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ゲッ!! この世に教義を持たない宗教団体があったぁ! 

鶴の絶対化路線(31)

  話は横道にそれてしまうのだが、前記事のコメント欄での神々の黄昏さんの投稿は実にすっきりしたものであった。
  新興宗教に興味がある人(学者、研究者を含む)、また反統一諸氏にとって、衝撃的な内容だと思う。分からないかも(;_;)
  全文を引用する。

(引用はじめ)
定まった教義を持たない依存者集団

「メシア」に関しましては統一教団と一般社会では明らかに定義が異なりますが、一般的にはプームチャイさんがコメントで紹介された<「メシア」は、古代においては「民族の危機の救い手」一般に付けられた普通名詞であり、特定の一人を意味しませんでした。>が正しいように思います。
 米本さんは統一教会系信者ならびに元信者のブログやコメントを読んでお気づきかと思いますが、統一教会の中で長年過ごすと知性が退化し、言葉の使い方もおかしくなってしまいます。
 特に宗教・思想関係の用語に関しては滅茶苦茶であり、以前‘火の粉’コメントで指摘した方がおられましたが、まるで宇宙語=地球外生物語のようです。

 私も自戒を込めて言いますが、そもそも統一教会=家庭連合に「教義」などというものは存在しないのです。
 私が‘火の粉を払え’ブログにコメントを投稿するようになった初期のころ、統一教会系信者のタイプを大きく原理講論派と「み言葉」派に分けて、いろいろ書いたと記憶しているのですが、原理講論と文教祖が語る「み言葉」では同じ言葉を使っていたとしても、意味が異なる場合が多々あり、さらに、文教祖自身が時と場合によって同じ言葉を異なる意味で話すことが少なからずあるです。
 今回話題となっている「メシア」などはその典型であり、統一信者でさえ解釈が分かれるのに、米本さんがそれについて一つの理解を得るなど絶対に不可能なのです。

 統一信者の場合、修練会などで最初に学ぶのは原理講論であり、基本的にその内容を受け入れることによって信者は教団の信仰をもつようになるのです。
 しかし、現実の統一教会の信仰は依存的なものであり、教祖が原理講論と違った「み言葉」を話せば、それが正当な‘教え’となってしまうのです。
 常識的に「教義」という場合には文章化されていて定義がしっかりしたものでなければならないのですが、文教祖の「み言葉」の場合は時と場合によって‘七変化’であり、基本的に話し言葉として語られたものですから、いわゆる「教義」などと呼べるものではないのです。
 ところが、統一信者になってしまうと、知性はどんどん退化してしまいますので、統一教会には「教義」があるように錯覚してしまうのです。
 そのような錯覚は、人によっては元信者となった後でさえ残っており、理性を取り戻していない元信者は「教義では~」などと統一信者と同じようなことを言いだすのです。

 米本さんには理解しがたいことかもしれませんが、そもそも統一教会=家庭連合に一般的に定義されるような「教義」など存在しないのです。
 統一信者の信仰は基本的にカリスマ韓国人に対する依存であるし、言葉=ロゴスなどあまり重要視されないのです。
 したがって、米本さんが統一教会系信者、さらにその悪い影響が残っている元信者と「教義」に関する問題について論じたとしても、共通認識など得られるわけがないのです。(笑)‥‘06112011’さんのまね

 文教祖の「み言葉」が如何にいい加減かなものかは‘ちゃぬの裏韓国日記’ブログの過去記事を読めば理解できると思います。
(記事のURLについては、該当する記事が多々あり、恐縮ですが省略いたします)
 「メシア」についても、文教祖自身が「氏族的メシア」「国家的メシア」などいろんな意味でその言葉を使っており、「教義」として論じられる言葉などではないのです。
(引用終わり)

