横田・井口はバカなんだけど……
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改革か自壊か(33)
怪文書めいた一文が郵便で送られてきた。
ウィキペディアによれば、
「怪文書(かいぶんしょ)とは、信憑性および発行者が不明な状態で出回る事実上の匿名の文書である。内容的には、その多くが特定の組織・個人などに関する情報と称する類のもの、誹謗中傷もしくは一方的な主張を述べている。根拠不明あるいは明確に誤った情報でありながら、拾い読んだ者にある種の影響を与え得る為に問題視される」
となっている。
この定義によれば、先の一文は怪文書といっていいだろう。
しかし、「誹謗中傷もしくは一方的な主張」「根拠不明あるいは明確に誤った情報」と言えるかどうか・・・。関係者及び読者の判断を仰ぎたい。(注)は引用者)
(全文引用)
口先男(注1)、横田浩一の罪状
先に江利川女史を追い出した(注2)、口先男横田浩一、その後太田洪量を追い出した(注3)。現在理事長として権力を欲しいままにし、神をも恐れない横暴の限りを極めている。
「好きか嫌いか、損か得か」で自分に懐くかない地方の事務員をことごとくくびにし、何よりも65歳定年制(注4)を口実に5年余りかけて、宿敵、大藤女史の首を取った(注5)。
その実、横田は68歳、更に権力を牛耳りほしいままにしている。(注6)
加えて、関連病院一心病院の事務方を牛耳りほしいままにしている。(注7)
徳野氏、梶栗ジュニアの無能ぶりか(注8)、この程度の組織なのか、関係者諸君はえらい迷惑をしている。
人を定年で辞めさせて、自分は居直り、更に権力を欲しいままにしている。
実に、人としてあるまじき、自己中心、我が儘放題、感謝をしらない。反省をしらない。
教会の聖地、清平へ行ったこともないだろう。
(引用終わり)
(注1) 勝共連合事務総長の横田氏を「口先男」と命名したのは小生である。教団の拉致監禁対策の責任ある立場にいながら、何も動いていなかった。そこで、ブログで「口先男」と命名した。
それを読んだ横田氏、会議の場で曰く。「確かに口先男かもしれない。でも、澤田さんだって、そうじゃないか」
呆れた。
澤田拓也氏は、「拉致対」が「サ教対」に変わるまでは、熱心に動いていた。口よりも足を使って!それなのに、横田氏は澤田氏も自分と同じだというのだ。呆れた御仁である。こんなのが上にいる(号泣)。
(注2) 江利川安栄氏の退会届けの一節である。
「話は変わりますが、世界平和連合のリーダーシップの内状をお伝えしなければなりません。ここがサタンの巣窟であったために、私も意を決して退会をすることになった大きな原因になるからです。
了見の狭い、組織の私物化一人体制を築き上げたY。Yを主管し、全体に責任を持たなければならないOの無能力無責任、優柔不断さ。Yに逆主管されながらも保身と打算のみで居座ろうとする愚かな姿を見続けました。結局二人が組織を私物化して、国家存亡の霊的支柱の使命を果たすどころか、亡国を招かざるを得ません。Yはグループ全体の渉外部門を掌握しようと画策しておりますが、そうしたら国は滅び始めるでしょう」
(注3) 横田が太田を追い出したというのは初耳。どこかで書かれていたが、太田は韓国人幹部から暴行を受けたという。事実かどうか不明。
(注4) 65歳定年制については、「組織と人事の全国会議(下)-リストラなのか「宗教官僚天国」の維持なのか」 を読んでもらいたい。
関連記事は「改革の視点(4)-希望退職を募り、60歳定年制を実現しよう!」 。
<勅使河原人事部長(当時)は昨秋の「組織と人事の全国会議」で、「65歳以上の雇用は本部人事委員会の承認が必要であり、雇用となった場合、給与は40%カット」という方針を示した。>
うかつなことに、このとき「本部人事委員会」に注意を払わなかった。65歳以上になっても給与がもらえるかどうかは、本部人事委員会の判断にかかっている。換言すれば、この委員会は権力機関の1つといっていい。委員は勅使河原氏以外、誰がいるのか?
