「勝ち犬の遠吠え」-番外編-ブログ閉鎖の謎
「清水牧師の正体(8)」
前ブログに追加情報として流したことだが、行田教会の清水与志雄牧師が自身のブログ『カルトからの自由』を突然、閉鎖した。
なぜ閉鎖しなければならなかったのか。
清水氏がいつからブログを開設したのかは、今となってはわからないが、少なくとも最近のことではない。
彼が書いた記事の本数は400は下らないだろう。単行本にして4、5冊分の分量だ。秦の始皇帝の命令によってではなく、作家が自らの作品を自らの手で焚書にしてしまった、のに等しい。
ブログ閉鎖は管理人の自由だが、清水“作品”にはたくさんの投稿が寄せられていた。それらも、いきなり削除されてしまった。時間をかけて書いたであろう投稿者の労力も無に帰してしまったのである。
- [2010/10/14 16:35]
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「勝ち犬の遠吠え」⑤-故樹村さんのこと(1)・死者を冒涜
「清水牧師の正体(5)」
註解❶これから「勝犬の遠吠え」シリーズを再開します。中断した期間が半年以上にも及んだため、これまでアップした2つの記事を再度、掲載することにしました。コメントが多くついていますが、2010年9月にアップしたときのものです。
❷勝ち犬のはずの清水牧師が都合が悪くなったのか、自分のブログ「カルトからの自由」を閉鎖してしまったため、これから書く記事が大変読みにくくなってしまいました。私の文章の拙さを含め、読者の読解力でカバーしていただけることを期待しています。清水氏がブログにどんなことを書いていたのかは想像してもらうしかありません。
❸「故樹村さんのこと(1)」と「故樹村さんのこと(2)」を再掲したあと、新しい記事をアップいたします。
❹清水牧師が強制説得を手がけたのは、樹村さんの息子・息子の嫁、宿谷麻子さん、高須美佐さん、今利理絵さん、アントール美津子さん、小林宗一郎さんなど多数に及ぶ。このうち今利さんと美津子さんからは裁判に訴えられた。この裁判を契機に、清水氏は日本基督教団から保護説得活動を中止するように指導された。(2011年3月29日・記)
◇◇◇以下の記事は、2010年9月18日にアップした記事を再度、掲載するものです。イニシャル表記を変更するなど、多少手を加えてあります◇◇◇
日本基督教団に所属する行田教会の清水与志雄牧師からは、「勝ち犬の遠吠え」③と「勝ち犬の遠吠え」④で書いたように、「名誉毀損だ」「告訴する」とピストルを振り回されただけで、まともな火の粉が降りかかってきたわけではない。
- [2011/03/29 16:16]
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「勝ち犬の遠吠え」⑦-故樹村さんのこと(2)・ 豹変
「清水牧師の正体(7)」
◇◇◇以下の記事は、2010年10月7日にアップした記事を再度、掲載したものです◇◇◇
これから、清水氏が「偽装脱会の母親」(「勝ち犬の遠吠え(死者を冒涜)」と罵った樹村さんと私のことを綴っていく。後段で、清水氏の「カルトからの自由」の記事を批判する。
これからの記述は、私が拉致監禁問題についてどう認識を深めていったかに関わるものである。そのため、読者からすれば、迂遠で、饒舌なおしゃべりに聞こえるかもしれない。そこは、ご容赦を。
私が性の目覚めならぬ、拉致監禁問題に目覚めたのは、『我らの不快な隣人』でも、この火の粉ブログでも書いてきたように、荻窪栄光教会の黛藤夫氏の指導によって、「息子(青年信者)を拉致監禁しようとしたが失敗した」という話を、当の家族から聞いたのが始まりだった。
- [2011/03/29 21:47]
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「勝ち犬の遠吠え」⑨-故樹村さんのこと(3)・傍若無人
「清水牧師の正体(9)」
故人・樹村さん(仮名)のことについては、
「勝ち犬の遠吠え⑤-故樹村さんのこと(1)死者を冒涜
「勝ち犬の遠吠え⑦-故樹村さんのこと(2)豹変
で、書きました。
そして、この「傍若無人」をアップした翌日に、システム障害が発生し、文字化けしてしまいました。 さらに、その後、東日本大震災そして福島原発のメルトダウンがあったり・・・。
「勝ち犬の遠吠えシリーズ」の原稿は昨年の秋には書き終えていたのに、なかなかアップできず。清水牧師には失礼な表現だけど、まさに疫病神。
これからはよほどのことがない限り、たとえ宮村大魔神による信者の神隠しがあったとしても、中断することなく、アップしていきます。それで、「傍若無人」を、再びです。
なお、カテゴリー「清水牧師の正体」をクリックすれば、最初の記事から通しで読むことができます。
「清水先生は牧師はんやなのに、嘘ばっかり・・」
樹村さんが、息子(当時大学生)が統一教会に関わっていることを知ったのは、92年2月のことであった。 樹村さんは、東京で開かれた「全国原理運動被害者父母の会」(本間てる子代表)の集会に参加し、そこで、91年4月から水口教会(滋賀県甲賀市)の牧師に就任していた清水氏を紹介された。

清水牧師が保護説得を本格的に手がけることになった最初の教会(水口教会)
- [2011/05/23 18:20]
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「勝ち犬の遠吠え」⑩-故樹村さんのこと(4)・ヤクザ映画
清水牧師の正体(10)
「勝ち犬の遠吠え⑨-傍若無人」では、樹村さんが保護説得を決意し、息子と会う段取りをつけたところまでを書いた。
今回はその続きである。
文末の〇付き数字は、清水氏のブログ「カルトからの自由」の説明と大きく異なることろ、もしくは説明が必要なところである。前回、詳述したので、最小限にしたい。
東海道本線(琵琶湖線)の草津駅の駅前で、樹村さん家族(樹村さん夫妻、長女と次男の4人)と幸一君(長男)は会った。
樹村さんは長男に、隣町の野州のビジネスホテルタカラで、家族の話し合いをしようと提案した。元信者の父親であり、清水氏との連絡役でもあった丘田氏の指示に従い、ホテルはすでに予約していた。ちなみに、このホテルは丘田氏が自分の子どもを監禁したところである。
- [2011/05/26 19:35]
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