  実にすっきりしているし、正しい分析だと思う。
  それにしても、教義が存在しない宗教団体。この指摘はすごい!!
  考えてもらいたい。新宗教(カルト、新興宗教)は、「旧宗教」の教義を否定し、新しい教義(あるいは修正教義)を打ち立て、それが民衆の心をとらえ、成立、発展する。これ以外のことがあるだろうか。
  そもそも、統一教会(家庭連合)の教祖が自分の考えを述べた書物はただの1冊も存在しないのだ。考えてみれば驚くべきことである。

ウムの麻原の著作物は、ウィキによれば、
・超能力「秘密の開発法」―すべてが思いのままになる! - 1986年(大和出版)
・生死を超える ―絶対幸福の鍵を解く - 1986年
・超能力「秘密のカリキュラム」健康編 ―癌・エイズだって怖くない!! - 1987年
・イニシエーション - 1987年
・マハーヤーナ・スートラ ―大乗ヨーガ経典 - 1988年
・滅亡の日 ―麻原彰晃「黙示録大預言」の秘密のベールを剥ぐ - 1989年
・滅亡から虚空へ ―続・滅亡の日 麻原彰晃の「黙示録大預言」完全解読 - 1989年
・原始仏典講義1 - 1990年
・マハーヤーナ・スートラ PART2 - 1991年
・創世記 - 1991年
・人類滅亡の真実 - 1991年
・真実の仏陀の教えはこうだ! ―幸福の科学の会員よ聞きなさい! - 1991年
・百問百答 - 1991年
・ノストラダムス秘密の大予言 ―1999年の謎 - 1991年
・麻原彰晃のズバリ!浮揚―28人の決定的瞬間が証明する現代の神秘! - 1991年
・麻原彰晃のザ・サマディ―現代に甦ったいにしえの聖者の奇跡! - 1991年
・タダーガタ・アビダンマ 第1誦品~第4誦品 - 1991年・1992年
・キリスト宣言 PART1〜4 - 1991年~1993年
・古代エジプトの秘儀を解く ―甦るクンダリニー・ヨーガ文明 - 1992年
・色別恋人判定法 ―ズバリ明かす! バルドーの秘密 -1992年
・シンセ音楽を楽しもう ―最聖麻原彰晃尊師のベスト26 - 1992年
・もりもり智慧のわく書 ―故事成語がズバリわかる!1〜6 - 1992〜1993年
・根源仏典シリーズ(1・3・5・11・12) - 1993年
・ボーディサットヴァ・スートラ ―完全他力本願の道を説く -1994年
・日出づる国、災い近し ―麻原彰晃、戦慄の予言 - 1995年
・亡国日本の悲しみ ―迷妄の魂よ、大悪業の恐怖を知れ - 1995年

鮮明師には膨大な御言があるではないかと反論される方がいるかもしれないが、スピーチをそのまま文字化したものと、推敲して文字として書かれたものとではまるで異なる。

  では、信者・元信者が「これこそ統一教会の教義」と信じているものは何なのか。
  個々の体験(アベルの話など)と感情があわさったもの、と小生は推測している。なにしろ文氏に著作物がないのだから。
  それにしても滑稽である。仲のいい2人の信者が「これこそが統一の教え」と信じているものが、実際にはそれぞれ違うのだから。4文字熟語でいえば「同床異夢」が近いか。

  小山田氏と徳野氏とでも違うはず。なぜなら、用語の定義がはっきりしないから(『統一用語辞典』が発刊されていないから)、共通認識が存在しないのだ。
   唯一ある絶対的な教えは「神様はお金が好き」━━だけである。
小山田、徳野、平伏していう。その通りでごじゃりまする。

コラム-実にいい加減な統一教会 

師観のブログ、「古参シックたちのUCに対する総括とそれに対する師観のコメント」に目を通してください。
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-21.html

ある古参シック(N氏)のUCの現状に対する憂い:
<★昨今はまた恐ろしいことを聞きました。
未婚若者の:女性信者が8割、男性信者が2割程で、祝福問題になって、困った挙句に、相対信者が見いだされない独身女性信者が:霊界の男子信者と祝福・結婚したという話です。
だいぶ前からで、以前は霊界の<誰の誰さん>だと霊界人の相手の名前が知らされていたが、霊界祝福を受けた女性信者が、彼の故郷を訊ねたり・・問題が多々発生したので、現在では「女性信者の相対者=ハズバンド「霊界男性人」の具体的な名前を言わないでの「祝福・霊界祝福」ということだと。>