(注5)。大藤とは「大藤(おうとう)ひろこ」のこと。初代会長の久保木氏の秘書的な仕事をしていたこともある人のようだ。横田氏の宿敵とはどういうことだろうか。
(注6) 「本部人事委員会」が横田氏を承認した理由が知りたいものである。
横田氏は弁舌が巧みで、しゃべらしたらなかなかのものだ。本人は「俺は渉外担当としては本部職員では一番」と豪語していた。弁舌が巧みなことは認めるが、渉外に長けていたとは思えない。なぜなら、拉致監禁問題で法務省人権擁護委員会を説得できなかったのだから。だから、「口先男」なのだ。
(注7) 1999年頃?横田氏は統一教会本部渉外部長を、公安警察とゆ着していることをウワサされ、退任した。針灸・マッサ-ジだったかを自営でやっていた。
その後、梶栗玄太郎氏が一心病院の事務長に招き入れた。これは本人の弁。だが、喰えなくなったので、梶栗氏に泣きついたのかもしれない。自営でうまくいっていた-と強調していたのが不自然だったので。
それから数年後、拉致監禁担当として本部に招聘された。これも梶栗の働きかけによるものだろう。
今でも「一心病院の事務方を牛耳りほしいままにしている」とは初耳。もっとも、横田氏の所属教会は大塚教会(旧名)。ここには一心病院の医師・看護師・事務員シックが所属している。総務局長の近藤徳茂氏、監禁12年の後藤徹氏もそうである。
献金プッシュがない教会である。ニッコリ
(注8) 徳野氏は後任の会長に梶栗正義氏を推している。しかし、ハハサマはうんとは言わないらしい。小生にはなんとなく理由が分かる。梶栗正義氏は、徳野氏と違って、あこぎな献金集めができないのだ。このことをハハサマは見抜いているのだと思う。
勅使河原氏は「65歳定年制」(例外的な定年延長を含む)が利権になるとは予想していなかったと思う。
断食芸人こと井口康雄も68歳ぐらいだろう。
前の投稿(<井口氏が給料泥棒である可能性>http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-1017.html#comment18628で、神々の黄昏さんは井口のことを無能扱いにしていたが、少々違うと思う。
彼は、分派摘発には能力を発揮していた。
3、4年前だったか、文顯進氏が東京で講演会を開いたとき、入場者をチェックしていた。
2、3年前だったか、神山威氏が日本で講演したとき、3つの会場すべてで、入場者をチェックしていた。
江利川氏が「日本サンクチャアリ協会」を立ち上げるときの会場にやってきて、参加者をチェックしていた。
過日のサ教の3・1集会でも、見物客にまじって、観察していた。情報提供者が笑って語る。「例のニット帽だから目立つんですよ」
「分派分派侍JIN ただ今参上!」をもじれば、井口は「分派六波羅探題 」だろう。
六波羅探題をやるようなシックは希有である。
毎月20万円払うからスパイ的なことををやってくれ、と言われてやるようなシックはいないはず。能登のキチガイさんはやるかぁ?
原理とかはとはまったく関係のない、最近の構図(経済利益共同体)が見えてきませんか。
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コメント
良くないタイトルでした。
記事の補足
補足説明です。
取締役を別にして、65歳の定年を超えて、雇用されるようなサラリ-マンはいないでしょう。
私が関っていた出版業界ではゼロだと思います。
人事部が認めた場合に限って、70歳まで雇用するなんて方針を出したら、会社内は混乱に陥ります。
統一教会(家庭連合)は2014年を境に質的転換したと判断しています。いずれ、詳細を書くつもりです。
Re:記事の補足
それまでは、国民年金や健康保険はそれぞれ個人で払っていました。しかし、健康保険くらいはなんとか払えても、国民年金まできちんと納めている献身者(=家庭連合職員)はほとんどいないと思います。つまり、献身者は年老いて働けなくなっても、年金はもらえないかもらえても微々たる金額、つまるところ組織に頼るしか生きるすべがないのが現状です。この点が一般的な会社組織にはない大きな問題です。
もちろん献身者でも、定年に備えて準備している人もいないわけではありませんが、今まで散々苦労してきたのに無職となり年金もなく、老後をどう生きろと言うのかと、恨みつらみをぶつける人も少なくないでしょう。
家庭連合としても、バッサリ切った場合、分派に流れる者や、家庭連合としては隠しておきたいことを暴露する人が出ることを危惧する向きもあるでしょう。
米本さんの言われるように、家庭連合は経済利益共同体になってしまっていると思います。それは日本だけではなく、日本からの献金なしにはもはや維持することが難しい韓国家庭連合も当然含まれます。
この世で苦しむか、あの世で永遠に苦しむか
哀れな自業自得害虫教会!
