いかけをします。
どうして、今現在、5人の現役信者さんが監禁されているのに、あなたはそのことをブログで訴えることをしないのですか?

 神を百連発しようが、マガイモノにしか感じられません。どうして、高澤牧師に抗議の葉書を送ろうとしないのか。

 少しは、星空を見ながら、息を大きく吸って、沈思黙考してみたら、どうですか。

 いい加減な人たちだと印象がだんだん強くなっていくばかりです。

再び、甘露さんへ

腹が立ったから、もう一言。

「統一教会は、悩みを打ち明け傷をなめ合う仲良しクラブではなく、本気で世界平和を目指し活動している教団です」

そうですか。では、なぜ、平和を目指す活動家諸君が、民百姓に、印鑑を売りつけるのでしょうか。

しっかりとした回答を!

実るほど、首(こうべ)を垂れる稲穂かな

実に人格の成熟度を言いえて妙です。

話すことと聞くことと、どちらが難しいかというと、私は聞くことの方が難しいのではないかと思います。私自身も、ついつい自己主張してしまうところがあるので、自戒の念としているところです。

才気闊達型と沈思黙考型と、どちらが成熟しているでしょうか。私は沈思黙考型ではないかと思います。ちょっと切り口を変えて言えば、人の言うことをよく聞くことのできる人。いまだに私は、なかなか人の言葉に耳を傾けることができません。

某組織にも同じようなことが言えようかと思います。世界を変える、地上天国を作る。これは目的として悪いことではありません。でも、そのために取っている手段については、やはり社会での評価には気をつけた方がいいのではないかと思います。

私は拉致監禁被害者救援の活動に従事しながら考えさせられました。被害者がまず最初に、一番やってほしいのは、組織に帰ってきたときに、じっくりと聴いてあげることなんですね。

これはなにも拉致監禁問題だけではなく、すべてに通じることだと思います。社会からの批判があれば、じっと耳を傾ける。そして可能なところから改善していく……。そうすれば、社会の人も、ああ、目的は確かに素晴らしいかも、と聞く耳を持つようになるかもしれません。

某組織ももう日本で芽が出てから50年。そろそろ成熟の時を迎えてもいいかもしれません。私ももう分別盛りの年齢。人をまとめることのできる心の深さを持たないとね。

世界平和への活動について

世界平和に関する活動については、教会のことをよくご存知であれば説明の必要はないと思いますが・・・本気で世界の貧しい国に教育などの支援をしようと思えばお金がかかるのは当然のことであり、教会員はその必要性を知っているので、事業に取り組んでいるのが教会員であれば、自ずと営業利益から献金をすることになります。

ここから先は、信仰や教義に対する理解がないと腹が立つ内容になるのかも知れませんが、貧困を世界からなくそう、と募金を集めていたとしたら普通、いくらなら出せるでしょうか?

私も印鑑を買いました。
自分が幸せになるために、大金も出しましたが、募金だったら千円も出したら十分すぎるかな、と思う程度の人間でした。

もし、人間が本当に善良であれば、こんな形をとらなくても、できる限りの施しをしようと思うでしょうが、自分の行ったこともない国の人の気持ちなど、私は思いやる術もありませんでした。

不幸な人が居ることそのものが、神様にとっては苦痛であり、ご父母様の悲しみです。ひいては、教会員の痛みや悲しみでもあるべきものなのですが、

教会内でも情報が流れにくいなど、確かに問題はたくさんありますし、教会員に対して冷たいという印象は、確かに外から見たらそう見える部分もあると思います。そこに対して、反省しなければならないという動きもやっと出てきています。また、拉致問題についても、対策を始めて居ます。また、高澤牧師にはがきを送ったら、高澤牧師が改心してくれるとは到底思えません。枚数がかさむ程、高澤牧師のモチベーションを揚げる結果になりかねません。
私自身も、とにかく動き出した幹部の動向に期待するばかりです。

