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神々の黄昏さんの投稿:「教団の搾取体制の本質」 

消えゆく分裂3派(33)

「日本のトップ・宋龍天の訴え」をもとに6回にわたって、家庭連合が抱える問題点(桎梏)を指摘してきました。
 しかし、小生の分析に欠陥があることが分かりました。世界統一教会なかんずく日本統一教会を支配する「韓国人」のことを無意識のうちに捨象していました。
 神々の黄昏さんの投稿:「教団の搾取体制の本質」によって気づくことができました。感謝です。

 そこで、投稿全文を掲載することにしました。

「教団の搾取体制の本質」

>家庭連合(職員)は、信者から金を集め、大半を韓国人幹部に送ったあとの残りでメシを喰う。今や信仰指導団体ではなく、さもしい利害共同体になりさがっている。

 現在の日本家庭連合の姿は確かに救いようのない「カルト」集団と言えます。 

 その信じている教義には非科学的な架空の話が多く含まれ、実際に行っている組織的活動はお金集めが中心であり、他の宗教団体がやっているような奉仕活動はほとんど行いません。たとえボランティア活動を行ったとしても大きな災害があった時などに社会に向けた宣伝材料として青年メンバーが一時的に行うのみです。

 その宣伝材料として行う奉仕活動はキリスト教信者などが行う奉仕活動とは正反対で、人々に自分達を良く見せるために行っているのが見え見えであり、聖書にはそのような偽善行為を厳しく戒めたイエス・キリストの言葉があります。(マタイによる福音書/6・1-4)

 ‘火の粉’で詳しく解説された澤田地平氏のブログ「審判回避プロジェクト」を読めばわかるように、日本家庭連合の幹部たちは自分達が信じているはずの教義に対する質問にも明確に答えられず、果ては質問者の地平氏に暴力を振るうあり様です。さらに暴力に対する批判が起こると、今度は地平氏たちを完全に無視し、頭も体も殻にこもったままです。

 彼ら家庭連合の信者たちに一貫しているのは、「神」に対する信仰でも教理に対する信奉でもなく、「真の父母様」を中心とした組織に対する‘依存’であり、依存心こそが日本家庭連合信者の‘信仰’の本質と言えます。
 特に日本家庭連合の信者の場合は幹部であっても一般信者であっても韓国人トップに頭も体も支配されており、一般の日本人が持っているような道徳心も無くしています。
 それが故に日本家庭連合に関しては「カルト宗教」の指摘が当てはまってしまうのです。

 宗教団体においてはその性格上、信者に依存心が生まれるのは必然なのかもしれませんが、日本家庭連合の場合は依存する相手が最悪であり、小中華思想を持った朝鮮半島人が依存する相手であることが全ての悲劇の原因となっています。

 朝鮮半島の国々に対しては現在日本ではとても大きな問題を抱えており、その日本と北朝鮮や韓国との間に見られる政治問題は、その他の国々との政治問題とは全く異質であり、その国際問題の報道に接すると、改めて朝鮮半島の国々の特異性について考えさせられます。
 「審判回避プロジェクト」ブログを見ても、統一教会=家庭連合の公職者の発言には嘘が多いのがわかりますが、その嘘つき性格は日本人が伝統的に持っている性格とは正反対のものであり、間違いなく朝鮮半島の国々の文化に由来するものです。

 https://www.news-postseven.com/archives/20170522_544436.html
 https://japanese.joins.com/article/208/253208.html?servcode=100§code=140
 https://www.news-postseven.com/archives/20190518_1366572.html
 
 朝鮮半島の人々の性格は調べれば調べるほど伝統的なキリスト教が目指したものとは正反対であるのが分かります。

 新約聖書にある「復讐してはならない」(マタイによる福音書/5・38-42)、「敵を愛しなさい」(マタイによる福音書/5・43-47)などは、朝鮮半島人にこそ必要な聖句であり、統一教会では朝鮮が東洋で最もキリスト教が根付いた国であるというように教えていますが、それは嘘であり、むしろ真逆の、反正統的キリスト教の国であるのがわかります。

 朝鮮半島の人々の中にはもちろん教育を受けた良識ある人達がいることも確かですが、そのような良識ある文化人であったとしても、一般大衆の感情に迎合しないものならば、その言論は有害なものとされ、排斥されてしまうのです。それは朴裕河教授を例にとればとてもわかりやすいです。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E8%A3%95%E6%B2%B3
 
 韓国では反日教育が行われていることが知られていますが、その影響の強さをネットの記事で改めて知ることができました。

 http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/23378.html
 上の記事に対しては、良識ある韓国人や普通の日本人から批判的なコメントが書き込まれていますが、以下のコメントはまさに正論を述べていると思います。
 
<韓国の歴史の瑕は、戦争なく国を失い、独立戦争なく棚ぼたで建国したこと。
その理由は、国が貧しく弱かったから。反省すべきは、併合までの朝鮮の歴史の積み重ねであり、当時の支配層を糾弾するのは見当違い。
筆者は少数の親日派が多数の反日朝鮮人を支配していたと夢想したいようだが、実際は
「大多数の朝鮮人は日本による近代化を歓迎しており、独立運動家はごく少数」だった。
朴正煕大統領は、ロシアや清でなく日本に併合されたのは、不幸中の幸いだったと述べている。多数の韓国人やマスコミが内心は同じ思いでも、それを口に出せない状況ならば、植民地朝鮮は完全には終わっていない。>