マッチング結婚、血統転換の“教義“からすれば、もう目茶苦茶。女性信者の苦情(不満)に応える作戦、かつ140万円をいただく作戦だと思うが、知性が退化した信者には「霊界祝福」を受け入れてしまうのだろう。
「あのぉ~、子どもは生まれるんでしょうか」と、質問する信者はいなかったのだろうか。泣ける泣ける。



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コメント

本の売り上げ

経典を確定させてその本を全員が購入したら、その書物の売り上げは今後期待できないですからね。伝道進んでいないし、献金信者は本を買ったことで天運が訪れると信じているようですし。

コロコロ変えて、それを訓読の教材にして購入させれば、その分営業利益が出ますから。

教義も経典もなく、教祖もいない。

「ゲッ!! この世に教義を持たない宗教団体があったぁ! 」

ということですが、

我が日本国の神道には、教義どころか経典すらなく教祖(開祖)もいません。
でも、しっかりとこの世に存在しています。

引用はじめ
神道には教義や教典、教祖が無いので、教えが一切無い信仰だと誤解している人が大勢おります。
仏教やキリスト教のように煩雑な教えこそありませんが、人としての生き方を教えてくれる言葉が「古事記」や「日本書紀」「万葉集」はじめ、多くの古典に記されています。
とりわけ日本人が愛する古典のひとつに「徒然草」があります。
(週刊神社紀行 第22号 学習研究社)
引用おわり


教義(宗教の教えを体系化したもの)がないことが驚くべきことでもないし、ないからと言って何の問題なく存在しています。


もっとも、日本の宗教法人法では、

「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成することを主たる目的とする団体で、礼拝施設を備える神社、寺院、教会、修道院、その他これらに類する団体をいいます(宗教法人法第2条)。

となっています。

また、宗教団体であることを証する書類の宗教団体の概要書でも「教義の大要」があります。
https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/234332.pdf

しかし、神道には教義、経典、教祖がないのも事実。

Re: 教義も経典もなく、教祖もいない。

なるほどです。
ご教示、ありがとうございました。

修験道も教義をもたないのではと検索したところ、ウィキによれば、「難解な教義がある」そうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/修験道

お知らせ

末尾にコラムを書き加えました。

教義を確立できずに挫折した文教祖

 私が伝道されて統一教会員になった理由はもちろん教団の教典としてあった原理講論が「真理」であるように思われたからでした。
 原理講論は人生において多くの人が疑問として抱きやすいテーマについて論じており、主にキリスト教的な観点からその疑問の解明に迫り、キリスト教の聖典である聖書に関しては、誰でもが不可解と思う部分に現実的にイメージしやすい解釈を与え、キリスト教に抵抗を感じない人にはそれなりの説得力がありました。
 統一教会が日本に上陸し、伝道が進められた当時は冷戦時代であり、世界が大きな二つの勢力に分かれ、大戦争の危機も現実に存在していましたから、終末思想のようなものが当時は流行し、それが新興宗教には有効に働いてもいました。
 もし、統一教会が原理講論を土台とし、さらにその上に宗教的な救済論というものをしっかり構築できていたならば、そこに間違いなく教義と言えるものが誕生していたはずです。
 原理講論は確かにキリスト教の弱点を鋭く指摘し、その宗教的な力には限界があることをうまく説明してはいるのですが、残念ながら伝統的なキリスト教の代案となるような教義が実際には確立できていなかったのです。