私のブログ、ご覧頂いたのでしょうか。
実際、新たな拉致が発生しました。
なぜ書かないか。女性食口の監禁時の被害について、興味本位が先行しては更に心の傷が深まる恐れがあるためです。何もしてあげられないことはいつも呵責を感じます。会ったことのない食口でも、彼女のブログを読めばその気持ちは日々私も感じることであり、未だに解決されず新たに事件が起きる悔しさもあり、泣けて仕方ありません。祈祷も、しないわけないでしょう。周りの兄弟姉妹だって、毎日祈ってます。

私としては、米本さんは信仰もない立場にありながら、私たちの兄弟姉妹の身に起きた真実を表に出してくれた、感謝すべき方、と思っております。そのため、米本さんが、私たちのような一般食口の信仰についても、ある程度の理解があると思って発言しましたが、いい加減な人という印象を与えてしまったのは、誠に残念です。

また、記事の中に、表彰と祝福、と書いてあったので、ご存知だと思っておりましたが、
祝福、といっても、結婚そのものではなく、神の子として、という意味合いで祝福を授けることもあるので、それもご理解ください。

理解しようと思っても理解できないことのほうが多いのは承知しております。私も食口になる前には理解できまない世界でした。でも、どうか反論するつもりで読まないようにしていただきたいと思います。相互理解に至らない議論をしたくて投稿したわけではなく、米本さんへの批判ではないのです。神様を感じたことのある食口に、神様の愛について、思い出してほしいのです。

ここに書き込むことで、米本さん宛のような形になり、不快な思いをさせましたこと、お詫びいたします。

我らの不快な隣人、を読んで。

取材したひとたちは、被害者のかたがた。そのご家族。そして反対し拉致監禁するものたち。

足を使い、汗を流してのフィールドワーク。それを土台にした真実な記事。

正確さを期すための、膨大な数の文献の吟味。

それから、正直ゆえに、反対するものたちから袋叩きにされるも、被害者のことをおもい書き続ける執念。

6年の歳月と、あらゆる力を費やしてこの書を出版されたその実績。

なによりも、全編から感ずる、拉致監禁によって反対するものたちがこわした、被害者のかたがたのこころ、そのご家族との関係を再生するためにそそいでいる愛情。

これらすべてに頭をさげ、わたしはその姿勢を学びたいとおもっています。

わたしは統一教会の信者です。

*今夜は眠れず、もう4時半。
  • [2009/10/01 04:32]
  • URL |
  • へのへのもへじ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

へのへのもへじ様

小川と申します。私も 我らの不快な隣人 を読みました。私は元統一教会の信者でありました。統一教会に関する書物色々読みました。一番私が統一教会の書物で読みたかった本 是々非々 なかなかこのように論評した書物なかったですね。反対派はこてこての反対。容認派すなはち身内もこてこて..... でも、著者米本さんもどちらかとゆうと反対派それなのに 是々非々を貫かれて書かれてますから.....自分も読み応えありました。この本のおかげで、 拉致監禁 に関心をもっております。もうまもなく5時になります。日課のジョキングにいきます。眠くなりましたか? 失礼しました。

統一食口のみなさま。

「洗脳の楽園」と「カルトの子」も是非お読みになったらよろしいと思います。

特にヤマギシの「特講」潜入ルポは秀逸です。
「特講」と統一教会の「修練会
」は非常に似ております。

ぶっとびました。

すご~く以前、コメントした人間です。
統一教会の信者でも、反対派でもありません。
ただ、「カルトの子」からこちらに辿り着きました。

>統一教会は、悩みを打ち明け傷をなめ合う仲良しクラブではなく、本気で世界平和を目指し活動している教団です。

ひゃ~!これまでも信者さんの書き込みには、驚愕する事もありましたが、これにはびっくりして椅子から転げ落ちそうになりました。

先月も逮捕されている仲間がいて、
拉致監禁されている仲間がいる・・・。

なのに、まずは自分達の足元固めようとか、
今も、横浜駅で行われている手相伝道辞めさせようとか、
拉致監禁からの生還者を表彰する前に、仲間を助けたり徹底的な対策立てなきゃとか思わないのかなぁ・・・。
マジ、ぶっとびました。

