〈緊急連載〉大人になったカルトの子どもたち 

お知らせ(20)

大人になったカルトの子どもたち

 私ごとで恐縮ですが、『婦人公論』(中央公論新社)3月7日号に「(緊急連載)大人になったカルトの子どもたち」を執筆しました。

 第1回目は「エホバの証人」の子どもたちのことを書きました。記事には2人の元エホバの二世が登場しますが、このお2人は「火の粉ブログ」に投稿された方たちです。その後、連絡をして、インタビューに応じてもらい、その結果、記事にすることができました。
 ブログが取り持つ縁といったもの(ネットワークの横のつながり)を、改めて感じることができました。

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またまた拉致監禁事件、発生! 

拉致監禁リアル情報(8)

 またまた拉致監禁事件、発生!

 このほど、統一教会の東京・武蔵野青年支部に所属するMYさん(30歳、女性)が拉致監禁されていたことが判明した。

 2月7日、MYさんは甥の誕生会に招待され、日帰りの予定で、実家がある栃木県大平町に戻った。
 その日の夜7時頃、MYさんから武蔵野支部の青年部長に電話が入った。
 「今日帰る予定だったけど帰れなくなった。しばらく帰れないかもしれない」

 青年部長が質問するも、おうむ返しのように「帰れないかもしれない」を繰り返すばかり。周囲から、それ以上のことをしゃべるなと強要されているような雰囲気だったという。

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「アヒルの子」のご案内 

お知らせ(21)

前回のお知らせと同じように、直接、このブログとは関係しないことです。

『婦人公論』の3月22日号で、ヤマギシ会の親子問題のことを取り上げました。タイトルは<大人になったカルトの子どもたち(2)/家族を破壊した「地上の楽園」>です。

 この記事の初稿では、ヤマギシ会が運営するヤマギシ学園の幼年部に預けられた、女の子が撮った映画のことを紹介していました。ところが、字数の関係上、削除せざるを得ませんでした。

 当時5歳だった女の子の名前、小野さやかちゃん。

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川崎経子牧師の素顔? 

“救出カウンセラー”の素顔(1)

?良心の呵責に苦しむ?

 良心とは「自分の本性の中にひそむ欺瞞・打算的行為・不正直・不誠実・ごまかし・怠惰な念などを退け、自分が正しいと信じる所に従って行動しようとする気持ち」。呵責とは「責めさいなむこと」。
 皮肉な表現をすれば、良心がなければ、呵責に苦しむことはなく、平安な日々を過ごすことができる。



なぜ、信者の母は自殺したのか!(上)

「ニュース(21)」のまたまた拉致監禁事件、発生!で、「ニュース(21)」のまたまた拉致監禁事件、発生!で、「いのちの家」の所長である川崎経子牧師(前谷村教会の牧師)のことに触れた。その川崎牧師には呵責すべき良心があるのかどうか。以前から感じていたことを書くことにする。
 最初に小さな記事を紹介する(原文ママ)。

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川崎経子牧師の素顔? 

“救出カウンセラー”の素顔(2)

?良心の呵責に苦しむ?

 良心とは「自分の本性の中にひそむ欺瞞・打算的行為・不正直・不誠実・ごまかし・怠惰な念などを退け、自分が正しいと信じる所に従って行動しようとする気持ち」。呵責とは「責めさいなむこと」。
 皮肉な表現をすれば、良心がなければ、呵責に苦しむことはなく、平安な日々を過ごすことができる。



なぜ、信者の母は自殺したのか!(中)

「救出カウンセリングの活動をしていらっしゃる方で、路上保護を経験したことのない人はいないでしょう」

 川崎経子牧師がこう語りはじめたのは、99年の秋に開催された「救出カウンセリング講座」においてであった。
 講座を主催したのは日本脱カルト研究会(現、日本脱カルト協会)。演者は谷村教会の牧師(当時)川崎経子氏と、同研究会の事務局長・滝本太郎弁護士の2人であった。(注1)

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川崎経子牧師の素顔? 

“救出カウンセラー”の素顔(3)

?良心の呵責に苦しむ?

 良心とは「自分の本性の中にひそむ欺瞞・打算的行為・不正直・不誠実・ごまかし・怠惰な念などを退け、自分が正しいと信じる所に従って行動しようとする気持ち」。呵責とは「責めさいなむこと」。
 皮肉な表現をすれば、良心がなければ、呵責に苦しむことはなく、平安な日々を過ごすことができる。



なぜ、信者の母は自殺したのか!(下)

 前回の記事の繰り返しになるが、川崎経子牧師は母親の鉄道自殺の原因について、「救出カウンセリング講座」で、次のように語っている。

「信者のお母さんで、電車に飛び込んで自殺した人がいます。 この方の場合、保護をするにも頼れる親戚は誰もいなく、信者さんの兄弟は障がい者。お母さんしかいないのです。この場合、断るしかなかった。ほかにどんな(脱会)方法があったというんでしょうか!」

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川崎経子牧師の素顔? 

“救出カウンセラー”の素顔(4)

なぜ、信者の母親は自殺したのか!(補足)


 自殺に関する3回のシリーズを終えて、どうしても疑問でならないことがあった。自殺の真相とは直接関係のないことだが、職業柄か、少しでも気になることが疑問が残ると、どうにもすっきりしない。

 これまでの記述をどんでん返ししたような表現になってしまうが、疑問点は「川崎牧師が人数が足りないことを理由に、母親の保護説得のお願いを断ったこと」そのことにある。

 なぜなら、事件が起きた87年当時も今も、保護説得はそれほどの人数を必要としていないからだ。

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川崎経子牧師の素顔? 

“救出カウンセラー”の素顔(5)

十字架を背負う 罪の意識や悲しみを身に受け持つ



 これから2回にわけて川崎さんと私との個人的関係について述べておく。(『我らの不快な隣人』の35?37頁、300?303頁、305?306頁を参照)

慈愛に満ちたクリスチャン

 川崎さんと最初に出会ったのは、「法の華三方行の被害者家族の会」(冠は「福永法源の」だったか)の集会の席上でだったと思う。97、8年の頃だったと記憶する。
 川崎さんは救出カウンセラーとして、私は月刊『現代』で「福永法源の仮面を剥ぐ」を書いた記者として呼ばれたのだと思う。(記事は『教祖逮捕』に収録されている)
 初対面の川崎さんは慈愛に満ちた、いかにもクリスチャンという感じの人で、印象はとても良かった。

 記憶が飛んでいるかもしれないが、次に接触があったのは99年の秋だったと思う。

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