 原理講論については、今改めて文字一つ一つを読み返すと文章として表現が適切ではなかったり、論理が飛躍している部分が所々見つかります。また全体的な構成としての「(神の)創造」「(人間の)堕落」「(創造本然の世界の)復帰」はある意味とても理に適っているように思えるのですが、「堕落」「復帰」に関しては科学的思考が完全に欠如しており、歴史の解釈においても史実を正しく捉えていない部分が多く発見できます。
 そのように欠陥が多い原理講論を私が「真理」と思い込んでしまったのは、私が無知だったためであり、もし私に当時以上の科学的知識や人類の歴史に関する知識が備わっていたならば、原理講論を真理と思うことなど決してなかったはずです。
 しかし、そのような高度な知識に乏しく、さらに精神的にも未熟であった私は原理講論にあるそれらの欠陥を見抜くことができなかったのでした。

 そのような欠陥が多い原理講論ではありましたが、一つの宗教として考えれば、その‘教え’はそれ程ひどいものではありませんでした。問題は、原理講論が「救済論」を先送りし、「真の父母による霊肉共の救い」などと書いて、正体不明、意味不明の「真の父母」に「救済」を丸投げしてしまったことです。
 原理講論には「メシアは人類の真の父母として来られなければならない。」(後編・緒論)と書かれていますが、総序の文脈からすれば、新しい真理を解明した人こそが再臨のメシアであるという結論になり、結局は統一原理を解明したとされる文鮮明氏が再臨のメシアであり、「真の父母」であることになるのです。
 原理講論を執筆した劉孝元氏は宗教家、思想家としては三流の‘小者’であり、原理講論の総序の最後には「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子達が、或いは聞き、或いは見た範囲のものを収録したに過ぎない。時が至るに従って、いっそう深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。」と書き、自らが書いたことに説明不足があったとしても、まだ続きがあることを匂わせ、書いたことに間違いがあると指摘されても言い訳ができるように逃げ道を作っているのです。
 そして、「救済」の教義に関しては結局「真の父母」に丸投げされ、原理講論は不完全な宗教論で終わってしまっているのです。

 原理講論は結局「救済」の理論と実践を「真の父母」に丸投げしているわけですが、ご存じのように「真の父母」であるはずの文教祖は原理講論を凌駕する「真理」など何一つ発表せず、「み言葉」として発表するのは「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」というような儒教に近い内容をもった‘訓話’ばかりでした。
 日本で言えば777双祝福メンバー辺りまでには「血統転換」の秘密の教義を語り、その実践も行ったようですが、それは朝鮮シャーマニズムの影響を受けた「血分け」であったため、当然世の中に受け入れられるはずもなく、結局、その朝鮮シャーマニズムに近い‘教え’を「救済」の教義として体系化し、一般社会に広める目論見は諦めるしかなかったのです。
 おそらく文教祖としては「血統転換=血分け」によって本当に人間は「救済」できると信じていたのだと思いますが、あまりにも評判が悪いものであったため、仕方なく教義として発表するのを止め、教義は明確にせずに世間の目を誤魔化したのです。
 そして統一シックならばご存じのように、依存症信者を相手に、適当に朝鮮儒教風訓話や‘夫婦愛’の話などを「み言葉」として語るようになったのです。

 「血統転換=血分け」教義に関しては、結局文教祖はその教義を確立することができずに挫折したのであり、それが故に古参の幹部信者達に「もしかすると私はメシアではないかもしれない」と泣き言を言ったのだと思います。(以前‘火の粉’に投稿されたコメントより…URLは省略m(__)m)
 そして、そのコメントを書かれた方によれば、古参の幹部たちは「それならば、私たちがメシアにして差し上げます」と言ったということですから、その辺りからお金儲けが目当ての教団に変わって行った可能性が高いと考えられます。

 現在の家庭連合にはそのような理由で教義が確立されておらず、最も重視されているのは中枢幹部たちの金儲けです。
 韓鶴子氏が自分は「メシア」「独生女」であると主張するのも、文教祖から宗教でお金を稼ぐノウハウを学習したためであり、それを利用する以外に望むお金を手に入れる術は持ち合わせていないわけですから、そのように主張せざるを得ないのです。
 

続・夜昼の神様の戦い

文教祖は、2011年9月に、多くの子供を生んでおきながら、講話の中で、いきなり「真の父母が結婚できなかった。」と語りました。しかも、その講話を10回視聴するように強調されました。
この宇宙語を解釈できますか?