 日本家庭連合を実質的に支配している韓国人宗教家についても言えることなのですが、朝鮮半島の両班文化を引き継いだ人々は小中華思想から未だに抜け出ることができず、それが故に日本人から搾取することを罪とは思わないのです。

 小中華思想を持っている韓国人からすれば、日本人は搾取されて当然だと思っているし、お金を取るためなら平気で嘘もつくのです。

 彼らは日本に対しては特被害者意識を強く持っていますが、その謝罪を迫る訴えには矛盾する内容が見られ、訴えは感情が先走ったものが多く、繰り返しいつまでも日本からお金を引き出そうとしても、さすがに現在ではもう難しいのです。

 朝鮮半島の人々は歴史を正しく認識しておらず、彼らが辿った歴史の悲劇はその朝鮮儒教の文化と長かった李氏朝鮮王国の体制に問題があるのであり、もともと国が貧しく、弱かったにも拘らず、エゴイズムでしかない小中華思想を持ってしまったことが自らの悲劇を招いてしまったのです。

 朝鮮半島の国々の歴史を見れば、エゴイズムが人間個人にも国家全体にも悲劇をもたらすのが証明されています。
 そのようなエゴイズムの朝鮮文化を受け継いだのが統一教会であり、家庭連合なのです。
 従って、日本家庭連合が韓国人教団幹部の支配下にある限り、改革など夢のまた夢でしかないのです。

 日本ブログ村・家庭連合の現実を見れば、改善など絶対に不可能と言ったほうが適切かもしれません。


 【1つだけ注釈】


 神々の黄昏さんは日本人シックの特性を「依存心」と表現するが、「依存症」(中毒)の方が正しいと思う。
 パチンコ中毒。アル中。宗教中毒。薬物中毒。ゲ-ム中毒。ニコチン中毒。
 60万人が統一さんになったけど、今も残っているのは3万人。うち依存症者は2万人と推測する。
 この2万人と「小中華思想を持っている韓国人幹部」によって、韓鶴子の誇大妄想が増強されている。 

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コメント

さすがです

>神々の黄昏さんは日本人シックの特性を「依存心」と表現するが、「依存症」(中毒)の方が正しいと思う。

アルコール中毒、タバコ中毒と同様、まさしく中毒症ですね。よくわかります。

実は、私の父親もまさしく上の2つの症状でした。でも、大病を契機に、施設に入るのを契機に、入れば、酒飲めないし、当然タバコも吸えません。

依存心よりも依存中毒症がぴったりです。
ちょうど、史観さんのブログに、神、メシアを取り上げてたので、コメントしましたが、
この組織は、神、メシア、天国を完全に間違えてます。

天国って、どこかに創るのではなく、隣人関係、親子関係を含み、人間関係の中で創るものであって、これ、一番難しいと思ってます。
現に、この組織だって、できてないことです。
金を求める・・・これが最大のルール違反です。最大の堕落です。

この組織は全くダメ=堕落組織です。

toramaruさんの言うとおり

toramaruさんの言うとおり。親子で、兄弟で、親類で、隣人で、友人で天国は造られますね。私もそう思います。が、それが一番難しい。実感です。間違ってもこんな組織でどれだけお金を集めたとしても、訳の分からない両班文化で天国など1000年たっても創れるわけない。


統一シックの依存症について

>神々の黄昏さんは日本人シックの特性を「依存心」と表現するが、「依存症」(中毒)の方が正しいと思う。


 米本さんが指摘されましたように「依存心」という表現はベストのものではないかもしれません。確かに「依存症」のほうが言葉として一般的であり、日本人食口の性格をよく表していると思います。
 ただ、日本人食口が陥っている依存症には理由があり、自ら選択して‘依存’に至っているという特性があるのです。
 その理由とは統一原理の思想自体にあるのですが、統一原理の中にある「堕落論」が信者の心理に大きな影響を及ぼしており、「堕落論」を信じてしまうと自分自身は「サタンの血統を受け継いだ堕落人間」となってしまうので、理論上神との関係を持つためには自分の心を中心とした生き方ができなくなり、より神に近い存在=メシア、アベルに依存した生き方をしなくてはならなくなるのです。
 「堕落論」を受け入れた信者は否応なしに「メシア」や「アベル」の言いなりになる依存的な生き方をせねばならなくなり、そうせねば自分自身が救われて行かないのです。
 その「堕落論」の影響はとても大きく、文鮮明教祖の「み言葉」よりも大きな力を持っています。統一食口が韓鶴子氏を「独生女」と信じるようになって、文鮮明教祖の「み言葉」に背くようなことがおきるのも、「堕落論」が心を支配しているからであり、その影響はかなり強力で根深いのです。
 「堕落論」がもたらす精神的破壊性については書き始めると長くなるので、ここではこれ以上書きませんが、とてつもない悪影響を人間の心に及ぼす最悪の宗教思想であることは間違いありません。
 ただ、現代の科学的知識を持ち合わせた人であるなら「堕落論」が非現実的な架空の作り話であることは見抜けるのですが、人類誕生の歴史に関する科学的知識が不十分で、宗教依存症の人は「堕落論」にはまってしまい易いのです。
 宗教依存症であっても、進歩的な科学的思考ができる人ならそのような間違いは起こらないのですが、科学的に無知な人は人間の歴史においてあり得ない創作話であったとしても、それを完全に信じてしまうのです。

