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川崎経子牧師の素顔? 

“救出カウンセラー”の素顔(1)

?良心の呵責に苦しむ?

 良心とは「自分の本性の中にひそむ欺瞞・打算的行為・不正直・不誠実・ごまかし・怠惰な念などを退け、自分が正しいと信じる所に従って行動しようとする気持ち」。呵責とは「責めさいなむこと」。
 皮肉な表現をすれば、良心がなければ、呵責に苦しむことはなく、平安な日々を過ごすことができる。



なぜ、信者の母は自殺したのか!(上)

「ニュース(21)」のまたまた拉致監禁事件、発生!で、「ニュース(21)」のまたまた拉致監禁事件、発生!で、「いのちの家」の所長である川崎経子牧師(前谷村教会の牧師)のことに触れた。その川崎牧師には呵責すべき良心があるのかどうか。以前から感じていたことを書くことにする。
 最初に小さな記事を紹介する(原文ママ)。

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川崎経子牧師の素顔? 

“救出カウンセラー”の素顔(2)

?良心の呵責に苦しむ?

 良心とは「自分の本性の中にひそむ欺瞞・打算的行為・不正直・不誠実・ごまかし・怠惰な念などを退け、自分が正しいと信じる所に従って行動しようとする気持ち」。呵責とは「責めさいなむこと」。
 皮肉な表現をすれば、良心がなければ、呵責に苦しむことはなく、平安な日々を過ごすことができる。



なぜ、信者の母は自殺したのか!(中)

「救出カウンセリングの活動をしていらっしゃる方で、路上保護を経験したことのない人はいないでしょう」

 川崎経子牧師がこう語りはじめたのは、99年の秋に開催された「救出カウンセリング講座」においてであった。
 講座を主催したのは日本脱カルト研究会(現、日本脱カルト協会)。演者は谷村教会の牧師(当時)川崎経子氏と、同研究会の事務局長・滝本太郎弁護士の2人であった。(注1)

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川崎経子牧師の素顔? 

“救出カウンセラー”の素顔(3)

?良心の呵責に苦しむ?

 良心とは「自分の本性の中にひそむ欺瞞・打算的行為・不正直・不誠実・ごまかし・怠惰な念などを退け、自分が正しいと信じる所に従って行動しようとする気持ち」。呵責とは「責めさいなむこと」。
 皮肉な表現をすれば、良心がなければ、呵責に苦しむことはなく、平安な日々を過ごすことができる。



なぜ、信者の母は自殺したのか!(下)

 前回の記事の繰り返しになるが、川崎経子牧師は母親の鉄道自殺の原因について、「救出カウンセリング講座」で、次のように語っている。

「信者のお母さんで、電車に飛び込んで自殺した人がいます。 この方の場合、保護をするにも頼れる親戚は誰もいなく、信者さんの兄弟は障がい者。お母さんしかいないのです。この場合、断るしかなかった。ほかにどんな(脱会)方法があったというんでしょうか!」

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川崎経子牧師の素顔? 

“救出カウンセラー”の素顔(4)

なぜ、信者の母親は自殺したのか!(補足)


 自殺に関する3回のシリーズを終えて、どうしても疑問でならないことがあった。自殺の真相とは直接関係のないことだが、職業柄か、少しでも気になることが疑問が残ると、どうにもすっきりしない。

 これまでの記述をどんでん返ししたような表現になってしまうが、疑問点は「川崎牧師が人数が足りないことを理由に、母親の保護説得のお願いを断ったこと」そのことにある。

 なぜなら、事件が起きた87年当時も今も、保護説得はそれほどの人数を必要としていないからだ。

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川崎経子牧師の素顔? 

“救出カウンセラー”の素顔(5)

十字架を背負う 罪の意識や悲しみを身に受け持つ



 これから2回にわけて川崎さんと私との個人的関係について述べておく。(『我らの不快な隣人』の35?37頁、300?303頁、305?306頁を参照)

慈愛に満ちたクリスチャン

 川崎さんと最初に出会ったのは、「法の華三方行の被害者家族の会」(冠は「福永法源の」だったか)の集会の席上でだったと思う。97、8年の頃だったと記憶する。
 川崎さんは救出カウンセラーとして、私は月刊『現代』で「福永法源の仮面を剥ぐ」を書いた記者として呼ばれたのだと思う。(記事は『教祖逮捕』に収録されている)
 初対面の川崎さんは慈愛に満ちた、いかにもクリスチャンという感じの人で、印象はとても良かった。

 記憶が飛んでいるかもしれないが、次に接触があったのは99年の秋だったと思う。

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