原理講論

原理講論を私自身は 頭がよくないため
 理解した記憶がありません。
しかし アボジの御言葉を通して 聖書の解読から アボジが再臨主であることを認識しました。
真の父母が結婚できなかった!!!と言う内容も 原理 原理で生きて来た方には理解できるわけがありません。
頭で 物事を判断されているわけです。原理講論は 30パーセントほどの
レベルの教理でしかありません
安先生の堕落論や
劉正玉の原理本体論も 完璧なものではありません。
  

原理講論2

教理という内容ではないですが
 アボジが教えてくださったのは
創造原理 堕落論 復帰原理だけです。
神様の創造の目的と 堕落による創造目的の崩壊 そして歴史を通してでた答え!!
復帰原理 とてもシンプルです。
それが根っこであります。

統一原理は教義ではない

 原理講論によると、第二次世界大戦でアベル陣営(キリスト教圏)が勝利することによって、「主権復帰の長成的な基台を造成するようになったのである」(再臨論)とあります。文氏は自分がその基台に受け入れられると信じていたと思います。文氏がすでに1945年の時点で結婚し子供が(妻のお腹に)いたことを考えると、本当にそのつもりだったのでしょう。その時点では「教義」らしきものは存在せず、ただキリスト教に迎え入れられ、あなたこそイエス様の再臨ですと崇められてめでたしめでたしと考えていたのかもしれません。(あまりにもおめでたいお話ですが…)

 もっとも早稲田の留学時代にすでに堕落論を説いていたという話も信徒ならよく聞いてきたと思います。詳しくは早稲田の聖地巡礼に詳しい断食芸人に聞けば答えてくれると思いますが、下宿先の娘さん絡みでいろいろとあったそうです。まあそれは都市伝説なのでどうでもいいことですが、とにかく当初はしっかりと体系づけた教義などもなく教団を作ろうとも思っていなかったと思います。1945年にキリスト教に受け入れられていれば、7年(1952年)で地上天国は完成していたと信徒たちは耳にタコができるくらい聞かされてきました。

<参考>
成約時代講義
http://www.oocities.org/madisonavenue/8203/seiyaku/chap4.htm
(引用)「再臨主を送るために神が準備した外的世界舞台は国際連合であった。国際連合にメシヤの国の代表が来て、メシヤのメッセージを国際連合の総会において発表し、そこに参加した各国の代表が満場一致で可決したとすれば、メシヤの示す方向性が世界の方向性となったはずである。このようになれば文鮮明師がいつも言われるように世界は1945年から52年までの七年間で一挙に復帰されるようになっていた。」

み言葉選集357巻
https://blog.goo.ne.jp/scsapporo/e/3b92f8c93b53b5505ead421012efe8c4
(引用)「52年まで7年ですよね?すべて終わって先生が40歳ならば天下全体を一つにして天地を自由に転換し一つの国にしたというのに、この憎らしい旧教新教、キリスト教が反対しました。」

 ちょっと脱線しますが、もし上記の話を信じるならば、1952年の時点ではまだ9才だった鶴子氏は到底その時点で「真の母」になることなどできなかったわけですから、「独生女」の理屈は根本から崩壊します。鮮明氏を信じればおのずと独生女の話など信じることはできませんし、独生女の話を信じれば鮮明氏の説明を否定することになります。私にとっては全くどうでもいいことですが、あまりにもお粗末な教義論争です。(話を戻します)

 一応、家庭連合(統一教会)は「統一原理」が教義だと公式的に発表しています。しかし、これを教義にするにはあまりにも問題が多いです。長くなるので、割愛しますが、少なくとも以下の点でこれを「教義」だとする教会の主張を否定したいと思います。
https://ffwpu.jp/about/doctrine