結局、
いざとなったら、韓国人、日本人関係なく、自己保身に走る。
いや、韓国人は最初からか、
いやな奴、面倒な奴、は自分の立場を使い、追い落とす。
これが成れの果て。
今更、人を利用するな!悪魔の手先たち。
蜘蛛の糸にすがりたい?家庭虐待を善としてた輩は今だったら、速攻逮捕ですよ。しかし、なんで宗教団体なんだ?
私の妻は事業団でしたが、その事業団は長年、社会保険とか何も払ってないと言ってましたよ。そんな人いっぱいいるんじゃないか?
自分のために信者から搾取し、その金で生活するなんて、もう害虫より劣る。
<依存信者の皆さん>
献金=悪です。地獄への切符です。
あの世で永遠に苦しむ条件になりますよ。
>梶栗正義氏は、徳野氏と違って、あこぎな献金集めができないのだ。
→元々この人は、韓国留学時、確かプロレスごっことかで結構やられたとか言ってたし、話し方もそうですが賢いと思った(当時)、立場で人を追い詰める人ではないです。まだいたとは、それが不思議。
真正の「原理」と偽りの「原理」
「原理」という言葉を統一教会系信者はよく使いますが、一神教信者の場合はやはり同じように「原理」を使って自分たちの世界観を表すことがあります。
私自身も「原理」という言葉がとても好きで、現役信者時代は常にその言葉が頭の中にありました。
現在は様々な観点から統一原理の理論的な破綻が認められ、統一原理を「原理」であるとは捉えていないのですが、統一原理とは次元が異なる普遍的な「原理」については特別な意味がある重要な概念として認識しています。
「原理」はウィキペディアには「そこから他のものが導き出され規定される始原。他を必要とせず、なおかつ他が必要とする第一のものである。」とありますが、それは宇宙とあらゆる存在を支配する普遍的法則と解釈することもできます。
「原理」について語るには当然ながら形而上学的な思考ができなければなりませんが、統一教会系信者の中にはその形而上学的な思考ができる人は見当たらず、それは日本ブログ村に登録している多くの統一教会系信者のブログを見ても明らかです。
もっとも、形而上学的な思考ができて、普遍的な「原理」についてイメージできる人なら原理講論にある「堕落論」の矛盾性についても見抜くことができますから、「堕落論」が含まれている統一原理を信奉しているということ自体が形而上学的な思考ができないことの証明でもあるのです。
自分自身について言えば、入信当時、統一教会は「創造原理」が組織の根本思想となっている団体だと思っていたのが、実はそうではないことが徐々にわかってきたのでした。つまり「創造原理」よりはるかに「堕落論」「復帰原理」の方が重視されている宗教であるということがわかるようになってきたのです。
もし、純粋に形而上学的な思考ができる人ならば、「創造原理」と「堕落論」には越えられない理論的隔絶があることを認識できるはずなのですが、一貫した論理的思考を放棄し、依存的信仰に身をまかせてしまうとそれができなくなってしまうのです。
私も現役信者だった当時は統一原理の矛盾性を見逃す思考放棄の状態にあり、「堕落論」が拠り所としているキリスト教の聖書についても無条件でそれを信じる間違いを犯していました。
しかし、統一教会=家庭連合が実際に残した様々な歴史を振り返れば、そこには統一原理とは合致しない現実があるのが認められ、いやでも自分の考えてきたことの間違いに気付くようになります。
そこで、改めて自分が今まで信奉していた統一原理の何が間違っていたのかを探究すると、最も核心的なこととして「堕落論」が間違いであるのがわかり、それは「創造原理」とは相容れない妄想であることがわかるようになったのです。