以前も書いたのですけど、「仲良しクラブではなく、」って甘露さんは書いてますけど、一般人が見たら「非常識なサークルレベルの団体」だと思いますよ。
宗教法人としても、非常識極まりない。

米本さんの甘露さんに対するコメントは本当に的を得ているのだけど、こういう「バーチャル世界平和」に生きている人達に、どれだけ届くんだろう。

改革の前に、こういう人達の教育の方が重要な気がしますが、幹部達の一般常識に対する『センス』が、一般じゃないのが、一番の問題ですね。

ひまわり娘さん

はじめまして。

そういう素直な感想を読むとほっとします。

元信者の私は、教会員の思考がわかってしまうのでどのように書いていいのか、わからないと言うかなんと言うか。



私は、朝、甘露さんのコメントを読んで、吐き気を覚えました。

そして今は胃に穴があきそうです。

最初の甘露さんのコメントは、たったの5文章しかありませんが、米本さんは腹が立ったと書きました。

これに対して書かれたと思われる甘露さんのコメントは、米本さんの怒りについて触れてもいなければ、聞かれた質問にも答えていません。

まさか、下の文章で誤ったり謝罪してるつもりになってます?

>相互理解に至らない議論をしたくて投稿したわけではなく、米本さんへの批判ではないのです。神様を感じたことのある食口に、神様の愛について、思い出してほしいのです。
>ここに書き込むことで、米本さん宛のような形になり、不快な思いをさせましたこと、お詫びいたします。

胃に穴があいて吐き気を催し、頭痛がしてきた。


そして、米本さんから甘露さんへの質問は、こんな内容でした。

>なぜ、平和を目指す活動家諸君が、民百姓に、印鑑を売りつけるのでしょうか。

これへの回答が、次の文章ですか?


>世界平和に関する活動については、教会のことをよくご存知であれば説明の必要はないと思いますが・・・本気で世界の貧しい国に教育などの支援をしようと思えばお金がかかるのは当然のことであり、教会員はその必要性を知っているので、事業に取り組んでいるのが教会員であれば、自ずと営業利益から献金をすることになります。


米本さんが、教会の事をしっていようがいまいが関係なく、聞かれた質問に答えていないのですが。。。

昨日の23時に甘露さんがコメントし、米本さんが立腹したと書いて後、ほぼ丸一日が過ぎる間に、このコメントが異常だと指摘したのは、統一教会に関係のないひまわり娘さんと、元信者の方だけ。


こんな状況で、改めて次の発言を読み直してみます。

声を出して読んでみました。

>本気で世界平和を目指し活動している教団です。

はぁ???????????


甘露さんだけでなくて、統一教会の人達は、いい加減だと思われてもしょうがないですね。

そうではない方々がおられることは知っていますけれども、残念なことに、非常に少ない。

堕落して万物以下に落ちた人間を神の前に帰すために、復帰のための条件を立てる・・・だから、「救い」のために壷を売ってる?

でしたっけね。

こんな事、一般の方のブログに書いても理解されないどころか、基地外扱いされるから書ける訳がない。

だからマトモな教会員は何も書けない。

答えられるわけがないです。


寒露さんのコメントのこの部分

>神様を感じたことのある食口に、神様の愛について、思い出してほしいのです。


元信者へのメッセージなんでしょうけど・・・
早くこの方が目が覚めるように・・・祈らせていただきます(笑

◎ひまわり娘様

初めまして、ヒロシと申します。統一教会の信者です。

>なのに、まずは自分達の足元固めようとか、

私見ですけど、エドガー・ワトソン・ホーという方の
言葉で「敵を愛す代わりに、もう少し味方をましに扱え」
というのがあるらしいんですが、ホント、そういった
ことが大事ですよね。

教会の一員として、反省です…。

>一般常識に対する『センス』が、一般じゃないのが、
>一番の問題ですね。

誰かれではなく、私自身に対する訓戒としてこの言葉が
身に染みました。「常識とは、大多数の意見であって、
正解ではない」てなことを言う人もいるかもしれません
が、常識に囚われないことと、常識というものを眼中に
置かない事は違いますよね…。