 「堕落論」を信じている統一食口は「メシア」や「アベル」に依存した生き方をせねばならなくなり、たとえ自分の意思に反したことを強要されたとしても、その要求に従わなければならなくなるのです。
 その「堕落論」は統一原理という宗教思想の一部ですから、日本人食口の特性は米本さんが言われるように宗教依存症として表現できるのですが、より厳密な言い方をすれば「アベル」依存症という言い方になると思います。
 ただ、「アベル」は一般人には通じない用語なので、正しい用語を使うとかなり長い言葉となってしまうかもしれません。
 統一食口には「アベル」依存症と言えば意味が通じるので、日本の食口にはそれが統一教会=家庭連合の最大の問題だということを言っておきたいと思います。

Re: さすがです

>アルコール中毒、タバコ中毒と同様、まさしく中毒症ですね。よくわかります。実は、私の父親もまさしく上の2つの症状でした。

 小生はニコチン中毒。タバコは高校2年の2学期から。
 辞めたいと思ったのは40の頃。
 吸っていてもおいしいと思ったことはなし。でも、つい吸ってしまう。
 禁煙すると震えがきたり。
 禁煙グッズで20万円は使いました。

 幸い、1昨年前に見事、サラバしました。

「タバコがおいしいから吸うのではなく、中毒なのです。3ヶ月隔離すれば脱け出ることができます」

 宗教をやっている人すべてを「中毒」とは言いませんが、ごく一部には少しはあると思います。

 指標は「禁断症状」が出るかどうかでしょう。

「堕落論」

神々の黄昏さん

>「堕落論」を信じてしまうと自分自身は「サタンの血統を受け継いだ堕落人間」となってしまうので、理論上神との関係を持つためには自分の心を中心とした生き方ができなくなり、より神に近い存在=メシア、アベルに依存した生き方をしなくてはならなくなるのです。
 「堕落論」を受け入れた信者は否応なしに「メシア」や「アベル」の言いなりになる依存的な生き方をせねばならなくなり、そうせねば自分自身が救われて行かないのです。
 その「堕落論」の影響はとても大きく、文鮮明教祖の「み言葉」よりも大きな力を持っています。統一食口が韓鶴子氏を「独生女」と信じるようになって、文鮮明教祖の「み言葉」に背くようなことがおきるのも、「堕落論」が心を支配しているからであり、その影響はかなり強力で根深いのです。


 取材の過程で、統一原理のどこに魅かれたのかといった問いを繰り返し質問してきました。
 日本人シックは圧倒的に「堕落論」でした。

 共通していえるのは、性欲に心かき乱された人たちです。

「堕落論」2

 舌足らずでした。

>共通していえるのは、性欲に心かき乱された人たちです。

 睡眠欲、食欲、性欲。

 これらの欲求がなければ、「死」に至ります。近場の精神科医に聞いてくだされ。

 堕落論は実につまらないです。文鮮明の「性スゴ欲のコンプレックス(複雑な感情)」にすぎないと思うからです。

堕落論

堕落論にはまるのは何も欲望に心かき乱された人ばかりではないと思います。

人の幸せを心から願えなかったり憎んでしまったり人の為に生きれない醜い自分に苦しむ純粋な人々をも巻き込んでいくんです。

大体真の愛とか犠牲の愛、為に生きる愛に憧れるんですから理想が高い人が多い、故に若い学生の子がひっかかる。婦人になると巧みに先祖の罪や家系図から堕落論に誘導します。

しかし原罪清算した祝福家庭、それも公職者の人格が原罪清算してない方より優れてない点から原罪清算の価値を納得させるのは本当に難しいですね。だから最後は霊界ではその価値が違うと霊界に丸投げする形になるんでしょう。なのでやはりそれも霊感商法の一つです。
 現実世界では裁判だらけで何も説得力がないのが課題ではないでしょうか。あとは金で大会開くだけ。今のままなら本質がわかる人は伝道出来ないと思いますが、あそこに群がる他宗教家はどんな方なんでしょう、、、?

Re: 堕落論

>堕落論にはまるのは何も欲望に心かき乱された人ばかりではないと思います。
 人の幸せを心から願えなかったり憎んでしまったり人の為に生きれない醜い自分に苦しむ純粋な人々をも巻き込んでいくんです。

 なるほどです。

「性」に関する話を聞きすぎたかもしれません(きわどいから印象に残る)。

 ただし、統一教会だけでなく、また新宗教に限らず、宗教は「性」の問題を抱えていると思います。

re.「堕落論」2

>共通していえるのは、性欲に心かき乱された人たちです。

 睡眠欲、食欲、性欲。

 これらの欲求がなければ、「死」に至ります。


でも、昔、あの教会でも制限されてた気がしますが、実に、甘々で贅沢な制限だった気がします。

世界で最も多い死因は、餓死です。アジア、アフリカ中心に、そして、子供中心に餓死です。
統計的には、世界全体でみた時、1日に、2万人~2万5000人が餓死してます。病気でなく餓死です。

世界19何か国中、日に3度食べれるのは、先進国といわれる30か国ぐらいです。
残りの160か国以上は、日に1度か2度、2日に1度か、中には1週間に一度だけとか、食べ物を口にできない・・・日本は平和です。