「堕落論」は統一教会系信者が世の中の人間や社会を見る目を著しく歪めることになりますが、その中身は「創造原理」とは内容的に一貫性があるものではないため、統一原理として「創造原理」と「堕落論」の両方を同時に信じている統一教会系信者は思考力自体も退化するようになり、まともな一般人には理解できないような馬鹿な宗教話を平気で話すようになります。
そういう意味では、米本さんが「横田・井口はバカなんだけど…… 」と書いたとしても、それ程ズレたことではありません。彼らが「幼稚思考の壁」を越えられないのはその信じている教理について考えれば明らかです。
しかし、統一原理から「堕落論」を抜き去り、さらに「創造原理」の所々を矯正すると「原理」をイメージできるまともな一神教思想が出来上がります。
その「創造原理」から発展させた「原理」ならば、私は世界を見るのにとても重要な「原理」になり得ると思っています。
その「原理」であれば家庭連合の現在の組織構図に当てはめることもできます。
「原理的」な組織とは即ち自然界全体のような組織であり、個々の存在は組織全体を存続させるためにそれぞれ貢献し、全体として調和を保つことになります。その組織の指導者は組織がより範囲の広い社会に適合し、調和できるように指導力を発揮する役割を担います。
実際の家庭連合組織はそのような「原理的」な組織ではないため、結局は淘汰されるようになり、長く存続することはできなくなるのです。
米本さんは「経済利益共同体」と書かれていますが、家庭連合の資金は正当な経済活動によって得られたものではなく、強制的に末端信者から献金させたお金であり、搾取したお金であるとも言えます。
その資金調達方法はもちろん「原理的」なものではなく、末端信者のみが犠牲を強いられ、一部の者達のみが富を得ることになり、全体の調和など完全に無視されています。
韓鶴子氏を中心とした家庭連合はあらゆる観点から見て「非原理的」な組織であり、最終的には社会的に淘汰されざるを得ない組織なのです。
それが真実でありますから、教団の幹部の頭には「原理」などあろうはずがなく、あるのは自己正当化のための「偽りの原理」のみです。
ただ「偽りの原理」を唱えていても現実世界では破綻するしかないので、特に教団幹部の場合は最も卑しい方法で生き延びていくしかないのです。
同意
>「原理」はウィキペディアには「そこから他のものが導き出され規定される始原。他を必要とせず、なおかつ他が必要とする第一のものである。」とありますが、それは宇宙とあらゆる存在を支配する普遍的法則と解釈することもできます。
解釈できるのではなく、普遍的法則なのです。広辞苑では「根本法則」となっています。
ただし、統一教会では「統一原理」「原理」について独自の意味を持たせています。
しかし、多弁(何とか論)はできても定義することはできない。
よって意味ある用語ではまったくありません。呪縛されるようにしているだけなのです。
「それは原理的だ」「それは非原理だ」
爆笑です。
一度、統一女を口説いて(呪縛して)みたい。
「君のその頑なな態度は非原理だ」ニッコ
まるで連合赤軍事件に通じる話なのです。
「君のその頑なな態度は総括できていないことの証明だ」(リンチ殺人)
不同意
地動説に次ぐ新たな宇宙の法則!
科学者は誰1人として相手にしていません。
統一教会員である学者も口にしていません。
「堕落論」「復帰原理」「創造原理」。どう違いがあるか理解できませんが、いずれも「物語り」でしょう。ただし、堕落論だけは漫画的で分かりやすかった。
実際、神々さんもこう語っています。
>統一原理から「堕落論」を抜き去り、さらに「創造原理」の所々を矯正すると「原理」をイメージできるまともな一神教思想が出来上がります。
「思想」は物語であって普遍的な法則ではありません。
「原理」は用法的には「信念」とか「信条」にあたるのでは?