教会うんぬん関係なく、一般常識に対する「センス」を
日々日常の中で磨いていきたいと思いました。

謝罪

>悩みを打ち明け傷をなめ合う仲良しク>ラブではなく

米本様へ

上記コメントを読まれて、火の粉を払え、ブログに対する侮辱に聞こえたのではないですか。
以降、米本様のコメントが止まってらっしゃるので、本気で怒っていると、感じました。

わたしがブログの管理人で、このようにコメントされたら、そう思います。

米本様。ごめんなさい。こころから、お詫びいたします。

へのへのもへじ
  • [2009/10/02 12:02]
  • URL |
  • へのへのもへじ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

まちがえました

自分のコメントを読み返して、甘露さんと書くべきところを、「寒露」さんと書いていることに気がつきました。

申し訳ありませんでした。

コメント遅くなってすいません。
米本さん、抹茶さんお返事有難うございます。

立場が違うことは認めます。
ただ、同じ人として理解、共感し合えるところからはじめていきたいと思っています。
「我らの不快な隣人」、ご指摘いただき、自分も忙しさにかまけ、買っていたのですが、かいつまんで読んでいただけなので申し訳なく思っています。
現在読ませて頂いております。

それと、米本さんのご質問ですが・・・偶然ですね!
奇しくも米本さんのコメントを頂いたちょうど
その時間に5人の記事は書いておりました。

それと、拉致監禁の記事は以前にも、数回書かせて頂いております。
9月2日と5月28日が代表的なものです。
(5月28日に私の体験が少し書いてあります・・・)
なかなか、記事が少なくてスイマセン
ただ、妻があまり詳しく書いて欲しくないと申しまして・・
妻の気持ちも酌んでやってください。

各々の立場でこれからも是々非々で行かせていただけたらと思います。

応援させていただきます。
有難うございます。

はーもさんへ

 誠実な返信投稿ありがとうごさいました。

 5月28日付日記を読んで、奥さんの監禁のことが少しばかり理解できました。
 奥さんの意向は最大限に尊重されるべきですし、無視すれば、奥さんは傷つきます。それゆえ、「妻の気持ちも酌んでやってください」は了解です。

 ただ、何年前の事件かはわかりませんが、いまだに事件のことが心的外傷になっている(逃避、回避傾向)、換言すれば、傷口がふさがり、過去の記憶として整理整頓されていないように思われます。

 はーもさんと同じ、ある教会の総務の方(男性)も監禁体験者ですが、奥さんにさえ、いまだにそのときのことはほとんど話されないそうです。

 はーもさんも奥さんの傷が癒えていないと思われるのなら、拙著の第10章、そこで引用した専門雑誌(きしくも、京都のマンションで監禁された女性がケーススタデイになっています)は読まれたほうがいいと思います。http://yonemoto.blog63.fc2.com/?editorも。

 見当違いなことを書いていたとしたら、ごめんなさい。

 ところで、もしよければ、奥さんを監禁下で説得していた京都在住の牧師の名前だけでも教えてもらえませんでしょうか。5人の監禁事件と関係してくるかもしれないので。

拉致監禁経験者として

はじめてコメントさせていただきます。

ブログの内容に戻って表彰についての考えです。

わたしもこの話を最初に聞いたときは、表彰で渡されるという記念品で責任者をぶんなぐってやろうかと思いました。経験者として、監禁されているときには何もしれくれないで、こんな記念品だけで、と。

でもこれはちょっと違うのです。

聖書では放蕩息子のたとえ話(ルカ伝15-11~)があります。

拉致監禁被害者は遊んでいたわけではありませんが、遠い土地でひどい状況になったのは同じと考えます。

その遠い地で死んだと思っていた息子が帰ってきたとき、父親は急いで一番良い服を持ってきて、その子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履き物を履かせ、肥えた子牛を連れてきて屠(ほふ)り、そして、祝宴を始めたそうです。

別に命からがら帰ってきた息子も、指輪が欲しいわけではありません。ですが、そうしてやりたい親心があったのです。

これがわかって、私は表彰をうけてもいいと思えるようになりました。


教会の非常識さ、組織としてのダメっぷりなど、よくして行かなくてはならないところは本当にウンザリするほどたくさんありますし、この表彰もいまごろかという気が正直しますが、この表彰それ自体は、また別のところ「親の心情」からきていることなのだと思います。