睡眠しないと、確かに死ぬと思います。
肉体と精神が分離するような目にあったことあります、高校時代(教会とは関係なし)。

性欲・・・これは歴史的にやっかいですが、個人的には、血気さかんなら、献血すれば?いいと思う。400cc

あの佐久間象山、その弟子で三段切腹者の吉田松陰のように、武士道精神で血を抜いてた(小説の話?)という話もあるし、欲望をエネルギーに変えてた?・・・

あの教祖のエネルギー元は金ですね。

堕落論というより、堕落妄想物語

堕落論の原典

 統一教会=家庭連合の信者が統一原理を知り、堕落論を信じるようになるのは 確かに様々な要因が考えられますが、その非科学的で非現実的な宗教論を信じてしまう最大の原因はキリスト教に対する幻想があると思います。
 もともとキリスト教の信仰を持っている人が統一教会の信者になるケースは少なく、非キリスト教徒でありながら統一教会の信者になる人の方が圧倒的に多いのは間違いありません。
 それはクリスチャンの人口が少ない日本では当然かもしれませんが、日本人は歴史的に宗教に対して寛容な面があり、確かに江戸時代にキリスト教禁止令が出されたことはありましたが、明治時代に文明開化が始まってからはキリスト教に対しても寛容であり、クリスマスを祝う風習などは次第に日本中に広がっていきました。
 いわゆる文明開化がなされ、日本が西洋文明を取り入れていく過程では、日本人は欧米の価値観も受け入れるようになり、西洋の発達した科学を積極的に学び取ると同時に、その文化にも憧れるようになったのです。
 その西洋文化の中にはキリスト教も含まれるため、キリスト教は一般的な日本人にとってとても高尚な宗教に感じられ、多くの日本人はキリスト教に改宗しないまでも、その教えには価値を認めていたのです。

 そのようにキリスト教に寛容な日本人には、聖書の物語は奥深い意味があるものに感じられ、唯物思想など特別な思想をもっていない限りは、聖書の物語を端から否定するようなことはしません。
 特に純粋な若者の場合は聖書を題材に人間の本質について語られれば、その内容に耳を傾けることになります。
 そのような聖書に肯定的、かつ純情な日本の若者にとって、原理講論の堕落論は確かに説得力があるのです。その堕落論では聖書の創世記、失楽園の物語を謎解きのようにして歴史的事実として解釈していくのですが、聖書を特別な書物として絶対化してしまうと、その堕落論はまさしく「真理」を説いているように感じられるのです。
 そこで、聖書の物語そのものの非科学性を認識できる人なら、そのような解釈は無意味であることに気付けるのですが、科学的な思考が十分にできない人はその巧妙な聖書解釈に引っかかってしまうのです。

 統一シックが統一原理を学んで堕落論を信じてしまうような間違いを犯すのは、確かにその人の性格にも原因があるのですが、まず第一に聖書を絶対化してしまうことにその間違いの原点があるのです。
 聖書は原理講論にも書かれているように、「真理」を比喩と象徴によって書き表したものであり、「真理」そのものではないのです。
 原理講論に書かれたその部分には、現在も私は同意しますが、人類始祖アダムとエバという存在そのものが比喩と象徴であったことに気付けなかった過去の自分に対してはとても情けなく思っています。

Re:堕落論の原典

 神々の黄昏さん、投稿、感謝です。

 ただし、納得、すっきりという訳にはいきません。

 統一教会、オウム、証人・・・。福永法源もあった。救世教も。

 どうして、人々は「カルト」に魅かれるのか。

 もう20年近く前のブックになるけど、あの当時(40代)、どうしてみんな救いを求めているのかという問題意識のもと、『救いの正体』(宝島)を書きました。

 今度の論考は自分の体験談、経験主義にとらわれすぎです。

病気

 ナツミカンさんはいつレッドカード解除になったのですか?
 ナツミカンさんは「アンチ統一依存症」という病気なんだから寝てなきゃ。
 管理人さんもそこはしっかり対応してください。

Re:病気

 うつむき加減。シクシク

ルールはルールとして

庇えるような立場ではないですが、ナツミカンさんは寂しい人なんだと思います。寂しい故に統一教会に引きずられ、やめても経済的困窮からくる恨みと寂しい故にいくら嫌われても自分だけのブログではもの足りずにもっと構われ注目を受け吠えたくて投稿する。

こういう人がより生産的に生きる道は拉致監禁をしない反統一教会のキリスト教会で証人として吠えまくる事かなとも思います。なおかつクリスチャンは優しく構って慰めてくれるでしょうから。

確かに自分も含め引きずられた人達も悪いですが、こんな問題のある団体とわかるだろうに組織票や利用価値で統一教会を庇っている自民党が一番問題でしょう。

大体戦後においても海外の劣悪な環境に夢を見させて騙した移民政策といい政治家は本当に罪深い。

でも自力でその劣悪な環境を開拓して繁栄させ子孫に譲り渡した人達もいますし国と裁判で戦っている方々もいます。調べるのはお好きなようだし移民達の苦労をググって下さい。
 
何とかナツミカンさんにも踏ん張ってほしいです。レッドカードをくらわない場所で、、。
 統一教会といい何故自分を貴重視しない所に居場所を求めるんだろうか。背景には根深い親子関係がありそうですが、身の上話はご自分のブログでどうぞ。