1.ビデオ伝道時代。この統一原理の内容は「真理」だと紹介されており、教会も明かされていなかったため「教義」だととらえていた人は少ない。神々の黄昏さんも指摘しているように、当時の時代背景も手伝ってとても魅力的な「真理」だったが、それは「有史以来のすべての主義や思想はもちろんのこと、あらゆる宗教までも、一つの道へと、完全に統一し得る真理」(出展:総序)のはずだった。しかし、いつのまにか信者にさせられ統一教会の「教義」にすり替えられ信じ込まされることになる。これは「詐欺」である。(霊商から来た婦人たちに至っては、この「真理」さえもろくに聞かされずに入信させられる。それが教義と言えるか!)

2.真理であれば虚偽は認められない。しかし原理講論には「虚偽」があると教祖自身が認めている。
<参考>https://trueparents.jp/?page_id=1093
※駄文なので読まなくていいです。ポイントはここ⇒『はじめに』より「(文氏いわく)間違っていたとしても、それを知らないのではありません。間違っているところ何か所かを、そのままにしておかなければならないのです。すべてを教えてあげるわけにはいかないのです」
(おいおい、間違っていたら修正しろやって話!)

3.入信すると全く別の「魔教」に染められていく。「統一原理」など魚釣りの餌くらいの存在でしかない。統一原理が教義だというなら教義だけで教育せよ。(公式サイトには「さまざまな問題が明確に解かれ、人類の未来に新たな指針を与えるもの」とあるけど、自分たちの教団の分裂も止められない!)
 逆に別の教義があるのであれば公式的に紹介せよ。(ダブル、いやマルチスタンダード、いやいやスタンダードレスだろ!)
 信徒になった上で初めて聞かされるものは、血統転換、八段階復帰、本体論、成約摂理解説、祝福の意義と価値、清平解怨講座、独生女論(最新刊!笑)などあげればきりがなく、いい加減でとてもまともな教義をもった宗教団体とは言えない。(「昼の神様、夜の神様」などは宇宙語を通り越してただの雑音でしかない)

 伝えたいことは山ほどありますが、長くなって申し訳ないのでまた別の機会にします。(米本さん、長くなってすみません)

 しかし、最近はこれらすべての問題の根が「韓国」にあると実感します。最近の日韓関係を見るとあまりにも韓国はいい加減な国なので、そこで生まれた宗教もいい加減なのだと悟りました。(嫌韓ではありませんが…)

Re:統一原理は教義ではない(追記)

なぜ1952年のことを話題にしたかというと、もともと文氏は体系化された「教義」など考えていなかったのではないかということが言いたかったのです。


その後、金百文に影響を受け、劉孝元氏がまとめてくれたりしちゃったので教義として採用しただけかも… でなきゃ、教祖であればもっと教義(統一原理)の話をするでしょうが、出てくる話はめちゃくちゃですからね。あとは神々の黄昏さんのコメントの通りです。

※パスワードを入れて投稿すると編集や削除ができると知りました。以後、そうします。

教義は「家畜増殖理論」です

聖書引用の創造堕落復帰に関しては、ある程度のキリスト教の土台があれば普通の事だった。
そこに、生きた「メシヤ」文鮮明すけこまし鬼畜ジジィが基となり、自分が生きた教義だとばかりに、家畜信者の増殖でカネを集める教義を考え付いたってことでしょうかね?(ふぅ~な家畜人間増殖教義)

それに
「真の父母が結婚できなかった。」
の言葉の前後は聞いたことがございませんが、
文鮮明にしたら、崔家の女たちに男子12人生ませたかったというのがあったということが、過去記事から搔い摘んだ情報ですから、鶴子ひとりじゃ物足りなかったということにもなるでしょう。第一、第一子が女で失敗だし、男12人生んでないし~、あくまで男12人以上種付けしたかったという文鮮明すけこまし鬼畜ジジィからすれば、結婚できなかった~!と叫ぶのもいくらかは理解できます。

まるっきり狂った教義です~(異常者の教義)

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