ここから個人的感想です。
でも、統一原理は、科学的真理を標榜しています。果たしてそれは、知らない人が触れて感化され得る内容なのかどうか。現役の信仰を持っていた時代には吟味できませんでした。外部の人間の目からは、何としても認めてもらわなければならない、という姿勢が垣間見え、鼻についてしまうのでしょう。(そう主張するものなのだが)しかし、実際は、教えられたことを、自分でもモノにできないことで自らを納得させつつ、活動するしかなかった。矛盾した時代の、自分の苦い思い出話です。
不同意(2)
そんなもの、ただの1つも見たことがありません。
つまり科学とは無縁な、神とか宗教が好きな人向けの、かなり長い物語りだからです。
単なる物語りだから信じる人もいるし、「おばあちゃんの話は間違っていた」と思う人も出てくる。
不同意(3)
水銀が体内に残留している魚を食べたから起きた病気です。
簡単に言えば、「食中毒」です。
それなのに、いまだ解決してない。どういうことでしょうか。
津田敏秀さんの『医学的根拠とは何か』を読んで、蒙が啓けました。https://www.iwanami.co.jp/book/b226245.html
統一教会は科学を重視しているという話はさんざん聞いてきたけど、読んだという科学的文献を提示されたことはあまりないです。泣き
例外は早川さんか。
亜種共産主義
創造原理は弁証法的唯物論に相当し、堕落論は矛盾論、復帰原理は実践論に相当します。
原理世界は共産主義世界に相当し、非原理世界は資本主義世界に相当します。
勝共連合の方は、もっと詳しく説明できると思います。
Re:米本さんの不同意
私が‘火の粉’にコメントを投稿し始めた初期の頃には原理講論の「創造原理」と統一思想要網を高く評価する文をたくさんコメントに入れました。米本さんにはその印象も残っていて上のようなレスコメになったと思いますが、正直に申し上げれば、「創造原理」は普遍的法則からは程遠い、虚構の仮説に過ぎないと現在は思っています。
米本さんがレスコメに書かれた以下の内容は全くもってその通りであり、私も異存はありません。
>「統一原理」が「宇宙の根本法則」なら、デ-タ、種々の実験結果、論文を提示しなければなりません。
>つまり科学とは無縁な、神とか宗教が好きな人向けの、かなり長い物語りだからです。
ただ、最初のコメントで「創造原理」が普遍的な「原理」に当たるような書き方をしたのは あくまで「堕落論」と比較したためであり、「堕落論」はあまりにも弊害が多い妄想論であるため、それよりはましで幾らかは真理を探究する試みがなされている「創造原理」を「原理」に近いものとして肯定的に捉えたのです。
原理講論の「創造原理」を今改めて検証してみますと、かなりの部分に論理的な間違いがあり、科学的な知識がある人を納得させられるようなレベルのものではまったくありません。
その間違ったおかしな部分を指摘して書き出すとかなりの長文となってしまい、記事の内容からも大きく外れてしまいますので、ここでは詳しく書きませんが、原理講論は用語自体に問題があり、筆者は非知性的な用語を多用していますので、書いていることに厳密さがなく、学問の世界に通用するものでは決してありません。
それについて少しだけ触れておけば、「創造原理」では一般的に「相互作用」と呼ばれる現象を「授受作用」などという「統一原理」用語を使って表現していますが、その用語は実際の現象を表現するのには不適切であり、事実を正しく表現することはできません。
また、人間の精神面に関する解釈はとても貧弱であり、人間が(科学的研究や芸術活動などの)創造性を獲得するためには「神も干渉できない責任分担を完遂すること」が必要条件だなどと説得力のない説明しかできておらず、人間の世界にある教育に関することなどまったく理解できていないのです。
つまり、「創造原理」は余りにも知的に低レベルであり、普遍的な「原理」になり得ようはずがないのです。
ただ「創造原理」が基本的な考えとして持っている、「神」を全宇宙の第一原因として捉える考え方や全宇宙にある秩序だった法則がその第一原因に由来しているという発想は啓発的なものであり、「原理」を探究するきっかけを与えてくれます。
そのような意味では「堕落論」のような弊害がなく、知的には低次元であったとしても肯定的に捉えることはできるのです。
現在私が「原理」を真に探究していると確信し、関心を持っているのは神秘学とされる分野であり、宗教ではありません。
神秘学が「原理」を探究する方法は科学的でもあり、基本的に実際の体験を通して「原理」を探ろうとしています。
「神」についても同じように探究しており、人間の魂の中で実感できるものとして「神=創造主」を考えています。
神秘学が目指しているのは科学と宗教と哲学の融合した究極にある「真理」を悟ることであり、伝統が受け継がれる中でかなり長い歴史を持っており、内容的にも進化を続けています。
統一原理は朝鮮半島で生まれた知的レベルの低い宗教思想であるので、宗教と科学を一つの課題として解決する最終的真理だなどと訳の分からぬことを主張していますが、それよりはるかに高度な「真理」の主張を行っていたのが神秘学なのです。
原理講論を書いた劉孝元氏や、その原本を書いたとされる文鮮明氏は神秘学の研究者に比べれば、幼稚園児ほどの知性しか持ち合わせていません。
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