ナッちゃんは今日も元気はつらつ

●「祝福」という「身売り」?!しかも献金納めて!金目当ての組織犯罪
https://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-12479327473.html

 ブログよりも、拉致監禁説得活動をやってた方が良かったかもv-75

「カルト」問題について

>どうして、人々は「カルト」に魅かれるのか。

 米本さんがコメントに書かれた上のテーマは一般人が疑問として抱きやすいテーマであるのは確かですが、テーマとしてはあまりにも漠然としていると思います。
 まず「カルト」と一括りにしたとしても、そこには仏教系もあればキリスト教系もあり、また様々な宗教の混合系もあり、それぞれ違った特色を持っているからです。
 また、いわゆる「カルト」であっても、その基本的な思想は伝統的な宗教に近く、その境目を明確に定義するのは至難の業です。
 米本さんが執筆に加わった『救いの正体』には「カルト」として数多くの教団が網羅されていますが、そこでインタビューされていた「カルト」の元信者たちが教団に魅かれた理由は様々であったはずです。

 米本さんが司会をされて行われた元「カルト」信者たちの座談会がその『救いの正体』の中にはありますが、元オウム信者はその座談会で以下のように語っています。
<カルトの存在の意味は?
―なぜ、人はカルトにはまるのでしょうか。
A(元オウム信者) キーワードは「絶対」「意味」「仲間」の三つだと思う。カルトに惹かれる人は、絶対というものを求める気持ちとか、自分が生きている意味や存在価値が絶えず胸に渦巻いています。―>

 米本さんが司会をされた座談会において元オウム信者が語った上の内容は、元統一教会信者である私であっても同意できるものです。
 ただ、それが「カルト」に魅かれる理由だと考えると、「カルト」と「宗教」は区別がつかないものになってしまいます。
 おそらく元オウム信者はオウム真理教に間違いがあることを発見して、脱会後はオウム真理教を「カルト」と見なすことになったのだと思いますが、そのようなことは「宗教」全般に当てはまることであり、宗派を改宗して今まで信じていた宗派を批判する人は珍しくありません。
 即ち、自己絶対化する宗教においては他の宗教は「カルト」と同じようなものであり、「カルト」の要素は基本的にどの宗教の中にも存在しているのです。
 従って<どうして、人々は「カルト」に魅かれるのか。>は<どうして、人々は宗教に魅かれるのか。>とほとんど同じことなのです。
 宗教全般においても「絶対」「意味」「仲間」はキーワードとなるものであるし、結局宗教そのものについて理解できなければ、「カルト」についても理解することはできないのです。

 ところが、宗教を正しく評価することはとても難しく、伝統的な宗教を信じている人であっても宗派が違えば、他の宗派を完全肯定することなどあり得ず、たいていの場合は見下すことになります。
 また、無宗教の人と宗教信者では当然宗教に対する評価が異なり、唯物思想を持った人から見れば宗教信者は一種の精神病者でしかなくなります。
 世界全体を見渡しても宗教信者はかなりの割合で存在し、それは先進国においても同じであり、むしろ完全に宗教を否定する唯物論者の方が少数派なのです。
 ただ、科学が発達し、個人を尊重する自由主義思想が発達した現代では中世のような盲目的な信仰を持つ人は少なく、特に先進国では宗教に対する信仰は中世のようではなく、道徳心と変わりないものになっています。
 宗教が持つ性格を考えれば、それを誰もが納得するように評価することなど不可能であり、それがどのようなものであるか判断しようとすれば、どうしてもその基準となる世界観なりが必要となってくるのです。

 因みに統一教会を悪い意味で「カルト」と捉えている私は、現在は宗教に対する一定の見方を持っており、統一原理を超えたところの世界観、宇宙観に立っています。
 米本さんの立場から言えば、それは「自分の体験談、経験主義にとらわれすぎ」となってしまうのかもしれませんが、特に統一教会系信者には、より高い次元に立った教理批判は参考になるので、統一教会=家庭連合の「カルト」たる所以を述べておきたいと思います。

 私は以前、米本さんが企画して‘火の粉’ブログの記事にしてくださった投稿の中で、ヘブライズムについて基本的な内容を書きましたが、それは一般的な見方であり、キリスト教的な観点に立ったものでもありました。
 しかし、実はそのヘブライズム解釈には大きな事実誤認があったのです。
 一般的にもヘブライズムが一神教の原点であるように解釈されていますが、古文書に記された史実によれば、ヘブライズム即ちユダヤ教に流れる一神教信仰はユダヤ民族から始まったものではなく、他の民族から受け継いだものなのです。
 エジプトには紀元前15世紀ごろに神秘学派を組織したトトメスⅢ世という王が実在し、一神教の原点はそこにありました。
 古代エジプトは多神教の国として理解されていますが、実際にはその中から神秘学という宗教とは一線を画す一種の学問として一神論の哲学が生まれてきたのです。
 旧約聖書はモーセ以後に編纂されたものであり、ユダヤ教の開祖はモーセなのですが、モーセはそのエジプトの神秘学派に入門した研究者の集団に属していたと記された文書が実在するそうです。
 またエジプトの研究者によれば、ラムセス2世がヘブライの民を追うように軍隊に命じたり、彼らを虐殺するよう命じたことは一度もないらしく、神秘学派の団体に伝わるところでは、モーセはこのファラオからヘブライ人をイスラエルの地に導くという重要な任務を命じられたとのことです。
 その任務を与えられた中で、モーセはイスラエル人たちに唯一の神を信じるよう熱心に説き聞かせたのです。
 現代まで続く神秘学の研究者が保持してきた文書から、以上は史実と考えられ、根拠が十分にあるのです。
 原理講論の執筆者である劉孝元氏やエジプトの文化など旅行するまで何もわからなかったという文鮮明氏は、そのような歴史を知らず、ただ旧約聖書に書いてあることを文字通り信じてしまったため、あのように非科学的な堕落論を書き、また史実に反する「復帰歴史」を信じるようになってしまったのです。
 しかし、その非科学的な「堕落論」や史実に反する「復帰歴史」は統一原理の世界観として信者に大きな影響を与え、文教祖や教団幹部が信者たちに霊感商法による経済活動を行わせたり、高額エンドレス献金を強要する口実ともなっているのです。
 そのような反社会的行為を可能にしている根本原因は間違った教理である統一原理自体にあり、反社会的活動を行っているという理由と共に、教理が明らかに間違っているという理由でも統一教会=家庭連合は「カルト」=反社会的宗教と断定することができるのです。