なので、私はこれを無碍にはできません。


できませんが、米本さんも書いてくださっている「統一教会は拉致監禁のことがわかってない」にはまったくもって同意です。その無知さに同胞ながら悲しくなります。

表彰は親心。神様からそれを受ける気持ちはあります。ですが、それとはまた別問題として、教会が何もしてこなかった拉致監禁問題について、教会にアプローチしていこうと思います。

一人の現役食口としての、そして拉致監禁経験者としての、この表彰への考えでした。

初めてコメントさせて頂きます。

最近このブログを知った者で、アメリカ在住の食口です。


米本さんへ 

本当にありがとうございます。

もっと感謝の思いを表したいのに この言葉しかみあたらなくて ごめんなさい。



甘露さんへ

あなたのような考え方をする人を 多く育てて来た教会に {これは育てるとは言わないと思いますが、、} ただ溜息しか出てきません、、、。

これが 我々統一教会が 『カルト』 と言われる所以でしょう。


甘露さん、ご自分が あなたと同じような考え方をする人たちの代表と思って

皆さんのあなたに書かれたコメントを もう一度 読み返してください。







あおぞらさんへ

 初めての投稿ありがとうございました。

 信者のご家族が「甘露」さんと「あおぞら」さんの投稿を読めば、これが同じ統一教会員なのかと驚かれると思います。

 そして、そのことは教会員が金太郎飴ではない、ひいては組織からマインドコントロールされていないことの証左になると思います。

 アメリカの教会員からの投稿は、あおぞらさんが3人目です。これからも投稿よろしくお願いいたします。

どちらも嫌いです。

統一教会という組織も嫌いでした。教義だけは、絶品だと感動し文御夫妻も神から遣わされたイエスの再臨だと今も確信は、あります。私の場合83年に印鑑を購入しました。火の神に祈って頂いた後に両家の親でさえ驚くほどの的中力(義父母、実母に確認)で脅されてたら蹴ったでしょうが誠実な対応で「この方達は、何故か?品がある。」と内心、憧れ的?ひき付けられた感じ(私の背後の守護霊?)で体験者にしか理解は、無理かな?その後、二、三日だけビデオセンターへでも宗教嫌いだった私は、求めてもなかったので行くのを止め、どちらも引越しをし音通不能で4年後、87年に捺印行の七日目に近所の奥さんに声をかけられ再びビデオセンターへその時は、子供の危機を察知していたので必死で最後まで突き詰めようと毎日、通いました。ワイドショーで連日「霊感商法」で騒がれている時で実際に見て洗脳?されていたので名を隠してくれたことに私は、感謝で騙したとは、思わず、逆にワイドショーのいい加減な報道に呆れ、それからは、見方が変わりました。自分の目と心で確認しなければ
鵜呑みにするべきでは、ないと思ました。納得し霊石を受け入れました。
80年代は、病が治った方や先祖が救われたと夢や声などでしるしを見せられるなど多くの奇跡がありましたが90年代に入ると高額献金をした方が祈っても全く霊界の協助が得られず・・疑問に感じていました。92年文師が「日本から送金がないから直接送金しなさい・・」と口座を提示された時に
奇跡が起きなくなった理由が分かり組織の下からの意見を聞かないカルト的な構造と度が過ぎる献金と詐欺的手法に嫌気がさし「堕落した」西川勝氏が語った同様の状況を感じ自然に自主脱会しました。

反牧集団も嫌いです。統一教会が解体されたとしても御父母様を受け入れていない宗教には、全く関心は、ありません。非人道的「拉致監禁改宗」で救いどころか本人をPTSDという心の傷を負わせ、家族崩壊?無責任で高額謝礼金目当て?どちらも似てる部分があります。「神とイエスの愛を感じない!!」それと謝罪ができない?タイガーウッズを見習ったらどうですか?心から謝罪した姿を見て応援したくなりました。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://yonemoto.blog63.fc2.com/tb.php/105-686241b0