 伝統的なキリスト教も宗教であり、「カルト」に変質する可能性は内包しているのですが、科学が進歩する中で、失楽園の物語のような迷信部分の‘毒’は抜かれ、隣人愛を説く教えが中心となれば、それは社会の進歩にとって価値あるものとなり、「カルト」とは言えなくなります。
 因みに神秘学においてイエス・キリストは「偉大な達人」とされており、その残した言葉には多くの「真理」が隠されていると評価されています。
 統一原理は聖書に基づいて「真理」を解明したものであると主張していますが、イエス・キリストが特に強調した言葉を辿ってみると、統一原理では全く解明できない言葉も発見できます。
 その一つに、ヨハネによる福音書3章に書かれたイエスとニコデモの会話の中にあるイエスの言葉があります。そこには統一原理では絶対に解明できないイエスの言葉が書かれています。
(ヨハネによる福音書3/1~10より一部引用)
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」-

 統一原理講師の中にはそれについて、「真の父母」の祝福による新生復活だなどと解釈する人もいるようですが、イエスが「母親の胎内に入って生まれる」ことをしっかり語っていることを考えると、その解釈は完全に的外れです。
 実際、私も統一教会信者だった当時はそのイエスの言葉が何を意味するのか全く理解不能でしたが、神秘学の研究を知って、それが何を意味するか明確に分かりました。
 その神秘学によるキリスト教の聖句の解明についてはここでは書きませんが、現役統一信者で「真理」を探究する意欲がある人は神秘学を学んだらよいと思います。
 ここで言えることは、原理講論を書いた劉孝元氏や文鮮明教祖の聖書解釈は実際に間違いだらけであり、それより遥かに「真理」と呼ぶに相応しいものが世の中には存在するということです。

 人々は決して‘「カルト」に魅かれ’ているわけではなく、宗教に惹かれているのです。
 そしてキーワードとなるのは「絶対」「意味」「仲間」で間違いありません。
 ただ、それらを探究する努力と知性が足りないため、間違った宗教、すなわち「カルト」に引っかかってしまうのです。
 

現実と空想の境目がなくなる「カルト」

米本様、「日本のトップ・宋龍天の訴えはなぜ無視されたのか」の連載は6回にもわたって連載され、とても考えさせられた内容でした。ありがとうございました。幹部も含めて現役信徒はこの内容を風化させずに再考してほしいです。残念ながら今の体制、体質ではあのような過去に例をみない総会長(当時)の訴えはこの先絶対に出てこないと思っています。

さて、先日私は親戚の法事に参加しました。そこで法華経のお坊さんのお話を聞きましたが、「何妙法蓮華経」を唱えればお釈迦様と同じところに行けるとか、冷静に考えれば「科学的ではない」説法を皆さん、うなづきながら真剣に聞いていました。本当に信じている人もいれば、お話として聞いていて実際は死んだら終わりだと思っている人もいるだろうなと思いながら聞いていました。

昔の私であれば、統一原理が絶対的な真理で、そんなお坊さんの話などははなから相手にしていませんでしたが、今ではすんなりと受け入れることができました。私も含めて参加者たちは「それが真理か」などと考えることもせずに、風習、文化、儀式として聞いていたと思います。私は宗教というものは、文化や習慣の土台になるだけで十分なのではないかと思いますし、心の世界、考え方の世界において少しでも人々を導き、癒してあげられたらそれで使命を果たせていると思います。宗教の自由、信教の自由という考え方があるのは、宗教は人々の考えや生き方、文化を主導したり干渉したりコントロールするものではない「人畜無害」のものであるという前提があるからこそだと思います。

「カルト」を調べると「特定の人物・事物を熱狂的に崇拝、礼賛すること。または、そうした行動をとる集団や教団」とありますが、私はその教義や宗教活動によって、世界までも変えてしまおうという考え方自体が「カルト」だと思います。

私はすでに「堕落論」を信じていませんが、信じている人たちを非難するつもりはありません。それ自体を信じることは信仰の自由だと思います。統一教会の信徒たちの中にも純粋で良心的で人に尽くす人たちは今でもたくさんいます。その人たちの信仰の自由は守られるべきでしょう。しかし、非科学的な堕落論がもとで生まれてくる復帰原理、メシヤ論などに裏付けされたメシヤを中心とする組織体制やその行動は、すでにかなり行き過ぎており、カルト化しています。そこまで行くと完全に宗教団体を逸脱していると思います。それを総会長は危惧したのでしょうが、その努力も水の泡になってしまいました。

人はなぜカルトに走るのか…それはそのカルト宗教に、社会を変えようとする教義やパワーがあり、カリスマがいて先導するからでしょう。それ以外にもいろいろと魅力があると思いますが、所詮宗教団体は教義自体がお伽話みたいなものばかりですし、教祖の個人的な趣味、趣向に一時的に惹かれているに過ぎないので、いつか限界がきます。

近代の法治国家の社会において、政治や法律によってでしか本当に社会を変えられないという現実を、信徒たちにはしっかりと認識してほしいと思います。信徒たちはローマ帝国時代、ローマ皇帝の勅令でキリスト教が国教になったのを現代でも実現可能だと信じて疑いません。時代錯誤も甚だしいです。安倍首相を教育して屈服させれば、国が復帰できる(国教化できる)と信じている鶴子さんはまさに裸の女王様です。誰か一人でも「そんなことでは国教など不可能ですし、完全に宗教団体の認可がはく奪されます」と進言もできないのかと思います。カルト脳では無理な話ですね…

<参考>韓鶴子総裁が日本の幹部に下していた仰天指令
https://hbol.jp/194170/3

※カルトや宗教の専門家ではないので、あくまで個人の見解です。神々さんのコメントはいつも大変勉強になります。

神秘学

神々さんのコメントで、神秘学と書かれてましたので、もしかしたら、
ドイツの神秘家(歴史に残る霊能力者・霊的科学者)ルドルフ・シュタイナーのことを言ってる?のかと思いました。

『人間及び人類の霊的指導』では、
。「西暦元年、二人の子供・イエスが生まれた。一人はダビデ家のナタンの末裔、他の一人はダビデ家のソロモン家の末裔である。二人の子供は、全く同じではないが、ほぼ時を同じくして生まれた。(ちなみに、双子、兄弟ではない、他にも)
と書かれてます。
そして、
前者はルカ伝の、後者はマタイ伝の述べている子供イエスである。二福音書のイエスの系図には違う部分が見られる。マタイ伝はイエスの先祖をダビデの子ソロモンに、ルカ伝はイエスの先祖をダビデの子ナタンとしている。
ちなみに、ソロモンのイエス:青い目、
     ナタンのイエス(黒い目)

そして、
ヒーラー世界で有名なダスカロス、
この人は本物です。相談者には小銭を上げてたそうです。
相談者から金をとる時点で、背後は堕天使。
神界のルールの厳しさをよくよく知ってたダスカロス。

結局、
この世は、因果応報の世界で、
自分の思ったこと、言ったこと、行動したこと、行動しなかったこと、あの世では、すべてが自分に返ってくるだけのこと。だと思います。なんか悟ったことあっても、容易に忘れ、人を傷つけ、ルール違反を犯すのが人です。

地獄に落ちるとか行くとか言いますが、
誰かに行かされるわけではなく、相応の世界に自分から行くのであり、良心があったら、行かされるのであり、結局、
時間認識の無いあの世までみるなら、人間、皆、平等なんです。

地位、権力、金、名誉、肉体的な事等、全然関係ないんですね。
神の仲保者とか、代身とか、メシアの祝福とかなんとか、全く関係ないんです。血統転換なんて、愚の骨頂です。

日本は超恵まれてます。
先ほどのシュタイナー「薔薇十字会」が言うには、
霊的世界では、日本が頂点にいるそうですよ。

あっ、この前、テレビで経済人、韓国をよく知る人らが集まって、議論してましたが、韓国人は妄想の中で生きてるとかとか何とか言ってました。

今後、日本は2020年経済危機や大地震が再び来るかも知れないですが、たんたんと生きるしかないです。何がどうなろうと。

統一原理と神秘学

 統一教会=家庭連合が間違った教理をもとに特定の人間を神格化し、そのトップの人間を中心として、教団の目的のためなら反社会的活動も行う「カルト」集団であるのは間違いありませんが、その間違った教理を信じてしまう原因は既存の宗教そのものに根本原因があり、既に歴史上に存在する宗教がもつ欠陥が増大して現れたのが「カルト」宗教であると考えることもできます。
 現代は宗教の影響力は昔ほど強くなく、特に先進国においては信教の自由が保障されていて、アムロさんが書かれたように国教を定めることなど先進国においては100%あり得ません。
 それは知識を得た人々が宗教のもつ危険性と、また有用性を理解したからであり、宗教は狂信すべきものではなく、心の中で活かしていくべきものであることを現代の人々は悟ったのです。
 そのような進歩した現代社会において何故統一教会=家庭連合のような「カルト」宗教が信者を獲得できたかは様々な理由が考えられますが、統一教団を例にとれば、精神的に未熟な人、社会的に疎外感を持ち一般人が持つような価値観を持つことができなかった人などが「カルト」にはまり易いように思います。
 一般人が持つ価値観とは進歩した現代社会において教育を十分に受けた人が持つ価値観のことですが、世界には先進国ばかりでなく、文化的に未発達の後進国もあり、そのような国々では宗教の影響力は未だに強く残っています。
 また先進国であっても各個人において精神の発達レベルは様々であり、親子の不和などを経験した青少年は価値観のバランスを失い、宗教にのめり込む可能性もあります。
 統一教会においては、特に冷戦期においてたくさんの学生が伝道され、マスコミから原理運動などと呼ばれて話題にもなりましたが、その最大の原因は統一原理の一部に含まれる科学的思考、非宗教性にあると考えられます。
 それは統一原理に含まれる「創造原理」さらに統一思想要網に書かれた一神論を指しますが、そこに見られる発想は科学に沿ったものであり、内容は不完全なものであっても現代人にも通用する啓発性があります。
 もし、統一原理がその「創造原理」を中核に論理展開し、科学的な思考を徹底させたものであったなら、明らかに宗教を超えたものとなり、人々に有益な思想となったはずです。
 おそらく、統一教会に伝道された学生は多くがそれを期待して教会員になったのだと思いますが、学生というまだ精神的に未熟な年代にあったため、宗教的な幻想の誘惑に負け、非科学的な「堕落論」にはまってしまい、さらに妄想の歴史観を持つようになってしまったため、願わざる「カルト」人間になってしまったと考えられます。

 統一原理に「創造原理」が含まれていなかったら、おそらく冷戦時代の日本に「原理運動」は起こっていなかったと思います。
 私が学生時代、同じ大学の学生や学生研修会で知り合った他の大学の学生メンバーと話し合う時も、話の中心となるのは一神論のことであり、「堕落論」などでは話が進んでいきませんでした。
 toramaruさんが以前コメントに書かれたように、血統転換を妄信していた学生メンバーがいたのも確かだと思いますが、そのように「血分け」血統転換を信じていた学生信者はほんのわずかだったと思います。
 ただ、統一原理によって伝道された学生信者は「創造原理」に最大の魅力を感じて教会メンバーになったのは確かなのですが、結局そこにある科学的思考を貫けるだけの知性が足りず、宗教的幻想の誘惑に負け、知的に堕落してしまったのです。

 実際、私もそのように知的に堕落した人間の一人であったわけですが、堕落したものは再び復活させればいいわけで、よりレベルの高い知識を学び、心(知・情・意)をレベルアップさせれば堕落状態から脱することができます。
 toramaruさんがコメントで言及された神秘学については、記事のテーマからズレてしまいますので、ここで詳しく書くことはしませんが、統一原理に絡めて言えば、内容として創造原理をより発展させたものと捉えることもできます。
 ただ、「発展」という言い方はあくまで統一信者を基準にした場合であり、実際は神秘学の方が比較にならないぐらい歴史が長く、起源はユダヤ教以前になります。
 神秘学と宗教の違いはその科学性にあり、神秘学の場合はあくまで実体験を通して論理を展開しており、信じることの上に成り立った教理に基づく宗教とは一線を画しています。
 神秘学と宗教はその追究する対象が言葉の上で似ているため、内容を知らない人は区別するのが難しいのですが、分かりやすく言えば、神秘学は現実に存在する自己の心の深淵に隠された実相を極めようとするものであり、その追求の結果として「創造主/神」に辿り着くのです。その自己の心の実相を探究するには自己の存在を可能にする自然、宇宙を探究することも必要となってきますから、神秘学派においては自然や宇宙に対する研究も活発になされており、人類の進化の過程に対しても科学的な成果を土台に理解を深めています。
 また、人間の隠された実相を探究する中で、神秘学派は人間に内包する不滅の存在についても知識と経験をもっており、そのような研究は古代エジプト時代から既に行われていて、エジプトにあるピラミッドは現在でも謎が多く、世界の七不思議の一つとされていますが、そのピラミッドの中で神秘学派の研究が進められていたということです。
 ただ、神秘学は知的にも精神的にもかなり高度なものであり、宗教のように一般大衆に短期間で広まることはなかったようです。
 そして、神秘学は見方によっては原始的な宗教や多神教とは対立するものとなりますから、宗教からは敵視され、排斥されることになります。神秘学が生まれた古代エジプトでは多神教の影響力が強いですから、神秘学はエジプトでは多神教に隠れたままで、その伝統は他の文明国に引き継がれて発展して行くようになったということです。
 神秘学は宗教とは一線を画すものであるため、キリスト教の力が圧倒的であった中世ヨーロッパでは秘密組織を中心に神秘学の研究が続けられ、その名が表に出ることは滅多になかったそうです。
 神秘学派の人々は秘密組織に属しているため、自らが神秘学派であることは名乗らない場合がほとんどらしいですが、その神秘学派に属する神秘家の中には歴史的な偉人、思想家や偉大な科学者も数多くおり、古代の科学者ピタゴラスを筆頭に歴史に名を残した人物も多く、世界史にも名前が出てくる人の数は決して少なくありません。
 また、神秘学に関する著作や資料となる書物は相当な数に上るらしく、学究的な意欲さえあれば、いくらでもその真偽を確かめることができます。

 神秘学に関しては記事のテーマと異なるため、これ以上書きませんが、原理講論に書かれた「宗教と科学を統一した課題として解決」することなど、すでに古代エジプト時代から達成されており、そのようなことを目新しいと思うのは、その人自身が勉強不足だからであり、視野が狭かったということです。

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